phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。 (当ブログは全文無断転載禁止です)

カテゴリ: 2024年

トライロバレット (講談社文庫)
佐藤究
講談社
2024-12-13

佐藤究「トライロバレット」
文庫書き下ろしとなる本作は、アメリカはユタ州に住む高校生が主人公の「新ヒーロー小説」。内気な性格で、目立たない生徒だったバーナム・クロネッカーは、ある日突然人気者の同級生コール・アボットからいじめの対象としてロックオンされてしまう。ロッカーの扉を接着剤でくっつけられたり、ジャガイモを投げつけられたり、突然写真を撮られてSNSに拡散されたり。そんな中でバーナムが出会ったのは、同じくいじめの標的にされている同級生・タキオだった。同じ被害者同士、なんとなく仲良くなるふたり。しかしある時、バーナムの父親が職場で事故死。現場へ向かうバーナムの前に現れたのは、彼が愛する三葉虫をモチーフとした衣装をまとう謎の人物。その人物はバーナムに「君にトライロバレットになってほしい」とささやくのだった――そこから物語は急展開を迎える。銃社会であるアメリカで他社を攻撃するのは簡単だ――銃を使えばいいのだから。そしてバーナムの通う高校で銃の乱射事件が起きる。さて犯人はいったい誰なのか――そしてヒーローとは誰のことなのか。予想だにしなかった顛末には驚かされる。


暗号の子 (文春e-book)
宮内 悠介
文藝春秋
2024-12-05

宮内悠介「暗号の子」
2019〜2024年にかけて各種媒体で発表された8本が収録されている短編集。特によかったのは以下の通り。

・「暗号の子」
ASDの人々が集う匿名グループに参加していた梨沙。しかしその一員がテロ事件を起こしたことで、グループ自体が危険な組織とみなされて攻撃されてしまう。グループを守りたい一心でマスコミに顔を出し、評論家のような立場になってしまった梨沙だったが、世論のありようが次第に彼女を追い詰めていく。そんな彼女を救うきっかけになったエピソードがいい。

・「ローパス・フィルター」
ローパス・フィルターと呼ばれるアプリをめぐる物語。それはSNSの中で発せられる過激な発言を間引いて表示させるブログラムで、最初はあるアプリの付属的な要素に過ぎなかった。しかし攻撃的な発言に疲れた人々に広く受け入れられた――が、やがてその「間引き」の条件を巡って問題が起きるように。語り手は知人のエンジニアと共にそのプログラムの解析を行い、ある結末に至る。そのシビアな真相にぞっとさせられる。

・「明晰夢」
ある意味で禅問答のような、もしくは身も蓋もない感じで言うなら「五十歩百歩」みたいな短編。「ルーシッド(明晰夢)」と呼ばれるアプリはかつてのLSDのような作用をもたらすものだった。それに耽溺する若者たちを見て、LSDを推進する人々が反発を始める。幻覚に没入するとしても、それは仮想空間で行われるのと、薬物によって脳内で行われるのと、いったいどちらが「アリ」なのか――。


アサッテの人 (講談社文庫 す 36-1)
諏訪 哲史
講談社
2010-07-15

諏訪哲史「アサッテの人」
第50回群像新人文学賞および第137回芥川賞を受賞した、著者のデビュー作。語り手である「私」がめくるのは、自身でものした叔父にまつわる物語。その大半はその妻の視点から描かれたものだったり、あるいは叔父自身の日記によるものだったりする。叔父を題材としているのは、その叔父が数年前に妻を亡くし、そして現在は黙って行方をくらましているからこそ。その叔父はかつて吃音を患っていたが、ある時突然それが「治り」、かわりに「アサッテ」の言葉を得てしまったようなのだ。叔母の目からすれば奇行にしか見えない「ポンパ」だの「タポンテュー」などという謎の言葉。本人にしてみればそれは単なる言葉であるようにも見える――少なくとも語り手や、生前の叔母の目からすれば。しかし叔父にとってはそうではなかったようで、第三者の目(どちらかといえば耳?)からは自然な「奇行」として映っていたその「アサッテ」な発言も、彼にとっては言葉を重ねれぱ重ねただけ、奇行ではなく凡庸に陥っていた可能性がある。だからこその失踪であるならば、語り手が叔父について語ることが次第に困難になるのもそれゆえのことかもしれない。

小説
野崎まど
講談社
2024-11-19

野崎まど「小説」
著者の久々の新作はタイトルが「小説」というまさかの物語。小説を読むことをこよなく愛する少年・内海は、彼の勧めで同じく読書にハマった同級生・外崎と共に、学校近くの古びた屋敷に足を踏み入れることになる。その屋敷の主は小説家だというが、名前を教えてもらえることはついぞなかった。しかし彼の蔵書を読むことを許されたふたりは屋敷に通いつめ、それは高校生になっても変わることはなかった――けれど、ひょんなことから内海は、外崎が凄まじい文才の持ち主であることに気付いてしまう。そこからふたりの道は少しずつ、しかし確実に分かたれていくのだった――小説を読む者は、いつか書かなければならないのか。「読む」ことと「書く」ことは対になることなのか。そもそも「小説」とはなにか。行方不明になった外崎を探す中で、内海はその深奥にたどり着くことになる。最後に置かれた1文、それこそがこの「小説」のすべてだ。


