2021年11月16日
新ブログのご案内
ブログ「いとしのオルティンドー」をご覧いただきありがとうございます。
近頃はサイトのURLが「https」で始まるものでないと、スマホなどで「安全ではありません」などと表示されます。
livedoorブログの設定上、こちらのブログのURLを変更することができないようでしたので、
新たに同じlivedoorでブログを開設しました。
歌の帆blog
https://utanoho.blog.jp/
合わせてオンラインショップの方もよろしくお願いします。
UTAnoHO STORE
https://utanoho.stores.jp/
ブログ「いとしのオルティンドー」のこれまでの記事も「歌の帆blog」に移してあります。
これ以降は、新しい記事は「歌の帆blog」の方で書いていきたいと思います。
2021年6月には新ブログで記事を書いているのですが、旧ブログでのお知らせが遅くなりました。
ごめんなさい。
実はこの間、今をときめくnoteをメインにしようかなどと考えていたのですが、
時々noteってどうなのと思わされる問題が浮上してきて迷ったりなどしておりました。
現在は日常ではtwitterとfacebookでの発信が多くなっています。
宣伝用にわかりやすくしておきたいとか、記録のためとか、とくに長文になるような場合にブログを書くということになると思います。
旧ブログは、しばらくは残しておくつもりですが、予告なくお片付けする可能性もあります。
今後ともよろしくお願いします。
近頃はサイトのURLが「https」で始まるものでないと、スマホなどで「安全ではありません」などと表示されます。
livedoorブログの設定上、こちらのブログのURLを変更することができないようでしたので、
新たに同じlivedoorでブログを開設しました。
歌の帆blog
https://utanoho.blog.jp/
合わせてオンラインショップの方もよろしくお願いします。
UTAnoHO STORE
https://utanoho.stores.jp/
ブログ「いとしのオルティンドー」のこれまでの記事も「歌の帆blog」に移してあります。
これ以降は、新しい記事は「歌の帆blog」の方で書いていきたいと思います。
2021年6月には新ブログで記事を書いているのですが、旧ブログでのお知らせが遅くなりました。
ごめんなさい。
実はこの間、今をときめくnoteをメインにしようかなどと考えていたのですが、
時々noteってどうなのと思わされる問題が浮上してきて迷ったりなどしておりました。
現在は日常ではtwitterとfacebookでの発信が多くなっています。
宣伝用にわかりやすくしておきたいとか、記録のためとか、とくに長文になるような場合にブログを書くということになると思います。
旧ブログは、しばらくは残しておくつもりですが、予告なくお片付けする可能性もあります。
今後ともよろしくお願いします。
2020年11月23日
オンラインショップUTAnoHO STORE開設とAyako's Song Diary
オンラインショップ UTAnoHO STORE(ウタノホ ストア)オープンしました。
https://utanoho.stores.jp/
三枝彩子の動画を中心に販売していきます。
開設したばかりなのでクレジットカード決済はまだ利用ができません。
PayPal、楽天ペイにて購入者さまがクレジットカード利用されることは可能とのこと。
Ayako's Song Diary 2020/10 と題して
五ヶ瀬・南阿蘇・御船町で撮影した6曲セットの動画を作成しましたが、507MBとデータが重いので、別途1曲ずつのバラ売りも設定しました。
MP4ファイルをZIPで圧縮しています。
ダウンロードはパソコンのみ。スマホは不可です。
コロナで多くのミュージシャンが生音をいったんあきらめた状態になったとき、
3.11以降あがいたけれど、もう活発な音楽活動には戻れないだろうと大いなるあきらめの中にいた私が、「あれ、みんなとおんなじところに立ってる?」と不思議な気持ちになったものでした。
オルティンドーは、録音や動画に収まりきらないものが多すぎて、生音がいいのだという思いが強く、ネットを介して見てもらうというのにもなかなか踏み切れないでいましたが、この状況ならやってみてもいいのかも、やらないよりはやったほうが、一部でも伝えられるものがあるなら伝えようとしてみるほうがいいのでは、と思えました。
やるなら、やってみたかったことを。
私の住んでいる近辺の、素晴らしい景色の中で歌うところを見てほしい。
10月24日に配信ライブに出演しませんか、と、ウタモン会のフルハシさんから誘っていただいたことが大きなきっかけとなりました。
マイクとか、スマホにつなげられるオーディオインターフェイスとか購入し、試し撮りして。
ライブの生の時間だと、日が沈んでいるので、録画をお送りして流してもらい、生でも少し歌って。
懐かしい人、遠くにいる人に見て聴いていただけたことがうれしくて、マイクのおかげか「音質がよかった」と喜んでいただけて。
フルハシさんと武さんには大感謝です。
久しぶりに馬頭琴奏者のバトオチル先生とご一緒できたのも刺激になりました。
背中を、各方面から押していただくような形で、秋のいい季節に、いい景色の中で、歌い始めました。
なるべく頻繁に、歌い、編集し、練習し、毎日歌のことを何かしらやるようにしようと、決めました。
それで、動画は歌日記と呼ぶことにしました。
本当は歌いたくてたまらなかった体と心が、喜んでいます。
表立って歌っていなかった間、ずっと体の改善に取り組んできたことが功を奏し、とても歌いやすい体になってきています。
そのこともとてもうれしい。
今後も、どんどん、歌日記を続けていきたいと思っています。
オンラインショップを覗いていただけるとうれしいです。
見守ってくださる方々、応援してくださる方々に、感謝。
*****
Ayako's Song Diary 2020/10 6曲セット
https://utanoho.stores.jp/items/5fb94944df515929d425b16c
熊本・宮崎の雄大な自然の中で歌うモンゴルの歌。
「あなたも歌えるモンゴルの歌」をテーマに、鼻歌で歌えるようにカタカナ歌詞・訳詞・モンゴル語(キリル文字)歌詞付き。
■歌■
三枝彩子
■収録曲■
(1)ゼールゲンの尾根 モンゴル民謡オルティンドー(長い歌)
(2)かわいいハリオン モンゴル民謡オルティンドー(長い歌)
(3)広い草原 モンゴル民謡オルティンドー(長い歌)
(4)深い海 モンゴル民謡オルティンドー(長い歌)
(5)西モンゴルの子守歌 モンゴル民謡ボギンドー(短い歌)
(6)山越え阿弥陀 作詞:チャーリー高橋 曲:モンゴル民謡ボギンドー「すばらしいハンガイの鹿」より
■ご購入の前にご確認ください■
【1】屋外での録音のため、環境音が入っています。曲によっては機器の接触が原因とみられる雑音が入る部分もあります。ご了承いただける方のみご購入をお願いします。
【2】ダウンロード購入できるのはパソコンのみとなります(スマホはダウンロード不可)。
【3】MP4ファイルをZIPで圧縮しています(507.21MB)。解凍してご視聴ください。
2020年11月03日
三枝彩子ソロライブ 歌の帆@そらのもり vol.1
お久しぶりのブログ、お久しぶりのライブのお知らせです。
■三枝彩子ソロライブ
歌の帆@そらのもり vol.1
日時:2020年12月6日(日)14:00
料金:ワンドリンク付き1500円
会場:オーガニックカフェそらのもり
熊本県上益城郡御船町七滝5021
TEL 090-8390-5616(オガタ)
※お食事利用は11:00〜14:00
予約先:090-8390-5616(オガタ)、urtynduu@yahoo.co.jp(サエグサ)
三枝彩子へのメッセンジャー、facebookイベントへのコメントでも受け付けます。
録画配信を検討しています。
詳細が決まりましたらアップします。
*****
3.11をきっかけに東京から熊本へ移住したモンゴル民謡オルティンドー歌手三枝彩子です。
移住後、生活と歌の活動のバランスを整える道は平坦ではなかったけれど、近頃やっと準備ができてきたみたい。
表立って歌う機会が少なかった間に体のこわばりをほぐしていたおかげで、声が出しやすくなりました。
大自然の中で歌うと、歌も大きくなるようです。
鹿の鳴き声響くオーガニックカフェそらのもりにて、モンゴル民謡の魅力を語り、歌います。
日曜の昼下がり、体という楽器からの音に身を任せてみてください。
■三枝彩子ソロライブ
歌の帆@そらのもり vol.1
日時:2020年12月6日(日)14:00
料金:ワンドリンク付き1500円
会場:オーガニックカフェそらのもり
熊本県上益城郡御船町七滝5021
TEL 090-8390-5616(オガタ)
※お食事利用は11:00〜14:00
予約先:090-8390-5616(オガタ)、urtynduu@yahoo.co.jp(サエグサ)
三枝彩子へのメッセンジャー、facebookイベントへのコメントでも受け付けます。
録画配信を検討しています。
詳細が決まりましたらアップします。
*****
3.11をきっかけに東京から熊本へ移住したモンゴル民謡オルティンドー歌手三枝彩子です。
移住後、生活と歌の活動のバランスを整える道は平坦ではなかったけれど、近頃やっと準備ができてきたみたい。
表立って歌う機会が少なかった間に体のこわばりをほぐしていたおかげで、声が出しやすくなりました。
大自然の中で歌うと、歌も大きくなるようです。
鹿の鳴き声響くオーガニックカフェそらのもりにて、モンゴル民謡の魅力を語り、歌います。
日曜の昼下がり、体という楽器からの音に身を任せてみてください。
2020年04月20日
アップリンク・クラウドで見た「サーミの血」の感想つづきからのマスク関連など
4/15ツイート済のものに書き足し。
アップリンク・クラウドで見た「サーミの血」、ちょっと次何見ようかなと、考えにくい重さで。
映画って、見た後でふとしたタイミングで映像が浮かんで、ぼやっと見てたはずのところの意味が後からわかったり、自分の中の何かとカチッと繋がったりするのが醍醐味。
ちょっとしばらくその時間。
洗い物しながら、反芻する。
繰り返しの手法。妹に顔を寄せる。
髪が乱れてる。
差別される側が、する側に同意を示す残酷。
今、現代の扱いはどうなのか気になる。
文化の違いを見下す視点。
自分の内なるものが繋げてくるのは金子文子の『何が私をこうさせたか』、
『九月、東京の路上で』の子どもの作文。
ああ、それから、母語じゃない話し手への、母語話者からのふとした見下し。
これは私も留学時に経験した居心地の悪さ。
日本にいたって感じようと思えば感じられる、外国人への傲慢さ。
錯覚と誤解は意識して敬意をお互い持つことで解消できるけどそれを意識できてる人どれだけいるかなという不安。
******
『九月、東京の路上で』の子どもの作文というのは、
お父さんが殺しにいきました、とか、あの人は死んでしまいました、とか、
書いてるの、子どもが。
現代だと、そのことが異常と感じられるだけましなのかもしれない、かろうじて。
しかし、今の日本も相当危うい。
「中国が拡散したウィルス」とかいって憎悪を煽る有名人や政治家がいて、
一般の人の中にもそれに乗っかっちゃう人がいたりとか。
中国がコロナウィルスで大変だったときに支援としてマスクを送った自治体の首長を
今、日本がマスク不足だからと言ってネットで責める人たちがいたり。
でも、送った先から何倍にもなって、今度は日本に、支援物資を送ってきてくれたりしてるのよ。
困ったときはお互い様、で回っていく、ということが信じられないのは、
日本の政治が弱者を追い詰め、庶民を没落させ、危機においては不安を増長ばかりするから、
というのが要因としてとても大きいと思う
(「没落」とか、世界史の授業でしか使わない言葉だと思ってた。苦笑)。
いや、確かに、ちょっと前にマスクが通貨になった世界の動画があって、
うますぎて強烈で、おもしろいなーと笑っていた。
その後これがなんだかホントになってきてるみたいで。
3/17のロイターの記事には「ウクライナを悩ますマスク不正輸出、週末だけで13万枚摘発」というのがあって、あれ、冗談が現実になってきた?という感じ。
https://jp.reuters.com/video/watch/idOWjpvCD79EVAH0BMSBWSL48ODOIMY31
https://jp.reuters.com/video/watch/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%92%E6%82%A9%E3%81%BE%E3%81%99%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E8%BC%B8%E5%87%BA-%E9%80%B1%E6%9C%AB%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%A713%E4%B8%87%E6%9E%9A%E6%91%98%E7%99%BA%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%83%BB16%E6%97%A5-idOWjpvCD79EVAH0BMSBWSL48ODOIMY31
ヨーロッパに行くはずだったマスクがアメリカに行っちゃったとか。
「米、ドイツのマスク「強奪」か タイの空港で20万枚」(4/4 東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020040401002671.html
それをトランプ大統領が否定したとか。
「トランプ大統領 マスク「強奪」を否定」(4/6 FNN)
https://www.fnn.jp/articles/-/28964
とにかく世界は混乱しているのね。
そんなこんなで、
あの本、借りて読んだんだけど、どうも忘れられず、あれは手元に置いておきたいと時折思うので、購入。
そして、最近出て気になっていた「TRICK-トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち」も一緒に。こちらはこれから読む。
(4/21加筆)
アップリンク・クラウドで見た「サーミの血」、ちょっと次何見ようかなと、考えにくい重さで。
映画って、見た後でふとしたタイミングで映像が浮かんで、ぼやっと見てたはずのところの意味が後からわかったり、自分の中の何かとカチッと繋がったりするのが醍醐味。
ちょっとしばらくその時間。
洗い物しながら、反芻する。
繰り返しの手法。妹に顔を寄せる。
髪が乱れてる。
差別される側が、する側に同意を示す残酷。
今、現代の扱いはどうなのか気になる。
文化の違いを見下す視点。
自分の内なるものが繋げてくるのは金子文子の『何が私をこうさせたか』、
『九月、東京の路上で』の子どもの作文。
ああ、それから、母語じゃない話し手への、母語話者からのふとした見下し。
これは私も留学時に経験した居心地の悪さ。
日本にいたって感じようと思えば感じられる、外国人への傲慢さ。
錯覚と誤解は意識して敬意をお互い持つことで解消できるけどそれを意識できてる人どれだけいるかなという不安。
******
『九月、東京の路上で』の子どもの作文というのは、
お父さんが殺しにいきました、とか、あの人は死んでしまいました、とか、
書いてるの、子どもが。
現代だと、そのことが異常と感じられるだけましなのかもしれない、かろうじて。
