舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

2012年06月

【観】ショウダウン『メビウス』

368cb1fa.jpg劇団ショウダウンpresents
『メビウス』
作・演出/ナツメクニオ
@船場サザンシアター

何と甘くて切ないラブストーリーだろう。
林遊眠と成瀬トモヒロの二人芝居は、僅か12平米のほぼ素舞台の上、90分の熱演が為され、観客全員が魅了された。
無人の惑星に廃棄された二体のアンドロイドは、間もなく機能を停止する。
しかし1本の花を受け取った時、二人は時空を超え、記憶を探る旅が始まる。
それは生まれ変わり死に変わりする輪廻転生の魂の記憶。
一本の花を受け渡す度に、時代と場所をリープする。
悠久の時を超え、ある時は敵同士に、ある時は人ですらなく、またある時は恋人である。
恋する二人が幾度も生まれ変わって出会う物語は、SFファンタジーではよくある設定だが、この作品の良いところは二人の間に一本の花を据えたところで、たった一つの小道具が、この単純な構造の物語を、かけがえのない美しいファンタジーへと誘っている。
物語で大切なのは、その場面の時間と場所と状況を、如何に上手く会話の中に嵌め込み、観客に伝えるかで、これがクドくなると説明臭くなり、少な過ぎると混乱させる。
特にSFやファンタジー作品は、その設定や時代を理解させるのに、相当の筆力が必要となり、舞台美術のない素舞台での上演ならば尚更である。
本作におけるナツメ氏の匙加減は絶妙で、クドクドとした説明はなく、単純明快に時代と状況を瞬時に理解させる。
小気味よく場面は入れ替わり、最終景の花畑まで一気に見せる。
不要な音楽や過度の照明変化もなく、適切なプランときっかけで、前回の『月下人魚』から一番成長したのはナツメ氏の演出力であろう。
また、役者二人がすこぶる良い。
林遊眠が上手く愛らしいのはもちろんのこと、月刊彗星マジックで毎月舞台に立った成瀬トモヒロは、着実に役者としてのスキルを伸ばし、本作は彼のベストアクトであった。
同じテーマの名作に楳図かずおの『イアラ』があり、太古の昔に哀しい別れをした男女が、別れの刹那に女が叫んだ「イアラ」の意味を求め、男は幾度も生まれ変わる。
その度に「イアラ」の女と出会っては別れ、遠い未来に二人は地球最後の生き残りとなり、人類最後の男女となって出会うのだ。
二人の間を「イアラ」と言う言葉が繋ぐ名作で、楳図かずお作品の中では最も好きな作品である。
是非、ご一読あれ。