秋葉断層 特命捜査対策室 (文春e-book)
佐々木 譲
文藝春秋
2024-11-25

佐々木譲「秋葉断層」
警視庁において未解決事件を専門に扱う「特命捜査対策室」シリーズから久々の新作。第3弾となる本作は2023〜2024年に「オール讀物」で連載されていたもので、秋葉原で27年前に起きた轢き逃げ事案の真相を暴いていく展開に。今回の水戸部の相棒となるのは、万世橋署交通課に所属する柿本。やる気のなさだけでなく、柿本の方が水戸部より年上であるということもあいまって、当初はどうなることかと心配もしたが、日を追うごとに柿本もやる気をも見せるようになってきてひと安心。一方で事件の方は、27年も経過していることもあって難航。轢き逃げではなく怨恨による殺人の可能性は浮上してきたものの、これといった確証は得られない。だからこそ今回の幕引きはなんともいえないものに。けれどこれもまた、コールドケースを取り扱ううえでは避けて通れない現実なのかもしれない。

【前巻:代官山コールドケース】


町田そのこ「コンビニ兄弟3−テンダネス門司港こがね村店−」
コンビニチェーン「テンダネス」の門司港こがね村店が舞台の短編連作集第3弾。今回はパート店員・中野の推しアイドルが店に現れてさあ大変!だったり、結婚を機に大分にやってきてホームシックに悩まされている女性がド派手な女性に出会ったり、前巻のラストで現れた謎の美女の正体がわかったり……の3本立て。ちなみに2本目は門司港の外でのエピソードではあるのだが、「ド派手な女性」がツギと関係があることが判明するのでまあ誤差範囲内ということで(笑)。そしてやはり一番気になったのは3本目のエピソード。ツギを探してやってきた美女――神崎華に頼まれ、彼女の姉の結婚式に同席することになったテンダネスのバイト・廣瀬。そこで彼はツギと神崎の過去を知ることに。なんともやりきれないエピソードではあるのだが、予想外のオチには救われる。ちなみに今回はわりと影の薄い店長だが、なんとナンパした相手がタチの悪い幽霊で、ファンクラブの方々と一緒に除霊の旅に出ていたため不在だった模様……ってどういうこと(笑)。



町田そのこ「コンビニ兄弟4−テンダネス門司港こがね村店−」
続いて最新第4巻。今回は2本立て+αで、前半は離婚して門司港にやってきた女性が、テンダネスを通じてひとり立ちする自信をつけるエピソード。後半はヒーローになりたい青年が、このたび決まったテンダネスのマスコットキャラの中の人になってしまうという展開に。後半の熱い友情物語も見ものだが、個人的には前半の主人公が意外なところで店長と関係があったというオチがいい。そして「+α」の部分(プロローグとエピローグ)は店長ファンの和歌が前巻の除霊話に関わっていたという内容なのだが、ここで和歌が霊験あらたか(?)な山で出くわした謎の男は、店長の兄(つまり志波兄弟の長男)ということでFA……!?(笑)


【前巻:コンビニ兄弟2】


新庄耕「地面師たち アノニマス」
「小説すばる」および特設サイトに掲載された、シリーズの前日談となる短編集。後藤・竹下・麗子はハリソンといかにして出会ったのか、辰はどのようにハリソンと接触し、そして取り逃がしたのかというエピソードが描かれる。また川合菜摘が夫と別れて尼僧となった経緯、長井の過去、そして青柳が地面師に騙されるほど焦るきっかけとなったトラブルについても。どのエピソードもさほど長くないのだが(30〜40ページ程度)、本編の裏側が垣間見えて面白い。

【本編:地面師たち】



堂場瞬一「小さき王たち 第三部:激流」
約50年前に始まった政治家の田岡一族と新聞記者の高樹一族との確執を描く本シリーズもこれにて完結。舞台は現代に移り、コロナ禍の中で新聞記者になった高樹の孫・健介と、政治家になることを期待されつつも現在はテレビ局に勤務している田岡の孫・愛海が主人公となっている。同じマスコミに属しながらも、それぞれ祖父から両家の確執について聞かされ、その最前線に立たされるふたり。そういえばふたりの父親――つまり前作の主人公――はどうなったかというと、その後はどちらもイマイチぱっとせず(和希は前作のトラブルがきっかけで左遷されて地方回りだし、稔は政治家にはなったもののパワハラするわ金をばらまくわでロクなものではない)だからこそ孫たちにすべてが託されているという状況に。しかし隔世の感とでも言おうか、最初は祖父たちの思惑に従っていたふたりだったが、いつしか惹かれ合うようになり、新たな道を模索し始めるのだった。もはや妄執――というか単なる年寄りの意地の張り合いのようにも見えてきて(実際にもその通り)、だからこそ孫の世代がとった行動にスカッとさせられる。ふたりの前途は多難だとは思うが、お幸せに!ということで。

