舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

2009年11月

【舞】廃墟の嘘人(10デシリットル・楽日)

900e543d.JPG
6f92c96c.JPG
ゲネプロから比べると驚くほどの発展を遂げる。
毎回の手直しを繰り返し、完成度を上げ、最終形に近付けて行く。
いつもの永冨作品の演出法だ。
舞台は廃墟となったバット工場で、数年前に4人組の強盗団がこの廃工場内に3千万円を隠したものの、隠し場所が判らなくなったことから仲間割れを起こし、とうとう殺し合いが始まり3人の惨殺死体が発見されたいわく付きの殺人現場だ。
残る一人は姿をくらまして行方不明となっている。
そして現在。
この廃工場にたまたま3つのグループが集い、同じ日の同じ時刻に、行ったり来たりを繰り返す。
会社の新入社員歓迎会に恒例の肝試し大会をする会社員たち。
報奨金3万円を探す傍ら、あわよくば強盗団が隠した3千万円を見付けられたら一攫千金だ。
一方、老人ホームの職員たち4人は、会長が着服したと思われる3千万円を奪うため、この廃工場で悪巧みを企てる。
着服された3千万円がないと、老人ホームがピンチなのだ。
更にもうひと組、自主映画の撮影班が廃工場に現れる。
この廃工場で起きた強盗団仲間割れ殺人事件を脚色し、実際の現場で撮影しようと言うのだが、肝心の強盗役4人がなかなか到着しない。
ここまで書けば、後の展開は何となく解るだろう。
強盗団の仲間割れや、事件に基づいた映画等、メタフィクションしそうな設定だが、一切ややこしいことは成されず、順当に物語は進行する。
それぞれの問題を解決できないまま、ニアミスを繰り返したのちに、最終的に3つのグループが鉢合わせる。
撮影現場にやって来た強盗一味は、撮影の強盗役に間違われ、勘違いから巻き起こるドタバタ。
やがてそれぞれのグループに老人ホームの親族が居ることが分かり、全く無関係に進んでいた3つのストーリーは、ラストできっちりシンクロし始める。
自分たちだけでは解決しなかった問題が、他者と関わることで次第に紐解けて行く。
この辺りの展開がとても上手い。
どうしようもないと思われた老人ホームの3千万円だが、これもデウス・エクス・マシナのごとき見えない幽霊が、あっさり解決してしまう。
3つのグループにそれぞれ都合よく霊能者が居て、幽霊との会話から真相が明らかになる。
この幽霊は強盗団4人の内、行方不明と思われていた最後の一人の幽霊で、実は仲間割れで真っ先に殺されてしまい、しかも3千万円を隠した張本人で、成仏する置き土産に3千万円の隠し場所を教えてくれる。
つまり残りの3人は、盗んだ金の在処が分からず、同士討ちしてしまったのだ。
そして3千万円の発見シーンで、芝居はいきなり終わる。
長々と後日談をしないのが潔くて良い。
きっと、あとは想像通りの展開が待つ。
バラ撒かれた伏線が最後にきっちりと見事に収まる。
幽霊を単なるデウス・エクス・マキナにしないよう、設定であった強盗事件までしっかり解決してしまう。
今回も永冨マジックは冴え渡っている。

☆デウス・エクス・マキナ[deus ex machina]
演出技法のひとつ。
ラテン語で「機械仕掛けの神」の意。
物語が混乱して解決不能な局面に陥った時、物語の流れや脈絡と関係ない存在が突如現れ、神のごとき絶対的な力で状況を強制的に終結させてしまう筋書きを言う。
物語を意外な結末に向ける手法ではあるが、やや強引な場合も多く、あまり良い技法ではないとされる。
古代ギリシア演劇、特に悲劇では好んで多用され、結果を宣言する神役の役者が、滑車や歯車を使ったゴンドラに乗って登場した。
この滑車や歯車を「時計仕掛け」と呼んだことから、「時計仕掛けから出ずる神」として名付けられた。
転じて、それと同じ役割をする「伏線もなしに登場して物語を終わらせる」存在をデウス・エクス・マキナと呼ぶ。
時にストーリーテラーや演出家、劇場主、劇場管理者、舞台監督、司会等も、デウス・エクス・マキナに使われる。
きちんと伏線をはって解決役を登場させることで意外性と説得力を持たせられた場合は、デウス・エクス・マキナとは呼ばない。

