phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。

カテゴリ: 宮内悠介


ふたりきりの探偵事務所で事務員を務めるエラリイが所長のルルウから渡されたのは、密室殺人と思しき事件の資料だった。しかしその事件が起きた施設「メゾン・ド・マニ」――その名の通りマニ車を模していて、回る――にはそもそも出入口がなかった。住人は10人いるが、出入口がないこともあって外部犯の可能性はないという。しかも資料を読み進めていくうち、いつの間にか住人がひとり増えていることが判明。どうにも納得できないものを抱えつつ、ルルウはエラリイと共に現場へ向かうことになるが……。(「超動く家にて」)

2010〜2017年にかけて各種媒体に発表された16本の作品を集めた短編集。作者本人によるあとがき(兼、各作品の解説)も併録されている。

作者自らが「ネタに偏った作を集めたもの」と称し、さらに解説で酉島伝法が「俗称、宮内悠介バカSF短編集」と述べる通り、例えばこれまでに芥川賞や直木賞にノミネートされた作品しか読んでいない方にとっては確かにタイトルからして面食らうのではないかと思う。まあ真面目(っぽい)な話もあるにはあるし、リリカルだったり抒情的だったり人情系だったり……といった具合に、想像以上バラエティに富んだ作品集となっている。もちろんこれが作者のすべてではないし、ゆえに入門編に適しているとは言い難い。けれどジャンルだとか作風だとかを断言しにくいこの作者の一部を確実に形成しているものである、という点には間違いないはずなので、騙されたと思って読んでみてほしい1冊。

個人的に好きなのは表題作の「超動く家にて」。読み進めていくうちに後出しのように情報が追加されていくという展開には、エラリイでなくとも突っ込みたくなってしまう(笑)。思いがけないラストも含め、脱力系SFミステリとしか言いようのない短編となっている。

文学部出身者としては「文学部のこと」も見逃せないが、果たしてこの「文学」は私が知る文学と同じものなのだろうか(笑)と首を傾げながら読了。また日めくりカレンダーを巡る家族の攻防(?)を描く「今日泥棒」のコミカルさもいい。最後の最後まで首を傾げながら読んでいると、なんだか自分の頭までがマニ車のように回ってしまいそうな気すらしてくる。功徳が積めそうである。

ディレイ・エフェクト
宮内 悠介
文藝春秋
2018-02-07

ある年の元日から東京じゅうで起きた怪現象は「ディレイ・エフェクト」と名付けられて今に至る。1944年1月からの――つまり太平洋戦争下の東京の様子が現実世界に重なって見えるようになったのだ。原因はもちろん不明。婿養子である「わたし」と妻子が住む家にも、妻の曾祖父一家が住んでいた当時の家が重なり合っており、なんとも奇妙な「同居」状況になっていた。翌年にはこの一帯が空襲に襲われることがわかっているため、妻は8歳の娘を連れて疎開することを望んでいたが、「わたし」は密かに、教育の一環としてその様子を見せてやりたいと考えていて……。

第158回芥川賞候補作となった表題作を含む短編集。「たべるのがおそい vol.4」掲載の表題作に加え、「オール讀物」に発表された「空蝉」(「ナイト・クラウン・クイーン、そしてキング」改題)と「阿呆神社」が収録されている。

表題作の主人公は、奇しくもこの怪現象の通称の元ネタとなった「ディレイ」を専門としており、警察にほぼ取り調べのような聞き取り調査を受けたりもするのだが、戦時下の日本を追体験しているがゆえに「特高警察による尋問」かと一瞬考えたりもする。そんな感じで、「ディレイ」となった過去の記憶は、主人公たちの生活も精神もなにもかもを侵食していく。

目の前で繰り広げられるのが戦時下の、しかも1944年の情景であるということはつまり、この先には敗戦とこれにまつわる惨状しかないということ。娘への影響をめぐって妻と対立する「わたし」だが、最も懸念していた空襲の幻影の中で「わたし」はようやくすべてを自覚する。重なって見えていたのは過去の情景だけではなく、自分の心の在り方そのものだったのかもしれない。その直後に起きたあらたな「現象」は、予めそうなるよう誰かが決めていたことなのか、それとも「わたし」の自覚に起因するものなのか、まったくわからない。しかし後者であればいいのに、と願ってしまう。あるべきところに、あるべきものを戻すために。

