2017年04月06日

動画:ジャーハン・シャルガ20170405

日が長くなって、夕方職場から帰宅する道の景色が毎日全然違うので楽しい。
今日は晴れたからまた動画撮れるかな、と考えて体が動くのもうれしい。
演奏の機会自体がほぼなくて、
イベントに呼んでいただいた場合でも長くて30分くらいの演奏が多い近頃。
曲目が固まりすぎて、以前はよく歌っていたのに全然歌わなくなってしまったレパートリーも多い。
ネット越しとはいえ、聴いていただくこと前提で歌う機会が得られるのはありがたいこと。
下手でも、次に聴いていただくときに上達していようと思うことにして、アップしました。



urtynduu at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2017年03月29日

みずほ塾 第一回メモ(4)

みずほ塾 第一回 質疑応答の後半。
最後のほうは集中力が切れちゃった・・・。

(6),硫鹽についてはしっくり来ない。
というか体が反発する。
こういうとこが「東京中心主義」ってことじゃない?と。
頭だけで、肉体感覚のない話だと思う。

■「それはそれとして受け止めねばならない。」
⇒質疑応答で時間がなかったにせよ、そんな程度じゃ、全然不足なんじゃなかろうか。
そこに本気で向き合わなければならないんじゃなかろうか。
そこがおろそかだから日本がこんななんじゃなかろうか。
中央が周縁に真剣に向き合ったことなんかあるだろうか。

■本当の理想は食料自給率0になるのがよい。農業をやっているが他人のためにやっているという状態がよい。
⇒そうなの?
【1】「グローバル」というものは、色んな意味合いで使われているような気がする。
ちゃんと整理しなきゃいけないようだ。
【2】私自身は、食料自給率は各自が100%であることが理想だと思っている。
何しろみんな、食料を作ることを知らなすぎる。
みんなが土に触れるべきだ。
魚の切り身やパック詰めの肉を平然と食べるのに、モンゴルにツアーに行って羊の解体を見て
「えー残酷ー、無理、見られない」とか言ってる自分の矛盾に気づけるくらいにはならないといけないんじゃないか。
と、えらそうに言っても、目指したほど作れていない私だけど、それこそ理想を語ることは必要だから。
かわいい自分や家族のために、安心して食べられるものを作っていて、多く作っちゃったら他人にも分ける、というのが健全なんじゃないのかな。
なぜ自給率0が理想なのか、は、よくわからなかったので今後注目するテーマとする。
自分が満たされることなしに「他人のため」なんて、ありえない。
自分が満たされるために他人にばかり頼るなんていうのもありえない。
人任せにしすぎた結果が3.11後のカオスなんじゃないのか。
生産の現場と消費者が遠ければ遠いほど、無責任が横行するじゃないか。
遺伝子組み換えにしろ、原発事故後の放射能混ぜて薄める精神とかも、作る人と買う人の距離があるからこそのごまかしが発生してる。
だからこそ東京を出たわけで(放射能汚染が怖いのがいちばんではあったけれど、熊本市からさらに田舎を目指したというのは、この話が自分の中でセットだったってことだと思う)、
まさにそういう世界から離れられることが山都町暮らしの意義だと感じている。
映画「幸せの経済学」では、グローバルでなくローカリゼーションだよね、っていう話で、地に足が着いてて手の届く範囲で身の丈っていうのが、すごく腑に落ちたわけ。
堤未果さんの強欲国際弁護士の話とか読んでも、強欲な強者のための「グローバル」は罪深いということがよくわかる。
「グローバル」って、最初はよさげなことばに感じられたじゃないか。それが悪用されてる面があって、だけど確かに人やモノやカネは越境している。やっぱりぼわっとしたことばの使い方はだめだな、同じ「グローバル」ということばが文脈ごとに異なる意味合いで使われているもんね(【1】に戻る)。

でもって、その地に足の着いた生き方を誠実にやって満たされてたら、「排外主義」になるかっていったら、ならんよね。
そのうえで世界の人たちと手をつなぐことは、まったく問題ない。
お互いを尊重し合いながら、各自の独自性を生かし補い合いながら。
むしろ、そのために足元がしっかり地に着いて、アイデンティティをしっかり持つことが大事。
排外主義が横行するのは、それをやろうとしても満たされない状況に追い込まれてストレスがたまって、おかしな方向にたきつけられたときよね。



未整理なものをとりあえずメモ。
話がずれてるかしら、どうかしら。
今後整理がつけられるといいな。

幸せの経済学 [DVD]
ビデオメーカー
2012-05-22



政府はもう嘘をつけない (角川新書)
堤 未果
KADOKAWA/角川書店
2016-07-10







東京で行われている講義を、ツイキャスで視聴。
メモを書き起こしました。
みずほ塾の事務局に確認したところ、ブログやSNSに内容や感想を書くのはOKとのことでしたので、
メモとして貼り付けておきます。
私の理解が間違っていたり、表現についておかしなところもあるかもしれません。

**************

(6)R大3年。農業(食べ物)と酒で地域を盛り上げるサークルで日本40県を巡った。
|亙では、海外の安い食料が入ってきて自分たちが苦しいという農家の想いや実感から排外主義につながっていたりする。自分としてはトランプ支持の気持ちもわかる。
安倍首相は「アメリカ・ファースト」だと思う。安倍首相もトランプ大統領もふたりとも「アメリカ・ファースト」なのではないか。
⇒(浜)違うと思う。安倍首相が「日米同盟が大事」というのは方便にすぎない。大東亜共栄圏のために、踏み台として使いやすいから使っている。大日本帝国に戻りたいのであって、戦後レジームというのは日米同盟ということ。
,海領れ(海外の安い食材によって国内の農家が圧迫されること)を止めてほしいという想いは、それはそれとして受け止めねばならない。本当の理想は食料自給率0になるのがよい。農業をやっているが他人のためにやっているという状態がよい。理想論をやっても仕方ないとは絶対に言ってはならない。トランプ・安倍的誘惑に負けてはいけない。
 トランプを低所得者層が支持したとはいえ、彼らは裏切られるだろう。

(7)尖閣問題以来、中国・北朝鮮は怖いでしょといわれたときに、恐怖にからめ取られずにいるためにはどうしたらよいか。
⇒(浜)それはいかに確信をもって言うかにかかっている。怖いといえば怖い。向こうがやってきたからこっちも防衛せねばというより、丸腰に打ち込んでくるなら世も末だよ、世界は終わりだよと、誰かが開き直る必要がある。
 ただしそれは、本当に丸腰でないと言えない。憲法でそれを打ち出しているのは強み。それを日本が言わなくなったら誰が言うの?やり返す前にやられちゃうし、意味がない。
 一切武力を持たないことが本当の「積極的平和主義」。そのことを、ひるまずに言うこと。経済成長しなくてもいいのかなどということばは、まっとうに考える人をひるませる。相手のことを理解しなければと思う良識派の良識をひるませる。ひるまないことが大事。

(8)30ヶ国以上を取材したジャーナリスト。ドイツは難民を受け入れたが、テロの危険がある。当初日本が難民を受け入れることに賛成だったが、犯罪が増えるとか不法入国がたくさんある。日本の状況では、まともに受け入れなくても隠れた問題がある。日本はどのように対応すべきか。
⇒(浜)大原則的には来るものは拒まず、去るものは追わず。度胸と愛嬌が必要。スタンス、気構えの問題。問題防止のために細やかなチェック体制などは必要だろう。今、少ないうちに徹底的に準備しておけば開かれた経済社会を作っていける。

(9) 崚毀吋侫 璽好函廚半池都知事が言っている。女性のリーダーシップへの対抗策は。
∩陲虜ポピュリズム、愛国主義の庶民へはどういうアプローチをすればよいか。
⇒(浜) 崚毀吋侫 璽好函廚箸いΔ里何を意味しているのかよくわからない。小池都知事は今は一定の役割を果たしているといえる。本当の野心は「世界の中心」派であるので、焦りに負けず、どこからあらを探すか、ものを見つめ分析して正解を見つけられるように。焦ると弱いところを見落とす。
▲櫂團絅螢坤犲体、本来は悪くないもののはず。「人々主義」ということであるから。しかし、それを借りて右翼がのさばっていく。やっぱり基本的にはゆるぎない、確信をもって何が本来あるべき姿か。相手をどう説得するか、よりも、自分がどう納得できるか。「相手を説得する」ことを考えると焦るので。

(10)”當未凌諭垢寮治参加のある韓国の動きへのコメントを。
⊇性クオータ制について。
グローバリズムについて。ヘイトクライムが問題になっているが、一般的に世界と仲良くすべきだろう。韓国とのつながりは特に大事なのでは。
⇒(浜)ゝ酣10月以降韓国の市民には力づけられている。声高に怒りを炸裂させるのが上手。大きな圧力として結集できるのはとても大切なこと。あんまりききわけがよくなるのは怖い。われわれも我を忘れて憤激することが必要。大人の怒り(いかり)方は民主主義の機能に大切。韓国にはパワーがある。
⊇性クオータ制
 韓国では研究されているが、仕組みを導入する者たちのピュアさが大事。下心があってアリバイ作りのために特定の階層の女性を出したいなどの思惑があるとまずい。純粋なものから出ているのかが評価のポイント。
6瓩靴の擔佑箸靴董△發辰醗媼韻靴討笋辰討いないといけない。(イギリスの話も出ていた)

urtynduu at 23:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

みずほ塾 第一回メモ(3)

みずほ塾 第一回 質疑応答の前半。

このなかでまったく同感なのは、「人の知性を疑ってはいけない」というところ。
へこたれても先が見えにくくても、希望と誠意をもって声を出さなければ変わらないし、
出していれば可能性があるよね。
あきらめたら負け。簡単に通じないからって見下すなんてもってのほか。
個に対する敬意が大事だ。





東京で行われている講義を、ツイキャスで視聴。
メモを書き起こしました。
みずほ塾の事務局に確認したところ、ブログやSNSに内容や感想を書くのはOKとのことでしたので、
メモとして貼り付けておきます。
私の理解が間違っていたり、表現についておかしなところもあるかもしれません。

**************

【質疑応答】
(1)(略)愛国婦人会のように、女性運動をしていた方も愛国主義へと転向した歴史がある。今ワイドショーを見て笑っているおばさん方が変えていけるものか。
⇒(浜)大変失礼な物言いなので訂正していただきたい。正論であると思うことを誠意をもって言い続けること。国民のレベルが低いからだという考えは断じていけない。どういう風に人を説得するのか、こういうやつらが出てきちゃう背景には、まともに考えている人たちが、素直に誠意をもって意見を言うことができないひるみがあった。こっちの方が経済的にうまくいくでしょとか言っちゃうと、いいように言われちゃう。相手がどう受け止めるかは考えない。人の知性を疑ってはいけない。熱血をもって。

