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読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。

カテゴリ: 本谷有希子

異類婚姻譚
本谷 有希子
講談社
2016-01-21

結婚して数年、サンちゃんはそれなりに稼ぎのある夫のおかげで、専業主婦として暮らしていた。そんな夫の顔と自分の顔が似てきたような気がするサンちゃん。夫は帰宅すると毎日ハイボール片手にテレビのバラエティ番組を見続け、家では何も考えたくないとごろごろしてばかり。そんな夫の振る舞いは理解できないが文句を言うわけにもいかず、日々をやり過ごしていたサンちゃんだったが、ある日その夫の顔のパーツがどんどんズレて緩んでいることに気付いて愕然とする。さらに、いつしか自分の顔のパーツも同じようにズレていることに気付き……。(「異類婚姻譚」)

第154回芥川賞受賞作「異類婚姻譚」を含む最新作品集。

表題作の主人公・サンちゃんは専業主婦だが、その暮らしをどこかで後ろめたく思っている女性。そのせいか、夫のだらけた姿に文句をつけることもなく、穏やかに夫婦生活を送ってきた。しかし自分と夫の顔が似てきたように感じ始めた頃から、歯車が狂い出す。夫に養われているのは自分だが、夫の食事を作り生活をさせているのは自分。それが専業主婦であるサンちゃんの根底にはきっとあった。それは自分の恋人に対する姿勢が、相手に影響されやすいものであるという、これまでの経験のせいでもあるのだろう。相手の影響を受け、まったく同じものになろうとするサンちゃんは、だからすでに「自分」というものを喪失していると考えていた。ゆえに自分の顔が夫に似てきたのだと考え始めたのだ。

しかし夫の顔が「崩れて」きて(というのは字義通りではなく、サンちゃんの主観によるものだが)からというもの、サンちゃんはいつしか自分を夫から切り離そうと考え始める。それはこれまで彼女が恋愛の終わりにしてきたこととおそらく同じで、結婚の理由、あるいは夫婦を続ける理由が愛から打算へと変わってきたからなのかもしれない。しかしそこに目を向けず、ただ夫の「変貌」に翻弄されるサンちゃんは、自分が被害者なのだと信じて疑わない。だから夫の痛烈なひとことに返す言葉が見つからず、考えることを止めたのだろう――かつての夫のように。けれどその思考停止を止めたのもまた夫の存在だった。「自分」を取り込み変貌しようとする夫を、今度はサンちゃんが手ひどく突き放す。サンちゃんの言葉は夫を解放する呪文であったと同時に、自分を解放する呪文でもあったのだ――「婚姻」という、一度結べばなかなか解消することのできないしがらみからの。

これまでの本谷作品に登場する女主人公は自意識過剰すぎる人物ばかりだった。彼女たちはともすれば人格破綻者とも言えるくらいに突き抜けていて、同時に自分の欲望に対してとても忠実だった。本作の主人公であるサンちゃんも、最初は普通の無欲な専業主婦を装っていたが、夫との関係について考え始めた頃から、その自意識が少しずつあらわになってゆく。しかし夫という存在に取り込まれそうになった自分を無理矢理取り戻し、逆に夫を追い詰めてゆく様は、これまでの女主人公たちとはスタンスがまったく違うようにも思える。

今までの女主人公たちは日常の外側から突然やってくる天災のようなものだったが、今回の主人公は日常の内側から外へ向けて飛び出してゆくタイプ。サンちゃんは「何不自由ない日常」に潜む違和感、あるいは不安感に気付き、過剰なまでに反応し、対抗していった。そしてそれは表題作だけでなく、併録されている3作品すべてに共通しているとも言える。作風の変化という点ではどこか寂しい気もしないでもないが、しかし表題作の奇妙な結末や、併録作のどこか不安感を誘う展開などはこれまでと変わっておらず、どころかその煽り方が巧妙になっているような気もする。特に「トモ子のバームクーヘン」に潜む得体のしれない空虚感がなんとも恐ろしかった。

