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読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。 (当ブログは全文無断転載禁止です)

カテゴリ: 山崎ナオコーラ

ネンレイズム/開かれた食器棚
山崎 ナオコーラ
河出書房新社
2015-10-23

女子高生の村崎紫こと《床》は老人であることを夢見て、自身の年齢を68歳と公称し、その年齢らしく振る舞おうと努めていた。クラスメイトの紫優香里こと《雁》はその逆で、現在の年齢らしさを追求し謳歌する反面、同じように年齢にこだわる床に興味を持つようになり、ふたりは友人になった。そんなある日、老人参加率の高い近所の「編み物クラブ」に参加した床は、そこで同学年の男子学生と遭遇する。坊主頭なのにスカートを履いている加藤こと《徐々にちゃん》は、性別にとらわれることを嫌ってそのような格好をしているのだという。床と雁、そして徐々にちゃんは仲良くなり、いつしか雁と徐々にちゃんが付き合うようになり、さらに雁は高校卒業前に徐々にちゃんの子供を身ごもってしまう。しかしそんな矢先、徐々にちゃんが事故で亡くなってしまい……。(「ネンレイズム」)

2015年に「文藝」に掲載された中編「ネンレイズム」と短編「開かれた食器棚」を収録した、作者の最新作品集。

年齢や性別について自由に追求する3人の思春期のこどもたちを描く「ネンレイズム」は、まるでジェットコースターのように物語が展開してゆく。3人が出会い、仲良くなり、そのうちふたりが交際・妊娠を経て父親の方が急死し……という流れは、ともすれば必然性のない空虚な展開に見えなくもない。しかし3人がこだわっていた「年齢」あるいは「性別」というカテゴリーの在り方と照らし合わせた時に、ここで3人に起きた出来事は、いずれも年齢という一般的な概念に反したものだということがわかる。まだ若いのに老人のふりをする、男の子なのに女の子の服を着る、未成年なのに妊娠する、10代の若さで亡くなってしまう――「ありえない」と眉をひそめ、あるいは悲しむべき出来事。しかしそういった一般的な概念をはぎ取って生きている3人にとってはそうではない。ごくありふれた、人間としての営みの結果でしかないのだ。

また「開かれた食器棚」は、ふたりの主婦が開いたハワイアン・カフェと、障害を持つ娘にまつわる短編。こちらも「ネンレイズム」同様、他人からは奇異の目で見られたり同情されたりといったことが発生してはいるが、当事者たちにとってはおかしなことでもなんでもなく、ただ当たり前の、自分たちがやりたいようにしている結果にすぎないということが描かれてゆく。本物のハワイには行ったことがなく、真のハワイらしさをいっさい追求してはいないが、それでも彼女たちがイメージする「ハワイ」そのものの店がこうしてできている。障害を持っていたって娘は普通にいい子に育つ。何の問題もないのだ。

周囲がどう思おうと、それは外野の言葉であり感情であるからして、当事者たちにはいっさい関わりがない。周囲がそれぞれ自分の信条に即した一般的な価値観を持つのは自由だが、それを当事者に押しつけるのは意味がないし、当事者がそれを助言として有り難がって受け取る必要ももちろんない。何が幸せなのか、あるいは何が最善なのかは自分が決めることなのだから。2作とも異なる雰囲気の作品ではあるが、いずれもテーマとしては同じものが見えてくるという点で面白いと思った。

反人生
山崎 ナオコーラ
集英社
2015-08-26

55歳の荻原萩子は恋をしていた。しかしそれを自分の人生に反映させようとは思っていなかったし、以前は結婚もしていたが、それも含めて自分の人生を作ってきたという意識は全くなかった。お金に困っていないが、生活のリズム作りと、片想い相手を眺めるためだけに働く。ただ世界を傍観していたい、その雰囲気のみを感じていたいという、それだけで生きている萩子。片想い相手である年下の女性・早蕨とも良好な関係を築けていて、それなりに満ち足りた日々を送っていた。しかしある時、早蕨が年上の男性との結婚を考えていると打ち明けてくる。早蕨の要望で、萩子はしぶしぶその彼氏を交えて食事に行くことになるが……。(「反人生」)

雑誌「すばる」に2013〜2015年にかけて掲載された作品を収録した短編集。
表題作である中編「反人生」に加え、母の死をきっかけに娘がその関係性を回顧する掌編「T感覚」、女性側から見た男女間の友情を描く短編「越境と逸脱」「社会に出ない」の4作が収められている。