【前巻:小さき王たち 第二部:泥流】


松嶋智左「虚の聖域 梓凪子の調査報告書」
作者のデビュー作にして「第10回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞作がついに文庫化。主人公の梓凪子は元警察官の女性調査員。亡き父母の代わりに自分を育ててくれた姉・未央子からの依頼で、彼女の息子である輝夫の死の真相を追うミステリー長編となっている。飛び降り自殺をしたとされた甥のため、彼が通う学校という「聖域」に踏み込む女性――というとなかなか感動的な物語のように見えるが、本作は必ずしもそうではない。まずその甥とは疎遠だったし、どころか依頼してきた姉の未央子ともあまり仲が良くないという状態。姉妹間の確執や負い目に追われるように調査を進める凪子だが、当初想定されていた「学校内のいじめ」という理由から自体はどんどん乖離していく展開に。タイトルの「聖域」というのも、当初は輝夫が通う学校そのものかと思われたが、次第に別の様相を呈していき、衝撃的なラストの一文へと繋がっていく――最後の最後まで結末が読めない展開はデビュー当時から健在だったのだ、と驚かされる。なお本作には続編があるそうなのだが、そちらは凪子の警官時代の物語だという。本作でもほのめかされていた、彼女が警察を辞めるに至った「事件」とはいったいなんだったのか。気になるのでそちらの文庫かも待たれるところ。



竹岡葉月「旦那の同僚がエルフかもしれません」
新作は作者お得意の「おいしいごはん」ものだが、今回のおもてなし相手は異世界の住人!?ということで、主人公のひばりが、元「異世界の勇者」だった夫の仲間やらなんやらの胃袋をつかんでいく(?)おもてなしファンタジーな物語。ひばりの夫である伊吹は、かつて異世界ランズエンドに召喚され、勇者として魔王を倒したという経歴の持ち主。とはいえ魔王を倒してめでたしめでたし……とはならず、その後もランズエンドの騎士団に所属し、その平和を守る任務に尽力しているという。そんな設定もさることながら、他の元勇者が召喚システムとこれに基づいた治安構想をまとめあげ、こちらの世界で企業として運営しているという設定もなかなか突飛で面白い。とはいえ主人公はあくまでも普通の主婦(しかも新婚ほやほや)。家にやってくる夫の「同僚」や「取引相手」がエルフや人狼、さらには魔族のお姫様だというのだからさあ大変。さらにそんなおもてなしの合間に試される夫婦の絆も気になるところ。

傲慢と善良 (朝日文庫)
辻村 深月
朝日新聞出版
2022-09-07

辻村深月「傲慢と善良」
2024年に映画化もされた恋愛ミステリ長編。婚約者の坂庭真実が姿を消し、西澤架は彼女を探すためその過去に迫ることとなる。ストーカーに追われていたといい、そのことがきっかけで同棲、そして結婚を決めたふたり。ならばこの失踪はストーカー絡みなのかと考える架は、出会う前まで住んでいたという真実の地元へ向かい、婚活相手や職場の同僚などに話を聞いて回るが、どこにもストーカーの痕跡など見当たらない。手がかりがなく日々が過ぎる中、架は思いがけない話を耳にすることに。前半は架、後半は真実の視点から綴られる本作は、タイトルにもある「傲慢」と「善良」というこのふたつのキーワードがひらめいては消えていく。傲慢であることと善良であること、このふたつはまったく違うことのように見えるが、実はこのふたりの間では表裏一体をなしていたのだ。今まで「善良」の表れだと思っていた事柄が、実は「傲慢」からなるものだと気付いた瞬間――あるいはその逆も――に、ふたりはようやく、たったひとつのシンプルな感情を掬い取ることができたのかもしれない。


うそコンシェルジュ
津村 記久子
新潮社
2024-10-30

津村記久子「うそコンシェルジュ」
最新作品集となる本作は、2016〜2024年にかけて各種媒体で発表された11本を収録。この中で特によかったのは以下のとおり。

・「うそコンシェルジュ」「続うそコンシェルジュ――うその需要と供給の苦悩篇」
とある知り合いと距離を置きたくなったためにうそをついたみのり。以降、彼女はなぜか周囲の人々から「うそ」をつくことを頼まれるようになってしまう。うそをつくコツをつかんでしまっているみのりは、渋々ながらもその依頼に応じるように。「うそも方便」の精神で進む物語であり、ここまで大真面目に「うそ」が横行し、そしてそのおかげで問題が解決していくという流れは面白いのだが、当事者であるみのりにとっては面白いだけではすまされないものがある。うそをついて感謝されるというこの奇妙なねじれが、本作のおかしみ(またはかなしみ)を加速させているような気もする。

・「我が社の心霊写真」
専務にまつわる心霊現象を目の当たりにする「私」。ある時は写真に写っている専務の背後に女の顔が。またある時は会議の音声記録を文字に起こしている際、専務の発言の背後から女の声が。やがてその正体が、1年前に亡くなった駒井という女性社員であることがわかった「私」は、駒井の夫に話してみることに。ラストはなんだかしんみり。

・「買い増しの顛末」
亡くなった祖父がまとめ買いしていたのは、すでに廃盤になった緑色のペン168本だった。母親から受け取ったものの、自分で使い切れるわけもなく、譲渡先を探し始める「私」。そこでフリマアプリなどで販売するのではなく、文具関連のインフルエンサーに協力を仰ぎ、本当に欲しがっている人を探すという展開がいいし、その人々となぜか物々交換をしているのもいい。なんだかわらしべ長者のようでほっこりさせられる。


