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読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。

カテゴリ: 平田俊子

私の赤くて柔らかな部分私の赤くて柔らかな部分

角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-07-31
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以前の職場でお世話になった影山さんが亡くなった。送る会の帰り道、まなみはあてもなく乗った電車で見知らぬ町にたどり着く。駅から10分以上離れたステーションホテルに泊まったまなみは、そのまま毎日ホテルに滞在し、町をふらふらと歩く。そうしながらも考えるのは、亡くなった影山さん、そして少し前に別れて行方の分からない誘児のことばかり……。

新作は雑誌「野性時代」にて連載されていた「赤いお散歩」を改題。
失ってしまったふたりの男をめぐる女性・まなみの再生の物語。

見知らぬ町で、まなみは失った男を探す。意識的に誘児を、そして無意識のうちに影山さんを。いるはずのない人たちの影を追うことで、心の中に――あるいは「赤くて柔らかな部分」に――開いてしまった穴の存在を自覚してゆく。

けれど開いた穴はふさげばいい。見知らぬ町でのあてのない暮らしが、まなみの心を少しずつ満たしていく。ラストで開催された祭りの様子が、そしてそれを見るまなみの視線の柔らかさが、彼女の再生の一端を表しているようで、そのゆるやかさが心地よい。

殴られた話殴られた話
平田 俊子

講談社 2008-11-05
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「群像」に掲載された短編3作を収録した最新作品集。

「殴られた話」「キャミ」「亀と学問のブルース」(「嘘つきペニス」改題)。どの3作も、作者が後書きで語る通り「良く似た話」。ダメな男に捨てられて、それでも未練を断ち切れないダメな女たちが苦悩し、面影に振り回され、ふっきれたりふっきれなかったり。

平田俊子の書く女たちはたいてい男運に恵まれない。相手はたいてい妻子持ちだったり、女関係のうわさが絶えなかったり、どこか謎めいていて正体不明だったりで、とにかく自分勝手な男たち。それでも、そんな男たちに惹かれてしまう女の姿を、作者は克明に、丹念に描いていく。

そんな男女の姿を、読むこちら側はなぜか憎めない。でも同情してしまうでもない。ねじくれてひねくれた男女の関係を「ただそういうもの」として淡々と、時に滑稽に描き出すその作風を、私はとても気に入っている。

ターミナル―詩集ターミナル―詩集
平田 俊子

思潮社 1997-12
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97年発行の第5詩集。

今の季節にも合う(?)、本詩集の中で一番好きな詩が「青い傘、ジル」。

 一本の青い傘と棲んでいた、
 傘の名はジル、
 ジルは散歩が好きだった、


……と始まる1篇。でも連れて出ればずっと引きずって歩かねばならないから、とジルを疎んじる「わたし」。雨が降り出すとはしゃぎ出すジルを家に閉じ込めて「わたし」は外出する。ドアの向こうでジルはドアに体当たりして泣く。≪ジルばかなジル≫と、「わたし」はジルの死を予感する。ジルは傘のことなのか、それとも誰かのことなのか――ひっそりとしみのように広がる闇。

ターミナル――それは発着点。現実から連れてこられたわたしは、ここから、どこでもないどこかの世界に連れて行かれる。薄暗く、仄明るい、透明な世界。それが見たくて、わたしは平田俊子の詩を読む。

 あなたの声を聞かせてください
 わたしの声を聞いてください
                ――「ひ・と・び・と」

手紙、のち雨手紙、のち雨
平田 俊子

思潮社 2000-10
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2000年発行の第6詩集。タイトルにあるように、「手紙」そして「雨」――ひいては水――が詩の中に多用されている。

近所の野良猫に「車輪の下」という名前を付けておきながら、

 いつかこの子も
 車に轢かれて
 痛いおもいをするのだろう
 まったく猫は
 轢かれるのが好きだ


などと残酷な言葉を吐く「夜会草」や、「雨には/聞こえる雨と聞こえない雨のふた通りがあって」という出だしが印象的な「二個の旅」も気になるが、いちばん胸の奥に残ったのは「邪魔な朝」という詩。

