2018年12月31日

三枝彩子 これからの予定

※記事の日付がだいぶ先のものになっていますが、
ブログの先頭に表示させるためにこうしています。

◆7月5日(日)「スーパーローカルヒーロー」
      上映会&ミニライブイベントのお知らせ
7月5日(日)@山都町中尾児童館2F
(住所:熊本県山都町浜町30-1 0967-72-2031)
上映:10時〜  15時〜 *15時の回には託児あり。要予約。
ミニライブ:17時30分〜
入場料:一般1000円 高校生500円 中学生以下無料
*チケットあります。
主催:シネマ・ぽこあぽこ
   0967-83-0558 cinema_pocoapoco@yahoo.co.jp
★映画「スーパーローカルヒーロー」
広島県尾道市で、風変わりなCDショップ「れいこう堂」を営んでいる「ノブエさん」。店はほったらかしで西へ東へ。
「動かなければ何も伝わらない」「一人でもやる」。
感じたら、とにかく行動するのだ。
音楽と人が、人と人が、型破りでどこまでも温かいノブエさんの”ライヴ”でつながる。
あの3.11の後、ノブエさんは……
★ミニライブ出演者紹介
2011年3月11日、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故により、関東から熊本県に移住してきたアーティストによるミニライブ。
・ユイノネ(山都町)
モンゴル民謡オルティンドーの歌い手 三枝彩子。
ジャンルを超えて音を紡ぐピアニスト 須藤かよ。
二人で奏でる唯一無二の音の世界。
ときに激しく、ときにやさしく、ときに笑いも。
ユイノネ=結の音
音で 人、平和、心、地球、いろいろを結んでゆきたい。
・伊澤隆嗣(西原村)
サックス奏者。国立音楽大学在学中にJAZZに目覚め、卒業後は、レコーディング、イベント、クラブ等で演奏を重ね、国内外の演奏家との共演を重ねる。
また、銀座でのストリートライブを10年以上にわたり続けつつ、様々なジャンルの演奏家、パフォーマーとの親睦を深める。
2008年に渡米。2012年、家族と共に熊本の阿蘇に移住。
*ミニライブは投げ銭でお願いいたします!!
https://www.facebook.com/cinemapocoapoco?fref=ts

slhslh裏

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三枝彩子 これまでの演奏等

◆ユイノネ(ピアニスト須藤かよ&モンゴル民謡歌手三枝彩子)のテレビ・ラジオ出演予定

7月22日(火) FMやつしろ(13:00〜)
7月23日(水) KKTテレビ テレビタミン(16:45〜)

◆熊本ウタモン会
モンゴル民謡オルティンドーワークショップ

遊牧の暮らしが育んだ迫力の歌「オルティンドー」を歌ってみませんか?
体を鳴らしてリフレッシュしましょう♪
「声量豊かなのに腹筋がいらない」
「空気を絞り出しながら歌うのではなく、空気に支えてもらって歌う」
など、目からウロコの歌唱法です。

7/23(水)19:00〜20:30
会  場:美里町 文化交流センターひびき
リハーサル室

続きを読む

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2016年12月02日

映画「ファルージャ」「広河隆一 人間の戦場」を見たメモ

映画「広河隆一 人間の戦場」を見た。
その前に「ファルージャ」も見た。
母子避難の友人が苦労している。

いろいろつながって頭がぐるぐるする。

広河さんと『DAYS JAPAN』は私にとっては大げさでなく,心の支え。
この,とんちんかんなことばが無批判に流布して咎められもしない狂気の世の中で,
まっとうな人間として伝えるべきを伝えたいと熱意を持って行動してくれている
人たちがまだたくさんいること,
そして,そういう情報を求め,この現状に怒ったり戸惑ったり行動したりしている人たちが,
こういう雑誌がなくならないほどには,まだいること。
その事実だけで私には大きな救い。

たくさん,たくさん,書き留めておきたいことがある。
思考が広がったり繋がったりする。
ひとりでもいいから,知らない人にも繋がってほしいからこそ,
書いておくことに意味があると思う。

まとまった時間がなかなか取れないので小出しにはなると思うけれども,
吐き出さずにおれないものがいくつもあるので,
きっと書くだろう。

高遠さんも広河さんも,国外を五感でよく知っており,
日本のなかが嘘とごまかしにまみれて
みんながとんちんかんな「ギロン」で足踏みしていることなんかさしおいて,
ずっとずっとずっと先を見ている。
見越して,今しなければならないことは何かを感じてわかって,行動している。

地に足の着いた,当たり前でシンプルなことを言ってくれる。

たくさんのたくさんの圧倒的な悲しみや嘆きや戸惑いを受け止めて,
だから,ふたりとも,話すトーンが,平坦で激昂とかしない(少なくとも映画の中では)。
事実が重すぎるから,「強調」する必要なんかないんだろうと思う。
それから,いちいち感情を沸き立たせていたら追いつかないほどなんじゃなかろうかと想像する。
でも,内にはすごく強い気持ちを持っていて,
だからこそ動いていて伝えている。


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2016年11月15日

歌にまつわるお話ざっと訳:四歳の灰色の/赤毛の(/その他)馬(2)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
ふたつめのお話。
このお話は,セツェン・ハン・アイマグ(地名)の
ガンダン・ダシジンツェレン(人名)・ベイル(称号)の
オトク(行政区)のバラムサイン・セレーテルという人が最初に作ったという。
セレーテルはガンダン・ベイルの信奉する
チベットのガチン・ラマの馬群を放牧する仕事をしていたとき,
ある勇敢な(?)雌馬から灰色の(ボル)仔馬が立ったまま生まれたので,それにガンザガの印をつけた。
(その後)彼がハルハ川の馬の商人の馬群を4年間放牧していたとき,ガチン・ラマから買ってきたたくさんの馬の中に,印のついたボル馬がいた。
約束の期間が終わって商人が多額の報酬を渡そうとしたところへ,
セレーテルは「地を飛び越す(?)馬を一頭ください」と頼んだ。
商人は,「馬群から好きなのを取れ」と言った。
セレーテルが人を乗せたがらない荒馬のボルを選び取ると,
商人は何も言わなかった。
セレーテルはまったく大喜びだった。
こうして立ったまま生まれてきたガンザガの印のボル馬は,
バラムサイン・セレーテルの馬となったというわけだ。
バラムサイン・セレーテルは,ハイラースから北,
メルゲン川の近くにあるナガインタイン・ナルスから西,
ウゼムチンの地ドゥンゲネフ・オリアスタイという地の間を一日で過ぎ,
ガンダン・ベイルの家の近くを馬の速さに任せて走りすぎていくとき,
「四歳のボル」という歌を作って歌っていったという。
これらすべてに腹を立てたガンダン・ベイルは,
シリーン・サイン・エルとなってすばらしい駿馬ボルに乗った
バラムサイン・セレーテルを何年も捕まえようとしてできないことを
恨みに思い,武装した20人ほどの人に見張らせて
四歳のボル馬を撃ち殺し,(ついに)セレーテルを捕まえ,
ハルハ川のツァガーン・ウズールというところに4尋の穴を掘り,
20数ヶ月ものあいだ,食べ物も飲み物もやらずに住まわせ,餓死させたという。
こうして男の中のすばらしい男と,駿馬の中のすばらしい駿馬から生まれた
「四歳のボル」という歌が多くの人の間に広まったわけである。
また,同じころ,セツェン・ハン・アイマグのボフ・メンドの驚異的な駿馬「ボガン・ハリオン」馬がいたが,
この人の馬の名と間違えて歌われるようになった。

【メモ】
「最初に作った」という言い回しについて考える。
多くの人にいいと思って歌い継がれる歌は,
歌う人がまた歌詞を付け加えたりもしていくから,
「最初に作った」のはこの人,という言い方をする,のかしら。

エルメク・グーは「勇敢な雌馬」なのか。
仔馬が立ったまま生まれることについて詳しく知りたい。

「ガンザガの印」というのは,耳につける印の種類らしい。
ガンザガは馬具。
具体的にどんな印なのか知りたい。

ガザル・ヒトレグレフは「地を飛び越す」だろうか。

ガンダン・ベイルが怒ったのはなぜか。


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2016年11月13日

馬の毛色について:貴重なコメントいただきました

オルティンドーによく登場するけど、どう伝えていいものやら、
そもそも私自身断言できるほどよくわかってない馬の毛色。
モンゴルに行ったときにはなるべく写真を撮ったり
モンゴルでも日本でも、モンゴルの馬に詳しい人をつかまえて訊いたり
チャンスがあればあがいてはいるわけですが。