【舞】10デシリットル『廃墟の嘘人』

69ec4c68.jpg演劇ユニット 10デシリットル 旗揚げ公演
『廃墟の嘘人』
脚本/松岡眞吾・永冨義人
演出/永冨義人
@芸術創造館
11/27(金)15:00〜、19:00〜
11/28(土)15:00〜、19:00〜
11/29(日)13:00〜、17:00〜

またまた新しい演劇ユニットが誕生する。
松岡氏の脚本を永冨氏がリライトし演出する演劇ユニット「10デシリットル」だ。
リットルは、容積の単位で、デシは基本単位の10分の1を表す。
つまり10デシリットル=1リットルである。
劇団名がどうして「1リットル」ではなく「10デシリットル」なのかは知らない。
何か理由があるのだろう。
さて、舞台となるのは廃墟となったバット工場の一室。
そこにたまたま集まる3つのグループ。
廃墟で新社員歓迎イベントの肝試しを開催しようとする会社員たち、職場の老人ホームの資金難を救うべく強盗を企てる強盗グループ、廃墟で自主映画を撮影する映画撮影班。
3つのグループはニアミスを繰り返しながら、全く違う3つの物語が同時進行する。
やがて3つのストーリーは交差し始め、混ざり合って意外な方向へと物語は進む。
笑いあり、友情あり、ホラーあり、恋あり、謎解きあり、てんこ盛りの人間ドラマである。
16名の役者が織りなすシチュエーションコメディ。
本日より、怒涛の6回公演。

【観】突劇金魚『ビリビリHAPPY』

9d05e96a.JPG突劇金魚 第10回公演
『ビリビリHAPPY』
作・演出/サリngROCK
@シアトリカル應典院

初日観劇。
いつも公演の半ばで観劇日誌を更新する時は、これから見る人のため、あまりネタバレしないよう、詳細に書くことを避けている。
しかし今回ばかりは書いてしまう。
読んだところで観客が感じ取る作品の本質が変わる訳ではないし、いつものように感覚的な作品なので、知ってから見ても遜色ないと思うからだ。
どうしても自分で全てを感じ取りたい方は、観劇後に読むことをお勧めする。
突劇金魚×七味まゆ味。
敢えてこう書きたい。
昨年末のインディペンデントシアター1st、大阪ではたった1回こっきりの一人芝居『いきなりベッドシーン』で、圧倒的な身体能力を見せつけた七味まゆ味が、サリngROCK作品に主演する。
これ以上の取り合わせはあるまい。
サリngROCKの世界を、痛く狂おしいほどに七味まゆ味が演ずる。
このカップリングは相当良い。
内容はいつもの突劇金魚と変わりなく、サリngROCK本人をそのまま投影した作品だが、脚本力、構成力、共に飛躍的に上昇している。
過去作品では、感覚的で突拍子もない場面がバラバラに構成され、全体として見るとアンバランスな印象を受けることもあったサリng作品だが、本作においては全場面同等の比重を持ち、個々のシーンのバランス配分と構成がとても上手い。
主人公のスミ子はバラ色の未来を夢見る女の子。
夢を追って、様々な所を旅して回る。
旅の途中で出会った女性は、色の入った名前を持つ。
モモ色、キ色、ミドリ色、ギン色、そしてシロ色。
スミ子はもちろんスミ(墨)色だ。
別人として登場する女性たちは、全てスミ子自身である。
過去と未来の自分と出会う旅。
妹として登場するシロ美は、表面的に他者から見られる自分自身であり、本心とは裏腹の行動を取るもう一人の自分である。
過去、現在、未来において、自分自身を正しく認識すること。
これはサリngROCKなりの自分探しの物語なのだ。
それは彼女自身が、これまでの自分を正しく認識したことの現れでもあり、これからの自分の生き方に対する決意の表れでもある。
更には舞台美術が、血の滴ったような赤で覆われた世界で、まるで子宮の中のように思える。
幼児期を表すモモゾーは、ここで卵子の中から産まれて来る。
これはサリngROCKが母親の体内で垣間見た、束の間の夢なのかも知れない。
ラストシーン、スミ子は母親探しに旅に出る。
ここから旅立ち誕生し、母親と相まみえるために。
ボンヤリとそんな思いを馳せながら見る、サリngROCKの芝居が好きだ。

