5 群馬県嬬恋村にかつて存在した浦倉鉱山。
 正式名称は「関東鉱産株式会社浦倉鉱業所」で、干俣の住人からは「元山」と呼ばれていました。

 昭和28年頃から昭和38年まで操業し、従業員は約60人、年間4万tの鉄鉱石を産出し、川崎製鉄に出荷していました。

 採鉱地が極端な僻地なため、架空索道、ディーゼル軌道、トラックを乗り継ぎ、国鉄長野原駅に運んでいましたが、この複雑な輸送経路の管理は非常に困難であり、そのことが閉山の原因の1つであったと言われています。

 この鉱山を探検するのは私の数年来の目標で、ようやく調査に着手することができました・・・・(2012年08月訪問)。

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探索レポート

 浦倉鉱山の概念図。
 「関鉱」と書かれているのが採鉱地で、鉱石は架空索道により「新川原動場」、「千枚原動場」に運ばれ、そこからは森林鉄道の軌道を賃借して搬出されていました。

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 嬬恋村仁田沢集落近くに浦倉鉱山へ続く山道があります。
 標識などは一切ありません。

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 この山道はかつて軌道が通っていたところで、平坦地が今でも観察できます。

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 軌道跡を歩いていくと、コンクリートが林立した怪しげな場所が現れました。 

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 コンクリートブロックは比較的新しいものと思われましたが、その脇に年代物の石段があります。

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 石段を上がると遺構を発見。
 この場所は千枚原動場跡と考えられます。赤沢川上部の採鉱場(土鍋坑?)で採取された鉱石は架空索道によりこの場所に運ばれました。そして、鉱石はトロッコに載せ替えられました。 
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 上記写真を別のアングルで・・・。残されている木材は鉱山が現役だった昭和30年代のものにしては新しいような気もします。

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 浦倉鉱山の架空索道の写真。
 少なくとも2系統の架空索道が設置されていましたが、深い森の中に人知れず残されている鉄塔があるのかもしれません。
 自由に森の中を歩ける冬に探検してみたいものです。

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 新川出合。
 この川をさかのぼるとパルコールのすぐ近くにある「野地平」に至ります。軌道はこの川を橋で渡っていたと思いますが、橋の痕跡は跡かたもありません。ただ、川岸に石段の跡が残されていました。

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 新川を渡ると、怪しげな石垣が現れました。
 そして、その石垣の上にはコンクリートの基礎が残されています。この場所は新川原動場と思われます。赤沢川の下流部にある採鉱場から架空索道がつながっていました。千枚原動場と同様、この場所で鉱石は軌道を走るトロッコに載せ替えられていたのでしょう。
 基礎があることから、何らかの建物があったはずです。深い森の中にどのような建物が建っていたのか・・・?、謎は残されたままです。

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 暗い水が溜まった遺構・・・・・。

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 そして、突然、私の前に古のトロッコ軌道が現れました!。
 軌道の下が土砂崩れにより土が流され、トロッコ軌道が空中を渡っています。トロッコ軌道はなくなったのではありませんでした。山道の下に埋まっているのです!。

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 別アングルで・・・・

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 この軌道は、もともとは森林鉄道として利用されていました。「ドウフン」と呼ばれる地区で伐採した木材を運搬していましたが、木材運搬に使用したのは5〜6年という短い期間でした。
 「ドウフン」と聞いて思い出すのが有名な野湯「銅粉の湯」です。野湯マニアを魅了する「銅粉の湯」も浦倉鉱山と同様に万座川の流域にありますので、万座川上流域を総称して「ドウフン」と呼んでいるのかもしれません。 

軌道跡は延々と続きます。崩れた崖の向こうに墓標のごとく軌道がぶら下がっているのが見えます。斜面が脆弱で、ヤバい状況になっていましたので、軌道跡の探検はこれぐらいにして、万座川に降りることにしました(次回につづく)。 

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