豆雑誌『隔月誌オルティンドー』(5号)では、毛色のほかのことも含めて、
モンゴル語の「色の感覚」に触れています。
私なんぞがそういう難しいテーマについて書くのはおこがましい、と
実はあの豆雑誌を作っていたときは常に迷いがあったのですが、
分からないことも多いけれど、知ったことについては触れたりアウトプットしていないと
自分のなかで死んだ知識になってしまうという焦りもある。
話し相手がいないと、もったいないことになっちゃうのです。
ということで、自分がおもしろいと感じていることを中心に書きました。
それから、書くということで自分の中で整理がつけられたこともたくさん。
キコキコ商会さんで販売していますので、リンク先を覗いてみていただけるとうれしいです。

で、毛色のひとつにハリオンというのがあります。
ちょっと驚いたのが、私の持っているモンゴル語ー英語の辞書でisabellaの一言だったのです。
画像検索すると、確かにハリオンみたいに幅のある色の馬たちが出てくる。
その英単語を英和辞典で見れば「灰黄色」。
でも、各言語でそれひとことずつでかたづけられちゃうもの?と不思議だったので、
いつものように自分用メモとしてツイートしました。

それに対してフェイスブックのほうで
山本千夏さんより、
とってもとっても大事なコメントをいただいたので
了承をいただいて貼り付けます。

オルティンドーに登場してくる毛色名たちがごろごろ出てきて、
ほんとうはそこにたどり着きたいんですよ、っていう、「感覚」の話まで。
よだれが出そうです。

山本千夏さんは、モンゴル語学科の先輩で、
モンゴルで起業して、七転八倒しながらそれでも前へ向かっていつでも
チャレンジを続けていらっしゃる壮絶人生劇場な方です。
個人のモンゴル旅行を扱うほか、モンゴルでの取材のコーディネートもされてます。
モンゴルに滞在されてる方への乗馬ツアーとかも企画されてます。
通訳・翻訳でも活躍されつつ、「草原の我が家」で遊牧もされてしまうという、
私の身の回りにほんの数人いる「人生何人分?」と確認したくなる人のひとりです。
ご自身では「モンゴルだるま@モンゴル語通訳・エコツーリズム普及仕掛け人兼業遊牧民」とおっしゃってます。

先輩のブログもぜひ覗いてみてくださいね。
新モンゴルまるかじり☆旅と暮らしの生情報☆
http://ameblo.jp/mongolnomad0/

毛色については、日本語の本で読むなら『騎馬民族の心』で触れられています。



ちなみに、モンゴル語で画像検索すると色んな写真が出てくるので(ああ、イマドキは便利だなあ!)
モンゴル語がわからなくても、ある程度の参考にはなるのでは。
競馬でおめかしした馬の写真も山ほど出てくるので、おもしろいと思います。
興味のある方は検索してみてください。
馬は морь (モリ、厳密には去勢した乗用馬のことです)。これと、各色を組み合わせて検索したらいいと思います。

хонгор (ホンゴル)
халиун (ハリオン)
хул (ホル)
шарга (シャルガ)
бор (ボル)
цагаан (ツァガーン)(毛色以外でも使われる単語「白」)
улаан (オラーン)(毛色以外でも使われる単語「赤」)
ягаан (ヤガーン)(毛色以外でも使われる単語「ピンク、紫」)
зээрд (ゼールド)
ногоон (ノゴーン)(毛色以外でも使われる単語「緑」)
хээр (ヘール)
хар хээр (ハルヘール)
хөх (フフ)(毛色以外でも使われる単語「青」)
алаг (アラグ)(まだら)
цоохор (ツォーホル)
загал (ザガル)

***********(以下、山本千夏さんのコメント)

色彩もそうだけど、馬の毛色はね・・・結構、いろんなコーデで決まってるんですよ。地方によっても全然違うし。

シャルガにしても、すごく幅が広くって、アハルテケという中央アジアの品種で「世界で一番美しい馬」って言われている有名な子がいるんだけど、そういう黄金みたいなきらっきらなのもいれば、白馬に近いのもいる。

ハリオンもそう。
ただの毛色だけじゃなくて、タテガミの色、目の色、口先(鼻先)の周りの色、足先のほう(蹄の上の脛・踵あたりの部分)までの色、地肌の色、蹄の色などとの兼ね合いで変わります。

いちいち私も、あれは、これはって聞いて、そうなんだーって。

毛色で性格が違うとも日本などでは言われるんだけど、モンゴルでは調教の際のブレイキングの仕方と血統によるものって言われてますね。

伝説的な名馬は毛色や競走馬だったころの戦績、調教師がどんな人で、誰がオーナーだったかとか、その子が日ごろ走っていた草原や川など含めて、競馬好きや調教師さんたち、少年騎手などは大体言い伝えなどでご存知です。

生活文化と歌の意味が密接してる現象のひとつですね。

体形とか目の形、額や頭の形、胸部分の盛り上がり、後ろ足の踏み込み(日本語だと「とも」っていう)なども、馬の良しあしとともに性格を見極める重要なポイントなので、オルティンドーや競走馬のマクタールなどでも表現されることが多い。

毛色については、ホンゴルとかハリオン、ホル、シャルガ、ボル、ツァガーン、オラーン(ダルハド地方では、オラーンっていっても、白馬・月毛といわれるものが多い)、ヤガーンあたりは女性が乗ったときに素敵で、足が軽い子、賢い子、平和や幸せの象徴的に
ゼールド、ノゴーン、ヘール、ハルヘール、フフなどと言われるのは、男性的で足が速い子、激しさや勇猛さの象徴
アラグやツォーホル、ザガルなどは、ちょっと珍しい(といってもどこの群にも1-2頭はいる)特徴的な子は、個性豊かで人に従順とか、そんな感じで歌や伝説の駿馬として出てきていますね。

チンギスハーンの8頭のシャルガとか、2頭のザガルなどが有名で、やっぱりそういう毛色はモンゴル人も大好き。

学生のとき、客員教授の先生を質問攻めにして、「そんならお前が調べろ」って言われたけど、あまりにバラバラ過ぎたのと、ネガポジフィルム時代で現像代でしぬー!って思って断念しちゃった。

モンゴル人同士でも、地方差や、馬のどこの部分を組み合わせて呼ぶかによっても変わるから、「そうともいう」って感じ。
馬の名前が毛色と体形、出身地や元の持ち主の名前や性格、焼き印の名称と組み合わせたものであることが多いのも、面白いよね。

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歌にまつわるお話ざっと訳:四歳の灰色の/赤毛の(/その他)馬(1)

「四歳の赤毛の馬」等と訳される、ホーミー(喉歌)の曲として有名な歌の言い伝えは、
有能すぎて殿様(的な、「長官」)に疎ましがられ、
ついにふるさとを追われてしまった男性のお話。
なんと理不尽な、と切ない。
モンゴル民謡では「ふるさとを追われた人がふるさとを想って歌う歌」も結構多い。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
一つ目のお話。
ハルハ川のホショー(旗、行政区)の長官、ガンダン(人名)・ベイル(称号)の
馬群を放牧させていたバラムサイン・セレーテルは、
すらっと背が高く、歌がうまく、
地元では有名な鍛冶職人に数えられる、才能ある若者であった。
ホショーの長官はこれを知って、
「頭の上で火打石を割られないように(やっつけられないように)」と内心恐れて、
彼を密かに締め付け始めた。

そうしているうちに、ガンダン・ベイルは、自分の妹のアリマーに、セレーテルが気があるのを知った。
それで、(知られてしまったので)セレーテルは
「ガンダン・ベイルのところからいつか逃げ出すべきだな。
あの馬群を放牧している間にどうやってか
遠くへ乗っていくための良い馬を一頭持ちたいものだ」と思っていた。

そこへ、ガンダン・ベイルの会計係のデンチンランスがセレーテルに
「お前さんはベイルの馬具につける銀の飾りを作っておくれ。
そしたらベイルの馬群の中から、ガチン・ラマのセテルをつけた茶色の馬以外の
いい馬を二頭取っていいから」と言った。
セレーテルは二つ返事で引き受けて、言われたとおりに
馬具の銀飾りをとても美しく作った。
そうして馬群の中から灰色の子馬をもらうことにした。
そのときに「4年後にどんな馬になっているかを見てくださいよ」といった。

だいぶ経って、結局、セレーテルを彼の愛する女性アリマーに会わせずに審理して(?)
彼は生まれ故郷で暮らすことができなくなった。
いよいよ自分のふるさとにいられなくなってしまったセレーテルは、
人生の新しい道へと踏み出し、灰色の馬に乗ってよそのホショー、シヴチン・バルガの土地へ向かった。
その道々作って歌った歌が「四歳の灰色の馬」である。

