8 5年前にも訪れたことがある泥沢集落。

 美しい緑葉の竹林に浸食され、石畳が残る最も美しい廃村集落(主観100%)、そんな思い入れのある泥沢集落に行ってきました。

 泥沢は生坂村天神沢の奥にあった集落で、周囲には多くの山間集落が点在していましたが、その多くは離村し、無住の集落になっています。この地区一帯は「小立野入」と呼ばれています。

 戦国時代、この地区は会田氏や青柳氏、日岐氏の勢力の境界に位置し、峠を越える街道の通り道になっていたため、多くの物見や山城、監視所が発達していました。泥沢集落もおそらくそのような施設を管理していた人物が拓いた集落ではないかと考えます。

 そして、小立野入といえば双体道祖神・・・。泥沢にはとても素敵な道祖神が残されており、その探索も兼ねて出かけました。
 

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(レポート)
 
 泥沢の地図。地形図に家屋は載っていますが、集落名は消えています。
 泥沢集落は元禄11年(1698年)には2戸、明治8年(1875年)には5戸があった、300年以上にわたる歴史のある集落です。

 明治18年(1885年)には大地滑りが発生し、隣接する丸木集落と合わせて5戸が流出し、2名が亡くなるという惨事がありました。
 
 昭和10年には東筑摩農学校生徒の勤労奉仕もあり、集落下まで車道が開通し、昭和47年には集落まで車道がはいりました。
 しかし、車道が通じてほどなくして離村になってしまったようです。 



 岩州公園から山道を歩くアプローチを取ってみました。昔は軽トラも通れそうな道ですが、今はムリそうです。

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 すぐに泥沢に到着。一番東にある集落最奥部。
 トイレと蔵はなんとか健在ですが、屋敷はなくなっています。

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 この周辺はキンポウゲが咲き乱れるきれいな場所だったはず・・・。しかし、時期が早すぎたのか花は咲いていませんでした。
 これは5年前に訪れた時の写真です。

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 最奥部にあった屋敷は全壊していました。
 煤で汚れた梁はこの集落の歴史を感じさせます。

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 最奥部の屋敷の近くにあった墓地。

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 墓石には「丸に橘」の家紋が刻まれていました。

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 この墓地で見つけた石仏

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 集落の中心は竹藪に浸食されています。
 しかし、中心部には屋敷が残されていました。竹藪が風や雪から屋敷を護っているのかもしれませんね。

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 同じく集落中心部の蔵。美しい白い壁に気品を感じます。

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 集落を見て回った後、道祖神の探索を行いました。
 西側の尾根上で無事発見!。

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 道祖神には「帯代五両」の文字が刻まれています。
 昔、道祖神盗みが流行った時期があり、盗むなら帯代を置いていけ!という意味合いもあったようです。いわば道祖神の「結納金」みたいなものですね。

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 魅惑的な微笑みを浮かべる2人。
 集落が潰えて早50年・・。人の住まなくなった泥沢を永遠に見守り続けるのでしょうか?。

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 道祖神近くの墓地で見つけた石仏。地蔵菩薩でしょうか?。
 あまりにも私の息子に似ているので目が惹きつけられました。ただ、墓地に残されている石仏ですので、おそらくこの石仏には悲しいエピソードが秘められているのでしょう・・・。

 消えつつある泥沢集落の記憶・・、その風景を胸に刻みつつ私は集落を後にしました。

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