同性間、母娘、異性間、それぞれの関係が愛情であれ友情であれ、関係を持ってしまった以上、そこに「社会」が生まれるということがこれらの短編でははっきりと描かれている。そして「社会」ともなればそこに自分の意志のみを押しつけることはできず、調和を保つことで関係を続けてゆくしか方法はない。主観を顕在化させることはできないのに、傍観し続けることもできないのだ。

「反人生」の萩子は片想い相手の結婚に異を唱えたいのにそれができず、でも結局は彼女の結婚式のスピーチでなにかしらやらかしてしまったことが明かされる。「越境と逸脱」では男のように振る舞うことで男友達を作り続けてきた大沼が、友情の終わりを言葉として受け取らざるを得なくなる。「社会に出ない」では、主人公の「私」が、サークル仲間のひとり・面長の友人であることは間違いないが、あくまでもそれは音信不通になっている山崎の代替であることを自覚している。そして「T感覚」の絹子は、母・木綿の死という文字通りの別離を通して、これまでの関係自体を振り返ることになる。

いずれにしたって彼女たちが抱えるのは世の中のままならなさそのもので、自分の望むように相手が自分のことを思ってくれていないということには当然気付いている。けれどその自覚さえ持っていれば、世界を受け入れることはできる。規定の型に嵌めこまず、ゆるやかな連帯を望むことが出来れば、ままならない世の中だって生きてゆくことはできるのだろう――そんなふうに考えさせられる短編集だった。

可愛い世の中
山崎 ナオコーラ
講談社
2015-05-20

4人姉妹の次女である豆子は32歳。これまで地道に会社員として働き、お金を稼いで税金を納め社会に貢献している、という自負を抱いて生きてきた。また自分が「ぶす」であると考えている豆子は、だから結婚しようとは微塵も思っていなかった。しかしある時から、女性は子供を産んでこそ社会貢献できるものなのだという思いにとらわれた豆子は、取引先の店員である鯛造と結婚を決める。貯金がない鯛造は式を挙げる必要はないと豆子に言うが、自分たちの結婚を社会に知らしめることが必要と思いこむ豆子は、自身の貯金を切り崩して式を挙げようと考える。しかし様々なことでお金が使われていく現状に、次第にうんざりしつつあって……。

「小説現代」にて連載されていた本作は、地味な主人公・豆子が、一般的な「世の中」像に翻弄されながら、それでもなんとか折り合いをつけ、自身を肯定してゆく物語。

結局のところ豆子を動かしている、同時にかたくなにしているのはいわゆる承認欲求で、自分というひとりの人間を認めてほしいというのが根底にある。それは生きていくうえで当たり前のことで、豆子が抱く焦燥感には誰しも――もちろん私も――覚えのあるものだろう。「世の中が求めているであろう人物像」にとらわれ、それと自分との乖離に怯えつつ、しかしだからといってその人物像に自分を近付けることのできない豆子のような人間は、自己を貫くことでしか前へ進めない。しかしそんな豆子の生き方を否定し、同時に肯定してくれるのは、身近で彼女のことを見ている姉妹たちだけ。バツイチの派遣社員である長女、実家で家事を引き受けるニートの三女、そして専業主婦の四女……それぞれのスタンスで生きている姉妹たちと自分とを比べた豆子は、ようやく社会が求めている理想像から一歩ずれていてもいいのだということに気付くのだ。そして、自分と同じような人が他にもたくさんいるということにも。

タイトルの「可愛い世の中」という意味が作中で明確に示されているわけではない。しかし豆子の精神的な自立を見届けた後では、こう思う。これまで豆子が絶対的なものと信じてきた「世の中」というのは、実はそんなにも確固たるものではないのだと。ことに社会を構成する個人の性質が多様化しすぎている現在では、世間一般として求められるモデル像というのを構築することが出来ないのではないか。だからこそ、これまでは唯一にして厳格なる基準であった「世の中」も、今や見る人それぞれによってころっと変わってしまう「可愛い」ものなのだと、そういいたいのかもしれない。