 (歌詞が難しすぎてパス。)
 (歌詞の一部)
 ふるさとに帰りたくても
 ガンダン・ベイルが怖い

セレーテルと、シヴチン・バルガのハーンたち、領主たちの間で生じた対立がどんどんひどくなり、
そのホショーでも暮らすことができなくなって、
セレーテルは仕方なくまた別のホショーへ向かうことになった。
そのときにバルガの人たちは次のように歌った。

 大柄のハルハが出て行った
 われらはみんな喜んだ

それに対してセレーテルは返歌を歌った。

 (全部俺が悪いのかい、的な歌詞)

それから、

 (こんなにおちぶれるなんてな、的な歌詞)

歌いながら進んでヌムルグ山にやってくると、
ふるさとの自然がずっと美しく見えて、また新しい歌詞ができた。

 山にいる鹿が
 優しい声で鳴いている
 優しい声を聞くと
 王様のホショーが想われる

さらにハルハ川の東岸にはハルハの四つの寺が見えた。

 四歳の灰色の馬は
 あぶみを踏みしめるほどの速足
 四角に並んで見えるのは
 ハルハの四つの寺だろうか
 

【メモ】
馬の毛色は、ひとつの単語でも幅がありすぎて、
ひとことで「茶色」とか「灰色」とか、
言い切れず、とても難しい。

この歌自体が、ボル、ハリオンと、別の単語を使ったバージョンがある。

毛色については、モンゴル民謡では頻出するので、
上手に説明できるようになりたいのですが、
私自身がすっきり理解し知っているわけではないのがつらい。

セテルというのは、群れの中で、
精霊というか神というか、に捧げた家畜がいて、
その印(ひもとか布を首にゆわえるみたい)。
『アローハンと羊』という絵本に、そんな羊が出てきますよ。




「審理して」って、なんだろう〜。
ちゃんと説明できるようになりたいわ。

歌詞はだいぶ省略。
以前の「ざっと訳」でもほとんど触れていないけれども、
歌詞は詳細に取り組むとやっぱり難しい。
文化的な背景を知らない人にも情景が浮かぶようにという理想を持っているけれども
私自身の知識も体験も足りないから。
おいおい深めていきたい、とは思っています。

ひどい領主や王様の話は、民謡にたくさん登場します。
権力者は、好き勝手やって庶民に嫌がられていたみたいですね。

地名がまた、イメージしにくいですが、
ハルハ川は、モンゴル国でいうと東部。
日本ではノモンハン事件として知られているのは
モンゴルでは「ハルハ川戦争」という。
検索すると色々出てきます。
どれがいいかわからないのでリンクは貼りませんが興味のある方は見てみてください。


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歌にまつわるお話ざっと訳:ガンダンオールの花 vol.2

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
この歌は、日を追うごとに歌詞が付け加えられ、後にたくさんの連になったのだと、
ハジド寺の演奏家たちのホラル(会議、集まり)で演奏していた
演奏家のD.イシドラムさんたちが話していた。
その後、植えた花は山から持ってきたものだということについて次のような歌詞が作られた。

 山のピンクの花は
 いったいどうしてしおれてしまったの
 出会ったふたりの恋人は
 いったいどうして心が離れてしまったの

秋にハジド寺の祭り(タヒルガ)があり、音楽家が全員(ガンダンオール以外)集まった。
演奏家たちは、トーラ川の岸や、柳が風に揺れるのを眺めて、
あのふたりはこの柳のところでもよく散歩していたねと話し合って、
またひとつ連が付け加えられた。

 トーラ川の柳だけが
 残って揺れている
 ぴったり合ったふたつの心が
 くたびれてしまうなんて思いもしなかった

ガンダンオールが回復して外出できるようになり、仲間たちと会うときに、
以前は美しい銀のボタンのついたデール(モンゴル服)を着ていたものだが、
ありきたりの真ちゅうのボタンのデールを着て出かけるようになった。
「君はあの美しい柄のボタンをどうしたんだい」とみんなが尋ねると、
「陣痛がきているとき、よばれてきたラマ僧が見て
『お産をする人は金や銀を身に着けないものだ。
イヤリングや指輪は外しなさい。
デールをすぐ脱ぎなさい』と急がせるものだから、
デールを脱ごうとしたけどボタンが抜けなくて、
焦ってボタンの掛け穴をぐっと引っ張ったの。」と答えた。
それでまたふたつの連が加わった。

 金のボタンの掛け穴は
 いったいどうして取れたのか
 恋するふたりの心は
 いったいどうして合わなくなってしまったのか

 銀のボタンの掛け穴は
 いったいどうして取れたのか
 思い焦がれたふたりの心は
 いったいどうして合わなくなってしまったのか

その年が過ぎ、次の年はハジド寺の春の集まりに例の若者が来た。
春になり暖かくなって、山の水が融けていた。
すぐさままた歌ができた。

 雪山の雪は
 ときがくれば融ける
 私を捨てることを知ったなら
 尼僧になることもどうしたろうか(?)

 私が妊娠したから
 心が離れてしまったの?
 息子を見にあなたが来ないから
 年老いてしまえと思われる

その若者は、以前この辺りに出入りしていたときに
ハジド寺に桶(?)を置いていったので
それを取りに来たのであった。
それで、それをからかって、また歌詞ができた。

 美しい女性を捨てるとき
 心を痛めない若者よ
 年月が経ったところで
 桶は忘れなかったのか
 

【メモ】
「ホラル」は、よく「会議」という意味で出てくる単語だけど、
お寺の場合はどんなものを指すのかを知りたい。
お寺の演奏家たちが演奏するのはいったいどんなシチュエーションの
どんな音楽なのかも知りたい。
男女問わずいたのかも詳しく知りたい。

お寺のタヒルガはどんなものかも知りたい。

トーラ川の柳の歌詞は、「沈殿する」という動詞が使われているけど、
それが、「それだけが残る」という意味になるものか確認したい。

ふたりの心が「つかれる」という単語は、
日本語では「つかれる」といわれてもピンとこない。
恋愛関係を語る上でどんな意味の広がりを持っているのか、
それとも単純にくたびれちゃったまでなのか、知りたい。

紙の辞書も、ネットの辞書も、ネットのモンゴル語モンゴル語辞書(イマドキは便利だなー)も見てみたけど、わからない(あーそもそも、とくに日本語のは、訳語は、英日辞典みたいに豊富でないので、文脈ごとに自分で考えるの。それが最初きつくてつらくて挫折してほっといた)。
保留。

センジとは、デールのボタンを受けるほうのあれということでいいのかな。

「尼僧になることもどうしたろうか」はまったく自信がない。
チャウガンツという単語は尼僧、または老婆。
この行で何が言いたいのかは、チャンスがあれば確認したいものだ。

こういう、歌詞のことで「誰かに」訊く場合、モンゴル人なら誰でもいいわけではない。
たとえば日本人だって、いきなり民謡の歌詞を持ってきて
「これってどういう意味?この時代の人たちの当たり前の感覚ってどんなの?」って
きかれたら、たいていの人は答えられないだろうけど、それと一緒。
現代の感覚で答えてもらっても、それが正確なのかどうかは保証がない。
昔からのモンゴル語のことも、歴史のことも、ある程度知識がある人に訊けるのが理想。
歌っている人たちは歌っている人たちで、言い伝えの解説ができたりするけど、
それまた、いつからそういわれているか、突き詰めていくと不正確な場合もある。
でも、研究者にはわからない大事なものがそこに含まれていたりもする。
というわけで、疑問は溜めておいて、チャンスがあったら確認する。

うらめしい相手に対しては、「年老いてしまえ」と思ってしまうものなのか。
その思考回路も興味深い。
フクシンというのは、おじいさんだったり、
現代の口語では、親しい友人や伴侶に向かって呼びかけるときにも使われてたり(それがいったいどうしてなのかも経緯を知りたい)で、ほんとよくわかんない。

歌の音源があるといいだろうと思ってyoutube検索。
最初のほうはゆっくり歌ってみたりとか少しアレンジが入ってますが、
歌が始まってからは割と普通に歌ってくれている。
とりあえず貼っておきます。