しかし、今の日本も相当危うい。
「中国が拡散したウィルス」とかいって憎悪を煽る有名人や政治家がいて、
一般の人の中にもそれに乗っかっちゃう人がいたりとか。
中国がコロナウィルスで大変だったときに支援としてマスクを送った自治体の首長を
今、日本がマスク不足だからと言ってネットで責める人たちがいたり。
でも、送った先から何倍にもなって、今度は日本に、支援物資を送ってきてくれたりしてるのよ。
困ったときはお互い様、で回っていく、ということが信じられないのは、
日本の政治が弱者を追い詰め、庶民を没落させ、危機においては不安を増長ばかりするから、
というのが要因としてとても大きいと思う
(「没落」とか、世界史の授業でしか使わない言葉だと思ってた。苦笑)。
いや、確かに、ちょっと前にマスクが通貨になった世界の動画があって、
うますぎて強烈で、おもしろいなーと笑っていた。
その後これがなんだかホントになってきてるみたいで。
3/17のロイターの記事には「ウクライナを悩ますマスク不正輸出、週末だけで13万枚摘発」というのがあって、あれ、冗談が現実になってきた?という感じ。
https://jp.reuters.com/video/watch/idOWjpvCD79EVAH0BMSBWSL48ODOIMY31
https://jp.reuters.com/video/watch/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%92%E6%82%A9%E3%81%BE%E3%81%99%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E8%BC%B8%E5%87%BA-%E9%80%B1%E6%9C%AB%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%A713%E4%B8%87%E6%9E%9A%E6%91%98%E7%99%BA%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%83%BB16%E6%97%A5-idOWjpvCD79EVAH0BMSBWSL48ODOIMY31
ヨーロッパに行くはずだったマスクがアメリカに行っちゃったとか。
「米、ドイツのマスク「強奪」か タイの空港で20万枚」(4/4 東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020040401002671.html
それをトランプ大統領が否定したとか。
「トランプ大統領 マスク「強奪」を否定」(4/6 FNN)
https://www.fnn.jp/articles/-/28964
とにかく世界は混乱しているのね。
そんなこんなで、
あの本、借りて読んだんだけど、どうも忘れられず、あれは手元に置いておきたいと時折思うので、購入。
そして、最近出て気になっていた「TRICK-トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち」も一緒に。こちらはこれから読む。
(4/21加筆)
2020年04月13日
映画「サーミの血」見た
UPLINKクラウドで、映画「サーミの血」を見た。
やばい。つかれた。
重い。
セリフが非常に少ない。
目で、表情で、立ち居振る舞いで、動きで、髪型で、景色で、息遣いで
語る。
そうだよね、生きていくってこういうこと。
説明臭いセリフいらないんだよ。
「昔のドラマはもっと間に意味を持たせてた」みたいなことを
いしだあゆみが言ってたと思う。
まったく同意なの。
学校怖い。非常に。
体罰。
先生の意図を読み取ろうとする目。
子どもたちの緊張感。
屈辱。
『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』という本を持っていて、
日本もこんな風な社会になるといいなと憧れていたのだけど、
1930年代はこんなだったのだと。
差別があり、サーミ人は町に出たら生きてはいけないと言われていた。
ヨイク(サーミを特徴づける文化の1つで、音楽であり、儀式であり、自然界と交流するための手法の1つ:北方民族サーミの音楽、ヨイクに触れるより)を聴いて、私は勝手にアイヌの歌を連想した。
もっとよく知りたいものだ。
リンク貼った記事にある『魔術師のたいこ』読んでみたいけど入手難しそう。
主人公はレーネ=セシリア・スパルロクは1997年生まれ、トナカイの飼育に従事していて映画初出演。
ミーア=エリーカ・スパルロクは実の妹って。
はまりすぎててすごい。
映画は2016年の作品。
年老いたクリスティーナ役のマイ=ドリス・リンピは「俳優、アーティストとして活動するかたわら、トナカイを飼育している」と。かっこいい。
あんなに説明がないのに、最後押し殺した感情を感じて涙勝手に出る。
***
アップリンクの映画は重いの多いから、今後そんなに近い間隔でどんどん見られる自信がない。
もちろん、見て知りたい気持ちも強いけど、自分の中の消化が追いつかない。
3か月から何年も引きずるものもある。ひとつのシーンだけ突然フラッシュバックすることもある。
やばい。つかれた。
重い。
セリフが非常に少ない。
目で、表情で、立ち居振る舞いで、動きで、髪型で、景色で、息遣いで
語る。
そうだよね、生きていくってこういうこと。
説明臭いセリフいらないんだよ。
「昔のドラマはもっと間に意味を持たせてた」みたいなことを
いしだあゆみが言ってたと思う。
まったく同意なの。
学校怖い。非常に。
体罰。
先生の意図を読み取ろうとする目。
子どもたちの緊張感。
屈辱。
『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』という本を持っていて、
日本もこんな風な社会になるといいなと憧れていたのだけど、
1930年代はこんなだったのだと。
差別があり、サーミ人は町に出たら生きてはいけないと言われていた。
ヨイク(サーミを特徴づける文化の1つで、音楽であり、儀式であり、自然界と交流するための手法の1つ:北方民族サーミの音楽、ヨイクに触れるより)を聴いて、私は勝手にアイヌの歌を連想した。
もっとよく知りたいものだ。
リンク貼った記事にある『魔術師のたいこ』読んでみたいけど入手難しそう。
主人公はレーネ=セシリア・スパルロクは1997年生まれ、トナカイの飼育に従事していて映画初出演。
ミーア=エリーカ・スパルロクは実の妹って。
はまりすぎててすごい。
映画は2016年の作品。
年老いたクリスティーナ役のマイ=ドリス・リンピは「俳優、アーティストとして活動するかたわら、トナカイを飼育している」と。かっこいい。
あんなに説明がないのに、最後押し殺した感情を感じて涙勝手に出る。
***
アップリンクの映画は重いの多いから、今後そんなに近い間隔でどんどん見られる自信がない。
もちろん、見て知りたい気持ちも強いけど、自分の中の消化が追いつかない。
3か月から何年も引きずるものもある。ひとつのシーンだけ突然フラッシュバックすることもある。
映画「わたしはロランス」見た
UPLINKクラウドで、映画「わたしはロランス」を見た。
https://www.uplink.co.jp/laurence/introduction.php
切なすぎて感覚的に裸でリアルで心がひりひり。
珍しい関係性といえばそうかもしれないけど、
でも感情の動きの面で「わからない」とはならない。
説得力がすごい。
土曜のランチのシーンが、とても、とても。
お母さんもリアル。
パーティのシーンとかは文化が違いすぎてその場の感覚の想像はできない。
カナダだからフランス語オンリーじゃなくて突然英語が出てきたりするのかあ。
カナダのことってほんとに全然知らないや。
フレッド、どこかで見たような。誰かに似ているような。
ラストにそれなの、と。
色合いが美しくて、監督のインタビュー見てなるほどって納得。
監督のインタビュー、いくつか読んで、ゆるがない人なんだなと思った。
若くして完成されている。
どうしてそんなに早くにそこまで完成されちゃったのか、気になる人。
見放題の中にいくつか関連作品があるので見てみたいけど
重そうなのでそう気軽にはいけないな。
監督紹介
https://www.uplink.co.jp/laurence/director.php
ロマンチックで、恐ろしいほどリアルな「愛」の描き方。『わたしはロランス』グザヴィエ・ドラン監督
http://www.webdice.jp/dice/detail/3969/
グザヴィエ・ドランが語る、映画を撮る理由 「“いま”を生きるために“過去”を改革しようとしてる」
https://realsound.jp/movie/2017/02/post-4211.html
https://www.uplink.co.jp/laurence/introduction.php
切なすぎて感覚的に裸でリアルで心がひりひり。
珍しい関係性といえばそうかもしれないけど、
でも感情の動きの面で「わからない」とはならない。
説得力がすごい。
土曜のランチのシーンが、とても、とても。
お母さんもリアル。
パーティのシーンとかは文化が違いすぎてその場の感覚の想像はできない。
カナダだからフランス語オンリーじゃなくて突然英語が出てきたりするのかあ。
カナダのことってほんとに全然知らないや。
フレッド、どこかで見たような。誰かに似ているような。
ラストにそれなの、と。
色合いが美しくて、監督のインタビュー見てなるほどって納得。
監督のインタビュー、いくつか読んで、ゆるがない人なんだなと思った。
若くして完成されている。
どうしてそんなに早くにそこまで完成されちゃったのか、気になる人。
見放題の中にいくつか関連作品があるので見てみたいけど
重そうなのでそう気軽にはいけないな。
監督紹介
https://www.uplink.co.jp/laurence/director.php
ロマンチックで、恐ろしいほどリアルな「愛」の描き方。『わたしはロランス』グザヴィエ・ドラン監督
http://www.webdice.jp/dice/detail/3969/
グザヴィエ・ドランが語る、映画を撮る理由 「“いま”を生きるために“過去”を改革しようとしてる」
https://realsound.jp/movie/2017/02/post-4211.html
2020年04月12日
学校再開からこれまでのメモ20200412
■4月8日(水)、中学校と山都町教委に電話した。
休校決めたときより悪化してるのに再開する、安全と判断した理由はなんですか、と。
教頭はまだお会いしていなくて信頼関係もないので軽く「疑問です」と伝える程度。
教委は学校教育課長が対応してくださった。
3つに分けられた感染状況のランクで、上益城は2つ目だから、とのこと。
コロナが心配で休む場合は出席停止扱いになるそうです。
インフルエンザと同じ対応ということですよね。
同調圧力強い地域だから、子どもが不安でも親が送り出すとかもあると思う。みんなと同じがいいという地域の特性もあるんだから、欠席推奨するわけにいかなくても、内心心配だけど言えないという人にもきちんとその情報(欠席扱いにはならない)が届くようにしてくださいと伝えた。
このタイミングでの学校再開は、たとえ思いつく限りの対策をしたとしても、誰がどこでもらってきてるかわからない状況で、どこまでならやっても大丈夫か、という実験だからね。
県外や町内の友人からの目撃情報で、先生方の危機感が薄いという話も聞いていて非常に心配している。
正式な授業の時とかは「決まりだから」マスクつけるのだろうけど、春休みの登校日に子どもも来てるのに先生方がマスクしてないとか、職員室でマスクしてる先生は半分くらいしかいないとか。
普段と違うことしなきゃならなくて先生や子どもの負担が増えてストレスになるのも問題ですが、長期戦なので、学校再開をきっかけに緊張感が緩んでしまうことが心配ですと伝えたら、教委の方は、まさにその通りですとはおっしゃっていた。
再開したら、今までみんな我慢してたからうれしくてしっかり接触すると思うし。
再開してしまったらまた休校を決めるの大変ですよね、感染者が出た時ということになるじゃないですか。
せめて、阿蘇地域で増えてきたとか、御船管内でまた出たとか、
「学校で出てから」じゃなくて、「町内で」ってことでもなくて、状況を大きく見て判断してほしいと伝えた。
お店がないから都市部に買い物に行くし、仕事で都市部や阿蘇郡に行ってる親もたくさんいるし、病院はないし、重篤化したときに運んでもらうのも大変だし、高齢者が多いし、高齢者施設も多いし、そこで働いてる保護者も多い。山都町は絶対感染発生させちゃいけない地域なんですからと言ったら、実感込めて、そうなんです、おっしゃる通り、とは言われたが。
都市部からの帰省の波も来てるし、といえば、そうなんですよ、とも。
不安で休むというのもありえます、当然です、ともおっしゃる。
課長が個人的に分かってらっしゃらないわけじゃないことはわかった。
とても難しい判断を伴う道を選んだってことだよね。
がんばれ。
うちは参加しない。
実験には。
南阿蘇村は、4/8から学校再開したが、4/9の入学式の後はまた休校になったとのこと。
判断難しいと思うけど、この場合子どもや住民を守る視点があれば休校でいいよね。
■4月9日(木)
山都町教委の学校教育課長に今日も電話。
南阿蘇では再度休校になったそうですね。私も南阿蘇に仕事に行っていたことがありますし、蘇陽から阿蘇郡市に通っている人は多いと思います。
南阿蘇村はお店が少ないので、買い物といえば高森町のお店に行きます。山都町内でもとくに蘇陽は、元阿蘇郡ということもあって同様に高森に行くケースが多いです。そこで交わっている可能性があります。
とくに蘇陽地域は生活圏なので、山都町内を区切って蘇陽だけでも休校というのもありかと思います。
とお伝え。
モンゴルの国際的なへき地感と山都町のへき地としての存在感が似ている。モンゴルは先進国とはみられていないが、今回即全国休校にしてオンライン授業を開始した。
山都町も光回線が通った、これで企業も誘致できるとか言ってる割に、いざこうした問題が起きた時にはオンライン授業のオの字もない。
教委では「これから各家庭のパソコン保有状況の調査をしようと思っています」とのこと。
それだと準備してるうちにコロナ問題終わっちゃったねってなりますよねっていったら苦笑されてましたが。
本来、不登校の子が勉強遅れないようにという配慮があれば、オンラインで授業が受けられるような試みがあってもよかった。そしてそれがあったなら、それを拡大して今回も心配で不安な中再開というより、安全をとって在宅授業という選択肢がありえた。
おっしゃる通りですとおっしゃる。
あと、この厳しい状況を休校せずに踏ん張るということなのであれば、今後の休校への判断は非常に難しいと思いますが、基準は決めてあるんですかと確認。
学校の休校の判断は教委ではあるけれども、感染者が出た場合の対応は保健所なので、休校の判断も保健所と相談してすることになるというお話。
でした。
■オンライン授業について思うこと
不登校のうちの子がその授業を受けるかどうかは別問題(受けなさそう)。
各家庭のパソコンの保有状況なんか、「ほぼない」で決め打ちでいいと思う。
うちなんかパソコンあったって仕事で使うんだから子どもが好きには使えないし。
やってる感出すためのアリバイ作りと取られても仕方ないテンポ感では。
でも、現実問題、山都町に荷が重いというのはあるんだろう。
(以下、おもに不登校の場合の代替授業の話)
だったら文科省が、オンライン授業希望する子はこちらで受けられますよって配信したっていいんじゃないの?