(2)アメリカはトランプ大統領に対して司法がストップをかける三権分立が機能している。日本は安倍首相が幼稚なことを言っても政治の場で通ってしまっている。日本も三権分立がシステムとしてあるはずなのに、どうして止められないのか。機能不全に陥っているということか。他の国なら戦争に向かって爆走することはなさそうなのに、日本の場合は機能によって止められるという信頼が薄い。
⇒(浜)日本で機能していないとは必ずしもいえない。司法の踏ん張りもあるといえると思う。アメリカは大統領令に対する司法の活躍が見えやすい。日本で暴走を止められない原因は国会にある。(塾長を例外として)野党が野党の仕事をしていない。与党・野党ともに誤解がある。「対案を出さないとダメ」と安倍首相が言ったとしても、まじめに対案など出さなくてよい。野党というのは、与党の悪口をいい、あらを探し、悪いところを暴くという立場。野党が審査をする側。鋭い質問をされても与党は耐えて答えねばならない。野党にもその認識が欠けている。もっと審査員として威張っているべき。役割についての認識が力強いものになることが重要なポイント。

(3)安倍首相は反グローバルとの説明があった。規制緩和と新自由主義を進めていて、見た目はグローバルっぽいけれども、どう理解したらよいのか。
⇒まさにこのような誤解が広まっている。淘汰の論理と弱肉強食が貫徹するのがグローバルだ、と。
 土台のところでグローバルである時代である。人、モノ、カネが動く。ひとりでは生きていけない。3.11の震災で、福島の片隅の零細企業が被災した影響で世界の自動車生産が止まってしまった。世界で最大にして最強の事業も、最小の協力がないと立ち行かない。みんなが自分のためにしていたら何もうまくいかない。アメリカがメキシコとの国境に壁を作るにはメキシコからセメントを輸入しないとできないという話もある。
 いまだかつてない形で人が人を支える、そちらの方向に持っていかねばならない。新自由主義(ネオリベラリズム、「強いものを強く、大きいもの大きく」)+新保守主義(ネオコン、国家主義。反グローバルから出てきているもの)=ファシズム
 グローバルが諸悪の根源であるという認識が誤解である。経済グローバル化に政治はついていけない。なぜなら政治は国境を越えられないから。
 人、モノ、カネが動いているところで人々はどうしたらよいのか。努力が必要。

(4)^打椶気鵑糧織哀蹇璽丱襪鮖澆瓩襪砲呂匹Δ靴燭蕕茲い。選挙?
△泙拭△修發修睨,了拉曚崩れている。三権分立を機能させるためにはどうすればよいか。
トランプ氏は不動産業だから成功した、ITならだめだったといわれている。ビジネスマンとして評価されているというが、彼のよいところは?
⇒(浜)〜挙がもちろん重要である。他の人を巻き込むため、徹底的に敵情視察すること。これはひとつの決め手となる。われわれが何はともあれ考えていくこと。今何が起きているか、目を皿のようにして見つめること。それはとても不愉快なことではあるが。書き物を最新の注意を持って読むこと。そうすることで議論する際に説得することができる。
∨,了拉曚砲弔い董われわれの目が届いていない。チームアホノミクスは会議大好きで議会が嫌い。仲間同士の会議ですべてを決めていく。議会はお付き合い程度。以前は省庁の審議会があって、幅広く意見を聞いているというアリバイ作りの面があるにせよ、議論があった。現在は、総理大臣の私的諮問会議で済ませて議会を無視している。
トランプさんのいいところ。引きこもりであってしゃしゃり出てこないところがいいところといえないこともない。トランプさんはビジネスマンだから、ネゴシエーターとしてわたりあえばいいのだなどといわれることもあるが、事業についてはことごとく全部失敗している不動産屋さんのドラ息子。自分の力で成功させているわけではない。トランプ大学というものを作ったが、訴訟を70件起こされ、金で話をつけている。ビジネスマンとしてのセンスはない。大不動産王で気も弱い。打たれ弱い。勝って怒るのは根性なしであって、そこがあえていえばいいところかもしれない。

(5)どう戦うのか。女性議員候補を見極め議会に送り込んでいくには。
⇒(浜)クオータ制などの話もあるが、あの防衛大臣のように「〜チルドレン」などと呼ばれ、平和を考えない女性もいる。アジアは2世3世の女性議員も多い。防衛大臣はボクチャン型である。そういうことを見抜いていかねばならない。2世3世ではなく、「普通の人」が国会議員になれる状況が必要。男女問わず。あるときは民間の仕事をしていて、ありきたりの人が議員になったり戻ったりできるようになるとよいと思う。
 国会中継を見ていてもまっとうな普通の人は福島さんくらいで、「なんだこれ?」「普通いないよね」という人が多い。「女性を」というとおっさんタイプになっちゃうのは問題。「普通」が一番。

urtynduu at 23:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2017年03月27日

みずほ塾 第一回メモ(2)

みずほ塾第一回の後半メモ。
浜矩子さんは、熊本日日新聞にも登場して、ぐっさりぐさぐさと本質をついてくださる感じが心強いと思ってはいたけれど、(ネット越しの映像ではあるけれど)お話を聞くのは初めて。話の整理の仕方が上手だなあと思った。それからときどき笑いを誘う話術も。
ツッコミどころ満載なのにテレビじゃ誰も笑いに転換しないおかしな政治を、イマドキは結構ツイッターで一般の人がおもしろくしてくれてたりするけど、やっぱりこうしてちゃんとおかしなところはツッコミ入れて笑い飛ばしていかないとね。

東京で行われている講義を、ツイキャスで視聴。
メモを書き起こしました。
みずほ塾の事務局に確認したところ、ブログやSNSに内容や感想を書くのはOKとのことでしたので、
メモとして貼り付けておきます。
私の理解が間違っていたり、表現についておかしなところもあるかもしれません。

**************
【浜矩子「反グローバルの落とし穴〜排外主義に飲み込まれないために〜」】
 塾長から、「政治を変えよう」との力強い話があった。「変える、変わる」というのが私の今日の話の冒頭のテーマである。
 世の中に女性、男性−LGBT含めて−がいるが、それとは別のカテゴリがある。「おっさん」=「ぼくちゃん」集団というのがある。安倍内閣に集結する女性も仲間。
 どういう風に変えていくか。状況は変わる。変えられるという思いが私にはある。
 その思いを強めている理由を述べる。
 私の十八番である「アホノミクス」ということばは、2013年春先、安倍政権発足当初からメディアのインタビュー等で使っている。当初から、取材の人が基本的に喜ぶことばであった。「とてもいい」「わかりやすい」と。しかし、そのあとに共通した反応が見られた。「おもしろい。だけど書くわけにはいきませんねえ。どんと見出しにできたらいいけど」と。
 それで、自分では品が悪かったかな、と思いつつ、しつこく言い続けた。
 今の状況としては、出版社から本を出しませんかといわれるとき、何はともあれタイトルに「アホノミクス」ということばを刷りたいといわれるようになってきた。
 ドアホノミクスの正体などと、出す本出す本に「書いてないとダメ」なようになっている。
 それで、状況は変わるんだなあと。しつこく使ってきたが、世の中の空気、雰囲気が変わってきた。やっぱりおかしいよな、と。
 メディアは流れが変わっていると敏感に察知する。世の中の空気が変わってきた。
 安倍政権の支持率は下がらない。野党は何をやってる、何も変わらないじゃないか、とフラストレーションを感じている人は多いが、変わる、変えられることを共有したい。
 反グローバル。気になっている。経済のグローバル化が進んでいるのが諸悪の根源だと、善良でまっとうな人ほど、人々を不幸にしているものに対して反グローバルののろしをあげねばと思わされている。
 反グローバルを叫ぶことは、排外主義、国家主義に繋がる。
 (グローバル化について)理解できていないから色々と問題が生じるが、知恵をもって克服すべきである。そうでないと排外主義的な妖怪たちの思うつぼにはまってしまう。
 一つ目のポイント:今もっとも懸念すべきことは何か。
 二つ目のポイント:もっとも警戒すべき人は誰か。
 我々に教えてくれている人のことばがある。
 フランスで、大統領選に勝っちゃうかも?といわれているマリーヌ・ル・ペン(国民戦線)という人。おっさんの部類。おばさんだけど。ジャン=マリー・ル・ペンというお父さんを追い出した。選挙運動が始動したが、「今や右翼も左翼もない。あるのはグローバル主義と愛国主義の対立だけだ。」と言った。
 新グローバル化を是とすることは愛国者ではない。非国民であるということ。これに煽られるなら国粋主義のマーチで行進することになる。警戒すべき。
 愛国主義をかざす。我が国が大切、他はどうでもいい。それ自体もとより根源的に大問題。暴力的拒絶、差別的である。一番怖いところは、国家至上主義つまり、権力装置であるところの国家のために国民は存在するという発想に引っ張られてしまうこと。基本的人権が踏みにじられてしまう。
 つくづくしっかり見極めを。見誤ると、反グローバルが人々のためでは?とふと思いたくなってしまう。
 1930年代に世界を引きずり込もうとしている妖怪たち。これが一番懸念すべきこと。
 次に、もっとも警戒すべき人は誰か。結論から言って、怪しげな空気の中、ことのほか怪しいチームアホノミクスの親分安倍晋三さんである。ドナルド・トランプと思う人もいるだろう。彼も相当ひどいが、あの程度のことで驚くべきではない。そこに本質はない。
 トランプと妖怪チームアホノミクスを比べることで何が怖いかがわかる。
 両者どこが同じなのか。
 大いなる共通点は「幼児的凶暴性」である。幼児に対してとてもとても失礼ではある。今、自分の言うとおりにならないと、力の限りののしらないと気が済まない。自分と違うことを言うやつは消せ。徹底的に自己中心的なところを抑えられない。かんしゃくを抑え込めない。大人の成熟がない。「早く質問しろ」「やっても意味がない」自分にとっても得にならない。自分は公人妻は私人とか、何をムキになっているのかと思いますが。容疑者性があるのが、出てしまう。人が慌てて否定することはたいてい本当。見境なく言ってしまう。あそこまで自虐的にならなくてもいいのに、攻撃性を出してしまう。
 次の大いなる共通点は「人のためになることができない」。人のために涙することはない。それは大人がすること。自分のため、怒りのあまりとかで涙することはあるかもしれないが、子どもほど人のために泣くことはできない。どうみたってこの二人にはない。人の足を踏んでも気づかないし、痛い、と言われたら「お前の足がそこにあるのが悪い」とか言いそう。
 さて、大きな違い。トランプの決まり文句は「アメリカファースト、アメリカ第一主義」。アメリカのことしか考えない。世界のことはどうでもいい。グローバルに国歌、国旗はない。アメリカはアメリカのために。過激さ、凶暴性に満ちている。排外主義。引きこもり的。
 アホノミクスは拡張主義的。これまで5回の施政方針演説があった。通常国会における所信表明。2013、14、15、16、17とあったが、13年と14年では繰り返し「世界一」ということばを使っていた。13年は8回、14年は4回。
 ぼくちゃん世界一になりたいんだ。Japan as No.1。一番になりたい。制覇していきたい。占領していきたいという願望がどっと詰まっている。
 対して、アメリカ・ファーストは、アメリカのために引きこもりたいです。ほっといて、ということ。
 施政方針演説における「世界一」は2015年以降はなくなった。「世界の中心」に日本が行くというのがちらちらと出てくる。
 2017年は大統領就任演説と同日だったためまるで注目されなかったが、はるかに恐ろしい内容であった。
 「世界の真ん中で輝く日本」というフレーズが4回登場。「世界の真ん中で輝く国づくり」と。アメリカ・ファーストよりJapan as No.1はアグレッシブだが、まだかわいい方。「世界一になりたい」はいろんな選手が参加する中でナンバーワンを勝ち取りたいということ。「世界の真ん中で輝く」は、競技に参加などしない。太陽になる。他の者どもはわが衛星であり、下々は回っていなさいということ。
 当初、グローバル・ブリテンとアメリカ・ファーストが両極と思った。テリーザ・メイ首相(女性)がEU離脱交渉が3月末から始まるにあたり、どういう心意気で臨むかを語ったことば。グローバルな経済に抱かれた、開かれた社会の一員。EUの中に閉じこもっていたころより、海洋国としてやっていくという意味。
 右翼や国粋主義者がうじゃうじゃ出てきていて怖い。うまく回していかなきゃいけない。
 ルペンは恐ろしいが、主張はつまりフランス・ファーストである。フランスが世界の真ん中で輝くとはいわない。世界制覇を目指すわけじゃない。
 オランダは近く総選挙が行われる。排外主義の自由党が1945年以来はじめて議席を占めてしまうのではないかと心配されている。
 フランスは4月〜5月頭。
 ドイツはメルケルが負ければ怖いことになるだろう。
 とはいえ、ヨーロッパの排外主義は「我が国ファースト」。イギリスにも、我が国ファースト主義者はいる。
 そこを突き抜けているアホノミクスは拡張主義的であり、幼児的であり暴力的である。
 いちばん警戒すべきアホノミクスに近いのは、プーチン、中国の習近平。北朝鮮は世界制覇は考えていないだろう。
 今回ほどはっきり出てきたことはない。施政方針演説2017年度は従来見られなかった特徴として、―蕕瓩橡粗で外交安全保障に触れた。過去4回は、経済頑張りますの後だった。そこのタイトルが「世界の真ん中」「地球儀を俯瞰する外交」ASEAN、豪州、インドが手を携えて、アジア環太平洋インド洋に至る領域の平和の確保に日本が責任を持つと。インド洋が入るということは、大東亜共栄圏を上回る規模の話。初めてそんな言い方をしたその理由。
 最後の締めくくりは、戦後70年となった。今後70年の国づくり。新たな国づくり。憲法審査会で具体的案を具体的に議論しようではありませんか。
 ・・・我々は彼に別段新たな国を作ってほしいと別段頼んでいないが、建国神話のような言い方で拡張主義的野望の正体が前面に出ている。ここまで露骨に出してきている理由は二つ。
 〃觜従任辰討い襦今この流れでやっとかないと到達できない。そもそも彼が目指しているのは「戦後レジーム(体制)からの脱却」=戦後が嫌なら戦前に戻るしかない。だから現行憲法を変えたい。戦前とはつまり大日本帝国の世界に引きずり戻したい。タイミング的には真珠湾に行って戦後レジーム総決算した。ケリ、カタをつけるために行った。だからこれからは戦後を越えて新たな世界。
 アホノミクスが思った通りにいってないので、待ってると勢いがなくなっちゃうからものいえば唇寒しじゃないですが、夏の参院選では、「アベノミクスは失敗したわけではありません。道半ばなのでもっとふかさせてくれ」と言ってましたね。そのうち自分でアホノミクスと口走ってしまいそう。内心うまくいってないと思ってるから否定する。よこしまな下心は変わっていないが、同一賃金とか長時間労働対策とかで点数稼ぎをしなきゃならなくなった。
 都合よくこれが出てきたが、(アメリカが)引きこもりと(日本が)拡張的なのは相性がいい。日米同盟はうっとうしかった。核兵器もなんなら持ってくださいといわれてるから、TPPは21世紀版大東亜共栄圏に繋がるから推し進めたかった。経済効果もさることながら、安保上よいとの認識であった。アメリカがこうなってるからにはよっしゃいけ、となってるのではないか、
 お互い手を差し伸べあって生きていきたいというイギリスの対極「われこそは太陽なり」。
 力強く政治を変えて、みずほ塾の方々なら中央突破で必ずやできると思う。