Сэлэнгэ(セレンゲ)さんの 「ガンダンオールの花  Гандан уулын цэцэг 」




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2016年11月11日

歌にまつわるお話ざっと訳:ガンダンオールの花 vol.1

で,やっと。
子守歌関係の訳から解放されました(笑)
6つもあると,さっさと次に行きたい衝動に駆られます。
法律事務に携わっているものとしては,なかなか許しがたい(苦笑)若者が登場するお話の始まり始まり。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
この歌は,19世紀の終わりごろ,大フレー(ウランバートルは昔フレーと呼ばれていた)で生まれた。
ガンダンオールという女性が1940何年までウランバートル市に住んでいた。
ボグド山のザイサン(ウランバートルを見下ろせる丘)の入り口,現在の農牧業大学があるところに,1939年まではナル・ハジド寺という寺があった。
ナル・ハジド寺にはたくさんの楽器奏者がいたが,ガンダンオールはそのうちのひとりだった。
彼女は山から色とりどりの美しい花を根っこごと持ってきて寺の敷地に植え,水をやって育てていた。
この頃ある若者がガンダンオールと仲良くなって花に一緒に水をやり,そこで椅子に座って暗くなるまで過ごしていたそうだ。
そのふたりは,トーラ川の柳のところへご飯とお茶を用意して何度も遊びに行っていた。
そうしているうちにガンダンオールは妊娠して,(体調を崩し,)外出もできないようになり,家で横になっていた。
そんなときに若者は来なくなってしまった。
ガンダンオールはお産のときに何日も陣痛があるのにお産が進まないので,ズーン・フレー・ノヨン・アイマグ(?)の高僧,ロヴサンツェレンを呼んだ。その僧がいろいろな方法を使って,やっとのことでお産ができ,息子が生まれた。
それからというもの,僧ロヴサンツェレンとガンダンオールが密かに関係をもつようになったという噂もあったそうだ。
後にガンダンオールは息子のトゥヴデンをガンダン寺に入れて僧にしたという。
ガンダンオールのお産のあいだ,花に水をやって世話をするものがおらず,雨も降らずに乾いてしまったため,花はしおれ,また,ガンダンオールにくっついて離れなかった恋人も姿を消してしまった。
そのことについてこんな歌詞が生まれ,歌の最初の連となった。

 ガンダンオールの花は
 いったいどうしてしおれてしまったのか
 求めあったふたつの心は
 いったいどうしてすれ違ってしまったのか

<つづく>

【メモ】
全体的に,現代に近い時代のことが語られているせいもあるのかもしれませんが,
生々しい「噂話」っぽい印象。

旧地名とか,寺の名前とか,寺関連でのイベントについてとか,知ってないと訳すのが難しいなー・・・。
とはいえ,「ざっと訳」なので,とりあえず大意から。

ザイサンの丘について,われらがモンゴル語学科の先輩,モンゴルで会社経営されている山本千夏さんの記事へリンクしておきます。
躍進の街ウランバートルを見渡そう。ザイサンの丘展望台


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2016年11月10日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(6)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
ユンデン・ザサグ(行政の肩書)の時代にダンザンという人が暮らしていた。
そこのうちにはドルジンの娘ヤガーンダリという美しい女性が召使として仕えていたという。
その女性の美しさを称えるとすれば

 筆のような指
 書物のような賢さ
 色で驚かせる虹のように
 羽で驚かせるクジャクのように

 光で驚かせる太陽のように
 澄み渡って驚かせる鏡のように
 顔は目で満たされ
 姿かたちはソーダル(?)で満たされている

というように美しい女性であった。
それで,悪い心を持ったダンザンは,貧しい召使のドルジンのヤガーンダリを小妃(?)にしようという考えを抱いて,彼女の愛する恋人を,遠い他所の土地へ無期限の公務に就かせ,生き別れの悲しみに突き落とした。
愛する伴侶を失ったヤガーンダリは端切れのように小さなみなしごの(お父さんのいない)子を抱いて子守歌を歌った。
賢いわれらが人民は(と社会主義めいた物言いの直訳をしてみる)受け継いできたのがこれであるとな。

(旧マニバザル公のホショー,現在のホブド県のツェツェグ・ソム(村)の「ツェツェグレフ」ネグデル(生産単位)の構成員サンジミャタウ・ラクチャーから聞き取ったバージョンである)

【メモ】
日本語で流れるように訳すのが難しい。
美しさや賢さのたとえが興味深いので直訳で訳しましたが,
ソーダルって,なんだろうなあ。
普通なら,椅子。
ちょっと調べたいですが,このまま公開。
バガ・ハタンを,仮で「小妃」としましたが,第二夫人とか,そういうこと?
訳すのに適した語があるなら知りたい。
お母さんはいるのに「みなしご」扱いになるのが興味深い。
ネグデルという単語が出てきているのだから,やはり社会主義時代の聞き取りなのかな。



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2016年11月09日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(5)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
子守歌の言い伝えの中には,ブーウェイという勇者と関係のあるものもある。

たとえば,オイラト(部族名)たちがハルハ(部族名)の勇者ブーウェイを襲ったので
子どもを救うためにとても大きなぶかぶかの皮のデール(モンゴル服)を作って
毛皮のデールの左の袖に(子どもを)入れて右の袖と一緒に手を振って
体を揺らして「ブーウェイ,ブーウェイ」とあやしていたといわれている。
これから子守歌が始まったという。

また,ブーウェイという有名な勇者が生まれ
(人々を)驚かせたので,そのときから子どもをそんな強い英雄になってほしいという願いを込めて
ブーウェイと歌うようになったのだという言い伝えもある。

【メモ】
前半のお話は,もう少し詳しい描写がほしい・・・。
「サイン・エル」は「勇者」でいいのかな。
このお話の後半の「サイン・エル」は説明がないのでよくわからないけれども,
領主などの圧政に対抗して,家族を捨てて草原に身をひそめ,
富めるものから家畜などを奪って貧しいものに配ったという「よい盗賊」の話は
事実に基づいているらしいものがいくつかあって,
そういう人たちを「サイン・エル」(直訳すると「よい男」)という。
日本でいえばネズミ小僧みたいな。
なんていうとしっくりくるのかしらん。

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2016年10月31日

報告:20161030蘇陽でモンゴル料理とオルティンドーを楽しむ会

第二回蘇陽でモンゴル料理とオルティンドーを楽しむ会も楽しくおいしくできました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました。

ホーショールを、山ほど作りました。
今後、万が一イベントでモンゴル料理店を出すとか、
モンゴル料理レストランを開店したとしても、
お手伝い要員は確保できる自信があります(笑)
それほどスパルタ式(?)に、延ばして、包んで、揚げまくりました。
身内も私も、未就学児も入れて12人でこぢんまりと。
コツがわかるまではなかなか難しい包み方も、だんだんと皆さんそれらしくなってきて。
珍しくうちの息子も乗り気で作っておりました。
クラス全員でがんばってテストの成績がよかったから宿題が少なかったとかで、
ちょっと余裕かましてた日曜日の中学生。

スーティツァイも作った。
小学生のひとりが塩味の薄さにびっくりしてた(塩大好きなんだって)。
作る人によって、味の濃さはいろいろですよ〜。
ホーショールの味付けは例によって適当だったけどおいしかった。
揚げたての「味見」と称するつまみ食いはカリカリ。
鍋に入れてふたをしておいたのはしっとり。
テーブルについて食べ始める頃にはみんなお腹いっぱいだったという(笑)

化学調味料使ってないのに、あの旨味はいったいどういうわけなんだろうなー。
油と小麦粉のマジックというのもあるし、
玉ねぎとニンニクと羊肉と塩の組み合わせってほんと、すばらしい〜。

その他、持ち寄っていただいたのは、
梨、焼き米ドレッシングのサラダ、おにぎり、お茶、かりんとうなど。

私が持って行ったのはヨモギ茶と、かぼちゃ蒸しパン。

歌ったのは
オルティンドー「この世を照らす太陽」、
風邪気味のせいか珍しく何かと絡んでくる娘を肩車して子守歌。
歌う前に子守歌にまつわる言い伝えを紹介したら、子どもたちが(大人も)真剣にお話を聞いてくれたので、訳した甲斐があったなあとうれしかった。
最後にオルティンドー「平安の歓び」。

歌の合間や、料理を作っている最中にも、日本人の想像を軽く超えるモンゴル人の考え方や文化についてのお話もできて楽しかった。

いろいろなつながりがあったりなかったりする参加者の皆さんのおしゃべりも有意義でした。

反省点。
会場を借りた時間から30分は準備の時間としようかな。
お肉を仕込んでいったのはよかった。
包むのに集中できたから。
小麦粉を延ばす台は、まな板を使うからいいかなと今回は持っていかなかった。
なんとかなったので、いいのでは。
油とタオルとペーパータオルとティッシュを忘れて母に頼んだ。
暗くなってから参加される方には、会場が非常にわかりにくい。
廊下の電気も消されちゃってるので(そもそもそれがどうなんだ、一部屋一時間千円も払ってるのに)、
入り口のところに案内を貼るように準備すること。
セロテープも。