つまり、都道府県とは別にもう一個、オンライン県教委みたいの作って採用して、都道府県のリアルの学校になじめない場合はこちらで授業受けられますよ、ってさ。
弱小自治体、個人の教師にいきなりオンライン授業よろしくっていったって、確かに無理なんだよ。
っていうとベネッセとかが受注してまた受験ばっかり視野に入れたような話になっちゃうのであればまた違うとも思うけど。
でも、学校が多様性を包み込めないシステムだからこそはみ出ちゃってる子がいて、その子の学ぶ権利が侵害されているときに「学校来なくてもいいですよ」って認めるだけじゃだめなんだよね、「どうでも来るのだ」と言わなくなっただけでも進歩といえばそうだけど不充分。
今回、みんなが休校ってなったときに「授業はどうする」って話になったけど、不登校だと少数派なので本気で向き合ってはもらえない。プリントはたくさんくれるけど。子どもそれぞれ意欲も違うし難しいのはわかるけど、だからって無策もいかんよね。支援教室の先生は知恵を出してくださるけど、使いやすいシステムとして構築してほしい。
■オンライン署名した際のコメント
茨城では高校生がストライキ。かっこいい。正しい。がんばれ。
「日立一高生が学校再開に反発しストライキ 「全県立校休校を」茨城県教委に要求」
毎日新聞2020年4月11日 09時18分(最終更新 4月11日 12時12分)
https://mainichi.jp/articles/20200411/k00/00m/040/055000c?fbclid=IwAR2o9LslGC0dUm7El0E-EuOgzsv5OMrcT4W2JKfjILcpcSq2DQHHbOB2gkk
見かけた限りでも長崎県、兵庫県、広島県なんかで学校再開おかしいでしょうというオンライン署名あった。熊本県でも署名立ち上げてくれた方がいたので、ありがたく署名させていただいた。
https://www.change.org/p/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E5%85%AC%E7%AB%8B%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BC%91%E6%A0%A1%E5%BB%B6%E9%95%B7%E8%A6%81%E8%AB%8B?utm_content=cl_sharecopy_21367628_ja-JP%3Av2&recruiter=50976616&recruited_by_id=a65792b0-1ad1-0130-d598-3c764e04873b&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=c598b918eecc4ea58ccee506322d6a5e
そのときのコメント。
***
近隣の地域で感染者が出ていることがわかっているのに学校を再開する。では、今後再度休校するとしたらいったい何をきっかけにするつもりでしょうか。
最大限の対策を行って再開「してみる」のは、結局は「実験」でしかありません。
熊本県内で熊本市以上に医療体制が充実しているところなどないでしょう。
一度感染が拡大してしまったら、地域の医療体制では対応できないと思います。高齢者率も高い。高齢者施設で働く保護者もいる。
お店が少ない郡部では、生活必需品の買い物で複数の自治体からの人が混じり合います。通院や仕事で熊本市に行く人も少なくありません。仕事も少ないので自治体の境を越えての人の動きが多い。都市部からの帰省も増えている。
どの家庭に無症状の感染者がいてもおかしくない状況です。
重症化した際の搬送にも困難が伴う郡部こそ、慎重に慎重を期するべきだと思います。
学校再開により地域全体の緊張感がゆるむ危険性もあります。
せめて熊本市同様の期間は休校にしていただきたい。
■新型コロナ、熊本県人吉市の医師が感染 患者ら12人にも症状
4/12(日) 15:18配信(西日本新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200412-00010006-nishinpc-soci&fbclid=IwAR2YOzP1k3GBseWjuDUoGUrUS-beckceiyssAZZmaG9dyOlu_nP_BzRpHBY
「蒲島知事は「全県的に感染が広がりつつある」として、全ての県立学校を14日から5月6日まで臨時休校にする方針を明らかにした。すでに休校を決めている熊本市以外の全市町村の小中学校にも休校を要請する。」
休校決めたときより悪化してるのに再開する、安全と判断した理由はなんですか、と。
教頭はまだお会いしていなくて信頼関係もないので軽く「疑問です」と伝える程度。
教委は学校教育課長が対応してくださった。
3つに分けられた感染状況のランクで、上益城は2つ目だから、とのこと。
コロナが心配で休む場合は出席停止扱いになるそうです。
インフルエンザと同じ対応ということですよね。
同調圧力強い地域だから、子どもが不安でも親が送り出すとかもあると思う。みんなと同じがいいという地域の特性もあるんだから、欠席推奨するわけにいかなくても、内心心配だけど言えないという人にもきちんとその情報(欠席扱いにはならない)が届くようにしてくださいと伝えた。
このタイミングでの学校再開は、たとえ思いつく限りの対策をしたとしても、誰がどこでもらってきてるかわからない状況で、どこまでならやっても大丈夫か、という実験だからね。
県外や町内の友人からの目撃情報で、先生方の危機感が薄いという話も聞いていて非常に心配している。
正式な授業の時とかは「決まりだから」マスクつけるのだろうけど、春休みの登校日に子どもも来てるのに先生方がマスクしてないとか、職員室でマスクしてる先生は半分くらいしかいないとか。
普段と違うことしなきゃならなくて先生や子どもの負担が増えてストレスになるのも問題ですが、長期戦なので、学校再開をきっかけに緊張感が緩んでしまうことが心配ですと伝えたら、教委の方は、まさにその通りですとはおっしゃっていた。
再開したら、今までみんな我慢してたからうれしくてしっかり接触すると思うし。
再開してしまったらまた休校を決めるの大変ですよね、感染者が出た時ということになるじゃないですか。
せめて、阿蘇地域で増えてきたとか、御船管内でまた出たとか、
「学校で出てから」じゃなくて、「町内で」ってことでもなくて、状況を大きく見て判断してほしいと伝えた。
お店がないから都市部に買い物に行くし、仕事で都市部や阿蘇郡に行ってる親もたくさんいるし、病院はないし、重篤化したときに運んでもらうのも大変だし、高齢者が多いし、高齢者施設も多いし、そこで働いてる保護者も多い。山都町は絶対感染発生させちゃいけない地域なんですからと言ったら、実感込めて、そうなんです、おっしゃる通り、とは言われたが。
都市部からの帰省の波も来てるし、といえば、そうなんですよ、とも。
不安で休むというのもありえます、当然です、ともおっしゃる。
課長が個人的に分かってらっしゃらないわけじゃないことはわかった。
とても難しい判断を伴う道を選んだってことだよね。
がんばれ。
うちは参加しない。
実験には。
南阿蘇村は、4/8から学校再開したが、4/9の入学式の後はまた休校になったとのこと。
判断難しいと思うけど、この場合子どもや住民を守る視点があれば休校でいいよね。
■4月9日(木)
山都町教委の学校教育課長に今日も電話。
南阿蘇では再度休校になったそうですね。私も南阿蘇に仕事に行っていたことがありますし、蘇陽から阿蘇郡市に通っている人は多いと思います。
南阿蘇村はお店が少ないので、買い物といえば高森町のお店に行きます。山都町内でもとくに蘇陽は、元阿蘇郡ということもあって同様に高森に行くケースが多いです。そこで交わっている可能性があります。
とくに蘇陽地域は生活圏なので、山都町内を区切って蘇陽だけでも休校というのもありかと思います。
とお伝え。
モンゴルの国際的なへき地感と山都町のへき地としての存在感が似ている。モンゴルは先進国とはみられていないが、今回即全国休校にしてオンライン授業を開始した。
山都町も光回線が通った、これで企業も誘致できるとか言ってる割に、いざこうした問題が起きた時にはオンライン授業のオの字もない。
教委では「これから各家庭のパソコン保有状況の調査をしようと思っています」とのこと。
それだと準備してるうちにコロナ問題終わっちゃったねってなりますよねっていったら苦笑されてましたが。
本来、不登校の子が勉強遅れないようにという配慮があれば、オンラインで授業が受けられるような試みがあってもよかった。そしてそれがあったなら、それを拡大して今回も心配で不安な中再開というより、安全をとって在宅授業という選択肢がありえた。
おっしゃる通りですとおっしゃる。
あと、この厳しい状況を休校せずに踏ん張るということなのであれば、今後の休校への判断は非常に難しいと思いますが、基準は決めてあるんですかと確認。
学校の休校の判断は教委ではあるけれども、感染者が出た場合の対応は保健所なので、休校の判断も保健所と相談してすることになるというお話。
でした。
■オンライン授業について思うこと
不登校のうちの子がその授業を受けるかどうかは別問題(受けなさそう)。
各家庭のパソコンの保有状況なんか、「ほぼない」で決め打ちでいいと思う。
うちなんかパソコンあったって仕事で使うんだから子どもが好きには使えないし。
やってる感出すためのアリバイ作りと取られても仕方ないテンポ感では。
でも、現実問題、山都町に荷が重いというのはあるんだろう。
(以下、おもに不登校の場合の代替授業の話)
だったら文科省が、オンライン授業希望する子はこちらで受けられますよって配信したっていいんじゃないの?
つまり、都道府県とは別にもう一個、オンライン県教委みたいの作って採用して、都道府県のリアルの学校になじめない場合はこちらで授業受けられますよ、ってさ。
弱小自治体、個人の教師にいきなりオンライン授業よろしくっていったって、確かに無理なんだよ。
っていうとベネッセとかが受注してまた受験ばっかり視野に入れたような話になっちゃうのであればまた違うとも思うけど。
でも、学校が多様性を包み込めないシステムだからこそはみ出ちゃってる子がいて、その子の学ぶ権利が侵害されているときに「学校来なくてもいいですよ」って認めるだけじゃだめなんだよね、「どうでも来るのだ」と言わなくなっただけでも進歩といえばそうだけど不充分。
今回、みんなが休校ってなったときに「授業はどうする」って話になったけど、不登校だと少数派なので本気で向き合ってはもらえない。プリントはたくさんくれるけど。子どもそれぞれ意欲も違うし難しいのはわかるけど、だからって無策もいかんよね。支援教室の先生は知恵を出してくださるけど、使いやすいシステムとして構築してほしい。
■オンライン署名した際のコメント
茨城では高校生がストライキ。かっこいい。正しい。がんばれ。
「日立一高生が学校再開に反発しストライキ 「全県立校休校を」茨城県教委に要求」
毎日新聞2020年4月11日 09時18分(最終更新 4月11日 12時12分)
https://mainichi.jp/articles/20200411/k00/00m/040/055000c?fbclid=IwAR2o9LslGC0dUm7El0E-EuOgzsv5OMrcT4W2JKfjILcpcSq2DQHHbOB2gkk
見かけた限りでも長崎県、兵庫県、広島県なんかで学校再開おかしいでしょうというオンライン署名あった。熊本県でも署名立ち上げてくれた方がいたので、ありがたく署名させていただいた。
https://www.change.org/p/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E5%85%AC%E7%AB%8B%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BC%91%E6%A0%A1%E5%BB%B6%E9%95%B7%E8%A6%81%E8%AB%8B?utm_content=cl_sharecopy_21367628_ja-JP%3Av2&recruiter=50976616&recruited_by_id=a65792b0-1ad1-0130-d598-3c764e04873b&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=c598b918eecc4ea58ccee506322d6a5e
そのときのコメント。
***
近隣の地域で感染者が出ていることがわかっているのに学校を再開する。では、今後再度休校するとしたらいったい何をきっかけにするつもりでしょうか。
最大限の対策を行って再開「してみる」のは、結局は「実験」でしかありません。
熊本県内で熊本市以上に医療体制が充実しているところなどないでしょう。
一度感染が拡大してしまったら、地域の医療体制では対応できないと思います。高齢者率も高い。高齢者施設で働く保護者もいる。
お店が少ない郡部では、生活必需品の買い物で複数の自治体からの人が混じり合います。通院や仕事で熊本市に行く人も少なくありません。仕事も少ないので自治体の境を越えての人の動きが多い。都市部からの帰省も増えている。
どの家庭に無症状の感染者がいてもおかしくない状況です。
重症化した際の搬送にも困難が伴う郡部こそ、慎重に慎重を期するべきだと思います。
学校再開により地域全体の緊張感がゆるむ危険性もあります。
せめて熊本市同様の期間は休校にしていただきたい。
■新型コロナ、熊本県人吉市の医師が感染 患者ら12人にも症状
4/12(日) 15:18配信(西日本新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200412-00010006-nishinpc-soci&fbclid=IwAR2YOzP1k3GBseWjuDUoGUrUS-beckceiyssAZZmaG9dyOlu_nP_BzRpHBY
「蒲島知事は「全県的に感染が広がりつつある」として、全ての県立学校を14日から5月6日まで臨時休校にする方針を明らかにした。すでに休校を決めている熊本市以外の全市町村の小中学校にも休校を要請する。」
映画「氷上の王、ジョン・カリー」見た
UPLINKクラウドで、映画「氷上の王、ジョン・カリー」を見た。
美しかった。
こんなすごい人がいたのか〜。
「〜しなければならない」を避ける癖のある私は
フィギュアスケートの経験(大学生のときだけなので全くのへなちょこだけど滑るのは本当に好きだった〜)あっても周辺の情報にアクセスすることがほとんどなかったので
全然知らなかった。
というか思えば私が学生の頃はまだインターネットなんて
Eメールをぴ〜〜〜ひょろひょろひょろ〜〜〜って送ってる時代だったのだ。
youtubeの動画だって気軽にみられるようになったのはその後だもの。
予告編でちょっとだけ監督がお話してるの見たけど、
ビジョンが明確で、いい〜。
「私が常に描いていたビジョンとは、パフォーマンスを映画の中心に置くことで、カリーが自分の人生をそのまま演技として表現する姿をスクリーン上で描くことだった。きらめく銀盤の上で、彼の演技を通して栄光と悲劇を語り、なめらかに、そして優美に表現したかった。」
「映画の3分の2がアーティストやスポーツ選手としての苦悩の物語だとすれば、残り3分の1は社会や家族に自身のセクシャリティを抑圧された男の物語といえる。」
生演奏で滑るとか、すごすぎる。
写真も映像も、どの角度でも絵になる人。
1949年生まれ。生きていたら71歳・・・。44歳で亡くなったなんて。
同性愛が犯罪とされていた時代を経て
エイズへの恐怖と差別の時代へ。
苦悩と美しさとが感触として残る映画だった。
彼を語る人々から、愛を感じた。
***
どの映画でも、我が家のネット環境の問題なのか、どうにも前に進まない箇所(シーンの切り替え?)が時々あって、やっぱり映画館がいいな、と思うが、そもそもなかなか動けないので触れられること自体がありがたい。
美しかった。
こんなすごい人がいたのか〜。
「〜しなければならない」を避ける癖のある私は
フィギュアスケートの経験(大学生のときだけなので全くのへなちょこだけど滑るのは本当に好きだった〜)あっても周辺の情報にアクセスすることがほとんどなかったので
全然知らなかった。
というか思えば私が学生の頃はまだインターネットなんて
Eメールをぴ〜〜〜ひょろひょろひょろ〜〜〜って送ってる時代だったのだ。
youtubeの動画だって気軽にみられるようになったのはその後だもの。
予告編でちょっとだけ監督がお話してるの見たけど、
ビジョンが明確で、いい〜。