urtynduu at 23:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

みずほ塾 第一回メモ(1)

福島みずほさんの「みずほ塾」の塾生になりました。
私はとくに政党を決めているわけではない。
政治家になりたいわけでもない。
しかし、政治が生活に直結していることは、小泉政権あたりからのやりたい放題以降、それからとくに3.11後のひどい状況の中でひしひしと感じています。
そして、自分が政界に送り込みたいと思った人を、どうやったら本当に送り込めるのか、ということに関心を持っている。
昔から「市民派」の候補が当選することなんか、ほとんど見たことがなかった。
私たち、もとい、少なくとも私は、それであきらめさせられてきたんだと思う。
でも今は、以前なら考えられなかった「野党共闘」が実現し、地方の自治体も含めて見ると、人間らしい主張をしている人がかつてないほどに当選しているように見える。
3.11後、自分の頭で考える人、人間らしい社会を求める人、気づく人が、確実に増えていると思う。
あきらめちゃいけないし、あきらめる必要はまったくないと思う。
どんどんオープンに語り合える世の中にして、政治の話もお天気の話同様にできるようにしたい。
そしたら当然社会も変わるでしょう。
と、常々思いつつ、とくに形にはできていない私。

大抵いつも、くたびれて、へこたれて、「何もできない」とあきらめて、仕事と保護者業だけを必死でこなして生きている。
興味の幅を広げすぎても、何もできない自分に嫌気がさすばかりなので視野は狭く、と心がけている。

それなのに、関わりを持ちたいと直感がはたらけば、がばっと体が勝手に動く。
「この人は本物だ」と思える人の本は読むし、話も聞くチャンスがあれば行く。
その見極めは、我ながらすごく不思議だけど、後からとても納得がいく。
わざわざ赴いた先でヌルい話とかされるとめちゃくちゃ腹が立つので、
そういうことからの自衛策として体が覚えたのかもしれない。
このみずほ塾も、facebookで情報を見かけたときに何かぴんときた。
大体、申し込みの締め切りなんかは、知らないうちに(見ないフリしてるうちに)過ぎてた、というのが普段の私であって、締切の日を覚えていて夜なべして申し込みの論文(というほどのものでもないが)を書けたこと自体が内なる衝動のなせるわざなのである。

東京で行われている講義を、ツイキャスで視聴。
メモを書き起こしました。
みずほ塾の事務局に確認したところ、ブログやSNSに内容や感想を書くのはOKとのことでしたので、
メモとして貼り付けておきます。
私の理解が間違っていたり、表現についておかしなところもあるかもしれません。
まずは前半。
*********
みずほ塾 第一回(1)
2017/3/9

【福島みずほ「女は政治に向いている」】
 森友学園のことが問題になっている。発端は豊中市議会議員の人が情報公開を請求したこと。金額が非公開で出てきたので、裁判に訴えて金額が出てきた。豊中市の人だけでなく、国会議員でもたとえば森ゆうこさんが不動産鑑定書を入手したと聞けば「見せて」ということで、他党の人と連携している。連携しないと、誰がどういう資料を持っているかわからないので。
 自治体にがんばる議員を増やせれば、変えられる。
 今日はみずほ塾第一回。ここから日本の未来を変えたい。毎年続けて、20年ぐらいあとに振り返って、あそこから日本を変えたよねと言えるように。
 私は20代は勉強、30代は弁護士と社会活動、42歳で議員になった。1982年に土井さんに立候補を考えてみないかといわれて、気が弱いので向きませんと答えた。一日一日ハッピーに生きていく信条なのでいやですと。土井さんはそれに対し、一日一日ハッピーとはいかないが、やりがいがあるとおっしゃった。
 戦争法などが目の前で成立していくのを経験して、すごくいやなことだしつらい。民主主義がバリバリ壊れていく。しかし、質問をしたり、やったらどうかと提案して法案を作るというのはやりがいがある。
 私は「趣味:質問」というくらい質問が好きだが、こんなひどい状況の中で政治の場にいられてよかった。
 女は政治に向いている。男社会を補強する存在としてではなくて。
 以前女性首長大集合という集まりをしたことがある。当時29人いた首長さんのうち22名が集まった。当初、愚痴をこぼすと思ったが、ある町長は、町議になったときに、「なんだ、政治というのは私がやってきたことをやるところなんだ」と思ったという。給食、食べ物、まちづくり等市民運動でやっていることを政治でやる。政治は生活、現場から学んで政治を変えていく。多くの男性より苦労している女性のほうが問題点を把握していて、変えていける。
 女は利権に遠い−なかには利権まみれの女もいるが−ので、人のための政治ができる。
 コミュニケーション力もある。政治はみんなのもの。
 マウンティング言語−うんちく、説教、昔はこうだった、何もわかっていない、オレはえらい等−ではなく、対等で自由な討論ができる場所。人々と会話をし、学びあい、リスペクトして未来を作っていく。
 いろんな女や男がいるけれど、ざっくりいって女性のほうがそういうことに長けている。
 まじめで空気を読まない女性が変えていく。村社会になじんでいたらいかん。異邦人であるほうがよい。
 よく少数会派で何ができる?といわれるが、まじめでがんばる人が一人議会にいると、議会がピリッとする。役場も緊張する。
 政治を変えよう。男社会を変えよう。
 社会の生きづらさを政治の課題にしていく。政治を変えるネタをタネにする。タネをネタにする?
 労働時間のことでいえば、女からいえば一日の労働時間を規制してほしい。女が意思決定の場に行って変えなきゃ、想像もついてない。
 意思決定の場にはバラエティに富んだ人がいなきゃいけない。
 DV防止法を作った。各党に女性がいて、協力した。女性やマイノリティが参戦すると優先順位が変わる。できる法律が変わる。
 社会民主的、脱原発、軍事、ミサイル防衛等。
 中高の職業訓練で自衛隊や米軍(レストラン?)に行く。
 (今日この場には男性もいるが、)女性といっても、女装した男性だったら意味がない。男性と違う価値観、違う生きづらさを持ってるのじゃなきゃ。男の権力の切れ端をもらって喜んでいる場合じゃない。
 シスターフットでも人類愛でもブラザーフットでもいいが、ドイツが脱原発できたのは、女が政府の発表を信じず、行動したから。南アフリカのアパルトヘイトが崩れたのは、女たちのささやき戦術があったから。失業した女たちが化粧品の訪問販売員になって、訪問先の人とふたりきりになるのでじっくり話をした。
 おっさん政治を変えたい。政官業癒着、市民の現場や想いを見ない。自分の依拠する団体に依拠すれば足りると思っている。学ばない。内弁慶。外国人、難民、受刑者、子どもなどの選挙権を持たない人に冷たい。一緒に生きるならそれではいけない。三度の飯より権力闘争。マウンティング言語。「あなたはどうしたい?」より「こうすべきだ」といわれる。個人へのリスペクトがない。国会にいると一般社会より古いと感じる。野次、セクシャルハラスメントがすごい。
 教育勅語について、稲田朋美は、全部いいと言った。麻生や安倍ですら、最後の一行は問題であると言っているのに。
 私はセクシャルハラスメント問題の弁護士だった。企業なら許されないようなことが国会ではされている。2世3世4世の政治家が多い。戦前の支配層が戦後を引き継いでいる。
 庶民は押し付け憲法なんて思っていない。「押し付けられた」というのは、自分たちの権限が減ったと思う人たち。そういう人たちが意思決定の場を牛耳っている。一般の人とのかい離がある。国民は統治の対象であると思っている。
 自民党の憲法草案では、個人の尊重はなくなり人間として尊重されるのみ。最小単位は家族。「個人としてリスペクトする」がない。2〜4世政治家にとっては、毛並みが重要である。彼らは家督制度のなかで生きている。
 選択的夫婦別姓などは、もっと早く成立させたかったが、私のライフワークになってしまっている。国会ではすさまじい抵抗がある。家業としての政治家を継いでいるから。
議員宿舎に住んでいて、ご飯を食べるときに「骨を取ってくれ」といわれる。少年のときはお母さん、結婚後は妻が骨を取ってやっていた。やってくれる人がいないと、その他の女にまでやってもらおうとする。対等な言語を持たない。「あんた何考えてんのよ」と言ってくれる女性が彼の人生に登場しなかったのはさみしいこと。
社会民主主義で庶民のための政治を戦略を練り、一緒にがんばりたい。
今回のみずほ塾の申込動機には、3.11までは政治に関心がなかったが、原発事故が起きて、政治を人任せにしておいたら大変なことになると思ったというものが多かった。
主権者、主人公として勉強して一緒に未来をつくる。
意思決定の場はやはり重要。戦争、介護、税金、労働・・・人の人生、一日の生活がそれによって変わる。
あらゆるところで友だちになってくれたらうれしい。
秘密保護法、盗聴法、共謀罪、憲法改悪の危機。こんな時代だからこそ、一緒に希望をもっていきたい。仲良くね。
時代が世知辛く議員の劣化も激しいが、楽しいことをやっていこう。ここは希望ムンムンだと感じる。

