phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。 (当ブログは全文無断転載禁止です)

カテゴリ: *や・ら・わ行の作家


高校3年生の男子・兼古緑は、秀才だけど友人はいない。家に帰れば不仲な両親に挟まれて、受験生だというのに心労が絶えない日々。そんなある秋の日、緑は担任から、病欠しているクラスメイト・荻原楯に届け物をするよう頼まれてしまう。いつもみんなの人気者である楯のことが苦手で、できれば関わりたくなかった緑だったが、楯のプライベートに触れたその日を境に、だんだん彼のことが気になってしまい……。

2055年という少し未来の東京を舞台に、孤独を抱える主人公・緑が、クラスメイトである楯に惹かれていく姿を描く、恋と青春の物語。

楯のことを苦手に思っていた緑なので、担任から楯の家に行くよう頼まれてからの彼の口ぶりは「いまいましい」といった具合だったのだが、楯と顔を合わせ、眠る彼の顔に触れてしまってからというもの、その態度は変化していく――少しずつ、でも急激に、楯のことが気になって仕方なくなるのだ。それはもう「恋する乙女」そのものの姿で、のちに楯本人からも、かつて自分を嫌っていたのは独占欲の裏返しでは?と指摘されてしまうほど。そう、実のところ最初から、緑は楯に惹かれ続けていたのだ。

両親が衝突しているのは昔からなので、緑には自分が「愛されている」という自覚がほとんどない。だからこそ、誰からも――友人からも、もちろん家族からも――愛されている楯がうらやましくて仕方なかったのかもしれない。彼といれば、自分も「愛する」あるいは「愛される」ということがどんなものなのか、わかるかもしれないから。そしてそんな楯への想いは、両親の関係が修復不可能になっていくにつれ、どんどんエスカレートしていく。やがてみどりは楯に告白し、楯もそれを受け入れるのだが、楯はじつに上手に緑を「愛して」くれる。だからこそ、緑も楯に依存することなく、彼を「愛する」ことができているのかもしれない。高校卒業後、別々の進路を選んだふたりの別れのシーンで、そう強く感じられた。このふたりなら、きっと大丈夫、と。



手のひらアストラル (創元推理文庫)
吉野 泉
東京創元社
2020-10-10

ある日の放課後、高校2年生の泉は、親友の朝名から彼氏の上原さんを紹介されることに。小学校教師だという上原さんもまた、友人である大学院生の飛木さんをその場に同行させていた。顔合わせも終わり、朝名たちはこの後デートということで、泉は同じ路線だという飛木さんと共に帰ることになった。そこで泉は、行きの電車で起きた不思議な出来事について飛木さんに話すことに。――車内で泉の隣に座った女性が、泉のスカートの裾を下敷きにしたまま、終点についても降りようとしなかった。泉がスカートを引いてアピールしても気付く様子がなく、しかし横目で泉をにらみつけてくるのみ。ようやくスカートを引っ張り出し、降車した泉だったが、そこに例の女性が追いかけてきて謝罪し、再び同じ電車に戻っていったのだった……。(「放課後スプリング・トレイン」)

福岡を舞台に、女子高生の主人公・泉の周囲で起きるささやかな問題を、大学院生の飛木さんが鮮やかに解き明かす青春ミステリ短編集。第23回鮎川哲也賞の最終候補作となった「カンタロープ」を大幅改稿して2016年に刊行されたのが「放課後スプリング・トレイン」。そしてこのたび、約4年半ぶりに刊行されたのが続編の「手のひらアストラル」となっている。

炎色反応の実験の謎から始まり、スカートを踏みつけていた女性の振る舞い、文化祭の出し物のさなかに消えた衣装、席替えのくじ引きに使われた折り紙とボランティア部の募金活動の関係、アマリリスを植えたはずなのにマリーゴールドを枯らしたと上原先生の教え子が言い張る理由……他にも様々な謎が浮かび上がっては、飛木さんがこれを解決していく。解けてしまえばわりとささやかな内容だったりするのだが、その真相を知ることで、泉自身が将来を考えるきっかけになっていくという展開が「青春!」という感じがしてなんだか懐かしい気持ちになってくる。