「私が常に描いていたビジョンとは、パフォーマンスを映画の中心に置くことで、カリーが自分の人生をそのまま演技として表現する姿をスクリーン上で描くことだった。きらめく銀盤の上で、彼の演技を通して栄光と悲劇を語り、なめらかに、そして優美に表現したかった。」
「映画の3分の2がアーティストやスポーツ選手としての苦悩の物語だとすれば、残り3分の1は社会や家族に自身のセクシャリティを抑圧された男の物語といえる。」
生演奏で滑るとか、すごすぎる。
写真も映像も、どの角度でも絵になる人。
1949年生まれ。生きていたら71歳・・・。44歳で亡くなったなんて。
同性愛が犯罪とされていた時代を経て
エイズへの恐怖と差別の時代へ。
苦悩と美しさとが感触として残る映画だった。
彼を語る人々から、愛を感じた。
***
どの映画でも、我が家のネット環境の問題なのか、どうにも前に進まない箇所(シーンの切り替え?)が時々あって、やっぱり映画館がいいな、と思うが、そもそもなかなか動けないので触れられること自体がありがたい。
2020年04月11日
映画「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」見た
例のUPLINKクラウドで、映画「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」も見た。
どこかで紹介されてて、気になっていた。
見ていて、動いてほしい通りにあまりに気持ちよく動くあの「美しさ」に圧倒されるのはもちろんのこと。
内面を根掘り葉掘り聞き出すのではなく淡々としてるのに、子どもの頃の先生に会うところ以降完全にやられる。
両親の別々のことばを、そういう風につなげるのか、とか。
貧しさ、親元離れることなどは、モンゴルや山都町で見聞きしたことと重なるところがあり。
「年上の尊敬できる存在」のこと、友人の理解など、響くもの多すぎて
きつすぎる。
ぼろんぼろん涙が出た。
おばあちゃんがギリシャへ行ったときのこと想像しちゃう。
貧しくたって、バレエか体操かと選ぶ道があり、だからどうしたって裾野が広いよなとか。
「ひげのおじさん」(だったか)というくらいの認識で曲を選んでいたっていいわけで。
おばあちゃんが子どもの頃の彼の踊りを見て涙が出たと語るときのことばには、
表現を目にして魂を感じる感性があり、それを語ることばを持ち合わせていらっしゃる。
***
キエフ、とか、ソ連とか
部屋の壁にじゅうたん張ってるあの様子とか
自分の中にあるものと繋がる部分あり。
どこかで紹介されてて、気になっていた。
見ていて、動いてほしい通りにあまりに気持ちよく動くあの「美しさ」に圧倒されるのはもちろんのこと。
内面を根掘り葉掘り聞き出すのではなく淡々としてるのに、子どもの頃の先生に会うところ以降完全にやられる。
両親の別々のことばを、そういう風につなげるのか、とか。
貧しさ、親元離れることなどは、モンゴルや山都町で見聞きしたことと重なるところがあり。
「年上の尊敬できる存在」のこと、友人の理解など、響くもの多すぎて
きつすぎる。
ぼろんぼろん涙が出た。
おばあちゃんがギリシャへ行ったときのこと想像しちゃう。
貧しくたって、バレエか体操かと選ぶ道があり、だからどうしたって裾野が広いよなとか。
「ひげのおじさん」(だったか)というくらいの認識で曲を選んでいたっていいわけで。
おばあちゃんが子どもの頃の彼の踊りを見て涙が出たと語るときのことばには、
表現を目にして魂を感じる感性があり、それを語ることばを持ち合わせていらっしゃる。
***
キエフ、とか、ソ連とか
部屋の壁にじゅうたん張ってるあの様子とか
自分の中にあるものと繋がる部分あり。
映画「ラ・チャナ」見た
UPLINKの映画見放題で早速「ラ・チャナ」見た。
かっこいい。かっこいい。
フラメンコを知らなくても全然問題ない。
踊る姿はもちろん、繰り出すことばが心にずしんと響く。
彼女が「生きること」っていうことの説得力。
https://www.uplink.co.jp/lachana/
男社会で活躍する女としての困難。
その話の時の写真の彼女の目。
輝きの裏側に、表に出せないものがどれだけあったか。
71歳の女性に「美しい」って自然に声かけるあの雰囲気とても素敵。
そして確かに美しい。
現在の日常とインタビューに、当時の写真・映像・音源を重ねながら
これでもかと彼女の情熱を見せつけてくれる。
こういうの見ると、映像のある時代でよかったって思う。
「踊っている時だけ、自分でいられた」
私は、それこそ、「歌っている時だけは」っていうのがあるから、
とても共感した。
そしてまた、それこそルーツに根差したものの説得力に圧倒されもした。
***
映画と関係ないけど
外大でフラメンコ同好会かっこよかったなっていうのも思い出した。
あの歌かっこいい、コロナの不安の中で歌っている映像もかっこよかった。
***
これだけでなんかぐっときて涙出る。
チャーミング、美しい。
常に本気の人。
映画『ラ・チャナ』ラ・チャナから日本の観客へのビデオメッセージ
https://youtu.be/RIcBuzwhqME
かっこいい。かっこいい。
フラメンコを知らなくても全然問題ない。
踊る姿はもちろん、繰り出すことばが心にずしんと響く。
彼女が「生きること」っていうことの説得力。
https://www.uplink.co.jp/lachana/
男社会で活躍する女としての困難。
その話の時の写真の彼女の目。
輝きの裏側に、表に出せないものがどれだけあったか。
71歳の女性に「美しい」って自然に声かけるあの雰囲気とても素敵。
そして確かに美しい。
現在の日常とインタビューに、当時の写真・映像・音源を重ねながら
これでもかと彼女の情熱を見せつけてくれる。
こういうの見ると、映像のある時代でよかったって思う。
「踊っている時だけ、自分でいられた」
私は、それこそ、「歌っている時だけは」っていうのがあるから、
とても共感した。
そしてまた、それこそルーツに根差したものの説得力に圧倒されもした。
***
映画と関係ないけど
外大でフラメンコ同好会かっこよかったなっていうのも思い出した。
あの歌かっこいい、コロナの不安の中で歌っている映像もかっこよかった。
***
これだけでなんかぐっときて涙出る。
チャーミング、美しい。
常に本気の人。
映画『ラ・チャナ』ラ・チャナから日本の観客へのビデオメッセージ
https://youtu.be/RIcBuzwhqME
2020年04月10日
ミニシアターへの思い入れとUPLINKクラウドの見放題
4月明けてからのツイートと、書き足し。
新型コロナウィルスの問題については、
今のままでは「収束」の判断すらつかない(検査抑えすぎてて実態もわからないし、それゆえ終わりも数字で判断できない)ので、
どう考えたってやり方変えないといけないわけだけど。
変えられたとして、だいぶ先の先に、「そろそろ安心」てなったときに、
お気に入りのお店とか、珍しい映画上映してくれる映画館とか、消えてたりするわけよね、このままでは。
コロナが落ち着いたら旅行券をとかいう話があるようだが、
その前に宿泊施設とかが持つんだろうかねと本当に心配。
どう考えても政府のやってることはおかしいと思う。
冗談なのかなと思う。
そんなことやってる場合じゃないですよ、
誰もそんなことに付き合っていられる余裕ないですよ、と。
そして今後は、生き残る巨大資本による画一的景色が広がることになる。
鳥肌立っちゃうよ。
ていうか画一的景色といえば今の世の中もうすでに大体そうなってて、
だけどミニシアターとかオアシスみたいに存在していて。
東京にはね、そうだった。
ミニシアター系の映画を、学生の頃はよく見てた。
ひとりで見るの好きで。
一個見ると次にあれこれ気になって。
その後延々と混乱続きの余裕皆無生活でもうずっと諦めてた。
地方はどうも、もうすでに大資本以外の映画館なんて存在するのさらにいっそう超難しいんだろうと思う。
熊本市にはdenkikanという頼もしい映画館があるんだけど、
上映期間が一週間とかだったりで山奥の我が家からだとあんなに車停めるの難しい中心地に、って尻込みするし、タイミング合わせるのも厳しくてハードル高くてなかなか行けない。
山都町には「よい映画を観る会」という頼もしいNPOがあって、
非常に幅広い作品を上映してくださる。
うちから30分かからないくらいの図書館ホールで。
最近ではそれが一番手近な見たい映画を見る機会。
アナと雪の女王から、ありがたいことにミニシアター系のものの上映もある。
あとはイオンモールの映画館にも行く。
おもに子どもの見たいもの、或いは最近は娘と、お互いまあまあこれならみたいなやつを一緒に見たりする。
だからまあ、完全に映画を断っていたわけではないのだけど、
私がとても見たいやつって、うちの子はまったく正直に全然ついてこないし、
子どもほったらかしてまで見に行くのもね、とかでもうなんかほんとに
「あ、見たい」って気軽に動くことはなくなっていた。
で、今回の新型コロナで大混乱のなか、UPLINKが見放題サービスを始めたというので、
ここらで見たい映画をあきらめ続ける生活に終止符を打ってもいいのではと思い立ち。
正直自分の収入も非常に不安なところではあるが、
あれだけお世話になったアップリンクに、なくなってもらっては困る、と熊本にいても思う。
実際、必要な作品を紹介してくれているのだもの。
というわけで
3ヶ月2980円見放題、購入したので見まくろうと思う。
「外出しなくても映画は観れる!オンライン映画館「アップリンク・クラウド」でアップリンクの映画60本見放題」
https://www.uplink.co.jp/news/2020/53429
まず踊り手さんのドキュメンタリー2本見て満足。
ずっとずっと、実感こもってない作り物感満載の物語にばっかり触れ(させられ)て、辟易してたことを改めて再確認した。
作り物かどうか、というより、生活や生身の感覚があるかどうか。それが分かれ目。
子どもが見てるものに、感情の機微を感じさせるものがないことに恐ろしさを感じていたが、
久々ああいう映画見て洗われた。
今うちの子たちが触れてるのは、
安易に人が死んだ上無理のありすぎるトリックで説明されたり、人が死なないストーリーでも人の心の動きの描写が、雑なものばっかり。
洗濯物干しながら横目で見るなどしながら、
ずっと心の底流にそのことで不安が流れている。
「アップリンク・クラウド寄付込み見放題」というのもあります。
https://uplink-co.square.site/
新型コロナウィルスの問題については、
今のままでは「収束」の判断すらつかない(検査抑えすぎてて実態もわからないし、それゆえ終わりも数字で判断できない)ので、
どう考えたってやり方変えないといけないわけだけど。
変えられたとして、だいぶ先の先に、「そろそろ安心」てなったときに、
お気に入りのお店とか、珍しい映画上映してくれる映画館とか、消えてたりするわけよね、このままでは。
コロナが落ち着いたら旅行券をとかいう話があるようだが、
その前に宿泊施設とかが持つんだろうかねと本当に心配。
どう考えても政府のやってることはおかしいと思う。
冗談なのかなと思う。
そんなことやってる場合じゃないですよ、
誰もそんなことに付き合っていられる余裕ないですよ、と。
そして今後は、生き残る巨大資本による画一的景色が広がることになる。
鳥肌立っちゃうよ。
ていうか画一的景色といえば今の世の中もうすでに大体そうなってて、
だけどミニシアターとかオアシスみたいに存在していて。
東京にはね、そうだった。
ミニシアター系の映画を、学生の頃はよく見てた。
ひとりで見るの好きで。
一個見ると次にあれこれ気になって。
その後延々と混乱続きの余裕皆無生活でもうずっと諦めてた。
地方はどうも、もうすでに大資本以外の映画館なんて存在するのさらにいっそう超難しいんだろうと思う。
熊本市にはdenkikanという頼もしい映画館があるんだけど、
上映期間が一週間とかだったりで山奥の我が家からだとあんなに車停めるの難しい中心地に、って尻込みするし、タイミング合わせるのも厳しくてハードル高くてなかなか行けない。
山都町には「よい映画を観る会」という頼もしいNPOがあって、
非常に幅広い作品を上映してくださる。
うちから30分かからないくらいの図書館ホールで。
最近ではそれが一番手近な見たい映画を見る機会。
アナと雪の女王から、ありがたいことにミニシアター系のものの上映もある。
あとはイオンモールの映画館にも行く。
おもに子どもの見たいもの、或いは最近は娘と、お互いまあまあこれならみたいなやつを一緒に見たりする。
だからまあ、完全に映画を断っていたわけではないのだけど、
私がとても見たいやつって、うちの子はまったく正直に全然ついてこないし、
子どもほったらかしてまで見に行くのもね、とかでもうなんかほんとに
「あ、見たい」って気軽に動くことはなくなっていた。
で、今回の新型コロナで大混乱のなか、UPLINKが見放題サービスを始めたというので、
ここらで見たい映画をあきらめ続ける生活に終止符を打ってもいいのではと思い立ち。
正直自分の収入も非常に不安なところではあるが、
あれだけお世話になったアップリンクに、なくなってもらっては困る、と熊本にいても思う。
実際、必要な作品を紹介してくれているのだもの。
というわけで
3ヶ月2980円見放題、購入したので見まくろうと思う。
「外出しなくても映画は観れる!オンライン映画館「アップリンク・クラウド」でアップリンクの映画60本見放題」
https://www.uplink.co.jp/news/2020/53429
まず踊り手さんのドキュメンタリー2本見て満足。
ずっとずっと、実感こもってない作り物感満載の物語にばっかり触れ(させられ)て、辟易してたことを改めて再確認した。
作り物かどうか、というより、生活や生身の感覚があるかどうか。それが分かれ目。
子どもが見てるものに、感情の機微を感じさせるものがないことに恐ろしさを感じていたが、
久々ああいう映画見て洗われた。
今うちの子たちが触れてるのは、
安易に人が死んだ上無理のありすぎるトリックで説明されたり、人が死なないストーリーでも人の心の動きの描写が、雑なものばっかり。
洗濯物干しながら横目で見るなどしながら、
ずっと心の底流にそのことで不安が流れている。
「アップリンク・クラウド寄付込み見放題」というのもあります。
https://uplink-co.square.site/
2020年03月22日
ピアノ弾き語りの練習が楽しい
2018年の秋から、
映画「グレイテスト・ショーマン」の曲「This is me」をピアノ弾き語りで練習し始めた。
私はピアノはやったことなくて、小〜中学生の頃にエレクトーンを習っていたことはある。
でもあんまり身が入っていなくて、練習してなかった。
ピアノは憧れだった。
私はエレクトーンもギターも馬頭琴も、挫折ばっかりで、楽器は向いてないんだわーと思っていた。
でもちょっと、あの頃は仕事も忙しく、子どもたちも思春期真っただ中で
私はあまりにすさんでつかれてぐったりしていて、
あの映画を見たときにとても元気をもらって、それがうれしくて
CDを買い、DVDを買い、
通勤の車中でずーっと歌いまくって。
くたびれ果てる生活のお決まりのこと以外の全然別の何かをしたくて、
時間の隙間はないと思い込んでいたけど、こじあけるのだ、と
ついに楽譜を買って
弾き語りの練習まで始めちゃったのだった。
オルティンドーや馬頭琴の練習というと、
なんだか義務感みたいな感覚も伴うようになってしまっていて、
しかもそれを発表できる状態にまでもっていかなくてはみたいなプレッシャーを
自分で自分にかけてしまってどうも楽しめなくなってしまっている。
実は好きなのに我慢していたのが英語の歌で、
実は憧れてたのに手を出せなかったのがピアノだった。
そして、ピアノはギターや馬頭琴みたいに調弦しなくていい(私これに異様に時間がかかるので)のも魅力。
須藤かよ先生に、楽譜の難易度下げていただいて、
練習始めたら楽しくて楽しくて、家事そっちのけで練習していた。
グレイテスト・ショーマンには娘もハマったので、車でもずっと一緒に歌っていたし、
私のピアノが流れるようになってきたら歌ってくれたり。
難しいけど、繰り返していたらそのうち流れるようになるのが楽しい。
息子の部屋のすぐ隣の廊下に電子ピアノを置いて大声で歌って、
こもりきりでゲームしてさっぱり私の発することばに反応がない人を邪魔する意味もあったり(メインではない)。
しばらく休んで思い出したときに練習したり、で、なかなか完璧にはならないのだが
2019年の12月には友人の英語教室のクリスマス会で友人(先生)と生徒さんと一緒に歌った。
で、グレイテスト・ショーマンの他の曲を、と思ったんだけど、仕上げるのに時間がかかるので、
いったんもう少し難易度の低いものを・・・と模索。
というわけで、今年2月中頃にネットで楽譜買って、The Roseのピアノ弾き語り練習開始。