【観】ジャブジャブサーキット『死ぬための友達』

88abc38d.jpg劇団ジャブジャブサーキット 第51回公演
『死ぬための友達』
作・演出/はせひろいち
@ウイングフィールド

またしてもガツンとやられた。
これまで巧みなロジックと、人間味溢れる登場人物を駆使し、トリックを満載した推理ドラマや、複雑に絡み合う人間関係を紐解いて行き、目の覚めるような謎解きを見せてくれのが、はせ作品の醍醐味であり素晴らしさだった。
ところが今回は、謎を解かないのだ。
放射線汚染により立入禁止区域となった被爆地からほど近い場所に建つアトリエを借りた主人公の画家と仲間たち。
同居する主人公の主治医。
そこに訪れる主人公の旧友の女性記者と政治家、被災地慰問に訪れた女性芸人コンビ、ネット募集で雇われたが実は主人公を調査する目的を持つアルバイトの青年。
政治家を追って現れた妻と秘書。
本作にはいつもより多彩な職業の人たちが登場する。
芸術家、医師、新聞記者、政治家、芸能人、秘書、調査員。
この国はいつから真実をねじ曲げ、隠蔽し、利益と保身を優先させ、情報を操作し、虚実の報道をする国になってしまったのだろう。
劇中では、本来あるべき職業の姿と、人間の在り方が淡々と描かれていく。
もちろん、ラストの大どんでん返しは、これまで通りの素晴らしさだ。
余命いくばくもない主人公と主治医が共謀し、偽の葬儀が行われる。
彼は戸籍を抹消し、立入禁止区域の中に向かい、すでに亡くなっているであろうジャーナリストだった一人の旧友の所に行くつもりなのだ。
葬儀も無事終了し、こっそり出発しようとした矢先、旧友や仲間たちが現れる。
死ぬために集められた友達は、そんな主人公の思いや考えを、当たり前のように承知している。
震災後、1年以上が経ち、この残された多大なる問題の数々と、どう向き合って、如何に生きて行くかを、たくさんの舞台作品が描いて来た。
この物語は、更にその先の、如何に死ぬかをテーマに、死に様を描いた作品である。
そしてこれまでの作品と比較して、はせ氏らしからぬことは、劇中に散りばめた多くの謎を、意図的に解決しないことなのだ。
失踪した女性芸人のマネージャーの行方や、秘書の子供を宿した政治家の妻、調査員の目的と真意、他にも未解決の多くの謎を残している。
何よりもジャーナリストの友人が、立入禁止の被爆地に入ってまで追い掛けていた最大の謎が残されている。
それらの謎は意図的に隠されているのだ。
日本には、現実に人が入ってはいけない場所がある。
その場所では、何が起こり、何が隠されているのだろう。
その答えを探しに、死期の迫った主人公は旅立つ。
これは放射線汚染され立入禁止になった被爆地の話ではない。
隠された真実の話だ。
隠蔽された真実を白日の下に曝し、明白にしなければ決して問題は解決しない。
日本の政治、経済、マスコミ、医療、芸能界は基より、悪しき日本の隠蔽体質そのものに鋭くメスを入れる、はせひろいち氏渾身の傑作である。

【観】魅殺陣屋『鬼未満』

99e1d947.jpg魅殺陣屋 十周年記念公演『アクションバラエティ 鬼未満〜見果てぬ夢〜』
作・演出/萩原宏信
@インディペンデントシアター2nd

現代アクションや剣殺陣、アクロバット等、様々なアクションを研究し実践するワークショップの団体「魅殺陣屋」も、早結成10年になる。
これまで多くのエンタメ劇団の殺陣師として、戦闘目的のコロスや、着ぐるみや被り物のスーツアクターとして、活躍してきた魅殺陣屋が、ついに初の単独公演を催した。
ちなみに[着ぐるみ]は全身が衣裳で覆われ、演者のキャラクターより動物やロボット等の外見的なキャラクター重視で、通常は顔が見えないのに対し、[被り物]は演者の顔部分が露わになり、表情やセリフも多用でき、演者のキャラクターが重視される。
萩原氏はその道30年のエキスパートで、私が学生時代から20年携わってきた着ぐるみのショーチーム時代にも、幾度も顔を合わせている。
関西を代表するトップクラスのスーツアクターである。
萩原氏が主宰する魅殺陣屋は結成10年とは言え劇団ではないので、構成メンバーも初心者から所属数年の熟練者まで様々で、今回は旗揚げ公演と言うより記念公演の色合いが強い。
出演者20名と子役4名+犬1匹で構成された物語は、ドラゴンボールや八犬伝をベースにしたアクション活劇で、子供にも分かるストーリーと衣裳で一目瞭然の敵味方、裏表のない内容で、アクションをメインにした構成である。
剣殺陣あり、中国拳法あり、丈術、トンファー、ガンアクションと、次々と多彩なアクションを披露する。
熟練度と稽古量と経験の差から、アクションの完成度にかなりのバラつきはあるものの、このような発表会は催すこと自体に意味があり、大切なことだと思う。
個人的には、中屋敷哲也(旧・中屋敷鉄也)張りのライダーアクションがツボだった。
アクションの鬼にはまだまだ程遠い鬼未満のメンバーが、いつか魅力溢れるアクションの鬼になる日まで、魅殺陣屋の挑戦は続く。

【観】THE 2VS2『おはこ』

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THE 2VS2 第18回公演
『おはこ』
脚本・演出/徳山貴幸・長橋秀仁・番匠真之
@インディペンデントシアター1st