堂場瞬一「小さき王たち 第二部:泥流」
大河マスコミ政治小説、第2部となる本作の舞台は、前巻から約25年後の1996〜1997年。高樹治郎は東日新聞社会部部長、田岡総司は衆議院議員にして党の重鎮となりつつある。そして治郎の息子・和希は父親と同じく東日新聞の記者に、総司の息子・稔は父の私設秘書として働いている……が、やはり世代が違うので仕事に対する熱意や意欲はややトーンダウン気味。しかしそんな彼らの仕事観――否、人生観を変えてしまうような「事件」が今回も起きることになる。物語は前巻同様、高樹と田岡双方の視点(とはいえ父と息子それぞれの視点になるので倍にはなっているが・笑)から描かれるので、今回の「事件」が田岡の差し金であることは早々に判明するつくりとなっている。しかしわかっていても結末は読めないし、最後まではらはらしながら読まされた。しかも前回の痛み分けと異なり、今回は明らかに白黒はっきりついた結末。完結編となる次巻は三代目――治郎や総司の孫の代に引き継がれることになるようだが、今からどんな展開になるのか気になって仕方がない。

【前巻:小さき王たち 第一部:濁流】


ブラックキャット
松嶋 智左
光文社
2024-10-23

松嶋智左「ブラックキャット」
新作は警察小説ではあるのだが、タイトルにもあるようにブラックな問題を抱えた女刑事が主人公の描き下ろし長編。群馬県警の捜査一課に所属している白澤蕗は、幼い頃の事故がきっかけで負い目を抱えている兄に脅され、署内で保管していた現金を盗んでしまう。さらにその穴埋めとして元検事の男から金を借りるのだが、なんとその男が他殺体として発見されてしまい、蕗もその捜査に携わることになるのだ。警察官として強い正義感を持つ蕗だが、自身の犯してしまった罪をどうにか隠蔽しようと、捜査のかたわらで様々な小細工を弄する羽目になり、次第に追い詰められていく。様々な問題が次々と噴出し、いつバレるのかと気が気ではない展開が続いてあっと言う間に読み終えてしまった。ゆえにラストで蕗が見せた振る舞いがなんとも気になる。狡猾な黒猫はいったい誰のことだったのだろうか、と。


青木祐子「これは経費で落ちません!12〜経理部の森若さん〜」
気付けば経費の話はあまりしなくなっているのだが(笑)、経理ならではの問題もあれば、沙名子自身の問題も進行中で……なシリーズ12巻。今回はついに沙名子と太陽の結婚問題に決着が――つまりは晴れてご結婚おめでとう!ということで。
しかしながら結婚へ向けての様々なタスクは、ひとつ終わったかと思えばまた次の新たな問題が。結婚といえば次に問題となるのは出産。ここでもイーブンを求めようとする沙名子だが、妊娠・出産という女性の身体に多大な負担をかける事項を夫とイーブンにするとうのはどだい無理な話。となるとどこまで妥協――というと言い方が悪いのかもしれないが、どこまで受け入れるかの線引きは、沙名子自身がジャッジするよりほかはない。社内での既婚者(特に子持ち)たちの話につい聞き耳を立ててしまう沙名子がなんともいじらしい。一方で社内では業務効率向上のための新システムが導入されることになり、経理は沙名子が担当となってしまう。このあたりの流れもわかる!とかみしめながら読んでしまったりして(笑)。そんな問題も抱えつつも迎えた人生最大の転機。これから沙名子がどう変化するのか――あるいは変化しないのかが気になるところ。

【前巻:これは経費で落ちません!11〜経理部の森若さん〜】



堂場瞬一「小さき王たち 第一部:濁流」
3世代にわたる政治家とマスコミの攻防を描く大河政治マスコミ小説、第一部となる本作はまさにすべての始まりのエピソードが描かれる。1970年代の新潟で再会した幼馴染のふたり――高樹治郎は全国紙の新聞記者、田岡総司は大物政治家の父親の秘書として働き始めていた。総選挙で県内が揺れる中、大規模な選挙違反の噂を複数耳にした高樹。しかもその中心人物が田岡である可能性が高いという。最初は政治家と新聞記者という互いの立場を利用しようとお互いに考えていたふたりだが、その関係は次第に変化していくことになる。しかしここで「友情と正義との間で揺れる」という展開にはほとんどならず、田岡は自身の信じる正義のために悪事(といっても本人としては「必要悪」と考えている)に手を染め、高木は田岡を記者として追い詰めていく。しかしそんなふたりの信念が真っ向から衝突した、その先に待っていた結末には驚くばかり。どちらの信念が勝った――勝ち負けの問題ではないのだから、厳密には「上回ったのか」とでもいうべきか――のかと言われると疑問符はつく。なんなら痛み分けともいうべき結末だっただろう。しかしこの因縁はここでは終わらない――それでもふたりの人生は続くのだから。お互いに人生のパートナーを得て、さらに仕事上でも大きな転機を迎えたことで、物語は次の世代へと引き継がれる。

