phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。 (当ブログは全文無断転載禁止です)

カテゴリ: *あ行の作家

ひぐまのキッチン (中公文庫)
石井睦美
中央公論新社
2018-10-26

人見知りのせいで就活にことごとく失敗した樋口まりあは、祖母の紹介で「コメヘン」という食品商社の面接を受けることに。祖母の同級生だという社長の面接を受けたその場で採用が決まり、大学で学んだ化学を活かせると思ったのも束の間、彼女に与えられた仕事は社長秘書だった。しかも現在秘書を務めている吉沢ゆかりは間もなく退職してしまうというのだ。そして初出勤日、緊張するまりあを引き連れて他の社員たちの紹介をしながら、ゆかりは社員たちと「大阪」だの「広島」だのという謎のやり取りをしていて……。

米偏のつくものなら何でも扱うという商社「コメヘン」で、社長秘書として……だけではなく、なぜか料理上手になっていく主人公の成長を描くシリーズ1巻。ちなみに、タイトルから想像した内容は「気が優しくて力持ち的、ついたあだ名は〈ひぐま〉なコックさんのいる洋食屋が舞台のハートフルストーリー」だったのだが、まさか〈ひぐま〉=ひぐ(ち)ま(りあ)だとは……というギャップがまず面白い(笑)。

食品商社の社長秘書といえど、地方の中小企業ということもあり、社長の米田をはじめとして社内の雰囲気は実にアットホーム。そして主人公・まりあの先輩であるゆかりは単なる社長秘書ではなく、時には社長のお客様相手だったり、あるいは社内のイベント(例えばまりあのような新人が入ってきたときなど)で手料理をふるまっているというのだからさあ大変。しかも初出勤日にゆかりが作ったのは、社員ひとりひとりから好みを聞いてそれぞれ作り分けたお好み焼きだし(だから「大阪」「広島」)、彼女が見に付けているエプロンにはなぜか「ゆかりんキッチン」と書かれているしで、その本格さにはまりあでなくとも驚きの連続だったりする。

面倒見はいいけど思いのほか毒舌めなゆかりに翻弄されつつ、まりあはなんとか秘書として、そして「ひぐまキッチン」として仕事をこなしていくことに。元々料理が得意なわけではないため、周囲の助けを借りてできた料理は素朴なものばかりだが、それが客人たちの心をつかんでいくというのもまたいい。そもそも、料理するのはまりあひとりだが、材料を調達したり、客人の情報を得たりするのは、周囲にいる他の社員たちのサポートあってこそ。「秘書」という役割から考えると普通ではないこの業務に対し、まりあがちゃんと向き合っていることや、周囲の信頼を得て、社内にも彼女の居場所ができているということ自体が心強い。そんな彼女の料理の腕前が今後どうなっていくのかも期待したい。

ミッドナイトスワン (文春文庫)
内田 英治
文藝春秋
2020-07-08

故郷を離れ、今は新宿のニューハーフショークラブ「スイートピー」で働いているトランスジェンダーの凪砂。同僚の瑞貴と励まし合いながら手術の他のお金をためているが、女として生きていくことを決めたのが30歳を過ぎてからということもあり、なかなかうまくいかない。そんなある日、実家の母親から連絡が来る。親戚の早織が育児放棄して遊び歩いているため、その娘の一果を3か月ほど預かってほしいというのだ。すでに彼女を東京へ送り出しているということ、そして養育費をもらえるということでしぶしぶ受け入れた凪砂。必要最低限の言葉しか交わさず、一果本人に対しても面倒臭さを隠し切れない凪砂だったが、いつしか彼女が抱える孤独に気付き、彼女を守りたいという気持ちが芽生えつつあって……。

同名映画を監督自らがノベライズ。孤独を抱える者同士の間に芽生えた想いと、その行く末が綴られてゆく。

トランスジェンダーであるという、ただそれだけのせいで、周囲の無理解に苛まれ続ける凪砂。たとえ同じ境遇の「仲間」がいても、その孤独は絶対的なものであると心のどこかで思っていたに違いない。しかし母親から見捨てられ、一心不乱にバレエに打ち込む一果と出会い、その想いは少しずつ変化していくのだ――孤独が癒されるわけでは決してないけれど、しかし誰かのために生きたいと思うことは、孤独という壁を凌駕し、自身の生きる力になっていく。それは見ようによっては「依存」なのかもしれない。けれど自分が「女」であり、いつか「母」になりたいと願っていた凪砂にとってこれは「依存」ではなく、「母性」の芽生えだった。だからこそ彼女は、自分のためではなく、一果のために「母」になろうとする。そんな彼女に訪れる結末には賛否ありそうな気がするが、しかしきっと救いがあったのだと、そう思いたい。