ボーイミーツガールの極端なもの
山崎ナオコーラ
イースト・プレス
2015-04-17

72歳の鳥子は姪の竜子と、竜子の義理の娘である伽奈と共に暮らしている。そんな鳥子はこれまで結婚はしたことがなかった――というよりは、そもそも恋というものをしたことがなかった。そんなある日、散歩をしていた鳥子はサボテンを持った30代くらいの男性とぶつかってしまう。その優しそうな顔立ちを目にした鳥子は、それ以来彼のことが気になり始める。これが恋なのだ、と自覚した鳥子だったが、かといって親と子ほど年の離れた相手と両想いになりたいと思うわけではない。それでももう1度会えれば、と偶然の再会を期待して散歩を続ける鳥子だったが……。(「第一話 処女のおばあさん」)

2013〜2015年にかけて、フリーペーパー「honto+」に連載された8話に加え、書き下ろし2話を収録した恋愛連作集。植物屋「叢」とコラボレーションし、各話に様々なサボテンが登場。その写真も収められている。

初めて恋心を抱いた鳥子、小さい頃から野球選手の妻になりたかった伽奈、一目惚れしたファッションブランドのデザイナーとたまたま知り合い恋に落ちた竜子。いじめに遭い引きこもり生活を送る中でデビュー当時の松田聖子に憧れる勇魚と、その弟で誰かと「別れる」という行為がどうしても受け入れられない入鹿、そしてそんな息子たちに翻弄される両親・金太郎と華子。「引きこもりアイドル」としてブレイクしたものの、いつしかそこからの脱却を願う美代梨と、彼女をプロデュースした「黒子役」アカネの想い。美代梨と一時期付き合っていたこともある俳優・俊輔と、事務所の社長である邦彦との関係。そんな彼らの生活に寄り添うサボテンと、そのサボテンを取り扱っている多肉植物専門店「小さい森」オーナー・ピエールのこと……。

ここに描かれているのは様々な「誰かが誰かを想う気持ち」、ただそれだけ。男女間に留まらず、同性間だったり、アイドルへの憧れだったり、または植物への愛だったりする。すれ違いもあれば浮気もあるし、戸惑いや迷いだってある。けれど根底には、たったひとりの誰かを大切に想う気持ちが確かに存在しているのだ。そして個性的なサボテンは、そんな彼ら彼女らの関係を象徴しているかのよう。類型的に見えたとしても、ひとつとして同じ関係というものは存在しないし、そこにある想いはそれぞれ違う。そんな当たり前のことを改めて教えてくれるような、そんな連作集だった。

私の中の男の子私の中の男の子
山崎 ナオコーラ

講談社 2012-02-24
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19歳で作家デビューした雪村は、「女性作家」と呼ばれることに対して違和感しか覚えることができなかった。色はピンクや白、服はフリルがついたものやひらひらしたものという具合に女の子らしいものが好みだし、恋愛小説を読むのが好きだった。彼氏だっていたことがある。デビュー作は主人公こそ男ではあるものの恋愛小説であり、内容的には女性作家が書くそれであった。けれど作家になり、「女性」であるとことさら言われることがどうも腑に落ちなかった。デビュー後の著者近影の写真がネットで取り沙汰され、その容姿を叩かれたことも、彼女の違和感に拍車をかけていく。やがて雪村は男装してみたり、著者近影を自分の担当編集者のものにしてみたりと、自身と作品について試行錯誤を繰り返すが……。

「著者随一の生き方小説」と帯にある通り、生きていく上で自分の「性別」が前面に出されることにどうしても納得できない女性・雪村の数年間を綴る物語。
容姿は人並みだが、体型は小柄で女性らしい雪村は、それでも自分の中に「男」を感じながら生きてきた。可愛いものを好んでいても、それでも自分が「女」であるとは思えなかった――というよりは、性別をことさら意識したくなかったのかもしれない。だから自分のことを「男女」だと位置付ける。それは同時に自分の身体を実感できないということであり、ひいては他者を、世界そのものを実感できないということなのかもしれない。

編集者の紺野に全幅の信頼を寄せる雪村は、いつしか彼のことが好きなのかもしれないと思い始める。そんな矢先、大学で出会った時田と親しくなるのだが、不意にその時田から告白され、付き合うことになる。けれどどうしても雪村は時田に恋愛感情を抱けないでいたし、かと言って紺野に告白することもできないでいた。友情と信頼、そして愛情――いつまでも自身の性別に迷い、こだわっていた雪村には、その区別がつかなかったのかもしれない。あるいはそれがすべて混ざり合っていたのか。だからそのしがらみから文字通り逃れた雪村には、もうその区別をつける必要はなくなっていたのだろうし、何かに頼らなくとも働いて、そして生きていけるようになったのだろう。そんな彼女の強いまなざしが見えるような結末には、なんとなくだがすっきりさせられた。