urtynduu at 23:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2017年03月26日

報告:産山村の小学校で演奏

先日、産山村の小学校にて、演奏とお話をしてきました。
知人の紹介で阿蘇市の小学校に呼んでいただいたのが去年。
担当の先生が異動先でまた呼んでくださいました。
ありがたいこと。

対象は一、二年生。かわいいー(*^^*)反応がとても素直でかわいい。
こちらがほんとに元気をもらって幸せな気持ちになりました。
先生方の雰囲気も温かくて人間らしくて、授業後に少しお話させていただきましたが、ほっとしました。
子どもたちの目のキラキラぶりはすさまじかった。
手遊び歌は、ホワイトボードの歌詞を昼休みに書き写しに来るから先生消さないで!といい、
教室に戻る前にもホワイトボードの前で数人で自主的に復習(笑)。

こんなに興味を持ってくれるなら、さらにモンゴル料理や映画で畳み掛けてあげたい。

内容は、『ぼくのうちはゲル』読み聞かせから。
あてどもなくさまよっているわけじゃないのよ。
家族ごとに季節の土地があることがわかるのがよい。
それから、モンゴル人が描いているところもよい。
子守歌が出てくるのもよい。
「ゲル」は模型を見せる。
ぼくのうちはゲル
バーサンスレン・ボロルマー
石風社
2006-05


それから、モンゴルの家畜5種類はなんでしょう?〜少しモンゴル語講座。
おうちで牛を飼ってる人もいるよね。
ヤマーはなんだと思う?ヤギ!なんでわかった?だってヤで始まるから。なるほど!
子ども用デールを代表ひとりに着てもらって。
馬で走ったことある人?(全員あります、と先生。なんてこと!うぶやま牧場があるかららしい。)
鞭の使い方を解説。
楽しみにしてた馬頭琴はこんな音色(私がもっと弾いてあげられるともっといいのだけど)。
じゃあね、こういうところでできた歌を聴いてみて。
声が大きいから気をつけてね。
「涼しく美しきハンガイ」
発声練習もピアノで少し。
それからこんどは小さい声で、子守歌紹介。
それから手遊び歌もやってみよう。
そんなにやる気なら「こんにちは」も覚えて、クラスでお互いにあいさつで使ってね。
など。
終わってからも、モンゴルブーツを履いてみたり、馬頭琴の弦の束を確かめたり、興味津々しんしん。
また来てください!だって。
後日届いた感想も、行からはみだしてもりもり書いてくれた子がたくさん。

産山村とモンゴルは、ヒゴタイでもつながっていることだなあ。

urtynduu at 02:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2017年03月25日

久しぶりにyoutubeに動画をあげました

ブログの更新も久しぶり。
年末年始のどたばたと、模様替えのあとのごたごたと、寒さと、
インフルエンザと、年度末のどたばたのなかをやっとやっと生きてきまして。
余裕がまったくないなあと思う反面、
振り返れば、必死のカタツムリの歩みではあっても、
一応それなりに成し遂げたことはある。
息子は念願の自分の部屋を持ち、
娘も広い廊下を活用した自分の部屋を持ち、
PCに家族みんながアクセスしやすい配置にし、
ちょーめんどくさいネットのペアレンタルコントロールの設定をしたので
子どもたちもネットを利用できるようになっているのであります。
だいたいが、自由になる土日が少ないのに、年末年始で引越しのような模様替えをして
それ以来一応新しい日常が回るようになってるんだから、
なかなかがんばっていると自分で認めておこう。
で、PCを暖かい部屋でいじれるようになったので、
グリーンコープの注文をネットでする気持ちになり、
しょっぱいおやつがほしくておせんべいをネットで注文したり、
地味〜〜〜〜〜に生活が便利に。
で、スマホでお茶を濁していたネットとの関わりも、
また少し変えていっているところ。
で、そんななか、私だって少しは歌い手らしく何かしらやってる感を
出そうかな、という気分も復活。

それもこれもあれもどれも、経済的な状況の(本当に地味で微かではあるけれども)改善と、
一年半ほど「それしかやらない」というくらいに集中してきた体の改革で、
全身的に体調が整ってきた証だと思っています。

というわけで。
熊本に来たばかりの頃から、東京の音楽つながりの人たちなどからいわれていたことに、
やっと、たどり着きました。

国道沿いで、ほとんど誰も省みない場所みたいなんだけど、大好きな絶景の展望所にて。
自然の、大きな空間で歌う喜びといったら。
遠くの山際から返ってくる反響もおもしろい。
スマホで撮りっぱなしの無編集ですが、気持ちよさが伝わるといいな。

●涼しく美しきハンガイ20170324(三枝彩子/モンゴル民謡オルティンドー) 


あ、ちなみに、マイクは普通に電話で使うイヤホンです。
bluetoothのワイヤレスなので、カメラから離れて使える。
なかなか自然な音でよかったなあと思っているところ。


憧れの、魚眼レンズは、検索するうち、スマホ用って数百円なんだ?と驚いて、購入
(実際に買ったのはダイレックスだったけど(笑))。
写真や動画撮るだけでアーティスティックな感じになっちゃっておもしろいですね。
日常に潤い、って感じで。
職場で自慢したらあっという間に流行して笑えました。
たとえば、こんなの↓ですね。


スマホ用の三脚も。
普通の三脚持ってれば、スマホのホルダーだけでもいいそうですが、私は小さめの三脚ごと購入しました。
これで、あちこち景色のいいところ行ったらちょっと歌って撮るっていう方向性でいってみようと思います。
こんな感じのです↓。


urtynduu at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年12月18日

家族の図

8c632c14.jpgうちの娘から見た家族の図。
母と娘がおふざけしてるとお兄ちゃんがあきれる。
(娘の希望により掲載)


urtynduu at 22:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年12月02日

映画「ファルージャ」「広河隆一 人間の戦場」を見たメモ

映画「広河隆一 人間の戦場」を見た。
その前に「ファルージャ」も見た。
母子避難の友人が苦労している。

いろいろつながって頭がぐるぐるする。

広河さんと『DAYS JAPAN』は私にとっては大げさでなく,心の支え。
この,とんちんかんなことばが無批判に流布して咎められもしない狂気の世の中で,
まっとうな人間として伝えるべきを伝えたいと熱意を持って行動してくれている
人たちがまだたくさんいること,
そして,そういう情報を求め,この現状に怒ったり戸惑ったり行動したりしている人たちが,
こういう雑誌がなくならないほどには,まだいること。
その事実だけで私には大きな救い。

たくさん,たくさん,書き留めておきたいことがある。
思考が広がったり繋がったりする。
ひとりでもいいから,知らない人にも繋がってほしいからこそ,
書いておくことに意味があると思う。

まとまった時間がなかなか取れないので小出しにはなると思うけれども,
吐き出さずにおれないものがいくつもあるので,
きっと書くだろう。

高遠さんも広河さんも,国外を五感でよく知っており,
日本のなかが嘘とごまかしにまみれて
みんながとんちんかんな「ギロン」で足踏みしていることなんかさしおいて,
ずっとずっとずっと先を見ている。
見越して,今しなければならないことは何かを感じてわかって,行動している。