楽園の烏 (文春e-book)
阿部 智里
文藝春秋
2020-09-03

安原はじめはある日突然、父親の遺言で謎の荒山を相続することになった。しかもたった一言、「どうしてこの山を売ってはならないのか分からない限り、売ってはいけない」という手紙付きで。そしてその直後から、何人もの人物が山を売ってほしいとやってくるようになる。その来訪者たちに似通った雰囲気を感じたはじめは、依頼をのらくらとやり過ごすように。そんなある日、はじめの前に「幽霊」と名乗る美しい女が現れる。興味をそそられたはじめは彼女の提案に乗り、行動を共にする。やがて木箱に閉じ込められてどこかへと運ばれたはじめ。たどり着いたのは、古風な和装の人々が集う大広間のような場所だった。戸惑うはじめの前に現れた壮年の男は雪斎と名乗り、この場所が「山内」と呼ばれる異界であること、はじめが相続した山がこの地と繋がっていること、そして彼らの敵である「猿」たちからこの世界を守るため、荒山の権利を譲ってほしいと告げる。それらの言葉に思うところがあったはじめは、対価として金ではなくなにか「面白い」ものを差し出すよう要求。さらに雪斎の配下らしき若者をひとり借り受け、しばらくこの世界に逗留したいと言い出すのだった……。

八咫烏シリーズ第2部スタート!ということで、約3年ぶりとなる本編新刊。前巻から20年後を舞台に、山内の現状が描かれていく。

今回の主人公は安原はじめという男性。養父が資産家だったということもあり、金には不自由しておらず、たまたま知り合った老婆から買い取った古びたたばこ屋を経営している(ただしほとんどもうかっていない……が、養父の遺産があるので問題はない)という、なんともやる気のない若者。しかし「幽霊」という謎の女に連れられて山内にたどり着いてからは、驚くほどの好奇心と洞察力を発揮。金烏の右腕である「黄烏」博陸侯雪斎――雪哉と対等に渡り合い、市井に降りて山内という世界を見極めようとするのだ。

猿との対戦から20年が経過し、表向きは平和になったはずの山内。しかし山神の力は衰えており、遠くない未来、崩壊を迎える可能性はかねてより示唆されていた。さらに雪斎は言う――かつて彼が情けをかけたばかりに、「猿」の残党が山内に潜んでいて、いまだ襲撃が繰り返されているのだと。雪斎だけでなく、その配下である山内衆の青年・頼斗、そして他の人々も、口をそろえてこの地が「楽園」であるという。しかしその言葉を裏切るかのような光景が、はじめの前にさらされることに。そういえばこれまでの巻は、金烏を中心とする貴族たちの姿ばかりが描かれていた。しかし市井に目を向ければ、この世界も現実世界と大差ないということが浮き彫りにされてくる。そんな中でかつての「歪み」を抱えたままの雪斎の真意、そして「幽霊」と名乗った謎の女――雪斎たちですらその正体をつかめていない、その者の目的は何なのか。そもそも山内の中枢にあたる人物が雪哉しか出てこないが、金烏や浜木綿たちはいったいどうなったのか……謎は深まるばかり。


◇前巻(本編)→「弥栄の烏」

警視庁文書捜査官 (角川文庫)
麻見 和史
KADOKAWA
2017-01-25

所轄から捜査一課へと転属が決まり喜んだのも束の間、矢代朋彦巡査部長が配属されたのは「科学捜査係文書解読班」というチーム。上司である警部補の鳴海理沙とたったふたりで、様々な文書の保管と整理に明け暮れる日々が続いていた。そんなある日、ついに殺人事件の現場に呼ばれたふたり。被害者は右手を切断されたうえ持ち去られており、そばにあったごみ箱からは胃腸薬の包みと、裏に日時と「点検 ミツハシ」というメモが書かれた書店のレシートが発見される。さらにそのごみ箱の下には、アルファベットが1字ずつ書かれた9枚のカードが隠されるように置かれていたのだという。アルファベットカードが何らかのメッセージを示している可能性があるとして、「文書解読班」のふたりはその解読に当たることに。文字フェチだという理沙は手書きのメモに興味を示し、カードの暗号を考えるかたわら、メモの意味を突き止めるべく捜査を始めるが……。