自分を好きになる方法自分を好きになる方法
本谷 有希子

講談社 2013-07-26
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高校生のリンデは、ある休日にクラスメイトのカタリナ、モモと一緒にボウリングをすることに。モモの一言で最近できた新しいボウリング場ではなく、昔からある古いボウリング場に向かった3人。そこでリンデは、ふたりにある告白をしようとしていた。それはクラスの中でも派手でにぎやかな女子のグループから、昼ごはんを一緒に食べようと誘われたこと。だがリンデは、ふたりを裏切ることになるような気がしてなかなか言い出せず……。(「16歳のリンデとスコアボード」)

今回は短編連作形式で描かれる、リンデなるひとりの女性の物語。
16歳の友人たちとのボウリング、28歳の恋人との海外旅行、34歳の夫との結婚記念日、47歳の友人たちとのクリスマスパーティー、3歳の保育園での昼寝の時間。そして63歳、たったひとりで過ごすある1日。年齢も状況も違う6日間を通して描かれるのは、リンデがどんな人物で、そして何を求めて生きてきたかということ。

16歳の時、クラス内で明るく派手な女子たちのグループに入れず、出席番号の近い、そして自分同様にメイングループからあぶれてしまったカタリナとモモと一緒に地味なグループを形成していたリンデ。しかし見た目も趣味もまったく違う3人にとって、共通の話題はいつしか、最近見た夢の話ばかりになってしまう。そんな現状に疑問を抱きつつ、それでもリンデはふたりになじもうとしていくが、ボウリングに行った日をきっかけに、やはり何か違うということに決定的に気付いてしまう。メイングループの女子から昼食に誘われた日、リンデはカタリナとモモに手紙を書いて下駄箱に入れる。その手紙――「ほんとうに、お互い心から一緒にいたいと思える相手が、必ずいるはず。私たちは、その相手をあきらめずに探すことだと思う」という文章が、この後に続くリンデの将来について回るようになる。

恋人、夫、知人に友人……リンデは様々な場面で「一緒にいたいと思える相手」かもしれない人々と接し、けれどどれもこれも、もの別れに終わってしまう。最後に語られる63歳のエピソードでは、結局その「相手」を見つけられずひとりきりになったリンデの姿が描かれていく。そんな彼女を見つめるにあたって気になるのは、リンデにとっての「お互い心から一緒にいたい相手」というのは一体何だったのだろうか、ということ。

例えばそれは、いいところも悪いところもひっくるめて、互いに許し合い受け入れ合える相手ということなのだろうか。けれど相思相愛というのは意外と難しく、ましてリンデの性格は、これまでの本谷作品の主人公たちと比べればまだマシではあるが、それでもどこか身勝手なところが目に付いてしまう面がある。リンデは相手が自分のことを認めてくれないと嘆くが、自分こそ相手を認めようとしない――相手が認めてくれないのだからこっちも認めてやらない、というような意識が見え隠れする。けれど自分のことは認めてほしいし、受け入れてほしいのだという想いも。

認め合うには歩み寄りが必要ではないかと、読んでいるこちらとしては思ってしまうが、歩み寄らずとも認め合える相手をリンデが探していたのだとしたら、それはなかなか難しい話だと言わざるを得ない。妥協が肝要というのは色気のない話だけど、それができないという現実が、リンデという人物の不器用さ、そして孤独を物語っている。そしてそうやって生きていくことが、結局はリンデが自分という存在に価値を見出すための手段だったのかもしれない。

嵐のピクニック嵐のピクニック
本谷 有希子

講談社 2012-06-29
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親の望みで「私」は幼い頃からピアノ教室に通わされるのだが、ピアノにまったく興味が持てない「私」は練習もせず反抗的な態度をとるばかりで、実に4つものピアノ教室から出入り禁止を言い渡されてしまう。しかし中学生になった頃、娘のピアノ習得を諦めきれない両親は、「私」を自宅で個人的にピアノを教えている女性のもとへ通わせることに。そこでもやる気を見せない「私」に困っていた先生だったが、ある日、それまで笑顔を絶やさなかった先生の様子がおかしくなり……。(「アウトサイド」)

2012年に「群像」にて一挙掲載された短編群13作(「13の”アウトサイド”短篇集」)の書籍化。
ぶっ飛んだ思考の持ち主の女性が出てくるのはやっぱりいつも通りなのだが、今回はその方向性が実に多様。いつも笑顔だった先生が、1日だけ笑顔のまま豹変したり(「アウトサイド」)、会議室のカーテンのふくらみが気になって会議どころではなくなってしまったり(「私は名前で呼んでる」)、しもやけを利用して指をくっつけたいなどと言い出したり(「人間袋とじ」)、夫の気を引きたいがためにボディビルダーを目指したり(「哀しみのウェイトトレーニー」)。

