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DORAGON HELIのヘリスキーツアーにより復活したARAIスキー場。
そのニュースに触発されて大毛無メインステージで滑りたいと思い、ARAIを目指しました。
残念ながらホワイトアウトにより、大毛無登頂は断念しましたが、ホテルエリアの探索を行うことができました。
3年ぶりに訪れるARAI。7年という月日の経過は、少しずつ「日本最高のリゾート」を「廃墟」に変えつつあります・・・・。
(探検レポート)
ソニーの創業者、盛田昭夫氏を父に持つ盛田英夫氏が日本最高のリゾート「ARAI」を開業したのが1993年。
バブルは崩壊したとはいえ、当時の日本は1人当たりのGDPが世界第3位にまで上昇していました。都市国家ではなく、人口1億人を超える「富裕大国」ともいえる当時の日本・・・。
欧米を凌駕する金持ち国家である日本で、欧州の高級リゾート並みのリゾートを展開する・・・、それが、盛田英夫氏のもくろみだったのでしょう。
しかし、2000年初頭のITバブル崩壊を転機に日本経済は地の底まで堕ちていくことになりました。
そして、ARAIが終焉を迎えた2006年、日本の一人当たりのGDPは世界18位になっていました。
高級リゾート「ARAI」の頓挫は日本経済没落の象徴と言え、天才経営者のDNAを継いだ盛田英夫氏をしても、この没落は予想できなかったのかもしれません。
(下グラフ赤マーカーはARAIオープン年、緑マーカーはARAIクローズ年)
前回、ARAIを訪れたのは、2010年3月。
車を停めたとき、3年前とは異なる著しい変化に愕然としました。ホテル群までの除雪が行われていなかったのです!。
除雪が行われていないということは、冬期に建物の管理が十分には行われていないということです。
気配の消えたホテル群を通りぬけ、快調に歩きます。
ARAI地ビールを飲めた「フォレストサイド・ハウス」を越え、旧「妙高ロングラン」を登ります。
しかし、小毛無第1リフト降り場付近で、猛烈なホワイトアウトに襲われました。お金も根性も体力もない中年オヤジの限界点は低い・・・・。大毛無登頂や膳棚の施設の探検をアッサリと諦め、下山することにしました。
・・・・それにしてもホント何にもみえない・・・。
シャルマン火打スキー場で悪天時にゲレンデ内で遭難する・・・、という事故がありましたが、そういうことが起こる理由が分かったような気がします。
ちなみに下は3年前訪れたときの写真です。
せめて、これぐらいの天気じゃないと・・・・・。
そして、下山して、山麓の施設を探検した時、前回と違うことに気が付きました。施設の損傷が目につくようになっていたのです。
下写真は山麓第1リフト・・・。覆い部分の破損により、動力部が剥き出しになっています。こうなってしまうと、設備の劣化は加速してしまうかもしれません。
地ビールが飲めたフォレストサイドハウスも崩壊が始まっています・・・。
3年前はすぐにでも復活できそうな印象をもったのですが・・・。
お客さんをホテルからスキーリフトに誘う連絡路もこうなっています・・・・。
広場(プラザ)に彩りと明るさを添えた街燈も無残に破壊されています・・・。ARAIの広場で夜景を楽しむことはできなくなってしまいました。
3年前の広場(プラザ)の写真・・・。
ARAIが廃墟になりつつある悲しい現実です・・・。
ヴィレッジステーションのチケット売り場・・・・。
レストランブロムナード・・・・。軒を連ねた飲食店の看板も大量の雪に屈服しています。
「LEGENDS CAFE」・・・・・。伝説のスキー場になってしまったARAIにふさわしい名前です。
廃墟となったブロムナード・・・・。
四季を問わず人が集う、こんな素敵な街角を目指していたのかもしれません・。
広場(プラザ)のモニュメントとザ・クラブ(THE CLUB)
ザ・ロッジ(THE LODGE)に向かう陸橋。
インアットアライ(INN AT ARAI)入口
つづいて、正面玄関へ・・・・。
除雪が行われていないため、深い雪に覆われています。
華々しいリゾートの入り口であったこの場所もツタの浸食がはじまりそうです・・・。
華やかだったARAIも徐々に建物が傷み始め、廃墟になりつつあります。
ただ、大毛無山におけるバックカントリースキーの歴史は古く、ARAIスキー場が誕生する以前から多くのローカルスキーヤーが訪れていました。
ARAIスキー場が復活しなくとも、今後、私を含め多くのバックカントリースキーヤーがARAIスキー場跡を訪れることになるでしょう。
上越のローカルエリアだった大毛無山がARAI誕生により全国区に躍り出て、今、再びローカルに戻る・・・・、それだけの話なのかもしれません。
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DORAGON HELIのヘリスキーツアーにより復活したARAIスキー場。
そのニュースに触発されて大毛無メインステージで滑りたいと思い、ARAIを目指しました。
残念ながらホワイトアウトにより、大毛無登頂は断念しましたが、ホテルエリアの探索を行うことができました。
3年ぶりに訪れるARAI。7年という月日の経過は、少しずつ「日本最高のリゾート」を「廃墟」に変えつつあります・・・・。
