実写映画『一週間フレンズ。』感想

寒々しい屋上。
そこには少年が一人。
少年は本を閉じた。


実写映画『一週間フレンズ。』はここから始まった。
腕を掴み、「僕と、友達になってください」と叫んで始まるアニメ版とは全く異なる風景。
思わず引き込まれた。
何か違う。何かやろうとしている。だが、それが何かは分からない。

この出だしの映像だけで、もはや負けたも同然。
両手を上げて付き従うしかなかった。
どんな『一週間フレンズ。』が見られるのか楽しみで仕方なかった。
そして、最後まで楽しみは続いた。


図書室、長谷祐樹は藤宮香織の図書カードを拾い……、匂いを嗅ぐ。
その芳しさに感激していたところ、当人に見つかる。
最悪の出会い。

帰りの電車でうたた寝した長谷。
最寄り駅で乗り過ごしかけ、本を電車に忘れかけるも、たまたま乗り合わせた藤宮が本を放ってくれたため、なんとか助かる。
発車する電車と並走し、本を片手にお礼を述べる長谷。

長谷は漫画研究部に属していた。
借りた本の余白に漫画を描き込むことで、後世まで自らの存在を残すのだ、と後輩に対し得意げに語る。

長谷は藤宮と友達になろうとするが、幾度と断られる。
しかし、回数を重ねるうちに、ある程度会話が出来るようになり、また交換日記の開始により、二人の仲は徐々に深まっていく。
だが、藤宮は一週間で記憶を失ってしまうため、本当に深まっているのかどうかは分からない。

本の貸出を延長しようとするも、図書カードを忘れる長谷。
藤宮がカードを貸し、本は引き続き長谷の手元へ。

そして、文化祭。二人の仲はより深まる。
しかし、どうせ忘れてしまうのだ。週が変わればまたやり直しなのだ、と長谷は気づく。
とうの昔に分かっていたことだったが、気づいてしまった。
藤宮は交換日記で本当に思い出しているのだろうか。
思い出していないのではないか。
日記の文字を読むことによって、記憶を埋め合わせているだけではないか。
日記に記された記憶、長谷にはあっても、藤宮にはない。
記録としての交換日記。擬制的な友達。

藤宮が中学生の頃の記憶を思い出す。週が変わっても忘れることはない。
でも、長谷のことは忘れてしまう。また初めからだ。
後夜祭のキャンプファイヤーに、交換日記を投げ込む。
記憶の炎の中で、記憶となる物とともに、記憶とならない日記が燃えていく。

屋上のシーン。出だしの映像。
長谷は、後輩に本を手渡す。

季節は過ぎて、卒業式。
各々が、友達の卒業アルバムに言葉を書き記す。
長谷は、藤宮に卒業アルバムへ一言書いてもらえないかとお願いする。
藤宮は了承し、あわせて長谷に卒業アルバムへ一言書くようにお願いする。
書き終わり、描き終わる。
そして、別れる。

校内放送による呼び出し。
記憶にない本の延滞。
貸出カードの記録。延々と並ぶ長谷祐樹の文字と、一番下に記された藤宮香織の文字。
本の中には漫画の落書き。長谷祐樹の絵柄。
藤宮は本を手に取り、捲り始める。
各ページが一連の動きとして繋がっているパラパラ漫画。
そこに描かれていた長谷と藤宮の記録と記憶。

藤宮は、長谷を探す。
そして、見つけ出す。
屋上。
手を差し出して告げる。
「私と、友達になってください」


実写映画『一週間フレンズ。』は、記録と記憶の話。
そして、その底流には思いを据えている。
最後の場面に至って振り返れば、どれだけの記録と記憶、そして思いを描いてきたのかがよく分かる作りになっている。
長谷と藤宮の関係だけでなく、それは他の登場人物でも描かれている。
大胆な改変を施しながらも、いや施すことによって実写作品として見せている。


この大胆な改変はなぜ行われたのか。このような改変になぜなったのか。
それは先行するメディアミックス媒体であるアニメによるものが大きいと言える。
アニメの存在があったからこそ、長谷を漫画研究部となった。
光の表現や最後の「私と、友達になってください」が生まれた。
黒板に描かれた一枚絵、物語を象徴的に描いた一枚絵は、実写と原作やアニメをつなぐ手段ともなっていた
そして何よりもパラパラ漫画だ。
交換日記における拙い表現とパラパラ漫画が対比される。
パラパラ漫画が思いを伝え、記憶を呼び起こす手段、最後の場面の鍵として扱われている。
これは、アニメなくしてありえなかった表現だろう。
そのまま作ったら間違いなく負けてしまうという危機感。
その中で、先行する媒体を活用するという発想が生まれた。
アニメに対する敬意とも言えるだろうか。


作中で描かれた記憶と記録。
図書カードの匂いを嗅ぐ変態という目線で見られただろうに、翌週には忘れ去られてしまった。
文化祭で作ったものは、後夜祭の炎で全て消えてしまった。
あれだけ会話していたのに、一時から全く話さなくなった。
本の貸出カードは張り替えられた。書かれた落書きもおそらくは消されてしまうだろう。
記憶は失われ、記録は消される。
覚えているには、思い出すには、思いの強さが必要なのだ。
と言っても、強い思いが転換すると記憶を封じ込めてしまう。
それでも、忘れたくなければ、思いを強く持つしかないのだろう。


実写映画『一週間フレンズ。』は、今年一番の作品かもしれない。
ただし、年末には僕は覚えていないかもしれない。


おしまい