加えて1作目では泉が、そして2作目では飛木が、相手にそれぞれ隠していた「あること」がラストで明らかにされる。秘密(……というほど、少なくとも泉の方は難しい話でもないのだが)を明かし、共有したことで、ふたりの関係が浮かび上がってくるという展開がなんだか甘酸っぱい。明確に言葉にはしないものの、そんなふたりの微妙な関係も楽しかった。

悪い姉 (集英社文芸単行本)
渡辺優
集英社
2020-08-26

年子だが同級生の美しい姉・凛を殺したいと願い続けている麻友。姉はきれいで、賢くて、明るくて、そして驚くほど周囲への気遣いだとか想像力というものを持てず、自分のしたいように振る舞い続けて生きてきて、麻友はその犠牲になり続けていたのだ。だから麻友は凛が自分の姉であることを周囲にひた隠しにしながら、日々姉を殺す方法を模索していたのだった。そんなある日、たまたま校内で凛に見つかってしまった麻友。一緒にいた凛のクラスメイトである杏奈に、凛と姉妹であることがバレてしまったものの、しばらくは特に問題ない日々が続いていた。しかしある時、杏奈から麻友は相談を受ける。なんでも凛がクラスメイトの体形を揶揄していたことが問題視され、周囲から孤立しつつあるらしく……。

「小説すばる」に2019〜2020年にかけて連載されていた青春小説、あるいは家族小説。姉の存在を通じて、主人公の女子高生が成長してゆく姿が描かれていく。

自分勝手な姉を制御できない両親にやるせない思いを抱えつつ、しかし自分もそんな姉の振る舞いを止めることができず、言いなりにならざるを得ない主人公の麻友。かつては姉に殺意を抱くこと自体に恐れを抱いていた麻友だったが、姉のせいで親友を傷つけてしまったことがきっかけで、その罪悪感を捨て、姉を殺すという妄念にとりつかれてしまう。かと思えば、姉がクラスで孤立しているという話を聞くと、途端に姉への同情心を芽生えさせたり、倒れた姉を心配してお見舞いを買ったりと、その行動のちぐはぐさが次第に目に付くようになる。

けれどそんな麻友の複雑な感情は、きっとその対象が赤の他人ではなく、「姉」という最も身近な存在だったからだろう。子供の頃は家族が世界のすべてであり、だから常にそばにいる姉は、麻友にとってまさにその中心であると言っても過言ではない。だからこそ、姉の振る舞いに腹を立て、憎しみを抱いたとしても、姉に対する愛情もまたどこかで捨てきれずに残っていたのだ。しかしある出来事をきっかけに、その想いはいちどきに反転する。きっとこの瞬間こそが、麻友にとっての「成長」だったに違いない。家族という小さな世界から、無限に広がる「外」への第一歩。

先日読んだユニクロ潜入ルポの著者が、アマゾンにも潜入取材を行っているということで、アマゾン利用者としてはぜひ読んでみたいと取り寄せてみたのがこちらの2冊。


1冊目は2005年に単行本版、2010年に大幅な書き下ろしを加えた文庫版が刊行された「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」。刊行時期を基準とすると、ユニクロよりもこちらの方が先に調査されていたということになる。単行本版ではタイトル通り、著者がアマゾンの配送センターに潜入した際の状況を綴っているが、文庫版ではさらに、アマゾンにおける中古本販売について調査した内容が追加されている。

最初の潜入は2003年頃で、アマゾンが日本でサービスを始めてまだ数年という段階だったため、売上や商品数等において現在の規模とは大差があるのだろうが、配送センターでの業務の過酷さはなかなかのもの。最前線のアルバイトには「考えて働く」というような創造性どころか、そもそも取り扱い商材である本に対する知識などまったくもって必要なく、ただ発注指示にのみ機械的に従うという、まるでロボットのような働き方が求められる。これではユニクロと同様、いやそれ以下だ。私たちが便利なサービスを享受するその裏側で、まさかこれほどまでにシステマチックなことが行われているとは思いもよらなかった。