「未解決の女」のタイトルで連続ドラマ化もされている、文字や文書から謎を解く「文書解読班」のコンビの活躍を描くシリーズ第1弾。なおドラマ版では理沙の年齢や矢代の性別、またそれぞれの性格が異なっている。

自称「文字フェチ」だが、どちらかというと「文字(または文章)オタク」と言いたくなるほど、書き文字や文章に執着し、あるいはそれらの内容から書き手の心理状況を推測した結果、思いもよらない視点から新たな事実を導き出すのがヒロインの理沙。部下である矢代は、最初は書類整理などの地道な作業にうんざりしていたものの、理沙が実績を上げるたびに驚き、一方で周囲からでしゃばるなと言わんばかりに怒られる姿を見て憤慨するなど、次第に理沙に対する見方が変わり、「文書解読班」としての自覚が芽生えいてく姿がなんとも微笑ましい。今巻でなんとかバディっぽくなったふたりの今後の活躍にも期待したい。


母子家庭で育ったものの、母が亡くなってからは父に引き取られ、庭師となって家業を手伝うようになった一花。妾の息子である一花を蔑む義理の兄たちの中にあって、唯一彼を認めてくれていたのは長男である篠治だけ。その篠治が、ベテランの老庭師・芳吉の反対を押し切って受けたのが、郷田邸の庭の手入れだった。かつて家を任されていた女主人――屋敷の持ち主の愛人であった女と、手入れに入っていた庭師が無理心中を遂げたというその庭には異様な雰囲気が漂っており、篠治の代わりに一花を連れて屋敷へと向かった芳吉は、脚立から足を踏み外して落ち、そのまま死んでしまう。その後、篠治に伴われて再び郷田邸へと向かった一花は、庭を見つめる篠治の目つきが、脚立から落ちる直前の芳吉と同じであることに気付く。しかし何が彼らの目つきをそうさせるのか、まだこの時は明確に気付けてはいないのだった……。(「花夜叉殺し」)

2007年に光文社文庫から刊行された傑作選全3巻のうちの第1弾。2006年末までに発表された短編から、幻想的な色味の強い作品10作が収録されている。

〈幻想編〉と銘打たれているものの、個人的には〈情念編〉と同じ、あるいはそれ以上に、情念にあふれている作品が多く感じられる今巻。しかも今巻では、異性ではなく同性相手のそれが顕著なように思える。「獣林寺妖変」では、歌舞伎役者である青年があこがれの役者に近付くため、彼と関係を持ったと噂される男たちに近付いたり、あるいは「刀花の鏡」のように、良きライバルとみなされていた男を、婚約者である女の身体を通じて探ろうとする主人公の姿が見て取れる。そればかりというわけではないが、目の前の女性を求めつつも、無意識のうちにその身体の向こう側にある別の男性に手を伸ばそうとする男たちの振る舞いが、まさに幽玄なる「魔」を呼び寄せているのかもしれない。

水光舎四季 (徳間文庫)
石野晶
徳間書店
2014-10-17

ささやかな、しかし不思議な能力が生まれながらに備わった子供たちに対し、その能力との付き合い方を学ばせ、伸ばしていくために、年に1度、3か月ずつ施設に寄宿させる「特別能力期待生」――通称「特期生」という制度がある。植物の声が聞こえる能力を持つ潤也もまた、この春から特期生として「水光舎」と呼ばれる山中の施設へ行くことになった。潤也は「庭師」として、これから毎年4〜6月の春の間だけ、水光舎の美しい庭を保つという仕事を与えられるが、新参者である潤也に対して庭の植物たちはどこかよそよそしく、文句ばかり。他の季節の「庭師」たちはこれまでに築いた関係性があるし、いま水光舎にいる他の子供たちもすでにみな顔見知りであるため、どこにいっても新入生である潤也はなかなかなじめず……。

毎年3か月だけ滞在できる施設「水光舎」を舞台に、ささやかな能力を持つ子供たちが自分の力と向き合い、成長していく連作集。

水光舎に集められた子供たちはみな何らかの能力者ではあるが、同じ季節に同じ能力の持ち主は存在しない。子供たちは季節ごとに入れ替わり、18歳で「卒業」するまで、各季節にやってくる同じ能力者たちとネット上に置かれた「日誌」の中で交流しながら、それぞれの能力者に与えられる課題をこなしていくことになるのだ。例えば「庭師」は水光舎の庭を世話すること、「画家」は生徒たち全員の肖像画を描くこと……等々。そんな不思議な空間で、能力を持つ子供たちは成長していくことになる。