地に足の着いた,当たり前でシンプルなことを言ってくれる。

たくさんのたくさんの圧倒的な悲しみや嘆きや戸惑いを受け止めて,
だから,ふたりとも,話すトーンが,平坦で激昂とかしない(少なくとも映画の中では)。
事実が重すぎるから,「強調」する必要なんかないんだろうと思う。
それから,いちいち感情を沸き立たせていたら追いつかないほどなんじゃなかろうかと想像する。
でも,内にはすごく強い気持ちを持っていて,
だからこそ動いていて伝えている。


urtynduu at 12:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年11月15日

歌にまつわるお話ざっと訳:四歳の灰色の/赤毛の(/その他)馬(2)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
ふたつめのお話。
このお話は,セツェン・ハン・アイマグ(地名)の
ガンダン・ダシジンツェレン(人名)・ベイル(称号)の
オトク(行政区)のバラムサイン・セレーテルという人が最初に作ったという。
セレーテルはガンダン・ベイルの信奉する
チベットのガチン・ラマの馬群を放牧する仕事をしていたとき,
ある勇敢な(?)雌馬から灰色の(ボル)仔馬が立ったまま生まれたので,それにガンザガの印をつけた。
(その後)彼がハルハ川の馬の商人の馬群を4年間放牧していたとき,ガチン・ラマから買ってきたたくさんの馬の中に,印のついたボル馬がいた。
約束の期間が終わって商人が多額の報酬を渡そうとしたところへ,
セレーテルは「地を飛び越す(?)馬を一頭ください」と頼んだ。
商人は,「馬群から好きなのを取れ」と言った。
セレーテルが人を乗せたがらない荒馬のボルを選び取ると,
商人は何も言わなかった。
セレーテルはまったく大喜びだった。
こうして立ったまま生まれてきたガンザガの印のボル馬は,
バラムサイン・セレーテルの馬となったというわけだ。
バラムサイン・セレーテルは,ハイラースから北,
メルゲン川の近くにあるナガインタイン・ナルスから西,
ウゼムチンの地ドゥンゲネフ・オリアスタイという地の間を一日で過ぎ,
ガンダン・ベイルの家の近くを馬の速さに任せて走りすぎていくとき,
「四歳のボル」という歌を作って歌っていったという。
これらすべてに腹を立てたガンダン・ベイルは,
シリーン・サイン・エルとなってすばらしい駿馬ボルに乗った
バラムサイン・セレーテルを何年も捕まえようとしてできないことを
恨みに思い,武装した20人ほどの人に見張らせて
四歳のボル馬を撃ち殺し,(ついに)セレーテルを捕まえ,
ハルハ川のツァガーン・ウズールというところに4尋の穴を掘り,
20数ヶ月ものあいだ,食べ物も飲み物もやらずに住まわせ,餓死させたという。
こうして男の中のすばらしい男と,駿馬の中のすばらしい駿馬から生まれた
「四歳のボル」という歌が多くの人の間に広まったわけである。
また,同じころ,セツェン・ハン・アイマグのボフ・メンドの驚異的な駿馬「ボガン・ハリオン」馬がいたが,
この人の馬の名と間違えて歌われるようになった。

【メモ】
「最初に作った」という言い回しについて考える。
多くの人にいいと思って歌い継がれる歌は,
歌う人がまた歌詞を付け加えたりもしていくから,
「最初に作った」のはこの人,という言い方をする,のかしら。

エルメク・グーは「勇敢な雌馬」なのか。
仔馬が立ったまま生まれることについて詳しく知りたい。

「ガンザガの印」というのは,耳につける印の種類らしい。
ガンザガは馬具。
具体的にどんな印なのか知りたい。

ガザル・ヒトレグレフは「地を飛び越す」だろうか。

ガンダン・ベイルが怒ったのはなぜか。


urtynduu at 13:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年11月13日

馬の毛色について:貴重なコメントいただきました

オルティンドーによく登場するけど、どう伝えていいものやら、
そもそも私自身断言できるほどよくわかってない馬の毛色。
モンゴルに行ったときにはなるべく写真を撮ったり
モンゴルでも日本でも、モンゴルの馬に詳しい人をつかまえて訊いたり
チャンスがあればあがいてはいるわけですが。

豆雑誌『隔月誌オルティンドー』(5号)では、毛色のほかのことも含めて、
モンゴル語の「色の感覚」に触れています。
私なんぞがそういう難しいテーマについて書くのはおこがましい、と
実はあの豆雑誌を作っていたときは常に迷いがあったのですが、
分からないことも多いけれど、知ったことについては触れたりアウトプットしていないと
自分のなかで死んだ知識になってしまうという焦りもある。
話し相手がいないと、もったいないことになっちゃうのです。
ということで、自分がおもしろいと感じていることを中心に書きました。
それから、書くということで自分の中で整理がつけられたこともたくさん。
キコキコ商会さんで販売していますので、リンク先を覗いてみていただけるとうれしいです。

で、毛色のひとつにハリオンというのがあります。
ちょっと驚いたのが、私の持っているモンゴル語ー英語の辞書でisabellaの一言だったのです。
画像検索すると、確かにハリオンみたいに幅のある色の馬たちが出てくる。
その英単語を英和辞典で見れば「灰黄色」。
でも、各言語でそれひとことずつでかたづけられちゃうもの?と不思議だったので、
いつものように自分用メモとしてツイートしました。

それに対してフェイスブックのほうで
山本千夏さんより、
とってもとっても大事なコメントをいただいたので
了承をいただいて貼り付けます。

オルティンドーに登場してくる毛色名たちがごろごろ出てきて、
ほんとうはそこにたどり着きたいんですよ、っていう、「感覚」の話まで。
よだれが出そうです。

山本千夏さんは、モンゴル語学科の先輩で、
モンゴルで起業して、七転八倒しながらそれでも前へ向かっていつでも
チャレンジを続けていらっしゃる壮絶人生劇場な方です。
個人のモンゴル旅行を扱うほか、モンゴルでの取材のコーディネートもされてます。
モンゴルに滞在されてる方への乗馬ツアーとかも企画されてます。
通訳・翻訳でも活躍されつつ、「草原の我が家」で遊牧もされてしまうという、
私の身の回りにほんの数人いる「人生何人分?」と確認したくなる人のひとりです。
ご自身では「モンゴルだるま@モンゴル語通訳・エコツーリズム普及仕掛け人兼業遊牧民」とおっしゃってます。

先輩のブログもぜひ覗いてみてくださいね。
新モンゴルまるかじり☆旅と暮らしの生情報☆
http://ameblo.jp/mongolnomad0/

毛色については、日本語の本で読むなら『騎馬民族の心』で触れられています。



ちなみに、モンゴル語で画像検索すると色んな写真が出てくるので(ああ、イマドキは便利だなあ!)
モンゴル語がわからなくても、ある程度の参考にはなるのでは。
競馬でおめかしした馬の写真も山ほど出てくるので、おもしろいと思います。
興味のある方は検索してみてください。
馬は морь (モリ、厳密には去勢した乗用馬のことです)。これと、各色を組み合わせて検索したらいいと思います。

хонгор (ホンゴル)
халиун (ハリオン)
хул (ホル)
шарга (シャルガ)
бор (ボル)
цагаан (ツァガーン)(毛色以外でも使われる単語「白」)
улаан (オラーン)(毛色以外でも使われる単語「赤」)
ягаан (ヤガーン)(毛色以外でも使われる単語「ピンク、紫」)
зээрд (ゼールド)
ногоон (ノゴーン)(毛色以外でも使われる単語「緑」)
хээр (ヘール)
хар хээр (ハルヘール)
хөх (フフ)(毛色以外でも使われる単語「青」)
алаг (アラグ)(まだら)
цоохор (ツォーホル)
загал (ザガル)

***********(以下、山本千夏さんのコメント)

色彩もそうだけど、馬の毛色はね・・・結構、いろんなコーデで決まってるんですよ。地方によっても全然違うし。

シャルガにしても、すごく幅が広くって、アハルテケという中央アジアの品種で「世界で一番美しい馬」って言われている有名な子がいるんだけど、そういう黄金みたいなきらっきらなのもいれば、白馬に近いのもいる。

ハリオンもそう。
ただの毛色だけじゃなくて、タテガミの色、目の色、口先(鼻先)の周りの色、足先のほう(蹄の上の脛・踵あたりの部分)までの色、地肌の色、蹄の色などとの兼ね合いで変わります。

いちいち私も、あれは、これはって聞いて、そうなんだーって。

毛色で性格が違うとも日本などでは言われるんだけど、モンゴルでは調教の際のブレイキングの仕方と血統によるものって言われてますね。

伝説的な名馬は毛色や競走馬だったころの戦績、調教師がどんな人で、誰がオーナーだったかとか、その子が日ごろ走っていた草原や川など含めて、競馬好きや調教師さんたち、少年騎手などは大体言い伝えなどでご存知です。

生活文化と歌の意味が密接してる現象のひとつですね。

体形とか目の形、額や頭の形、胸部分の盛り上がり、後ろ足の踏み込み(日本語だと「とも」っていう)なども、馬の良しあしとともに性格を見極める重要なポイントなので、オルティンドーや競走馬のマクタールなどでも表現されることが多い。

毛色については、ホンゴルとかハリオン、ホル、シャルガ、ボル、ツァガーン、オラーン(ダルハド地方では、オラーンっていっても、白馬・月毛といわれるものが多い)、ヤガーンあたりは女性が乗ったときに素敵で、足が軽い子、賢い子、平和や幸せの象徴的に
ゼールド、ノゴーン、ヘール、ハルヘール、フフなどと言われるのは、男性的で足が速い子、激しさや勇猛さの象徴
アラグやツォーホル、ザガルなどは、ちょっと珍しい(といってもどこの群にも1-2頭はいる)特徴的な子は、個性豊かで人に従順とか、そんな感じで歌や伝説の駿馬として出てきていますね。

チンギスハーンの8頭のシャルガとか、2頭のザガルなどが有名で、やっぱりそういう毛色はモンゴル人も大好き。

学生のとき、客員教授の先生を質問攻めにして、「そんならお前が調べろ」って言われたけど、あまりにバラバラ過ぎたのと、ネガポジフィルム時代で現像代でしぬー!って思って断念しちゃった。

モンゴル人同士でも、地方差や、馬のどこの部分を組み合わせて呼ぶかによっても変わるから、「そうともいう」って感じ。
馬の名前が毛色と体形、出身地や元の持ち主の名前や性格、焼き印の名称と組み合わせたものであることが多いのも、面白いよね。

urtynduu at 11:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

歌にまつわるお話ざっと訳:四歳の灰色の/赤毛の(/その他)馬(1)

「四歳の赤毛の馬」等と訳される、ホーミー(喉歌)の曲として有名な歌の言い伝えは、
有能すぎて殿様(的な、「長官」)に疎ましがられ、
ついにふるさとを追われてしまった男性のお話。
なんと理不尽な、と切ない。
モンゴル民謡では「ふるさとを追われた人がふるさとを想って歌う歌」も結構多い。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
一つ目のお話。
ハルハ川のホショー(旗、行政区)の長官、ガンダン(人名)・ベイル(称号)の
馬群を放牧させていたバラムサイン・セレーテルは、
すらっと背が高く、歌がうまく、
地元では有名な鍛冶職人に数えられる、才能ある若者であった。
ホショーの長官はこれを知って、
「頭の上で火打石を割られないように(やっつけられないように)」と内心恐れて、
彼を密かに締め付け始めた。

そうしているうちに、ガンダン・ベイルは、自分の妹のアリマーに、セレーテルが気があるのを知った。
それで、(知られてしまったので)セレーテルは
「ガンダン・ベイルのところからいつか逃げ出すべきだな。
あの馬群を放牧している間にどうやってか
遠くへ乗っていくための良い馬を一頭持ちたいものだ」と思っていた。