早朝、道の真ん中に立っていた、上背はあるが足ははだしで泥んこ、けれどきれいな声の「あの人」。だが「わたし」は「あの人」を、他の人の邪魔になるからと、朝の路上から追い出そうとする。ポケットの中の石を投げつけて「あの人」を動かそうとする「わたし」だが、その思惑に反して「あの人」は動かない。そんな不思議な光景を締めくくる、最後の言葉。

 体当たりして道のむこうに突き飛ばす方法もありますが
 ぶつかったはずみにこの人を抱きしめてしまうのがこわかったのです


最後にようやく語られる「わたし」の心情。それまでの内容とはまったく正反対のこの言葉に、どきりとさせられた。

平田俊子「アトランティスは水くさい!」(書肆山田)

1987年発行の第2詩集。
目当ては思潮社の「現代詩文庫」にも収録されている「猫の休日」。冒頭2行が特にいい。

 うちの猫が職探しに出た
 すすんで言い出したわけではない


いきなりインパクト大。「猫」というのはおそらく、夫か彼氏のことであろう。無職で家にいる「猫」に対して「ねちねちと切り出す」と、「猫」は「目を伏せ」、翌朝こっそりに働きに出る。ビヤガーデンに就職したものの、しかし5日後には「彼の仕事はのこってなかった」。不器用な彼の受難は続く。

内容は笑えるものではなく、むしろえぐいのに、平田俊子にかかるとどんな状況も昏いユーモアとなり、じわじわと心の底に広がっていく。
「再放送」という作品では、両親が娘を殺すというエピソードが描かれる。娘を殺した両親はその遺体を物置に隠す。娘はいつしか自分の部屋に戻り、両親からの電話を受ける。両親は娘にこう告げる。

 いさかいの多い親子だったがこれからはうまくいくだろう
 天と地ほどに離れてしまえばね
 そうだろう?


こんなありえない状況すら、妙に滑稽なものになってしまう。この、胸の奥にこごるようなひそやかな昏さが、彼女の魅力のひとつなのだろう。

夜ごとふとる女―平田俊子詩集夜ごとふとる女―平田俊子詩集
平田 俊子

思潮社 1991-01
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91年発行の第3詩集。前半は書き下ろし、後半は雑誌連載分を収録。

この時点ですでに平田俊子は夫と東京・大阪間別居中(ということになっている)。離婚に至る経緯を、木の実の成長にたとえた「偏西風」なんかを読むとどきりとさせられる。
他にも同僚のヤスダの悪口をつづる「ヤスダ」や、夜を果物に、闇をその果物から流れる果汁になぞらえた「『おもたい夜の最後の一滴』・部分」など、読者の心の奥のある部分をゆっくりと、けれど確実に抉り取るような、ひそやかに強い言葉の選択。


今回のお気に入りは「ひとときの人」。これは冒頭からすさまじい。

 きのう私は人であった。おとといも人であった。きょう目覚めても人である。

人としてたいていのことはできるようになった「私」は、友人たちの進路を聞いて焦りはじめる。マネキンになる人、落としものになって拾われたい人、湿度になる人、ことわざになる人……早く決めないと取り残されて≪永遠に人のままと≫なってしまう。しかし何になったとしても、人に関わるものになってしまうことは避けられない。そこで「私」がひらめいたのは……

 人でなしというものもある。これは、人でないと見えて、その根本は人である。うっかり選ぶとまた人である。だが、人でない人とはどんなだろう。

人でない人。人以下の人? 人でない人になった「私」はどこへ行けるのだろう。人に関わることを避けたい「私」がたどり着く場所は。

二人乗り二人乗り
平田 俊子

講談社 2005-07
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友人の家で知り合った妻子持ちの男・愁太郎になぜか惹かれ、離婚してしまった嵐子。
夫・道彦と娘・菜々に家出された矢先、葵という女と知り合い、なんとなく居候させてしまう、嵐子の妹・不治子。
家を出て女の家に転がり込んだものの、先行きに不安を覚えた、不治子の夫・道彦。
そんな3人の「これから」を描く短編集。