以下は直後のツイートより。
帰ってきて、子どもが寝てしまったのを担ぐというのはもう心配いらなくなって、
一段階変わったんだなあと実感。
以前はよくやってたよなあ。
イベント企画して、終わったらすべてしぼりだしきっちゃっててもうなにもできない、
という状態では生活に支障が出るし、続かないので、
モンゴル料理の会は、平常心でやることを心がけている。
続けたいからね。
今回もリピーターがちゃんといるし、次を楽しみにしてくれる人がいるから大丈夫。
自分の企画で自分がリラックスできるなんてことはありえなかったんたけど、目指しちゃう。
欲張って「ああしたら楽しそう」「あれも伝えたい、見せたい」とかひらめいちゃって
持っていくもの増やしたりは、しない。
ひとりでできることは限られてるから。
楽しければ時間がたつのが早いから。
娘が体調よろしくなくて絡んでくるのが多くて会話や作業が遮られたりしたけど、
以前はこれが常態だったことを考えたら、
よくつれていって演奏とかしてたもんだな、と、自分であきれる思い。

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歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(4)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
(2)(3)の言い伝えと近いが、南モンゴルのウゼムチンの人々の間で語られる言い伝えであり、
(2)(3)とはメロディーが異なる。

昔、エルデイとデルデイという兄弟の狩人がいた。
このふたりにはエルヘンテンという妹がいた。
エルデイとデルデイの妻たちは、義妹をわずらわしく思って、
ふたりの兄の留守のときはいつも何か悪さをしてくるのだった。
これに気づいた兄弟は出かけるときは妻たちが悪いことをしないように、
妹を家に入れ、戸を内側から縛らせて、僕たちが帰ってくるまで誰が来たって開けちゃいけないよと
言い置いて出て行った。
こうしてふたりの兄が出かけていって不在の間に性悪の兄嫁たちはうまいこと義妹に戸を開けさせ、
義妹と一緒にシャガイ(羊のくるぶしの骨。おはじきのように遊んだりするおもちゃとして使う)で遊んだ。
遊んでいるうち、突然ふたりの兄嫁が「さあ妹よ、3人でシャガイを飲みこんで遊びましょうよ。
あなたが先に飲み込みなさい。奥のほうへ入らなければこっちに絶対出てくるから。」
というので妹はシャガイを飲み込んだ。
すると、喉に詰まって気絶してしまった。
ずるいふたりの兄嫁は、すぐに義妹の家を飛び出して、
戸を閉めて、ゲルの戸と壁の隙間を押し広げて手を入れ、戸をしっかり縛っておいた。
そのうち、ふたりの兄は妹を乗せるために美しいまだらの鹿をつかまえて帰ってきた。
(家の近くまで帰ってきたところで)妹を呼んでも返事がない。
家に着いてみると戸は縛ったままなのに妹は死んでしまっていた。
そこでふたりの兄はつかまえて連れてきた鹿の背の左右にふたつの箱をくくりつけ、
一方に妹をいれ、もう片方には妹の服、遊ぶおもちゃを入れて、山に放した。
後日、ハラルダイ・タイジの父ハル・オサン・ハンという人が狩りをしていると、荷を積んだ鹿に出会った。
それをつかまえて家の側に連れてきて箱を開けると、
ひとりのきれいな娘が呼吸をしそうな様子で横たわっていた。
ハンと妃が娘にいくら尋ねても、娘はぼんやりとして声を出さずにただ喉を指差すのであった。
熱い乳を少しずつ飲ませようと器に入れて渡すと、突然空に稲妻が光、雷が強く鳴ったので、
娘はとても驚き、しゃっくりをした。
それで喉にひっかかっていたシャガイが出てきたという。
こうして娘は経緯を話してくれたので、ハンと妃は娘を憐れに思って息子のハラルダイの妃として迎えた。
そのうちハラルダイ・タイジの妻となった彼女に息子ができた。
そして姑に孫をあやしてもらうときには
 「エルデイ デルデイの甥よ ブーウェイ
 エルヘンテンの息子よ ブーウェイ
 ハル・オサン・ハンの孫よ ブーウェイ
 ハラルダイ・タイジの息子よ ブーウェイ・・・」

と歌ってくださいと頼んだ。
そして嫁の言うとおりに孫をあやすようになったという。
ある日エルデイとデルデイが狩りをしているとき、
ある家を見つけて立ち寄った。
(ゲルの中で)お茶を飲み座っていると、おばあちゃんが孫をあやしてその歌を歌って子どもをゆすりながら出て行った。
エルデイとデルデイがそれを聞いて驚いてわけを尋ねると、
おじいさんが嫁を見つけたこと、嫁から聞いた過去、嫁が彼女に孫をあやすときはこうして歌うようにと頼んだことをひとつひとつ話した。
それでこのうちの嫁が妹のエルヘンテンであるとわかり、
実の兄妹は再会し喜んだ。
それ以来子どもをあやすこの歌が広まって
ウゼムチンでは今まで歌い継がれている。


【メモ】
■なぜそんな奥さんと結婚していたのだ、兄たちよ、とか
そもそも妹になぜそんなに意地悪になったのだ兄嫁たちよ、と気になる。
■モンゴルの遊牧民たちのあいだでは、外出先で知らない人の家に立ち寄ることは普通のことと聞きます。
その家が留守でも、置いてあるお茶をいただく。
留守の間に自分の家に誰かが来たら、それはいいことなんだって。
■この一連の子守歌にまつわる言い伝えで、
「死んだと思って葬った妹が実は生きていた」というモチーフが私にはとても興味深い。
それぞれ葬り方が異なるけれども、どれも埋めないので「埋葬」じゃないなあ、と訳していて思う。
木の上にってどのように?ただ置くのかしら。
箱に入れて川に流す(SACRAのCD「ついのすみか」でも葬り方が色々登場するけど、その中に花に埋もれて川に流されて、うれしいな、涅槃は近い、っていう歌があった)はまだしも(精霊流しとか連想するし、川があるところなら無理がない感じ)、
鹿の背に箱をくくりつけてそれに入れる、なんて、
ちょっと思いつかない方法。
いずれにしても遺体をそのままにして送り出すので、
もしかしてよその土地で生きているかもしれない、と思ったままでいられるよね。
モンゴルの風葬とか鳥葬については読んだ限りで知っていたけれども、色んな形があるのね
(モンゴルはチベット仏教が入ってきているけど、
自然のあらゆるものに魂が宿っているアニミズムの世界が下地にある)。

誰しも、近しい人をなくしたら、もしかしてまだ生きてるんじゃないかしら、とか、
まだ、呼べばもどってくるんじゃないかしらとか、思うんじゃなかろうか。
昔見た映画「眠る男」は、当時は全体としてはまったく意味がわからなかったけど、
いろいろ打ち鳴らして呼んでいたシーンは印象的だった。
初産がとても難産だったモンゴル人の友人が、
自分の名を呼ぶ夫を見下ろした体験を語ってくれたことがある。
つまり彼女は呼ばれて戻ってきた。
それが「ほんとかどうか」よりも、共有されているそのイメージに興味がある。

願い。
もう会えなくても、どこかで生きていると思いたい。
そんな気持ちがこのモチーフに込められているように
感じてしまうのは私だけかしら。
生まれてきた命を育む歌なのに、言い伝えにそんな意味が込められてるとしたら。

想像の世界で、妹が生きているとしたら、こういう風に赤ちゃんが生まれて、
こんな風にあやしてるんじゃない?と話が広がったのかもしれないし、
逆に、誰かににらまれた妹を死んだことにして遠くにやったら
そちらで幸せになったということかもしれないし・・・

私の空想も尽きません。



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2016年10月29日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(3)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
(2)の言い伝えと内容は似ている。
ハルガルダイ・ハーンは、戦争をするときには妻子ですら顧みることがなく、
息子のハリオトガン・タイジとその妹のボダク・シャガイを幼いときに迷子にしてしまい、生き別れになった。