本作でも各章を季節で区切り、それぞれ異なる能力者たちを主人公に据えている。春は「庭師」の少年が初めてやってきた水光舎で、戸惑いながらも自分の能力と向き合い、居場所を築いていく。夏は、本来であれば春担当の「画家」の真澄が、夏担当の「画家」に片想いし、こっそり水光舎に居座るものの、意外な真実を目の当たりにする。秋は「霊能者」の涼示が、デザイナーの少年にとりついた少女の幽霊を成仏させる中で、ルームメイトの「書記」薫平の正体を知る。そして冬は「飼育員」の歩が、春の担当者が見つけた狼のような動物と信頼関係を築いていく様が描かれていく。

どのエピソードもみずみずしく、可能性に満ち溢れている彼ら彼女らの姿が見て取れる。そこに悩みや苦しみは確かに存在するけれど、まだ幼いなりにも自分たちが「スペシャリスト」としての自信を身に着けていくさまがなんとも眩しい。現実にありえない、隔絶され守られた空間だからこそなせることなのだろうが、その不完全な完全さにもまた、愛おしさを感じさせられた。

木になった亜沙 (文春e-book)
今村 夏子
文藝春秋
2020-04-06

保育園に通っていた頃、亜沙は母親と一緒に作ったひまわりの種のおやつを親友のるみちゃんにあげようとしたが、どれだけ勧めてもるみちゃんは受け取ろうとしなかった。それ以降も、亜沙が誰かに食べ物を渡そうとすると、なぜか誰も受け取ってくれないのだった。クラスメイトだけでなく、親族も、小学校で飼っていた動物でさえも。やがて母の入院を機に親戚の家に引き取られ、中学校に進学しても、不良になって更生施設に送られても、その状況は変わらない。自分の手が汚いからだろうか、と施設の先生に涙ながらに打ち明けると、先生は亜沙の悩みに寄り添い、その手が「きれいすぎる」からだと告げる。しかしその先生もまた、亜沙が渡したチョコレートを受け取ってはくれなかった。その直後、施設の友人たちと向かったスキー場で遭難してしまった亜沙。近寄ってきたタヌキがそばの木から落ちた果実を食べるのを見ながら、生まれ変わったら木になりたいと願い――そして気付くと、本当に1本の木になっていて……。

2017〜2020年にかけて発表された短編3作を収録した作品集。

表題作では、主人公の亜沙はそのタイトル通り「木」になる。「自分の手で渡したものを誰かに食べてもらいたい」と願う彼女は果実をつける木になりたいと思っていたが、彼女が実際に変化したのは杉の木。しかしその木は割りばしとなり、コンビニに運ばれ、やがてある青年にもらわれていくことになる。

この短編の次に置かれているのが「的になった七未」という作品なのだが、タイトルともども、表題作とは姉妹編のような内容になっている。こちらは七未という少女がそのときどきで何かをぶつけられそうになる――つまり「的」になるも、なぜか彼女にはいっさい当たらない。しかも投げつけられるもの――どんぐりやドッジボール、あるいは空き缶――から逃げる中で、七未は周囲の人々が自分を応援している光景を幻視する。七未より先になにかをぶつけられ、的になることを終えた人たちは、「がんばれ」「はやく」と七未に声をかける。逃げ続ければいつまでたっても終わらないと思った七未は、逃げるのを止めて当たろうとするが、それでも彼女には何も当たらないのだ。

当たり前のことがこのふたりにとっては当たり前ではなく、しかしそれに気付いてもどうすることもできない。失ったのではなく、もともと持っていなかったのかもしれない「なにか」を追い続け、最後の最後でそれを手に入れることができたふたりは、本当にこれで「幸せ」になれたのだろうか。

禽獣の門 (光文社文庫)
赤江 瀑
光文社
2007-02-08

能楽の家元の次男でありながら家を捨て、美術社で絵を描いている立花春睦。当初は政略結婚の相手と目されていた財閥令嬢・綪と心から愛し合うようになり、結婚して幸せな日々を送っていた。しかし取材旅行で向かった港町で、ふたりはある悲劇に襲われる。その出来事以降、あからさまによそよそしくなった春睦に対し、綪は愛情だけではない複雑な想いを抱きつつも、寂しさを行きずりの男との関係で埋めるよりほかないのだった。一方、綪を襲った男が「つる」によってつけられたという背中の傷跡を目にして以来、丹頂鶴に心奪われるようになっていた春睦。やがて実家にいた頃から後見として世話を焼いてくれている雪政と共に、丹頂鶴が飛来するという山口の山中へと向かうが……。(「禽獣の門」)