併録の「空蝉」は、「ナイト・クラウン・クイーン、そしてキング」というインディーバンドに起きた事件の真相を追う、ドキュメンタリー調の短編。カリスマ性と破滅的な性格を併せ持っていた六ノ宮の死に隠された真実もまた、「あるべきところへの帰結」という点では表題作と似ているような印象がある。ただしこちらは人為的な原因が明かされてはいるが――そしてその行いが、結果はともかくとして正しいのかどうかは判断しがたいものであろうが。

「阿呆神社」の方は、とある神社の「神様」らしき存在の視点から語られた、神社で起きた珍騒動を描く短編。とはいえこの存在が、彼のもとにやって来る人々を救っているかというとそうではない。まさに「なるようになる」あるいは「なるようにしかならない」という現実のどうしようもなさが突き付けられているようで、くすりと笑いつつも最終的には神妙な気持ちにさせられた。

あとは野となれ大和撫子
宮内 悠介
KADOKAWA
2017-04-21

中央アジアに位置する沙漠の小国アラルスタン。初代大統領が作り上げた後宮は、2代目である現大統領アリーにより女性官僚候補を育成するための教育機関となっていた。幼い頃に紛争で両親を亡くした日本人の少女ナツキは、若手の中でもリーダー格として慕われているアイシャ、そしてルームメイトで姉的な存在のジャミラと共に、将来は技術系の分野に進むことを夢見てこの後宮で勉学に励んでいた。しかしアリーが暗殺され、周辺国からの侵攻を恐れた議員たちが逃げ出したことで、アラルスタンは存亡の危機に立たされることに。そこでアイシャはこの国を救うべく、大統領代理として立つことを決意。ナツキもその片腕として臨時政府の運営に身を投じてゆく羽目になり……。

「文芸カドカワ」に2015〜2016年にかけて連載されていた長編作の書籍化。ややこしい問題ばかりが山積の小国アラルスタンを建てなおそうと奮闘する少女たちの姿が描かれてゆく。

元々エリート官僚候補として育成されていたとはいえ、もちろん経験は皆無なナツキたち。しかも目の前に積まれた問題は、民族や宗教に端を発する紛争やら、テロリストの陰謀やら、さらにはアラルスタンという国家の成立の根幹にある大規模な環境破壊など、どれも一筋縄ではいかず、歴史は短いとはいえどもこれまでの政府が解決できなかったことばかり。しかしナツキたちはこれまで学んできたことを最大限に生かし、とにかく「あとは野となれ」とやってみる。さらには彼女たちが理想とする国家を作るために、これまで考えてきたアイディアを磨くことも忘れない。そんなとてつもない行動力にはただただ驚かされるばかり。もちろんうまくいくことばかりではないし、やってみて初めて理想と現実の乖離に気付かされることもあるが、それでもナツキたちは止まらない――止まれないのだ。信頼されなくても、裏切られても、自分たちの国のために。

武器商人でもある吟遊詩人イーゴリ、理想を信じて突き進むテロ組織の青年幹部ナジャフ、現場主義者の軍人アフマドフなど、ナツキの周囲にいる男たちは一癖も二癖もある人物ばかり。そんな彼らを利用し、時に利用されながら、強かに突き進んでいくナツキたち。一方で、ナツキとナジャフの間にロマンス的な展開があったり、後宮の女子たちが預言者生誕祭の出し物として創作劇を練習・披露するなど、どこか女子校めいた流れも見え隠れするのがなんとも楽しい。とにかく全速力で駆け抜ける少女たちの日々から最後まで目が離せなかった。

カブールの園
宮内 悠介
文藝春秋
2017-01-11

日系人の玲は、苦手としている母親の元を離れ、子供の頃に受けた苛めによるトラウマを克服するための治療を受けつつ、友人たちと立ち上げた会社でプログラマーとして働いていた。しかしある日、社長であるライアンから1週間の休業を命じられる。突然の休暇に戸惑い、苛立ちながらも、玲は単身ヨセミテ公園へと向かう。やがて玲はかつて日系人たちが収容されたマンザナー収容所の博物館で、知人の名前を目にする。それは不仲だった母と祖母の間を取り持っていたという、ミヤケという男性だった。玲はミヤケ氏の子供に連絡を取り、当時の話を聞くことに。そこで知ったのは、彼がミヤケ氏から聞かされたという収容体験、収容所で作られていた日本語の同人誌、そして祖母とは没交渉だった母が、玲の進学のために祖母に頭を下げに来たという事実だった……。