不機嫌な青春
壁井 ユカコ
集英社
2024-10-04

壁井ユカコ「不機嫌な青春」
2011〜2012年に様々な媒体で発表された短編3作に描き下ろしを加えた青春SF短編集。タイトルにもあるように、どこか問題を抱えた思春期の少年少女たちと「すこしフシギ」な環境というのはとても相性がいいと思う。この中で一番良かったのは書き下ろしの「ハスキーボイスでまた呼んで」。大学入試の日に、困っていたところを助けてくれた江維子に一目惚れした圭眞。のちにふたりは結婚し、幸せな日々を送っていたのも束の間、事件に巻き込まれて江維子は亡くなってしまう。失意の日々からなんとか立ち直った圭眞だったが、そんな彼の前に突然現れたのは、なんと彼と出会う前の、まだ10代半ばの江維子だった――ということで、ひょんなことからタイムスリップしてきた若き日の妻と過ごす不思議な日々。しかしある時事故に遭い、その衝撃で江維子は元の時代に戻ってしまう。たいていの物語はここで終わってしまうことが多いと思うが、本作では元の時代に戻った江維子のエピソードが描かれていく。未来の自分のことを知ってしまった江維子がどんな日々を送るのか――タイムパラドックスなどなんのその、自分の「未来」を切り開いていく江維子の姿がなんとも頼もしい。しかしこのことで圭眞の未来は――江維子が過去に戻るきっかけになった事故のあとどうなってしまうのか(あるいは未来が変わって事故自体がなくなってしまったのか)など、いろいろと想像がふくらむのも面白い。





彩藤アザミ「幽霊作家と古物商 黄昏に浮かんだ謎」「幽霊作家と古物商 夜明けに見えた真相」
タイトルの通り「幽霊作家」長月響と「古物商」御蔵坂類が遭遇する怪異を描く短編連作集、前後編。語り手の人気ホラー作家・響は本作開始時点ですでに死んでいるのだが、その理由は不明。幽霊なのであらゆるものに触れることはできないが、なぜか愛用のパソコンだけは触ることができるので、作家としての活動は続けているというまさかの展開。そしてそんな彼のファンで、古物商を営んでいる類は霊感体質で、ひょんなことから遭遇した響の存在を認識。そのままふたりはお互いに協力しながらそれぞれの仕事を続けているという状況に。当初は類の店に持ち込まれるいわくつきの物品にまつわる短編が並んでいたが、次第に響の死因、ひいては幽霊となって現世に留まり続けている理由に迫っていく展開に。しかしどの話も短いながら、一筋縄ではいかない恐ろしさが込められていた。

僕たちの保存
長嶋 有
文藝春秋
2024-09-25

長嶋有「僕たちの保存」
2023〜2024年にかけて「文學界」にて発表されていた連作集。デザイナーの語り手「ゲンさん」は仲間と共に「どこか」へ行く。例えば亡くなった親戚の土地を処分するという友人と共に現地へ行く。例えば震災がきっかけで知り合った女性から、兄の遺品だという古いパソコン(MSX)をもらいに石巻へ行く。そのパソコンを学生時代の「パソコン部」の友人に譲るために狛江にいく。……というような。そしてその道中で思いをめぐらすのは、それぞれかたちは違えど「保存する」という事象のこと。古いパソコンを保存していたこと。そのパソコンではデータをカセットテープに保存していたこと。知らないうちに住み着いていた甥っ子(引きこもり)がため込んでいた、これまた古いパソコンと思しき部品。データだったり画像だったり文章だったり、どんなものでもどこかに「保存」されている。それはそこにある機械だったりなんらかのガジェット(それこそカセットテープとか)のように目に見えるものの場合もあるし、遠い南の島かどこかにあるデータセンターのサーバーという、今すぐに目には見えないものの場合もある。その有形無形の「手触り」こそが、わたしたちの存在そのものを担保しているのかもしれない。


マン・カインド
藤井 太洋
早川書房
2024-09-19

藤井太洋「マン・カインド」
2017〜2021年にかけて「SFマガジン」に連載され、単行本刊行前に星雲賞日本長編部門を受賞したという作品。西暦2045年、「公正戦」と呼ばれる戦争形態が広まって久しい世界で、ジャーナリストの迫田城兵は民間軍事企業〈グッドフェローズ〉と、独立都市国家〈テラ・アマソナス〉の公正戦を取材していた。しかし敗北し、投降した〈グッドフェローズ〉の戦闘員たちを、〈テラ・アマソナス〉の戦闘員は1人を残して虐殺。国際法違反だとして迫田はこの事態を世界へ向けて配信しようとするも、事実確認プラットフォーム〈コヴフェ〉によって却下されてしまう。さらに〈テラ・アマソナス〉の公正戦コンサルタントであるイグナシオから、殺された戦闘員への慰謝料という名目で大金を渡され、遺族に配ってほしいと頼まれることに。迫田は唯一の生き残りであるレイチェル、さらに今回の配信拒否に至るプロセスを解明するためにやってきた〈コヴフェ〉の社員・トーマと共に旅に出るのだった……とはいえこれが感傷的なロードムービーになるわけはなく、イグナシオの狙い――ひいてはレイチェル、そしてトーマの生い立ちに隠された秘密が暴かれていくという展開に。公正戦というスタイル、そしてフェイクニュースの乱立に端を発する「事実確認プラットフォーム」の存在など、現実に抱える問題を解決している――あるいは逆に悪化させていると見えなくもない――技術が発達している世界観がなんとも興味深い。そしてタイトルにもなっている「マン・カインド」に隠された真相も。ラストの迫田のとっている行動は果たして吉と出るか凶と出るのか。物語はここで終わっているけれど、彼のその後を見てみたい気もする。