本谷作品は毎回、現実世界を舞台にしながらも、(精神的に、という点で)奇想天外すぎて度肝を抜かれるのだが、今回の短編集はそれが13作品もあり、しかもその奇妙さ加減がすべて別の方向を向いているのだから、読んでいておかしいやら疲れるやら。クセになるというか、中毒性がいつにも増して高い気もする。

土曜に大阪に行ってきました。
今回もライブのため……ではなく、演劇鑑賞です。大阪・ABCホールにて《劇団、本谷有希子》の「遭難、」を見てきました。元は2006年に上演された同名演劇の再演で、すでにも出ているのでそちらを読んだことがありました。で、その時から気になっていたので、今回の再演に思わず飛びついたというわけです。

ちなみに主役の女優さんが稽古中に病気で降板したため、主役の女性教師・里見役が交代になったのですが、演者はなぜか男性。しかも設定を男性教師に変えるのではなくまさかの女装。でも実際見てみると、里見という人物の異質感が際立ってくるようで、これはこれで。そして仁科役の片桐はいりの存在感はものすごかったです。佇まいからしてすでにこわすぎる(笑)。

他人の痛みを理解することは果たして可能なのか――慮ることはできても、それが正解とは限らないわけで。けれど相手のことを理解しようとする行為そのものは高く評価され、逆にそれができないことは非難される。けれどそれができないことにのっぴきならない理由があれば、たとえ他人を理解しようとしなくても、非難されることはなくなる――その考え方を基底として物語は進みます。どこまでも身勝手で、けれど自分にどこまでも正直な主人公が、周囲の教師たちを巻き込んで事態をどんどん悪化させていきながらも、自分を含めた登場人物たちの本性を暴きたててゆきます。そんな展開が小気味いいうえに、いろいろと考えさせられました。うーん、こわいなあ。

で、その後は同行していた母上と別行動でうろふらとお買い物を。これまで友人に連れて行ってもらっていた梅田の丸善ジュンク堂書店へ、記憶を頼りにひとりで向かってみました。で、月末月初に出ていた新刊類をいろいろ買い込んでたら紙袋を二重にされました(笑)。何冊か買うのを見送ったものがあったのですが、それを入れたらいちまんえん越えてただろうなー……(遠い目)。いやでもたくさん本が買えて満足です。まあ読めるかどうかは別問題ですが。


*購入本*
若杉公徳「KAPPEI 3」(ジェッツコミックス/白泉社)
貞本義行「新世紀エヴァンゲリオン13」(角川コミックスエース/角川書店)
九月文「銀の竜騎士団 学園ウサギの内緒の潜入」
睦月けい「首の姫と首なし騎士 華麗なる背信者」(以上、ビーンズ文庫/角川書店)
前田珠子「破妖の剣6 鬱金の暁闇14」
山本瑤「海の娘が生まれるところ」(以上、コバルト文庫/集英社)
火野葦平「糞尿譚/河童曼荼羅(抄)」(講談社文芸文庫/講談社)
妹尾ゆふ子「翼の帰る処(上)(下)」(幻冬舎)
奥泉光「虫樹音楽集」(集英社)

久しぶりに本谷有希子の新作舞台を観に行ってきました。今回は大阪まで。9月9〜11日にかけて上演されていたようですが、私が観に行ったのは2日目、10日の夜の部です。

かつてケータイ小説で人気を博したものの、路線変更後はすっかり落ち目の作家・ひろみ(長澤まさみ)が、最近つるんでいる呑み屋のママ・真貴(リリー・フランキー)と、とあるイベントバーでトークイベントを開きます。そのイベント後、何人かのファンたちは再びバーに戻るよう書かれたメモを見つけます。集められたファンたちの前に現れたのはひろみと真貴、そして編集者の二見(成河)。3人はファンたちを交えた告白本を作ろうと画策し、ひろみはファンたちから、自分に対する本音を引き出そうとします。