第156回芥川賞候補作ともなった表題作を含む、著者初の純文学作品集。雑誌「文學界」に発表された2作品が収録されている。

タイトルとなっている「カブールの園」というのは、主人公・玲が受けているVR治療を、玲の同居人(あるいは恋人?)であるジョンが評した言葉。子供の頃、太っていた玲は同級生たちから「豚」と呼ばれ苛められていたが、母親にはそのことを言い出せずにいた。しかしそのことは確実に玲の心の傷となっていて、現在はそれをVR技術により追体験することで克服しようとしているのだ。それを知ったジョンは、イスラム教圏であるカブールでは豚が動物園にいるということから、玲の治療体験をそう呼んでいた。心の傷、あるいは母親に対して抱えている屈折。治療のことをよく思っていないジョンは、わざわざ他人の前でパーソナルな記憶を掘り起こして何になるのか、と言いたいのかもしれない。そしてそれは、言葉には出さないが玲もどこかで感じていたことなのだろう。だから休暇の中で自身のルーツを探る中で、治療を止めることを決めるのだ。

苛めを受けていたのは体形のせいだと玲は――少なくとも表面上は――考えている。しかし米国にあって日本語の同人誌を作っていた日系人たちに想いを馳せるうちに、もうひとつの可能性が浮き彫りになる。それは彼女が「日系人」だから。純粋な日本人でもアメリカ人でもない。だからどちらにいても異物として扱われる。たとえ日本語を使えなくても、彼女たちのルーツが日本にあるということは変わらないのだ。では自分はいったい何なのか。彼女の不安定さは、そのために受けた「差別」によるものに他ならない。そして同時に、あいまいな自分の「人種」そのもののせいでもあるのだ。

しかし精神安定剤を服みながらも、彼女はテンプレート的な「日系人」――ひいては「東洋人」として仕事に臨む。それが求められる役割だから。そしてそれは、併録された「半地下」の姉弟も同じだった。英語を操りながらも「日本人」として扱われることに苦しむ玲。英語を習得することに抵抗を覚えながらもそうせざるを得なかった祐也と、進んで「東洋人プロレスラー」を「演じて」いた都。自分ではどうすることもできない状態――言葉と精神が結びつかずばらばらになってゆく中で、彼女たちはアイデンティティを見出し、あるいは見出し損ねた。その揺らぎと閉塞感が、ただひたすら立ち上ってくるような作品だった。


究極の碁盤を作るため、最高の榧を求めて各地を旅していることから「放浪の碁盤師」と呼ばれている吉井利仙。元囲碁棋士でもあった彼のかつての対局に憧れ、棋士としての利仙に弟子入りを願う16歳の若手棋士・愼は、そんな利仙にくっついて、この日もある山に入っていた。そこでふたりが出会ったのは、「忘れられた碁盤師」黒澤昭雪の娘・逸美。雨に降られたふたりは逸美の好意で彼女の家に泊まることに。そこで彼女が昭雪と同じく碁盤師を志してはいるものの、父が生前に着せられた汚名のこと、そしてその不審な死に様に囚われていることを知った利仙は、その真相を探り始め……。(「青葉の盤」)