THE 2VS2のオムニバス形式のショートコメディも早18回目。
タイトルの『おはこ』は『十八番』と書き、携帯電話でも変換できる。
読み方の理由は自分で調べて欲しい。
Wikipediaですぐ解る。
本文が長くなるので割愛したい。
今回はラジオドラマ仕立てで転換するのではなく、6本の作品を演奏する協奏曲のオーケストラ演奏の合間の体で、転換が行われる。
安直だが楽しめる。
このスタイルで十分だ。
いつものようにトイレには外壁を設え、エアコンの吹き出し口にレースのカーテンで覆い、冷風が観客に直接当たらぬようにしているのが嬉しい配慮だ。
レコードジャケットを模して作られたパンフレットが凄く良く出来ている。
本当に凄い。
1.『同窓会白書』
脚本・演出/徳山貴幸
中学校の同窓会に久しぶりに集まった同級生たち。
上京した者、結婚する者、ずっと郷土を離れぬ者、様々だ。
卒業後の恋愛事情や、出会い、別れ、ニアミスが、フラッシュバックする。
実際ありそうな話をコメディとして描く。
2.『うるサイゼやつら』
脚本/長橋秀仁
演出/長橋秀仁・徳山貴幸
タイトルが良い。
あからさまに「うる星やつら」と「サイゼリヤ」のドッキングだっちゃ。
安っぽいファミレスに入った男性二人が、大事件に巻き込まれて行く様を、パントマイムと状況説明で描くドタバタコメディ。
長橋氏の得意分野だ。
3.『F1グランプリ』
脚本・演出/徳山貴幸
附属中学から高校進学へのグランプリ、つまり附属1番グランプリ、F1だ。
徳山氏得意の解説ネタを高校入試試験から大学受験手前の高校2年までをハイスピードで描いた定番ネタである。
少しブラックだが、まぁ許せる。
着想は非常に良い。
4.『愛の宇宙』
脚本・演出/徳山貴幸
これまでの3話が定番ネタで、このあとの3話は新境地に挑戦する。
これは現時点で、徳山作品の最高傑作である。
同じナレーションで挟んだ構成で、愛の距離感を描いた小作品ながら、電子レンジの中で黄身と白身がグチャグチャに混ざったことから始まる男女の物語は、やがて宇宙に飛び出し、地球と月となり、太陽と惑星となり、惑星直列グランドクロスからスターチャイルドが誕生し、最終的に再び卵の話で締めくくる見事な構成と言える。
素晴らしい。
5.『ファンファーレと熱狂』
脚本・演出/徳山貴幸
良く書けている。
2010年のクリスマスの出会いから、2011年のクリスマスまで、別々に北海道から出てきた男女の女に男が一目惚れし、追いかける男と逃げる女の一年間を描きつつ、いよいよ男が勝負を賭けた2011年のクリスマスがやって来る。
二人をそれぞれサポートする形で、実は裏で操る謎の二人の男の正体は?
この謎の二人と、クリスマスと言うのが肝である。
まさかの結末が待っている。
良く書けている。
面白い。
6.『BOXER』
脚本/長橋秀仁
演出/長橋秀仁・徳山貴幸
ラストを飾るに相応しい「箱尽くし」の傑作である。
生まれつき他人の考えが読める能力を持った主人公が、箱尽くしの人生を送る。
他人の心が読めるので、一発のパンチも食らったことのない無敵のボクサーに育った主人公が、その能力を失った時に手渡された箱の中に入っていたモノは一体何か?
ラストは読めるしオチが弱いのが残念だが、それにも増して余りある完成度。
今回のTHE 2VS2は、秀作の詰め合わせ。
『おはこ』だけに。
オススメ!