うーれーしーいー。高校生の頃からの大好きな曲。
そしてThis is meほど難易度高くないのでほっとする。楽しい。
ピアノ弾き語り練習は、
手の指やてのひらを広げるという動作を
あかぎれというのか手に常にたくさんあった傷の痛みのあまりに避けてきた私の、
それがふさがって自由度を増してきた今の状況に、
とても合った、喜びを伴うすばらしいリハビリだと思う。
音の通り道と姿勢についてもわかってきたこと多いし。
曲らしく仕上げて録音して友人に送るのを目標に、
先週末に昼から夕方までひたすら練習してたけど(やるやらないのムラがありすぎ)全然仕上がらない。
音源を聴いて意外と早いんだなと思ってやってみたけどうまくいかず、
翌日は逆でゆっくり、できないところに合わせたら進んだかな、などと試行錯誤。
ある日はもう少しでなかなかいい仕上がりと思って歌ってたら
ふいに猫のトイレ掃除を命じられ、練習の終わりがとても嫌な感じ。
夕飯作らず練習してたので、
珍しく家族3人が近寄ったので「夕飯誰が作るかジャンケンで決めよう」と提案するも誰も勝負に参加しない。
感じ悪いわー、などとぼやきつつ。
コロナのこともあるし、その他家庭の関係などで
毎日様々なジャンルのことに頭をフル回転させているので、
リフレッシュだー、と、夜な夜なむきになって練習。
まったくできなかったことが繰り返すことでなぜこんなに滑らかになるのか、不思議。
楽しい。回路ができていく感じが実におもしろい。
こんなに楽しめるのは、傷だらけだった手が治ったから、ということのほか、
それで腕も肩も首も体幹も整ってきたから、声も出やすいし、
いろいろな角度で指や腕を動かす自由度が上がったし、
それから集中の為には息を詰めなければならないという思い込みのもと
練習すればするほど肩が凝る状態から脱することができたから、であって、今。
今だからこそ、なの。
映画「グレイテスト・ショーマン」の曲「This is me」をピアノ弾き語りで練習し始めた。
私はピアノはやったことなくて、小〜中学生の頃にエレクトーンを習っていたことはある。
でもあんまり身が入っていなくて、練習してなかった。
ピアノは憧れだった。
私はエレクトーンもギターも馬頭琴も、挫折ばっかりで、楽器は向いてないんだわーと思っていた。
でもちょっと、あの頃は仕事も忙しく、子どもたちも思春期真っただ中で
私はあまりにすさんでつかれてぐったりしていて、
あの映画を見たときにとても元気をもらって、それがうれしくて
CDを買い、DVDを買い、
通勤の車中でずーっと歌いまくって。
くたびれ果てる生活のお決まりのこと以外の全然別の何かをしたくて、
時間の隙間はないと思い込んでいたけど、こじあけるのだ、と
ついに楽譜を買って
弾き語りの練習まで始めちゃったのだった。
オルティンドーや馬頭琴の練習というと、
なんだか義務感みたいな感覚も伴うようになってしまっていて、
しかもそれを発表できる状態にまでもっていかなくてはみたいなプレッシャーを
自分で自分にかけてしまってどうも楽しめなくなってしまっている。
実は好きなのに我慢していたのが英語の歌で、
実は憧れてたのに手を出せなかったのがピアノだった。
そして、ピアノはギターや馬頭琴みたいに調弦しなくていい(私これに異様に時間がかかるので)のも魅力。
須藤かよ先生に、楽譜の難易度下げていただいて、
練習始めたら楽しくて楽しくて、家事そっちのけで練習していた。
グレイテスト・ショーマンには娘もハマったので、車でもずっと一緒に歌っていたし、
私のピアノが流れるようになってきたら歌ってくれたり。
難しいけど、繰り返していたらそのうち流れるようになるのが楽しい。
息子の部屋のすぐ隣の廊下に電子ピアノを置いて大声で歌って、
こもりきりでゲームしてさっぱり私の発することばに反応がない人を邪魔する意味もあったり(メインではない)。
しばらく休んで思い出したときに練習したり、で、なかなか完璧にはならないのだが
2019年の12月には友人の英語教室のクリスマス会で友人(先生)と生徒さんと一緒に歌った。
で、グレイテスト・ショーマンの他の曲を、と思ったんだけど、仕上げるのに時間がかかるので、
いったんもう少し難易度の低いものを・・・と模索。
というわけで、今年2月中頃にネットで楽譜買って、The Roseのピアノ弾き語り練習開始。
うーれーしーいー。高校生の頃からの大好きな曲。
そしてThis is meほど難易度高くないのでほっとする。楽しい。
ピアノ弾き語り練習は、
手の指やてのひらを広げるという動作を
あかぎれというのか手に常にたくさんあった傷の痛みのあまりに避けてきた私の、
それがふさがって自由度を増してきた今の状況に、
とても合った、喜びを伴うすばらしいリハビリだと思う。
音の通り道と姿勢についてもわかってきたこと多いし。
曲らしく仕上げて録音して友人に送るのを目標に、
先週末に昼から夕方までひたすら練習してたけど(やるやらないのムラがありすぎ)全然仕上がらない。
音源を聴いて意外と早いんだなと思ってやってみたけどうまくいかず、
翌日は逆でゆっくり、できないところに合わせたら進んだかな、などと試行錯誤。
ある日はもう少しでなかなかいい仕上がりと思って歌ってたら
ふいに猫のトイレ掃除を命じられ、練習の終わりがとても嫌な感じ。
夕飯作らず練習してたので、
珍しく家族3人が近寄ったので「夕飯誰が作るかジャンケンで決めよう」と提案するも誰も勝負に参加しない。
感じ悪いわー、などとぼやきつつ。
コロナのこともあるし、その他家庭の関係などで
毎日様々なジャンルのことに頭をフル回転させているので、
リフレッシュだー、と、夜な夜なむきになって練習。
まったくできなかったことが繰り返すことでなぜこんなに滑らかになるのか、不思議。
楽しい。回路ができていく感じが実におもしろい。
こんなに楽しめるのは、傷だらけだった手が治ったから、ということのほか、
それで腕も肩も首も体幹も整ってきたから、声も出やすいし、
いろいろな角度で指や腕を動かす自由度が上がったし、
それから集中の為には息を詰めなければならないという思い込みのもと
練習すればするほど肩が凝る状態から脱することができたから、であって、今。
今だからこそ、なの。
2020年03月11日
「検査は必要」とか「不安がることは責められるべきではない」とか、そんなことに長々と説明が必要である世の中に生きる地獄感
免疫力。
大事だよね。
しっかり睡眠とって。適度な運動して。
添加物の入ってない「本物の」調味料使って。
なるべく農薬使ってない野菜を食べて。
やれることやって自分と家族を守るしかない。
まあ、そうなんだけど、
それはそれで当たり前にやるとして、よ。
新型といわれるウイルスについて、
どんな特徴があるのかを知っておきたいし、
重症化したのはどんな人か、
高齢者・持病がある人が危険とは言われているけれど、
では若くても亡くなっている人はどうしたのか、
薬が悪かったのか体力がなかったのか
添加物いっぱい摂取していた人なのか。
そういったことを知りたいけれど、
私たちにはまだわからない。
そういう情報は待つしかないのもわかっている。
で、詳しい分析をするためにも、感染を広げないためにも、
国として、現状感染者がどれくらいいるのか調べるとか
感染経路を特定するとか、やって当たり前でしょう。
ほかの国は徹底的にやっているけど、日本はどうも、違う。
ほかの国と比較すると、グラフがおかしい。
オリンピックをやるといっているくらい国際社会の一員のつもりがあるなら、
「パンデミックを防ぐ」というほかの国の努力を無にするようなやり方では
信頼を失ってしまう。
これにより、在外の日本人や日本にいる外国人の苦労が増える。
いくら当事者でなくても想像くらいできそうなものだが、
あんまり一般的にはイメージされていない感じなのかしら。
多くの人が、自分の治療に必要だという動機と同時に、
周囲にうつしたくない、感染拡大防止が必要と当たり前に考えて検査を希望している。
これ、当たり前の当たり前。
でも、新型コロナじゃないですかね、検査してほしいですって病院に言って、
医師も検査が必要って言ってるのに検査してもらえないケースが多いらしい。
なかなか検査をしてもらえないのは、オリンピックやりたいから感染者数を少なく見せたいからじゃないかといわれていたり、
はたまた感染所研究の偉い人がデータ欲しさに民間にさせたくないのだとの告発もあった。
が、実のところは「単に間に合わないのでは」という説もあり、
どれであってもみっともないことこのうえない。
感染症対策関連の予算も人も保健所の数さえも削ってしまったから
できないんです間に合わないんですってことなら正直にそう言うべきだし
予算減らしちゃってごめんなさいって言うべきだし
そのうえで現状いつからどうできるように動きますとか
さくさく次のこと考えて動くのでなけりゃ、見てるほうは不安にもなる。
「予算減らしたからだろう」って責められる前に、そこまでしていけば前進も早いのに。
でも、「国民」に対して検査をしないことの説明するときには、
「国民」というものを大変馬鹿にしていると私には感じられる以下のような内容になる。
みんなが医療機関に押し寄せたらパニックになっちゃうから、とか、
検査して陽性だったところでそれに特化した治療はないから、とか
陰性だったとしてもそれがすなわち確実に感染していないというわけではないからそれで安心した人がほんとは感染していて拡散されても困る、と。
これらをいちいち論破してからでないと検査が当たり前の世の中にならない、というのが一つ絶望的。
当然あるべきと思い描く世界にたどり着くまでにたちはだかる異様なまでのまどろっこしさ。
その苦労、必要?????と驚愕しドン引きし、消耗する。
もう一つ絶望的なのは、先日からつらつら書いていること。
不安には原因がある。
それらを整理して片付けていけばいい話。
その対応が望まれているのに、
不安?そんなもの感じるほうがおかしいのだ!
つぶせ!不安を!という動きが必ず出るので、
もううんざりなの。
ああめんどくさい。
大事だよね。
しっかり睡眠とって。適度な運動して。
添加物の入ってない「本物の」調味料使って。
なるべく農薬使ってない野菜を食べて。
やれることやって自分と家族を守るしかない。
まあ、そうなんだけど、
それはそれで当たり前にやるとして、よ。
新型といわれるウイルスについて、
どんな特徴があるのかを知っておきたいし、
重症化したのはどんな人か、
高齢者・持病がある人が危険とは言われているけれど、
では若くても亡くなっている人はどうしたのか、
薬が悪かったのか体力がなかったのか
添加物いっぱい摂取していた人なのか。
そういったことを知りたいけれど、
私たちにはまだわからない。
そういう情報は待つしかないのもわかっている。
で、詳しい分析をするためにも、感染を広げないためにも、
国として、現状感染者がどれくらいいるのか調べるとか
感染経路を特定するとか、やって当たり前でしょう。
ほかの国は徹底的にやっているけど、日本はどうも、違う。
ほかの国と比較すると、グラフがおかしい。
オリンピックをやるといっているくらい国際社会の一員のつもりがあるなら、
「パンデミックを防ぐ」というほかの国の努力を無にするようなやり方では
信頼を失ってしまう。
これにより、在外の日本人や日本にいる外国人の苦労が増える。
いくら当事者でなくても想像くらいできそうなものだが、
あんまり一般的にはイメージされていない感じなのかしら。
多くの人が、自分の治療に必要だという動機と同時に、
周囲にうつしたくない、感染拡大防止が必要と当たり前に考えて検査を希望している。
これ、当たり前の当たり前。
でも、新型コロナじゃないですかね、検査してほしいですって病院に言って、
医師も検査が必要って言ってるのに検査してもらえないケースが多いらしい。
なかなか検査をしてもらえないのは、オリンピックやりたいから感染者数を少なく見せたいからじゃないかといわれていたり、
はたまた感染所研究の偉い人がデータ欲しさに民間にさせたくないのだとの告発もあった。
が、実のところは「単に間に合わないのでは」という説もあり、
どれであってもみっともないことこのうえない。
感染症対策関連の予算も人も保健所の数さえも削ってしまったから
できないんです間に合わないんですってことなら正直にそう言うべきだし
予算減らしちゃってごめんなさいって言うべきだし
そのうえで現状いつからどうできるように動きますとか
さくさく次のこと考えて動くのでなけりゃ、見てるほうは不安にもなる。
「予算減らしたからだろう」って責められる前に、そこまでしていけば前進も早いのに。
でも、「国民」に対して検査をしないことの説明するときには、
「国民」というものを大変馬鹿にしていると私には感じられる以下のような内容になる。
みんなが医療機関に押し寄せたらパニックになっちゃうから、とか、
検査して陽性だったところでそれに特化した治療はないから、とか
陰性だったとしてもそれがすなわち確実に感染していないというわけではないからそれで安心した人がほんとは感染していて拡散されても困る、と。
これらをいちいち論破してからでないと検査が当たり前の世の中にならない、というのが一つ絶望的。
当然あるべきと思い描く世界にたどり着くまでにたちはだかる異様なまでのまどろっこしさ。
その苦労、必要?????と驚愕しドン引きし、消耗する。
もう一つ絶望的なのは、先日からつらつら書いていること。
不安には原因がある。
それらを整理して片付けていけばいい話。
その対応が望まれているのに、
不安?そんなもの感じるほうがおかしいのだ!
つぶせ!不安を!という動きが必ず出るので、
もううんざりなの。
ああめんどくさい。
2020年03月06日
もやもやの始まり
国が休校を指示してほしいと書いた翌々日に、
意外にも(私の願いがすぐに実現することなんてほとんどないんだ)
全国一斉休校の要請が首相からなされ、ほとんどの学校が翌週月曜日または火曜日くらいから休校となった。
びっくり。
でも、手放しでは喜べない。
私が休校が必要と考えていたのは、経済活動も学校も、とにかくいったんお休みして
感染の拡大を抑えることに集中すべき、と思っていたから。
中国や韓国、イタリアの緊張感ある対応の情報を見ていると、そのくらいしないとまずいと感じたから。
みんなが緊張感を持ってそれに取り組むためには、
国は「収入についてはとりあえず心配しないで、補償はします」といった対策をもちろんセットにすべき。
いったん経済が止まるとしても、命・健康・安心があれば再開できる。
あ、もちろん私は経済や政治に詳しくないので、感覚でものを言っています。
3.11までは「詳しくないから」「専門家じゃないから」と何もかも黙っていました。
でも、3.11以降の「専門家」の色々ぶりを見て。
つまり、生活者の味方の人もいれば、数字だけ考えて感覚が伴ってない人もいれば、
悪意を持って生活者を敵視する人もいれば、お金をもらって嘘を言う人もいるのだとわかったので。
私は私で、専門家でない生活者として、感じたことや考えたことを口にするほうがいい、と思うようになった。
「合ってる」「間違ってる」じゃなくて、私には今はそう見える、感じられるということの、まずは記録。
それは無意味じゃない。黙っているよりはいい。
さて、あの首相は、命・健康・安心を守るとかそういった話とは視点が全然違って、どこまでいっても「国民の安全とか安心とか利益・不利益といったことには興味がない。
それはこれまでの動きを見ていればまったく自信を持って言える。
一般的には政治家は、内心どう思っていようと、建前では有権者のことを考えているというポーズをとるものだと思うが、彼はそれをしない。
何をするにしても自分をどうやってよりよく見せるかということに力点がある。
あの電撃休校要請の件は、クルーズ船の不手際があってから、支持率も下がってきたところ、国際オリンピック委員会(IOC)の委員からオリンピックできないかもといわれ、焦りだしたということかなと思った。
IOC古参委員 コロナ収束しなければ5月末に五輪中止の判断 日刊ゲンダイDIGITAL 公開日:2020/02/26 12:33 更新日:2020/02/26 16:16
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/269586
そうでなければ、それまで醸されていた「大半の人は軽症で済むから心配不要」という雰囲気と全然かみ合わないことの説明がつかない。
木曜日に突然言い出し、文科省も現場も何も知らなかったというのもすさまじい。
市民にも危機感がそこまで広がっていなかったところにいきなり言い出したので、
子どもを一人で家に置いておけない、などと批判が巻き起こり、
今まで気づかなかったり見過ごしてきた人も、
あの首相ではまずいのではと思い始めたかもしれない。
あるいは、これまでは「政治的なことはちょっと」といって黙っていた人たちも、