2012〜2015年にかけて「ジャーロ」「ランティエ」に発表された、作者初となるミステリ連作集。

タイトルの通り、事件に絡んでくるのは「碁盤」。探偵役の利仙は碁盤師で、いまやウェブ対局などの影響もあり、碁盤自体の需要が少なくなっている中、生涯最高の碁盤を作ろうと日本各地を飛び回っているという設定。しかし行く先々で彼が出くわすのは最高の材料……ではなく、碁盤に絡んだ事件。かつての名碁盤師の死の謎、腐れ縁である贋作碁盤師との再会、そしてタイトル戦前夜に起きた不審死――数少ない状況証拠から利仙はあざやかに真相を推理してみせるのだが、実は表題作である中編「月と太陽の盤」では利仙不在のため、その助手役である青年棋士・愼が探偵役を務めていたりもする。ここまでに利仙の探偵ぶりを見てきたからこそというべきか、棋士仲間の蛍衣と共に、囲碁界を揺るがしかねない不審死事件を解決していくその姿からは、愼があっと言う間に成長していくのを目の当たりにするような感慨深ささえ覚えてくる(とはいっても詰めが甘い部分もあるのだが、そこはあとで利仙が補完してくれるというラストもまたいい)。

ちなみに個人的に1番好きなのは、贋作碁盤師・安斎が登場する「焔の盤」。幻とも言われる名盤「焔の盤」をめぐり、その贋作を作ろうとする安斎と、本物を取り返そうとする利仙が真っ向対決。化かし合いというか、狐につままれたような気もする結末がなんとも面白かった。

スペース金融道
宮内 悠介
河出書房新社
2016-08-29

バクテリアだろうとエイリアンだろうと、返済さえしてくれるなら金を貸す(ただし利子は高い)という経営方針の新星金融――人類が最初に移住に成功した太陽系外の惑星「二番街」の支店に所属するプログラマーの「ぼく」は、金融工学を専門とする相棒のユーセフと共に回収業務にあたっていた。そんなある時、別の支店から顧客の取り立て逃れに関する情報が流れてくる。なんでもアンドロイドの客が自分の意識を別の個体に移し替え、本体を死んだものとして借金を踏み倒し、逃げのびているというのだ。いくつかの実際の事件の情報を総合したふたりは、その大元となる事件が、かつてこの二番街で起きていたこと――さらにそのアンドロイドが新星金融の顧客だったことを突き止めて……。(「スペース金融道」)

河出文庫の書き下ろしSFアンソロジー「NOVA」に掲載されていた、SF金融コメディ「スペース金融道」シリーズがついに書籍化。「NOVA」5巻・7巻・9巻・《バベル》巻で発表された4作に、書き下ろし「スペース決算期」を加えた計5作品が収録されている。

なぜプログラマーと量子金融工学者が借金取りなのか、というのはさておくとして、凸凹すぎて逆にうまくいっている(?)このコンビは、アンドロイドたちがその特性と課せられた「ルール」を利用し、あるいはかいくぐって逃げのびるのを執拗に追いかけ、(主に「ぼく」が)大小様々な犠牲を払いつつも借金回収を試みるという展開。しかしその内容は話ごとにがらっと変わっていて、その多彩さがどうにも面白い。ちなみにメインのエピソードではないが、二番街という惑星そのものが借金をしたうえに踏み倒そうとした(もちろん自分自身が人質のようなものである)という話には驚きを通り越して笑うしかない。とにかくそんな感じで、借金逃れの言い訳も手段も、そしてそれを取り立てる方法も、なにもかもが規格外なのだ。

そして面白いと言えば「ぼく」とユーセフの関係。「普段はいい加減で最悪なのに、たまにいいことをして挽回する」、しかし「雑用を人に押し付けず、仕事は必ず手分けする」と主人公に評されるのがユーセフという男。かつて政府の機関に所属していたとか、そこでかなり画期的な金融モデルを構築したもののアンドロイドによって失敗させられ、そのことで後悔を抱いているだとか、その頃からムスリム(この時代ではほぼ廃れている)になったとか、いろいろと気になる点が多い人物である。そして主人公の「ぼく」もまた、複雑怪奇な経緯を辿ってここにいるらしい。これまでにまったく接点のないふたりが、なぜか借金取りになってコンビを組んでいる、という経緯もまた興味深いので、そんなふたりのバディっぷりをもっと見てみたいと思った。

