phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。 (当ブログは全文無断転載禁止です)

カテゴリ: 小野不由美




政に関心を見せず、王宮の奥深くに閉じこもったままの阿選に対し、泰麒はかつて正頼に教えてもらった抜け道を使って直接接触を試みる。相対してもなお泰麒の訴えに耳を傾けない阿選だったが、驍宗を追い落とした理由を尋ねられたことで、自身と驍宗との関係について思いを巡らすように。一方、老安という里にたどり着いた李斎が聞かされたのは、6年前からこの里に匿われていた重傷の武人が、少し前に亡くなったという話だった。名は名乗らなかったというその武人の外見的特徴が驍宗と同じだったことから、絶望を深める李斎だったが……。

王を失い荒れる戴国の行く末を描くシリーズ第9弾、その完結編となる3〜4巻。行方不明の驍宗を探すため、李斎は消息を絶った場所といわれる山の周辺を巡り、泰麒は王宮内部で情報収集を試みながら、苦しむ民たちを救うために奮闘する姿が描かれてゆく。

前者では、行く先々で味方を増やしたり、あるいは阿選の目を逃れて生き延びていたかつての仲間たちと再会したりしつつ、6年前に驍宗に何が起き、どうなったかが明かされてゆく展開に。後者では、泰麒が「慈悲の生き物」とは程遠い深謀遠慮ぶりを発揮し、周囲を戸惑わせながらも阿選や自己保身に走る官僚たちと相対していく。3巻では仲間が増え、有力な手掛かりを見つけるなど、なんとなく明るい方向へと向かっていくのだが、4巻でまたしてもひっくり返されるという、最後の最後までどうなるか油断のできない展開にはハラハラさせられた。

その中で描かれていったのは、「王」という存在を巡る民たちの想い。一般の民にとって、王とは国の安寧そのものであり、自分たちの生活をダイレクトに左右するものだから、実際のところそれが誰であっても構わない――善政を敷いてくれれば一番いいが、最低でも「王」としてそこにいてくれさえすればいいのだ。しかし阿選の麾下にとっては、自分たちの主人が王であることが重要となってくる。だから彼らは自分たちの主に大義があるとして今もなお阿選に従っている――彼がかつて驍宗に何をしたのかを知っていても、いなくても。けれど時が経つにつれ、驍宗や泰麒に肩入れするものも出てくるようになる。それは人としての「正しさ」を求めての行動であり、あるいはこの世界を成立させるシステムそのものに対する信頼――つまりは「正当ではない王」に対する忌避感でもあるのだろう。李斎はこの捜索行の中で、自分が探しているのが「王」なのか「驍宗」なのかという問いを突き付けられることがしばしばあった。そしてそのたびに彼女は、「驍宗」という「人」を重要視していることを自覚することになる。正しさの基準を何に求めるかというのは意外と難しい話で、しかも私たちはきっとそれを無意識のうちに行っているからこそ、いざという時に判断を誤ることもある。今回の偽王にまつわる出来事は、そのあたりについてもいろいろと考えさせられた。

そしてもうひとつ、1〜2巻でもあらわになっていた泰麒の変貌ぶりについて。これまで見てきた他の麒麟たちとはまったく異なり、良くも悪くも「人間らしい」ものの考え方をする泰麒。それは蓬莱で凄惨な体験をし、今もなお王を失い国が荒れるのをただ見ていることしかできないという無力感からくるものだったのかもしれない。あるいはこれこそが、国を支えようとする麒麟の本能、その究極の発露であったのかもしれない。阿選が新王であると謀ったり、本来であれば本能的にできないはずのことを強い意志でもってやってのけたのも、これまでの経験があってこそなのだろう。角を失い、その存在意義を問われていた泰麒だったが、今回のエピソードで彼が麒麟であるということはこれまで以上に証明されたし、その神秘性も十分すぎるくらい裏打ちされたような気がするが、同時にその裏に――あるいははるか高みに――存在する「天」というものが恣意的に動いている可能性があることを改めて思い知らされもした。ある意味で世界の綻びともいえそうなこれらの事実が、今後どこかに影響してくる可能性はないのだろうかと少し心配になってくる。


◇前巻→「白銀の墟 玄の月(一)(二)」




荒廃の一途を辿る戴国に戻った李斎と泰麒は、かつて暗器使いとして軍で名を馳せていた項梁と共に、各地の道観を頼りながら、驍宗の足跡を追って函養山へと向かう。だがそのさなか、泰麒が項梁を伴い、李斎の前から姿を消してしまう。その泰麒は王宮へと向かい、偽王となった阿選と対峙する。阿選こそが新王であると主張し、台補として王宮内へと戻ることに成功した泰麒だったが、その立場は名ばかりで、幽閉されているのと何ら変わりない状況だった。そして泰麒だけでなく、誰の目から見ても、阿選は政に興味がないようで……。