この世は二人組ではできあがらないこの世は二人組ではできあがらない
山崎 ナオコーラ

新潮社 2010-02-24
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小説家になりたいと思いながら、社会経験を積むために就職を決めた栞。いつの間にか付き合うようになった紙川は、そんな彼女を応援するという。塾講師のバイトをしながらひとり暮らしをしている紙川の自由さをどこかで羨みながら、栞は働くかたわらで小説を少しずつ書いていた。やがて紙川はトラブルから塾講師を辞め、公務員を目指して勉強を始める。今度は収入の途絶えた紙川を応援しようと、栞は月5万ずつ援助するように。だがその頃、栞も仕事を辞め、派遣社員として働くように。忙しさのあまり小説は書けず、さらに紙川とも疎遠になり始めて……。

先日読んだ「ニキの屈辱」の1年半前に刊行されていた本作は、奇しくも最新作とは逆の「反恋愛小説」。男と女――つまり恋人同士という「2人組」であることが当たり前とされる社会を嫌いながらも、紙川という彼氏を持つ栞。その齟齬をそのままにしながら、栞は社会が押し付けてくる「常識」というものを拒絶し続ける。

親ともめて「家出した」と豪語するような紙川の甘さを、栞は従順なふりをして利用しようとする。そんなしたたかさを持ち、普遍的な社会常識を時に拒もうとする栞だが、その規範から逃げられないのも確か。両親や紙川の価値観に閉口しても、それを拒むための論理的な回答は持てず、結果として感情論に終始してしまうこともある。

結局のところ、栞の世界は閉じていて、だから外側の論理を受け入れることができなかったのかもしれない。終盤で栞は、友人からかつて「自分のことを好きな人だけをが好きなんだよね」と言われていたことを知る。けれど社会人として働き、紙川と恋人関係を持つ中で、栞の世界は少しずつ開かれていく。「二人組になる」という経験を経たことが、それを促したのかもしれない。
社会とは何か、生きて働くとは何か、そして人と人とのつながりとは何か――「二人組」というちいさな社会を経たからこそ、「世界」というおおきな社会を見つめることができる。そして、世界をつくっていくことができるのだろう。

ニキの屈辱ニキの屈辱
山崎 ナオコーラ

河出書房新社 2011-08-05
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写真家を目指す加賀美は、憧れの若手写真家・ニキのアシスタントになる。ニキはぶっきらぼうで口が悪くて偉そうだが、自身の仕事にはプライドを持ち、どんな仕事にも真摯に取り組んでいた。だから容姿や性別を取り沙汰されることをひどく嫌い、自分を飾るということをしない。けれどいつしか、加賀美には時折可愛いところを見せることも。そんなニキに加賀美は惹かれ始めるが……。

第145回芥川賞の候補にもなった本作は、「人のセックスを笑うな」以来の恋愛小説とのこと。年下だけど傲慢で才能あふれるニキと、そんなニキに振り回されながらも惹かれてゆく加賀美の関係の変化が綴られてゆく。

仕事相手など、周囲には礼儀正しいニキだが、アシスタントである加賀美にはとにかく粗雑な対応。いくら礼儀正しくしていても、加賀美に対する態度を見た人たちは彼女に対していい印象を持たないということは分かり切っているのに、なぜかニキはそこに気付かない。そんな鈍感さゆえに、加賀美に対して暴言を吐いたり、八つ当たりをすることもしばしば。加賀美はそれでも尊敬する写真家であるニキに対しては逆らわず、すべて彼女の言う通りにやってゆく。けれど初めて加賀美がニキに反抗して以来、ふたりの関係は変わっていく。すなわち、写真家とアシスタントの関係から、恋人という関係に。

ニキが上位というところから始まったふたりの関係は、恋人になることで次第に対等なものになっていく。最初から対等だったとしたら、きっとニキに惹かれなかったかもしれないと加賀美は思う。ある意味吊り橋効果というか、ギャップ萌えというか――怒ってしまった加賀美に対して下手に出てきた彼女のことを「可愛い」と思ったところから、ふたりの恋愛は始まった。だからこそ、対等になり、いつしかその立場が逆転し始めてしまったことで、ふたりの関係はさらに変わってしまったのかもしれない。