2007年に光文社文庫から刊行された傑作選全3巻のうちの第2弾。2006年末までに発表された短編から、特に情念にあふれる作品10作が収録されている。

ある「事件」を経て、自分ではない何者かに捕われるようになった能楽師の行く末を描く表題作をはじめとして、サブタイトルの通り、どれもが男女の間に燃え立った昏い情念がこれでもかというくらいに描かれている。相手を想うあまりにあらぬ方へと向かっていく人々は、もはや当たり前の幸せなどという生易しいものは求めていないに違いない。しかし彼ら、あるいは彼女らはそうすることでしか生きていけないし、そうなることこそが本望なのだろう。死や背徳といった悦びに囚われてしまったら、もう逃れることはできない――そんなどうしようもない地獄を、あるいは本能のままに生きる世界を、目の当たりにさせられてしまった。


閉鎖された遊園地から出られなくなってしまった芹たち。亡き父の知り合いだという黒ずくめの作家・鷹雄光弦は、芹が北御門家に嫁いでいることを知ると、「北御門をここから出すわけにはいかない」と告げて姿をくらます。北御門家に何らかの呪詛が向けられているということを知った芹は、ひとまず鷹雄から詳しい話を聞くため、遊園地の奥にあるアトラクション跡地へと向かうことに。呪詛のことだけでなく、朽ち果てた観覧車のゴンドラがひとつずつ落ちていること、鷹雄と亡き父の関係、そしてその鷹雄の顔色が悪かったことも、芹には気になって仕方なく……。

へっぽこ陰陽師としっかり者の女子大生との(仮)夫婦物語、シリーズ6巻。前巻からの続きで、北御門家だけでなく芹の実家ともなんらかの因縁がありそうな男性・鷹雄光弦の正体と目的が明かされるという展開に。

廃遊園地と、これを取り巻く幽霊たち――芹の後輩で皇臥の弟子である大学生・八城が名付けた「ダイナミック握手会」もなかなかコワイが、それ以上に気になるのが、ひとつずつゆっくりと落ちてくる観覧車のゴンドラ。中に古びたぬいぐるみが載せられているということや、鷹雄本人の言から、彼の言う「呪詛」と何らかの関係がありそうなのだが、その意味がわかるまでも、そしてわかってからも、なんとも怖い。

鷹雄の正体は意外に思う反面、思い返してみれば腑に落ちるところも多々あるのだが、その裏でもうひとつ、芹の身にも呪詛がかけられていることが判明する――しかもそれは、北御門家とは関係のないところで。それはおそらく彼女の出自にまつわることかもしれず、今後の展開が気になるところ。でもまあその前にもっと気になるのは、ふたりの初デート(!?)の行方なのだが(笑)。


◇前巻→「ぼんくら陰陽師の鬼嫁 五」

オイディプスの刃 (河出文庫)
赤江瀑
河出書房新社
2019-09-05

ある夏の日の午後、午睡から目覚めたばかりの16歳の大迫駿介は、弟の剛生が庭のハンモックで眠っていた刀研師の秋浜泰邦を刀で斬り付ける場面を目撃してしまう。剛生が手にしていたのは、父が所有していた日本刀「青江次吉」。その惨劇に気付いた母は、剛生の所業をかばうかのように――あるいは泰邦の後を追うように自刃。さらに父もそんな妻の想いを汲み取り、同じ刀で割腹自殺を遂げたのだった。報道では不倫の果ての心中事件とされ、駿介は祖母のもとへ、剛生と長男の明彦は別の親族へと引き取られることになったのだが、その直後、剛生は行方をくらましてしまう。それから13年が経ち、京都でゲイバーを経営している駿介。だがそんな日々の中でも駿介は、剛生の行方、そして彼が泰邦を斬った際に口にした言葉が忘れられないでいた。その矢先、兄の明彦から手紙が届く。そこには彼が亡き母と同じ調香師になったこと、少し前に結婚したこと、そして新婚旅行も兼ねてやってきたフランスで、剛生らしき男を見たことが書かれていて……。

