父である源義朝は戦に負けて死に、その八男である「私」こと牛若は、極度に美しすぎる母親による助命嘆願が功を奏し、とある寺に稚児として預けられることとなる。そのまま修業をし、勉学に励んでいたらこの話は終わったのだがもちろんそうはいかず、ある時「私」は、長く「私」の家に勤めていた男から平家を倒すべきとささやかれてその気になり、鍛錬を積むようになる。やがて牛若は自ら元服して「源義経」と名乗り、藤原秀衡に平家打倒のための助力を願い出るために奥州へと向かうことになるが……。
「文藝」に2013〜2015年にかけて掲載された、現代語(というよりは町田語?)訳「義経記」。シリーズ全4巻の予定で、この1巻では義経が平家打倒を目論むことになった経緯と、義経の従者・武蔵坊弁慶(ややメンヘラ気味)の生い立ちと出会い、そして挙兵した頼朝を義経が追いかけるまでが描かれていく。
歴史ものではあるがその語りは完全に現代語(俗語や関西弁含む)で、カタカナ語も出るし「現代でいえば○○」といった言い回しも多数出てくるため、その独特の口調に慣れてさえしまえばわかりやすい。また、先日読んだ「辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦」で高野秀行および清水克行が述べていたように、こういったくだけた文章になっていることで、逆に当時の臨場感がそのまま浮き出てくるように思えてくる。言い換えれば、歴史上の人物であるはずの義経やその他大勢に、なんとなく親近感を覚えてしまえるような。
義経たちはいわゆる「武士」の先駆け的存在ではあるが、そこに現代の私たちが想像する、清く正しい「武士道」のようなものはまだ存在しておらず、善悪の価値よりも「弱肉強食」に重きを置いているような、そんな時代。その空気感を、義経自らが体現してみせてくれる。ファッションに気を使い、周囲からの「見られ方」を意識していた義経は、同じ意識を持ちながらも逆の方向へと向かっているような振る舞いを見せる兄・頼朝と、果たしてかみ合うことができるのだろうか。


