落ち目になったことで周囲を――特にファンたちのことを信じられなくなってしまったひろみは叫び、わめき、暴れます。人と人との「つながり」なんて幻想だ、と。路線変更のことを「堕ちた」なんて言うけど、自分はそんな風にはまったく思っていない。好きなようにレッテルを貼って知ったかぶって批評しているけど、お前たちに何が分かるのか。今まで作品を通じていろいろなものを「与えて」きたんだから、今度はわたしになにか与えてくれたっていいじゃないか。ファンだなんて言ってるけど、じゃあどこまでわたしのために体を張って、何をしてくれるのか。

その発言は自己中心的で、自意識過剰で、身勝手で……けれど、真理を含んでいるのもまた事実。作家と読者との関係には上下差があるのか、それとも対等なのか。上下差があるとすれば、それはいったいどちらが上なのか。作家の方が作品を与える側として「上」のように見えるけれど、それを批評することで作家の価値が揺らぐのであれば、ファンの方が「上」と言えます。双方の見え方が二転三転しながら、物語は奇妙な方向へ転がって行きます。

そんなひろみの暴走につられるように、ファンたちもまた暴走していきます。けれどそれだけじゃひろみも真貴も満足しない。ふたりが見たいのは、彼らがファンという「不特定多数」ではなく、ひとりひとりの人間として互いに憎み合い、嫌い合うこと。そして自分たちを嫌ってくれること。自分たちは他人のことが嫌いだから、あんたたちに嫌われてもなんともない、とふたりは言います。そして最後の最後まで、ひろみは煽り続けます。そうやって煽って煽って、「つながり」を否定して、そうして残ったものはなんだったのか――人とのつながりを全否定することで、逆にそれが一体何なのかを考えさせられるようでした。

ぬるい毒ぬるい毒
本谷 有希子

新潮社 2011-06
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地元の大学に通う「私」のもとに、向伊と名乗る男から電話がかかってくる。同級生だという彼は、かつて「私」から借りたお金を返したいから会いたいのだと告げる。身に覚えのない「私」はとりあえず会ってみたものの、やはり知らない相手のよう。その場はそれで別れたふたりだったが、それから1年後、再び向伊から電話がかかってくる。「私」の同級生だという友人と一緒に飲んでいるので来ないかと言われ、悩んだあげくその場に向かうことにするが……。

久々の新作は「新潮」2011年3月号に発表された中編。
「私」に接触をはかってきた向伊という男は、どこかくずれた魅力の持ち主。振る舞いも言動も、女を魅了するには十分すぎるという男だが、彼が告げていることは最初から嘘ばかり。けれど「私」はそんな向伊の嘘に、嘘とわかっていながら惹かれてしまう。そして自分は彼の言動が嘘だと分かっていることを前提で、彼に認められたいと――そして彼のほころびをいつか暴きたててやりたいと夢想するようになる。騙されるだけの馬鹿な女ではないと自分で思っているからこそ、向伊やその友人たちの言動の底を見抜く「私」。けれどそれに抗うことができないのもまた事実。どれだけ馬鹿にされていると分かっていても、反論することができない。だからこそ、自分はわかっていて騙されているのだ、と自分に言い聞かせ、いつかは自分が優位に立つものだと思っている。その過剰なまでの自意識だけに支えられて、「私」は向伊との関係をずるずると引き延ばしていく。

向伊は「私」のそんな葛藤を知ってか知らずか、「私」に対してどんどん踏み込んでくる。そしてつく嘘も次第にぞんざいになっていくし、要求もありふれた、ひどいものになっていく。「私」はその向伊の慢心にも気づきながら、それでもやはり彼に従ってしまう。そうして最後には思い知らされるのだ。目の前はまったく拓けていなかったことを。自分はわかっていると、他人とは違うのだと思い込んでいても、抗わなければ何の意味もないことを。世の中には息をするのと同じくらい、他者の心をたやすく折ってしまえる人がいることを。そして、自分はなにもわかっていなかったことを。

丹念に砕かれた自意識を抱えたまま、「私」は24歳になる。23歳ですべてが決まると、そう思っていた「私」は、何かをつかみかけたことだけは覚えている。けれどそれでは彼女は何をつかみかけていたのだろう。そして今、何をつかんだのだろう――あるいは何をつかめなかったのだろう。ただひとりで生きることが苦痛で、けれど人と接するのも苦痛な「私」と向伊との出会いは、考えうる限り最悪の事態だったのかもしれないけれど、それでも彼に会わなければ、彼女が何かをつかみかけることもなかったのかもしれない。人の間で生きていくということはあまりにも難しく、けれど時に、あまりにも簡単だ。

