舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

2012年09月

【観】オリゴ党『ブキミの谷』

e66e6eb1.jpgオリゴ党 第31回公演
『ブキミの谷』
作・演出/岩橋貞典
@シアトリカル應典院

随分と前になるが、岩橋氏が高校の演劇部に書き下ろした女子高生が主演する60分ほどの作品があり、それを自劇団で再演したところ思いのほか好評で、気を良くした岩橋氏が女子高生をテーマに都合3本の小作品を発表した。
「女子高生三部作」と名付けられたこの3作品は、いつもの岩橋作品とは明らかに方向性を違え、美しく、爽やかで、それなりにハッピーエンドで、高校演劇の舞台に相応しいものであった。
本作『ブキミの谷』は、この「女子高生三部作」の爽やかなテイストと、オリゴ党の持ち味である荒唐無稽な陰湿さを併せ持つものである。
登場人物の誰もが表面には見せない裏の顔を持ち、不必要なほどの腹の探り合いや、仲間内に密通者や裏切り者が潜んで居て、騙し、騙され、なかなか真実を明かさない。
そして結末も明確に示さないまま、荒唐無稽に終わるのだ。
ところが本作は、明確な答えがラストシーンに準備され、恋愛すら匂わせる爽やかな結末が待っている。
ひとえに、客演の若手女優陣に当て書きされた脚本が、本作を爽やかでフレッシュな大団円へと導くのである。
アイザック・アシモフのロボット小説をヒントに、タイトルに冠した「不気味の谷現象」そのままの物語が展開する。
「不気味の谷(現象)」は、1970年にロボット工学の分野で提唱された経験則で、外見と動作が[人間に極めて近い]ロボットと、[人間と全く同じ]ロボットによって、引き起こされると予想される親近感と嫌悪感の差で、これを「不気味の谷」と呼ぶ。
登場人物の誰がロボットで、誰が人間かを見極めて行く推理ドラマの側面を持ち、そこに潜む嫌悪感、すなわち「不気味の谷」を炙り出すのは、岩橋作品の最も得意とするところだ。
そして終盤へと進行するにつれ、決して他人に見せることのない心の奥底に秘めた真実のごとく、結末をウヤムヤにボカしてしまうのが常なのだ。
だが、冒頭に書いたように今回の結末は明白であり、わだかまりを残すことなく爽やかに終わる。
普段のオリゴ党テイストを残しながら、かつての女子高生三部作の爽やかを融合させる。
このバランスがとても良い。
真の人間らしさとは、障害とは、自由とは、原初的なテーマを人間とロボットの両極端の立場から描き、しかも両者が入り混じり、誰が人間で誰がロボットか判らない状況も相まって、伝えるべきテーマをしっかりと浮き彫りにして行くのだ。
最近のオリゴ党の作品の中では、抜きん出た秀作である。