潜入ルポ amazon帝国
増生, 横田
小学館
2019-09-17

2冊目は2019年に刊行されたばかりの最新作「潜入ルポ amazon帝国」。2017年に改めて配送センターに潜入した際のルポと、「GAFA」と呼ばれるまでに急成長したアマゾンという企業そのものについて、さらには前著でも触れられていたマーケットプレイス事業も含めた、アマゾンの企業の拡大ぶりが記されている。

「顧客第一主義」というと聞こえはいいし、確かにそのような側面もあるにはあるのだが、その裏には出版社や配送業、あるいはマーケットプレイスの出品者といった業者へのしわ寄せ、さらには納税回避など、不平等な状況を進んで作り出していることがよくわかる。顧客の立場からすれば送料がタダだったり、商品が迅速に手に入ったりといいことずくめのように見えるが、もし今搾取している対象=業者からとれるだけとってしまえば、その矛先は必ず顧客に向いてくるに違いない。そうでなくても、アマゾンによって強いられた負担が、商品代の値上げという単純な方法でこちらに返ってこないとも言い切れない。すでに脱却を試みている業者を見習い、私たちもアマゾンとの付き合い方を考え直すべき局面にきているのかもしれない。

かつて週刊文春で連載していたユニクロへの潜入ルポが単行本として刊行され、それがこのたび文庫化されたということで、久々に手に取ってみることに(連載版は読んでいたが、単行本は未読)。ただ、よくよく調べてみると、その前にもユニクロについての本を書かれていたということで、そちらも入手し、まとめて読んでみた。

ユニクロ帝国の光と影
横田増生
文藝春秋
2014-02-07

2011年に単行本版、2013年に文庫版が刊行された「ユニクロ帝国の光と影」は、ユニクロという会社の成り立ち、そしてそれをひとりで支える経営者・柳井正についてまとめた1冊。なんとこの本を出版したことで、文藝春秋はユニクロから名誉棄損で訴えられたのだとか(結果はユニクロ側の敗訴)。この訴訟はのちにスラップ訴訟の一種と呼ばれているようだが、確かにこの本が名誉棄損にあたるかと言われると難しいだろうと思う。

とにかくこの本を読んでいて思うのが、ユニクロという会社が、創立者である柳井氏ただひとりによって運営されていること――文字通りのワンマン経営であること。自著やインタビューなどを読む限りでは「経営手腕に優れたカリスマ指導者」というイメージばかりが目につくが、筆者はその発言の裏で起きていたことを丹念に調べ、明らかにしている。柳井氏が何を成功させ、あるいは何に失敗したか。また、思い付きにも近いようなことも含め、あらゆる面で指示を出し、それを徹底させようとしていることも。そこには確かにさきほどのイメージもありはするものの、「ワンマン」あるいは「強引」という言葉がちらちらと過ぎり始めるのだ。

ユニクロ潜入一年 (文春文庫)
横田 増生
文藝春秋
2020-08-05

2017年に単行本版、2020年に文庫版が刊行されたのが、続編となる「ユニクロ潜入一年」。前著にまつわる裁判の結果、ユニクロの取材はおろか決算会見への参加まで断られるようになった著者は、怒りを込めてタイトルの通りユニクロの店舗に潜入し、アルバイトとして働くことに。偽名(正確にはいったん離婚し、すぐに再婚して妻の姓に変わるというもの)を使い、それぞれ形態の異なる3店舗で働いていたというのだから恐れ入る。最終的には正体がバレてしまい、解雇されることになるのだが、そこでもタダでは転ばぬと言わんばかりに、「どういう理由で解雇されるのか」という点についてギリギリまで人事担当者とやりとりを行う姿には脱帽させられる。

前著での証言を裏付けるようなワンマン経営であることに加え、店舗という「現場」――ひいては会社の末端で何が起きているのかが、克明に記されていく本書。そこには現場で働く人を人とも思わないような扱いが見え隠れしており、利益のみを追求する大企業としての姿が浮き彫りになっている。もちろん利益を追求することは間違いではないし、否定することはできないのだが、だからといってこのやり方が正しいのだとはとても言えない。しかし一方で、現在の日本ではこのやり方がまかり通ってしまうということを目の当たりにさせられた。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)
横山 秀夫
文藝春秋
2006-06-10