そこへ、ガンダン・ベイルの会計係のデンチンランスがセレーテルに
「お前さんはベイルの馬具につける銀の飾りを作っておくれ。
そしたらベイルの馬群の中から、ガチン・ラマのセテルをつけた茶色の馬以外の
いい馬を二頭取っていいから」と言った。
セレーテルは二つ返事で引き受けて、言われたとおりに
馬具の銀飾りをとても美しく作った。
そうして馬群の中から灰色の子馬をもらうことにした。
そのときに「4年後にどんな馬になっているかを見てくださいよ」といった。

だいぶ経って、結局、セレーテルを彼の愛する女性アリマーに会わせずに審理して(?)
彼は生まれ故郷で暮らすことができなくなった。
いよいよ自分のふるさとにいられなくなってしまったセレーテルは、
人生の新しい道へと踏み出し、灰色の馬に乗ってよそのホショー、シヴチン・バルガの土地へ向かった。
その道々作って歌った歌が「四歳の灰色の馬」である。

 (歌詞が難しすぎてパス。)
 (歌詞の一部)
 ふるさとに帰りたくても
 ガンダン・ベイルが怖い

セレーテルと、シヴチン・バルガのハーンたち、領主たちの間で生じた対立がどんどんひどくなり、
そのホショーでも暮らすことができなくなって、
セレーテルは仕方なくまた別のホショーへ向かうことになった。
そのときにバルガの人たちは次のように歌った。

 大柄のハルハが出て行った
 われらはみんな喜んだ

それに対してセレーテルは返歌を歌った。

 (全部俺が悪いのかい、的な歌詞)

それから、

 (こんなにおちぶれるなんてな、的な歌詞)

歌いながら進んでヌムルグ山にやってくると、
ふるさとの自然がずっと美しく見えて、また新しい歌詞ができた。

 山にいる鹿が
 優しい声で鳴いている
 優しい声を聞くと
 王様のホショーが想われる

さらにハルハ川の東岸にはハルハの四つの寺が見えた。

 四歳の灰色の馬は
 あぶみを踏みしめるほどの速足
 四角に並んで見えるのは
 ハルハの四つの寺だろうか
 

【メモ】
馬の毛色は、ひとつの単語でも幅がありすぎて、
ひとことで「茶色」とか「灰色」とか、
言い切れず、とても難しい。

この歌自体が、ボル、ハリオンと、別の単語を使ったバージョンがある。

毛色については、モンゴル民謡では頻出するので、
上手に説明できるようになりたいのですが、
私自身がすっきり理解し知っているわけではないのがつらい。

セテルというのは、群れの中で、
精霊というか神というか、に捧げた家畜がいて、
その印(ひもとか布を首にゆわえるみたい)。
『アローハンと羊』という絵本に、そんな羊が出てきますよ。




「審理して」って、なんだろう〜。
ちゃんと説明できるようになりたいわ。

歌詞はだいぶ省略。
以前の「ざっと訳」でもほとんど触れていないけれども、
歌詞は詳細に取り組むとやっぱり難しい。
文化的な背景を知らない人にも情景が浮かぶようにという理想を持っているけれども
私自身の知識も体験も足りないから。
おいおい深めていきたい、とは思っています。

ひどい領主や王様の話は、民謡にたくさん登場します。
権力者は、好き勝手やって庶民に嫌がられていたみたいですね。

地名がまた、イメージしにくいですが、
ハルハ川は、モンゴル国でいうと東部。
日本ではノモンハン事件として知られているのは
モンゴルでは「ハルハ川戦争」という。
検索すると色々出てきます。
どれがいいかわからないのでリンクは貼りませんが興味のある方は見てみてください。


urtynduu at 01:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

歌にまつわるお話ざっと訳:ガンダンオールの花 vol.2

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
この歌は、日を追うごとに歌詞が付け加えられ、後にたくさんの連になったのだと、
ハジド寺の演奏家たちのホラル(会議、集まり)で演奏していた
演奏家のD.イシドラムさんたちが話していた。
その後、植えた花は山から持ってきたものだということについて次のような歌詞が作られた。

 山のピンクの花は
 いったいどうしてしおれてしまったの
 出会ったふたりの恋人は
 いったいどうして心が離れてしまったの

秋にハジド寺の祭り(タヒルガ)があり、音楽家が全員(ガンダンオール以外)集まった。
演奏家たちは、トーラ川の岸や、柳が風に揺れるのを眺めて、
あのふたりはこの柳のところでもよく散歩していたねと話し合って、
またひとつ連が付け加えられた。

 トーラ川の柳だけが
 残って揺れている
 ぴったり合ったふたつの心が
 くたびれてしまうなんて思いもしなかった

ガンダンオールが回復して外出できるようになり、仲間たちと会うときに、
以前は美しい銀のボタンのついたデール(モンゴル服)を着ていたものだが、
ありきたりの真ちゅうのボタンのデールを着て出かけるようになった。
「君はあの美しい柄のボタンをどうしたんだい」とみんなが尋ねると、
「陣痛がきているとき、よばれてきたラマ僧が見て
『お産をする人は金や銀を身に着けないものだ。
イヤリングや指輪は外しなさい。
デールをすぐ脱ぎなさい』と急がせるものだから、
デールを脱ごうとしたけどボタンが抜けなくて、
焦ってボタンの掛け穴をぐっと引っ張ったの。」と答えた。
それでまたふたつの連が加わった。

 金のボタンの掛け穴は
 いったいどうして取れたのか
 恋するふたりの心は
 いったいどうして合わなくなってしまったのか

 銀のボタンの掛け穴は
 いったいどうして取れたのか
 思い焦がれたふたりの心は
 いったいどうして合わなくなってしまったのか

その年が過ぎ、次の年はハジド寺の春の集まりに例の若者が来た。
春になり暖かくなって、山の水が融けていた。
すぐさままた歌ができた。

 雪山の雪は
 ときがくれば融ける
 私を捨てることを知ったなら
 尼僧になることもどうしたろうか(?)

 私が妊娠したから
 心が離れてしまったの?
 息子を見にあなたが来ないから
 年老いてしまえと思われる

その若者は、以前この辺りに出入りしていたときに
ハジド寺に桶(?)を置いていったので
それを取りに来たのであった。
それで、それをからかって、また歌詞ができた。

 美しい女性を捨てるとき
 心を痛めない若者よ
 年月が経ったところで
 桶は忘れなかったのか
 

【メモ】
「ホラル」は、よく「会議」という意味で出てくる単語だけど、
お寺の場合はどんなものを指すのかを知りたい。
お寺の演奏家たちが演奏するのはいったいどんなシチュエーションの
どんな音楽なのかも知りたい。
男女問わずいたのかも詳しく知りたい。

お寺のタヒルガはどんなものかも知りたい。

トーラ川の柳の歌詞は、「沈殿する」という動詞が使われているけど、
それが、「それだけが残る」という意味になるものか確認したい。

ふたりの心が「つかれる」という単語は、
日本語では「つかれる」といわれてもピンとこない。
恋愛関係を語る上でどんな意味の広がりを持っているのか、
それとも単純にくたびれちゃったまでなのか、知りたい。

紙の辞書も、ネットの辞書も、ネットのモンゴル語モンゴル語辞書(イマドキは便利だなー)も見てみたけど、わからない(あーそもそも、とくに日本語のは、訳語は、英日辞典みたいに豊富でないので、文脈ごとに自分で考えるの。それが最初きつくてつらくて挫折してほっといた)。
保留。

センジとは、デールのボタンを受けるほうのあれということでいいのかな。

「尼僧になることもどうしたろうか」はまったく自信がない。
チャウガンツという単語は尼僧、または老婆。
この行で何が言いたいのかは、チャンスがあれば確認したいものだ。

こういう、歌詞のことで「誰かに」訊く場合、モンゴル人なら誰でもいいわけではない。
たとえば日本人だって、いきなり民謡の歌詞を持ってきて
「これってどういう意味?この時代の人たちの当たり前の感覚ってどんなの?」って
きかれたら、たいていの人は答えられないだろうけど、それと一緒。
現代の感覚で答えてもらっても、それが正確なのかどうかは保証がない。
昔からのモンゴル語のことも、歴史のことも、ある程度知識がある人に訊けるのが理想。
歌っている人たちは歌っている人たちで、言い伝えの解説ができたりするけど、
それまた、いつからそういわれているか、突き詰めていくと不正確な場合もある。
でも、研究者にはわからない大事なものがそこに含まれていたりもする。
というわけで、疑問は溜めておいて、チャンスがあったら確認する。

うらめしい相手に対しては、「年老いてしまえ」と思ってしまうものなのか。
その思考回路も興味深い。
フクシンというのは、おじいさんだったり、
現代の口語では、親しい友人や伴侶に向かって呼びかけるときにも使われてたり(それがいったいどうしてなのかも経緯を知りたい)で、ほんとよくわかんない。

歌の音源があるといいだろうと思ってyoutube検索。
最初のほうはゆっくり歌ってみたりとか少しアレンジが入ってますが、
歌が始まってからは割と普通に歌ってくれている。
とりあえず貼っておきます。

Сэлэнгэ(セレンゲ)さんの 「ガンダンオールの花  Гандан уулын цэцэг 」


urtynduu at 00:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年11月11日

歌にまつわるお話ざっと訳:ガンダンオールの花 vol.1

で,やっと。
子守歌関係の訳から解放されました(笑)
6つもあると,さっさと次に行きたい衝動に駆られます。
法律事務に携わっているものとしては,なかなか許しがたい(苦笑)若者が登場するお話の始まり始まり。

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
この歌は,19世紀の終わりごろ,大フレー(ウランバートルは昔フレーと呼ばれていた)で生まれた。
ガンダンオールという女性が1940何年までウランバートル市に住んでいた。
ボグド山のザイサン(ウランバートルを見下ろせる丘)の入り口,現在の農牧業大学があるところに,1939年まではナル・ハジド寺という寺があった。
ナル・ハジド寺にはたくさんの楽器奏者がいたが,ガンダンオールはそのうちのひとりだった。
彼女は山から色とりどりの美しい花を根っこごと持ってきて寺の敷地に植え,水をやって育てていた。
この頃ある若者がガンダンオールと仲良くなって花に一緒に水をやり,そこで椅子に座って暗くなるまで過ごしていたそうだ。
そのふたりは,トーラ川の柳のところへご飯とお茶を用意して何度も遊びに行っていた。
そうしているうちにガンダンオールは妊娠して,(体調を崩し,)外出もできないようになり,家で横になっていた。
そんなときに若者は来なくなってしまった。
ガンダンオールはお産のときに何日も陣痛があるのにお産が進まないので,ズーン・フレー・ノヨン・アイマグ(?)の高僧,ロヴサンツェレンを呼んだ。その僧がいろいろな方法を使って,やっとのことでお産ができ,息子が生まれた。
それからというもの,僧ロヴサンツェレンとガンダンオールが密かに関係をもつようになったという噂もあったそうだ。
後にガンダンオールは息子のトゥヴデンをガンダン寺に入れて僧にしたという。
ガンダンオールのお産のあいだ,花に水をやって世話をするものがおらず,雨も降らずに乾いてしまったため,花はしおれ,また,ガンダンオールにくっついて離れなかった恋人も姿を消してしまった。
そのことについてこんな歌詞が生まれ,歌の最初の連となった。