松嶋智左「流警 新生美術館ジャック」
変わり者のキャリア警視正・榎木孔泉が活躍する警察小説シリーズ第2弾。前作ののち、神奈川県警に異動になっていた孔泉。県知事の肝いりで新設された美術館のオープニングセレモニーに参加していたところ、なんとその開始前に無人の美術館をジャックする集団が現れる。そして「無人の」と書いたが、実際はたまたま館内のトイレを借りていた孔泉と、副知事の秦玖理子が閉じ込められてしまったからさあ大変。しかも犯人グループから隠れるために館内を探索していたところ、なぜか美術館の構造に詳しい女子小学生まで見つけてしまうふたり。犯人グループの狙いは何なのか、そして孔泉たちは無事に美術館から脱出できるのか――という、前作以上にスリリングな展開に。集団行動が苦手なのに、集団の中に身を置いて他者と触れ合うことを好むという孔泉。そんな彼だからこそ、今回の事件を解決できたのかもしれない。そして今巻でもうひとりの主人公となった玖理子の選択からも目が離せない。

【前巻:流警 傘見警部交番事件ファイル】



辻村七子「宝石商リチャード氏の謎鑑定 再開のインコンパラブル」
シリーズ14巻となる本作は転機、そしてサブタイトルにもある通り「再開」の巻。正義とリチャード、そしてみのるのクラスマンションに突然転がり込んできたのは、ジェフリーのパートナーでもあるヨアキムだった。ケンカでもなければトラブルでもない、まさに「家出」といったていのヨアキムを受け入れる3人だが、みのるにとってはまたしても「未知との遭遇」的な展開に。実のところジェフリーはヨアキムの居場所をつかんでおり、謎の占い師に扮して中華街に潜んでいたりするのだが(笑)、彼らをとりまく問題はそう一筋縄ではいかないものだということが浮き彫りになる。ともすれば周囲の偏見に起因する問題のようにも見えるのだが、その根底に横たわっているのはやはり互いへの深い愛情。だからこそ現在、そして未来にも影を落としかねない問題を、自分ひとりで抱え込もうとしてしまう。決断するのは自分でも、そこに相手を巻き込んでしまうことはどうしても否めないからだ。そしてジェフリーとヨアキムが抱えていた問題は、そのまま正義とリチャードの関係にもスライドしてしまう――否、実はずっと前から「そう」だったということが判明。けれどきっと、ふたりならなにか答えを見出すことができるに違いない。そうあってほしいと思う。

【前巻:宝石商リチャード氏の謎鑑定 ガラスの仮面舞踏会】


湊かなえ「残照の頂 続・山女日記」
「山女日記」続編。とはいえ内容的には直接の関係はなく、今回も山に登る女性たちの姿が描かれる。ただし今回は1作につきふたりの語り手が登場。同じ山を登るふたりの女性の関係や問題が浮き彫りにされていくという展開に。例えば「北アルプス表銀座」に登場するのは音大生のユイとサキ。ユイは声楽科でサキはバイオリン科に所属しているのだが、このふたりを結び付けたのが、作曲家を目指すピアノ科のユウこと岩田勇太郎だった。ユウの勧めで登山をするようになったはずなのに、本作での登山行にそのユウはいない。彼はどこへ行ってしまったのか、そしてユイとサキの間には何があったのかが、登山に絡めて描かれていく。そしてすべてを受け入れたふたりが頂上で奏でたのは、ユウが書き残した曲――「残照の頂」だった。前作よりも彼女たちが登る山は険しく厳しいものとなっているが、それでも彼女たちは挑み、そして無事に帰ってくる。山の頂で目にした景色は、きっとこれからの道をも照らしてくれるに違いない。

【前巻:山女日記】


死刑評決 完全無罪 (講談社文庫)
大門剛明
講談社
2019-12-13

大門剛明「死刑評決」
「完全無罪」の続編。松岡千紗は東京の大手法律事務所を辞し、故郷の香川で弁護士として働いている。そんな彼女がこのたび手掛けることになったのは、ある少年事件の再審請求だった。当時19歳の少年・小杉優心が裁判員裁判で受けた死刑判決に対し、彼の幼馴染である伊東文乃から依頼されていたのだ。しかし千紗が調査を始めたその矢先、優心の死刑が執行されてしまう。さらにその直後、優心が育った養護施設の付近で殺人事件が発生。その容疑者とされたのは、優心の裁判で裁判員となり、死刑を支持していた人物だった。千紗はその人物の弁護をすることになるのだが、意外なところで真犯人に繋がっていくことに。今回、犯人の正体は読者には早い段階で判明するのだが、その真の動機や狙いは最後まで隠されている。どちらかといえば前作よりも心理戦の様相が強いのだが、こちらも最後までハラハラさせられっぱなしだった。今のところ本シリーズはこの第2弾までしか出ていないようなのだが、千紗の活躍をもっと見てみたい。