1985年8月、御巣鷹山に日航機が墜落した。かつて部下を死なせたせいか、最古参となっても遊軍記者として地方新聞社に勤務していた悠木和雅は、全権デスクとしてこの未曽有の事故の報道に携わることになる。上司や周囲の同僚、あるいは若手記者たちとの衝突を繰り返しながら誌面を作る一方、悠木は事故当日に倒れた同僚・安西のことも気になっていた。登山仲間であった安西と共に、「魔の山」と呼ばれる衝立岩に挑戦することになっていた悠木だったが、この事故と安西の入院でそれもままならなくなっていたのだ。植物人間状態になってしまった安西の、倒れる直前までの行動に不審なものを感じた悠木は、安西の妻から借りた手帳を元にその理由を探り始め……。

実際に起きた史上最悪の航空機事故を軸に、これを追う新聞記者・悠木の苦悩を描く長編小説。

物語は過去と現在を往還するかたちで描かれていく。過去の方は1985年の夏、日航機墜落事故と、そのさなかで悠木の身に起き、あるいは彼が体験した様々な出来事について。そして現在はそれから約17年後、安西の息子である燐太郎と共に、かつて果たせなかった約束である「衝立岩」へ挑戦する中で、事故当時から悠木が抱え続けていた葛藤や問題に対する糸口が見え始めるという展開に。

「事故を報道する」ということは、実際に起きたことを広く知らしめるということに他ならないが、その一方で報道される側のプライバシーに深く踏み込み過ぎるという問題ももちろん浮上してくる。さらに本作では新聞社の内部で起きる様々な軋轢――「組織」であればどこでだって起こりうる権力闘争、部署間での縄張り争い、あるいはベテランと若手の対立が起き、そのそれぞれに悠木は巻き込まれ、苦悩することになる。そして、外部から見れば不謹慎かもしれないが、結局のところこの事故は東京と大阪間を結ぶ航空機がたまたま群馬に墜ちたというものであり、ゆえに「もらい事故」のようなものだという空気感が上層部に流れていたことが、長らく悠木を苦しめることにもなるのだ。しかし一方で、遺族と思しき女性が新聞を求めて直接やって来たり、あるいは悠木がかつて死なせてしまった部下の親族がある投書を持ち込んだりする中で、報道するということの意味を問い直し、改めて見出していく悠木の姿には、はっとさせられるものがある。この事故が発生した当時、作者自身も地方紙の新聞記者だったそうなので、単なるフィクションではないという点がますます迫ってくるようで、そういった点でもいろいろと考えさせられる作品だった。

花髑髏 (角川文庫)
横溝 正史
KADOKAWA
2020-06-12

日本橋の老舗「べに屋」の若旦那である諸井慎介は、妻を殺害したとの罪に問われ、死刑を待つ身となっていた。かつて慎介と恋仲であった声楽家の六条月代は彼を救うため、知人に頼んで慎介の脱獄を試みる。しかし、そこで手違いが起こり、脱獄してきたのは慎介ではなく、希代の悪党と名高い白蠟三郎であった。特に女性を瞬時に虜にしてしまうという魔力の持ち主として知られる三郎だったが、手違いとはいえ自分を救い出してくれた月代にはその力を使うことなく、そのまま姿をくらましてしまうのだった……。(「白蠟変化」)

「由利麟太郎」シリーズ復刊第4弾となる本作は、表題作を含む3作品を収録。今回はすべて由利先生シリーズの作品となっている。

6月からドラマが始まったこのシリーズ、第1話がこの表題作である「花髑髏」。ドラマ版は舞台を現代の京都に移しており、大まかな流れは原作通りだが、オチや設定がドラマ用にアレンジされているので、原作とはわりと別物として楽しめる。原作の内容だとやはり時代性が反映されているので、現代ドラマにはそぐわない設定も多々あるが、個人的には原作の方が好みだった。

