13 しなの鉄道の「黒姫駅」から黒姫山の山麓をたどり、妙高にある笹ヶ峰の南までかつて森林鉄道(御巣鷹林道)が走っていました。

 この森林鉄道のことは「国有林森林鉄道全データ」という書籍で知り、謎の湿原「赤ヤチ」の探索の際、その痕跡を見つけることができました。今回訪れた「妙高簡易製材所」はその続編にあたります。

 この製材所は昭和7年に開設され、太平洋戦争後の昭和23年に廃所となりました。
 わずか15年程度の運用でしたが、多いときで100〜150人程度の人々が居留していたようです。

 

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(レポート)

 「国有林森林鉄道全データ」の地図。赤線がとぎれる終点付近が妙高簡易製材所があった場所です。
  
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 製材所跡・・・。意外にも立派な看板が設置されていて、びっくりしました。

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 跡地には配置図や施設跡ごとに看板が設置され、この施設の記憶を次世代に伝えようという気概を感じます。

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 看板の傍らに無造作におかれたトロッコの車輪。

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 植物の緑と赤さびとの調和が素晴らしく、美しい・・・。
 夏の廃墟もなかなかいいものです。

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 地図で見ると、「フローリング加工機」が設置されていた場所のようです。コンクリートでくぼみが作られ、その中に同じくコンクリートの構造物が残っています。
 浦倉鉱山の「新川原動場」に雰囲気がよく似ています。同じ森林鉄道関係の廃墟だからでしょうか?。
 
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 同じく、フローリング加工機跡付近にて・・・。

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 それにしても、この廃墟には植物の緑が良く映えます。天空の城ラピュタを彷彿とするような雰囲気があります。

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 浴室跡・・・・。

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 浴室はコンクリート製の湯船が残っていました。

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 妙高の笹ヶ峰は文化14年(1817年)、木地師が入植したのがその歴史の始まりだそうです。そして、製材所跡にあった看板には「山窩衆」と呼ばれる原住性の人々が暮らしていたと記述がありました。
 木地師たちと山窩衆・・、自然と共生し、利用してきたという点で両者には共通点があるように思えます。木地師達は凶作により、この地を離れたようですが、山窩衆は細々と生活をつないでいったのでしょう。
 森林鉄道と山窩衆は関係があったのか?、文献で調査ができればいいな・・・、と思っています。

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