(探検レポート)
ソニーの創業者、盛田昭夫氏を父に持つ盛田英夫氏が日本最高のリゾート「ARAI」を開業したのが1993年。
バブルは崩壊したとはいえ、当時の日本は1人当たりのGDPが世界第3位にまで上昇していました。都市国家ではなく、人口1億人を超える「富裕大国」ともいえる当時の日本・・・。
欧米を凌駕する金持ち国家である日本で、欧州の高級リゾート並みのリゾートを展開する・・・、それが、盛田英夫氏のもくろみだったのでしょう。
しかし、2000年初頭のITバブル崩壊を転機に日本経済は地の底まで堕ちていくことになりました。
そして、ARAIが終焉を迎えた2006年、日本の一人当たりのGDPは世界18位になっていました。
高級リゾート「ARAI」の頓挫は日本経済没落の象徴と言え、天才経営者のDNAを継いだ盛田英夫氏をしても、この没落は予想できなかったのかもしれません。
(下グラフ赤マーカーはARAIオープン年、緑マーカーはARAIクローズ年)
前回、ARAIを訪れたのは、2010年3月。
車を停めたとき、3年前とは異なる著しい変化に愕然としました。ホテル群までの除雪が行われていなかったのです!。
除雪が行われていないということは、冬期に建物の管理が十分には行われていないということです。
気配の消えたホテル群を通りぬけ、快調に歩きます。
ARAI地ビールを飲めた「フォレストサイド・ハウス」を越え、旧「妙高ロングラン」を登ります。
しかし、小毛無第1リフト降り場付近で、猛烈なホワイトアウトに襲われました。お金も根性も体力もない中年オヤジの限界点は低い・・・・。大毛無登頂や膳棚の施設の探検をアッサリと諦め、下山することにしました。
・・・・それにしてもホント何にもみえない・・・。
シャルマン火打スキー場で悪天時にゲレンデ内で遭難する・・・、という事故がありましたが、そういうことが起こる理由が分かったような気がします。
ちなみに下は3年前訪れたときの写真です。
せめて、これぐらいの天気じゃないと・・・・・。
そして、下山して、山麓の施設を探検した時、前回と違うことに気が付きました。施設の損傷が目につくようになっていたのです。
下写真は山麓第1リフト・・・。覆い部分の破損により、動力部が剥き出しになっています。こうなってしまうと、設備の劣化は加速してしまうかもしれません。
地ビールが飲めたフォレストサイドハウスも崩壊が始まっています・・・。
3年前はすぐにでも復活できそうな印象をもったのですが・・・。
お客さんをホテルからスキーリフトに誘う連絡路もこうなっています・・・・。
広場(プラザ)に彩りと明るさを添えた街燈も無残に破壊されています・・・。ARAIの広場で夜景を楽しむことはできなくなってしまいました。
3年前の広場(プラザ)の写真・・・。
ARAIが廃墟になりつつある悲しい現実です・・・。
ヴィレッジステーションのチケット売り場・・・・。
レストランブロムナード・・・・。軒を連ねた飲食店の看板も大量の雪に屈服しています。
「LEGENDS CAFE」・・・・・。伝説のスキー場になってしまったARAIにふさわしい名前です。
廃墟となったブロムナード・・・・。
四季を問わず人が集う、こんな素敵な街角を目指していたのかもしれません・。
広場(プラザ)のモニュメントとザ・クラブ(THE CLUB)
ザ・ロッジ(THE LODGE)に向かう陸橋。
インアットアライ(INN AT ARAI)入口
つづいて、正面玄関へ・・・・。
除雪が行われていないため、深い雪に覆われています。
華々しいリゾートの入り口であったこの場所もツタの浸食がはじまりそうです・・・。
華やかだったARAIも徐々に建物が傷み始め、廃墟になりつつあります。
ただ、大毛無山におけるバックカントリースキーの歴史は古く、ARAIスキー場が誕生する以前から多くのローカルスキーヤーが訪れていました。
ARAIスキー場が復活しなくとも、今後、私を含め多くのバックカントリースキーヤーがARAIスキー場跡を訪れることになるでしょう。
上越のローカルエリアだった大毛無山がARAI誕生により全国区に躍り出て、今、再びローカルに戻る・・・・、それだけの話なのかもしれません。
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ARAIを検索していてヒットしましたので足跡残します。
私は、中越地区(旧川西町)に住んでます。
私の地域も豪雪地帯ですが、ARAIの雪の多さ・シーズンの長さで虜になり、5シーズン程シーズン券で通ってました。
毎年インは地元魚沼で足慣らし程度、アライは雪の落着く2月後半からクローズ迄フルで・・・おおよそシーズン滑走数25〜30日ぐらいの内2/3はARAIでした。(ほぼ週2ペース)
私事ですが結婚・子供が出来た事で暫く足が遠のき、何時の間にやら閉鎖の便り・・・非常に残念でした。
ARAIを知り、通うようになったのは、ミーハーな気持ちだったんですが、レジェンドスキーの開催があったからなんです。
あれだけの規模・環境が生かされないのは淋しい限りです。
自分はヘタレなので主さんみたいに閉鎖でも山スキーをするような事はできないですが・・
またスキー場が復活し、レジェンド達が集える場所になる事を願わずにはいられません。