※東京公演までに是非とも膨らませて欲しいのは、ラストのパフォーマンスだ。
過去、現在、未来を旅しながら自分自身に出会い、斜め一線に並ぶ美しいシーンは、まだまだ手直しが可能で、更に忘れがたい素晴らしい場面にすることが出来る。
振付を雇ってでも作る価値がある。

【観】A級MissingLink『無神論者は幽霊を見ない』

e57118f9.jpgA級MissingLink 第16回公演
『無神論者は幽霊を見ない』
作・演出/土橋淳志
@ウイングフィールド

実に良く書けている。
そしてまた、実に良く描けている。
昨年の7月、精華小劇場での公演『裏山の犬にでも喰われろ!』は、最高作とも言える完成度で、土橋流メタフィクション演劇作品を極め、その後「脱メタフィクション宣言」をした土橋氏が書き下ろした新作は、やはりメタフィクションであった。
しかし、これで良いと思うのだ。
土橋作品は土橋氏にしか描けず、それをとことん極めるべきなのだ。
そして新作『無神論者は幽霊を見ない』は、『裏山の犬にでも喰われろ!』以上の完成度で、我々を魅了する。
何たるロジック!
メタフィクションの弱点は、概ね解る者しか楽しめないところで、観劇しながら頭の中で複数の事柄を整理しなければならない。
ある程度の整理能力が必要である。
ところがこの作品に至り、取っつきにくいメタフィクションのイメージを払拭し、完全に理解できずとも大多数の観客の好感を得ることに成功したのではないだろうか?
それはメッセージが多様で、各人の趣向により思い思いの受取り方で楽しめる仕掛けと、草野球や恋愛、大切な人との死別と言った身近で一般的な題材を盛り込んだことで、より共感しやすく親しみやすい作品となった。
今後の土橋作品の方向性を示唆する作品となったのではなかろうか。
この作品は非常に上手く構成されている。
冒頭からゴースト星人に演劇を強要される。
作品中、時間軸が過去に行ったり、現在に来たりすることが告げられる。
分かりやすい導入である。
劇中劇として描かれるのは、かつて炭坑があり栄えたが、今は廃墟となった島「カモメ島」の物語。
パンフレットに記した年表からも分かるように、モデルとしたのは長崎県端島、通称「軍艦島」である。
1977年の落盤事故で亡くなった青年と、遺された恋人と友人の恋愛の物語。
現在のカモメ島には、新興宗教の一行が訪れ、怪しい儀式を行う。
粉塵爆発で爆死した知人の骨を拾い集める女は、昔この島に住んでいた男と出会い、男の死んだ奥さんの霊媒を始める。
最終的に重いテーマを背負うことになる緒方晋が実に良い。
場面は目まぐるしく変わり、幾つもの時間と場所を、何度も行き来し、一見無関係に思えた人間関係が次第に明らかになって来て、終盤見事に収束する。
ゴースト星人の出現、蕎麦職人の話、亡くなった知人の恋人、過去と現在をリンクさせるエピソードが上手く散りばめられ、最後にはジグソーパズルのようにピタリとハマる。
最終的には、この作品自体が、戯曲の全てであることが明かされる。
終始笑わぬ横田江美と、淡々と素振りをする幸野影狼が良い。
この二人による、ラストシーンのプロポーズが秀逸だ。
大切な人の死に直面した者は、如何に再生し立ち直るのか。
この作品の最大のテーマを優しく包み込む、素晴らしいラストであった。

【舞】voy(evkk楽日)

