今年の春、妙高パノラマパークを探検し、ジャンプ台とホテルは記事にしたのですが、その続編になります。
このスキー場の前身となる「妙高高原パノラマスキー場」は昭和47年12月、世田谷区の「五輪ランド株式会社」という会社が開発しました。
妙高高原駅から徒歩5分という交通至便の立地を武器に、麓のホテル「オリンピックイン」と一体的に経営をしてきましたが、2000年代初めに人知れず休業→そのまま放置・・・、という状態になっています。
川を挟んだ反対側には「杉の原」などの日本有数のビッグゲレンデが集積する中、小規模なパノラマパークは見向きもされない存在になっていったのでしょうか?。また、鉄道から自家用車という交通手段の変化もこのスキー場にとって、逆風になったのかもしれません。
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(レポート)
このスキー場のおさらいです。
川の北側、第1・2・3リフトとパノラマホテルを擁するエリアが「旧妙高パノラマスキー場」です。麓のオリンピックインとゲレンデをつなぐ第1リフトは320m、パノラマホテルに続く第2リフトは370m、メインゲレンデの乗客を輸送する第3リフトは250mです。
パノラマホテルから第2リフト南側、第3リフト東側に位置する斜面がメインゲレンデで、上部は40°の急傾斜です。また、メインゲレンデの東に迂回する初心者コースがありました。
川の南側の第5・6リフトを擁するエリアが「旧妙高東山スキー場」。標高差50m程度の緩斜面に「オコジャン」、「アブアブ」、「テケテケ」などの奇妙な名称のコースが設定されていました。
両エリアが合併したのはいつかは不明ですが、川を挟んだ両エリアの行き来は非常に大変そうでした。
・・・・前に書いたホテル編の続きになりますが、ゲレンデトップ(第2リフト終点)から見下ろした斜面は非常に急です。しかも、雪も固く締まった早朝ということもあり、滑降には「覚悟」が必要でした。・・・・・なんといっても私は下手ですから・・・・。
しかし、コースの向こうに見える朝焼けに染まる妙高山の姿はこの世のものとは思えない神々しさです。
さあ、一気に滑るぞ!!、と思いきや・・・、右側に第2リフトの支柱が・・・。とりあえず斜滑降でそこまで行ってみます。
第2リフト支柱・・・。
空の色と雪を纏った百名山、そして、錆びたリフト支柱・・・。そのアンバランスな光景に目を奪われます。
しかし、その光景はスキー場の営業再開はあり得ないという現実を私に突きつけるものでした。
気を取り直し、固い急斜面を一気に降りることにしました・・・・。
意外なほどあっさりと急斜面をこなし、斜面を振り返ります。
ナイター設備が観察できます。経営者は貪欲に設備投資を行ってきたのでしょう。
第1及び第3リフト降り場、第2リフト乗り場があった台地・・・・。
コンクリート製の構造物が残されていました。
この構造はちょっと古めのリフトのような気がします・・・。
麓のオリンピックインに続く第1リフト・・・・。植林されたのはいつごろでしょうか?。
気を取り直して、一気にすべります。
恐怖の急斜面を克服し、なんとか無事滑りおりることができました。かつての売店が私のことを出迎えてくれました・・・。中には自動販売機が設置されていますが・・・・。
そして、川を渡り、南側の旧東山スキー場エリアへ・・・・・。
こちらのエリアにもリフト支柱は残されていました。そして、意を決して滑り降りてきた旧パノラマのメインコースやジャンプ台も観察できます。
朝食前なのにウォーミングアップがバッチリなせいか、50mの斜面をあっという間に登り切り、第5リフト終点に至りました。
ここは、リフト支柱はなく、雪に半没するかつてのリフト小屋が出迎えてくれました。
・・・・・そして、相変わらず妙高山が美しい。「パノラマ」の名に相応しいロケーションです。
東山のコースは緩斜面ばかり・・・・。標高差も滑降距離もないので、滑り降りるのはあっという間です。
そして、かつての標識を見つけました。
オコジャン、アブアブ、テケテケ・・・・、なぜそのような名称になったのか非常に興味がそそられます。
・・・・・・妙高パノラマパークの探検を終え、充実感に満ちた私は妻と息子が待つ宿に帰りました。そして、この後、朝食を食べ、戸隠にハイキングに行ってきました。
駅近の小規模なゲレンデであった「妙高パノラマスキー場」は同じ条件である「ヤナバスキー場」と共通点が多いと思います。
しかし、標高差100mの大緩斜面を擁するヤナバと比べるとパノラマスキー場は家族連れや初心者には厳しすぎます。
メインコースである急斜面は「鬼!」と叫びたい代物でしたし、パノラマの迂回コースや旧東山のゲレンデは規模が小さすぎたり、とってつけた感じが否めません。「子連なら他のゲレンデ行くだろうな・・・」というのが正直な感想です。
ただ、ここを開発した人の野心といいますか、ギラギラとした情熱はひしひしと感じました。
「ホテル建てて都心から人を呼び込んで大儲けしてやろう。」
・・・オリンピックインの威容を見ると、その思いが伝わります。中年となり、すっかり草食オヤジとなってしまった私は、そのような野心をもてることに憧れ、羨ましく思ってしまうのです。
妙高パノラマは地元のスキー愛好家の練習場としては非常に優れたポテンシャルがあったと思います。
リゾートスキー場として赤倉や杉の原、池の平などの大スキー場と戦わず、ローカルスキー場として棲み分ける選択をすればよかったと思いましたが、それは開発者の思想と反するのかもしれません。
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閉鎖の何年か前くらいまで近所に住んでいて、よく滑りに行ってました。