約18年ぶりとなるシリーズ最新刊は全4巻構成で、10月と11月に2巻ずつ連続刊行される予定。1〜2巻では、李斎による驍宗捜索行と、泰麒による王宮内での状況がそれぞれ描かれてゆく。

李斎による捜索の過程で見えてくるのは、想像を絶する戴国の窮状と軋み。困窮しているのは民だけではなく、かつて民たちを搾取し、国から討伐されようとしていた土匪も同様だった。そもそもが食い詰めて土匪に落ちているのであって、彼らとて元は同じ戴国の民であることにかわりはない。そして彼らの存在は、主だった産業が鉱山の発掘というこの国においては必要悪であり、一朝一夕に攻め滅ぼしていいというものでもないということがわかってくる。このあたりが難しいところで、一概に誰が善で誰が悪かという二元論にできない、現実世界でも問題となりうる事態が浮き彫りになってくる。

一方で、泰麒は一計を講じて自ら王宮へと乗り込み、阿選と対峙し彼を新王だと宣言することで、事態を動かそうと試みる。しかしその内心はとてもではないが測り切れるものではない。最初は自分を襲い、驍宗を弑そうとした阿選を弾劾するためだと思っていた。次は、冬がやってくる前に民たちを少しでも救えるよう、台補としての実権を取り戻したいのだと思っていた。しかし、そのどちらも正解のようでいて、でも少し違うのではないか――あるいはそれ以外にも何かあるのではないかという印象が、物語が進むにつれどんどん膨らんでいく。泰麒は角を失ったことで、麒麟としての本性を失ったとも言われている。かつて、本作で「麒麟は天意の器」あるいは「代弁者」であるかのように語られている場面があったが、だとしたら今の泰麒は、まだその「器」であると言えるのだろうか。王宮内での官吏との押し問答中、一瞬だけ見せた異変。そしてあの心優しかった少年時代とはまったく異なり、不意に見せる酷薄な一面。本当の意味で、泰麒に何が起きているのだろうか。

そんな物語の間に、重傷と思しきある武人がどこかに匿われ、少年に看病されている情景が時折挿入される。もしこれが驍宗なのだとしたら――今のところそう読めるように描かれているが――、彼に訪れた結末はいったいどう解釈すればいいのだろうか。そしてもうひとつ、戴国内の、特に王宮内で起きている異変も気になる。人の流れや繋がりが見えず、知らないうちに人が消え、いつの間にか補充され、そして消えたはずの人が別の場所で働いていることがわかる。どこか茫洋としていて、はっきりと意志を持って行動している風でもなく、ただ「誰か」に命じられたことを伝達するだけ、しかもその「誰か」の意志すらも見えない。その光景はなんとなく「屍鬼」を彷彿とさせる。さらに、王宮内に大量に巣くう鳩の存在も不気味だし……とにかく、来月の続刊が待ち遠しい。


◇前巻→「黄昏の岸 暁の天」

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)
小野 不由美
新潮社
2014-03-28

王が即位して1年もたたないうちに、戴国はあっという間に復興を遂げた――かのように見えた。しかし泰王の統治の足下では地方での反乱が相次ぎ、ついには驍宗ゆかりの地である文州でも反乱が勃発。驍宗は自ら軍を率いて鎮圧に向かうが、途上で行方不明になってしまう。その知らせを王宮で受け取った泰麒は、驍宗を救うため使令を向かわせようとするが、まさにその瞬間、ある人物によって襲われてしまう。角を失った泰麒は本能のままに蝕を起こし、蓬莱へと流れてしまうのだった。それから約6年、戴の女将軍・李斎が満身創痍の状態で慶国の王宮へとたどり着く。朦朧とする意識の中、戴国を救ってほしいと懇願する彼女の言葉に心動かされた景王陽子は、まず行方不明の泰麒を探そうと試みるが……。

シリーズ8巻は2巻や4巻、そして7巻に収録されていた「冬栄」「帰山」の続編となるエピソード。国王・麒麟ともに不在となり荒れる戴国を救うべく、陽子たちが奔走するという展開に。

困っている国があれば、周辺の国がそれを助けてあげるというのは至極当たり前のことのような気がするが、この世界ではそれができないことがある。物資を送る程度ならいいのだろうが、王が軍を率いて他国へと入れば――それが武力行使ではなく、民たちを救うという理由であっても――、それは「覿面の罪」とされ、王と麒麟の両方がたちまち無残な死に至るという故事があったのだという。ただし、陽子が偽王と戦うため、雁の軍を借りて同行していた件については問題なかったのだとか。明文化されてはいないが、明らかに禁に触れるルールというのがこの世界には存在しており、陽子たちはそのルールをかいくぐりながら、戴国を救うための方策を講じることになる。