【観】劇団有馬九丁目『アクアリウスの囀り』

4bc3e682.gif劇団有馬九丁目
『アクアリウスの囀り』
作・演出/ザキ有馬
@ロクソドンタブラック

かなり惜しい作品だ。
メタフィクション作品を提示し、枠物語と劇中劇の境界線を明示し、現実と虚構の間にある壁の突破を試みる。
舞台には一辺270cmの白線が◇型に引かれ、奥の2辺の外には椅子が6脚ずつ、奥と両側の角に1脚ずつ、合計15脚の椅子が措かれ、ここに15名の登場人物が座る。
登退場口はなく、劇場の入口から監督と称する男と、助手と称する二人が、12名の俳優を連れて登場する。
助手は両サイドの椅子に、監督は奥の角の椅子に、俳優は奥の2辺の椅子に6人ずつ別れて座る。
冒頭、助手からの説明で、本作がメタフィクション作品であることが告げられ、僅か四畳半の◇内を舞台に、俳優がそれぞれに与えられた役を演じる劇中劇が行われる。
劇中劇は、多数のモノノケが出没する村で、それを討伐するため組織されたモノノケハンターとの闘いと顛末を描いた物語で、深夜アニメまたはロールプレイングゲームのような単純なストーリー展開である。
これがまず惜しい。
劇中に八咫烏(ヤタガラス)を登場させ、モノノケの居城となるモノノケハンター協会の地下に流れる川は、水瓶座(アクアリウス)の神話に登場するエリダヌス川であろう。
星座でも水瓶座から流れた水は、落ちた涙が琥珀になると言うエリダヌス川(エリダヌス座)の流れとなっている。
この2大モチーフを敢えて外して来たのは、劇中劇自体を複雑な物語にしたくなかったからであろうが、八咫烏の日本神話と水瓶座にまつわるギリシャ神話を上手く使えたなら、更に2〜3階層深いメタフィクションと成り得たであろう。
進行役の助手二人は、男と女、光と影、正と負、陰と陽、明確に対立した関係を表示した方が良く、二人が現実と虚構の関係を示唆すべきと思われた。
更に監督者の存在が若干不明瞭なのも惜しい。
終盤に明かされる女助手が実は劇中劇の登場人物である設定から、虚構から現実へと一気に壁の突破が為され、登場人物たちは第四の壁をも突破し、劇場の出口へと向かうのだ。
メタフィクションとしては入門編のような作品だが、学生演劇ならば十分に及第点と言える。
「枠物語」「劇中劇」「第四の壁」、これらはメタフィクションの基本用語である。
演劇関係者ならば是非とも知っておきたい。

【観】演奴『BIRTH 〜誕生〜』

7a96e5de.jpg演奴 Vol.6
『BIRTH 〜誕生〜』
★「2-two-」
脚本・演出/冨高公望
●「小さな誕生日」
脚本・演出/うみめぐみ
♪「R(L?)PG」
脚本・演出/蒼
@インディペンデントシアター1st

1年振りの演奴は、(株)メインキャストのタレントで構成されたイベントで、「演奴」は演じる奴らの意。
今回は、脚本・演出から演者、スタッフに至るまで全てメインキャストのタレントのみで公演を行う。
約30分の作品を5本作り、3本ずつのオムニバスで公演する。
本日、見たのは★●♪の3本。
総じて全てが粗造りで、演出不在感が強い。
いくらタレントのオペレートであっても、音響のレベルくらいはチェックしておきたい。
照明も余りに拙く、不勉強である。
オペブースの灯りも明る過ぎるのだが、袖明かりが舞台に洩れては暗転ができない。
「2-two-」は独りよがり感が強く、全員が正面向きの芝居が何とも気持ち悪い。
設定や職業にも無理がある。
会話劇ベースなので、もう少し会話に演出を施すべきであろう。
「小さな誕生日」は、上手く構成されている。
シチュエーションコメディなから、6人の待ち人が何を待っているのか、最後まで引っ張り、意外な展開と大団円の結末が待つ。
役者の個性を重視した脚本と演出で、3本中最もまとまりが良い。
「R(L?)PG」も設定に無理がある。
ホームレスに身を落としたパン職人を更生させる物語だが、底が浅くストーリーが読めてしまう。
パンに対するこだわりを強く描くべきである。
ラストのドンデン返しも安直で、ひねりが欲しい。
音楽は始めと最後だけで良く、挿入曲も要らない。
前回は高校演劇の延長と書いたが、今回は高校演劇に負けている。

【観】浪花グランドロマン『月光夜想曲』

cabbb83a.jpg浪花グランドロマン 第33回公演
『月光夜想曲』
作・演出/浦部喜行
@大阪城公園 太陽の広場内特設銀色テント

NGR(浪花グランドロマン)22回目のテント公演は古事記編纂1300年に因んで古代浪漫娯楽大作を披露する。
スサノオとか、ウズメとか、サルタ(彦)とか出てくるが、全く古事記を知らなくても見られる。
古事記の史実と一切関係なく、古代王朝が形成される頃のニホンを舞台に、2つの国の争いを描く。
最近のテント公演では、途中休憩を挟んで舞台美術を一新するのがNGRの定石であったが、今回は休憩なしで一気に2時間を見せる。
見どころは満載だが、時間短縮の余波か、恒例の冒頭にある幻想シーンがカットされ、いつものアングラダンスが無いのだ。
その分、構成がスッキリして随分と見やすくなった。
女性比率の高いNGRだが、今回も女優陣の奮闘する女剣劇となっており、姫や王子は性別が判るのだが、他の登場人物は性別不詳である、侍従とか。
それも全く問題なしに見られるところも凄い。
涙モノの活劇は、萩原慎と昇竜之助の一騎打ちで、五十路入りした男優二人がギリギリアウトの剣殺陣で闘うのだ。
ラストは日本武尊の白鳥伝説で締めくくられる。
NGRらしい大仕掛けのラストシーンが最後に待っている。
人は何故争うのか!?
その答えを、人は見いだせるのであろうか。
もちろん、作品を裏読みすればキリがない。
だが、何も考えずに見られる作りになっている。
是非とも見に行かれよ。
連日19:30開演、土曜日まで。