そんなわけで平田俊子3連発(笑)。こちらも「ピアノ・サンド」読了後からずっと積んでいた……なんか読んでしまうのがもったいなくて。

一番良かったのは1作目の「嵐子さんの岩」。気ままなひとり暮らしの中で、嵐子さんはベランダに岩を置きたいと思い始める。そしてある時、義弟・道彦(このときはまだ家出前)が東京にやってきた際、一緒に見に行った岩場で、嵐子さんはふと、愁太郎は岩になったのではないかと考えた。だから嵐子さんは思うのだ――これぞという岩を探し出し、家に連れて帰って毎日眺めて、愁太郎に戻るのを待とうか、と。こういう表現が、この作者の作風っぽくて良い。

さよなら、日だまりさよなら、日だまり
平田 俊子

集英社 2007-07
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 この人はこの前まで西洋占星術に凝っており
 蟹座の私に相性が良いと
 魚座の男をおしつけた
 それが別れた主人である

           ――「そうじの科学」より

「ラッキョウの恩返し」でこの詩を読んだので思い出し、積本の山から引っ張り出してみた。

細々とライター業を営む「わたし」――律子は、知り合って間もない女・ユカリから、占い師だという男・須貝を紹介される。夫の浮気を疑っていた律子に、須貝たちは様々なアドバイスをする。さらに夫にも会い、浮気ではなく相手に付きまとわれているだけということを聞きだしたふたりは、律子夫妻の家を訪ね、相手の女を遠ざけるまじないをする。夫はすっかりユカリや須貝と意気投合してしまうが、律子はどうも違和感をぬぐい切れなくて……。

占いってなんなんだろう――そう感じずにはいられない1冊。なにごともほどほどが肝要。

ひとつでも歯車がずれてしまうと、全てが崩れてしまう。タイトルの「さよなら、日だまり」という言葉の意味があきらかになった時、言いようのない脱力感に襲われた。そしてラストに行きつくまで、常に心の奥でなにかがちりちりするような感覚が続く。作者の詩にもそこはかとなく漂う、言葉にできない微妙な不安感がここにもあった。

ラッキョウの恩返し―詩集 (1984年) (叢書・女性詩の現在〈7〉)ラッキョウの恩返し―詩集 (1984年) (叢書・女性詩の現在〈7〉)
平田 俊子

思潮社 1984-05
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1984年刊行の第1詩集。

現代詩文庫の「平田俊子詩集」にも収録された表題作「ラッキョウの恩返し」が一番気にいっている。
ラッキョウが苦手な「私」のところに次々とラッキョウが持ち込まれる。みな恩返しだと言うが、そんな恩を売った覚えのない「私」は、ラッキョウを贈ることは恩返しの裏返しだと考える。そうするうちにもどんどん増えるラッキョウ。すると……


何だろうと見回すと壁の時計が長短二本の腕をのばしラッキョウを掴んでは口へ掴んでは口へ シャリシャリシャリあっという間にひと山たいらげた
そもそもこの時計はどうして動いていたのだろう ゼンマイでもない電池でもない
時間ばかり食べていたんじゃさもひもじかったろうと同情する間にふた山
いや時間は食物ではなく排泄物かもしれないぞ その証拠にと考える間にまたひと山
その証拠に私の心臓もシャリシャリシャリと小気味いい音をたててあしたのラッキョウの方を向いているではないか


詩に完全なる意味・訳を求めるのは難しいのだが、こういう詩を読むと「えっ?」と不思議な驚きを得ることが多く、それが面白い。

宝物宝物
平田 俊子

書肆山田 2007-10
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最新詩集。乾いていて、けれど決して硬質というわけではない言葉。触れると消えてしまうようなはかなさはない。かすかな濁りの入った水晶の、薄い破片――そんなイメージを抱いた詩集でした。
今回気にいったのは「無縁」という詩。念願の小さな屋上を手に入れた「わたし」は、人を呼んで自慢して、最後にはひょいと背中を押す。その繰り返しで、地上は無縁仏があふれる始末。そしてついに「わたし」は。

 わたしはつまらなくなりました
 いつかゆっくり落ちていくために屋上を手に入れたのに
 自分のものではないみたい
 わたしは立ち入り禁止の札を立て
 夜が明ける前に飛び降りました
 が 飛んでも飛んでもからだが宙にとどまります
 どうしたことだとふりむくと
 屋上がわたしにしがみついていました
 ひとりにしないでと屋上はいいました
 どこかにいきたいといいました
 そこで屋上の手を引いて
 いちにのさんで飛び降りました


タイトルの「無縁」は一見すると、作中で地上に増えた「無縁仏」のことのようだけど、実は飛び降りる(端的に言いかえると「死ぬ」)ことで「縁」を「無」くすということでしょうか。屋上を手に入れたのも「いつかゆっくり落ちていくため」らしいし……。屋上というのも地上から切り離された(=「縁」の「無」い)場所ですしね。
屋上の「ひとりにしないで」という言葉がせつなく感じられます。

詩七日詩七日
平田 俊子

思潮社 2004-07
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「現代詩手帖」に連載された詩22作+未発表作2作を収録。タイトルの「詩七日(しなのか)」は「(これが)詩なのか」とという問いから来ているとのこと。各詩の題はすべて「○月七日」となっている。
一途過ぎる恋の詩(二十三月七日)があったかと思えば、いつものように不気味で乾いていてシビアな感じの詩ももちろんたくさん。

神保町で逃げたインコを探すビラを見る詩(十二月七日)が一番印象に残った。たとえばこんな表現。

 昔 ウサギを飼っている人の家で
 「ウサギの寿命ってどれくらい?」
 「だいたい5年くらいかな」
 「このウサギいくつ?」
 「今年で3歳」
 その場に居合わせた人たちが
 頭のなかで計算するのがわかった
 引き算は残酷 もっと残酷なのは
 そんな質問をしたわたし


……なんか、こう……うまく言えないのだが、無意識下の残酷性というか、現実「だけ」を見た感想、というのはすごく覚えがあるというか、納得させられる感じ。

おもろい夫婦―平田俊子詩集おもろい夫婦―平田俊子詩集
平田 俊子

思潮社 1993-09
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妻は東京、夫は大阪。絶賛別居中の夫婦を描く詩集。
性格の不一致、生活の違い、考え方の違い……様々な理由から別居した夫婦。文字通りの「夫婦漫才」をしたかと思えば、夫の浮気現場を押さえようと、大阪へ黙ってやってきて、家の前に張りこんだりもする。
考えのすれ違いを表すように、夫婦それぞれのモノローグを交互に書いた詩もあるけれど、仲が悪いながらも考えることが似通ってくるのはやはり夫婦ならではか。そのあたり「おもろい夫婦」ではあるけれど、やっぱり別居を続ける以上は「もろい夫婦」としか言いようがないのか。

妻の視点から夫を語り、夫の視点から妻を語る「あとがき」も良い。夫婦だけに限らず、人間関係って難しいなあ。まあ、夫婦ともなるとその関係性が複雑すぎて、余計に難しいのだろうけど。

平田俊子詩集 (現代詩文庫)平田俊子詩集 (現代詩文庫)
平田 俊子

思潮社 1999-12
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詩集「ラッキョウの恩返し」「夜ごとふとる女」等の抄録、「ターミナル」全篇、未刊詩篇、散文と、詩人・作家による詩人評を収録。

どこまで作者とシンクロしているのかは不明だが、詩の主人公の女性は夫とうまくいかず、別居と同居を繰り返した後に離婚している。そんな夫婦として成り立たなくなった生活を風刺的に描く「(お)もろい夫婦」が特に面白い。というか、詩を読んでいて「面白い」と思うなんて珍しい。
そうやって一人称で書いているにも関わらず、そこに熱情はあまりないように感じる。情熱的な詩もあるにはあるが――例えば、自分をウサギ、男をキツネに見立て、自分を一心不乱に追って食らってほしいという「うさぎ」という詩とか――、けれど芯はどこか冷めている。何重にも描いた円の外側から、自己という世界を見ているよう。
この作者の書いた小説集「ピアノ・サンド」を読んだことがあるが、その時も似たような印象を受けた。
その距離感、そして時折現れる暴力的な表現が心地よい。
絲山秋子を読んだ時とは、また異なったざわざわ感が味わえる。

詩人評の書き手の中に、なんと笙野頼子が。いつもの笙野節でした。興味深く拝見。

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