しかしそれに納得がいかないのは李斎(そして、もちろん陽子本人も)。天が麒麟を通じて選んだ王がなぜその道を失うのか、あるいは今回のように王を追い落とし、悪政を敷く人物が現れたとしても、なぜ天はそれを罰しないのか――そんな疑問を持つのも当然だし、ましてや蓬山において女仙を統べる存在である碧霞玄君のように、「天」に属する存在を目の当たりにしてしまったらなおさらだろう。しかし李斎の渾身の訴えを聞き、陽子はある答えにたどり着く。すなわち、「天」というものが実在するのであれば、それが完璧であるはずもなく、決してこちらを救ってくれる存在ではないのだということを。だからこそ、自らを救うのは自らしかありえないのだということを。

これまで見てきたような、あまりにも厳然と、かつ漠然としたシステムに支配された世界において、それを決めているであろう存在が、それゆえに例外を許さない存在であることは、理不尽にも感じるが一方で納得できることでもある。そんな世界で唯一のよすがとなるのもまた、王と麒麟という存在なのだろう。「魔性の子」を経て再びこちらの世界に戻ってきた泰麒は、王を探すために戴へ戻ることを決意する。もはやただ人同然となった彼が、しかし麒麟としての使命を胸に旅立つさまは、そのことを強く感じさせる。戴でいったい何が起きているのか、そして驍宗は無事なのか――実に18年を経てようやく続きが綴られることになったこの物語の行く末が気になって仕方ない。


◇前巻→「華胥の幽夢」


王の選定を終え、戴国へとやってきた泰麒。麒麟である泰麒は台輔としての役割も与えられているが、胎果であるためこの世界のしきたりがわかっていないうえ、まだ幼いということもあり、王である驍宗の役に立てないことを心苦しく、悩みに思っていた。その矢先、驍宗から使節として漣国へ向かうよう命じられる。元農夫であるという廉王と接する中で、泰麒は自分に何ができるのかを改めて考えることになり……。(「冬栄」)

シリーズ7巻は2冊目となる短編集。「丕緒の鳥」に収録されていたのは民たちの視点による短編だったが、今回は王やその周辺の視点による短編集となっている。

シリーズ2巻の後日談となる「冬栄」、4巻の後日談となる芳国が舞台の「乗月」、楽俊と陽子の手紙のやりとりを通じ、ふたりの現状(時間軸としては「風の万里〜」の前)を描く「書簡」、かつての才国で起きた新王の登極とその終焉を描くミステリタッチの「華胥」、そして6巻に登場した奏国の王族・利広と、風漢と名乗る流浪の男(その正体はどう見ても延王)との会話から、世界の現状が描かれる「帰山」の5作が収録されているのだが、個人的に一番興味深かったのは「帰山」だった。

いずれも歴代1位および2位の長きにわたって維持を続けている奏と雁の、それぞれから見たこの世界の危うさ。ふたりとも予想もしていなかった柳の現状は一体何を意味するのか。そして王が死んだといいつつその物的証拠が見受けられないという戴では何が起きているのか。それだけでもうすら寒い感じがするのだが、では奏と雁が今後も安泰かというと、そんなこともないというようなことを示唆するふたり。特に利広は、延麒六太と同じようなことを口にする――いわく、延王はいつかその気になって国を滅ぼすのではないか、と。こんなにも危うい地盤の上に、これらの国は成り立っている。あまりにもシステマチックな世界で、しかしその足元は薄氷の如く危ういのだということが、まざまざと感じさせられる短編だった。


◇前巻→「図南の翼」


先王が崩御して27年が経過している恭国。裕福な商家の娘である珠晶は、父を始めとする周囲の大人たちが昇山しないことに苛立ち、ついに家出して単身で蓬山へと向かう。途中で騎獣を奪われたりはしたものの、乾の街で偶然出くわした黄朱の猟尸師・頑丘を護衛として雇い、道中で知り合った旅の青年・利広と共に黄海へと向かうことに。しかし妖魔の潜む険しい山では苦難の連続で……。

シリーズ6巻は番外編的な長編。1巻や4巻よりはこれまた古い時代の恭国を舞台に、12歳の少女が王位を目指し昇山していく姿が描かれる。

これまでに作中で王となったのは慶国の陽子と雁国の尚隆だが、どちらも胎果であり、それぞれの麒麟が蓬莱に迎えに行って登極しているため、一般的(?)な国王選定の流れが描かれるのは本作が初めて。1年のうちに決められた日にしか出入りできず、妖魔が跋扈し人が生きていくには過酷すぎる黄海という山を、その地に詳しい大人が付いているとはいえ、12歳の少女が向かうとなると想像を絶するものがある。そんな無謀な賭けに挑む珠晶はしかし、年のわりには大人びた考え方の持ち主。身近なところでは自身と周囲の貧富の差に疑問を持ち、旅の中では頑丘のやり方に反発しつつも、その身をもって意図に気付く珠晶は、単なるワガママお嬢様ではなく、統治者の器を持つ者としてどんどん成長を遂げていく。だからこそ訪れた結末は納得のひとことだし、そこで珠晶が発した台詞にはある意味すっとさせられるものがある。