【観】劇団野の上『ふすまとぐち』

1d07f2d5.jpg劇団野の上 都道府2県ツアー
『ふすまとぐち』
作・演出/山田百次
@アトリエS-pace

青森を拠点とする劇団野の上、初の大阪公演。
強烈な津軽弁を駆使した独特の文体で、レベルの高い脚本と熟練の役者陣で日常の普遍的な問題を鋭く描いた家庭劇を披露する。
移動公演を考慮した最低限の舞台美術は、折りたたみが可能な構造の日本家屋の室内で、組み立て式なのは下手の押入のみで、ここにタイトルにも重なる開閉可能な襖(ふすま)があり、中はよくある二段式の押入となっている。
中央より上手はカーペットを敷いた居間で、卓袱台が一つあるのみ。
その奥は板目のフロアマットが敷かれた廊下となっている。
コンパクトながら最低限必要なものは揃っている。
脚本はとても良く書けている。
冒頭、高速で繰り出す津軽弁は、まるで異国の言葉であり、次第に伝わる程度の方言を主体に構成された脚本は、非常に計算されて書かれており、重く陰湿になり勝ちなテーマを、方言と笑いで明るく中和させており、技法としても悪くない。
そう考えながら見ていると、内容の重さから全く笑えないシリアスな物語が展開する。
地方独特の家族構成と、都会でも起こり得る深刻な家庭問題は、物語に主人公を措かず、誰にも感情移入できないフラットな作品として提示される。
驚くべきことに、登場人物の中に好ましい人物が一人も出て来ない。
嫁も姑も、亭主も出戻りの妹も、その子供や近所の小学校ですら、皆一様にイヤな人ばかりなのだ。
口喧しく嫁いびりで洗脳販売に掛かり新興宗教にハマる姑、姑に虐められ押入に引きこもる嫁。
この二人の争いを中心に、出来事だけを淡々と描き、どの登場人物からの目線も一切排除して、観客にこの問題を提起する構造が素晴らしい。
最後まで、家庭内の物語を見せるのかと思っていたら、終盤でいきなり広がりを見せる。
下手の押入は襖が外され病院のベッドに、舞台の前面は新興宗教の集会所に、居間はそのまま居間として使われる。
[ふすま]の[とぐち]はついに開かれた。
姑が脳卒中で入院し、嫁は押入から出て新興宗教と仲良くなり、家の中の問題は外の世界に広がっていく。
本来ならば、この構造から、家庭内のいざこざが社会問題に伝染して広がっていく怖さや、家族がバラバラに壊れていく姿を通して、社会が崩れる様を提示すべき作品と考える。
でなければ作品を広げる意味がない。
明確に提示されてはないが、本質はその辺りにあるはずだ。
テイストとは裏腹に、本質は重く、怖くて嫌な作品である。

【舞】あやかし(遊劇体・千秋楽)

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良い芝居だった。
見に来られた方は幸いである。
深津篤史氏渾身の書き下ろし現代版【夢幻能】三題『あやかし』は、深津氏自身の過去の追体験であり、私小説ならぬ私戯曲と言って良いだろう。
三題の構成は主人公の「私」の居場所によって区切られ、多少テイストは変えてはいるが、全体を通して一本の作品として見ても支障はない。
公式なあらすじは以下の通り。
「一話 ある漁師の話」
ここは私のうちの居間である。私はこたつに入って庭を眺めている。古い型のカラーテレビ、床の間には1月の掛軸が斜めにぶら下がっている。柱時計の音が全壊した台所から聞こえる。今日は震災の当日の夜だ。死んだ筈の叔母が座っている。猫が庭先でこちらを見ている。ごめんよ。うちの人は皆お前が嫌いなんだ。
「二話 リッケルト通りへ」
震災の影を遺した海辺の街で私は神様と出会った。猫を連れた男は私にリッケルト通りへ行かないかと誘う。
「三話 ぶらんこ」
月明かりの下で私はぶらんこに乗っている。誰か私を押す者がいる。