 ガンダンオールの花は
 いったいどうしてしおれてしまったのか
 求めあったふたつの心は
 いったいどうしてすれ違ってしまったのか

<つづく>

【メモ】
全体的に,現代に近い時代のことが語られているせいもあるのかもしれませんが,
生々しい「噂話」っぽい印象。

旧地名とか,寺の名前とか,寺関連でのイベントについてとか,知ってないと訳すのが難しいなー・・・。
とはいえ,「ざっと訳」なので,とりあえず大意から。

ザイサンの丘について,われらがモンゴル語学科の先輩,モンゴルで会社経営されている山本千夏さんの記事へリンクしておきます。
躍進の街ウランバートルを見渡そう。ザイサンの丘展望台


urtynduu at 12:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年11月10日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(6)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
ユンデン・ザサグ(行政の肩書)の時代にダンザンという人が暮らしていた。
そこのうちにはドルジンの娘ヤガーンダリという美しい女性が召使として仕えていたという。
その女性の美しさを称えるとすれば

 筆のような指
 書物のような賢さ
 色で驚かせる虹のように
 羽で驚かせるクジャクのように

 光で驚かせる太陽のように
 澄み渡って驚かせる鏡のように
 顔は目で満たされ
 姿かたちはソーダル(?)で満たされている

というように美しい女性であった。
それで,悪い心を持ったダンザンは,貧しい召使のドルジンのヤガーンダリを小妃(?)にしようという考えを抱いて,彼女の愛する恋人を,遠い他所の土地へ無期限の公務に就かせ,生き別れの悲しみに突き落とした。
愛する伴侶を失ったヤガーンダリは端切れのように小さなみなしごの(お父さんのいない)子を抱いて子守歌を歌った。
賢いわれらが人民は(と社会主義めいた物言いの直訳をしてみる)受け継いできたのがこれであるとな。

(旧マニバザル公のホショー,現在のホブド県のツェツェグ・ソム(村)の「ツェツェグレフ」ネグデル(生産単位)の構成員サンジミャタウ・ラクチャーから聞き取ったバージョンである)

【メモ】
日本語で流れるように訳すのが難しい。
美しさや賢さのたとえが興味深いので直訳で訳しましたが,
ソーダルって,なんだろうなあ。
普通なら,椅子。
ちょっと調べたいですが,このまま公開。
バガ・ハタンを,仮で「小妃」としましたが,第二夫人とか,そういうこと?
訳すのに適した語があるなら知りたい。
お母さんはいるのに「みなしご」扱いになるのが興味深い。
ネグデルという単語が出てきているのだから,やはり社会主義時代の聞き取りなのかな。



urtynduu at 12:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年11月09日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(5)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
子守歌の言い伝えの中には,ブーウェイという勇者と関係のあるものもある。

たとえば,オイラト(部族名)たちがハルハ(部族名)の勇者ブーウェイを襲ったので
子どもを救うためにとても大きなぶかぶかの皮のデール(モンゴル服)を作って
毛皮のデールの左の袖に(子どもを)入れて右の袖と一緒に手を振って
体を揺らして「ブーウェイ,ブーウェイ」とあやしていたといわれている。
これから子守歌が始まったという。

また,ブーウェイという有名な勇者が生まれ
(人々を)驚かせたので,そのときから子どもをそんな強い英雄になってほしいという願いを込めて
ブーウェイと歌うようになったのだという言い伝えもある。

【メモ】
前半のお話は,もう少し詳しい描写がほしい・・・。
「サイン・エル」は「勇者」でいいのかな。
このお話の後半の「サイン・エル」は説明がないのでよくわからないけれども,
領主などの圧政に対抗して,家族を捨てて草原に身をひそめ,
富めるものから家畜などを奪って貧しいものに配ったという「よい盗賊」の話は
事実に基づいているらしいものがいくつかあって,
そういう人たちを「サイン・エル」(直訳すると「よい男」)という。
日本でいえばネズミ小僧みたいな。
なんていうとしっくりくるのかしらん。

urtynduu at 12:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年10月31日

報告:20161030蘇陽でモンゴル料理とオルティンドーを楽しむ会

第二回蘇陽でモンゴル料理とオルティンドーを楽しむ会も楽しくおいしくできました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました。

ホーショールを、山ほど作りました。
今後、万が一イベントでモンゴル料理店を出すとか、
モンゴル料理レストランを開店したとしても、
お手伝い要員は確保できる自信があります(笑)
それほどスパルタ式(?)に、延ばして、包んで、揚げまくりました。
身内も私も、未就学児も入れて12人でこぢんまりと。
コツがわかるまではなかなか難しい包み方も、だんだんと皆さんそれらしくなってきて。
珍しくうちの息子も乗り気で作っておりました。
クラス全員でがんばってテストの成績がよかったから宿題が少なかったとかで、
ちょっと余裕かましてた日曜日の中学生。

スーティツァイも作った。
小学生のひとりが塩味の薄さにびっくりしてた(塩大好きなんだって)。
作る人によって、味の濃さはいろいろですよ〜。
ホーショールの味付けは例によって適当だったけどおいしかった。
揚げたての「味見」と称するつまみ食いはカリカリ。
鍋に入れてふたをしておいたのはしっとり。
テーブルについて食べ始める頃にはみんなお腹いっぱいだったという(笑)

化学調味料使ってないのに、あの旨味はいったいどういうわけなんだろうなー。
油と小麦粉のマジックというのもあるし、
玉ねぎとニンニクと羊肉と塩の組み合わせってほんと、すばらしい〜。

その他、持ち寄っていただいたのは、
梨、焼き米ドレッシングのサラダ、おにぎり、お茶、かりんとうなど。

私が持って行ったのはヨモギ茶と、かぼちゃ蒸しパン。

歌ったのは
オルティンドー「この世を照らす太陽」、
風邪気味のせいか珍しく何かと絡んでくる娘を肩車して子守歌。
歌う前に子守歌にまつわる言い伝えを紹介したら、子どもたちが(大人も)真剣にお話を聞いてくれたので、訳した甲斐があったなあとうれしかった。
最後にオルティンドー「平安の歓び」。

歌の合間や、料理を作っている最中にも、日本人の想像を軽く超えるモンゴル人の考え方や文化についてのお話もできて楽しかった。

いろいろなつながりがあったりなかったりする参加者の皆さんのおしゃべりも有意義でした。

反省点。
会場を借りた時間から30分は準備の時間としようかな。
お肉を仕込んでいったのはよかった。
包むのに集中できたから。
小麦粉を延ばす台は、まな板を使うからいいかなと今回は持っていかなかった。
なんとかなったので、いいのでは。
油とタオルとペーパータオルとティッシュを忘れて母に頼んだ。
暗くなってから参加される方には、会場が非常にわかりにくい。
廊下の電気も消されちゃってるので(そもそもそれがどうなんだ、一部屋一時間千円も払ってるのに)、
入り口のところに案内を貼るように準備すること。
セロテープも。

以下は直後のツイートより。
帰ってきて、子どもが寝てしまったのを担ぐというのはもう心配いらなくなって、
一段階変わったんだなあと実感。
以前はよくやってたよなあ。
イベント企画して、終わったらすべてしぼりだしきっちゃっててもうなにもできない、
という状態では生活に支障が出るし、続かないので、
モンゴル料理の会は、平常心でやることを心がけている。
続けたいからね。
今回もリピーターがちゃんといるし、次を楽しみにしてくれる人がいるから大丈夫。
自分の企画で自分がリラックスできるなんてことはありえなかったんたけど、目指しちゃう。
欲張って「ああしたら楽しそう」「あれも伝えたい、見せたい」とかひらめいちゃって
持っていくもの増やしたりは、しない。
ひとりでできることは限られてるから。
楽しければ時間がたつのが早いから。
娘が体調よろしくなくて絡んでくるのが多くて会話や作業が遮られたりしたけど、
以前はこれが常態だったことを考えたら、
よくつれていって演奏とかしてたもんだな、と、自分であきれる思い。

DSCF5884DSCF5895DSCF5900DSCF5905DSCF5909

urtynduu at 22:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(4)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
(2)(3)の言い伝えと近いが、南モンゴルのウゼムチンの人々の間で語られる言い伝えであり、
(2)(3)とはメロディーが異なる。

昔、エルデイとデルデイという兄弟の狩人がいた。
このふたりにはエルヘンテンという妹がいた。
エルデイとデルデイの妻たちは、義妹をわずらわしく思って、
ふたりの兄の留守のときはいつも何か悪さをしてくるのだった。
これに気づいた兄弟は出かけるときは妻たちが悪いことをしないように、
妹を家に入れ、戸を内側から縛らせて、僕たちが帰ってくるまで誰が来たって開けちゃいけないよと
言い置いて出て行った。
こうしてふたりの兄が出かけていって不在の間に性悪の兄嫁たちはうまいこと義妹に戸を開けさせ、
義妹と一緒にシャガイ(羊のくるぶしの骨。おはじきのように遊んだりするおもちゃとして使う)で遊んだ。
遊んでいるうち、突然ふたりの兄嫁が「さあ妹よ、3人でシャガイを飲みこんで遊びましょうよ。
あなたが先に飲み込みなさい。奥のほうへ入らなければこっちに絶対出てくるから。」
というので妹はシャガイを飲み込んだ。
すると、喉に詰まって気絶してしまった。
ずるいふたりの兄嫁は、すぐに義妹の家を飛び出して、
戸を閉めて、ゲルの戸と壁の隙間を押し広げて手を入れ、戸をしっかり縛っておいた。
そのうち、ふたりの兄は妹を乗せるために美しいまだらの鹿をつかまえて帰ってきた。
(家の近くまで帰ってきたところで)妹を呼んでも返事がない。
家に着いてみると戸は縛ったままなのに妹は死んでしまっていた。
そこでふたりの兄はつかまえて連れてきた鹿の背の左右にふたつの箱をくくりつけ、
一方に妹をいれ、もう片方には妹の服、遊ぶおもちゃを入れて、山に放した。
後日、ハラルダイ・タイジの父ハル・オサン・ハンという人が狩りをしていると、荷を積んだ鹿に出会った。
それをつかまえて家の側に連れてきて箱を開けると、
ひとりのきれいな娘が呼吸をしそうな様子で横たわっていた。
ハンと妃が娘にいくら尋ねても、娘はぼんやりとして声を出さずにただ喉を指差すのであった。
熱い乳を少しずつ飲ませようと器に入れて渡すと、突然空に稲妻が光、雷が強く鳴ったので、
娘はとても驚き、しゃっくりをした。
それで喉にひっかかっていたシャガイが出てきたという。
こうして娘は経緯を話してくれたので、ハンと妃は娘を憐れに思って息子のハラルダイの妃として迎えた。
そのうちハラルダイ・タイジの妻となった彼女に息子ができた。
そして姑に孫をあやしてもらうときには
 「エルデイ デルデイの甥よ ブーウェイ
 エルヘンテンの息子よ ブーウェイ
 ハル・オサン・ハンの孫よ ブーウェイ
 ハラルダイ・タイジの息子よ ブーウェイ・・・」