それはそれとして、この結末には同時にもうひとつ疑問が湧く――なぜ供麒は珠晶を自ら迎えに行ったのか。供麒に限らず、麒麟たちの中にはなかなかやってこない王にしびれを切らしたのか、自ら山を下り、王を探しに行くことがあるらしい。だとしたらなぜ最初からそうしないのか――昇山というシステムは王たる者を選別するためのふるいであるはずなのに――少なくとも皆そう思っているはずなのに――、この麒麟たちの行為はシステムそのものを意味のないものにしてしまう。これは物語世界の綻びの一部なのか、それとも昇山というのはそういうシステムではないという意味なのか……謎は深まるばかり。


◇前巻→「丕緒の鳥」


慶国に新王が起った。その即位の礼では「大射」と呼ばれる、鳥に見立てた「陶鵲」という陶器を飛ばし、これを射落とすという儀式がある。陶工である丕緒は新王のための陶鵲作りを命じられるが、この儀式が持つ意味の重さを知るがために、なかなか手をつけられずにいた。かつての師や同僚との出会いと別れ、そして歴代の王たちの末路を見届ける中で、丕緒は陶鵲作りの目的を見失ってしまっていて……。(「丕緒の鳥」)

シリーズ5巻は短編集。「yom yom」6号と12号にそれぞれ発表された2編と、書き下ろし2編を含む計4編が収録されている。

表題作の「丕緒の鳥」と「風信」は陽子登極前後の慶国、「落照の獄」は傾きかけているという現在の柳国、「青条の蘭」は王の不在で荒れるかつての雁国が舞台。いずれも主人公は民たちで、彼らの現実、そして「王」という存在にどれほどの希望または絶望を寄せているかというのがよくわかる内容となっている。王の政策は国を左右するが、そもそもその王がいないという、ただそれだけでも国は荒れていく――これは国という枠組みだけの問題ではなく、実際に天候が荒れ妖魔が出るという状況に陥ってしまうからだ。なぜここまで「王」という存在そのものが重要視される世界なのか――いったい誰のための「世界」なのかと、そう問いたくなってくる。いつかこの問いに答えが出る日は来るのだろうか。


◇前巻→「風の万里 黎明の空(上)(下)」




慶国の王となった陽子だったが、蓬莱生まれの女子高生だった彼女にとって、この世界の在り方も、仕組みも、そして王としてなすべきことすらもわからないことだらけ。しかも慶国では短命の女王が続いたため、誰もかれもが陽子の即位に対して失望を隠しておらず、陽子の苦悩は深まるばかりだった。芳国では現王の圧政に耐えかねた官吏のひとりが反乱を起こし、王と王妃を殺してしまう。残されたひとり娘の祥瓊は孤児として田舎に追いやられ、これまでとは正反対の貧しい暮らしを強いられる。そんな中、同じ年頃の少女が景王として即位したことを知った祥瓊。彼女への羨望はすぐに逆恨みへと変わり、祥瓊は景王を害してその地位を簒奪しようと考え始める。才国では、蓬莱から流されてきた少女・大木鈴が、言葉が通じず苦労を重ねていた。やがてある女仙人に希って自身も仙となり、言葉の問題は解決したものの、主人であるその女仙人からつらく当たられ、涙を流す日々。そんなある時、自分と同じく蓬莱からやってきた少女が景王となったことを知った鈴。彼女なら同じ海客として、自分の気持ちを理解してくれると考えた鈴は、景王に会うために慶国へと向かうが……。

シリーズ4巻は1巻の続編。それぞれ問題を抱える3人の少女たちが、悩み、苦しみながら成長していく姿が描かれていく。

1巻は王について、2巻は麒麟について、そして3巻は国について、胎果である陽子、泰麒、尚隆と六太の視点から「十二国」という世界の在り様が描かれてきたが、ここからは本格的に「十二国」の物語が始まっていくと言えるだろう。立場の違う3人の少女たち――陽子、祥瓊、鈴の3人の立場も、抱える想いも異なるけれど、その中心に「景王」という存在があることは共通している。そしてそれぞれが思い描く「王」という理想と現実とのギャップは、そのまま自分自身に対する理想と現実のギャップにも重なり合っていくのだ。

展開として面白いのは、祥瓊と鈴がそれぞれ「景王」に対して抱いている想いが、物語が進むにつれて真逆になっていくということ。そして祥瓊の考え方を改めさせるきっかけとなったのが、1巻で陽子を救ってくれた半獣・楽俊のおかげだということ。出来過ぎと言ってしまえばそれまでかもしれないが、最終的にこの3人が出会えたことも含めて、まさに天の配剤というべき結末なのだろう。出会うべくして出会った3人の未来は、きっとよりよいものであるに違いない。