来来来来来来来来来来
本谷 有希子

白水社 2010-06-29
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元自衛官の蓉子が嫁いだのは、姑が野鳥園を、家では揚げ麩作りを営む一家。だがいきなり夫は失踪し、蓉子は家に取り残されてしまう。そんな折、もともと仲の悪かった兄嫁・千鶴子と姑・光代がついに衝突。千鶴子によって光代の大切にしていた孔雀が揚げ殺された上、揚げ場の従業員・アキの義父を失踪した夫と勘違いして殺してしまった光代は発狂してしまう。蓉子は我慢することをやめたという千鶴子の言いなりに、家事と家業と光代の介護を一手に引き受けることに。なぜかいつも野鳥園にやってくる近所の女子高生・みちるはそんな蓉子を心配するが、蓉子は嫌がる顔ひとつ見せなくて……。

岸田國士戯曲賞受賞後第1作となる戯曲の書籍化。
それぞれ妙な事情を抱えた女たちが、ひとつの家を舞台にてんやわんやの大騒動。
光代も千鶴子もみんな自分勝手に行動し、見事に玉砕していく中、蓉子はただ黙々と目の前の作業をこなしていく。夫に逃げられ、なにもかも押しつけられ、それでも蓉子は笑って働く。なぜなら「過酷な環境ほど自分って成長できる」から。むしろ、そう思わないと生きていけないから。千鶴子にいくら理不尽なことを言われても、その性癖を逆手に取られても、それでも彼女は家族のために働き続ける。

キレた一家の中にあって「心優しいまともな嫁」に見える蓉子だが、その精神のバランスはとても危うくて、実は光代よりも千鶴子よりも、誰よりも狂気に一番近いところにいたのかもしれない。
だから逃げた夫との思い出である孔雀が殺されたことで、そのバランスはあっけなく崩れてしまう。けれどそれをなんとか元に戻したのは、また前のように人に尽くして努力すること。そしてそれが報われること。

蓉子の努力が本当に報われた、と言えるのかどうかはわからない。けれど自分を褒めてくれる人が現れたことで、少なくとも救われはしたのだろう。とても歪んではいるけれど、これもハッピーエンドのひとつの形なのだ。他人がどう思おうとも。

あの子の考えることは変あの子の考えることは変

講談社 2009-07-30
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フリーターの巡谷と同居している日田は、手記を書くと言って家にいる妙な女。そして自分が獣臭いと常に悩んでいる。さらに彼女はその理由を、ふたりが住む高井戸にあるごみ焼却場から発生するダイオキシンのせいなのだと思っていた。日田の体臭も、肉体関係しかない男・横ちんに対して巡谷が抱く執着心も、なにもかもがダイオキシンによる「症状」なのだと……。

文芸誌「群像」に発表され、第141回芥川賞候補にもなった新作は、どん詰まりな女ふたりがとにかくめちゃくちゃになってしまう中編。

とにかく引きこもって変なことばかり考える日田と、横ちんからいつまでたっても離れられず、時々どうしようもないパニック状態(日田いわく「グルーヴ状態」)に陥ってしまう巡谷。
巡谷は日田のことが好きだから一緒に住んでいるわけではない――その状況をあえて作り出している彼女の精神状態はやっぱりぎりぎりのところにあるのだし、何もかもダイオキシンのせいにして自分を正当化する日田の精神状態もまともとは言えない。ぎりぎりの均衡を保っていたふたりは、ふとしたことで簡単に崩壊してしまうが、それを再度結び付けたのは、日田のダイオキシンに対する幻想。希望の光に似た別の何か――そうとしか言えない結末がふたりを待っているのだが、それでもふたりは、それに救われたのもしれない。

真実なんかはどうでもよくて、ただ自分の信じられるものがひとつあればそれでいい、そんな物語。

イママン 本谷有希子マンガ家インタビュウ&対談集イママン 本谷有希子マンガ家インタビュウ&対談集
本谷 有希子

駒草出版 2007-11-21
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2005〜2006年にかけてラジオ「本谷有希子のオールナイトニッポン」で放送された漫画家訪問コーナー「マンガ家さんいらっしゃ〜い」「今、マンガ家さんに会いにゆきます」「今すぐ、マンガ家さんに会いたい」に、その他対談・インタビューを加えた、まさに「本谷有希子vsマンガ家」な1冊。

