2 昨年の夏に行った、廃村集落「沢山」を再訪してきました。

 前回は深い藪に阻まれ、集落の入り口を見学しただけで、藪の中に眠る集落中心への進入は年越しの課題になっていました。

 この集落は戦後、兵役や外地からの引き揚げに伴う耕地不足の解消を目的として、開拓されました。
 入植は昭和20年から24年にかけて20戸、昭和33年から34年にかけて1戸が入植し、昭和30年代半ばに電気が引かれ、上水道が完備されました。

 主に畑作、桑畑、酪農がおこなわれ、昭和40年代に建てられた中部農協の立派な牛舎が集落の最奥に鎮座しています。
 また、桑は森地区の養蚕農家に出荷され、沢山集落住人の貴重な現金収入になっていました。
  
 集落入口には昭和62年に建立された開拓の碑があり、この碑が建立された頃に離村したものと思われます。碑には入植した21名の名が刻まれていました。(つづきをご覧ください。)

ブログ村廃墟・廃屋写真 みんな写真が上手です。

 集落の入り口。とは大違い。建物を覆うツタもなく、最愛の息子もいません。

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 入り口から奥に入ると、緩傾斜地に数軒の民家が点在しており、有名な廃村倉沢のミニチュアのようにも思えました。

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 一軒の廃屋を訪問しました。

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 天井を這う梁に施主と大工の名前が墨で書かれていました。時間の壁を経て職人の心意気に触れられる、すばらしいひと時です。

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 壁は土壁・・・・。

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 台所には竈が残されています。

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 集落最奥に向かうと、2棟の牛舎が残されていました。
 昭和40年代に建てられた中部農協のものです。
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 偏見かもしれませんが、農林水産省という役所は札束を山奥に捨てている・・・・、という印象があります。
 山間集落に農水省助成の農産物加工施設の廃墟をたびたび目にすることがあります。
 ここに牛はもう2度と収容されることはないでしょう。

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 畜産に使ったものでしょうか?。見慣れないポリ容器が大量に廃棄されていました。
 更埴市誌にも詳しい記述がない謎の廃村集落「沢山」・・・・・。これから藪に埋もれ、人々の記憶から消えていくのも時間の問題かもしれません。

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