【前巻:完全無罪】

完全無罪 (講談社文庫)
大門剛明
講談社
2019-01-16

大門剛明「完全無罪」
WOWOWでドラマ化もされたサスペンス長編作。主人公の松岡千紗は大手法律事務所に所属する弁護士。ある事件で逆転勝訴を勝ち取ったことによって一躍時の人となった彼女は、21年前に香川で起きた少女誘拐殺人事件の冤罪再審裁判を任されることになる。実は千紗もまた、当時その犯人と思しき人物に誘拐され、からくも逃げ出した経験があった。千紗は自分を誘拐し、殺していたのかもしれない男――平山と対峙する。最初はすべてを諦め、非協力的だった平山だったが、千紗が自身の体験を話したことで態度が一変。冤罪だと主張する平山のため、千紗は調査を進めるもなかなか糸口がつかめない。しかし突然、当時平山を取り調べた元刑事の今井が違法捜査を認めたことで事態は急展開を見せる――けれど物語はここで終わらない。平山が犯人でなければ、真犯人はいったい誰なのか。事件が21年も前のことであり、物証も乏しい中、タイトルの通り「完全無罪」を証明することは難しい。しかも今井の上司であった元刑事・有森はいまだに平山のことを疑っており、千紗とどちらが先に真実にたどり着くのか、そして平山は本当に無罪なのか……といったスリリングな展開に、最後の最後までハラハラさせられた。


山女日記 (幻冬舎文庫)
湊かなえ
幻冬舎
2021-11-11

湊かなえ「山女日記」
様々な問題を抱えた女性たちが山に登って新たな一歩を踏み出す連作短編集。たとえば第1話の「妙高山」では、勤務先のデパートで登山靴に一目ぼれした江藤律子が主人公。同期の舞子と由美を誘って日本百名山のひとつ・妙高山に登ろうとするも、舞子が体調不良で来られなくなり、由美とふたりで向かうことに。実は同期と言いつつも、律子は内心では由美のことを快く思っていなかった――彼女の性格がルーズなことに加え、結婚を控えている律子の仲人と由美が不倫関係にあることを知ってしまったからだ。さらに婚約者の堅太郎が親との同居を考えていたことを後から聞かされたことで、自分の結婚自体にもモヤモヤを抱えていたものだからもう大変。婚約者や由美に対するわだかまりや不快感でいっぱいで、山を楽しむような状況ではない律子だったが、そんな彼女の肩の荷を下ろしてくれたのもまた、この登山だった。山を登ったからといって人生が変わるわけではないし、彼女たちが抱える問題がすっきり解決するわけではないけれど、解決のきっかけになることもある。そのくらいの魔法が山には秘められているのかもしれない。


真梨幸子「極限団地 一九六一 東京ハウス」
あるテレビ局で企画されたのは、1961年の東京を舞台としたリアリティーショー。現代の2組の家族を「1961年の東京」として設定した団地に住まわせ、その日々の生活を放送するというものだが、「リアリティーショー」と言いつつも番組側によって設定を付与され、さらには問題を起こすよう仕向けられるなどの作為に満ちた企画だった。選ばれた2組の家族――金持ちとして設定された「スズキ」一家と、貧乏として設定された「ヤマダ」一家にはギャラとして500万円が支払われることになっていたが、契約上、番組の指示に沿わない場合はギャラがなくなるという強迫観念に襲われた彼らは、言われるがままにその作為を「演じて」行くしかない状態だった。そんな中、ヤマダ一家の長女が遺体となって発見されてしまう。スズキ一家の父親には前科があるらしく、皆の疑いの目がそちらに向くも、彼にはアリバイがあるようで……ということで、テレビ番組の裏側をめぐるイヤミスかと思いきや、事態は意外な展開を見せていく。しかしイヤミスであることに違いはなく、まさに極限状態の中で誰を疑えばいいのかわからない状態。最後の最後まで目が離せない物語だった。


右園死児報告
真島 文吉
KADOKAWA
2024-09-03

真島文吉「右園死児報告」
「右園死児(うぞのしにこ)」なる名の人物、動物、無機物と、それが引き起こす様々な災害について記した報告書――という体裁で始まる物語。明治25年から書き継がれているというその報告書には、人知を超えた現象が淡々と綴られていた。「右園死児」と名付けられたモノは不可解な災害を引き起こし、それに触れた人は死ぬか狂うかあるいは「右園死児」化する。それをこの報告を管理している機関は鎮圧する――関わった人々を「洗浄」し、あるいは封印して、この災厄が広まらないように。しかしいくら隠蔽しても次々と新たな「右園死児」が現れる……。あまりにも断片的だった報告の羅列が、次第に他の報告ともリンクするようになり、不気味さを増していくのだが、やがてこの報告を読んだある存在の行動により、人類の存亡を懸けた戦いが始まることに。結局この「右園死児」がなんなのかははっきりしないのだが、逆にその方が不気味さをかきたてられるのでよかったとも思う。なにせ後半で描かれた戦いはあくまでもヒト同士の争いであり、「右園死児」という存在にはなんら関わりのないもの。ゆえにその怪異はまだ続いているのだから……。