00dfa5fa.JPG
a316bc88.JPG
6c081e8e.JPG
f0e1282e.JPG
960947c8.JPG
改名効果だろうか、初日から増席するほど観客が多い。
昔、お笑いコンビの「海砂利水魚」が改名した途端に人気が出た。
改名を重ねて出世魚のごとく大成した五木ひろしのように、「くりぃむしちゅー」も売れに売れている。
その恩恵か、evkkの出だしは好調で、アンケートの評判も非常に良い。
画像のように客席側を舞台とし、間口4間半、奥行き4間、高さ1間の巨大なスロープは、23.3%の急斜面で、全面に張った金色のフィルムはよく滑り、踏ん張らないとジワジワ滑り落ちてしまう。
冒頭の非常に印象的なシーン、金髪の女性の死体が、流れ落ちるかのようにスロープをゆっくり下りてくる。
美しく衝撃的に脳裏に刻まれる。
これまで繰り返し試行してきた映像による字幕投影が、ようやく最も効果的な方法で、実を結んだように思う。
人物や状況を映像による字幕にて説明する試みは、説明台詞を排除し、よりリアルな会話主体の演技を可能にした。
反面、役者と映像のどちらかしか追えない観客は、字幕を読み損なうと説明不十分となり、字幕に集中し過ぎると役者の動きが解らなくなる。
しかし今回は、役者を見るシーンと、字幕を読むべき場面がはっきりと区分けされ、観客が戸惑うことなく作品に集中できる。
物語の内容はミュンヒハウゼン症候群等の精神病を扱った妄想心理サスペンスで、現実と妄想を行き来しながら、ラストに2度のどんでん返しが待つ。
終盤で、スロープに張った金色のフィルムが剥がされ、一面に張り巡らされた新聞記事が露わになる。
一貫して屈折した愛情を描き続けて来た外輪作品だが、作品内容と演出プランがきっちりリンクした時に、更なる傑作が誕生するに違いない。

【舞】evkk(エレベーター企画より改名)『voy』

a1e138ee.JPGevkk 11月公演
『voy』
脚本・演出/外輪能隆
@芸術創造館
11/22(日)19:00〜
11/23(月祝)13:00〜、17:00〜

今回よりエレベーター企画は「evkk」と変更。
前々から劇団名は「SOTOWA-style」が良いと言ってるのに、何故か聞き入れられない。
すでに20日から小屋入りし、凄い舞台装置が完成している。
それはまた明日お知らせするとして、今回はサスペンスタッチの物語だ。
著名な精神科医Xの愛娘が、忽然と姿を消した。
必死の捜査にもかかわらず、娘の行方は知れず、絶望した彼は精神科医を辞め、孤島の別荘で静かに暮らしている。
4年経ったある日、そこにAという女性がやってくる。
Aの語る妄想は、ある少女が、親の前から姿を隠す物語だった。
娘の失踪と奇妙な符丁を持つ物語に惹かれ、XはAの治療を開始する。
やがて妄想の中から、真実が見えて来る。
そんなストーリーだ。
もちろん外輪演出では、通常の舞台装置は使用しない。
今回は舞台と客席を反転させ、驚きの舞台装置を設営した。
さらに工夫を凝らした映像技術で、難解な物語をサポートする。
本日19:00より、いよいよ開演。
見て驚け!
わずか3回のみ。
こんな舞台は誰も作らない!

【観】維新派『ろじ式』

5176c877.JPG維新派
『ろじ式』
〜とおくから、呼び声が、きこえる〜
作・演出/松本雄吉
音楽/内橋和久
@精華小劇場

遊劇体を終え、明日からevkk(エレベーター企画)の仕込みを控えた隙間の一日。
維新派だけは見なければなるまい。
追加公演もすでに済ませて、23日までの残りの全公演のチケットは、全て完売とのことだ。
劇場内での公演でもあり、全10曲、1時間40分は維新派としては小規模である。
まず、客席が小さい。
もちろん通常の精華の客席より広げに広げてあるが、それでも狭く感じる。
さらに舞台が狭い。
と、言っても精華小劇場のアクティングエリアを目一杯は使っている。
袖中はさぞかし狭い筈である。
今回の舞台美術は、一辺60cmほどの立方体の枠を、積み木のように多様に並べた装置が無尽蔵に措かれてあり、これが迷路のように「ろじ」を形成している。
枠の中には、骨や化石と言った標本が内部に固定され、舞台は博物館や標本資料室の内部のようである。
小さな枠をたくさん重ねると、パズルのように巨大な恐竜が完成する。
やがて標本はどんどん片付けられ、舞台は徐々に広がりを見せる。
最後は廃墟のごとく何もない空間となり、終劇する。
空間は終始セピアに染められている。
良く考えられた構成だとは思うが、何かしらもう一つ物足りない。
美しく調和が取れ過ぎていて、驚きやスペクタクルに欠けるのが惜しい。
だが、フライヤーを含め全体の印象は、昔の維新派であり、懐かしい感じがする。

【舞】演劇×世界(遊劇体・千秋楽)