【観】Origin Wasteプロデュース公演『ミチヅレ』

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Origin Wasteプロデュース公演『ミチヅレ』
脚本/大信ペリカン
演出/笠井友仁
出演/原西忠佑
@インディペンデントシアター1st

Origin Wasteは俳優・原西忠佑氏の単独プロデュースプロジェクト。
今回は東北にゆかりのある3名のアーティストによる共同創作を行う。
原西氏は仙台在住、笠井氏は仙台出身、大信氏は福島市在住。
まず劇場に入って驚くことになる。
舞台美術が素晴らしい!
無理を言って撮影させて頂いたのだが、その凄さが画像では伝わらないのが惜しい。
大沢佐智子氏による舞台美術は、これまでに見た1stの舞台美術の中でもトップクラスの出来である。
しかも移動公演に対応できるよう、パネルは全て布製で、枠を分解することでコンパクトに折りたためると言う。
床面以外は舞台に対して平行或いは垂直な面はなく、全てが下手方向に傾いている。
上手側は下手側よりパネル立端が低く、少し奥まっている。
これにより上手から下手に向かって大きな力が働いているかのように感じる。
直線で構成された舞台美術が、あたかも巨大な波のようだ。
黒地に白で描かれた抽象的なドット絵は、山道の木洩れ日や、水中の光や泡や、宇宙の星々のようである。
小説家を自称する男が、ボイスレコーダーに口述筆記しながら、人里離れた山中に在る、今は廃村になった生まれ故郷を目指す。
虫歯が痛い。
前編は小説家の回想とモノローグで綴られる。
中盤に入ると、小説家の虫歯になった親知らずが抜け落ちる。
と、傍らに一人の男が立っており、この男を道連れに旅は続く。
原西氏は小説家から黒い男となる。
この芝居は一人芝居である。
男の竜宮に居ると言う父親の話を聴きながら、二人は階段井戸に辿り着く。
後編は階段井戸から水中へ。
そこは海中か、母親の羊水の中か、二人は出会い、そして別れる。
黒い男は、「親知らず」が示す通り、産まれて来れなかった小説家の息子であった。
生まれ故郷は既に整理され跡形もなく、小説家は帰途に着く。
脚本は幾重にも解釈が可能なような多層構造を持ち、故郷の喪失や水中のくだりは、津波により破壊された街々や、原発事故で住めなくなった福島を否応なく呼び起こす。
笠井氏の演出はかなり意図的な明確さで、場面を切り取って行く。
小説家の場面には蝉時雨、肉声にエフェクトを施した録音時の声、等々。
中盤の男の場面は鳥の声、黒の衣裳、裸足。
水中では照明にブルーが足されるが、他のシーンは徹底して色彩を抑え、法則性を持たせている。
切り替わりの影のシーン等、説明的だが過剰感はない。
コントラストの強い演出だ。
原西氏の演技も良い。
先月出演したイロリムラの『更地』から僅か1ヵ月。
『更地』の安定した演技力は本作でも健在である。
もう一度見たい。
再演希望。

【観】A級MissingLink『この海はどんなに深いのだろう』

355d03d7.jpgA級MissingLink番外公演
「この海はどんなに深いのだろう」
作・演出/土橋淳志
@ウイングフィールド

番外公演と侮るなかれ。
かなり面白い。
とても良く出来ている。
香川県北西部にある荘内半島の浦島伝説をモチーフに、三重構造のメタフィクションに仕上げている。
浦島伝説は日本各地だけではなく、世界中にその伝承があるポピュラーな伝説で、民話伝承を得意とする土橋氏ならではの切り口が冴える。
ストーリーは星野之宣の「宗像教授伝奇考」のようで、テイストは諸星大二郎の「妖怪ハンター」である。
どちらも民話伝承を得意とする漫画家なので、似通って当然と言える。
玉手箱に見立てた黒箱を巡り、元研究者、駆け出しの小説家、売れない流木作家、偽編集者(実は元漁師)がせめぎ合う。
誰一人、本物でないのが胡散臭くて良い。
それは全員が役者であることの提示に思える。
もちろん玉手箱も本物ではないのだ。
この嘘臭い登場人物たち(実は役者)が追う偽物の玉手箱の中には、深海魚の骨や海底の砂がこびり付き、実在の証か記憶として残されている。
それは正に、物語の記憶そのものである。
小説家が書いた物語を追って瀬戸内海の小島に向かった物語を演劇にして上演するための箱(劇場)を探す物語として、本作は終演する。
このささやかなウイングフィールドの黒い箱の中で演じられた物語は、小さな黒箱の中の記憶となって残るのだ。
たちまち物語はメビウスの輪となって循環し、物語を追う者は再び舞台に上がるだろう。
人が生きる限り永遠に。
箱の中の海はどこまでも深い。

【観】大長編 男肉 du Soleil『団長のビバリーヒルズコップ』

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大長編 男肉 du Soleil
『団長のビバリーヒルズコップ』
団長/池浦さだ夢
@インディペンデントシアター1st

以下、全て誉め言葉として読むが良い。
相変わらずのハチャメチャで、ムチャクチャである。
まず、公式発表されているあらすじが酷い。
「団員達は知らない団長の過去がある。それは、アメリカのビバリーヒルズ時代のお話。麻薬シンジケートの動きを察知した団長は、仲間の刑事達と共に一斉検挙を狙うがそれはメキシコの麻薬王の仕組んだ罠であった。団長の独りよがりなプレイにより相棒のアクセル刑事が殺されてしまう。団長は失意の中日本に帰り男肉duSoleilを作る。…」
(ア、アクセル、死んでるよ…)
以上のような話を劇中劇に、半裸の男肉たちが、ジーパン・裸足で踊り狂う。
最後には男肉たち皆でアメリカに乗り込み、テロリスト集団を壊滅させるのだ。
ダンスで!
圧巻は5曲連続で踊りまくるテロリスト集団との壮絶な戦いだ。
敵は一切出てこない。
汗だくになって踊れば勝利だ。
特筆は団長自ら5曲全てを踊破し、あの巨体から想像もつかないシャープなダンスを披露することだ。
見事なまでの悪ふざけは、極上のエンターテインメントに値する。
発想と言い、構成と言い、才能と言い、小劇場に登場した頃の後藤ひろひと大王を彷彿させる。
団長・池浦さだ夢、間違いなくビッグになる逸材である。
未見の方は今のうちに要チェックだ!

【観】Project UZU 組曲『PANDORA』

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Project UZU 組曲
『PANDORA』‐Op.1 風の章‐
作・演出/御意
振付/和田雄太郎
@インディペンデントシアター2nd

『PANDORA』は年に1度公演を5年間通して上演し、5部作で完結する超大作。
既に週末を迎え滅んでしまった世界に一人佇む勇者が在る。
竪琴を手に、残された音を頼りに再生の記憶を辿る物語が始まる。
必見のその第一章は「風の章」。
風の音から竪琴が再生させたのは、人々が空を舞う風の国だった。
現代世界の強いメタファー作品なのは一目瞭然であろう。
風の力を操る機械は、電気を生み出す原子力であり、その恩恵を受けた人々は、怠惰に過ごし昼の休憩には皆が揃って昼寝をする。
この辺りは、たまたまシエスタ(スペイン語で昼、或いは昼休憩[13:00〜16:00])を行う西欧諸国が財政危機に陥っている世界情勢もあり、無関係とは言い難い。
風の国に襲い来る自然の脅威、制御できないほどの巨大な台風は、例えば地震や津波であったり、核の汚染であったりするのだが、解決策にもっと工夫が必要なのだ。
危機的状況に現れた勇者が、危機的問題を解決してはいけない。
勇者の居ない世界で滅亡した人々が、再生の世界では勇者に導かれて目覚め、人々が自分たちの手で危機を乗り越えることが大切で、勇者に解決させてしまっては根源的な問題の解決にはならない。
竪琴の擬人化は、かなり 素敵なアイデアなので、もっと竪琴が活躍すべきであるし、竪琴の音色や調べが、問題解決への糸口となる仕掛けが欲しい。
もちろん描かれているのは、作者の再生に対する願いであり、それは間違ってはいないのだが、方法論の問題だ。
タイトルの『PANDORA』は、もちろんパンドラの箱をイメージさせ、滅亡した世界はパンドラの箱から飛び出した全ての災厄や、あらゆる悪行のイメージであり、主人公はその中に残った僅かな希望のメタファーである。
再生のために過去を旅する主人公は、ダンテの『神曲』煉獄篇で煉獄を旅するダンテのようで、七つの大罪に苦しむ人々の贖罪する姿を描く物語に発展するのか、はたまた予想も出来ない結末が待つのか、今後の4作品が楽しみなところである。

【観】カンセイ法則ワークショップ公演『廃墟の嘘人(R)』

28979a7e.jpgカンセイ法則ワークショップ公演
『廃墟の嘘人(R)』
作・演出/永冨義人
@芸術創造館

今回のワークショップ公演は舞台監督を谷本に代わり、装いも新たに改訂版で再演する。
本来はワークショップの発表公演なので、完成度より脚本の改訂に注目したい。
2009年に10デシリットルへの書き下ろしで初演した本作は、元々かなり完成度の高い作品である(2009年11月27日・29日『舞監@日誌』参照)。
前作との違いは、強盗団のシーンが1回増えてることと、ラストの大幅な改訂であろう。
タイトルの○にRの記号は、リライトであり、リプレイであり、リターンである。
前作でも時間差を用いた現在の強盗団と過去の強盗事件とをミスリードさせる場面があり、強盗団4人中の行方不明だった1人は、4人が仲間割れの末に一番裏切りそうな1人を殺してしまい、実はその死んだ犯人だけが盗んだ現金の隠し場所を唯一知っていたので、残りの3人は疑心暗鬼から仲間割れして殺し合ったと言う設定があった。
一番先に殺された犯人が幽霊となってラストに現れ、撮影隊や肝試しチームの中にも霊感の強い者が居り、それを感じ取って代弁するシーンがあったが割愛されている。
前作ではこの幽霊から他の3人が仲間割れで全滅したことと、隠した3千万円の行方が明かされ、そのお金で老人ホームが助かることを匂わせて終演する。
デウス・エクス・マキナの変形であるが、収まりの良い結末で歯切れが良い。
今回はデウス・エクス・マキナを嫌い、強盗団の怨念がその場に未だ残ったままのホラーテイストなエンディングとし、観客にわざと幾つかの謎を残したまま終わらせて居る。
ラストに全てをスッキリ解決させるのは終演後に気持ち良いのだが、今回は幾つかの謎をわざと残して観客に持ち帰らせる手法を採用している。
推理小説でもよくあるパターンで、結末をロジカルに解決した作品は完璧で完成度も高いのだが、幾つかの謎を残し、読者に読み終えたあともアレコレと思いを巡らせ考えて貰う作品の方が、結果的にはいつまでも覚えている印象深い作品となる。
本作もそれを狙っての作品だろうが、稽古時間の都合か、脚本執筆時間の問題か、未消化なのは否めない。
とても良く出来た面白い作品だけに、次なるリライトが待ち望まれる。

【観】カナエのアクティングタイム『皮膚と心』他

5ee7255c.jpgカナエのアクティングタイム 9月
構成/辻野加奈恵
ゲスト/緒方晋・上田ダイゴ
@音と料理の店「ら」

辻野氏が今年1月から月いちイベントを始めて早くも9回目。
ゲストに同じく二人で月いちのトークライブを開催中の上田氏と緒方氏を迎え、出張トークショーを行う。
内容は一人芝居「皮膚と心」の他、即興演劇・リコーダー・紙芝居など。
会場の音と料理の店「ら」には、2平米ほどの小さなステージがあり、この狭いステージで全てが行われる。
アルトリコーダーを使ってのミニコンサートは、観客からのリクエストに即興で応える演奏力があり、辻野氏の意外な魅力を発見。
全体を通して非常に緩いイベントなので、トークと司会進行はもっと上手くならねばならない。
一人芝居『皮膚と心』がシリアスなので、この緩いイベントにそぐわない。
『皮膚と心』も、前に見た一人芝居フェスティバル、インディペンデントのトライアルから進歩も少なく、単に再演をするのではなく、狭い舞台で演じる工夫や、少ない観客にも届くだけのメッセージが必要と思われた。

【観】おにぎり貿易『ダム・ウェイター』

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おにぎり貿易 Vol.1
『ダム・ウェイター』
作:ハロルド・ピンター
翻訳:喜志哲雄
演出:森本洋史
@カフェ+ギャラリーCan tutku

おにぎり貿易旗揚げ公演。
おにぎり貿易は面白い戯曲を面白い作品として提供する目的で誕生した、演出の森本氏と役者の神藤恭平氏の二人ユニットである。
第一回公演は客演にサカイヒロト氏を招き、神藤氏とサカイ氏の二人芝居を披露する。
まず、会場に入って驚くはずだ。
Can tutkuを完全に二分する壁、天井から下ろされた荷物エレベーター、ベッドが2つ。
このエレベーターの仕掛けが秀逸である。
旗揚げ公演に花を飾る、ステファニー氏の力作だ。
作者のハロルド・ピンターは、2005年ノーベル文学賞の受賞者で、その受賞理由は「劇作によって、日常の対話の中に潜在する危機を晒し出し、抑圧された密室に突破口を開いたこと」とあるが、初期の作品である本作も、まさにその通りの作品であった。
観劇した回は終演後に翻訳者の喜志哲雄氏をゲストに迎えて、アフタートークが催されたが、本編と並ぶ素晴らしいアフタートークであった。
翻訳家の喜志氏は、ハロルド・ピンター研究の第一人者でもあり、アフタートークが始まって約10分間、ほとんど一人で作品の解説を全て終えてしまう。
見事な分析である。
20世紀後半を代表する不条理演劇の大家と評されたハロルド・ピンターの作品だけに、説明的な台詞や行動の動機、状況が明示されぬまま物語が進行し、作品の中からキーワードを拾い上げながら観劇しなければ、何を意味するかが解らないであろうが、衝撃は凄まじい。
13日まで。

【観】AKASAKA『貧乏ネ申』

fb42125b.jpg赤星マサノリ×坂口修一
二人芝居全国ツアー2012
AKASAKA
『貧乏ネ申』
-The Poor Zombies-
原作/小佐田定雄(落語「貧乏神」より翻案)
作/角ひろみ
演出/山浦徹
@インディペンデントシアター1st

素晴らしく良い。
完璧な二人芝居と言える。
落語の「貧乏神」を現代風にアレンジし、二人の関係性を深く過去まで遡る構成も上手く纏まっている。
途中、数回ある暗転も気にならないほど引き込まれる、あっと言う間の2時間である。
ストーリーは、ほぼ落語「貧乏神」の通りである。
チラシから抜粋する。

働きもせず何度も嫁に逃げられ家賃も払えない駄目男のアパートに、自らネ申と名乗る内気な男がやってきた。
駄目男はネ申を目先の金ヅルにしようと目論む。
ネ申は駄目男に積年の思惑を果たそうと目論む。
が、貧乏スパイラルが待ち受ける―――。
金をめぐって堕ちてゆく、痛くてぬるくて笑ってしまうほど哀しい日々のお話。
取り憑き合って奪い合う、男同志の満たされない同棲劇。

全くもってその通りの展開である。
相互に貧乏神として干渉し、貧乏スパイラルから抜け出せぬ二人の、悪戦苦闘の1ヵ月を描いた秀作。
月末には三重、来月は広島、11月に札幌と、全国ツアーに旅立つ。
だから結末は書かない。
是非ご堪能あれ。
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