ちなみに、今巻に収録されている3作のうち、「白蠟変化」という作品は中編となっており、長さだけでなく内容的にも一番読みごたえがある。恋人を脱獄させようとするヒロインの行動もさることながら、白蠟三郎のトリックスター的な振る舞い、慎介が起こしたとされる殺人事件の真相などが絡み合って複雑化していく中、満を持して現れた由利先生が事件を鮮やかに解決していく展開にはスカッとさせられる……と思いきや、一言で「めでたしめでたし」と言えないようなラストにはいろいろと考えさせられた。


◇前巻→「血蝙蝠」

血蝙蝠 「由利先生」シリーズ (角川文庫)
横溝 正史
KADOKAWA
2020-05-22

新聞記者の三津木俊助は、電車の中で見知らぬ女性から助けを求められる。少し前から知らない男にあとをつけられており、今もすぐそばにいるというのだ。こっそりと快諾した俊助だったが、不意にその人物――長髪で色白、黒ずくめの男がふたりに近づき、手にしたステッキの先にいる蜘蛛を示して去って行ってしまう。念のためと彼女を家まで送り届けることにした俊助は、やがてその正体に気付くのだった――彼女は先月、鎌倉で発生した殺人事件の第一発見者である甲野通代。友人たちと共に蝙蝠が住み着く幽霊屋敷で肝試しをしたところ、有名な映画女優である葛城倭文子が殺されているのを発見していたのだ。同僚から事件のあらましを聞いた俊助は、かつて倭文子と噂のあった男性俳優が、通代を付け狙っていた男であることに気付き……。(「血蝙蝠」)

《由利麟太郎シリーズ》ドラマ化に先立ち復刊されている短編集第3弾。今回は昭和13〜16年頃に発表された短編9作が収録されている(なお、このうち《由利麟太郎シリーズ》は「銀色の舞踏靴」と「血蝙蝠」の2編のみ)。

由利先生シリーズもいつも通りの面白さなのだが、個人的にはノンシリーズの短編「恋慕猿」と「二千六百万年後」が気になる。前者は猿回しの男性が殺人事件に巻き込まれるが、彼の相棒である猿と、彼を慕うカフェーの女給とがはからずも事件を解決していくという流れがなんとも珍しい。後者は当時《科学小説》と銘打たれていた作品で、主人公の男がひょんなことから遠い未来を垣間見るという物語。ある未来では人類が有翼人種に進化しており、またある未来では卵生になっている。なぜそのモチーフを選んだのかという点も含めて気になってくる。


◇前巻→「憑かれた女」


ある大学病院で、骨標本作りに長年携わっている初老の男・倹四郎。しかし本物の人骨を使った標本は作るのに時間がかかり、劣化もまた早かった。樹脂などを使えば永久に利用できる標本が作れるのでは、という話を聞いた倹四郎は、生涯を懸けてきた仕事を失ってしまうことを懸念し、新たな道を模索し始める――それが、新鮮で美しい、透明な骨標本を作ろうという試みだった。動物の骨で実験を進め、実用化まで間近という段階まできてはいたが、彼のもとに持ち込まれる遺体は腐乱しているか、あるいは轢死体などの損傷の激しいものばかり。死後間もない、新鮮かつ完全な遺体を求める倹四郎だったが、なかなかその機会は訪れなかった。そんな中、かねてから折り合いの悪い妻の連れ子・百合子の様子がおかしくなり……。(「透明標本」)

1990年に新潮社から刊行された「吉村昭自選作品集」1巻を2分冊にして文庫化。2巻には1961〜1966年にかけて発表された短編7編に加え、底本に収録されていた「後記」も併録されている。

1巻に引き続き、2巻もやはり「死」がモチーフになっているものが多い。中でも表題作の「透明標本」は、1巻の表題作である「少女架刑」と繋がりがある作品。「少女架刑」において、主人公・美恵子の身体にメスが入れられたまさにその時、新鮮な遺体を求めて乱入してきた老人がいたのだが、これが本作の主人公・倹四郎だったのだ。透明な骨標本を作るべく、新鮮な遺体を求めていたこの男は、連れ子の異変を目の当たりにして、ある企みを実行することになる。「少女架刑」では、死したのちに自分の身体が「モノ」として扱われていくことを少女が目の当たりにしていく短編だったが、「透明標本」の倹四郎は、遺体を――否、周囲の生きた人間ですら、彼にとっては「骨」、すなわち「モノ」としてしか見ていないのだ。その意識は歪んでいるように見えるが、しかし彼は何も狂っていたわけではないと思う。その微妙な「差異」がまた恐ろしく感じられた。