だが、全般を通して「私」は病室に居ると言っても良いだろう。
一話目、阪神淡路大震災のあった1995年1月17日の夜。
被災して全壊したが、かろうじて屋根の残る居間に居る「私」の元へ訪れたのは、子供の頃に友達と遊んだ怪獣の玩具と、その頃に勉強を教えてくれた歩行困難な身障者の叔母、家族を捨てて家出した父親が履いていた靴であった。
物から甦る人の記憶には明確なその人の顔はなく、物が語りだす「物語」が始まる。
だがそれは三話目の叔母の話になるまで全容は判らない。
記憶は語ることによって物語となる。
物に関する記憶を直接「物」に「語」らせる「物語」の構成となっている。
二話目、童話にも思える内容の物語は深津版「銀河鉄道の夜」とも言える。
一人に一人の神様が居て、猫が喋る世界。
リッケルト通りを目指す「私」は、ここで未来の自分に出会うことになる。
ヤマダと名乗るその男は、未来に苗字の変わった自分自身なのだ。
それは、今はまだ出会わぬ恋人の姓なのかも知れない。
未だ見ぬ恋人の名を呼ぶことは適わぬが、やがて「私」は恋人さんと出会い、妻姓を名乗り、「私」がヤマダさんとなるのかも知れぬ。
やがて妻となる恋人さんと、未来の惨劇を見ることになる。
タンカーは津波のメタファーであり、海の妖怪「あやかし」そのものだ。
体長数千メートルにも及ぶ巨大な海蛇のような妖怪は、うねりながら襲い来る巨大な津波だったのかも知れない。
「私」はリッケルト通りへ向かうのを、少し先に延ばすことにした。
そこはきっと、生きた者にはまだ遠い世界にあるのだ。
夢みたいな事がたくさんある、その途中には。
人生は夢のようだ。
ヤマダの神様はヤマダから「私」に憑いて、いずれ結婚して年を重ねたある日、若い自分自身に託される。
ヤマダの神様だけが、閉じた時間軸の中を、永遠に巡るのだ。
夏目漱石の小説「夢十夜」からの引用が美しい。
三話目、フクロウの形になって「私」はぶらんこに乗っている。
その影は遠浅の海の果てで黒い巨大な鳥となり、ある日大地に襲い来る。
2011年3月11日。
揺れるローソクの灯。
点滴が揺れる。
ぶらんこが揺れる。
昔、庭にあったブランコに乗ったまま、あの世とこの世を行ったり来たり。
地震がリンクして阪神淡路大震災の夜へ舞い戻り、再び叔母が現れる。
叔母は「私」が物書きになった一番初めの話を聴かせてくれる。
そして再びこの世に戻れと、夢から醒めろと送り出す。
「私」と叔母の関係は、ジョバンニとカンパネルラと同じである。
目覚めた時、「私」の横には妻の編み物が居る。
編み物はその時の記憶を呼び起こすきっかけで、再び物が語り出す。
何度も何度も繰り返す魂と、幾度も幾度も巡り会う「私」たちの物語。
何気ない日常の、何と素晴らしいことか。
金色に輝く、夕日の何と美しいことだろう。
ここでは猫は話さないが、大きく一つあくびをする。
世界はこんなにも美しい。


一見、難解な物語に写ったかも知れない。
もともと散文のような戯曲である。
理解しなくても良いし、メタファーに気付く必要もない。
二話で「恋人さん」だった女優が、三話で「妻の編物」を演じるのを、二役と思うか、時間の経過で恋人が妻となったと受け取るか、それも見た者の自由だ。
色々と後から辻褄合わせをする面白さも、深津戯曲の特徴で大きな楽しみの一つなのだ。
だから上記のあらすじのようなものは、私の勝手な想像である。
この作品の本質は内容の理解ではなく、作品を見たことで生死のこと、震災のこと、今は亡き大切な人のことに想いを馳せ、少しだけ心が豊かになることにある。
この作品を持って、来週から仙台公演に向かう。
その感想は、また帰阪後に書くことになりそうだ。
物語は続く。

遊劇体 #52 仙台公演
『あやかし 〜三題』
作/深津篤史
演出/キタモトマサヤ
@能-BOX(せんだい演劇工房10-BOX別館)
6/30(土)14:00〜、19:00〜
7/1(日)14:00〜*、19:00〜
7/2(月)14:00〜
*アフタートークあり(ゲスト:石川裕人氏)