汀こるもの「紫式部と清少納言の事件簿」
言わずと知れた平安時代の二大女流作家・紫式部と清少納言がまさかのタッグを組み、衝突したり共闘したりしつつも奇妙な事件を解決していくミステリ連作。語り手となるのは紫式部の方で、中宮彰子の出産に際してものした「紫式部日記」、これを書いたことでいろんな意味で疲弊しきった彼女は、梨壺で清少納言と出くわすことに。ふたりともなかなかな「変わり者」ではあるのだが、そのベクトルは別方向を向いているので、話もかみ合ったり合わなかったり。しかし打てば響くようにぽんぽんと続く会話がなんとも小気味いい。そして随筆と物語という性質の異なるものを書いているふたりだからこそ、相手の文才に対する嫉妬や羨望が垣間見えるのも。あと個人的には、道長が帝と彰子をくっつけたいがために「夢小説を書け」と命じたことで、あの年下ヒロイン「若紫」が爆誕したというくだりに吹いた(笑)。


松崎有理「山手線が転生して加速器になりました。」
2021〜2024年にかけて「小説宝石」に掲載されていた5編を含む短編集。どの作品も少し未来の日本が舞台。2019年に世界的なパンデミックが発生したことで、人類は都市部での集合生活を文字通り「解散」。地方に散り散りになり、リモートを駆使して生活しているのだ。だから無人になった東京では表題作の通り、山手線をリングコライダーに改造し、ついでに中央線もリニアコライダーに改造して実験を行おうとするのだが、実験をスムーズに行うために「意識」を持たせて自律型にしてしまったものだからさあ大変。加速器に転生したのはいいが、その存在意義に疑問を抱いてしまった山手線はいったいどうなるのか……?という、なんとも不思議なお話も。ついでに表題作には続編もあり、こちらでは中央線が宇宙で稼働している「後輩」に片想いしたり、その「後輩」との公開チャット中に山手線が失言して炎上したりも(笑)。けれど未来では楽しいことばかりではもちろんなく、人々の間に直接的な触れ合いがなくなったことで、どこかさびしい雰囲気が漂っていたりもする。もしかしたら現実にもありえたかもしれない、もうひとつの未来がここにある。


転の声 (文春e-book)
尾崎 世界観
文藝春秋
2024-07-11

尾崎世界観「転の声」
第171回芥川賞候補作となった本作のテーマはずばり「転売」。アーティストにとって、チケットを高額転売されることがステータスとなった世界を舞台に、とめどない人間の欲望が描かれていく。転売されるということは人気があるということであり、そこにプレミアを感じるべきという「カリスマ転売ヤー」エセケンの存在。アーティストへは敬意を払いつつ、自分たちがその価値を高めてやっているのだ、というその態度はどこまでも傲慢であるにも関わらず、なのに人々はその「転売は善である」という思想を正しいものとして受け入れていく。そしてあろうことか彼らが次に仕掛けるのは「無観客ライブ」。ライブを開き、チケットを売る。ファンはそれを買うけれど、ライブにはあえて行かない。行ける権利を持っていながら、自分の意思でそれを放棄するのだという。そしてチケットは完売しているのに誰も来ないライブを開くこと、さらにはそれがエスカレートして、アーティストもステージにすら立たないことこそ至上とする考えにまで行きついてしまう。そこでは一体「何」が起きているのか――価値観をどんどん転倒させていくのは、「転売」する者の声であり、させる者の声であり、あるいは「天」のようにふるまうエセケンの声でもある。実際にステージで歌っているのは誰なのか、そしてそれを聴こうとするのは誰なのか。音楽に関わる主体までもが転倒していく中で、主人公の以内右手が最後にようやくそれを取り戻すシーンが印象に残った。


転売ヤー殺人事件 (集英社文庫)
松澤 くれは
集英社
2024-08-21

松澤くれは「転売ヤー殺人事件」
同じく転売に関わる物語だが、こちらでは転売は「悪」であるのでみなさん安心してほしい(笑)。ただしこちらの主人公は転売ヤーのひとり。転売することに誇りを持ち、日々様々な情報を駆使して商品の確保と転売に努めている。しかしある日、転売ヤーが何者かに殺されるという事件が発生。世間の目が転売ヤーへと向く中、人気ユーチューバーの集団に目を付けられた主人公は、なぜか「大東亜転売王」というアジアを股にかける大転売組織のリーダーであるというデマを流されてしまい、日常が一変してしまう。転売どころか日常生活すらままならず、さらには(デマだけど)悪名まで流されてしまったことで転売ヤー殺人犯の標的にまでなってしまった主人公はいったいどうなってしまうのか、そして犯人の正体は……ということで、どんどんサスペンスフルな展開に。いくら主人公がプライドを持って「転売」に勤しんでいるとしても、そのファンにとってはたまったものではない。転売ヤーを憎むある女性が、転売を正当化しようとする主人公にかけた「こっちが大事にしてるものを部外者が荒らさないで、って言ってるの」というセリフにはまさに「その通り!」のひとこと。その時は意味を理解できていなかった主人公だが、事件の顛末を見届けたあとには少しでも理解してくれていれば、と祈らずにはいられない。

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