3f16fd2d.JPG
d450a4d2.JPG
143054aa.jpg
1c8a14d5.JPG
bc778597.JPG
『演劇×世界』終わりました。
この作品には9編の引用作品があり登場順に記すと、
折口信夫「死者の書」
エウリピデス、中村善也訳「リア王」
ソフォクレス、高津春繁訳「コロノスのオイディプス」
尾形菊之助詩集
ソフォクレス、高津春繁訳「オイディプス王」
パディ・マクアルーン、伊藤英嗣訳「アース・ザ・ストーリー・ソー・ファー」
ソフォクレス、呉茂一訳「アンティゴネ」
シェイクスピア、小津次郎訳「マクベス」
と、半分以上が馴染みの薄い作品である。
作品自体は物語を見せる芝居ではないものの、抽出された各部分だけでは内容は理解し難く、言葉遣いの難しさもあり、完全に理解するには数回の観劇と、引用作品の知識も必要となる。
一度観劇するだけの観客に、理解不能な事は百も承知で、感じ取って欲しいのは、この作品の思想である。
それは演劇の思想と言い換えても良い。
私なりに言葉遊びで表すならば、「×」を助詞に置き換えてみる。
『演劇の世界』
『演劇と世界』
『演劇は世界』
『演劇も世界』
『演劇が世界』
『演劇を世界』
『演劇で世界』
『演劇×世界』
言うまでもなく演劇は現実ではない。
だが現実を写す鏡としても演劇は存在し、夢や物語を伝える表現としても用いられ、政治、経済、冠婚葬祭、歴史、宗教、日常、未来、宇宙、思想、等々、あらゆる想像を創造に換える手段としての表現とも言える。
全ての演劇を収めた世界があるとして、その世界を描いてみる。
或いは、社会や思考を演劇するように、演劇そのものを演劇してみる。
さすれば本作のような作品になるのではあるまいか?
劇中に幾度となく登場する「世界」と言う単語、反して劇中では決して発せられない「演劇」と言う言葉。
「演劇」が『演劇×世界』で登場するのは、カーテンコールが終わったあと、劇場に、この世界に、つまりこの演劇作品宛に、広くは全ての演劇作品(=演劇世界)宛てに届いた手紙の文中で、初めて登場する。
あの遠方より届けられたこの手紙は、現実の世界から虚像の世界へ、現実に生きる作者(演出家)から、演劇の世界に宛てた熱烈なラブレターである。
そしてこの作品こそが、演劇に対する遊劇体のラブレターであり、あらゆる可能性を秘めた演劇に対しての、賞賛であり、愛情であり、葛藤であり、あらゆる感情をない交ぜにしたものである。
掘り下げればキリがない。
これは広大な宇宙を語るに同じだ。
だからこの辺りで止めておく。
キタモト氏の「blog遊劇体」では、いよいよ作品の意図や作者の思いが、独り言のように語られ始めるようだ。
いつものように作品の内容に関しては、キタモトさんと全くと言ってよいほど話してない。
私は私の感じたままを綴れば良いと思っている。
今回の好きなシーンは画像にも上げた3場面。
「人類は進化した」の台詞で、人類の進化を一瞬にして見せる奇跡のパフォーマンス(約1秒)。
小さなともしびが一気に膨れ上がり、回転し始めて宇宙になるパフォーマンス。
一群が坂本九の「レッツ・キス(ジェンカ)」で行進し、マクベスのバーナムの森が動くシーンを表現したメタファーの極み。
今後、ジェンカを聴く度に、このシーンを思い出すだろう。

「事業仕分けによる演劇活動助成削減について」

昨夜、浪花グランドロマンの作・演出家たまご☆マン氏より重要なメールを頂戴したので転載しておきたい。
以下転載、是非一読を!

行政刷新会議の行っている「事業仕分け」において、「芸術文化振興基金」などの見直しや、財団の廃止などが上がっているのは新聞などでご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。
刷新会議においては、助成金はカンパニーが育つまでの育成支援だという位置づけにしていますが、 言うまでもなく、助成金は低廉な価格を設定するためにはなくすことの出来ないものであるという側面も持ちます。
大半のカンパニーはスタッフや客演謝礼などの財源にしていることから、助成金の見直しは有能なスタッフの困窮のみならず、間接的には後続の育成支援の妨げにもつながります。
またこの動きは全国自治体の各種助成金や育成事業にも波及する可能性が大きいです。
僕自身のブログにおいても、この動向を随時アップ(演出@浪花グランドロマンの独り言http://plaza.rakuten.co.jp/ngrdirector/)していこうと考えていますが、来年度予算に向けた行政刷新会議の事業仕分けの対象となった事業について、広くご意見を募集(パブリックコメントと言います)が実施されています。
大きくは、
新国立劇場運営財団の廃止
新進芸術家の海外留学の見直し
学校への芸術家派遣事業の見直し
芸術文化振興基金(国541億、民間112億)の国分の撤退
助成金交付団体の見直し(長期助成の廃止)、
等もろもろです。
詳細はブログで整理していくつもりです。
様式自由、必ず「件名(タイトル)」に事業番号、事業名を記入し、
nak-got@mext.go.jp
に意見を送付すれば、検討の俎上には上がります。
パブリックコメントは署名よりは実効力の強いものであり、また文部科学省が財務省と闘う武器となります。
予算編成にいたる12月15日までに、送信してください。
国民の声、と言えば弱小劇団もその一員です。
出来れば、広く声かけをお願いします。