【観】悪い芝居『カナヅチ女、夜泳ぐ』

78240385.jpg悪い芝居 vol.13
『カナヅチ女、夜泳ぐ』
作・演出/山崎彬
@インディペンデントシアター2nd

昨年度の王子小劇場で佐藤佐吉賞2011最優秀作品賞を受賞し、岸田國士戯曲賞の最終選考まで残った「悪い芝居」の最新作。
今日はたまたま遊劇体が昼公演のみだったので、この作品を見逃さずに済んだ。
とても良く描けている。
観劇好きで、演劇を推理小説のように先読みや深読みするタイプの人には、前半か序盤でストーリーが見えてしまうかも知れない。
だが、そんなことは問題ではない。
この観劇後の爽やかさこそが、この作品の持ち味である。
都会を看板の切り出しのみでイメージした東野麻美の舞台美術が素晴らしい。
田舎から大都会に出た少女が、目的もなく都会の喧騒に呑まれながら暮らして行く。
同テーマを数年前にクロムモリブデンが『血が出て幸せ』で描いているが、同じくファミレスが舞台で、同時に登場する全ての女優が年月の経過と共に変貌する一人の女であると言う秀作なのだが、本作の素晴らしいところは主人公を再び故郷に帰したことにある。
12年の時を経て初めて戻った故郷は、時間が止まったままの風景と、年を重ねただけの変わらぬ人たちが居る。
都会の垢にまみれ、変貌した女を一旦ふる里に帰すことで、忘れていた何かと、忘れてはならない何かを、観客にも今一度提示し、普遍的なテーマとして蘇らせている。
誰しもに経験のある辛い思い出、忘れ去りたい嫌な出来事、苦しくて逃げ出したくなったあの時、歯を食いしばって堪え忍び、時間を掛けて癒やし、或いは猛然と頑張ったあの頃の自分。
もし未来から過去の自分自身に教えてあげられるならば、今は辛いけど頑張ればきっと解決するからと、強いパワーとエールを贈ることだろう。
そして今現在が苦しいならば、未来の自分が今の自分を強く励ましてくれるだろう。
頑張れ、自分。
これはそんな物語だ。
7月10日から16日まで、王子小劇場にて上演予定。
東京のみんな、首を長くして待つが良い。

【舞】遊劇体『あやかし 〜三題』

75f4463d.jpg遊劇体 #52
『あやかし 〜三題』
作/深津篤史
演出/キタモトマサヤ
@ウイングフィールド
6/14(木)19:30〜*1
6/15(金)19:30〜
6/16(土)14:30〜、19:30〜
6/17(日)14:30〜
6/18(月)14:30〜、19:30〜
6/19(火)19:30〜*2
6/20(水)14:30〜
*アフタートークあり
ゲスト:*1.小堀純氏(編集者)、*2.深津篤史氏(桃園会)

繁忙期に突入しました。
先週末に浪花グランドロマン『唇に聴いてみる』、太陽族『それからの遠い国』、月面クロワッサン『夏の目撃者』、サキトサンズ『梨の礫の梨』を見ている。
ぼちぼち更新する。
遊劇体52回目の公演は、深津篤史氏による現代版[夢幻能]の書き下ろし三題。
ウイングフィールドにまさかの能舞台を設え、夢幻能のスタイルを踏襲した、現代版[夢幻能]を表出する。
能はその構成方法により「現在能」と「夢幻能」に二分され、現在能が現在進行しているように演じられるドラマのような劇能であるのに対し、夢幻能は死者が中心となった能で、その特徴として死者の世界からものを見る構造が上げられる。
多くの場合、亡霊や神仙、鬼といった超自然的な存在が主役であり、生きた人間が脇役となり、彼らの話を聞き出す構造を取る。
タイトルの『あやかし』は、海上の妖怪や怪異の総称で、海上に現れる怪火であったり、船を沈める船幽霊であったり、海で死んだ者が仲間を捕えるために現れるものであったりと、地域により様々な伝承があるようだ。
最低限の予備知識として、以上のことは知っておきたい。
そして、せめて2回は劇場に足を運んで貰いたい。
この作品の真意に触れた時、涙が溢れて止まらないだろう。


死を抱えて生きるのが私たちで
悲しみや怒りや絶望がそこにあるのなら
私たちは死者と語らなければならない
死者と生者が出会うことのできる舞台で
私たちは〈祈り〉の芝居を奉納しよう

    (チラシの表書きより)