1974年に発表された、1振の妖刀をめぐるミステリ長編。昨今の刀剣ブームもあってか、約20年ぶりの復刊となっている。

大迫家で起きた夏の惨劇、そのさなかで弟の剛生は奇妙なことを口走る。「泰邦さんに斬れと言われた」「刀が手から離れなかった」、さらには、自分が泰邦の元に行ったとき、すでに彼は何者かに斬り付けられていて、それは兄の明彦ではないかというのだ。そもそもこの大迫家の人間関係はとても複雑で、長男の明彦は前妻の息子、次男の駿介は後妻である香子の連れ子、そして三男の剛生は父と香子との間にできた子という状態。さらに家には叔母である雪代がいるのだが、彼女は一家の中で血の繋がりがない駿介に対して性的なアプローチをしかけてくるという、なかなか歪んだ性癖の持ち主。そしてこの惨劇の始まり、あるいは最大の被害者ともなった秋浜泰邦は刀研師で、父の持つ「青江次吉」に惚れ込んで、毎夏手入れのために大迫家に滞在していたのだが、実は香子にひそかな思いを寄せていたことが判明。このようにあからさまに情念渦巻く一家の中で、駿介は知らず知らずのうちに、この事件の真相に近づいていくことになるのだ。

亡き母と同じ調香師を目指した兄の目的、あちこちで見え隠れする剛生らしき男の影、泰邦が遠方からわざわざ「青江次吉」を手入れしに来ていた理由、そしてあの夏の日、なぜ泰邦は香子に思いを寄せながら雪代を抱いていたのかという謎……やがてそれらの謎は、再び「青江次吉」という刀のかたちをとって駿介の前に現れる。その刀を手にした時から、駿介の運命は急速に歪んでいく――あるいはあるべき道へと導かれていたのかもしれない。複雑すぎる愛憎のもつれといえばそれだけだが、「青江次吉」がその情念を増幅させていったとしか思えない。夏に始まった悲劇は、冬にその幕を下ろす――雪の降りしきるなか、真っ赤な血と青く冴える刃とのコントラストが目に浮かぶよう。きっとその光景は恐ろしいほどに美しいのだろう。


藤壺女御こと藤原桐子が懐妊のため里帰りし、宮中は平和を取り戻した――かと思っていた矢先、帝の衣装をつかさどる御匣殿別当として、桐子の従姉妹で、女房として彼女に仕えていた藤原祇子が出仕することに。その気位の高さで特に評判の悪い祇子だけに、周囲は動揺と苛立ちを隠せない。尚侍として意見すべきところは意見しようと考えていた伊子だが、彼女が想像以上の裁縫の腕前であることが判明。帝もその技量に感心していたことを本人に伝える伊子。しかしその直後から、宮中の廊下に鼠の死骸が発見されるように。それが1度ならず2度3度と続くことを怪しんだ伊子は、嵩那と共に調査に乗り出し……。

相変わらず問題続発の宮中で尚侍・伊子が奔走する平安お仕事小説2巻。

廊下に現れる鼠の死骸、嵩那の友人が巻き込まれた三角関係の行方、伊子の有能な部下・勾当内侍の過去……などなど、今回も様々な事件が勃発。そのたびに伊子は嵩那と共に真相を明らかにしていくことに。ふたりの距離は少しずつではあるが縮まってはいるものの、やはりネックとなるのは、帝が伊子をあきらめるつもりがないということ。実際に帝は伊子に様々なアプローチをしているが、一方でその心を手に入れたいがために無理強いはしないというのだから、その本気度がうかがえるというもの。けれど伊子の心は完全に嵩那に傾いている。この関係が大きく変わる時はいつかくるのだろうか。


◇前巻→「平安あや解き草紙〜その姫、後宮にて天職を知る〜」

ピュア
小野 美由紀
早川書房
2020-04-16

遠い未来、度重なる戦争や環境破壊により、地球の人口は激減し、人類が住みにくい環境になっていた。そこで人類は遺伝子に改良を加え、どんな環境でも生きられる身体を手に入れた……はずが、そこで劇的に進化を遂げたのは女性のみ。頑丈な鱗や牙、爪に覆われたその身長は平均2メートルにも及び、さらには性交の際には相手の男を文字通り食べないと受精しないという仕組みになってしまったのだった。その対価なのか、生まれる確率が極端に少なくなった女性たちは、人工衛星上に作られた都市に住み、定期的に地上に降りては男たちを喰らうように。そんな「女性」のひとりであるユミは、最近ようやく「狩り」に参加するようになったばかりだが、まだその行為に楽しみを見いだせず、さらにはこのような男女の在り方についてかすかに疑問を抱きつつあった。しかしある「狩り」の最中、崩れ落ちたテトラポットの下敷きになってしまったユミ。そこで彼女を助けてくれたのは、エイジと名乗る青年だった。ユミはエイジを食べることなく、地上に降りるたびに会話を交わすようになるが……。(「ピュア」)