◇前巻→ 「東の海神 西の滄海」


亡き先王の悪政と長きにわたる空位のため、荒廃の一途を辿る雁国。そんな中、新たな延麒である六太は、蓬莱で小松尚隆という小国の領主の息子と出会う。彼が新たな延王であることに気付いた六太は、ある出来事をきっかけに尚隆を王として選び、荒廃した雁国へと連れていくのだった。それから20年が経ち、雁国は少しずつではあるが復興しつつあった。しかし尚隆は目を離すとすぐに仕事をサボり、市井に降りてふらふらしており、数少ない味方の家臣たちからも呆れられる始末。そんな中、かつて六太が出会った、妖魔を従える少年――更夜が、六太を訪ねて王宮へとやってきた。再会を喜ぶ六太だったが、更夜の目的は六太を拉致すること。彼の背後には元州侯の息子・斡由がおり、その斡由は王に対して謀反を起こそうとしているという噂のある人物で……。

シリーズ3巻の舞台は1〜2巻よりもはるか昔の雁国。1巻に登場した雁国王・尚隆と、延麒・六太の物語となっている。

物語は2つのエピソードが交互に語られていく構成となっている。ひとつは尚隆が雁国を建て直す中で起きたある事件について。もうひとつは、尚隆と六太の出会いと、尚隆が王として雁国にやって来るまでのこと。どちらも描かれるのは荒れた国と争乱。血を厭う存在である六太にとっては歓迎できない展開ではあるが、そんな中で国とは何か、そしてこれを統べる王とは何かということが描かれていく。

尚隆を見て、これが雁を滅ぼす王だ、と感じ取ったという六太。その直感こそが、麒麟が王を選ぶ「天意」の発露であったことには間違いないだろう。しかしその言葉の中には、否定的な意味だけが含まれているわけでは決してないと思う。王というのはそういうものだ、と六太は続けてごちる。始まりがあれば終わりもある。永遠などというものは決してありえない。きっと誰を選んだところで、いつか終わりは来るのだから、せめてそれまでは正しくあってほしいという願いが、もしかしたらこの言葉には込められているのかもしれない。あくまでも麒麟は天意を顕すための器であり、そこに自分の意志はないとされる。しかしこの六太の言葉だけは、彼の本心なのだと、そう思う。


◇前巻→「風の海 迷宮の岸」


世界の中心にある黄海――その中にある蓬山には、神獣である麒麟が生まれ、暮らす宮がある。しかしある時、十二国のひとつ・戴国の麒麟である泰麒が〈蝕〉によって蓬莱へ流されてしまう。それから10年、ようやく発見され連れ戻された泰麒はしかし、人として生きてきたがために、麒麟としての知識をいっさい持っていなかった。獣形に転変することもできず、黄海に棲む妖魔を使令として下すこともできないまま、泰麒の前には戴国の王たらんとする人々が集まり始めて……。

シリーズ2巻は、「魔性の子」の主人公・高里少年であった麒麟・泰麒の運命を描く物語。

「麒麟」としての考え方も能力も、すべてはただの人間――ましてや異世界で育ってきた泰麒にとってはあまりにもかけ離れたもの。女仙たちに傅かれ、女怪を従え、本来の姿はヒトではなく麒麟。そんな「事実」を受け入れるだけでも大変なのに、そこにきて一国の王を決めるという途方もない使命を持つことになってしまった幼い少年の心中が穏やかであれるはずがない。「仁」の生き物であるからして、反抗したり暴れたりというようなことはないのだが、特に後半において、不安と絶望に押し潰されそうになっている泰麒の姿がなんとも痛々しくてたまらない。けれど、だからこそ、彼がついに麒麟であることを自覚し、その不安が洗い流されていくラストに心底ほっとした。

とはいえ、「魔性の子」を読むとわかるのだが、本作のエピソードは「魔性の子」における「神隠し」期間のできごとに過ぎない。やがて泰麒は再び蓬莱へと流され、麒麟としての記憶を失ったまま高校生になるまで成長することになる。その未来を思うと、ただもう恐ろしさしかない。この先、彼の身に一体何が起こるのだろうか。


◇前巻→「月の影 影の海(上)(下)」




家では両親の、学校ではクラスメイトや教師たちの言うことを聞き、波風を立てないよう日々を過ごしている女子高生の中嶋陽子。しかしある時から、暗闇の中で異形の獣に追われる夢を見るように。その矢先、校内で金髪の見知らぬ男性から名前を呼ばれた陽子。彼は「ケイキ」と名乗り、彼女を守りながらどこかへ連れて行こうとする。彼の言葉に戸惑い拒む陽子だったが、彼の周辺には人語を喋る異形、そして彼らに――ひいては陽子に向かって襲い来る異形が次々と現れた。「ケイキ」の指示により陽子は異形の背に乗せられて海を通り抜け、見知らぬ土地へと連れ去られてしまう。しかし途中でまたしても襲撃に遭い、陽子はたったひとりで海辺へと投げ出される。唯一手渡されていた剣を手に彷徨う陽子だったが、陽子は「海客」と呼ばれる忌むべき存在として追われるようになり……。