これはいくらなんでも、と怒りを表明しだしたり。
彼に早く辞めてもらわないとストレスが溜まって仕方がない私にとっては喜ばしい状況だが、しかし。
まったく方向性が違いそうな私の思いと、いつも絶対にあの首相のやることが重なることなんかほぼないんだ。
なぜか結論が一緒だった休校の件、嫌な予感がしたけど、やっぱりねじれていく。
ねじれが広がっていく。
3.11以降に私が感じているパラレルワールドは、やっぱりパラレルワールドだった。
それからまたねじれが枝分かれして収拾がつかなくなっていく。
私は正直、このあたりでいったん、この新型コロナウイルス関係の話に関する
自分の興味が急速にしぼんでいくのを感じた。
この先に果てしなく広がる消耗の日々が見えたから。
続きはまた、書く、かもしれない。
意外にも(私の願いがすぐに実現することなんてほとんどないんだ)
全国一斉休校の要請が首相からなされ、ほとんどの学校が翌週月曜日または火曜日くらいから休校となった。
びっくり。
でも、手放しでは喜べない。
私が休校が必要と考えていたのは、経済活動も学校も、とにかくいったんお休みして
感染の拡大を抑えることに集中すべき、と思っていたから。
中国や韓国、イタリアの緊張感ある対応の情報を見ていると、そのくらいしないとまずいと感じたから。
みんなが緊張感を持ってそれに取り組むためには、
国は「収入についてはとりあえず心配しないで、補償はします」といった対策をもちろんセットにすべき。
いったん経済が止まるとしても、命・健康・安心があれば再開できる。
あ、もちろん私は経済や政治に詳しくないので、感覚でものを言っています。
3.11までは「詳しくないから」「専門家じゃないから」と何もかも黙っていました。
でも、3.11以降の「専門家」の色々ぶりを見て。
つまり、生活者の味方の人もいれば、数字だけ考えて感覚が伴ってない人もいれば、
悪意を持って生活者を敵視する人もいれば、お金をもらって嘘を言う人もいるのだとわかったので。
私は私で、専門家でない生活者として、感じたことや考えたことを口にするほうがいい、と思うようになった。
「合ってる」「間違ってる」じゃなくて、私には今はそう見える、感じられるということの、まずは記録。
それは無意味じゃない。黙っているよりはいい。
さて、あの首相は、命・健康・安心を守るとかそういった話とは視点が全然違って、どこまでいっても「国民の安全とか安心とか利益・不利益といったことには興味がない。
それはこれまでの動きを見ていればまったく自信を持って言える。
一般的には政治家は、内心どう思っていようと、建前では有権者のことを考えているというポーズをとるものだと思うが、彼はそれをしない。
何をするにしても自分をどうやってよりよく見せるかということに力点がある。
あの電撃休校要請の件は、クルーズ船の不手際があってから、支持率も下がってきたところ、国際オリンピック委員会(IOC)の委員からオリンピックできないかもといわれ、焦りだしたということかなと思った。
IOC古参委員 コロナ収束しなければ5月末に五輪中止の判断 日刊ゲンダイDIGITAL 公開日:2020/02/26 12:33 更新日:2020/02/26 16:16
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/269586
そうでなければ、それまで醸されていた「大半の人は軽症で済むから心配不要」という雰囲気と全然かみ合わないことの説明がつかない。
木曜日に突然言い出し、文科省も現場も何も知らなかったというのもすさまじい。
市民にも危機感がそこまで広がっていなかったところにいきなり言い出したので、
子どもを一人で家に置いておけない、などと批判が巻き起こり、
今まで気づかなかったり見過ごしてきた人も、
あの首相ではまずいのではと思い始めたかもしれない。
あるいは、これまでは「政治的なことはちょっと」といって黙っていた人たちも、
これはいくらなんでも、と怒りを表明しだしたり。
彼に早く辞めてもらわないとストレスが溜まって仕方がない私にとっては喜ばしい状況だが、しかし。
まったく方向性が違いそうな私の思いと、いつも絶対にあの首相のやることが重なることなんかほぼないんだ。
なぜか結論が一緒だった休校の件、嫌な予感がしたけど、やっぱりねじれていく。
ねじれが広がっていく。
3.11以降に私が感じているパラレルワールドは、やっぱりパラレルワールドだった。
それからまたねじれが枝分かれして収拾がつかなくなっていく。
私は正直、このあたりでいったん、この新型コロナウイルス関係の話に関する
自分の興味が急速にしぼんでいくのを感じた。
この先に果てしなく広がる消耗の日々が見えたから。
続きはまた、書く、かもしれない。
2020年02月26日
怖がることについて
(2020/2/22のツイートとそこからの発展)
2/18(火)
クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫の実態についての岩田健太郎医師による告発動画がyoutubeにアップされ、その後、怒ってたのが橋本岳厚生労働副大臣、岩田医師を船に入れたのが高山義浩医師とわかったり、登場人物たちが明らかになった。
それまで全然知らなかった人たちだが、ネットで発信をしてくれているので、前後の発言なども見ることができる。
こういうことはtwitterやfacebookのない時代にはなかったが、今は頻繁にあるので、昔のようにかいつまんで報じる新聞記事とかだけに頼らなくていいのは興味深いし、
世の中のことを知るツールとしては、生き生きしていておもしろい。
そうこうしてるうちに熊本市にも感染者確認、の発表(2/21(金))。
翌日、うちの子の習い事の練習は中止となった。
スポーツの大会は中止のものも予定通り開催のものもあったという。
命優先という視点の有無。
命あるのは当たり前、侵される心配は無用と信じむことほど危険なことはないと思うが、
そういった視点に立った大人のもとで子どもにスポーツをさせることが、
日本ではなかなか叶わない夢である不思議。
いよいよどれだけ引きこもっていられるかの勝負になってきた感・・・。
これから経済活動は絶望的に停滞するだろう。
とくにレジャー関係はすぐ影響があると思われる。
地震を経て、増税もあったばかりで、もともとやっとやっとなのに。
モノの製造も供給も間に合わなくなることだってありうる。
買いだめで棚に何も無くなるとか。
ウイルスについては、味や匂いがないのは放射能と同じでも、
違うのは、短期間で症状が出る(無症状の人もいるらしいが)ので多くの人が認識しやすい。
インフルエンザ他でウイルスというものについてはみんなある程度の知識があるし、
怖さも理解しやすい。
まだ治療法も確立しておらず、中国での死亡例の情報だって入ってきてるから、
普通に怖がって当たり前だと思う。
で、満を持してやっぱり出てきた「正しくおそれる」。
この用語が出てきたら要注意。
巻き込まれないようにしよう。
「お母さん、あんまり心配しすぎるとノイローゼになりますよ」とか。
しかるべきところが真に「先手先手」で動いてくれてたら
私たちがノイローゼになりかけることもないわけ。
実際には後手後手だから心底恐ろしい。
お願いしますよ。
そういわれて「あ、じゃあ、心配すぎないようにしますね」って、
水道の蛇口をひねるようにコントロールすることなんか、できるもんかい。
大体、生まれてくる前からずっと、生まれてからも、
育んでいる命を失わないようにと考えて
生きてきてるお母さんをつかまえてね、
そういうときばっかり「ノイローゼになりますよ」って、
じゃあノイローゼにならないように不安を取り除くように、
厳しい現状もごまかすんじゃなしに
正々堂々と公開してそのうえで誠心誠意、策を練って動いてくれ。
論理的な思考(と、まともな会話)をしてくれ。
そのために政治が、「国」が、あるんだから。
恐れるのに「正しさとは何か」と考えていたら死んじゃうことだってあるんだよね。
ばかばかしい。
命優先の人もお金か自分の利益優先の人も、好き勝手に発信してるんだから、
私は自分の身を守るために危ない寄りの情報が明確に否定されるまではそちらをベースに考えて、
細かい「正しさ」は、助かった後で考える。
状況が悪いことは単なる事実で、公表して振り返って改善するしかない。
「自分が怒られるかもしれないから隠す」というのは、事実と自分を切り離せてないということ。
渡航制限は、本来差別とは関係ないが、もともと差別意識ある人はそう考えない。
論理的でいられないということは、緊急時に一番危ない。
忘れられない。
3.11の後の週明けに、学校に一応欠席の連絡するか、と思って電話したら、
「どうしましたか〜?」って明るく勢いのある女性副校長に言われたこと。
続いて「みんな来てますよ!」と。
あ、こりゃ、この人たちには任せられない、と絶望と恐怖を感じた。
思い出す。
似てる。
繰り返してる。
怖。
フラッシュバック。
学校に対する根本的な不信感はこの辺り。
今まさに起きていることについての判断を自己の責任で下すことができない、
だから判断材料としての情報にも興味がないという病気に大人が侵されている。
まだ治療法も病状も確定的な情報がない段階なのにも関わらず、
より安全側に発信する人たちにはどんな意図があるのか、
注意深く背景を探る必要がある。
自分が後悔しないために。
だって歴史的に、為政者が庶民をそうやってだまして被害を広げてきた事例がたくさんあるからね。そして彼らは責任は取らない。
もちろん、信頼に足る否定があれば、危険寄りから安全寄りに戻りますよ、
そして、少しほっとする。
その繰り返し。
2/18(火)
クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫の実態についての岩田健太郎医師による告発動画がyoutubeにアップされ、その後、怒ってたのが橋本岳厚生労働副大臣、岩田医師を船に入れたのが高山義浩医師とわかったり、登場人物たちが明らかになった。
それまで全然知らなかった人たちだが、ネットで発信をしてくれているので、前後の発言なども見ることができる。
こういうことはtwitterやfacebookのない時代にはなかったが、今は頻繁にあるので、昔のようにかいつまんで報じる新聞記事とかだけに頼らなくていいのは興味深いし、
世の中のことを知るツールとしては、生き生きしていておもしろい。
そうこうしてるうちに熊本市にも感染者確認、の発表(2/21(金))。
翌日、うちの子の習い事の練習は中止となった。
スポーツの大会は中止のものも予定通り開催のものもあったという。
命優先という視点の有無。
命あるのは当たり前、侵される心配は無用と信じむことほど危険なことはないと思うが、
そういった視点に立った大人のもとで子どもにスポーツをさせることが、
日本ではなかなか叶わない夢である不思議。
いよいよどれだけ引きこもっていられるかの勝負になってきた感・・・。
これから経済活動は絶望的に停滞するだろう。
とくにレジャー関係はすぐ影響があると思われる。
地震を経て、増税もあったばかりで、もともとやっとやっとなのに。
モノの製造も供給も間に合わなくなることだってありうる。
買いだめで棚に何も無くなるとか。
ウイルスについては、味や匂いがないのは放射能と同じでも、
違うのは、短期間で症状が出る(無症状の人もいるらしいが)ので多くの人が認識しやすい。
インフルエンザ他でウイルスというものについてはみんなある程度の知識があるし、
怖さも理解しやすい。
まだ治療法も確立しておらず、中国での死亡例の情報だって入ってきてるから、
普通に怖がって当たり前だと思う。
で、満を持してやっぱり出てきた「正しくおそれる」。
この用語が出てきたら要注意。
巻き込まれないようにしよう。
「お母さん、あんまり心配しすぎるとノイローゼになりますよ」とか。
しかるべきところが真に「先手先手」で動いてくれてたら
私たちがノイローゼになりかけることもないわけ。
実際には後手後手だから心底恐ろしい。
お願いしますよ。
そういわれて「あ、じゃあ、心配すぎないようにしますね」って、
水道の蛇口をひねるようにコントロールすることなんか、できるもんかい。
大体、生まれてくる前からずっと、生まれてからも、
育んでいる命を失わないようにと考えて
生きてきてるお母さんをつかまえてね、
そういうときばっかり「ノイローゼになりますよ」って、
じゃあノイローゼにならないように不安を取り除くように、
厳しい現状もごまかすんじゃなしに
正々堂々と公開してそのうえで誠心誠意、策を練って動いてくれ。
論理的な思考(と、まともな会話)をしてくれ。
そのために政治が、「国」が、あるんだから。
恐れるのに「正しさとは何か」と考えていたら死んじゃうことだってあるんだよね。
ばかばかしい。
命優先の人もお金か自分の利益優先の人も、好き勝手に発信してるんだから、
私は自分の身を守るために危ない寄りの情報が明確に否定されるまではそちらをベースに考えて、
細かい「正しさ」は、助かった後で考える。
状況が悪いことは単なる事実で、公表して振り返って改善するしかない。
「自分が怒られるかもしれないから隠す」というのは、事実と自分を切り離せてないということ。
渡航制限は、本来差別とは関係ないが、もともと差別意識ある人はそう考えない。
論理的でいられないということは、緊急時に一番危ない。
忘れられない。
3.11の後の週明けに、学校に一応欠席の連絡するか、と思って電話したら、
「どうしましたか〜?」って明るく勢いのある女性副校長に言われたこと。
続いて「みんな来てますよ!」と。
あ、こりゃ、この人たちには任せられない、と絶望と恐怖を感じた。
思い出す。
似てる。
繰り返してる。
怖。
フラッシュバック。
学校に対する根本的な不信感はこの辺り。
今まさに起きていることについての判断を自己の責任で下すことができない、
だから判断材料としての情報にも興味がないという病気に大人が侵されている。
まだ治療法も病状も確定的な情報がない段階なのにも関わらず、
より安全側に発信する人たちにはどんな意図があるのか、
注意深く背景を探る必要がある。
自分が後悔しないために。
だって歴史的に、為政者が庶民をそうやってだまして被害を広げてきた事例がたくさんあるからね。そして彼らは責任は取らない。
もちろん、信頼に足る否定があれば、危険寄りから安全寄りに戻りますよ、
そして、少しほっとする。
その繰り返し。
2020年02月25日
初期の段階で「大丈夫ですよ」という「専門家」というものの胡散臭さと、それに飛びついちゃう人が生むあつれきとその先など
(2020/2/15(土)〜2/17(月)のツイートとそこからの発展)
新型コロナウイルスのこと、日本の対応の鈍さ、日に日に心配が募りますね。
1ヶ月後はどうなってるんだろうと思いつつ(広島で演奏の予定がある・・・)。
放射能のこともそうなんだけど、命を第一に考えない「国」のせいで、
一個人がはっきりと迷惑被ってるの目の当たりにして、ほんとに、許せない。
命を第一に考えたい、子どもを守りたいお母さんが、
「頭おかしい」「心配しすぎ」とか言われる。
危機感のない大人が無自覚に子どもを危険にさらしたうえ、
心配する人を逆に非難して傷つけるというケースがあり、
構造がまったく原発事故のときと同じで恐ろしい。
怖がることを許してもらえず、
なるべく安全な側に立とうとすることすら批判され許されない。
狂気。
「ま た か」
と思う、我慢がならない。
だって、明らかに、そもそも国がごまかそうごまかそうとせずに
きちんと情報公開したり、危機的状況と認めて真剣にやれることやってれば、
一般の国民の中でこうしたこじれ方はありえないもの。
日本の得意なことは「パニックを起こさない」ことだけ。
ひとつ知りたいのは、こういった危機のときに、
パニックを抑えようとする発信が、ほかの国や地域ではあるのだろうか。
日本と同じではないだろうと思うが、あるとすればどういった形になるのか、とても気になる。
・・・とかつぶやいてた頃、熊本城マラソンがあったらしい。
中止するにはまだ騒ぎが大きくなかった、のか、あれが終わったから
感染者見つかった時も割とさくさく対策講じていけているのかなとも思われる熊本県と熊本市。
マラソン開催の頃でもすでにマスクは売り切れてたのだけどな。
道の駅には「ウイルス対策のためスタッフのマスク着用を実施しております」と貼り紙。
正しい、と思った。
だって入国の制限とかもしてないらしいし。
現場は自衛するしかない。
マラソンについては、
熊本の人は皆さんマラソンとか駅伝とかすごい好きだけど、
私はほとんど興味がなくて(というかスポーツは好きだけど興味を持つ余裕がない)、
開催日も認識してなかった。
でも、市内に住んでたら「興味ない」じゃ済まないだろう。
すぐそばを、各地からのたくさんの人が行き来する。