恋愛は惚れた方が負け、とはよく言うけれど、始まりはまさにそんな感じ。加賀美はニキのことを「可愛い」と思うようになったというが――まあそもそもその「可愛いと思うようになった」という考え方こそ、ある意味傲慢にも聞こえるが――、それでも最初はまだ、相手が自分より上の立場だからと、甘んじて彼女に振り回されてきた。けれど時が経ち、ニキが自分に依存していることを無意識のうちに感じ取ったのか、加賀美はニキと対等、もしくは上位に立つようになってしまう。「相手が望むことをしたい」から、「相手が望んでいることをしてあげている」という意識の変化。同じようでいて、けれど根っこのところが全く違う考え方。ニキの方も、まったく同じプロセスで加賀美と同じことを考えていたのではないだろうか。
自分が相手に今まで付き合って「あげて」いたという考えが、お互いどこかにあったがゆえの破綻。自分を下に置いているように見せて、実は上に立っているのだという密かな優越。それを思い知らされたからこその「屈辱」なのだろうなと、ふと思う。

あたしはビー玉あたしはビー玉

幻冬舎 2009-12-10
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ある日突然「気がついた」ビー玉は、恋をした。相手はビー玉の持ち主である高校生・南田清順。喋り出したビー玉に気付いた清順は、彼女をポケットに入れて一緒に生活し始めて……。

ナオコーラの新作は、なんというか説明に困る(笑)1冊。ビー玉が人間に化けた!というのではなく、本当にビー玉そのものである語り手の「あたし」。清順のポケットの中で彼にくっついて過ごし、たまにサイダーを飲んだり(というか「泡を食べ」たり)、好物のフライドポテトを食べたり。けれど夏祭りの日には人間の姿になって、清順と一緒に出かけたりする。

そんな彼女の想いはとてもまっすぐで、清順だけをいつも見守っている。彼の言うことを聞き、彼とずっと一緒に過ごすけれど、たまには自立したいとも考える。ポケットから飛び出したいと、そんなふうに思う。そんな彼女の想いは、次第にやる気なさげだった今時の高校生・清順の生き方をも少しずつ変えていく。

可愛がられて、守られるだけじゃない――そんなふうに一途で、でもしっかりとしたスタンスを持つビー玉。「夫唱婦随」ではなく、自分のステージに清順を引きずり上げてくるその力は、まさに「新しい女の子」そのもの。「モサ」で、ニートのモサを変えたのが外から来た女の子だったように、清順を変えたのもまた、突然現れたビー玉だった。なんともかわいらしいボーイ・ミーツ・ガール。
このラストが本当に「めでたしめでたし」なのかはわからない。けれどしあわせな結末ではある――そのことだけは確実な、そんな不思議な物語だった。

ここに消えない会話があるここに消えない会話がある

集英社 2009-07-24
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新聞などのラテ欄を作る会社に勤める広田は派遣社員。それなりの大学を出てはいるが、職業に貴賎なしと考える彼はこれといった上昇志向を持たず、同じ部署の面々との会話を楽しみながら、日々をマイペースに過ごしていて……。

ナオコーラ初の「お仕事小説」である本作は2本立て。
表題作は日々のたわいのない会話を通して人間関係を、そして「働いて、生きていく」ということを浮き彫りにしていく、まさに「お仕事小説」。
20代後半のメンバーだけで構成される部署。少人数ゆえにそれなりに仲が良く、居心地のいい場所。けれどそれぞれがそれなりの問題を抱えていて、けれど結局、彼らは「友達」ではなく「職場の同僚」に過ぎないから、それを解決してあげることはできない。それでも気遣いはできるし、その気遣いに救われることだってある。
読んでいて他人事ではない、そんな気がして、ついのめりこんでしまった。

併録の「ああ、懐かしの肌色クレヨン」は、お仕事小説というよりは恋愛小説に近いテイスト。もうすぐ退職する先輩をデートに誘った女性・鈴木の奮闘記。
生まれつき色素が薄く、そのせいか男性に手を強く握ってもらったことがないという鈴木の夢がかなう、そんなささやかな物語は、見ていてとても可愛らしい。このささやかさがとてもナオコーラらしくて、いい。