天帝によって創られた「十二国」を舞台とする異世界ファンタジーシリーズ、第1弾。今巻では現代日本からこの世界へと連れてこられた女子高生・陽子が、いかにしてここで生きていく覚悟を決めていくかという物語。

印象としては中国の神話で描かれるような感じだろうか――12の国に12の王、そしてこれを選び支える12の麒麟。天帝と呼ばれる大いなる存在の意志が世界のシステムにがっちりと組み込まれたこの世界で、右も左もわからない――もちろん土地勘という意味だけではなく、世界そのものを知らないとい意味で――少女が、身ひとつで人間や妖魔といった彼女を害する存在から命懸けで逃げてゆくという展開はあまりにも過酷で、読んでいてとてもつらくなる。もちろん彼女を追い詰めるのは知らない環境だけではない。陽子が手にした剣に映し出される、彼女がいなくなった後の「現実」は、彼女の心を容赦なく削り取ってゆく。しかしそれでも彼女は自死を選ぶことなく、ただ生きるために立ち向かっていく。

道中で、そして剣に映し出される「現実」のせいで、誰も信じられなくなった陽子。しかし彼女を助け、雁国まで同行してくれた半獣の楽俊・存在が彼女を救い、改めてその在り方を見直すきっかけをくれるのだ。彼女に課せられていた運命――ひいては彼女がこの世界に来るはめになった理由は驚くべきことではあったけれど、しかしこの旅のおかげで――楽俊のおかげで、彼女はその器を知らず知らずのうちに手にしていたことになる。そのことだけでも、彼女がいい王になるには十分だと言ってもいいのだろう。そんな彼女の今後の活躍にも期待したい。


◇前巻→ 「魔性の子」

魔性の子 十二国記 0 (新潮文庫)
小野 不由美
新潮社
2012-06-27

教育実習生として母校に戻った大学生の広瀬は、初めて参加した担当クラスのホームルームで、明らかに異質な生徒の存在に気付く。高里というその生徒は、幼い頃「神隠し」に遭っており、それ以来、彼の周辺では不審な事故が起きるため、「高里は祟る」と噂され、周囲からまるでいないもののように扱われているのだという。そんな中、橋上という生徒が神隠しのことを聞きつけ、わざわざ本人に尋ねにやってきた。高里は淡々と事実を認めたが、その日の放課後――体育祭の準備中に、橋上、そして彼に神隠しのことを伝えたというクラスメイト・築城が相次いで怪我をする。見舞いがてら事情を聴きに行った広瀬に、ふたりはそろって怪我の原因が自分の不注意ではなく、道具が勝手に動いたり、あるいはそこにあるはずのない謎の「白い手」が出てきたりしたせいだと訴え……。

講談社ホワイトハートから刊行されていた(のちに講談社文庫、そして新潮文庫から再刊行)異世界ファンタジーシリーズ「十二国記」。本作はその序章として新潮文庫から刊行されていた、オカルトファンタジー長編。

神隠しに遭い、しかし1年後に戻ってきたという高里。しかしその1年の間に何が起きたかはまったく覚えておらず、だからできればそれを思い出したいのだという。そんな彼の周囲には「祟る」という不穏な噂が付いて回る。彼に悪意を持って――時にはそうでなくとも――接触、干渉した人物は、次々と怪我をし、あるいは死に至りさえもする。かつて臨死体験のようなものを経験したことがある広瀬は、そんな高里にどこか共感を得てしまい、親身に彼に接するように。しかしたった10日程度の間に、高里の「祟り」はより凄惨に、かつなりふり構わない方向へとエスカレートしていく。この「祟り」を起こしているのは何者なのか、そして何が狙いなのか――という謎が膨らんでいく中、広瀬は自分と高里の決定的な「違い」を突き付けられることになるのだ。

広瀬はこの「祟り」を高里のエゴが引き起こした超常現象だと決めつけた。しかしそのレッテル貼りこそが、高里に抱いている想いが屈折し始めていることの証左だったのかもしれない。本編は読んでいるため、高里の正体はこちらにはすでに分かっている。だからこそ、ふたりの違いはあからさまに見えてくる。広瀬の恩師である後藤の言葉は確かに正しく、そして広瀬は絶望を深めていくことになる。けれど高里が自身の正体を思い出したその時、波はすべてをさらっていく。広瀬の絶望も、エゴも、なにもかも。おそらく高里はその本性ゆえに、広瀬と過ごしたことも含め、すべてを忘れ――もしくは気に留めることなく元の世界へと戻っていく。しかし残された広瀬はそうではない。似て非なる存在だった高里のおかげで、ようやく現実と向き合うことができるようになるのかもしれない。それは本人にとっては不幸なことであり、同時に幸福なことであるはずだと、そう信じたい。

