ディレイ・エフェクト
宮内 悠介
文藝春秋
2018-02-07

ある年の元日から東京じゅうで起きた怪現象は「ディレイ・エフェクト」と名付けられて今に至る。1944年1月からの――つまり太平洋戦争下の東京の様子が現実世界に重なって見えるようになったのだ。原因はもちろん不明。婿養子である「わたし」と妻子が住む家にも、妻の曾祖父一家が住んでいた当時の家が重なり合っており、なんとも奇妙な「同居」状況になっていた。翌年にはこの一帯が空襲に襲われることがわかっているため、妻は8歳の娘を連れて疎開することを望んでいたが、「わたし」は密かに、教育の一環としてその様子を見せてやりたいと考えていて……。

第158回芥川賞候補作となった表題作を含む短編集。「たべるのがおそい vol.4」掲載の表題作に加え、「オール讀物」に発表された「空蝉」(「ナイト・クラウン・クイーン、そしてキング」改題)と「阿呆神社」が収録されている。

表題作の主人公は、奇しくもこの怪現象の通称の元ネタとなった「ディレイ」を専門としており、警察にほぼ取り調べのような聞き取り調査を受けたりもするのだが、戦時下の日本を追体験しているがゆえに「特高警察による尋問」かと一瞬考えたりもする。そんな感じで、「ディレイ」となった過去の記憶は、主人公たちの生活も精神もなにもかもを侵食していく。

目の前で繰り広げられるのが戦時下の、しかも1944年の情景であるということはつまり、この先には敗戦とこれにまつわる惨状しかないということ。娘への影響をめぐって妻と対立する「わたし」だが、最も懸念していた空襲の幻影の中で「わたし」はようやくすべてを自覚する。重なって見えていたのは過去の情景だけではなく、自分の心の在り方そのものだったのかもしれない。その直後に起きたあらたな「現象」は、予めそうなるよう誰かが決めていたことなのか、それとも「わたし」の自覚に起因するものなのか、まったくわからない。しかし後者であればいいのに、と願ってしまう。あるべきところに、あるべきものを戻すために。

併録の「空蝉」は、「ナイト・クラウン・クイーン、そしてキング」というインディーバンドに起きた事件の真相を追う、ドキュメンタリー調の短編。カリスマ性と破滅的な性格を併せ持っていた六ノ宮の死に隠された真実もまた、「あるべきところへの帰結」という点では表題作と似ているような印象がある。ただしこちらは人為的な原因が明かされてはいるが――そしてその行いが、結果はともかくとして正しいのかどうかは判断しがたいものであろうが。

「阿呆神社」の方は、とある神社の「神様」らしき存在の視点から語られた、神社で起きた珍騒動を描く短編。とはいえこの存在が、彼のもとにやって来る人々を救っているかというとそうではない。まさに「なるようになる」あるいは「なるようにしかならない」という現実のどうしようもなさが突き付けられているようで、くすりと笑いつつも最終的には神妙な気持ちにさせられた。