そして山都町からもたくさんの人がきっと行っているはず。
親が心配して行かせたくなくても、ある程度の年齢なら止められなかったりもする。
自分が走るのではなくても、
ボランティアだって割り振られた仕事があると思えば、
個人で「行きません」とは言いにくいよね。
だからそもそも主催者なりもっといえば国なり県なりが判断下せば
地域や各家庭で無駄なあつれきが生まれなくて済むのに。
あーあ、そういった類の話を原発事故に関連してもどれだけ耳にしたか。
ただでさえ思春期の子を育てるのなんて人それぞれに苦労が違って難しいのに
そのうえに放射能、さらにまた国の無策とか無責任が追い打ちをかける。
子どもの反抗期はいたしかたない、と言いたくても、問題が深刻すぎて
親は「どうしても」という気持ちになり、余計こじれる。
さて、こじらせる要因について。
今回のウイルスの例でいえば、
新型コロナウイルス怖いなーっていう情報がたくさん出てきてる一方で、
「コロナウイルスは弱い。騒ぎすぎ」とか、
不安に駆られた人が見たらほっとして飛びつきたくなる発信もある。
取り返しのつかない事態になった時に振り返って
どちらをベースに行動すると後悔が少なくて済むかを考えたら迷わない。
情報が錯綜してる段階ではね。
「自分の身を守るためにはどの情報をベースに行動するべきか」と考えるでしょ。
まだわからない部分が多いときには、
最大限危険から離れておくためには、
一番危ないといってる情報をベースにするのが安全よね。
そのうち情報が増えてきたら、緩めればいいんだから。
それは危険情報の妄信とは違うし、
当然「そんな恐ろしいものでないといいな」と願っていて、
情報収集し判断を修正していく用意はあるわけ。
だけどさ、日本は真偽を見極めてからっていうプロセスを飛ばして、
とにかく「騒ぎを小さく」したがるから、
「大丈夫ですよ」が、ほんとに大丈夫なのか実に怪しい。
初期の段階で「大丈夫ですよ」っていう「専門家」というものの胡散臭さ。
反対に、ものすごい大げさに言いすぎてたり、
例えば過去の写真を混ぜたりなんかして発信して、
混乱させてるような人もいると思う。
ある程度以上の検証は素人には無理なので、
常々どの情報も鵜呑みにはしないぞという心構えはもちろん、ネットに触れる以上は基本。
そんなこと色々考えながらいるわけであって、
「デマを鵜呑みにしないでください」とかいわれると、
してないよ、って思うんだよね。
「う〜ん、これはどうかな」と思って判断保留で待ってると、
そのうち否定されたり証明されたりする。
それで日々情報を更新して判断を変えていく。
大きな力で「隠そう、ごまかそう」という動きがある以上、
個々人はそのようにして情報収集し、考えて生き抜いていくしかないんだもの。
新型コロナウイルスのこと、日本の対応の鈍さ、日に日に心配が募りますね。
1ヶ月後はどうなってるんだろうと思いつつ(広島で演奏の予定がある・・・)。
放射能のこともそうなんだけど、命を第一に考えない「国」のせいで、
一個人がはっきりと迷惑被ってるの目の当たりにして、ほんとに、許せない。
命を第一に考えたい、子どもを守りたいお母さんが、
「頭おかしい」「心配しすぎ」とか言われる。
危機感のない大人が無自覚に子どもを危険にさらしたうえ、
心配する人を逆に非難して傷つけるというケースがあり、
構造がまったく原発事故のときと同じで恐ろしい。
怖がることを許してもらえず、
なるべく安全な側に立とうとすることすら批判され許されない。
狂気。
「ま た か」
と思う、我慢がならない。
だって、明らかに、そもそも国がごまかそうごまかそうとせずに
きちんと情報公開したり、危機的状況と認めて真剣にやれることやってれば、
一般の国民の中でこうしたこじれ方はありえないもの。
日本の得意なことは「パニックを起こさない」ことだけ。
ひとつ知りたいのは、こういった危機のときに、
パニックを抑えようとする発信が、ほかの国や地域ではあるのだろうか。
日本と同じではないだろうと思うが、あるとすればどういった形になるのか、とても気になる。
・・・とかつぶやいてた頃、熊本城マラソンがあったらしい。
中止するにはまだ騒ぎが大きくなかった、のか、あれが終わったから
感染者見つかった時も割とさくさく対策講じていけているのかなとも思われる熊本県と熊本市。
マラソン開催の頃でもすでにマスクは売り切れてたのだけどな。
道の駅には「ウイルス対策のためスタッフのマスク着用を実施しております」と貼り紙。
正しい、と思った。
だって入国の制限とかもしてないらしいし。
現場は自衛するしかない。
マラソンについては、
熊本の人は皆さんマラソンとか駅伝とかすごい好きだけど、
私はほとんど興味がなくて(というかスポーツは好きだけど興味を持つ余裕がない)、
開催日も認識してなかった。
でも、市内に住んでたら「興味ない」じゃ済まないだろう。
すぐそばを、各地からのたくさんの人が行き来する。
そして山都町からもたくさんの人がきっと行っているはず。
親が心配して行かせたくなくても、ある程度の年齢なら止められなかったりもする。
自分が走るのではなくても、
ボランティアだって割り振られた仕事があると思えば、
個人で「行きません」とは言いにくいよね。
だからそもそも主催者なりもっといえば国なり県なりが判断下せば
地域や各家庭で無駄なあつれきが生まれなくて済むのに。
あーあ、そういった類の話を原発事故に関連してもどれだけ耳にしたか。
ただでさえ思春期の子を育てるのなんて人それぞれに苦労が違って難しいのに
そのうえに放射能、さらにまた国の無策とか無責任が追い打ちをかける。
子どもの反抗期はいたしかたない、と言いたくても、問題が深刻すぎて
親は「どうしても」という気持ちになり、余計こじれる。
さて、こじらせる要因について。
今回のウイルスの例でいえば、
新型コロナウイルス怖いなーっていう情報がたくさん出てきてる一方で、
「コロナウイルスは弱い。騒ぎすぎ」とか、
不安に駆られた人が見たらほっとして飛びつきたくなる発信もある。
取り返しのつかない事態になった時に振り返って
どちらをベースに行動すると後悔が少なくて済むかを考えたら迷わない。
情報が錯綜してる段階ではね。
「自分の身を守るためにはどの情報をベースに行動するべきか」と考えるでしょ。
まだわからない部分が多いときには、
最大限危険から離れておくためには、
一番危ないといってる情報をベースにするのが安全よね。
そのうち情報が増えてきたら、緩めればいいんだから。
それは危険情報の妄信とは違うし、
当然「そんな恐ろしいものでないといいな」と願っていて、
情報収集し判断を修正していく用意はあるわけ。
だけどさ、日本は真偽を見極めてからっていうプロセスを飛ばして、
とにかく「騒ぎを小さく」したがるから、
「大丈夫ですよ」が、ほんとに大丈夫なのか実に怪しい。
初期の段階で「大丈夫ですよ」っていう「専門家」というものの胡散臭さ。
反対に、ものすごい大げさに言いすぎてたり、
例えば過去の写真を混ぜたりなんかして発信して、
混乱させてるような人もいると思う。
ある程度以上の検証は素人には無理なので、
常々どの情報も鵜呑みにはしないぞという心構えはもちろん、ネットに触れる以上は基本。
そんなこと色々考えながらいるわけであって、
「デマを鵜呑みにしないでください」とかいわれると、
してないよ、って思うんだよね。
「う〜ん、これはどうかな」と思って判断保留で待ってると、
そのうち否定されたり証明されたりする。
それで日々情報を更新して判断を変えていく。
大きな力で「隠そう、ごまかそう」という動きがある以上、
個々人はそのようにして情報収集し、考えて生き抜いていくしかないんだもの。
休校について
どうしても延期できない用事で出かけた人から、
熊本も大阪も、人が少ない、と聞いた。
電車では感染についての注意を流してるって。
放射能のときとは違うんだな、と思った。
新聞でもテレビでも、新型コロナウイルスの話はがんがん扱ってますね。
これはもしかして、あの裸の王様もそろそろ終わらせられるんじゃないのかな、と期待。
あの人があそこにいると、ほんとに私、苦しいから。
予防のためには諸外国にならって、国が全国的に休校を指示すべきだ、という意見を
新聞社に伝えてみたら、
今の状況だと、むしろ中国にいるほうが安全だと、中国内の支局ではそんな話も聞こえてくるらしいと教えてくれた。
だよね・・・。
きちんとまじめに対応していれば、発信源だってそこがずっと危ないままってことはない。
対して、この日本のぐだぐださの中に飛び込みたいと願う人は当然いないはず。
どうやら
「ただの風邪なんだろ、ほとんどは死なないんだろ、それならとくに対策なんか要らないじゃん」
とたかをくくってるように見える日本の政府は、
国際的常識からだいぶ外れた対応をしてるが、
これ国じゅうに蔓延したら、
ハイリスク群といわれる高齢者や持病持ってる人とその家族はいつまで経っても安心して外出や社会生活を営むことができない。
そして家族親戚友人知人にまったくハイリスクの人いませんって人も、むしろ珍しくないですか。
で、子どもがいるってことは周囲に必ず大人がいるわけなので、どの地域でも休校は対策として有効というか必要だと思う。
だから諸外国はすぐ休校措置を取ってるんだろう。
それから、過疎地だと、
学校に通う子どもがいる家は3世代4世代同居が多いうえ、
介護施設は地域の働く場として都会とは比べものにならないウエイトを占めている。
親が介護施設勤務という家庭は多い。
核家族が多い東京や熊本市の人の頭では想像つかないと思う。
過疎地には過疎地の目線が必要。
人口は少ないが、各世代の繋がりは非常に密接というのは特徴だと思う。
家族が感染でも2週間休校にという指示を出した熊本市の教育長の判断は、
あのクルーズ船検疫の問題とかに驚き呆れていた私の目にはまぶしかった。
あれに比べれば格段に素晴らしい判断を、
しかも週が明ける前に発表というスピード感もかっこよかった。
しかし、それでもまだ不十分だと私は思う。
だって、症状がなくても感染するという情報があるわけで、「感染者が出たら」では予防にならない。
熊本市内における新型コロナウイルス感染者の発生に伴う市立学校(園)の対応について(お知らせ)
http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&type=top&id=27151
この人口密度で、これだけ感染者があちこち移動した経路なりが明らかになっていて行動や接触者をすべて追うのも追いつかないみたいな状況になっているのであれば、いったん全国的に休校にするのは、全然大げさな話じゃないと思う。
ほんとは国がそれを指示してほしい。
そしたら自治体や各学校で悩んだり保護者の反発を心配したりして時間を浪費しなくて済む。
でもそれがないなら、仕方ないので
自治体や学校で、それぞれの事情を考えて、批判を恐れず、決めてほしい。
私の住む山都町が含まれる上益城郡でも、一人感染者が出たと報道されている。
山都町は、人口が少なくて自然が豊かで、食料自給率も高くて、ひきこもるには最適なところだからこそ、熊本市教委の通知や県の考え方も参考にしながら、独自の事情を考慮に入れて、ぜひ世界標準に合わせた動きをしてほしい。
そしたら町の株も上がると思う。
かっこいいと思う。
↓これは別に北海道だからってことじゃない。どこでも起こりうる。
北海道の感染者にスクールバス運転手2020/2/24 15:36 (JST)2/24 16:37 (JST)updatedc一般社団法人共同通信社
https://this.kiji.is/604563024890823777?c=39550187727945729
↓もう一歩進めて。
「ほかの学校で出たら」じゃなくて、「感染者が出る前の」予防措置としての休校をお願いします。
感染拡大なら患者なしでも休校検討と文科相2020/2/25 08:37 (JST)2/25 08:49 (JST)updatedc一般社団法人共同通信社
https://this.kiji.is/604819945789178977
熊本も大阪も、人が少ない、と聞いた。
電車では感染についての注意を流してるって。
放射能のときとは違うんだな、と思った。
新聞でもテレビでも、新型コロナウイルスの話はがんがん扱ってますね。
これはもしかして、あの裸の王様もそろそろ終わらせられるんじゃないのかな、と期待。
あの人があそこにいると、ほんとに私、苦しいから。
予防のためには諸外国にならって、国が全国的に休校を指示すべきだ、という意見を
新聞社に伝えてみたら、
今の状況だと、むしろ中国にいるほうが安全だと、中国内の支局ではそんな話も聞こえてくるらしいと教えてくれた。
だよね・・・。
きちんとまじめに対応していれば、発信源だってそこがずっと危ないままってことはない。
対して、この日本のぐだぐださの中に飛び込みたいと願う人は当然いないはず。
どうやら
「ただの風邪なんだろ、ほとんどは死なないんだろ、それならとくに対策なんか要らないじゃん」
とたかをくくってるように見える日本の政府は、
国際的常識からだいぶ外れた対応をしてるが、
これ国じゅうに蔓延したら、
ハイリスク群といわれる高齢者や持病持ってる人とその家族はいつまで経っても安心して外出や社会生活を営むことができない。
そして家族親戚友人知人にまったくハイリスクの人いませんって人も、むしろ珍しくないですか。
で、子どもがいるってことは周囲に必ず大人がいるわけなので、どの地域でも休校は対策として有効というか必要だと思う。
だから諸外国はすぐ休校措置を取ってるんだろう。
それから、過疎地だと、
学校に通う子どもがいる家は3世代4世代同居が多いうえ、
介護施設は地域の働く場として都会とは比べものにならないウエイトを占めている。
親が介護施設勤務という家庭は多い。
核家族が多い東京や熊本市の人の頭では想像つかないと思う。
過疎地には過疎地の目線が必要。
人口は少ないが、各世代の繋がりは非常に密接というのは特徴だと思う。
家族が感染でも2週間休校にという指示を出した熊本市の教育長の判断は、
あのクルーズ船検疫の問題とかに驚き呆れていた私の目にはまぶしかった。
あれに比べれば格段に素晴らしい判断を、
しかも週が明ける前に発表というスピード感もかっこよかった。
しかし、それでもまだ不十分だと私は思う。
だって、症状がなくても感染するという情報があるわけで、「感染者が出たら」では予防にならない。
熊本市内における新型コロナウイルス感染者の発生に伴う市立学校(園)の対応について(お知らせ)
http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&type=top&id=27151
この人口密度で、これだけ感染者があちこち移動した経路なりが明らかになっていて行動や接触者をすべて追うのも追いつかないみたいな状況になっているのであれば、いったん全国的に休校にするのは、全然大げさな話じゃないと思う。
ほんとは国がそれを指示してほしい。
そしたら自治体や各学校で悩んだり保護者の反発を心配したりして時間を浪費しなくて済む。
でもそれがないなら、仕方ないので
自治体や学校で、それぞれの事情を考えて、批判を恐れず、決めてほしい。
私の住む山都町が含まれる上益城郡でも、一人感染者が出たと報道されている。
山都町は、人口が少なくて自然が豊かで、食料自給率も高くて、ひきこもるには最適なところだからこそ、熊本市教委の通知や県の考え方も参考にしながら、独自の事情を考慮に入れて、ぜひ世界標準に合わせた動きをしてほしい。
そしたら町の株も上がると思う。
かっこいいと思う。
↓これは別に北海道だからってことじゃない。どこでも起こりうる。
北海道の感染者にスクールバス運転手2020/2/24 15:36 (JST)2/24 16:37 (JST)updatedc一般社団法人共同通信社
https://this.kiji.is/604563024890823777?c=39550187727945729
↓もう一歩進めて。
「ほかの学校で出たら」じゃなくて、「感染者が出る前の」予防措置としての休校をお願いします。
感染拡大なら患者なしでも休校検討と文科相2020/2/25 08:37 (JST)2/25 08:49 (JST)updatedc一般社団法人共同通信社
https://this.kiji.is/604819945789178977
新型コロナウイルスからの刺激
新型コロナウイルスのことで、どうしても3.11の後のことを思い出し、
たくさんツイートをしている。
私、強気でいるようだけど、
本来優柔不断で、怖がり、人見知り(うちの子はじめ、今や信じてくれない人もいるが)。
ほんのつい最近まで、自分の軸はあっても、
社会に刷り込まれ自分でも刷り込みなおし続けてきた、
人の評価を気にしすぎる呪いのようなもの、
また、善悪・正誤二元論にすごく縛られていて、