ラジオの1コーナーであった「イママン」は、本谷有希子の知人である山本直樹をスタートとして、テレフォンショッキング形式でスタート。スタート地点がもともとコアな感じの漫画家なせいか、そのあと続くのもなかなかマニアックな面々だったりする。ジャンルも毎回バラバラなのだが、そんなマンガ家たちに対して、本谷は歯に衣着せぬ質問を繰り返し、レアグッズ(リスナーへのプレゼント用)をもぎとって嵐のように去ってゆく(笑)。さらにインタビューする側の本谷のテンションもそりゃあもう上下していて、いくら回を重ねてもなんとなくぐだぐだな感じ。そこがまた面白い。

個人的に一番おもしろかったのは有馬啓太郎の回。ツンデレについて語り合っていたはずが、最終的にツンデレというか放送禁止的な流れになりかけたオチはなんとも(笑)。


ちなみにインタビューされたり、対談された面々は以下の通り。

【イママン登場マンガ家(登場順)】
山本直樹→河合克夫→三家本礼→唐沢なをき→星里もちる→陽気婢→有馬啓太郎→赤松健→西本英雄→とだ勝之→杜野亜希→こうの史代→南ひろこ→みずしな孝之→おおひなたごう→山本直樹

【対談】
二ノ宮知子 とり・みき 瀧波ユカリ しりあがり寿

知ってる知らないはともかく、マンガ家の交友関係も垣間見られて興味深い。

幸せ最高ありがとうマジで!幸せ最高ありがとうマジで!
本谷 有希子

講談社 2009-03-27
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あまり繁盛していない新聞販売店に突然現れた美女・明里は、この家の主人と7年前から不倫しているのだという。1年前に再婚したばかりの本妻・美十理は一瞬うろたえたものの、とりあえず彼女のことを取り合わず無視することに。それを見ていた住み込みの従業員・えいみは、なぜか明里を自分の部屋に上げて彼女の話を聞いてやろうとするが……。

2008年に上演された、第53回岸田國士戯曲賞受賞作の書籍化。

いきなり現れて愛人宣言した明里だが、実際は不倫の話そのものが嘘。自分のことを「明るい人格障害者」と宣言する明里は、逆にえいみから彼女の秘密を聞き出し、それを使ってこの一家に隠されている不幸やら欺瞞やらを次々と暴き出していく。たったひとりの見知らぬ女に翻弄される人々。今までの一家の平和が、実は薄氷の上でぎりぎりのバランスでもって保たれていたことを、誰もが瞬時に悟らされてしまう。

けれど、それを一家に知らしめた明里の精神もまた、薄氷の上にあったようなもの。彼女の理解不能な行動・言動を美十理たちが否定したことで、彼女の足元も崩れ始める。

「絶望」すること――その意味、その理由。理不尽な現実。
そして「狂う」ということで生じる優位性。無能ゆえの全能感。
明里の言うことは間違ってはいないが、正しいわけでもない。そうやって、「普通」として、「正常」として、人と人のの間に埋没できなかった女の姿がくっきりと描かれていく。いったい誰が「正常」なのかがわからなくなる、この歪んだ感じがたまらない。

本谷有希子の最新作です。
舞台です。演劇です。学校行事以外での観劇ってはじめてかも。
東京・大阪公演の合間を縫っての(まさかの)岡山公演でした。

物語の舞台は家族経営のさびれた新聞配達店。店主(梶原善)不在のその配達店に、謎の美女(永作博美)が現れる。なんと彼女は店主の愛人で、7年もの関係があるのだと言う。事態を受け入れられない妻(広岡由里子)と子供たち(近藤公園と前田亜季)によって締め出された女だったが、この店に住み込みで働く山里(吉本菜穂子)は、なぜか女を自分の住む離れに招き入れて……という話。

