13 現在、冬はスキー、夏はスポーツ合宿や四阿山登山で賑わう菅平。

 そんな菅平の一角にかつて北信鉱山があり、硫黄が採掘されていたことは、地元でもほとんどの方が知りません。

 戦前、硫黄の国内生産量は23万8千t・・・、ところが、太平洋戦争に伴う企業整理のあおりで、昭和21年には2万3千tまで激減していました。
 終戦直後の昭和20年代初めは逼迫した食糧需要をまかなうための、農産物の大増産が重要な政策課題でした。そして、硫黄も肥料(硫安)の原料として、生産増加が求められていたのです。

 そんな社会情勢の中、東京の永六産業蠅この地の鉱業権を獲得し、試掘を始めたのが昭和26年の5月、そして、いよいよ本採掘!という時、立ちはだかったのが地元住民による激烈な反対運動でした・・・・。

 それから60年の時間を経て、誰も知らない・訪れない地図の空白地帯となったこの「北信鉱山」に私は足を踏み入れました!。

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探索レポート
 北信鉱山は菅平十の原地区の大明神沢上流に位置していました。
 大明神沢は菅平川を経て千曲川支流の神川に流れ込みます。そして、神川は古くから沿岸の人々の生活用水として、また、農業用水として利用されてきました。

 北信鉱山が試掘を始めた昭和26年には上高井地方の鉱害のことが広く知られており、神川沿岸住民の反対運動につながりました。


より大きな地図で 北信鉱山 を表示


 菅平牧場の駐車場に車を置いて北信鉱山跡を目指します。
 薄暗い午前6時前ですが、多くの登山者たちが四阿山・根子岳へ登る準備をしていました。

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 四阿山に至る登山道から大明神沢に入渓することができます。

 試掘開始した1年後の水質検査(昭和27年9月)では大明神沢の水はpH4.0から4.5程度の酸性水であることがわかりました。
 鉱山反対派は酸性化の原因は鉱山の試掘開始によるものと主張し、一方、鉱山側は上流に存在する硫黄の自然露頭によるものと反論しています。

 現在の大明神沢の水はとてもきれいに見えます。

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 登山道を離れ、大明神沢を遡ると怪しい管が敷設されたきれいなゴルジュが現れます。このアンバランスな不思議な光景をみて、私のテンションは一気に上がり、気持ちよくゴルジュを突破しました。
 この管は大明神沢の上流にあるとされる大明神の湯源泉からの引湯施設であると思われます。
 
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 次々と小滝が現れますが、容易に突破できます。水もきれいなので、とても気持ちがいい!。

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 そして、さらにしばらく進むと右岸に規模の大きな平坦地が現れますが、ここに鉱山関係の建造物が存在していたと推測します。
 記録上あったとされる建造物は以下のとおりです。
 
 事務所兼宿舎(45坪)、倉庫2棟(25坪)、製機所(10坪)、食堂兼風呂場(20坪)、その他、見張所、鍛冶場・

 現在は大明神の湯のものと思われる設備が設置されています。

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 そして、さらに大明神沢を遡ると、枯れ沢となり右岸にズリ山が現れます。ついに北信鉱山の採鉱地に到着です!。

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 60年の時を経て、待望の北信鉱山の探索を始めます。ズリ山を登るとそこかしこに木材がズリに突き刺さっている光景を目にします。
 
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 採掘当時の写真・・・・。
 採掘権を持っていた永六産業は、北信鉱山で28800tの採鉱を行い、製品硫黄として4680tを出荷する想定をしましたが・・・・・・。

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 ズリにはトロッコの跡と思われる木片も遺されています。

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 トロッコ跡を辿り、笹やぶの中を探すと坑口を発見しました!!。第二坑と思われます。
 北信鉱山の坑口は第一坑、第二坑、中切坑、第4坑などがあったとされていますが、主力となっていたのは第二坑でした。第二坑は220mの全長があり、トロッコ軌道も敷設されていたことがわかっています。

 当時はここから出る排出水が鉱毒問題の焦点だったのです。

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 採鉱当時の写真・・・。左側写真が第二坑ですが、年月が経ち面影はありません・・・。ただ、60年前に開かれたこの坑口を見つけだすことが出来たのは、私にとってとても感動的な出来事なのです・・・・。

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 坑口は入口すぐ近くで崩壊していました・・・。

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 採掘地の探索を終え、さらに遡ると崩壊地が現れます。
 これが鉱山側が酸性化の原因として挙げた硫黄露頭なのでしょう。稜線の登山道を目指してこの崩壊地を登ることにしました。

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 崩壊地を越えると登山道まで藪こぎになります。

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 藪こぎを無事終え、登山道に到着。ここは「大隙間」と呼ばれる根子岳と四阿山を結ぶ稜線の鞍部です。

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 そして下山中、「中四阿」から北信鉱山跡を眺めることができました。先ほどまで探索を行っていた場所を眺めるのはなにか不思議な感じがします。
 それにしても、根子岳の真下・・・、こんな山奥から採掘を試みるなんて、硫黄というものがいかに重要な資源であることか、実感できますね。

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 ・・・・・そして、地元からの猛烈な反対にあった北信鉱山はどうなったのでしょうか?。
 
 地元一丸となった採鉱反対運動が実を結び、昭和28年9月29日、土地調整委員会(現・公害等調整委員会)がこの地区を「鉱区禁止地域」に指定し、北信鉱山は廃鉱になってしまったのです。 

 神川流域で反対運動が盛んになった昭和27年・・・。12月23日に開催された「菅平硫黄採掘反対住民大会」で成沢上田市議会議員の発言です。

「硫黄が、日本にとってどんなに重要な資源であってもだ・・・。外国に輸出され、利益を上げていてもだ・・・。そんなことには関係なく、菅平の硫黄採掘には断固反対すべきだ。いま、こうしているときにも菅平では硫黄が掘られているんだ。このままだと、神川の水は汚染され、作物が出来なくなるだけでなく、われわれの生命と健康が脅かされるのだ!。そのいい例が隣の上高井郡だ。実にはっきりしたことだ。」

 試掘開始からわずか2年でその役目を終えた北信鉱山・・・・。その存在は歴史の闇に消えつつあります。ただ、60年前、神川流域の先達が地域を鉱害から守るために闘ってくれたこと・・・・、そのことだけは忘れてはいけません。
 
参考文献
神と人々の水(銀河書房) 堀込藤一

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