早川書房の「note」に掲載され大反響を呼んだ表題作を含む作品集。なお、表題作以外の4作はすべて書き下ろしとなっており、そのうちの1作「エイジ」は、表題作に登場する青年・エイジの過去編となっている。

衝撃的な表題作もさることながら、本作に収録された作品はいずれも、生と性の狭間で苦悩する女性たちを描いている。個人的に最もよかったのは「バースデー」という作品で、この作中では染色体を書き換えて性転換をする技術が開発されており、主人公である女子高生・ひかりの幼馴染にして親友のちえが、夏休み明けに性転換して現れるところから物語が始まる。中身は依然としてちえ本人のはずなのに、その外見、周囲の態度の変化、さらにはちえ本人の振る舞いの変化について行けず、混乱していくひかり。「男女の友情は成立するのか」という問題は昔からあるが、この場合、中身としては変わらずちえのままのはず。けれどひかりは、今までのように接することが難しくなってしまう。そんなふたりの関係の行きつく先は、言ってしまえば予定調和のうちかもしれない。けれどなし崩しではなくふたりとも悩み尽くして迷走し、最終的に残ったのは相手への純粋な気持ちだったという、その事実がなんともまぶしい。


時の左大臣の娘でありながら、父が先帝の勘気に触れて失脚し、さらには入内するはずだった東宮が若くして亡くなったことで、婚期を逃したまま三十路を迎えた伊子。しかし先帝が崩御し、その孫が即位するにあたり、父である左大臣の復権と共に、伊子に再び入内の話が持ち上がる。とはいえ新帝はまだ16歳であり、年齢がとても釣り合わないうえ、伊子には絶対に入内できない理由があった――それは約10年前、彼女には恋人がいたため。友人である斎院を通じて入内話を断ろうとした伊子だったが、なんとその元恋人である嵩那と遭遇してしまう。嵩那との関係を知った斎院は、伊子の願いを聞き入れて新帝にとりなそうとするが、初恋の相手である伊子を諦めきれない新帝から、尚侍として出仕するよう命じられてしまい……。

行き遅れ姫君・伊子が、しぶしぶ入ることになった後宮での事件を次々と解決していく、平安お仕事小説シリーズ1巻。

入内の話は立ち消え、ようやくできた恋人・嵩那には年上であることを理由に振られ、それ以降は亡き母の代わりに屋敷の女主人としての生活を送ってきた伊子。このままいけば出家コース……という状況だった伊子だが、ここにきてひとまわり以上年下の新帝からは後宮入りを熱望され、元恋人と再会したことで「かつて振られた」という状況が勘違いだったことが判明し、いきなり恋愛運も仕事運も急上昇中。年齢のこともあるし、嵩那のこともあるしで、本人はあくまでも妃のひとりではなく尚侍として出仕することになった伊子だが、向かった先では次々と問題が発生し、そのたびに嵩那と共に解決のため奔走することに。こうなると伊子・嵩那・帝の三角関係……!?と思いきや、伊子としてはやはり初めての恋人である嵩那の方が気になって仕方ない様子。別れた理由が伊子の勘違いだったため、それも仕方のない話ではあるが、帝にも頑張ってもらいたいと思うのはきっと私だけではないはず……。


高校生で新人賞を受賞し、作家として生きていくことを決めた実緒。しかしデビュー以後、何年もの間まったく小説が書けず、バイトしながらギリギリの生活を送っていた。そんなある日、実緒は書店で、若い男性が彼女のデビュー作に触れるところを目撃してしまう。思わず後をつけ、自宅と名前――千田春臣という大学生らしい――を特定した実緒は、それ以来急に書けるようになったいくつかの掌編を彼のマンションのポストにこっそりと投函するかたわら、SNSで彼のプライベートを調べるように。すると春臣にいづみという彼女がいること、またその彼女も作家志望で、少し前に書いた文章を自費出版で本にしないかと持ち掛けられていることが判明。しかしその内容を危ぶんだ実緒は、「ライターの佐原」として彼女のアカウントに接触してアドバイスを送る。やがて実緒の助言に感謝した彼女と会うことになり、さらには春臣も交えての交流が始まってしまい……。

