忘れられたワルツ忘れられたワルツ
絲山 秋子

新潮社 2013-04-26
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風花が実家に帰ると、姉はピアノ室で「四つの忘れられたワルツ」を弾いていた。やがていくつかの曲を弾き終えた姉は、母に間男がいるから探りに行くのだ、と告げて姿を消す。父親とふたり家に残された風花は、時折発作的にやってくる痒み――原因不明で、どうやら精神的なものらしい――に耐えつつ、夕食の準備をする。出ていった姉は帰ってこず、けれど車は残っていて、中にはファイルが残されていた。母親の行動を書きとめていたとおぼしきメモの最後は2011年2月26日で終わっており、3月10日からの母の出張に姉が同行するつもりであることも書かれていて……。(「忘れられたワルツ」)

雑誌「新潮」に掲載された短編7本を収録した作品集。
「今」を描き出す作品、とある。「今」というのはつまり、あの震災を経た「今」ということ。直接被災した人、そうでない人、登場人物は様々だが、それでも彼ら彼女らの生活は普通なようでいて普通ではなくなってしまった――「普通」の意味が変わってしまった。訪れる日常はこれまでと同じようでいて、どこかが決定的に違ってしまっている。それは意識の問題であったり、または実際に何かを喪ったことによるものであったりもする。とにかくそれは深い、消えない爪痕を確かに残している。見える見えないに関わらず。

表題作はその決定的な作品と言えるけれど、この作品集では、この後に「神と増田喜十郎」という短編が置かれている。その中で神はごちる――神は誰も救わない。祈りが多いとやや棲みづらい。けれどいつでも、そこにいるのだと。そこで見ているのだと。これを救いと取るか、それとも見放されていると取るかは人それぞれだろう。けれど私は、何もしてくれなくても、見ていてくれる、ただそれだけでも救いなのではないかと思う。失っても、傷ついても、それでも見ていてくれるもの。見守ってくれるもの。それこそが絶望の後に残った唯一の光なのかもしれない。