とにかくこの謎の女(作中では名前が明かされてなかったような気がするが、パンフレットによれば「明里」というらしい)が、なんていうか迷惑すぎる、異様なほどにハイテンションな人物。彼女は山里に「同時多発テロをしたい」的なことをうそぶく。そして本当に起こるわけのわからない事態。登場人物たちを言葉ひとつで翻弄し、めちゃくちゃにしていく明里。が、状況が破綻しすぎたせいで、「窮鼠、猫を噛む」のごとく、追い詰めたはずの相手たちの思わぬ反撃で、次第に自分自身が追い詰められていく。次は何が起こるんだろう、と目を離せない2時間でした。

本谷有希子作品でしばしば取り上げられるのは「絶望」という感情。しかもその多くは理由をもたない。こう言ってしまうのは陳腐な表現でしょうが、いわゆる現代特有の閉塞感というものを端的に表しているのかもしれません。
けれどきっと、本谷有希子にとっての「絶望」はそれだけではないのでしょうね。
それは生きてゆくための力であり、「絶望」という負の要因をあえて抱えることで生じる、矛盾に満ちた全能感。ひととは違うという優越感。明里の存在なんてまさにそう。

それと、面白かったのは、永作博美が登場したとたん客席から複数もれた「細い!」のひとこと。思わず口に出してしまうほど彼女は細かったのです。脚が特にきれいで驚きました。さすが女優。もちろん演技も素晴らしかったです。マジでこわい。本谷有希子の描く狂気をあますことなく体現していました。

あと舞台装置について。
配達店は2階建てでベランダと離れ付きなのですが、2階と離れは基本的に壁で覆われているので中が見えません。が、そこに登場人物が入って物語の中心になる際は、壁がスライドして中が見えるようなつくりになっていました。
当たり前といえば当たり前な話なのですが、こういう演劇を見るのは初めてなので、そのセットの動きひとつをとっても非常に面白かったです。

本谷有希子の作品はいくつかが書籍化されていますが、やっぱり生で見るとまた印象が違うんだな、と感じました。文字を追うのと演技を見るのとではやはり「勢い」が違いますね。岡山に来てくれて感謝です。

偏路偏路
本谷 有希子

新潮社 2008-09
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女優になるために上京していた若月だったが、このたび急に戻ってきて、父・宗生と共に四国の祖母宅にやってきた。亡くなった祖母の家には、いとこ一家が住んでいる。叔母といとこふたり――無職のノリユキと事務職の知未、そして仕事が忙しく不在がちな叔父。祖母が亡くなった時も帰ってこなかった若月が、ここにきて父と一緒に来た理由――それは、夢破れたので「都落ちしたい」と父に告げたかったから。けれどさんざん家族に迷惑をかけてきた彼女の言い分がすんなりと聞き入れられるはずもなく……。

本谷有希子の新刊は2007年12月に上演された同名戯曲。また、この前の新作小説「グ、ア、ム」の姉妹編。

「グ、ア、ム」が娘(たち)と母親の物語だったのに対し、こちらは娘と父親の物語。
主人公の若月はいつもの本谷作品によく出てくるタイプの、どう見ても自己中心的としか言えない性格の持ち主。自分が一番かわいくて好きで、夢に向かって一直線なタイプ。そしてそのために家族が犠牲になることはいとわない。でもびっくりするほど才能がうすく(そう、「ない」のではなく「うすい」から問題なのだ。勘違いするから)、結局迷惑をかけっぱなしで、でも被害妄想は人一倍。実際にいたらどれだけうっとうしいか……というか、家族にいたら確実に首を絞めたくなるような、そんな女。
でも家族は――本作では父親だが、見捨てることができない。理不尽なことを言われても、なだめすかしたりしながらもやっぱり「家族だから」と突き放せない。いったんは事態を収拾しようと試みる。

その気持ちはわかる。
わかる、けどなあ……でもそんな娘を育てた親も尋常ではないので、本作では父の行動が思わぬ方向に暴走し、地獄絵図のような展開が繰り広げられる。そして、あまりにも地獄絵図すぎて、読んでいるこちらはかえって笑ってしまう。悲劇も度を過ぎれば喜劇、ということか。

父・宗生は娘に対してこう言っていた。

「だから、人のいい面見せてもひっくり返ったら意味ないってことや。意味ないどころか裏切られた分、余計ショックやった。これはどういうことか分かるか? つまり同じように人の悪い面を見せておけば、それがひっくり返ったとき、何倍にもなって心に残るって言うこっちゃ」