◇前巻→吉村昭「少女架刑 吉村昭自選初期短編集1」


肺炎で亡くなった16歳の水瀬美恵子は、両親によってその遺体をどこかの病院に売られてしまう。遺体は皮膚や臓器を取り去られ、ホルマリンに漬けられ、さらには医学生たちの実習に提供される。病の苦しみから解放されたのも束の間、美恵子は実に2か月半もの間、自分の身体が切り刻まれていくのをじっと見つめていたのだった……。(「少女架刑」)

1990年に新潮社から刊行された「吉村昭自選作品集」1巻を2分冊にして文庫化。1952〜1960年にかけて発表された短編7編に加え、エッセイ「遠い道程」が併録されている。

巻頭に置かれた第1作目は、列車事故で死んだ男と、その隣家に住む人妻との秘された関係を浮き彫りにする「死体」。以降、どの短編にも死、あるいは病の影がまとわりついている。表題作となっている「少女架刑」に至っては、主人公の少女が解剖され、さらには火葬され骨壺に入れられるまでが、少女自身の視点で描かれてゆくのだ。骨壺の中で骨が崩れ灰になっていく音を聞き続けるラストは、なんともいえない衝撃をもたらしてくれる。

死をテーマにする物語では、しばしば残された人々の感傷に焦点があてられることが多いが、この作品集ではそればかりではなく、どちらかと言えば「死体」というモノになってしまった存在との関係性が綴られていく。それは確かに少し前まで生きて動いていた存在だというのに、今や物言わぬ、朽ち果てるだけの存在になってしまう。残された人々はそれをヒトとして見るか、モノとして見るか――喪失の哀しみのなかで、しかし無意識のうちに彼ら彼女らは、その切り替えを絶えず行っているのだろう。それを残酷だということは、きっと誰にもできない。

憑かれた女 (角川文庫)
横溝 正史
KADOKAWA
2020-04-24

ある時からバラバラ死体の幻を見るようになり、心身ともに疲れ果てていた西条エマ子。そんな彼女に酒場のマダムは金払いのいい外国人男性を紹介するという。すぐさまやってきた使いに連れられ、エマ子はとある洋館へとたどり着く。そこで彼女が見たのは、浴槽に沈められた女性の死体や、暖炉で燃やされる人体の一部だった。さらにおびえるエマ子の前には謎の外国人男性が現れ、彼女に覆いかぶさってきて――そうして目覚めたエマ子がいたのは洋館ではなく自宅近くの野原で、彼女を揺さぶり起こしたのは知人の井出江南だった。それから数日後、洋館で見た光景が忘れられず酒浸りになるエマ子のもとに江南が現れ、エマ子が連れ去られたと思しき洋館を突き止めたと告げる。連れ立って向かった洋館でふたりが目にしたのは、エマ子と仲の悪かった酒場仲間・みさ子の遺体で……。(「憑かれた女」)

〈由利麟太郎シリーズ〉復刊第2弾となる短編集。表題作を含む3作品が収録されている。なお、表題作と「首吊り船」には由利先生&三津木俊助コンビが登場するが、もう1作の「幽霊騎手」には先生たちは登場しておらず、シリーズ外の作品となっている。

表題作ではヒロインのエマ子が繰り返しバラバラ死体の幻を見てノイローゼになっていくのだが、その流れはもはやホラーとしか言いようがない。しばらくエマ子メインのエピソードが続き、なかなか由利先生が出てこないので、余計に物語がどの方向に向かっているのか、また犯人やその狙いがわからず、最後までエマ子と同じような気持ちで推移を見守るしかなかった。が、これに限らず、由利先生の手にかかれば、複雑な事件もシステマティックに整理され、あっという間に解決されてしまうのだから脱帽のひとこと。しかし動機が分かっても、その猟奇性が薄れるわけではないというのがなんとも。