【舞】メタファー(遊劇体『演劇×世界』中日)

6830f7bc.JPG
2cb1e115.JPG
b3a9c859.JPG
再び遊劇体に戻る。
中日を越えて全9回公演中の6回が終了し、残すステージは3回のみ。
ゲネプロで2時間近くあった上演時間は、連日の稽古で不要と判断した部分が少しずつ削ぎ落とされ、現在は1時間40分となった。
ダンスやお遊びの部分が削られ、転換がシャープになり、かなりスピーディーになっている。
今回は佐野泰広作による舞台美術と、無粋な説明をしないために多分見落としてしまう小さな部分を紹介しておきたい。
画像で見られるとおり、ウイングの舞台空間部分全てを使用し、袖幕は使わずに白パネルを三面に建て、舞台奥の両側にトイレらしき看板と出入口がある。
両側の白壁には衣装と思しきダンボールに描かれた衣服が、ダンボールのハンガーに吊られて在る。
奥の白壁は劇場のホリゾントではなく、製作された物である。
舞台床面は市松模様にマットが敷かれ、チェス盤のようでもあり、横に升目が9区分あることから将棋盤のようでもある。
奥には一辺が升目に同サイズの立方体が3つ並べられる。
舞台は額縁らしき物に囲まれ、その下手外には上演台本がクリップで吊られている。
舞台天井中央にミラーボール在り。
この舞台の他にも、花道とトイレ、ドアと外に繋がる階段、つまり劇場全体が舞台として使われる。
将棋やチェスの活きた駒が、升目の中にしか置けない様に、この舞台で役者は升目の境界上には存在できず、升目の中から他の升目の中へと移動する。
ゲームにルールがある様に、演劇にもルールがあり、世界や宇宙にもルールがあることを暗示する。
衣装、と言ってもダンボールだが、役者の個性を表すデザインが成されており、劇中に演じる役柄とは一致しない。
どうやら符号化、或いは記号化された物のようだ。
するとトイレの看板と思しき男女の記号が掛かった出入口も、実はトイレではないのかも知れない。
こんな事を書き始めたら終わらないので止める。
見落としそうな事を書くつもりが脱線したのだ。
小道具である。
まあ、気付かないとは思うが、ウイングフィールドのトイレ(本物)の看板のマークが、舞台の記号になっている。
劇中に登場するチラシは、ウイングフィールドで遊劇体の次に公演するA級MissingLink『無神論者は幽霊を見ない』のフライヤーである。
ラストに登場する小道具の地球儀は、光に感応してゆっくりと回転する最先端技術で作られた大変高価な物だ。
終演後に、その回転を是非とも確認して貰いたい。
もう一つ重要な小道具に、2度届けられる手紙がある。
あの遠方よりの手紙。
2通目の手紙は、ダメ押しとも言える内容で、全てはメタファー(比喩)なのだと言うことを、二重に暗喩して書かれている。
誰からの手紙であるかは、配達した者が誰かを考えれば明白だろう。
ちなみにこの舞台で回転する物は3つ。
吊られた台本、ミラーボール、地球儀。
結構内容に触れてしまった気もするが、観劇の際の手助けとなり、それらが何を意味するのか、朧気ながら解って貰えれば幸いである。

【舞】ダンススタジオOOH-AAH『DANCE PARTY VOL.10』

cf3e077f.JPGDANCE STUDIO OOH-AAH
『DANCE PARTY VOL.10』
構成/横木晃・工藤優香
@新大阪メルパルクホール
11/14(土)17:00〜