鬼談百景 (角川文庫)
小野 不由美
KADOKAWA/角川書店
2015-07-25

Yさんの学校には「未来へ」と題された、男女1組の銅像がある。それぞれ背中合わせに立ち、タイトルの通り、どこか遠くの未来を指さしているかのような像の、その指先はいずれも切り落とされていた。実はこの像が設置されたころ、少女像の指先は校舎のある窓を指していた。するとその窓から転落する生徒が相次いだという。その後、校舎の改修により位置が変わり、少女像は別の窓を指すように。すると今度はその別の窓で事故が相次いで起こり……。(「未来へ」)

「幽」1〜9、11〜13号に連載された怪談「鬼談草紙」を改題し書籍化。書き下ろしを含め、99の掌編が収録されている。

1編につき1〜3ページ程度の短い話ばかりではあるが、例えばオカルト雑誌や番組に寄せられた「読者/視聴者の怖い体験談」のようなテイストの話がずらりと並んでいるという、それだけで恐怖を呼び起こされるような1冊。100本灯した蝋燭を1本ずつ吹き消しながら怪談を語っていく「百物語」のようでもあるが、収録されているのは1編足りない99編である……という構成自体からも、何か(悪いことが)あるのではないかという不安をかき立てられる。さらに言うなら、同時期に刊行された「残穢」で出てきた読者エピソードと同じものも収録されているので、まるで本作が「残穢」の中に存在している物語のような気がして、ますますぞっとさせられた。一説には欠けた1編こそが「残穢」なのだといわれているが、まさにその通りだと思った。

営繕かるかや怪異譚 その弐
小野 不由美
KADOKAWA
2019-07-31

弟と両親が死に、管理を任せていた祖母も亡くなったため、10年以上ぶりに実家へと戻った貴樹。かつて弟が引きこもっていた――そして自殺した――部屋を整理していた貴樹は、柱と壁の間に隙間があり、そこから裏の家の中が見えることに気付く。いつからか聞こえていた三味線の音はそこから漏れてきていたらしく、中には芸妓と思しきひとりの女がいた。彼女は日がな一日部屋にいるようで、三味線の練習をしたり、何か手紙のようなものを読んで泣くなどしていた。その姿から目が離せず、貴樹は弟の部屋に入り浸って彼女を見つめるように。やがて彼女に会ってみたくなった貴樹は、その部屋の持ち主である料亭の女将を訪ねるも、貴樹の言う部屋には誰も住んでいないと言われ、実際に誰もいないし使われてもいないその部屋の中を目の当たりにすることに。さらにその直後、庭師と思しき男が貴樹の元を訪れ、彼女のことを見てはならない、あれはあなたの命を取るものだ、と告げ……。(「芙蓉忌」)

古い建物や町屋が多い城下町に現れる怪異を、それが憑いている建物を修繕することで解決したりしなかったりするホラー短編集第2弾。約4年半ぶりとなる続編には、雑誌「幽」「怪と幽」に掲載された6編が収録されている。

誰もいない部屋で泣き暮らす芸妓、夕暮れの神社に現れる鬼、死んだはずの猫が夜な夜な戻ってくると訴える息子、古民家リフォームに燃える女性を襲う悪夢、水死した同級生に取り憑かれ死を予感する男性、そして祖母の家の屋根裏に現れた血塗れの幽霊……そんな怪異に悩まされる人々の前に偶然、あるいは依頼されて現れるのが、営繕業を営む尾端という男性。本人が喧伝しているわけでもないのに、なぜか「そういう事案が」よく持ち込まれると困惑している風もある尾端だが、いくつか話を聞き、家の状態を見ただけで、すぐさま理由を察知してしまえる能力はやはり尋常のものではない。

今回も尾端が関わることで問題は解決したり、しなかったり。尾端は家を直すのが仕事であり、そのおかげで怪異が解消することもあれば、そうならないこともある。後者の場合、その怪異とどう向き合っていくかは結局その家の持ち主次第。自分の持ち物については自分で解決し、あるいは折り合いをつけるしかないのだ。けれどそうやって問題と向き合うことで、別のものが視えてくることもある。家に住むということは生活であり、ひいては生きていくということにも繋がる。だからこそ、自分のみに留まらず、周囲との関わりにも繋がっていくことになるのだ。そう考えると、怪異といえど、そんなに悪いものでもないのかもしれない、と思わなくもない。怖いものは怖いけれど。


◇前巻→ 「営繕かるかや怪異譚」

屍鬼〈5〉 (新潮文庫)
小野 不由美
新潮社
2002-02-28

敏夫は千鶴を自ら招き入れ、血を与えたうえ彼女の言うとおりにカルテを燃やし、隠蔽工作に手を貸すことに。おりしもその夜、村では夏から続く凶事を祓うため、霜月神楽が盛大に行われていた。興味を示した千鶴を神社に連れて行った敏夫は、巧みに彼女を誘導し、彼女が「生きていない」ことを周囲に示す。果たして暴徒と化した被害者の家族たちは千鶴を殺し、そのまま屍鬼狩りを開始するのだった。一方、兼正の屋敷に向かった静信は、屍鬼に自らを差し出した父親の絶望を知り、そのまま沙子たちに自ら捕らわれる。しかし敏夫が中心となった住民たちの包囲網は確実に兼正の屋敷に迫りつつあった……。

