文芸誌「群像」(本作の初出誌)の読者に語り掛けてくるのは、某作家の家の台所に住む荒神、若宮ににだった。彼が語るのは自身の来歴、TPPの正体、そしてこの家に住む作家と飼い猫の現状。4匹いた猫のうち3匹を亡くし、残った1匹の雄猫・ギドウも甲状腺の病を得ているし、作家本人も混合性結合組織病を抱えていた。もしTPPが――あるいはそれが流れたとしても、それに代わるたくさんの「人喰い」条約がやってくれば、薬の価格は高騰し、たちまちこれを買うのが困難になることは目に見えている。そうして弱い物が搾取されていく未来を幻視する荒神と作家。やがて作家はようやく自分の言葉で語り始める。例えば亡き飼い猫・ドーラが生前に自分に語り掛けていた内容を誤訳してしまっていたこと。そんな猫たちと自分のために食事を作るようになったこと。そしてそこから思い起こされる、両親と食に関する記憶……。

今年の「群像」4月号にて発表された同名長編の書籍化。2015〜2016年にかけての作家「笙野頼子」と、彼女の家の台所に住む荒神との視点から「戦前」としか言いようのない現状が描かれている。

前作「ひょうすべの国」同様、TPPの持つ危険性について語る若宮にに様および作家。と同時に、作家本人とギドウの病状、そして生前のドーラのことが語られる。わがまま気まま女王様気質だと思われていたドーラだが、それは勘違いで、実際は病気持ち(当時の本人はまだ知る由もないが)である作家を引き留め、無理をさせないための行動だったに違いない……と作家は振り返るのだ。

ここで繰り返し語られるのは「見えなかったものが見えてくる」ということ。自身の病気を知り、ほんとうのルーツを知ったことで、過去は塗り替えられていく。これまで何度も語られてきた――もちろん本作でも――政治家たち、あるいは人喰いたちによる「見えないものはないことと同じ」「だから奪って食ってなかったことにしてもいい」というような論調。しかし作家がこうして「見えなかったものを見ようとする」ことで、隠されようとしていた欺瞞は暴けるということが証明されているのではないか。病気、あるいは食事といった身近な事柄が取り上げられることで、現実に危機が差し迫っているということをひしひしと感じさせられる。そして同時に、生きていくうえでこれらがどれだけ大事なのかということも。台所は死を生に裏返す場所――死んだ食材を調理し、食べることで生を繋ぐ場所という解釈がとても印象に残った。その台所が生活の中心になっているということは、生きるという決意、あるいは生きてほしいという祈りを示しているような気がした。