彼女がエスパーだったころ
宮内 悠介
講談社
2016-04-20

5歳の頃からスプーンを曲げることができていたという及川千晴は、職場に対するフラストレーションを晴らすために作った動画――自分が置かれた労働環境の劣悪さを愚痴りながらひたすらスプーンを曲げては放りまくる――で、エスパーとして一躍有名になった。やがて物理学者と結婚した千晴だったが、その夫がマンションから墜死したことで世間は千晴が犯人であるかのように騒ぎ立て、千晴は次第に心を病んでいったのだった。その後は絵に書いたような転落人生で、エスパーDJなどと称してクラブに姿を現したかと思えばクスリに手を出し、リストカットし、睡眠薬の過剰摂取で倒れた。その後、薬を断って普通の人生を送っている千晴に、興味をもった「わたし」はインタビューを依頼するが……。(「彼女がエスパーだったころ」)

2012年から2015年にかけて「小説現代」に発表された6作品を収録した短編集。続きものではなさそうだが、どの作品もルポルタージュ調の語り口で綴られており、そのうちのいくつかは明らかに同じ人物によるものであることがわかる(もしかしたら全部そうなのかもしれないが)。

猿が火を使うようになった理由、エスパーだという彼女、暴力性を抑える手術、水を変化させる言葉、ホスピスにおける死の意味、そして少数者が世界を変える、その転換点。現実を侵食し塗り替えてゆくこれらの現象を起こしていくのは、明らかに超常現象と呼ばれるもの。しかしそれを信じるかどうかは直面している「わたし」自身。けれどここで起きたことは、たとえ科学的に立証しえないものだとしても、まぎれもない現実だった。

スプーンを曲げることのできるエスパー・千晴は、自身の能力を厭う素振りを見せ、自嘲する。しかしいつしか彼女はテレポーテーションを会得したとも語る。ロシアの地に現れた千晴は本当に瞬間移動してやって来たのか、それとも飛行機でやって来たのか。証明はできなくても、目の前で起きたことをなかったことにはできない。その真実がどこにあったとしても。――そんな世界の曖昧さと強靭さが同時に示されているように感じられた。

アメリカ最後の実験
宮内 悠介
新潮社
2016-01-29

行方不明となった父・俊一の足跡を辿り、アメリカへとやってきた脩。その手掛かりを掴むため、脩は父がかつて在籍していたというジャズの名門「グレッグ音楽院」の試験を受けていた。試験のさなかに知り合った地元マフィアの跡取り息子・ザカリー、そしてスキンヘッドの巨漢・マッシモと意気投合した脩は、そこで父にまつわる逸話を聞かされる――俊一は〈パンドラ〉と名付けられた楽器を使い、奇妙なほどに美しい音楽を紡いでいた。しかし活動期間はあまりにも短く、いつの間にか彼の演奏は崩れてゆき、そのまま姿を消したのだと。そしてその頃、リューイという先住民の少女をいつも連れていたのだとも。脩たちはリューイと会い、俊一の消息を尋ねることに。するとリューイは、行方をくらます前に俊一が置いて行った〈パンドラ〉を脩へと渡すのだった。実際に演奏したことで〈パンドラ〉の正体を知った脩は、2次試験にその〈パンドラ〉を持って向かう。しかし試験開始直前、会場で男性の他殺体が発見され、その日の試験は中止となってしまった。遺体の側にあったホワイトボードには、英語で「アメリカ最初の実験」と書き殴られていて……。

小説誌「yom yom」に掲載されていた、「音楽」の存在意義をめぐるサスペンス長編。

脩は仲間たちとの出会い、父の足跡、音楽院の試験など様々な体験を経る中で、常に「音楽」――いつしか失ってしまった、自分の「音」と向き合ってきた。そうして「音楽」とはなにかということを常に問い続けてゆく。音楽は人の手の届かないものであり、空っぽの器を満たす水のようなものであり、本能を揺さぶるものでもある。ヒトの側に寄り添い、ヒトの手で創り出されるにもかかわらず、ヒトの手にあまるもの。
――ピアノを弾く時、脩の脳裏にはあるひとつの光景が浮かんでいた。アメリカ西海岸の砂漠の風景にも似た。荒野と奇岩、そして幻の谷。越えられないこの谷は何なのか、そしてこれを越えた時に何が見えるのか。父親の行方を探りながら、そして自分の音楽とは何かを考えながら、脩は自身の抱えるこのビジョンについても思いを巡らすことになる。