モサ (ダ・ヴィンチブックス)モサ (ダ・ヴィンチブックス)
山崎ナオコーラ/荒井良二

メディアファクトリー 2009-06-17
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東京に程近いニカイの町に住むカルガリ一家、その長男・モサはニート。そのため自分を疎んじる母親や、出来のいい妹に囲まれ、家に居場所の無いモサは毎日、町のはずれに住む天文台の観測士・ホシヨミさんのところに向かう。ところがある流星雨の夜、星のかけらに乗った女子高生風の女の子が、モサの前に(文字通り)飛び込んできて……。

ウサギのような不思議な生き物「カルガリ」の少年・モサを通して、人と人との絆を描き、生きにくいこの世界で生きていく意味を見出す、ファンタジーに見えて実は「現代」の物語。

ニートなモサは学校に行かず、世界に反抗するために制服も着ずスカートをはく。そんなモサを快く思わない母親は、息子に「働かざる者食うべからず」と仕事を与えるが、モサはそれをきちんとこなして見せる。そのあたりがただのニートと違うところ。母親に反発しながらも家の手伝いをきちんとするあたり、モサの生真面目さがよく表れている。

単なるわがままというわけではなく、ただ真面目すぎるがゆえに、世界の「あら」が見えてしまうモサ。そんなモサが、この世界を「生きにくい」と考えてしまうのも無理からぬ話。しかしここで、モサの目の前に、故郷を失った女の子が現れる。彼女との出会いを通して、それまでは「ひとりで生きたい」と思っていたモサが少しずつ変わっていく――「女の子」という、まさに「別の生き物」との化学反応。新しい考え方に触れ、モサの世界の見え方が変わっていく。ゆるやかで、けれども強い変化。

生きることは難しくて、苦しくて、でもふとしたことで180度変わっていく。新しい世界はいつも君を待っている――そんな希望の物語でもあった。

男と点と線男と点と線
山崎ナオコーラ

新潮社 2009-04-28
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42歳になるまで結婚もしなかった男が、憧れの幼なじみとその娘と共にアメリカ旅行。これまでの自分と幼なじみとの関係を振り返り、これからを考える――そんな表題作「男と点と線」を含む短編集。

作者の言うとおり「今も、世界中で、男と女が出会っている」、そんな作品集。年も違えば場所も違うけれど、どの話にも共通するのは「出会い」――というよりは、出会ってからの「関係」。恋愛だったり友情だったり尊敬だったり、様々な「関係」がそこにはある。

とりとめもなく「点」々と幼なじみ・さおりに対する自分の想いを語る表題作。「点」だった記憶が「線」になって今に至る構成は、タイトル通りとはいえ見事、のひとこと。
他にも幻想的な展開の「邂逅」や、男女間の友情は、という永遠のテーマに真っ向勝負の「スカートのすそをふんで歩く女」、男子高校生の脳内を赤裸々に(と言っても、私は「男子高校生」になったことがないのでどこまでリアルかは不明だが)描く「膨張する話」など、語り口も様々で楽しい。個人的にナオコーラは長編より短編の方が好きだと気付かされた。

手
山崎 ナオコーラ

文藝春秋 2009-01
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おじさんに憧れを持つ25歳のOL・寅井は、さまざまなおじさんの画像を集めたサイトを作っては楽しんでいた。そんな彼女だったが、最近辞職した27歳の森(彼女もち)となんとなく付き合い始める一方、58歳の上司・大河内さん(妻あり)とも時々デートをするようになる……。

寅井の「おじさん」への憧れは、妹が生まれて以来うまく付き合えなくなった実父との溝を埋めるための代用品なのかもしれない――という読みは普通すぎるかもしれないが、「おじさん」を可愛いと思い、大河内さんとのデートを楽しむ反面、たまにうっとうしいと思っているようなそぶりを見せる。一方で同年代の森とは関係を持っているが、そこには愛情が存在しないかのように――あるいは、あくまでも愛情を存在させないように一線を引いた振る舞いをする。つまるところ主人公は、誰にも本当の自分を見せようとしておらず、一歩下がってすべてを見ている。だからどこか目線が意地悪というか、拗ねた感じの文章になって物語は進んでいく。

だがタイトルの「手」については、珍しく寅井は執着心を見せる。森さんの手にしても大河内さんの手にしても、それをじっくりと見て、触れて、記憶しようとする。それは昔、父親に、おまえが先に死んだらその腕だけを手元に置いておきたいと言われたことに由来しているのだろう。だとすればやっぱり、帯の「新しいファザコン小説」という煽り文句は間違いではないのかもしれない。けれどその文言に含まれてそうな「父親的存在への情熱的な愛情」なんてものは微塵もなく、どこまでもドライな印象が、主人公の性格に合致しているよう。