◇前巻→「蝶々殺人事件」

蝶々殺人事件 (角川文庫)
横溝 正史
KADOKAWA
2020-03-24

昭和12年の秋、世界的ソプラノとして有名な原さくらは「蝶々夫人」東京公演を大成功に収める。引き続き開催される大阪公演のため、さくらをはじめとする劇団員たちはめいめい大阪へと向かうことに。しかし公演当日になってもさくらは現れない。そんな中、追って届けられたコントラバスのケースから、さくらの絞殺遺体が発見される。さくらのマネージャー・土屋をはじめとして、劇団員やスタッフたちが事情聴取を受ける中、さくらの夫である原聡一郎は、東京から由利麟太郎なる人物を呼び寄せて……。(「蝶々殺人事件」)

金田一耕助と同様、横溝正史が生み出した名探偵「由利麟太郎」が登場する本格推理小説シリーズ、復刊第1弾。長編である表題作に加え、短編2編が併録されている。

40代半ばであるにも関わらず、すでに総白髪が目立つ風貌が特徴の「由利先生」こと由利麟太郎。探偵業をおおっぴらに掲げているわけではないようだが、しばしば警察の捜査に協力し、しかし自身の功をひけらかさないことで、警察からの信頼も厚い紳士として描かれている。そんな彼の助手は、新聞記者の三津木俊助。昭和21年に発表された表題作では、ふたりがソプラノ歌手、ついでマネージャーが殺された複雑な事件を解決に導く様が描かれていく。

併録された短編「蜘蛛と百合」および「薔薇と鬱金香」は、表題作とは多少雰囲気が異なり、どことなく耽美で幻想的な事件が繰り広げられていく。特に前者では奇妙な色香をまとう美女に俊助がすっかり骨抜きにされ、大ピンチに陥ったところを由利先生が助けるという展開に。長編では由利先生の存在感が大きいだけに、短編での俊助の機転の利かせ方、あるいはトラブルメイカー的な存在感が見え隠れするのもなんとなく楽しかったりする。

暴虎の牙
柚月裕子
KADOKAWA
2020-03-27

昭和57年の広島。沖虎彦は親友の三島と元のたった3人で、老舗組織である綿船組の賭場を襲撃し、現金を奪って逃走。愚連隊「呉寅会」を率いる沖は、その後も暴力団を相手に襲撃や強奪を繰り返し、やがては呉原最大の暴力団・五十子会からも目を付けられるように。広島北署二課に所属する刑事・大上章吾はたまたま居合わせた喫茶店で起きたいざこざで沖の存在を知り、彼の素性と目的を探り始める。それから時は流れ、平成16年。刑期を終え出所してきた沖は、服役中に因縁の相手である大上が死んだことを知る。墓の場所を突き止めた沖は、そこで呉原東署に刑事として戻ってきた日岡秀一と出会い……。

2018〜2019年にかけて新聞に連載されていた、「孤狼の血」シリーズ第3弾にして完結編。今回はかつての大上、そして現在の日岡が、沖虎彦という男の凶行を止めようと奔走する姿が描かれていく。

本編の約3分の2が大上パート、残り3分の1が日岡パートとなり、沖虎彦という男を追いかけていく本作。大上パートではガミさんの姿に懐かしさを感じ、日岡パートでは彼が言葉遣いだけでなく行動も考え方もガミさんそっくりになっている姿に頼もしさを覚える。時代が昭和から平成に移り変わり、法律や警察組織そのものが変化していく中で、大上のようなやり方はまさに綱渡り。特に今の日岡は極道と兄弟の盃をかわしているというどうしようもない状態なのだが、それでも自分の――同時に大上の――信念に基づいて行動していくその姿がなんともまぶしい。

そんなふたりを過去から現在にわたって手こずらせている沖虎彦は。狂犬などというレベルではなく、タイトルの通り「暴虎」としか言いようのない凶暴性を秘めた男。しかし――というよりは「ゆえに」というべきか――そんな彼のカリスマ性に惹かれて集まる男たちもまた多い。だが大上も、そして日岡も、その眼差しに秘められた危険性にいち早く気付き、なんとか止めようと奔走することに。結果的に沖に訪れた結末は「因果応報」と言ってしまえばそれまでだが、一方で彼を止める――あるいは彼が救われるためには、もはやこの結末しかなかったのかもしれない。