音楽で救われたものもいれば、全てを失った者もいる。けれど絶望を視てもなお、音楽を捨てることはできない。捨てるには世界そのものを壊さねばならないから。それほどにまで当たり前のようにそこにあって、しかし髄まで理解することのできないもの。〈パンドラ〉を使い、父を追う中で、脩はゲームとしか思えなかった「音楽」の意味をようやく捉えることができた。そしてひとつの歌が「最後の実験」を完遂させたことで、脩の旅はようやく終着点を迎えることができたのだろう。音楽が世界をどれだけ塗り替えることが出来るのか、その壮大な実験が――例え、その向こうにひとつの終わりが見えたとしても、それでも。

エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)
宮内 悠介
東京創元社
2015-06-29

精神科医のカズキは火星に移住し、亡き父も勤めていたというゾネンシュタイン病院で働くことに。救急外来棟に配属されたカズキだったが、院長はカズキと顔を合わせた途端、開放病棟の病棟長になるよう命じてくる。この病院は開拓地唯一の精神病院ということもあり、患者は多いのにスタッフも薬も不足しており、問題は山積。不本意ながらもカズキは医師として、そして病棟長として、患者たちを診ながら院内の職場環境改善を試みようとする。しかしそんな矢先、カズキに「エクソダス症候群」と呼ばれる精神疾患の症状が現れ始める。さらに亡きカズキの父・イツキが、25年前にこの病院で何らかの事件を起こしていたことも明らかになり……。

精神医療史をテーマにした作者の初長編作。精神疾患で恋人を亡くした主人公が、自らも精神疾患に苦しみながらも、精神科医としてその病に、ひいては精神疾患を取り巻く現状に対峙してゆく。

精神疾患を克服したはずの世界――あらゆる症例が診断可能となり、名前が付けられ、治療方法が確立され、対応する薬もある。しかしそれでもヒトはその病に罹り、死を志向するようになる。ISI(突発性希死念慮)と名付けられたその病は「正気の暗闇」と呼ばれ、手のつけられないブラックボックスとして存在していた。恋人をそのISIで亡くしたカズキは火星に渡ることになるが、そこで彼が赴任したゾネンシュタイン病院は、まさに精神医療史の縮図とも言えるような場所だった。

最新医療でもって患者の治療に勤めるかたわら、隔離病棟では過去の癲狂院のごとき惨状を呈しているゾネンシュタイン病院。医師にして患者でもある隔離病棟の主・チャーリーとカズキとの出会いが、25年前の事件の真相、そしてこの病院の暗部を――ひいては精神医療が抱え続けてきた闇をあらわにしてゆくのだが、それこそが「正気の暗闇」なのではなかろうか。狂人は果たしてヒトたりうるのか――精神病者への治療の限界に達した時、「健常者」たちは何を考えるのか、そしてその考えこそが狂気の発露とは言えないのか。目に見えない病に対し、医師たちが何をしてきたか。環境に適応できずに精神が壊れてゆくという状況を、そうならなかったというだけの幸運な人間が裁けるのか。チャーリーの言動からは理不尽さと諦念とが見て取れる。ともすればそのまま死に向かってしまうかのような。しかし、そんな言動と対峙してもなお――そして自身の出自を知ってもなお――精神科医として奔走し続けたカズキはどこかおかしいのかもしれないし、けれどこれこそが「正気の暗闇」に囚われながらも踏み止まっている、あるいはそれを克服しようとしている人間の姿なのかもしれない。全てが解決したわけではないが、それでも新たな一歩を踏み出そうとするカズキの姿には、暗闇の中に光がさす、そんなイメージが見えた気がした。

ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション)ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション)
宮内 悠介

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内戦が続くヨハネスブルグで、スティーブは軍人相手に強盗まがいのことを働きつつ日々をしのいでいる。そのスティーブが戦災孤児の少女・シェリルと一緒に暮らしているマディバ・タワーでは、毎日決まった時間に「夕立」が降っていた。それは「DX9」――通称「歌姫」と呼ばれる日本製のホビーロボットの耐久実験。管理者がいなくなった今でも、歌姫たちはインストールされたプログラム通り、毎日タワーからの落下を続けていた。だがある日、スティーブたちはその中の一体と目が合ったことに気付く。そしてその「歌姫」――「PP2713」もまた、自分だけ意識が覚醒していること、そして自分を見つめるスティーブたちの存在に気付いていて……。(「ヨハネスブルグの天使たち」)