夏から始まった悲劇、その顛末を描くシリーズ最終巻。

おそらく敏夫はわかっていて千鶴を神社へと引き出したのだろう。人は自分が信じたいもののみを信じるものであり、そうなったら最後、彼らは確証がなくとも周囲の声に流され、暴徒というひとつの塊となって荒れ狂うことを。住民たちは生前の姿を知っていたとしても、屍鬼と化した人々を容赦なく殺してゆく。中には疲れ果て、そのまま姿を消す者もいた。しかし一方で血に酔い痴れ、自身も知らなかったであろう残虐性をあらわにした者もいた。敏夫と静信は、そんな光景をどれほど冷静に見つめられていたのだろうか。

父親の絶望を知ってもなお、かつての自殺未遂の理由――自身への殺意の根源がわからなかった静信。しかし追い詰められ、その孤独を剥き出しにした沙子の姿を見つめるうちに、あるひとつの答えにたどり着く。それはヒトと屍鬼の関係によく似ていた。自分が存在するために、相手を――あるいは自分を殺す。そうでもしないと自分が「存在」することができないと、あの日の静信もそう感じていたのかもしれない。彼をそこまで追い詰めたのは一体何だったのかは実際のところはっきりしていないようにも思えるが、しかし彼は自身の「存在」のために自身を消そうとした。そうしなければ存在することができなかったから。そして敏夫もまた、自身の「存在」のために屍鬼を消そうとした。そうしなければ「医師の尾崎」として生きてきた意義が保てなかったから。けれどその結果に訪れたこの状況は、果たして彼らの「存在」を保つに足りうる強度を有していただろうか。

答えはわからない。ひたすら押し寄せる徒労感の中で、けれどふたりが確実に理解したことはあった。それは、自身の「存在」を保つためには世界に抗うしかない、ということ。そうして静信は沙子と共に世界に抗い続ける。敏夫がどうなったかはわからないが、きっと彼もまだ、どこかで抗っているのだろうと、そう思う。


◇前巻→「屍鬼4」

屍鬼〈4〉 (新潮文庫)
小野 不由美
新潮社
2002-02-28

これまでの奇矯な振る舞いのため周囲から敬遠されていた老女・伊藤郁美が、外場の現状は兼正のせいであり、死んだ人々は起き上がりに襲われたのだと声高に主張し始めた。それを知った敏夫は郁美をたきつけ、兼正の屋敷へと向かわせる。しかし昼間にも関わらず桐敷正志郎は現れ、敏夫も彼が生きた人間と同等の存在であることを目の当たりにさせられるのだった。さらにその頃、敏夫の妻である恭子が発症。敏夫はつきっきりで看病している――と見せかけ、そのまま恭子の死を見届けると、彼女の甦生を待って人体実験を繰り返していた。これら一連の行動を知った静信は敏夫を激しく非難し……。

屍鬼の襲撃がエスカレートし、絶望が積み重なってゆく第4巻。

郁美の行動のせいで、もう誰も「起き上がり」――屍鬼の存在を信じようとはしなくなった。同じく屍鬼となった恭子で実験したおかげで、屍鬼に対する対抗策は見つかったものの、誰もこの事態を屍鬼という存在によるものだということを信じない上に、役所に提出されていたはずの死亡届も握りつぶされており、文字通りの手詰まり感に苛まれる敏夫。一方で静信も、一度は敏夫の考え方――屍鬼をどうにか排除すること――に傾きかけていたはずなのに、敏夫の非道ともいえる行為のために再び心を閉ざしてしまう。確かに敏夫が恭子に対してしたことはあまりにも残酷ではある。敏夫本人も自分が正気でなかったことを後に認めてはいる。しかしその「残酷」と感じることについての是非は、前巻で静信が自問していた「ヒト」と「屍鬼」の関係性によるところが大きいのだろう。ヒトを襲うことに嫌悪感を抱く徹に対して沙子が告げた言葉はある一面では真実で、そして静信の考え方にも近いのだと思う。もうこれは善悪を越えた、種族の存亡という部分に根差す問題にしか落とし込めないものなのかもしれない。

そうして気付けば外場という集落は死に絶えつつあった。夜になると活気づく村。空き家に人が戻ってきたり、見知らぬ人が転居してきたり。しかし戻ってきた「人」たちは、少し前に亡くなった人ではなかったか――生き残った住民たちの間に少しずつ疑念の種が芽吹きつつある中、敏夫のもとに現れたのは桐敷千鶴。一方で静信は自ら沙子の元へと赴く。事情を知る、あるいは真実に最も近付いているふたりが屍鬼の中枢に近付いた時、いったい何が起きるのだろうか。


◇前巻→「屍鬼3」

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