◇前巻→「凶犬の眼」

不穏な眠り (文春文庫)
七海, 若竹
文藝春秋
2019-12-05

晶の勤め先兼住居である「MURDER BEAR BOOKSHOP」の近所に住む鈴木夫人から依頼が舞い込む。それは12年前に亡くなった彼女の従妹の家での出来事だった――無人となった従妹の家を知人に貸していたところ、その1年後、知らない女性がその家に居着き、そこで死んでいたのだという。その亡くなった女性・原田宏香の遺品をつい引き取ってしまった鈴木夫人は、彼女の死を悼んでくれるはずの誰かを探し出してほしい、というのだ。11年前の不審死ということで手掛かりも乏しく、とりあえず晶は宏香が死んでいたという家の隣人を訪ねるが……。(「不穏な眠り」)

葉村晶シリーズの最新短編集。2017〜2019年にかけて「オール讀物」に掲載された短編4作が収録されている。

前巻までに住んでいたシェアハウスを立ち退き、「MURDER BEAR BOOKSHOP」の2階にある探偵社にそのまま住み着くことになった晶。しかしなかなか探偵としての依頼は来ず、書店の仕事(プラス富山の雑用)を今まで以上にこなさざるを得ないという状況に。ということで「逃げだした時刻表」は、書店で開催されていたフェアで起きた事件に巻き込まれるという珍しいパターン。他にも「水沫隠れの日々」では蔵書整理に向かった先で出所してくる義娘の出迎えを依頼されたり、「新春のラビリンス」では廃ビルの警備員の代打をさせられたりと、仕事のバリエーション(?)も豊富になっているのがなんとも。そして短編でも負傷率が高くなりつつある今日この頃、晶の健康が気になって仕方ないのはわたしだけではないと思う(笑)。


◇前巻→「錆びた滑車」

錆びた滑車 (文春文庫)
七海, 若竹
文藝春秋
2018-08-03

東都総合リサーチの桜井から回された調査で、石和梅子という老女の行動を追っていた葉村晶は、梅子が知人らしき老女・青沼ミツエと口論になり、階段から落ちてきた際に巻き添えとなり、怪我を負ってしまう。運びこまれた病院で晶は、ミツエの孫である大学生・ヒロトと出会う。少し前に父親と一緒に交通事故に遭い、大怪我を負ってリハビリ中だというヒロトの依頼で、晶はヒロトの亡父の遺品整理を請け負うことに。ミツエの勧めもあり、しばらくはミツエの持つ古いアパートで暮らしつつ、整理を行うことになった晶。そんな中、ヒロトは晶にある依頼をかける。ヒロトは父と自分が遭遇した事故の前後の記憶を失っており、なぜ事故現場にいたのかすらも思い出せないため、その理由を突き止めてほしいというのだ。しかしその直後にアパートで火事が発生し……。

葉村晶シリーズの長編第3作目。今回も冒頭から怪我を負いつつ(しかも40代となったので、そうでなくても体にガタがきている……)、大小さまざまなトラブルに女探偵・葉村晶が巻き込まれていく。

ある老女の行動調査に端を発した今回の事件。青沼ミツエとその孫・ヒロトに肩入れしながら、晶はミツエの息子=ヒロトの父である光貴の過去にも迫るという展開に。事態は周囲を巻き込んでどんどん拡大していき、今作でも文字通り芋づる式に真相が明らかになっていく。人の不幸は……というわけではないが、その流れが面白くもあり、同時にやりきれなくもある。結局誰も得をしないというか、真相がわかったころには何もかも手遅れになってしまっているのだから。きっとそれは晶本人も痛感しているに違いないが、それでも彼女は探偵を辞めないし、自問自答しながらも他人にその手を差し伸べることを止めないのだろう。好奇心と同情心、あるいはそれ以外の様々な感情の板挟みになりながら。


◇前巻→「静かな炎天」

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