【観】サキトサンズ『梨の礫の梨』

5ee46aaf.jpg宮川サキ+Sun!!二人芝居
サキトサンズ 武者修行全国ツアー
『梨の礫の梨』
作・演出/横山拓也
@ムーブファクトリー

宮川サキとSun!!が二人芝居のユニットを組んで全国ツアーに出る。
その皮切り(梨だけに)の大阪公演の会場は、中崎町にある西角秀紀氏のアトリエ、ムーブファクトリーで、西角氏が音響と照明の両方を担当する。
作・演出は『エダニク』で第15回日本劇作家協会新人戯曲賞を受賞した横山拓也氏である。
小さな小屋でささやかな小さな作品を上演する。
日本全国、どこの小劇場にも対応でき、何ならカフェや文化教室と言ったフリースペースでも上演は可能な作りになっている。
音楽を含めた音響効果もほとんど不要で、照明も場合によってはほとんど変化なしで対応できる。
何と言ってもアクティングエリアが小さくて済む。
1坪以上あれば上演できる。
そんな小スペースでも十分に堪能できる芝居を作劇すべく、二人の女優と一人の劇作家が挑戦を始める。
この1時間の作品の中に、女優二人の魅力を詰め込んで、見事な秀作に仕上げている。
二人の喜怒哀楽を全て表出させ、観客を笑わせて楽しませ、尚且つ泣かせて感動させる演劇の素晴らしい要素が上手く構成されている。
切なく、可笑しく、愛おしい作品だ。
横山氏がパンフレットに、宮川サキを「化けもん」、Sun!!を「フェアリー」と比喩していたが、私も同様の印象を二人に持っていた。
初めて二人を見た時、宮川サキは「妖怪」で、Sun!!は「妖精」だと思った。
ちなみに「妖精」女優は年を重ねると大概「妖怪」に進化する。
Sun!!も間もなく片足を突っ込むだろう。
宮川サキは初めから「妖怪」だった。
女優にとって「妖怪」と呼ばれるのは、最高の誉め言葉に値する。
今さら作品の内容に触れる必要もあるまい。
二人の女優を観る。
この幸せを全国で待つ観劇ファンに、早く届けてやれば良い。

【観】月面クロワッサン『夏の目撃者』

6af94457.jpg月面クロワッサン Vol.4
『夏の目撃者』
脚本/作道雄・丸山交通公園
演出/作道雄
@元・立誠小学校職員室

とても惜しい作品だ。
学生劇団に完璧を求めたことはないし、完全に完成された作品を望んでもいない。
だからとても良い作品だとも言える。
テイストはヨーロッパ企画の会話劇を思わせる。
日常会話の延長線にある演技も悪くない。
ストーリーはハチャメチャで、理不尽な展開をスンナリと受け入れていく登場人物たちは不条理な面白さを醸し出し、ペーソスを含んだコメディとしてもまずまずの出来である。
舞台はネッシーの棲む湖のほとりに建つ病院の一室。
全て木製で造られた室内は、とても良く出来ている。
役者も自然体で飄々と舞台に立ち、無理やりな設定にも好感が持てる。
子供の頃に大好きだった不思議の世界を題材に、それを未だに忘れず現代ファンタジーとして描いて行く。
私が惜しいと思うのは、ネッシーの声を聴けるのが死期の近い患者である設定が活かしきれていないことと、ネッシーが去ることの意味を不明瞭にしてしまったことだ。
テーマ重視にする必要はないが、ネッシーに象徴される子供が持つ純粋に不思議を信じる心が、ネッシーが去ることによってどう変わって行くか、或いは如何に変わらないでいるかと言うところだ。
少年期の終わりを描くならば、その後どう変わったを描くべきだし、どこまでもファンタジーを貫くならば、その後の生き方や決意を見せて欲しいのだ。
ネッシーの声を聴けることが、単に死期が迫った設定なだけでなく、不思議の世界からの明確なメッセージとして、観客にも届けられると思うのだ。
タイトルの『夏の目撃者』は、とても素敵で良いと思う。
登場人物たちが目撃した「夏」が、真に不思議に満ち溢れていたならば、作品を通して観客をその「夏」の目撃者にしなければならない。
単にコメディ作品を作るならこのままで良い。
だが、もっと背伸びして欲しい。

余談だが、この回に記録用の撮影があり、3台のカメラが万全の体制で本番を収録していた。
もちろん、後日編集して販売もされるだろう。
チラシにも、前説でも、収録がある旨、当然のことながら携帯電話やスマートフォンの電源を切って欲しいとの案内があった。
にも係わらず、上演中に電話の着信音が鳴った。
更に終盤、メールの着信音が響いた。
本人たちには他人に迷惑を掛けている自覚がないのだろうか。
収録を台無しにした意識はあるのだろうか。
平日の昼公演ゆえ観客の大半が学生であったが、学生と決め付ける訳ではないけれど、観劇のマナーを知らなくても、せめてアナウンスの諸注意くらいは聴けないものだろうか。
嘆かわしい限りである。