第37回すばる文学賞受賞作家による、受賞後第1作となる長編小説の文庫化。コミュ障気味の女性作家が、孤独と妄想、そして現実との狭間で再び「書く」ことと向き合うようになる(第2の?)青春小説。

他人と関わるのが苦手な性格のせいもあってか、学生時代の人間関係はさんざんで、だからこそ小説で賞を獲り、その栄光にすべての望みを懸けて上京し、作家として生きていこうとした主人公の実緒。しかし現実はそううまくはいかず、デビュー以後ダメ出しが続いて小説が書けなくなり、焦りと孤独の中で無為に日々を過ごしているような状態。趣味……というか日課というか、とにかくエゴサーチをして、自分が確かに「作家」であることを確認する作業が唯一の生きるよすがになっていた彼女にとっては、だから買ってはいないけれど、一瞬でも自分の本に興味を持ってくれた春臣の存在が、ある種の神様のように感じられたのかもしれない。しかしそこでストーカーまがいの行為に及んだり、彼の日常を想像――というより妄想したりと、うれしいのはわかるけどそれはちょっと……という行動に出る実緒に戸惑ってしまったのは、きっと私だけではないはず。彼の存在によってようやく「作家」としての能力を取り戻したかの如く掌編が書けるようになったのは喜ばしい限りだが、その掌編を春臣に匿名で届けるという行為もなんというか怖い。このあたりの実緒の行動が何をもたらすのかは、終盤で本人も思い知らされることになるわけだが、そこで突き付けられる「現実」がまたなんとも痛々しい。しかしその痛みは、彼女に改めて創作の力を与えることになるのだ。それは彼女という存在に対しての皮肉のようにも見えるし、一方では救いにも見える。不純な理由も混ざってはいたが、これこそ、実緒が自分の意志で決めた未来なのだから。

実緒が春臣のことを知り、彼のことを妄想するとき、決まって実緒は「透明人間」となって街を駆け、春臣の部屋へ赴くというプロセスをたどる。しかし彼女が透明人間だったのは今に始まったことではなく、むしろそれまでもずっと透明人間だった――いやむしろ、透明人間であろうとしていたはず。しかし他者と関わりたくない一心で自分を透明化させていた実緒は、春臣やいづみと接したことで、ようやく実体を持てるようになる。想像という名のもとで見ていたうわべだけの存在から、それぞれの意志や欲望を持った個としての他人と自分とをすり合わせ、受け入れることができた実緒は、ようやく透明であることからも、夢を見ることからも抜け出せるのかもしれない。


「トナカイ化粧品」と「ブルースパ」の2社と合併することになった天天コーポレーション。それぞれの会社の財務状況の確認で忙しい中、沙名子は主任昇進を打診される。返事はいったん保留とした沙名子だったが、打診してきた部長や、同僚である勇太郎が、沙名子に結婚の予定がないことなどを気にしていることに気付き、モヤモヤが募り始める。そんな中、合併相手であるトナカイ化粧品の経理担当者である槙野と話をすることになった沙名子。トナカイ化粧品の経営状況があまりよくないこと、にもかかわらず社用車が高級車だったり、槙野の腕時計だけがやたらと高級品であることが気になった沙名子は、ひそかに調査を始め……。

ドラマ化もされた人気シリーズ第7弾。会社存続の危機を乗り越えた沙名子だったが、今度は彼女自身に転機が訪れるという展開に。

沙名子の昇進話から始まり、今回は会社の合併に絡んで次々と問題が。トナカイ化粧品の不審な状況についてのエピソード(個人的にこの話はいつも以上に「あるある」度が高かったりして・笑)はいつもと同様の展開ではあったが、ブルースパとの合併に際した業務改編により、なんと太陽が大阪に転勤になるというまさかの展開に。さすがの沙名子もこれには動揺しきりで、仕事だけでなくプライベートでも将来のことを考えざるを得ないという状況になるのだが、そこで彼女が選んだ道はまあ彼女らしいというかなんというか。次巻からはまた新展開ということになりそうではあるが、今後のふたりの関係、そして沙名子の活躍にも期待したい。


◇前巻→「これは経費で落ちません!6〜経理部の森若さん〜」

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