作者の第2作品集となる本作は、戦争の中で生きる人々、そして「DX9」なるボーカロイド的なロボットをめぐる連作短編集。

宗教は人々を容易く対立させる。そしてそれはあっと言う間に武力を伴うものに変えてしまう上、一度始まってしまえば終わることはもはやない。人々の命は失われ続け、その重みをも失ってゆく。「ジャララバードの兵士たち」に登場するルイはまさに、その「命の重み」を見極めようとしていた。ひとりの死は悲劇だが、数多の死は単なる統計にすぎないのであれば、その狭間は一体どこにあるのか――結局のところ、それがわかったところで戦争が終わるわけではないし、人々の意識が変わるわけでもない。たくさんの人が戦乱の中で命を落としたとしても、当事者でない限りそれは単なる「数」にすぎないのかもしれない。それでもルイは祖国である日本を飛び出して現実を見つめようとし、その弟である誠は忘れ去られたかのような団地の中で、幼なじみの少女と共にどうしようもない現実に向き合おうとしていた。

場所や状況は違えど、人々の営みは変わらない。悩みも苦しみも、生きづらさでさえも。そしてそれを人々のかたわらで見つめ続けているのが「DX9」たち――ある者は永遠に続く落下実験の中で、ある者はテロリストに改造され顔を剥がれながら、ある者は9.11テロの再現の中で、またある者は実在する人間の意識を転写されながら。人間たちに負けず劣らず過酷な状況下に置かれ、本来の「楽器」としての用途とは別の手段として利用される彼女たちの存在はいったい何だったのか。そして彼女たちをそのようにしか使えない世界とは一体何なのか。

とにかくどこをとっても明るい話とは言えないし、すっきりさわやかな読後感など得られるわけではない作品集ではあったが、それでも目を逸らすことができなかった。物語の持つ引力というものをひしひしと感じさせられる。

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天才女性棋士・灰原由宇は、四肢を失った後にその才能に目覚めたのだという。あるジャーナリストが彼女についてを取材を進めるうち、彼女が四肢を失うに至った経緯と、それ以後に囲碁を習得し、いかにして棋士として成功してきたかを知ることになる。そして彼女の精神が、四肢を失った身体が、囲碁盤と深く「繋がって」いることも……。(「盤上の夜」)

第1回創元SF短編賞・山田正紀賞受賞作である表題作を含む短編集であり、作者にとってはデビュー作でもある。表題作を始め、チェッカー、麻雀、チャトランガ、将棋といったテーブルゲームをメインに据え、ほとんどの作品がその盤上の遊戯のさなかに起きた奇蹟的な事件を、とあるジャーナリスト(全て同一人物?)が取材するという体裁になっている。特に面白かったのは、四肢を失った女性がいかにして棋士として大成したのかという表題作「盤上の夜」と、その続編であり後日譚でもある書き下ろし作「原爆の局」。そしてこちらも書き下ろしであり、ふたりの男がひとりの女に翻弄されながらも、自身の求める「ゲーム」の存在意義を問う「千年の虚空」。

特に「千年の虚空」は将棋というゲームを主軸に据えた内容ながら、その他の短編とはやや毛色の異なる物語。精神が不安定気味な娘を抱えていたある夫婦は、そんな娘に見切りをつけて、施設からある兄弟を引き取ることに。だが娘がふたりを誘惑して享楽に耽ったため、3人そろって家から放り出されてしまう。やがて娘は改心し、人生をやり直そうとするのだが、父親に拒絶されたことで再び精神的に追い詰められる。そうして娘は一計を案じ、そのためにふたりの兄弟は引き裂かれ、敵同士のような関係となってしまう。娘の想いと兄弟の想い、それぞれが絡まり合い、理解しきれないまま別離を迎えてしまう、その展開がどうにももどかしく狂おしい。

一応SF作品集ということにはなっているが、「千年の虚空」のようにわりとSF的な面が薄いものも。また、それぞれのゲームについて理解があればより面白いのだろうが、まったく知識がない状態でも楽しめたので、これはこれで。

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