あやかしたちの「知恵の神」としての助言を乞われ、とある山奥へと向かった岩永琴子。「築奈のヌシ」と呼ばれ、かつてはその地域の水神として崇められていたともいう大蛇の悩みは、ある人間のセリフの意味についてだった――ヌシが棲まう山奥の沼に、ある女性が男の遺体を沈めていた。彼女は自分が殺した男を沼に遺棄しながら、「うまく見つけてくれるといいのだけれど」と呟いたのだという。しかも遺体に重りを付けるなどの工作をした形跡もないため、遺体はあっさりと見つかり、女も逮捕されている。女の目的がわからないというヌシに、琴子はある仮説を提示して……。(「第一話 ヌシの大蛇は聞いていた」)

11歳の頃に神隠しに遭い、あやかしたちに右眼と左足を奪われ一目一足となった結果、あやかしたちの「知恵の神」となって人間との間に起きるトラブルを解決することになった女子大生・岩永琴子の活躍を描くオカルトミステリ短編集。「メフィスト」に掲載された2作と、書き下ろし3作が収録されている。

この短編集の前に、「鋼人七瀬」と呼ばれる都市伝説が実体化した怪異を琴子が解決する長編「虚構推理」があるのだが、こちらはコミカライズ版で読了。本短編集はその長編より後の物語であり、第5話の「幻の自販機」以外もコミカライズされているので、そちらもすでに読了済ではあるが、こうして小説として読んでみると、またちょっと違う印象を受ける。例えば、琴子とその彼氏・九郎(こちらも普通の人間ではない)の関係が、漫画版よりも多少恋人っぽさが増しているように感じられることとか。

さておき、タイトルが「虚構推理」となっているだけあって、この短編集に収められている作品も、ただのミステリ、ただの推理ものではない。本作において、琴子の推理がまごうことなき正解である必然性は特になく、謎解きを欲している相手が納得できればそれでいいのだから。だから、場合によっては犯人は誰にも裁かれることなく物語が閉じることもある。しかし、だからといってそれが不道徳だというつもりはもちろんない。ともすれば私たちが推理ものの小説を読んでいる、この行為に等しいのではないかとも思ったりする。作中に登場するあやかしたちも、人間が犯した罪の善悪を判断したいわけではなくて、その理由を知りたい――あやかしは何らかの目的を持って同族を殺すというような複雑な行動原理や心理状態を持っていないため――と思っているだけなのだから。ある意味知的好奇心を満たしたいだけ(というだけでもない者もいるが)というそのドライさがなんとも面白かった。