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 八坂村の西の窪は犀川支流の金熊川の深奥部にある廃村集落です。

 集落の上部を走る稜線には、かつて、「医王谷飯縄山城」があったとされます。この山城が室町後期には存在していたと推定されることから、西の窪も相当の歴史をもつ集落であり、旧切久保村の枝郷だったとされています。

 近年まで、5世帯ほどが居住していましたが(八坂村誌によれば昭和25年で9世帯33人とあるが、長畑集落との合計と思われる)、残されている数多くの信仰施設を見ると、江戸時代にはもっと多くの人々が住んでいたと推察されます。
 現在は廃村集落となりましたが、建物の状態は比較的良く、かつての住人が管理しているのかもしれません。
 
 八坂村誌が編纂された平成4年には廃村の扱いにはなっていませんので、それ以降に廃村となったものと考えられます。

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 西の窪は旧八坂村の北部、日当たりのよい尾根上にあります。





 集落入口にある巨木がある墓地。「白山社」の跡と思われます。白山社では5月最初の酉の日と旧暦8月14日、新暦11月8日に祭りが開かれていたそうです。
 白山社の大ケヤキは秋葉の落ちる前まで、毎朝夜明け前に風がなくても木の葉が「カサカサ」と音を立てたといわれる。根元に宝物が埋まっている。
 ・・・・そんな言い伝えが残されています。
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 巨樹の下に置かれた不動明王像。少し愛嬌のある顔で座る姿は、路傍の石仏らしいオリジナリティあふれるものだと思います。
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 墓地の近くにあった半壊家屋。
 非常に大きなお屋敷ですが、現在はこうなってしまいました。もったいない・・・・。
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 集落の上部には双体道祖神が祀られています。
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 顔は摩耗し、表情は見ることはできません。
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 西の窪の裏山には飯縄神社が残されています。
永正3年(1506年)に分祀さたものとされ、この集落の古さを感じます。写真は拝殿。
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 飯縄神社本殿。
 新年祭(1月1日)、春まつり(4月24日)、雹祭(6月5日)、風祭(8月25日)、本祭(9月27・28日)、秋祭(10月8日)・・・・、多くの祭りが開催されていました。
 本祭は神楽が繰り出す大イベントで、西の窪のほか、長畑や桑梨集落(ともに廃村集落)の氏子たちも集まり、盛大に行ったようです。
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 飯縄神社本殿の脇にある役の行者坐像。
 なお、飯縄神社では新年に筒粥神事が行われ、その1年の運勢が占われていましたが、現在も他の場所で行われているのでしょうか?。

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 廃村集落桑梨との境界には弘法大師像と「大日如来+馬頭観音」の文字碑が残されています。
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 弘法大師像・・・・・。
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 あずまや神社。
 かつて長畑、西の窪、荻集落と祀ったものです。祭日は8月6日。腹の病気にならないように祀ったもので、祭日に米を供え、その米を持ち帰って炊いて食べると腹を病まないといわれています。
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 あずまや神社の脇には如意輪観音が彫られた珍しい石祠があります。 
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 西の窪から帰る途中、廃村集落の長畑の道祖神を見てきました。
 この道祖神は男性が女性の着物の胸元に手を入れていることが特徴で、同様な像型の道祖神が小菅集落にもあります。この2つの道祖神は1年違いで造られ、同じ石工が制作したものと考えられています。

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  道祖神のアップ。手元に注目です。
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