この他に書き下ろしを含む3編が併録されているが、特に気に入ったのが「笑うお姫さま」。昔話の体裁で書かれたこの作品では、男の要求に翻弄されまいと抗する女が描かれる。おとぎ話めいた展開がとても好みだった。

長い終わりが始まる長い終わりが始まる
山崎 ナオコーラ

講談社 2008-06-26
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小笠原は大学4年生。マンドリンサークルの一員として練習に励む日々。音楽が好きだからマンドリンを弾く。サークルには思い出作りや仲間作りではなく、あくまでも音楽をやるために来ているのだ。協調性がなく独善的なその性格から、時には周囲と衝突することもある。けれどマンドリンのために、音楽のために、小笠原はサークルを辞めない。それに、サークル内に好きな人もいる……。

山崎ナオコーラの新作は、終わらない大学生活を描く青春小説。

自分の思いに正直な小笠原。正直すぎて、他人の心情を想うという視点にやや欠けている彼女の行動に、私としてはなかなかなじめなかった。それでも音楽にかける想いは真摯で、そういう時は良き先輩・良き指導者であるし、良き演奏家でもある。それゆえの行動、それゆえの発言と思えばなんとか受容できた。

大学4年生といえば、当然学生としては最後の年。普通なら就職活動をして、卒論を書いて、1年間をかけて来るべき学生時代の「終わり」に備える。4年生になった時点で、タイトルのように「長い終わりが始ま」っているのだ。けれど小笠原には「終わり」がない。見えないというか自覚できないというか。終わりたくないから断ち切りたいとすら思う小笠原は、成長できていないのか、はみ出し者の苦悩か、それとも≪天才≫ゆえの純粋さか。終わらない、というよりむしろ終われない、そんな日々。青春小説というよりはむしろ、モラトリアム小説(というジャンルは存在するのか?)と言いたい。このあたりの感覚は、先に読んだ「グ、ア、ム」の長女が持つ焦燥感にも似ているような気がした。

カツラ美容室別室カツラ美容室別室
山崎 ナオコーラ

河出書房新社 2007-12-07
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27歳の春、「オレ」が友人の梅田さんに呼ばれて向かった先は「カツラ美容室別室」。その店長・カツラさんは、その名の通りカツラをかぶった美容師。この店で働いているのはカツラさんの他に、「オレ」と同い年のエリ、そしてエリより年下で専門学校卒の桃山さんのふたりがいた。エリと少しずつ距離を詰めようとする「オレ」だが、ふとしたことで近づいたり、また離れたりで……。

第138回芥川賞候補作。
恋愛にはならない、なりきれない関係が1年のスパンで書かれる。
エリと「オレ」が知り合ったばかりの頃のメールのやり取りは、中村航「ハミングライフ」のウロメールのそれに似ているような気がした。が、中村航が書く男は「恋愛」という関係に進むことに問題を感じないのだが、ナオコーラの書く「オレ」は、そういう展開をためらうというか、「別にひとりでもいいし」とすぐ思ってしまう「おひとりさま」な男。そこがリアルな気が。ナオコーラは男女の間を恋愛以外の要素であっさりと埋めてしまう。

なぜかデビュー作以降の4作をすべて読んでしまったのだが、確かにだんだんうまくなっているし、面白くなっていると思う。だから次作がまた楽しみな作家。

論理と感性は相反しない論理と感性は相反しない
山崎 ナオコーラ

講談社 2008-03
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真野は論理で喋る男。神田川は感性で喋る女。「わかり合うことなんて、全然求めていない。好き合うことを求めているのだ」。そんなふたりが付き合い、同棲することになった――という表題作をはじめとして、神田川の友人で小説家の矢野の恋だとか一生だとか、神田川の「足裏の存在」(by.澁澤龍彦)の話だとか、架空のバンドの成り立ちだとか、世界の色の話だとか、とにかくカオスな書き下ろし短編集。

小説、物語というものに、読むこちらとしては≪論理≫を求めて読んでしまいがちだが、この本は≪感性≫で読むべき本。軽妙なリズム感に身を任せて読むと吉。
けれど1編1編はそれなりに筋道が通ってて、その作品ならではの≪論理≫がそこにはある。まさにタイトル通り「論理は感性に相反しない」という感じ。

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