本日は遊劇体の舞台監督を小林に託し、いつも舞監を務めるダンス公演の舞台監督に出掛ける。
ダンススタジオOOH-AAH(ウーアー)の10回目の発表会は、久しぶりのメルパルクホール。
百数十名のダンサーによる、35番組に及ぶショーケースは見応え十分である。
OOH-AAHに限らず、年々メンバーの増えるダンススタジオの公演は、毎年番組数が増える傾向にある。
必然的に公演時間は延び、リハーサルに費やす時間も相当数に応じて増えて来る。
今回の上演時間は3時間10分。
5分間開演を遅らせたので、終演後の撤収時間は、搬出を含めて45分しかない。
逆に言えば、舞台・照明・音響・映像、全てのセクションは45分以内でバラシを出来るような仕込みをしなければならない。
と言っても、主催者からの要望は満たさなければならない。
劇場入りの時間を1時間早く延長して貰い、朝8時から仕込みを開始する。
11時にはリハーサルを始めなければならず、3時間で全てを仕込み、確認し、セクション間の打ち合わせも済まさねばならない。
仕込み本番の乗打ち公演では、最短の時間配分である。
何か一つ大きなミスがあれば、手直しする時間もない。
余裕のない状況での作業は、小さなミスが目立つ。
小さなミスの積み重ねが、大きなミスを誘発しないよう願うばかりである。
今回も無事切り抜けられたが、やはり心にゆとりを保てるだけのタイムスケジュールは必要だろう。
労働災害における経験則「ハインリッヒの法則」は、舞台作業においても適応される。
これは非常に重要な法則なので、知っておいて損はない。
是非、検索して熟読して欲しい。

【舞】遊劇体『演劇×世界』

23b59f8f.JPG遊劇体 #48
『演劇×世界』
世界は恋人たちを愛してい
台本・演出/キタモトマサヤ
@ウイングフィールド
11/12(木)19:30〜
11/13(金)19:30〜
11/14(土)14:00〜、19:00〜※
11/15(日)14:00〜、19:00〜
11/16(月)19:30〜
11/17(火)19:30〜
11/18(水)15:00〜
※印にアフタートークあり(ゲスト=中村賢司氏)

凄い作品が完成し
2日間の仕込みと場当たりを終え、本日初日を迎えた遊劇体の新作は、3年半振りのキタモトマサヤ氏の書き下ろしである。
近年のキタモト作品は、自身の戯曲では大阪南部の架空の町「ツダ」を舞台に、関西イントネーションの遊劇体独自の方言を用い、演出においても独自の法則性のある動きと発声方法を取り入れての演出で、基本的に素舞台、簡素な衣装、メタファー或いは在ると見立てた小道具、等々の潔い簡略の美しさと、敢えて役者通しの関係性を崩し、観客に演出的に見せたい方向からの役者配置で、最も視覚的に美しく見せる演出法を培って来た。
もちろん、美しく見せようと思って作劇した訳ではなく、演出に従い完成した作品は、偶然にも全てがそうなっている。
余分なモノを削ぎ落とし、簡素にした結果、美しくさがより際立つ作品となったのである。
さて、今回の舞台は、遊劇体にとってのインターミッションであり、<演劇>についての多角的な考察であると言う。
演出法は同じでも、全く違う印象を受ける筈である。
何しろ今回は舞台美術(佐野泰広作)がある。
フライヤーには、円空仏のような戯曲を考えている、ともある。
円空は江戸時代前期の天台宗僧侶で、鉈(なた)の一挺彫りで生涯に12万体の仏像を刻んだ仏教彫刻家でもあった。
鉈の一挺彫りとは言え、決して雑ではなく、それぞれが個性豊かで慈愛に満ち、人々の心を和ませると言う。
円空仏のような戯曲とは、どのようなモノであろうか。
また<演劇>の演劇であるため、劇中引用する戯曲等も数多い。
つまりメタフィクション構成となっている。
だが構えて観劇する必要はない。
肩の力を抜いて、気楽に見るのが良い。
この作品は、二回見ることをお勧めし

※サブタイトルの「世界は恋人たちを愛してい」は、脱字ではない。
視点の定め方次第で、どちらとも言えることを示すキタモト氏のお遊び的な文章表現だ。
この頁の文頭「凄い作品が完成し」と、文末「二回見ることをお勧めし」は、もちろんキタモト氏の表現を真似してい
記事検索
Archives
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