と歌ってくださいと頼んだ。
そして嫁の言うとおりに孫をあやすようになったという。
ある日エルデイとデルデイが狩りをしているとき、
ある家を見つけて立ち寄った。
(ゲルの中で)お茶を飲み座っていると、おばあちゃんが孫をあやしてその歌を歌って子どもをゆすりながら出て行った。
エルデイとデルデイがそれを聞いて驚いてわけを尋ねると、
おじいさんが嫁を見つけたこと、嫁から聞いた過去、嫁が彼女に孫をあやすときはこうして歌うようにと頼んだことをひとつひとつ話した。
それでこのうちの嫁が妹のエルヘンテンであるとわかり、
実の兄妹は再会し喜んだ。
それ以来子どもをあやすこの歌が広まって
ウゼムチンでは今まで歌い継がれている。


【メモ】
■なぜそんな奥さんと結婚していたのだ、兄たちよ、とか
そもそも妹になぜそんなに意地悪になったのだ兄嫁たちよ、と気になる。
■モンゴルの遊牧民たちのあいだでは、外出先で知らない人の家に立ち寄ることは普通のことと聞きます。
その家が留守でも、置いてあるお茶をいただく。
留守の間に自分の家に誰かが来たら、それはいいことなんだって。
■この一連の子守歌にまつわる言い伝えで、
「死んだと思って葬った妹が実は生きていた」というモチーフが私にはとても興味深い。
それぞれ葬り方が異なるけれども、どれも埋めないので「埋葬」じゃないなあ、と訳していて思う。
木の上にってどのように?ただ置くのかしら。
箱に入れて川に流す(SACRAのCD「ついのすみか」でも葬り方が色々登場するけど、その中に花に埋もれて川に流されて、うれしいな、涅槃は近い、っていう歌があった)はまだしも(精霊流しとか連想するし、川があるところなら無理がない感じ)、
鹿の背に箱をくくりつけてそれに入れる、なんて、
ちょっと思いつかない方法。
いずれにしても遺体をそのままにして送り出すので、
もしかしてよその土地で生きているかもしれない、と思ったままでいられるよね。
モンゴルの風葬とか鳥葬については読んだ限りで知っていたけれども、色んな形があるのね
(モンゴルはチベット仏教が入ってきているけど、
自然のあらゆるものに魂が宿っているアニミズムの世界が下地にある)。

誰しも、近しい人をなくしたら、もしかしてまだ生きてるんじゃないかしら、とか、
まだ、呼べばもどってくるんじゃないかしらとか、思うんじゃなかろうか。
昔見た映画「眠る男」は、当時は全体としてはまったく意味がわからなかったけど、
いろいろ打ち鳴らして呼んでいたシーンは印象的だった。
初産がとても難産だったモンゴル人の友人が、
自分の名を呼ぶ夫を見下ろした体験を語ってくれたことがある。
つまり彼女は呼ばれて戻ってきた。
それが「ほんとかどうか」よりも、共有されているそのイメージに興味がある。

願い。
もう会えなくても、どこかで生きていると思いたい。
そんな気持ちがこのモチーフに込められているように
感じてしまうのは私だけかしら。
生まれてきた命を育む歌なのに、言い伝えにそんな意味が込められてるとしたら。

想像の世界で、妹が生きているとしたら、こういう風に赤ちゃんが生まれて、
こんな風にあやしてるんじゃない?と話が広がったのかもしれないし、
逆に、誰かににらまれた妹を死んだことにして遠くにやったら
そちらで幸せになったということかもしれないし・・・

私の空想も尽きません。



urtynduu at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年10月29日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(3)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
(2)の言い伝えと内容は似ている。
ハルガルダイ・ハーンは、戦争をするときには妻子ですら顧みることがなく、
息子のハリオトガン・タイジとその妹のボダク・シャガイを幼いときに迷子にしてしまい、生き別れになった。

妹のボダク・シャガイは、兄のハリオトガン・タイジに天女を妻にするよう勧め続け、
ついに兄は天女と結婚した。
兄はよく狩りに行き、妹に宮殿を建ててやった。
兄が狩りから帰ると、妹は必ず出迎えて、兄に匂いをかいでもらった(親族の愛情表現)。
妹は兄が狩りで不在のあいだ、日中は絹の布を広げて花や葉っぱの刺繍をして過ごした。
天女はハリオトガン・タイジと結婚してから、妹のボダク・シャガイと
金や銀のシャガイ(羊のくるぶしの骨。おはじきのように遊んだりするおもちゃとして使う)でよく遊んだ。
ある日、妹が金のシャガイを口に入れて隠していたところ、喉に入って詰まってしまった。
天女は、夫の最愛の妹が亡くなってしまったと怖くなって、
妹をベッドにもたれかけさせて、刺繍をしているように座らせておいた。
夜、兄は狩りから帰ったが、妹が出迎えないのでおかしいと思い、
妹の家に入ると妹は意識を失っていた。
(死んでしまったと思って、妹を)すぐに金の箱に入れて水に流した。
河口のほうで、瞑想していたふたりの僧が流れてくる箱に気づき、
開けてみると美しい女性が入っている。
二人の僧が喉から金のシャガイを取り出すと、彼女は生き返った。
それから僧たちは彼女をある家に連れて行った。その家はハルガルダイ・ハーンの家だった。
ハーンは、何年も前に娘と息子を迷子にして置き去りにしていたので、彼女を見ても誰だかわからなかった。
兄のハリオトガンは、かもしか(ゼール)をよく撃つので、地元の人があだ名で「ゼーレルデイ・メルゲン」「ゼーレン・サクソー」と呼んでいた。
ハルガルダイ・ハーンには召使がたくさんいた。
養子にしたボダク・シャガイを、同じく養子にしていた男と結婚させた(?)。
そしてボダク・シャガイは息子を産んだ。
ハーンの召使の女性が彼女の世話をしたが、ボダク・シャガイは自分に起きた苦労をその女性にだけ話した。
その女性はゲルの外で赤ん坊を抱いて座って、
 ハルガルダイ・ハーンの孫よ ねんねん
 ハリオトガン・タイジの甥よ ねんねん
 ゼーレルデイ・メルゲンの甥よ ねんねん
 ゼーレク・サクソーの甥よ ねんねん
 
 ボーラル・メルゲン(ボダク・シャガイの夫)の子よ ねんねん
 ボダク・シャガイの子よ ねんねん
と口ずさんであやしていた。
そのとき、ハリオトガン・タイジがハルガルダイ・ハーンの家とは知らずに通りかかり、
「私の父や妹の名を言っているのはどういうわけだろう?」と
馬の手綱を引いてスピードを緩め、耳を傾けた。
こうしてハリオトガン・タイジを父のハーンは息子と知り、
それからというもの、ハーンは母子の愛情を尊重するようになったという。

【メモ】
訳が難しい。
細部に自信がありません。
最後のまとめも飛躍しちゃってる印象・・・。
細部にこそ興味深いことがたくさん隠れているような気がしているので
もっと突き詰めたいなあ。
いつになるかはわからないけど、あとで修正を入れるかもしれません。

ちなみにゼールとは。
写真が入っているモンゴル語の記事にリンクを貼っておきます。
Цагаан зээрийн нүүдэл айсуй
ЦАГААН ЗЭЭР ДАЙЖИЖ ЭХЭЛЛЭЭ


urtynduu at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2016年10月26日

歌にまつわるお話ざっと訳:子守歌(2)

Домогт дууны зуун дээж А.Хэрлэн,Д.Энхмаа Улаанбаатар 2009 より

【ざっと訳】
子守歌に関する言い伝え(2)
ゼーヒー・メルゲンという貧しい狩人には、ゼレン・ゾンガーという妹がいた。
ゼーヒー・メルゲンは妹を継母の手に渡したくなくて、洞窟にかくまって
毎日食事を持っていってやっていた。
このことを性格のきつい継母が知って、ある日
「ゼーヒー・メルゲンの妹のところへ行ってさんごを飲み込んで遊ぼう」といって
娘にさんごを飲み込ませて(喉に詰まらせ)気を失わせた。
兄は妹を(死んだと思って)悼んで高い木のてっぺんに葬った。
ところが、一頭の鹿がたまたま娘を葬った木に体をこすりつけて娘を落としてしまった。
すると娘の口からさんごが落ちて息を吹き返した。
こうして娘はさまよい歩いてある貧しいおばあさんの家にたどり着き、そこのうちの子となって暮らした。
成長した娘はたいそう美しく、みんなの注目を浴びた。
そして、ハル・ヌデン・ハーンの息子ハルラク・タイジがその娘を妻としてめとり、子どもが生まれた。
女は恩ある兄を見つけて会いたいものだと思い、息子に子守歌を歌うときに
「ゼーヒー・メルゲンの甥よ、ブーウェイ
ゼレン・ゾンガーの息子よ、ブーウェイ
ハル・ヌデン・ハーンの孫よ、ブーウェイ
ハルラク・タイジの息子よ、ブーウェイ」
と歌っていた。
これを兄が耳にして妹と会うことができたと言い伝えられている。

【メモ】
さんごを飲み込んで遊ぶことについて、別の本で何か解説が、あったんだったかどうだったか・・・。

この話だけじゃなくて、誰の甥とか、誰の子とか、歌う歌詞は多いみたいで、
私がよく歌っている「西モンゴルの子守歌」もそう。

これも2010年にブログにメモしていたけれど、歴史書を読んでいて、
こういうことがあるから子守歌に人の名前を入れることになるのかなと思ったのでした。

以下、その以前の記事より。メモなのでわかりにくいですが、興味深いエピソード。

『蒙古源流』より。殺されたモンゴルのハルグチュク太子の妃、セチェク妃子。
妊娠中だった子を産むと、実父エセン・ハーン(オイラト)が「女なら助命、男なら片づけよ」と。
妃子はその子の陰茎をうしろへ引っ張って縛っておいて検分の者に見せたら女の子だと報告されたって。
で、別の女の子をゆりかごに入れて、曾祖母(モンゴル出身)に子を預けた。
で、そういうことがあってこそ、子守歌でその子の血統を聞かせるという物語が生まれるんだね。誰誰の孫よ、彼彼の甥よ、ねんねんよって。

「チンギス統原理」を無視したエセン・ハーン(太師)が、北元の皇族を皆殺しにし、オイラト人を母に持つ者だけを助命した。
そこでこういうことがおこるわけ。
その男の子はバヤン・モンケ・ボルフ晋王、モンゴルに送り届けられた。

urtynduu at 01:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote