北アルプスの展望台である長者山の南にかつて、「辺尾」という廃村集落がありました。この集落から長者山に向かう尾根には「辺尾山城」と呼ばれる山城があり、戦国時代にこの地を含め安曇野周辺を支配していた仁科氏の城砦もしくは狼煙台であったとされています。
辺尾集落もおそらく、この時代に左右村(現信州新町→長野市)の枝郷として切り開かれた集落だと思われますが、詳しいことは不明です。
昭和25年には9世帯58人(男32名、女26名)が暮らす集落でしたが、平成4年には無人の集落になっていたようです。なお、昭和50年代に八坂村で実施された集落移転事業とは関係なく、自然消滅した廃村であると考えられます。
現在、この地は地図の空白地帯になっており、廃村があったと気付く人は誰もいません。
昭和50年代の辺尾の航空写真。右側にある集落は「辺尾」、左側にある集落は「奥辺尾」と呼ばれていました。中央上部にある小さな建造物は天狗社。
「天狗社のご神木であるクリの木を、ある若者が切り倒そうと斧を入れると、切り口から血のような水が出て斧がどうしてもとれなくなった。その後、この若者は神罰が当たってしんだ」
・・・・という言い伝えがあります。
辺尾観音堂。
残念ながら観音像は盗難に遭い、現在は阿弥陀如来が安置されています。文化10年(1813年)に建築されたと言われています。
観音堂は開けっぴろげになっており、雨風が入り込むと思うのですが、大丈夫でしょうか?。
「辺尾」と「奥辺尾」の中間地点にある大日堂。
七夕には獅子舞が繰り出し、太鼓を打ち鳴らす盛大な祭りが行われたそうですが、今は藪の中の廃墟と化しています。
本尊は盗難にあってありません。
大日堂の裏には木製のブランコがあります。
腰かけ部分が腐り落ち、チェーンだけがぶら下がる姿には、不気味さを感じます。
大日堂脇にある石造文化財。
コケで緑色になった「文字型庚申塔」がいい味を出しています。右端の馬頭観音様は落ち葉に埋まりそうです。
辺尾には2体の双体道祖神があります。下写真は新しい「祝言像」のものです。大正4年(1915年)に建てられました。
大正4年は第一次世界大戦の真っただ中で、この年の4月にはドイツ軍の毒ガス攻撃で多くのフランス兵が命を落としました。
また、12月には三毛別羆事件がありました。
古いほうの道祖神は握手像で、絵柄は他にはあまりみないタッチです。なにか宇宙人を彷彿とさせます。
こちらは寛政12年(1800年)に建てられました。
1800年はフランス革命の最中で、ヨーロッパを戦禍に導くナポレオンが表舞台に登場する直前でもあります。
辺尾の住居跡。周辺はどことなく湿っぽさがあるところでした。
辺尾には「葦原と呼ばれるくぼ地があり、そこに大蛇が住んでいた。あまりに恐ろしかったため、神様にお祀りしたら以降、人の目につかなくなった。」という言い伝えがあります。
辺尾入り口にある古い廃屋。
地図の空白地帯に眠る廃村集落「辺尾」、その存在を誰にも気づかれることなく、ただの原野に戻るのも時間の問題かもしれません。
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