妹のボダク・シャガイは、兄のハリオトガン・タイジに天女を妻にするよう勧め続け、
ついに兄は天女と結婚した。
兄はよく狩りに行き、妹に宮殿を建ててやった。
兄が狩りから帰ると、妹は必ず出迎えて、兄に匂いをかいでもらった(親族の愛情表現)。
妹は兄が狩りで不在のあいだ、日中は絹の布を広げて花や葉っぱの刺繍をして過ごした。
天女はハリオトガン・タイジと結婚してから、妹のボダク・シャガイと
金や銀のシャガイ(羊のくるぶしの骨。おはじきのように遊んだりするおもちゃとして使う)でよく遊んだ。
ある日、妹が金のシャガイを口に入れて隠していたところ、喉に入って詰まってしまった。
天女は、夫の最愛の妹が亡くなってしまったと怖くなって、
妹をベッドにもたれかけさせて、刺繍をしているように座らせておいた。
夜、兄は狩りから帰ったが、妹が出迎えないのでおかしいと思い、
妹の家に入ると妹は意識を失っていた。
(死んでしまったと思って、妹を)すぐに金の箱に入れて水に流した。
河口のほうで、瞑想していたふたりの僧が流れてくる箱に気づき、
開けてみると美しい女性が入っている。
二人の僧が喉から金のシャガイを取り出すと、彼女は生き返った。
それから僧たちは彼女をある家に連れて行った。その家はハルガルダイ・ハーンの家だった。
ハーンは、何年も前に娘と息子を迷子にして置き去りにしていたので、彼女を見ても誰だかわからなかった。
兄のハリオトガンは、かもしか(ゼール)をよく撃つので、地元の人があだ名で「ゼーレルデイ・メルゲン」「ゼーレン・サクソー」と呼んでいた。
ハルガルダイ・ハーンには召使がたくさんいた。
養子にしたボダク・シャガイを、同じく養子にしていた男と結婚させた(?)。
そしてボダク・シャガイは息子を産んだ。
ハーンの召使の女性が彼女の世話をしたが、ボダク・シャガイは自分に起きた苦労をその女性にだけ話した。
その女性はゲルの外で赤ん坊を抱いて座って、
 ハルガルダイ・ハーンの孫よ ねんねん
 ハリオトガン・タイジの甥よ ねんねん
 ゼーレルデイ・メルゲンの甥よ ねんねん
 ゼーレク・サクソーの甥よ ねんねん
 
 ボーラル・メルゲン(ボダク・シャガイの夫)の子よ ねんねん
 ボダク・シャガイの子よ ねんねん
と口ずさんであやしていた。
そのとき、ハリオトガン・タイジがハルガルダイ・ハーンの家とは知らずに通りかかり、
「私の父や妹の名を言っているのはどういうわけだろう?」と
馬の手綱を引いてスピードを緩め、耳を傾けた。
こうしてハリオトガン・タイジを父のハーンは息子と知り、
それからというもの、ハーンは母子の愛情を尊重するようになったという。

【メモ】
訳が難しい。
細部に自信がありません。
最後のまとめも飛躍しちゃってる印象・・・。
細部にこそ興味深いことがたくさん隠れているような気がしているので
もっと突き詰めたいなあ。
いつになるかはわからないけど、あとで修正を入れるかもしれません。

ちなみにゼールとは。
写真が入っているモンゴル語の記事にリンクを貼っておきます。
Цагаан зээрийн нүүдэл айсуй
ЦАГААН ЗЭЭР ДАЙЖИЖ ЭХЭЛЛЭЭ


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2016年10月26日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(2)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
子守歌に関する言い伝え(2)
ゼーヒー・メルゲンという貧しい狩人には、ゼレン・ゾンガーという妹がいた。
ゼーヒー・メルゲンは妹を継母の手に渡したくなくて、洞窟にかくまって
毎日食事を持っていってやっていた。
このことを性格のきつい継母が知って、ある日
「ゼーヒー・メルゲンの妹のところへ行ってさんごを飲み込んで遊ぼう」といって
娘にさんごを飲み込ませて(喉に詰まらせ)気を失わせた。
兄は妹を(死んだと思って)悼んで高い木のてっぺんに葬った。
ところが、一頭の鹿がたまたま娘を葬った木に体をこすりつけて娘を落としてしまった。
すると娘の口からさんごが落ちて息を吹き返した。
こうして娘はさまよい歩いてある貧しいおばあさんの家にたどり着き、そこのうちの子となって暮らした。
成長した娘はたいそう美しく、みんなの注目を浴びた。
そして、ハル・ヌデン・ハーンの息子ハルラク・タイジがその娘を妻としてめとり、子どもが生まれた。
女は恩ある兄を見つけて会いたいものだと思い、息子に子守歌を歌うときに
「ゼーヒー・メルゲンの甥よ、ブーウェイ
ゼレン・ゾンガーの息子よ、ブーウェイ
ハル・ヌデン・ハーンの孫よ、ブーウェイ
ハルラク・タイジの息子よ、ブーウェイ」
と歌っていた。
これを兄が耳にして妹と会うことができたと言い伝えられている。

【メモ】
さんごを飲み込んで遊ぶことについて、別の本で何か解説が、あったんだったかどうだったか・・・。

この話だけじゃなくて、誰の甥とか、誰の子とか、歌う歌詞は多いみたいで、
私がよく歌っている「西モンゴルの子守歌」もそう。

これも2010年にブログにメモしていたけれど、歴史書を読んでいて、
こういうことがあるから子守歌に人の名前を入れることになるのかなと思ったのでした。

以下、その以前の記事より。メモなのでわかりにくいですが、興味深いエピソード。

『蒙古源流』より。殺されたモンゴルのハルグチュク太子の妃、セチェク妃子。
妊娠中だった子を産むと、実父エセン・ハーン(オイラト)が「女なら助命、男なら片づけよ」と。
妃子はその子の陰茎をうしろへ引っ張って縛っておいて検分の者に見せたら女の子だと報告されたって。
で、別の女の子をゆりかごに入れて、曾祖母(モンゴル出身)に子を預けた。
で、そういうことがあってこそ、子守歌でその子の血統を聞かせるという物語が生まれるんだね。誰誰の孫よ、彼彼の甥よ、ねんねんよって。

「チンギス統原理」を無視したエセン・ハーン(太師)が、北元の皇族を皆殺しにし、オイラト人を母に持つ者だけを助命した。
そこでこういうことがおこるわけ。
その男の子はバヤン・モンケ・ボルフ晋王、モンゴルに送り届けられた。

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歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(1)

子守歌は、たーくさん、ありますね。
他の本でも、いろいろな子守歌の歌詞が載っている本とかありましたが、
私が聞いたことがある歌とは多くがかみ合わなかったりしました。

私のレパートリーは、ノロヴバンザド先生の日本で作られたCDに入っていたので
ごく初期から親しんでいる「西モンゴルの子守歌」と、
「大きなお目目の子守歌」と呼んでいる2曲。
まだまだ、ほかにもちゃんと歌えるようになりたいな。
音源はあるのです。
2010年に、子守歌ばかりのCDを入手したことがあって、ブログにも書いてました。
「子守歌なのに難しいメロディーもあって、やっぱモンゴル人すごいなー。
・・・大声量でもすばらしい人が、やさしく歌うのは、高密度の圧縮された感じが魅力的なの。
噂のオルティンドーでハモるユニットの歌声も入ってる。
モンゴルの子守歌だけのCDなんて、今まで見たことなかった。
あればいいのにな〜って思ったのは、
ノロヴバンザドさんが日本で出したCDに一曲だけ入ってたのが素敵だったから。」
と、以前のブログには書いてましたが、
子守歌のCDがほしいと思っていた理由には、
書物に載ってるたくさんの子守歌の、音源に出会うことがなかなかなかったからというのもあったと思います。
覚えるには、まず自分の持ってる資料のなかから合う歌詞があるかな?と突き合わせるところから。
聞き取りもするけど、完全にとはいかないから。
でもこれが、書物に載っている歌詞そのままで歌われているとも限らず、なかなかなのよね。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
ブーウェイ(ねんねん)ということばは、
赤ちゃんが泣くのは何かを怖がっているからだと考えて
お母さんやお父さんやお兄さんお姉さんが
「怖がらないで(ブー・アイ)」といって子守歌を歌いあやしたことからできたようだ。
ブー・アイという二つの単語が次第にブーウェイというひとつの語になったのだろうと見られている。

子守歌に関する言い伝え(1)
ハルハの人たちのあいだで語られているもの。
昔、裕福な家の召使の貧しい女性が妊娠し、羊を追っていって草原で出産した。
主人のところに子どもを連れて行くことが怖くてできず、
赤ん坊に草を被せて草原に置いて帰った。
翌日、羊を追うときに子どものところへ行ったが、いなくなっていた。
3年経ったある日、女が羊を追っていくと、赤ん坊を置き去りにしたその場所に、
ぼさぼさの髪のよく日焼けした子どもが裸で丘の影で寝ていた。
貧しい女性は自分の息子であると悟って、自分のみすぼらしいゲルに連れ帰り、
ことばを教えた。
するとある晩、ゲルの近くで狼が吠えた。
母親が息子に「狼はなんと言って吠えているんだい」とたずねると、
息子は「シャーライよ、おっぱいをお飲みと言っているよ」と答えた。
それ以来、母親は息子に
「シャーライ ブーウェイ
シャーシャルダイのブーウェイ」
と子守歌を歌うようになったとさ。

