現在、夏休みということでちょうど日本に一時帰国中なのだが、
久しぶりに、九段下の靖国神社に行ってきた。

どのくらい久しぶりになるのかな、とあらためて考えてみると、
なんだかんだでもうかれこれ20年近くぶりになる。

当時20代前半だった自分は、ちょっと文学少女をこじらせた感じで、
三島由紀夫に思いっきり傾倒しているところがあった。

ご縁があって九段会館で毎年行われていた憂国忌に参列させていただき、
その際に、近くの靖国神社にもお参りをするのが常だった。

その後、環境の変化や、人間関係の変化もあり、
気がついたら足が遠のいてしまい、早くも20年近くの歳月が経過。

靖国神社で頂いたお守りがまだ手元にあることが気にかかっていたので、
今回それを返納し、新たなお守りを頂いてくることにしたのだ。

さて、そして当日。

地下鉄半蔵門線で九段下の駅に降り立った瞬間から、
なんていうか、ものすごい空気の重さを感じた。

淀んでいる、とまではいかないものの、とにかく重い。
そのせいなのかどうか、急に気分が悪くなり、軽い吐き気までしてきた。

何か変なガスのようなものでも充満しているのかな、とも思ったけど、
一緒にいた娘はピンピンとしていたので、自分だけの問題なのだな、と判断。

駅を出て、靖国神社の方面に向かうと、
すぐにあの大きな一の鳥居が目に飛び込んできた。

記憶の中の一の鳥居は、鈍く輝く銀色をしていたように思うのだが、
今回目にした鳥居は、なんだかひどく錆びてしまったように見えた。

理由のわからない気分の悪さと相まって、少し不安を覚えたのだが、
神社の手前の横断歩道に差し掛かったところ、信号がサッと青に変わった。

拒絶されているわけではないのかな、と少し安心しながら長い参道を歩き、
二の鳥居をくぐった瞬間、空気がサッと変わった。

そう、少し前は信号がサッと青に変わったのだが、
今度は空気がサッと変わった。

この手のことは、信じる人もいれば信じない人もいるので、
興味のない方はどうか読み飛ばしてほしい。

が、二の鳥居の辺りを境に、本当に空気が全然違っている。
二の鳥居の先の空気は重さがまったくなく、限りなく清涼だった。

これはあくまでも自分の想像なのだが、
二の鳥居の辺りに、強力な結界が張られているのかもしれない。

不浄なものや、存在は、その先には一切入ってこられない。
お手水で手と口を清める頃には、気分の悪さもすっかり消え去っていた。

これは常々思っていることなのだけど、神社仏閣って、ものすごく相性がある。

自分の場合、靖国さんとは相性がいいと(勝手に)思っているのだが、
反対に、相性があまり良くないな、と感じる神社や仏閣もある。

本来、靖国さんよりも、地元の氏神様を奉っている神社に行くべきだと思うのだが、
昼間でも少し怖い感じがするので、ちょっと行く気にはなれない。

その代わり、帰国する度に必ず麹町にある菩提寺に行き、
お墓参りをして、ご住職にご挨拶をしている。

パワースポット、なる言葉は安易な感じがしてあまり好きではないが、
自分にとってのパワースポットは、この菩提寺だと思っている。

靖国さんは、パワースポットと呼ぶには少し恐れ多い。
今回もそうだったけど、鳥居をくぐる度に、軽い緊張感が全身に走る。

そういえば、一時期パワースポット巡りなるものが流行っていたけれど、
いわゆるパワースポットにも相性があるので、安易にあちこち行くのは反対である。

以前、観光地にあるお寺に軽い気持ちでぶらりと立ち寄ったところ、
強烈に怖い思いをしたので、以後、よく知らないお寺や神社には行かないようにしている。

後から、その時に行ったお寺がパワースポットとして有名であることを知り、
ものすごくびっくりしたのと同時に、一種の恐怖感のようなものが押し寄せてきた。

自分に合うパワースポットがピンポイントでわかるような能力のある人は別として、
普通の人は、むやみにパワースポット巡りをしない方がいいと思う。

参拝を終えた後、暑い日だったので境内の自動販売機で飲み物を買い、
無料休憩所で一休みをした後、遊就館に立ち寄ることにした。

靖国さんに来たことは何度もあるにもかかわらず、
遊就館に入るのは初めてのことだった。

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よく、遊就館の存在そのものや、展示されている品々を見て、
戦争を美化している、と批判する声を耳にする。

しかし、自分が実際に遊就館を訪れて感じたことは、
ここは戦争の悲惨さを伝えている場所だ、ということだった。

考えてもみてほしい。

先の大戦で命を落とした若き軍人が身に着けていた軍服や、
死後に遺族の元に届けられた遺品の数々。

特攻隊員が、特攻前夜に家族にしたためた遺書。
幼い妹が、お守りに、と戦地に赴く兄に渡した大事にしていた人形。

それらの展示物を見て、戦争を美化している、と感じる人がいたならば、
その人には人間としての血も涙もないと思う。

花嫁を娶ることもなく、若くして亡くなってしまった息子を慰霊するために、
靖国神社に花嫁人形を奉納する両親の気持ちなど、わかるはずもあるまい。

遊就館は、ただ、戦争があった、という事実を静かに伝えている場所である。

それをどのように受け止めるかは、
その後の時代を生きている、我々ひとりひとりの問題である。

今年も8月15日の終戦記念日が近づき、
閣僚や政治家の参拝がマスコミに撮り沙汰される時期がやってきた。

母国のために命を落とした人々の冥福を祈り、
静かに手を合わせることは、果たして間違えていることなのだろうか?

公人であれ、私人であれ、そんなことは関係ない。
一日本人として、ごく当たり前の心情ではないだろうか。

諸外国がとやかく言おうが、
そんなものは内政干渉なのだから、無視すればいい。

かつて、戦争があったこと。
国のために散らなくてはならなかった若き命があったこと。

そして、今、我々がこうして生きている平和な時代が、
彼らの犠牲の上に成り立っているということ。

自分は、日本人として、決して忘れてはいけないと思う。