【観】太陽族『それからの遠い国』

df08edf5.jpg劇団◎太陽族
『それからの遠い国』
作・演出/岩崎正裕
@アイホール

素晴らしい。
良い作品に出会った時、終演後に席を立てずに言葉すら失うことがある。
今年は2回目、3月に見た高橋いさを氏作・演出の『モナリザの左目』以来である。
ようやく席を立った時に、たまたま隣席で観劇した劇評家の広瀬泰弘氏と目が合った。
同じ顔をしていた。
もはや言葉は必要なかった。
私の拙い文章より、的確な劇評を『習慣HIROSE』にて発表しておられる。
是非、読んで頂きたい。
http://blog.goo.ne.jp/ponyasu007/
16年前に書かれた傑作『ここからは遠い国』の続編として書かれた本作『それからの遠い国』もまた、奮えるほどの傑作であった。
この二作は、構成も同じなら展開も同じで、劇中で引用される『テンペスト』と『ワーニャ伯父さん』の使い方が絶品で、岩崎氏得意のメタファーが随所に散りばめられている。
小さな家族の物語は、小さな島国の話である。
経済的に破綻しつつあるこの国は、この家族と同じように国土を追われた時、どこに向かって行くのだろうか?
仲の良い親類の振りをして、親しい国のお為ごかしな笑顔に騙されはいないだろうか。
四角い籠の中で死んだ「月丸」と名付けられたウサギは、檻の中に閉じ込められた「日の丸」ではないのか。
白いウサギの赤い目は、二度と開くことはない。
赤い服の妹を乗せた、白い四角い車を、歯を食いしばって押す家族の姿が誰なのかは明白である。
この国を救うのは、決して魔法の杖ではないし、見せ掛けのデモクラシーでもない。
魔法の杖をへし折って、自分の足で進むことが、私たちには出来るのだ。
岩崎氏の決意と信念が窺える、名作と呼ぶに相応しい秀作であった。

【観】浪花グランドロマン『唇に聴いてみる』

ff0ae8af.jpg浪花グランドロマン
『唇に聴いてみる』
作/内藤裕敬
演出/浦部喜行
@一心寺シアター倶楽

1984年初演、内藤氏の初期代表作を浪花グランドロマンが野外劇テイストで舞台化する。
六畳一間シリーズの中でも最高傑作と言われるだけあって、劇中に散りばめられた台詞の一つ一つが素晴らしい。
特にタイトルの『唇に聴いてみる』は、その響きも劇中での使われ方も、非常にノスタルジックで、80年代小劇場演劇の代表作の一つである。
この戯曲を舞台化するに、当時のリアルな日本家屋の六畳一間を再現せず、形式的に柱を四隅に配し、窓とドアは枠だけで表現し、奥の押入のみリアルな舞台美術で飾り付ける。
何て今風なんだろう。
六畳一間だって実は12畳以上はあるだろう。
室内に在るのは炬燵が一つのみ。
これもデフォルメされており、大きさも倍ほどあって絶対的な存在感を顕示する。
暖かく幸せに包まれた母親の胎内。
女性の象徴としての炬燵に置かれた唯一の小道具が空き缶ならば、それは男性の象徴であり、これがラストで室内に大量に流れ込んで来るのだ。
淡い初恋を描いたノスタルジックな本作は、暗に少年期の終わりを描いた傑作なのかも知れない。
もちろん私の妄想だ。
こんなことを書くつもりでは無かった。
男芝居をベースとした昭和テイストの本作を、現在は女優中心の野外劇を主とする浪花グランドロマンが演じた時、現代演劇の切り口で演出された作品の違和感の是非を記したかったのだが、どこかで脱線したらしい。
若い男、改め、若い女を演じた関角直子と、少女、兼、女を演じる中谷仁美は、私の知る彼女たちのベストアクトであった。
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