【メモ】
まず、妊娠について、お父さんについての言及がないのが気になります。
当然(?)ご主人様だったりするのかしら。
そういう、モンゴル人が読んだら言外で感じることとかを、知りたいものです。
草原に置き去りにするというのも強烈。
羊の赤ちゃんでも草原で産み落とされたの抱っこして連れて帰ってくるのに。
現代日本でも、妊娠自体を隠していて密かに出産とかいう話がときどき聞かれますが、
出産て人生の一大事だと思うのに、そうやってするっと産めてしまうケースもあることに驚いたり、
色々考えます。
シャーライとかシャーシャルダイって、何か意味があるのかな。

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2016年10月25日

歌にまつわるお話ざっと訳:四季(ドゥルヴン・ツァグ)

どうしたことでしょうか。
モンゴル語読むの以前より辛くない。

大好きなオルティンドー「四季」にまつわるお話。
以前どこかで読んだのは、歌おうとした人が即興の歌詞を思いつかなくて
とりあえず「ゼー」と歌いだしてそのまま長々と伸ばしたのでこんな歌になりましたっていうのが
あったと思うんだけど、どこだったかな、資料探してみよう。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
敗戦国のハーンが、姫を(戦勝国の)軍の将軍に捧げた。
わがままで性悪の姫は、将軍を城の外に出さなかった。
伝染病が出て、苦しみが日に日に増していったが、将軍は快楽にふけっていた。
(将軍を呼び戻すために本国?本拠地?から)英雄たちが送り出されたが、彼らは皆、
水に落とした石のように消息を絶った。
わがままな姫はやってきた英雄にわけを尋ね、
すぐにハーンに会わせますからねといってくつろがせておいて
殺してしまう悪い手口を近しい者たちに教えていた。
主人が戻ってこないまま長引くにつれ、兵士たちはいぶかしんだ。
馬頭琴奏者のおじいさんが、「私が行きましょう」と願い出た。
彼は将軍のいるお城の城壁の外にたどり着き、
馬頭琴を弾いて「四季」を歌った。
民謡の美しいメロディーが宮殿に響いて、
四季が移り変わる生まれ故郷が将軍の目の前に青々と広がった。
将軍は飛び起きた。
彼をどうやっても止められないとわかって性悪の姫は気を失ったという。
こうして幸せと苦しみの乳となった歌が生まれたのであった。

【メモ】
全体的によくわからないけど最後がとくにわからない。
幸せと苦しみの乳となった歌って何?誤訳ですか?
誰か教えてくださいお願いします。
他の「ドモク(言い伝え)」は、単なる昔話と違って、どこの土地でいつぐらいにこういう名前の人が、という前置きで始まることが多いのだけど(というかそれを「ドモク」というと聞いた気がする)、
これは、いきなり「負けた国」「勝った国」と始まっていて、なんだかイメージが広がらない。
でも、モンゴルの戦争のパターンで、各部族から兵士を募って軍隊を編成して、
行った先で定着するというのはよくある話みたいよね。
敵方の妃や姫を奪うというのも。
確かゲセル・ハーンのお話でも、ジャンガルでも、遠征に行って主人公が帰ってこないので
誰かが迎えに行くというモチーフは見られた。
それから、帰ってこないチンギス・ハーンのもとに馬頭琴奏者が行くという物語もあった
(でもそれはモンゴル文字で書いたら間違えやすい、奏者じゃなくて矢筒持ちだというウキウキしない説もある)。
性悪ってねえ。敵方だから、敵からしたら「よくがんばった姫」なのかもしれない。

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歌にまつわるお話ざっと訳:アリゲルマー

自由時間がない、と嘆いてきた。
まあ、ないのだが。
音楽に対する「義務感」にまみれていたところ、
ああ、違った、奏でるということは楽しくてわくわくすることなんだった、と、
近頃思い出すきっかけが集まってきてきらきらどさどさと私の上に降り注いでくる。

私は極端に義務に弱い。
「ねばならない」となったら放棄したくてたまらなくなる。
途端に動けなくなる。
そのなかに自分なりの楽しみ(好奇心とか)が見いだせれば別だけど。
だから自分を動かすコツは、そもそも「ねばならない」をなるべく避けること。

内なるもの、好奇心とか、
どうしても動かなくちゃと内からあふれでるものがあるときとかの
集中力やスピードとかテキパキさ加減とか、
なかなかだと思うので、そっちをいかしていきたい。

さて、チメドツェィエーさんの切なく歌うので有名な
(イマドキは知らないが、私はそれしか知らない)
ボギンドー「アリゲルマー」の言い伝えご紹介。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
ウゼムチン地方にアドーチという名前のよい馬飼いのおじいさんが娘と一緒に暮らしていた。
娘の名をアリゲルマーといった。
アドーチが世話をしている馬群の持ち主の裕福なおじいさんには、
アルタンスフという名前の息子がいた。
ふたりのおじいさんは、馬群のことでいつも意見を交わしたりするうち、
お互いの子を結婚させようという話になったが、できないでいるうちにふたりとも亡くなった。
その妻たちが約束通り結婚式をさせたが、ちょうどそのときに役人がやって来て、
アルタンスフを兵隊に取ることになったと告げた。
アリゲルマーは、待っているから、と言ってアルタンスフを送り出した。
彼女は嫁として姑の世話をしていたが、
姑は地元の僧と一緒になって彼女を困らせるようになった。
アルタンスフが出征してから五年後、姑は彼女を実家に帰した。
アリゲルマーは姑に帰さないよう頼んだが聞き入れられず、
実家で母と暮らすことになった。
やがて十年経った。
その間、アルタンスフからは音沙汰がまったくなかったが、アリゲルマーは待ち続けた。
アルタンスフが遠方の兵役を終えて故郷に帰ると、母親は、嫁の悪口を言った。
しかし、地元の若者たちがアルタンスフにそれが全部嘘であると、次第にわからせた。
アルタンスフは、とにかくアリゲルマーに会いたいと彼女のもとへ行った。
ふたりは会ってお互いにわけを話し、理解しあって末長く一緒に暮らしたとさ。

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歌にまつわるお話ざっと訳:アル・フブチ

モンゴル民謡にまつわる言い伝え、読むほどに圧倒される。
子ども向けじゃないのが多いし、
モンゴル=「素朴」って信じたい人々をがつんがつんと裏切ってくれてる感じ…
(ソリャドコダッテフクザツナノヨ)。
ライブでは「恋の歌です」とかいってるけど、むむむうー。

今さら読んでるのか、という話。
ふと気づくと読んでる最中のモヤが、軽く全体像を掴む目的なら邪魔にならない程度。
読むことについて、英語みたいに辞書が充実してないこともあって、難易度高くて苦手意識強かった。
→子育てとかで放置→豆雑誌作るなかで鍛えられ→3.11後の混乱で放置→突如やる気。

昔読んだ(読んでもらった)絵本で、南米?の昔ばなしで、
とうもろこしのおばあさんの話があって、おばあさんの髪の毛を持って引きずるというシーンがあり、
子ども心に強烈だった。
でも、それはひどいことではないという感じの淡々とした扱いなのにもびっくりした。

現代なら髪の毛を持って引っぱるなんていうのは、
よくDV話で聞く、すごい暴力ってイメージ(←あんまりいい例えじゃなかった…)。
でもその感覚では通じないものがある。
そういうことを、とくに「昔話」では感じるので、文化についての解説も必要だなと思う次第。

各国とか地域の昔話、興味はあるけど、いちいち「?」ばっかり浮かぶので読み進められない。
自分がモンゴルのを訳すのも、誤解や理解不足が多々あるだろうと思って尻込みする。
というわけですので、お気づきの点がある方は、教えてください。
自分がせっかく触れたものは、ヒントとして出しておこうと思う。
しまいこむと絶望的に忘れるので。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳メモ】
アル・フブチの言い伝え、一つめ。
ある男性が故郷を離れて愛する人と結婚して暮らし始めたところ、
「私とずっと暮らしたいならあの山には登らないでね」と妻(「鶴の恩返し」を連想させる)。
あるとき馬を探すうちに登ってしまう。
途端に故郷や両親や残してきた妻(こらこら)が懐かしくなる。
妻が見抜き「この馬で行きなさい」
遠いのに、朝出たら午後着く。午後出ても夕方着く。
数ヵ月故郷にいるうち、乗っていった馬がいななくのを聞いて残してきた新しい方の妻が恋しくなった。
で、行ったり来たりを繰り返す。
そのうち故郷の妻が怪しんで馬の翼を見つけ、切り落とした(馬頭琴発祥伝説と同じ)。
帰りつけずに馬が死ぬ。彼も。
だからアル・フブチは高い山に登って歌うことを禁じられていた。