意味の転倒、価値の転倒。――善悪も状況もすべてひっくり返してくれる奇妙な快作。それがこの「偏路」という話なのだ。

グ、ア、ムグ、ア、ム
本谷 有希子

新潮社 2008-06
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勘の鈍い母、わがままな長女、姉とは正反対の堅実な次女。そんな3人がなぜかグアム旅行に行くことになった。しかしたどり着いたグアムは大雨。それぞれの性格と行動をめぐって、次第に険悪な雰囲気が漂ってきて……。

本谷有希子の新作は奇妙な家族小説と言うべきか。
一家の今までの生活ぶりと、グアムに行ってからの出来事が、母、長女、次女の視点を交差させながら綴られる。
表面上はそれほど仲悪そうに見えない姉妹だが、それもすべて互いの(とはいえ、どちらかと言えば主に妹の)努力によるもの。けれど妹は体調が思わしくなく、また久々の再会ということもあり、姉に対する苛立ちが抑えられなくなっていく。
姉自身、いつまでもフリーター的な暮らししかできず将来に不安を感じたりもしているが、それもすべて社会のせい、自分は不景気な時代に社会の犠牲となった世代に入ってしまっているのだから、と無理やり自分を納得させている様子。

姉妹の年の差は4年。妹は「たった4年」としか思っていないのかもしれないが、姉の方は「されど4年」と思っている。それは「ワーキングプア」の話題の時にも如実に表れている。同じ環境で育ってきた姉妹なのに、できてしまったこの差は何によるものか――その「差」を敏感に感じ取っているのはどちらも同じこと。そしてそれを感じ取れない母は、姉妹の間でおろおろするばかり。

それでも最後に見えた光の中で、姉がとった行動はなんとも面白い。開き直りともとれるその行為が、この作品を単なる重苦しい家族小説とは読ませないようにしてくれる。

江利子と絶対―本谷有希子文学大全集江利子と絶対―本谷有希子文学大全集
本谷 有希子

講談社 2003-10
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デビュー作なのに「文学大全集」と名付けられた、作者の自信がうかがえるタイトル。

表題作「江利子と絶対」の主人公・江利子は引きこもりの少女。ある日、電車の横転事故のニュースを見て以来、引きこもりながらも前向きに生きると宣言し、同居する姉を驚かせるが……。
併録は外見にコンプレックスを持ち、他人とうまく付き合えない中年男が、生垣に潜んで隣人の様子をうかがう不気味な女に付きまとわれる「生垣の女」。そして、いじめられっ子の「僕」と吉見くん、いじめっ子の波多野が迷い込んだ屋敷で恐ろしい目に遭う「暗狩(くらがり)」。

3作ともに共通するのは、果てのない絶望感。それは世界に、そして人に対する、見たくなければ知りたくもなかった絶対的な恐怖。日常という薄皮1枚を隔てた向こう側にある絶望を、異なるシチュエーションで描いた、まさに「大全集」といえる内容。

作者はこの次に「腑抜けども〜」を、そして「ぜつぼう」を発表。人が味わうことのできる絶望感を、最初からずっと突き詰めて書き続けている。そのスタート地点を、そして彼女の見ようとしているものが垣間見えるような1冊。

ほんたにちゃん (本人本 3) (本人本 3)ほんたにちゃん (本人本 3)
本谷 有希子

太田出版 2008-03-20
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かっこいい自分が大好き。自分は特別な人間――そう思って生きてきた「私」。もちろん自分のイタさは承知しているし、周囲に明らかに相手にされていないのもわかっているのだが、今さらこの生き方を止めることもできない。そんなある日、通っている専門学校の飲み会で、カリスマ的イラストレーター・野次と出会った「私」。なぜかふたりきりで飲み直していると、野次は「私」に、趣味でやろうと思っている版画のモデルにならないかと誘う。とりあえずその場は断ったものの(もちろんかっこつけたいがためのポーズ)、後日連絡して野次の家に向かった「私」は野次に接近すべく自分を様々に演出していくが……。

これは自伝?それとも……。
とにかく読んでいて「イタい!イタすぎる!」と言いたくなる内容。自意識過剰もここまでくると素晴らしい。そんな「私」が下した結論がまたふるっている。

生き方というのは、変えるのも変えさせるのも難しい。

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