政に関心を見せず、王宮の奥深くに閉じこもったままの阿選に対し、泰麒はかつて正頼に教えてもらった抜け道を使って直接接触を試みる。相対してもなお泰麒の訴えに耳を傾けない阿選だったが、驍宗を追い落とした理由を尋ねられたことで、自身と驍宗との関係について思いを巡らすように。一方、老安という里にたどり着いた李斎が聞かされたのは、6年前からこの里に匿われていた重傷の武人が、少し前に亡くなったという話だった。名は名乗らなかったというその武人の外見的特徴が驍宗と同じだったことから、絶望を深める李斎だったが……。
王を失い荒れる戴国の行く末を描くシリーズ第9弾、その完結編となる3〜4巻。行方不明の驍宗を探すため、李斎は消息を絶った場所といわれる山の周辺を巡り、泰麒は王宮内部で情報収集を試みながら、苦しむ民たちを救うために奮闘する姿が描かれてゆく。
前者では、行く先々で味方を増やしたり、あるいは阿選の目を逃れて生き延びていたかつての仲間たちと再会したりしつつ、6年前に驍宗に何が起き、どうなったかが明かされてゆく展開に。後者では、泰麒が「慈悲の生き物」とは程遠い深謀遠慮ぶりを発揮し、周囲を戸惑わせながらも阿選や自己保身に走る官僚たちと相対していく。3巻では仲間が増え、有力な手掛かりを見つけるなど、なんとなく明るい方向へと向かっていくのだが、4巻でまたしてもひっくり返されるという、最後の最後までどうなるか油断のできない展開にはハラハラさせられた。
その中で描かれていったのは、「王」という存在を巡る民たちの想い。一般の民にとって、王とは国の安寧そのものであり、自分たちの生活をダイレクトに左右するものだから、実際のところそれが誰であっても構わない――善政を敷いてくれれば一番いいが、最低でも「王」としてそこにいてくれさえすればいいのだ。しかし阿選の麾下にとっては、自分たちの主人が王であることが重要となってくる。だから彼らは自分たちの主に大義があるとして今もなお阿選に従っている――彼がかつて驍宗に何をしたのかを知っていても、いなくても。けれど時が経つにつれ、驍宗や泰麒に肩入れするものも出てくるようになる。それは人としての「正しさ」を求めての行動であり、あるいはこの世界を成立させるシステムそのものに対する信頼――つまりは「正当ではない王」に対する忌避感でもあるのだろう。李斎はこの捜索行の中で、自分が探しているのが「王」なのか「驍宗」なのかという問いを突き付けられることがしばしばあった。そしてそのたびに彼女は、「驍宗」という「人」を重要視していることを自覚することになる。正しさの基準を何に求めるかというのは意外と難しい話で、しかも私たちはきっとそれを無意識のうちに行っているからこそ、いざという時に判断を誤ることもある。今回の偽王にまつわる出来事は、そのあたりについてもいろいろと考えさせられた。
そしてもうひとつ、1〜2巻でもあらわになっていた泰麒の変貌ぶりについて。これまで見てきた他の麒麟たちとはまったく異なり、良くも悪くも「人間らしい」ものの考え方をする泰麒。それは蓬莱で凄惨な体験をし、今もなお王を失い国が荒れるのをただ見ていることしかできないという無力感からくるものだったのかもしれない。あるいはこれこそが、国を支えようとする麒麟の本能、その究極の発露であったのかもしれない。阿選が新王であると謀ったり、本来であれば本能的にできないはずのことを強い意志でもってやってのけたのも、これまでの経験があってこそなのだろう。角を失い、その存在意義を問われていた泰麒だったが、今回のエピソードで彼が麒麟であるということはこれまで以上に証明されたし、その神秘性も十分すぎるくらい裏打ちされたような気がするが、同時にその裏に――あるいははるか高みに――存在する「天」というものが恣意的に動いている可能性があることを改めて思い知らされもした。ある意味で世界の綻びともいえそうなこれらの事実が、今後どこかに影響してくる可能性はないのだろうかと少し心配になってくる。
◇前巻→「白銀の墟 玄の月(一)(二)」



