【メモ】
翼を持つ馬の使い道は、本妻と新しい妻との生活を両方守るため、というのの他にはないのかしら?
バージョンの違いは、行ってほしくないがために馬の翼を切ってしまうのが、どちらの妻か、というところ。
馬が翼を失ったせいで、無人の地で馬も人も死んでしまう。

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2016年10月22日

読書メモ:『女子力で読み解く基地神話 在京メディアが伝えない沖縄問題の深層』

本気のことばは胸を打つ。
(常に追いかけてるわけじゃないけど)三上智恵さんのことばにはいつもガツンとされる。
島洋子さんは初めて知ったけど同じ匂い。
おふたりで紡ぐ本質と実感の詰まったことば、裸の心臓にグサリ、グサグサ。
勝手に涙。
読んでる間随所で立ち止まらされた。
印象深い本。
読み終わった後も、しばらく呆然としていた。

踏みにじられたり、どうにもならなさに翻弄されたり、
でも、その中であきらめたり自暴自棄にならずに必死に生きてきた人たちの
本物のことば。

伊藤比呂美さんと石牟礼道子さんの対談のときみたいな、
感覚の交換。
プラス、そのときどきの感情を交えながらの社会情勢と意味あいの解説。

『女子力で読み解く基地神話 在京メディアが伝えない沖縄問題の深層』
(三上智恵、島洋子 かもがわ出版)。
対談で、読みやすいけど、いちいち、辛すぎたり、胸をつかれたりで、小休止が多かった。

20歳の女性の暴行・遺棄事件への沖縄の人たちの反応から始まり、
他の事件についても紹介。
生々しい想いと、政治・歴史的な流れとともに。
命を奪われた小さな手が雑草を握りしめていた、と。
自分の体験じゃなくても、
そういう具体的な感覚を伴う事実として、からだのなかに取り込んでいる人たち。

書名の「女子力」は、どうかと思うんだけど、
私は三上智恵さんのなら間違いない、という気持ちがあったので、
あんまり、ひっかかりはしなかった(抵抗のある人もいるかも、とは思う)。
一般にイメージされる「女子力」と全然違うけど、こっちの女子力が世の中に必要なほうだと思う。

「ちむぐりさ」「うちあたい」の話。
そんな感覚にあてはめることばがちゃんとある世界が魅力。
とりわけ近頃のすさんだ世の中で押しやられそうな感覚。
でもとくに3.11後の、諸々見えてきてるけど繋がりきれないもどかしさに、ヒント。
「体験してない私にはわからない」という妙な自信のなさは置いといて、人の苦に対し、自分なりに心苦しいと表明すること、共感することを躊躇なくできる。
これって、日本全体ではなかなかできてないことじゃなかろうか。
その訳が自分たちで掘り下げて整理できないとどうにもならない気がする。

「自分たちが人柱になってでも基地は止めるというおばあたちがいて、
そのおばあたちが入水する前に若いもんはもっとやれることやろう、ということで反対運動を構築していった」
こういうものが力づくでなんとかなると思っている権力者たちの傲慢。
さて、私はどうしよう。

沖縄の、「長い目」。
祖先から、親世代から引き継いでるから、自分だけで終わらないという確信。
子や孫のために。
かつてチェルノブイリのあとに「子どもたちのために」と反原発が盛り上がったけど原発なくならなかったことに落胆した私、中学生くらいかな。
まだデモや集会に参加する人って「カゲキハ?」っていわれかねない雰囲気があったりでなんか肩身が狭く。
その後、「あーあ、守ってもらうの、間に合わなかった」と思ってた。
3.11のとき、子どもたちに「ごめん」て思った。
かといって、今も特別胸を張って何かができてるわけでもなく。
でも、私も、胸に、重過ぎるほど、抱えてるものは、あるんだよ。
これ、どうしたらいいんですかって困ってる。
これはありがたい刺激。
沖縄では「大人として」弱いものを守る決意が、個人で終わらないことを共有できてるそうだ。
私の周りもそういう風にしたい。

アメリカをジャイアン、日本をのび太に例えてるけど、スネ夫なんじゃないのか。

権力の言いなりメディアの、抵抗できない弱さのわけには「平和教育の弱さ」がある、と。
そう!あれはほんとに引っ掛かる。
戦争なんて一般人はやりたくないに決まってる。
「なぜ戦争に向かっていったか、なぜ止められなかったか」を知らなくちゃ。
それからさらに、今に、自分に引き寄せて考えなくちゃ、実にならない。

本土のテレビ局は、海保の暴力の映像なんか、流せないんだって。
「両論併記」とか、思考停止の言い訳の「公平中立」は、私もほんとにずっと、大嫌い。
結論するのが怖い人の逃げ道でしかない。
各自それぞれに自分なりに考えて結論を持ってこそ、議論もできるし、
現状の改善もできるってもの。
「これもあるし、あれもあるよ。」
・・・・・・・・・・・。
で?
そのうえで、どう考えるの?ってこと。

琉球新報の記者さんたちの、「青さ」、とても、素敵。
かっこつけてるんじゃなくて、人間らしくあろうとしているだけ。
そういう沖縄の人たちみたいになりたい。

私は、半径1メートルからでも、そんな輪を、私の周りにも広げていきたい。





自分のためのメモとして、いい加減な感覚的ツイートしてたら、
「読みたい」と思ってくださる方が、あっという間に三人。
この直感的なやつが「女子力」ってことかな、と思ったり。

母から借りたんだけど、自分でも持っておきたいくらい。
こういうずけずけとした話が、女はできる。
それやらないと変わらないし進めない。
それやれば、変えられるし進める。
もちろん、男にだってできるだろうし、できない女もいるんだけれども。

声を出して泣きながら勇気をもらうような本。
沖縄はずっとずっと壮絶であったし、まだまだ道は険しいのだけど、孤立した気分の私にはすごく刺激だったー。

さらに読みたいメモ:『ひずみの構造―基地と沖縄経済』 翻弄される沖縄描く - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース



urtynduu at 23:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年10月19日

2016/10/30(日)蘇陽でモンゴル料理とオルティンドーを楽しむ会

ただ演奏しますよ、というよりも、食べ物があるとなると
なんと食いつきのよろしいことか。
というか、お誘いするほうもしやすいなあ。
いろんな人に「楽しそうね」「行きたかったなあ」と言っていただきました。
というわけで、二回目です。

ホーショールは、私、もう、ほんと〜うに、大大大好きで。
留学中も、外食といえばモンゴリアンファーストフードとしてホーショールかボーズ(小龍包に似てる)が定番でしたが、だんぜんホーショール派。
最初の出会いは、外語大の外語祭で、本場で食べたこともないのに一年生のときに作って売ったのでしたが、
初めてモンゴルに行ったときは、道端でバケツにたくさん熱々のを入れて少年が売っていて、
買うと新聞紙の切れ端にくるんでくれました。
「そういう誰がどこで作ったかわからないようなものは買うもんじゃない」とモンゴル人の友人に叱られながら、
でもおいしかった。
留学中は、いちばん食べたのはたぶん留学先の芸大の食堂のでしたが、買い物やらで出かけた先であちこちのを食べて、あそこのはニンニクがきいてるとか、あそこのは肉がほとんど入ってないとか、お酢が入ってるのも意外においしいとか、へえ、ごはんが入ったのもあるーとか、いちいち感動していたものでした。
うちの子たちも大好き。

今回、大勢で食べるとなると、がんばって作らないとな〜。
参加される方は張り切ってどうぞ。


*****

ホーショールトリミング


10/30(日)16時より(途中参加OK)
蘇陽支所の保健センターで、モンゴル料理を作って食べる会をします。
今回の料理は、ホーショール。
簡潔にいうと、羊肉の揚げ餃子みたいなものです。
羊の肉が苦手でなければ、ぜひどうぞ!

会費:1,000円
持ち物:エプロン、三角巾、お持ちの方は麺棒、マイ皿、マイ箸(フォークでも可)
サラダ等のサイドメニュー差し入れ歓迎

予約・お問い合わせ:三枝彩子(さえぐさあやこ)まで TEL 090-8312-0722(出られないときは折り返します。ショートメッセージでも可)、Facebookメッセージでも可。

調理室で料理を作って、和室で食べながらオルティンドーを聴いてください。
それからおしゃべりもしましょう♪

urtynduu at 00:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote