舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

2019年07月

【観】2019HPF寝屋川高校

7/30(火)2019HPF
寝屋川高校
『怒りと祈り』
作・演出/堀江竜也
@一心寺シアター倶楽

昨年、戦時下の長崎と現代を行き来する戦時物で、伝えること、残すこと、忘れないことを痛烈に描いた寝屋川高校は、今年も再び戦争物に挑む。
前回は長崎に原爆が投下される直前の話であったが、今回は長崎だけでなく広島にも焦点を当て、原爆を落とされた二つの被爆地で生き残った2人の被爆者のそれぞれ異なる思いから、平和とは、正義とは、生きるとは、重く深いテーマを真摯に描き出している。
時代は終戦からひと月ほど経った終戦間もない頃、被爆者の証言を英訳して残す仕事を得た主人公と、現在では年老いて車椅子で暮らす老婆となった主人公が孫娘に語る昔話を交互に配した、昨年同様の2プロット。
物語の内容は素晴らしいのでダメ出しで貶したくはないが、幾つか気になった所を記しておく。
芝居の流れやテンポを重視して、モノローグのサス転換やエリア転換を多用するのは分かるのだが、それでも転換が目につき過ぎて気になってしまう。
サス転換は前明かりを極力避けて、可能な限りトップサスで、灯りを薄く小さく絞らないとハレーションで転換が全て見えてしまう。
舞台装置は概ね机と椅子だけなのに、椅子がサスの中に残ってしまったり、転換する裏方がサスを微妙に横切ったりするのが美しくない。
会場の舞台には奥行きが相当あるのに、演技エリアは全編を通して前エリアのみで、奥行きが非常にもったいない。
練習場所で入念に稽古するあまり、稽古時の間合いや距離感に捉われて、広い舞台を使い切れてない。
机や椅子を舞台の奥半分に設え、前舞台をトップサスとスタンドやSSでフォローして舞台前と舞台奥を分けていれば、転換も楽になりサスに椅子が残ったり、横切る裏方がサスをかすめたりはしない筈だ。
しかし徹底した生明かりの照明は作品にも非常にマッチしていて良いと思う。
控えめな音楽の挿入は効果的で、冒頭とラストの2回で十分に思え成功している。
反面、転換時に使用する効果音の蝉時雨はあまりに短時間過ぎて浮いてしまう。
音量も大きく適切ではない。
レベルを落として低く長く継続し、自然にフェードアウトして欲しい。
最後の音楽もフェードアウトが早過ぎて惜しいことこの上ない。
峠三吉の原爆詩集「にんげんをかえせ」から引用した「わたしをかえせ」の叫びが重く胸に突き刺さった。

【観】2019HPF阿倍野高校

7/27(土)2019HPF
阿倍野高校
『失せ物』
原作脚本/田部千香子
脚色/山内貴子・兒子明日香
演出/岩田滉崇
@ウイングフィールド

昭和〜平成〜令和と時代は変われど、そのものの本質は変わらないものだって在る。
人々が求める普遍的な笑いをテーマに、笑いを作り出す芸人たちが所属する芸能プロダクションの養成所が舞台となる。
舞台奥に高さ1尺・奥行3尺の二重舞台、二重舞台の両脇には袖幕に隣接して可動式のパネルが1枚ずつ措かれる。
2組の漫才師と1人のピン芸人による劇中漫才とピン芸が何とも楽しく面白い。
しかしこの作品の狙いは笑いを生み出すことやコンビで居ることに苦悩する芸人たちの、笑いと苦悩の狭間で困惑しながら生きる芸人の姿を描くことで、どの時代にも共通する笑いや苦しみの普遍性を浮き彫りにできたと思うのだ。
お笑いのシーンが多いので笑いに偏り過ぎてしまい、苦悩を描く部分が浅くて薄くなってしまったのが残念だ。
両極の物語を同じバランスで描かなければ、その狭間で失ったもの、取り戻したものが、台詞で語るではなく言わなくても作品自体から感じ取れるのではなかろうか。
転換は暗転の後、薄明りでスムーズに行われ、転換も演技演出の一部として十分に稽古したのが垣間見える。
音楽を多用し過ぎで、挿入する時間は短すぎる。
音楽は本当に必要な場面だけあれば良い。
多用することで、音楽を聞かせたい場面が埋没してしまう。
転換方法や選曲が少し古いので、オシャレでスマートな最近の小劇場演劇を見て欲しい。

【観】2019HPF池田高校

7/26(金)2019HPF
池田高校
『SISTERS』
作/福田成樹
演出/藤岡劍
@ウイングフィールド

戯曲は高校演劇のために創作されたチェーホフの名作『三人姉妹』のアダプト作品である。
台詞や設定など、随所に三人姉妹のオマージュが散りばめられ、場所も現代の日本に置き換えてはいるが、物語は三人姉妹のストーリーを模して進行する。
舞台は姉妹が暮らすマンションの一室。
茶色と黒と白、3色のカラーボックスは三人の姉妹それぞれのイメージカラーであろう。
箱にはヌイグルミやCDプレイヤー、花を生けた花瓶、これらの小物も三人を象徴する。
衣裳もまた三人の個性を際立たせ、道具や衣裳のスタッフワークは熟考した様子が窺える。
それらが自然に舞台に溶け込んでいるので、もう少し主張させても良い。
このレベルでは観客が気づかないかも知れないし、気づいても驚きが少ない。
なるほど〜と、観客を唸らせる工夫が欲しい。
照明は冒頭の父親の葬儀以外は、ほとんどが室内用の地明かりで、冒頭以外は全て生明かりで、日時の経過を音楽と暗転で処理する。
オーソドックスな構成だが、好感を持てる。
三人に個別の色の照明を準備すると、多分失敗するように思う。
淡々と三人の日常を描き、場面ごとに誰かにフォーカスしたり、特化した照明を当てる必要は微塵も無い。
全編を通して三人をフラットに描くことに徹し、生明かりのまま見せるのが最良に思うので、照明はベストチョイスに思えた。
音響で効果音は適切な方向から適度な音量で流しても、座った席によって音量にバラツキが生じるため、必ず素材ごとにスピーカーから最も近い席と最も離れた席でレベル取りを行うと良い。
窓を開けるとかすかに聞こえるカエルや虫の音、遠くから聞こえるイベントの音楽や外音、座る席により聴こえ方が随分異なるので注意したい。
ウイングフィールドと應典院は、舞台が客席と地続きなので、最前列に座る観客の高さと舞台に座る出演者の高さが同じになる。
2列目以降の観客は、前に座る観客に視界を遮られ、舞台前で座り芝居や寝転ぶ芝居があるとほとんど見えない。
そのため座り芝居や寝転ぶ演技は出来るだけ舞台奥でする必要がある。
葬儀での父親の遺影、死体になって寝転ぶシーン、客席の奥からは全く視認できないため台詞で状況をカバーすべき場面はある程度テキレジすべきだと思う。
三人の出演者がとても初々しく、純朴な演技が清々しい。

【観】2019HPF大谷高校

7/21(日)2019HPF
大谷高校
『ふじんど』
作/森野和
補作/高杉学
演出/桑原日和
@浄土宗應典院 本堂

2019HPF、ついに30周年を迎えた大阪の高校演劇夏の祭典は大谷高校から始まる。
同時にウイングフィールドで山田高校も開演する。
3会場で15日間、25作品に及ぶフェスティバルは全国でも類を見ず、今や大阪が胸を張って全国に誇れる夏の風物詩と言っても過言ではない。
本年の大谷高校の上演作品は、冒頭の前説からラストのカーテンコールまで、作品の端々や細部に至るまで全てがいつも通りの大谷高校テイストである。
この作風は私がHPFに初めて携わった1994年から、26年を経た今も全く変わることがない。
今、舞台に立っている未成年の高校生が、自分たちが生まれる前から脈々と続く圧倒的な個性を見事に受け継いでいる。
それは伝統を守ると言った格式ばったことではなく、日本で育った者が当たり前のように日本語を話すように、大谷演劇部で育った者は当たり前のように大谷に染まるようだ。
個々の科白や演技はそれぞれ違っていても、全体として作品を観た時に、あぁいつもの大谷だなぁと安心するのだ。
ステキなことをステキなままに、今も変わらず受け継いでくれてありがとう。
いつも大谷高校演劇部の作品を観たあとは、出演者全員を大好きになっている。
多くの観客が同じように感じたことと思う。
誰からも愛される作品を創作するのは非常に難しい。
どうしてもその意図が見え隠れする。
だから意図せずに作るしかない。
それが大谷演劇部の持味であり、彼女たちには自然で当たり前のことなのだ。
劇中劇を挟む今回の作品は時系列に沿った解りやすい構成のメタフィクションと、学内で長らく使われて寿命を終えつつある机や椅子の擬人化を組み合わせ、作品全体が劇中で創作してきた劇中劇そのものであることが最後の最後に明示される見事な構造である。
舞台は中高一貫教育の学園内にある教室のひと部屋で、オープンキャンパスに参加する新入生のためのイベントを企画するために集められた高校生の毎日を描く。
本作は基本的にこの教室内が舞台で、日にちの変化に暗転を使わず、転換時は音楽と共にブルー場による明転を採用、転換後に時折サス中でモノローグが挿入され、地明かりが灯ると翌日の教室へ移行する。
地明かり→ブルー場→(サス→)地明かりの構成を幾度も繰り返し、クライマックスの劇中劇では音楽が多用され照明もカラフルになり、エンディングのラストは取っておきのライトカーテンで締めくくる。
完璧の布陣です。
徐々に明らかになる机や椅子(と箒)の擬人化、終盤で明かされるタイトルの意味、ふじんどが踊り8人のリボンが作る富士(ふじ)山、机に名前を彫ったのが学生時代の先生であること、この舞台作品そのものがオープンキャンパス用の出し物であり、実は劇中劇は劇中劇中劇であること、弥栄(いやさか)をチョイスする言葉のセンス、要所に挿入する一見不要の効果音(ネコの声等)、後半は特に素晴らしい。
全く場違いに思える効果音も、劇中ではアクセントになったり、異化効果を発揮したり、様々な受け取り方を観客に与え、作り手が意図しない意味を観客が見いだすことが舞台ではよくある。

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