怖くて、落ち着かなかった。
しかし、とくに20代からの体験と、3.11とその後を経て、
色々と定まってきた。
そして、今回の件は、3.11のときの混乱と共通してる、と、頭より体が反応して、
思考がどんどん巡りだして吐き出さずにはおれない。
ブログは最近ほぼお休みしていたけれども、
自分の内から突き上げてくるものを、貼り付けておこう。
そもそもツイッターはブログのネタ帳みたいな感じで使っていたのだ。
このあと連投するつもり。
たくさんツイートをしている。
私、強気でいるようだけど、
本来優柔不断で、怖がり、人見知り(うちの子はじめ、今や信じてくれない人もいるが)。
ほんのつい最近まで、自分の軸はあっても、
社会に刷り込まれ自分でも刷り込みなおし続けてきた、
人の評価を気にしすぎる呪いのようなもの、
また、善悪・正誤二元論にすごく縛られていて、
怖くて、落ち着かなかった。
しかし、とくに20代からの体験と、3.11とその後を経て、
色々と定まってきた。
そして、今回の件は、3.11のときの混乱と共通してる、と、頭より体が反応して、
思考がどんどん巡りだして吐き出さずにはおれない。
ブログは最近ほぼお休みしていたけれども、
自分の内から突き上げてくるものを、貼り付けておこう。
そもそもツイッターはブログのネタ帳みたいな感じで使っていたのだ。
このあと連投するつもり。
2019年11月23日
「歌の帆 整体」始動
今年の7月まで坂田道音先生の快医学セミナーを受講。
9月に御船でレベルアップセミナーという名の合宿にも参加。
11月頭には広島でフォローアップセミナーに参加してきました。
4月に介護施設の経理の仕事を辞めました。
事務の仕事はとても好き。本当に好き。
でも、結局誰かをサポートするという役割以上にはならない。
それから、思春期の子どもたちの揺れ具合が、両立が無理なほどだった。
いつもブルドーザーみたいにがんばるだけはがんばっているけど
お金を得るのはほんとに下手な私(いや、日本社会時給低すぎでしょとも思うんだけど)。
子どもの学費を稼がなくちゃと思ってフルタイムで働いたが子どもがバランスを崩し、
子ども優先と思って、無計画に無職になった。
この際、学びたいやりたいと思っていたことをさせてもらう時間にすると決めて
両親にも大いに頼らせてもらい。
歌と、その他、自分にできることを組み合わせて
自分のペースを守りやすい働き方生き方に近づこうと思った。
結果、とても大きな財産を手にしたと思う。
まだ、これからも学びが続く。
施術をするのは楽しい。
人の体に触らせてもらうのが喜び。
そして何しろ、快医学をやっている人の幅が広くておもしろい。
個性が立ってない人がいない。
オーラが見える人からスポーツ出身の人、西洋医学の専門家さんたちも。
アロマとかヨガの人もいるし、私みたいに体のことはまったく初めての人も。
どの分野とも矛盾しなくて補い合えるというか。
関わっている人たちも、強い個性の人たちなのに押し付けが一切なく、
お互いに敬意を持ってそこにいる。
素敵な人たちと知り合うことができて、
しかもなんだか、打てば響くというか、
合宿の夜に歌を披露したら、説明までもものすごく興味津々で聴いてくださり、
発声練習みんなでしてみたらやたらに声が出まくる
さすがに体と心の「開いた」人たち。
広島の講座参加してみようかなと合宿で知り合った方に相談したら
じゃ、ライブも企画するね!と言ってくださって、
とんとん拍子に遠方ライブが実現したり。
感謝感激、楽しくなってきた。
そんな数ヶ月の間、家族や友人知人に施術をしてまいりまして、
たまたま近頃始まった地域通貨のイベント「で〜ら祭」に誘ってもらったこともあり
どぎまぎと出店してみたりもし、ついに、やっと、整体の屋号を決めたのでありました。
歌の帆(ウタノホ)整体。
モンゴル民謡を歌っていて、異文化の歌をなぜ私が歌うのか、
説明できないななどとうっすら不安だったような頃にいただいたことばで、
「連綿と続く人の営みの記憶を乗せた船としての歌を更に次の港へと進ませる帆のようだ」
というのがあり、そうか、帆かあ、とやたらに腑に落ち、
以来そのイメージは私のなかの一本の柱になっている。
自分で何か立ち上げるときにはこれだなと思っていたので、「歌の帆」。
帆だって
整体と歌って別分野に見えるかもしれないけれど、
私の中では体の扱いを学ぶという点でまったくしっかり繋がっている。
歌うことで体の扱いの感覚に興味を持ってきた自分が整体に関わるうえでは、
私なりの切り口としては、歌から得たものを生かすのが一番よさそうと感じている。
というわけで例によって長くなりましたが、
つまり、モニター募集中です。
お近くの方、ご予約くださいませ〜。
私としてはとくに、
自身のケアをおろそかにして首肩腰膝がつらいなどというお母さんを
ほぐしたくてたまりません。
よろしくお願いします。
*****
<歌の帆 整体>
快医学
・操体(そうたい)法
楽なほうに動かして痛みや違和感を緩和。
・頭蓋仙骨(とうがいせんこつ)療法
やさしく触れるだけで全身がリラックス。
・温熱療法
内臓や筋肉を温めて緊張をほぐします。
・LET
健康チェック
ご自宅に出張します。
関節の痛みや違和感、肩こり、頭痛、冷えなどにお悩みの方、
お気軽にご連絡ください。
対応日:月火金 17時以降/木 午前/土日応相談
モニター料金:1時間3,000円
電 話:090-8312-0722
E-mail:urtynduu@yahoo.co.jp
歌の帆整体 三枝彩子(さえぐさあやこ)
9月に御船でレベルアップセミナーという名の合宿にも参加。
11月頭には広島でフォローアップセミナーに参加してきました。
4月に介護施設の経理の仕事を辞めました。
事務の仕事はとても好き。本当に好き。
でも、結局誰かをサポートするという役割以上にはならない。
それから、思春期の子どもたちの揺れ具合が、両立が無理なほどだった。
いつもブルドーザーみたいにがんばるだけはがんばっているけど
お金を得るのはほんとに下手な私(いや、日本社会時給低すぎでしょとも思うんだけど)。
子どもの学費を稼がなくちゃと思ってフルタイムで働いたが子どもがバランスを崩し、
子ども優先と思って、無計画に無職になった。
この際、学びたいやりたいと思っていたことをさせてもらう時間にすると決めて
両親にも大いに頼らせてもらい。
歌と、その他、自分にできることを組み合わせて
自分のペースを守りやすい働き方生き方に近づこうと思った。
結果、とても大きな財産を手にしたと思う。
まだ、これからも学びが続く。
施術をするのは楽しい。
人の体に触らせてもらうのが喜び。
そして何しろ、快医学をやっている人の幅が広くておもしろい。
個性が立ってない人がいない。
オーラが見える人からスポーツ出身の人、西洋医学の専門家さんたちも。
アロマとかヨガの人もいるし、私みたいに体のことはまったく初めての人も。
どの分野とも矛盾しなくて補い合えるというか。
関わっている人たちも、強い個性の人たちなのに押し付けが一切なく、
お互いに敬意を持ってそこにいる。
素敵な人たちと知り合うことができて、
しかもなんだか、打てば響くというか、
合宿の夜に歌を披露したら、説明までもものすごく興味津々で聴いてくださり、
発声練習みんなでしてみたらやたらに声が出まくる
さすがに体と心の「開いた」人たち。
広島の講座参加してみようかなと合宿で知り合った方に相談したら
じゃ、ライブも企画するね!と言ってくださって、
とんとん拍子に遠方ライブが実現したり。
感謝感激、楽しくなってきた。
そんな数ヶ月の間、家族や友人知人に施術をしてまいりまして、
たまたま近頃始まった地域通貨のイベント「で〜ら祭」に誘ってもらったこともあり
どぎまぎと出店してみたりもし、ついに、やっと、整体の屋号を決めたのでありました。
歌の帆(ウタノホ)整体。
モンゴル民謡を歌っていて、異文化の歌をなぜ私が歌うのか、
説明できないななどとうっすら不安だったような頃にいただいたことばで、
「連綿と続く人の営みの記憶を乗せた船としての歌を更に次の港へと進ませる帆のようだ」
というのがあり、そうか、帆かあ、とやたらに腑に落ち、
以来そのイメージは私のなかの一本の柱になっている。
自分で何か立ち上げるときにはこれだなと思っていたので、「歌の帆」。
帆だって
整体と歌って別分野に見えるかもしれないけれど、
私の中では体の扱いを学ぶという点でまったくしっかり繋がっている。
歌うことで体の扱いの感覚に興味を持ってきた自分が整体に関わるうえでは、
私なりの切り口としては、歌から得たものを生かすのが一番よさそうと感じている。
というわけで例によって長くなりましたが、
つまり、モニター募集中です。
お近くの方、ご予約くださいませ〜。
私としてはとくに、
自身のケアをおろそかにして首肩腰膝がつらいなどというお母さんを
ほぐしたくてたまりません。
よろしくお願いします。
*****
<歌の帆 整体>
快医学
・操体(そうたい)法
楽なほうに動かして痛みや違和感を緩和。
・頭蓋仙骨(とうがいせんこつ)療法
やさしく触れるだけで全身がリラックス。
・温熱療法
内臓や筋肉を温めて緊張をほぐします。
・LET
健康チェック
ご自宅に出張します。
関節の痛みや違和感、肩こり、頭痛、冷えなどにお悩みの方、
お気軽にご連絡ください。
対応日:月火金 17時以降/木 午前/土日応相談
モニター料金:1時間3,000円
電 話:090-8312-0722
E-mail:urtynduu@yahoo.co.jp
歌の帆整体 三枝彩子(さえぐさあやこ)
2019年07月23日
20190721参議院選挙結果の私なりの受け止め方
近頃、魅力的な候補者があちこちで立候補されるようになり、
ネットで全国の様子を知ることができるので、
私は手軽にツイッターで読みかじって希望を感じています。
今回の参院選の感想、メモしておきます。
山本太郎は議席を得られず、残念でしたが、
彼は綿密に場合分けして戦略を練っていたと感じられますので、
あまり落胆することではないのだろうなと思っています。
全体として、とても希望の持てる結果だったと思います。
低投票率だとたいてい与党に有利なのにも関わらず、
与党は今まで持っていた議席を大幅に減らして、
参院全体で今までは3分の2を握っていたのが、
自民単独では過半数を取れていないとのこと。
これで、今までのような横暴は許されなくなります。
権力者を縛るための憲法を、
権力者自らが「改憲したい」ということ自体がおかしいのですが、
その流れへのブレーキとなったと思います。
れいわのことについていえば、
重度障害者二人をいっぺんに国会に送り込んだことで、
物理的に国会に変化を当然起こしますし、
常に他の議員さんが彼らを目にすることで、精神的な面にも変化が起きるでしょう。
山本太郎は落選議員として史上最多の百万票近くを獲得したそうです。
四億円という庶民からの寄付金が集まったこととあわせ、
これに自信をつけて、次に衆院選挙があるときは、
また勢いのある闘いをしてくれると思います。
今回立候補した方々も、
認知度が上がったところで再挑戦する方もあるのではと期待します。
今後が楽しみです。
負け惜しみでなく、私は希望をもらいました。
引き続き注目していきます。
山本太郎は党首としてテレビなどでも今後は扱ってもらえるようになったということなので、
もっと認知度が上がって力をつけていくと思います。
熊本のあべ広美さんは残念でしたが、
確実に浸透はしてると思うのです。
大変なことなので気軽にはいえないけれど、
できることならまた挑戦してほしいなと思います。
お隣の大分は、自民を野党共闘候補が破りました。
野党共闘の一人区では全国で10人当選したそうです。
野党共闘も試行錯誤しながらもこなれてきているなと思います。
私にとってはかつてないほど応援のしがいのある選挙でした。
通ってほしかったけれども叶わなかった方も、
それぞれの場で、か、次回選挙で、か、活躍されることと思います。
立候補自体がものすごく体に負担がかかることで、
通常の状態に戻るまで時間がかかることもあると聞きました。
立候補された方々も応援の方々も、
本当におつかれさまでした。
私は、政治の話を普段からみんながする世の中にしていきたいなと思っています。
どんな工夫があるかなと知恵を絞り、いいものを取り入れながら。
立場の違いを表明されたときに、
自分をまるごと否定されたと誤解してしまうような人が日本には多いけど、
その思考回路をなんとかほぐしてもっと柔軟にできるといいなと思います。
「へえー、なるほど、そんな考え方もあるのね。
で、私はこうだよ。でもあなたの意見の中のそれはいいね。」
って認めて伝え合うことを繰り返しながら前進するのが理想です。
ふだん私も「わからない人にはわからない」という、子どもの頃から培ってきた
「大いなる諦め」のもとにとても遠慮してしまっているけれど、
今回はfacebookで繋がっていない人へ、LINEでメッセージを送ってみたり、
年賀状をやり取りしている人へ公選ハガキを書いたりしました。
迷惑に感じられる方がいらしたらごめんなさい。
でも、これをきっかけに気軽な政治のお話ができたらいいなとの思いからのことです。
ご理解いただけたらうれしいです。
反応をくださった方々、ありがとうございました。うれしかったです。
ネットで全国の様子を知ることができるので、
私は手軽にツイッターで読みかじって希望を感じています。
今回の参院選の感想、メモしておきます。
山本太郎は議席を得られず、残念でしたが、
彼は綿密に場合分けして戦略を練っていたと感じられますので、
あまり落胆することではないのだろうなと思っています。
全体として、とても希望の持てる結果だったと思います。
低投票率だとたいてい与党に有利なのにも関わらず、
与党は今まで持っていた議席を大幅に減らして、
参院全体で今までは3分の2を握っていたのが、
自民単独では過半数を取れていないとのこと。
これで、今までのような横暴は許されなくなります。
権力者を縛るための憲法を、
権力者自らが「改憲したい」ということ自体がおかしいのですが、
その流れへのブレーキとなったと思います。
れいわのことについていえば、
重度障害者二人をいっぺんに国会に送り込んだことで、
物理的に国会に変化を当然起こしますし、
常に他の議員さんが彼らを目にすることで、精神的な面にも変化が起きるでしょう。
山本太郎は落選議員として史上最多の百万票近くを獲得したそうです。
四億円という庶民からの寄付金が集まったこととあわせ、
これに自信をつけて、次に衆院選挙があるときは、
また勢いのある闘いをしてくれると思います。
今回立候補した方々も、
認知度が上がったところで再挑戦する方もあるのではと期待します。
今後が楽しみです。
負け惜しみでなく、私は希望をもらいました。
引き続き注目していきます。
山本太郎は党首としてテレビなどでも今後は扱ってもらえるようになったということなので、
もっと認知度が上がって力をつけていくと思います。
熊本のあべ広美さんは残念でしたが、
確実に浸透はしてると思うのです。
大変なことなので気軽にはいえないけれど、
できることならまた挑戦してほしいなと思います。
お隣の大分は、自民を野党共闘候補が破りました。
野党共闘の一人区では全国で10人当選したそうです。
野党共闘も試行錯誤しながらもこなれてきているなと思います。
私にとってはかつてないほど応援のしがいのある選挙でした。
通ってほしかったけれども叶わなかった方も、
それぞれの場で、か、次回選挙で、か、活躍されることと思います。
立候補自体がものすごく体に負担がかかることで、
通常の状態に戻るまで時間がかかることもあると聞きました。
立候補された方々も応援の方々も、
本当におつかれさまでした。
私は、政治の話を普段からみんながする世の中にしていきたいなと思っています。
どんな工夫があるかなと知恵を絞り、いいものを取り入れながら。
立場の違いを表明されたときに、
自分をまるごと否定されたと誤解してしまうような人が日本には多いけど、
その思考回路をなんとかほぐしてもっと柔軟にできるといいなと思います。
「へえー、なるほど、そんな考え方もあるのね。
で、私はこうだよ。でもあなたの意見の中のそれはいいね。」
って認めて伝え合うことを繰り返しながら前進するのが理想です。
ふだん私も「わからない人にはわからない」という、子どもの頃から培ってきた
「大いなる諦め」のもとにとても遠慮してしまっているけれど、
今回はfacebookで繋がっていない人へ、LINEでメッセージを送ってみたり、
年賀状をやり取りしている人へ公選ハガキを書いたりしました。
迷惑に感じられる方がいらしたらごめんなさい。
でも、これをきっかけに気軽な政治のお話ができたらいいなとの思いからのことです。
ご理解いただけたらうれしいです。
反応をくださった方々、ありがとうございました。うれしかったです。