phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。 (当ブログは全文無断転載禁止です)

カテゴリ: 2025年



遠坂八重「怪物のゆりかご」
作者のデビュー作「ドールハウスの惨劇」に続く学園ミステリシリーズ第2弾。「たこ糸研究会」、もとい学内便利屋の滝蓮司と卯月麗一のもとに持ち込まれたのは、他校の生徒からの依頼。それはネット上に広まっているある告発動画に端を発したものだった――とある学校に、他校の生徒である少年・円城寺蒼が現れ、あるいじめの告発を行った後に自殺未遂を図ったのだ。依頼人はその少年の彼女だと名乗る女子高生・田崎菜月。彼女はあくまでも蒼は誰かに操られているのだと主張。蓮司たちが周囲に聞き込みを行う中、蒼を取り巻く奇妙な環境が次第に浮き彫りになっていくのだが、その経緯、そして訪れる結末は前作以上にえぐすぎるのだった。しかしつい最後まで読んでしまうという……。

【前巻:ドールハウスの惨劇】




松嶋智左「県警本部捜査一課R メイリンの闇」
推し活のために捜査を巻きで進めたい女性刑事・宝生玲の奮闘を描くシリーズ第2弾。今巻では第1話にあたる「メイリンの闇」のみが2025年中に発表済で、残りの2話はまとめて書き下ろされたという構成になっている。その第1話の舞台は「メイリン児童公園」という場所。そこで6年前に殺人事件が起きたが、いまだに犯人は捕まっていないのだという。しかしここにきて突然、当時の目撃者である伊佐田和葉が警察署に現れ、当時の目撃証言を撤回したいといい始めたのだ。そして当時、実際に見聞きした声というのは、人気急上昇中の覆面シンガーの声に似ていたのだ、とも。急な証言の変化に納得いかない玲たちは捜査を進めるが、上層部から妙な横やりが入り……ということでそんな難事件を追う中で玲を支えてくれるのは、彼女の最推しであるフィギュアスケーター・宇都宮蒼の存在。今回もなにげに青が協力してくれるという展開も面白かった。

【前巻:県警本部捜査一課R】

博士とマリア (ハヤカワ文庫JA)
辻村 七子
早川書房
2025-12-03


辻村七子「博士とマリア」
2025年に「SFマガジン」にて発表された4作に、書き下ろし1作を加えた連作集。舞台は遠い未来――地球温暖化が進み、海面上昇が進んだ24世紀の世界。物好きで偏屈な「博士(ドクター)」は、ロボットのマリア兇鬚供にしてオンボロ船を駆り、様々な海域で訳ありな患者たちを診て回っている。家族のために自身の身体を改造してまで働く男、美を追求するあまり社会の暗部に片足を突っ込んでしまった男、女たちの24世紀版「蟹工船」、そして永遠の生を求めて博士を脅迫する元同僚……やがて物語は、博士とマリア兇寮蟻里貿っていく。それはいろんなことが複雑に絡まり合い、思いも寄らない結果のうえに成り立つものだった。けれどきっと「彼」も「彼女」も後悔はしていないのだろう。すべてがふたりの物語であり、これからもきっと続いていくのだから。




仁科祐貴「こちらはただの『落とし物係』です! 警察行政職員・音無遠子の流儀」
広島県警を舞台にした警察ミステリ連作集。作者はなんと広島出身の元警官ということで、自身の経歴をフルに生かした作品となっている模様(笑)。ただし主人公の音無遠子は、正確には警察官ではない。タイトルにあるように「警察行政職員」という身分。捜査権限を持たない、つまるところ事務員なのだという。そして遠子の業務は、市民から届けられる拾得物を管理する「落とし物係」であるという。そんな彼女が、ひょんなことから落とし物に触れるとその器物の記憶――正確にはその器物に宿った死者の記憶を感知する「サイコメトリー」の能力に目覚めてしまったからさあ大変。なぜか殺人事件などに関わってしまう遠子だが、その相棒となるのは顔に大きな傷跡のある強面の刑事・鳴上。実は旧知の仲でもあるふたりの凸凹っぷりも楽しい。


博士の愛した数式(新潮文庫)
小川洋子
新潮社
2012-07-01


小川洋子「博士の愛した数式」
私の中で小川洋子ブームがきているため、久しぶりに再読。
シングルマザーである主人公は、派遣家政婦として働いている。そんな彼女の新たな勤め先は「博士」と呼ばれる男性の家だった。雇い主である博士の義姉いわく、彼は交通事故で脳に障害を負い、80分しか記憶が持たないのだという――つまり「私」の存在も80分後には忘れ去られてしまうのだという。しかし数学者というだけあって、様々な数字に興味を示し、その特異性をひとつひとつ語って見せる博士との日々は、やがて「私」の息子を交え、かけがえのないものとなっていくのだった。博士の記憶にまつわるトラブルは多々あれど、「私」、そして彼女の息子である「ルート」が博士を大切に想い、そして「博士」もまた、記憶が失われたとしても、そのたびに「ルート」へのーーこどもへの深い愛情を示すのだ。まさに「奇跡」の物語――それが永遠に続くものではないとしても、それでも。

海(新潮文庫)
小川 洋子
新潮社
2016-05-27


小川洋子「海」
小説7作品と著者インタビューを収録した短編集。中には2〜4ページの小品もあるが、短くてもそのエッセンスは十二分に詰まっている。個人的に良かったのは「風薫るウィーンの旅六日間」と「缶入りドロップ」の2作。「風薫る〜」はタイトルの通りウィーンが舞台。主人公ツアー旅行でたまたま同室になった女性に頼まれ、彼女の昔の恋人が入院しているという病院に同行することになる。昏睡状態の恋人を見つめる女性――を見つめる主人公。なぜか翌日以降も、主人公は彼女に付き添うことになる。やがて最後の日に恋人は息を引き取るが、そこで衝撃の事実が発覚するのだ。それまでの静謐な物語がいっぺんにひっくり返されてしまうのに、それでもその「静謐さ」は損なわれず、むしろそのオチを引き立ててしまうというのがなんとも面白い。「缶入り〜」はたった2ページの、バスの運転手のお話。「なるほど……」という感想が一番に浮かんでくるお話ではあるが、その言葉がしっくりきすぎて微笑ましい。




遠坂八重「ドールハウスの惨劇」
著者のデビュー作でもあるミステリ長編。幼馴染でもある高校生、滝蓮司と卯月麗一は「たこ糸研究会」に所属している。活動内容はもちろんたこ糸の研究……ではなく、なぜか構内で便利屋のようなことをやっているのだ。そんなふたりのもとに舞い込んできたある依頼が、彼らを殺人事件の捜査へと結びつけていくことに。校内でも有名な双子の姉妹――学校一の美少女・藤宮美耶と、学校一の秀才・藤宮沙耶。このふたりの母親が変死体で発見され、やがて第一発見者でもあった姉妹のうち、沙耶の方が容疑者として逮捕までされてしまうのだ。依頼がらみでこの双子と知り合ったふたりは、沙耶の無実を証明すべく捜査を始めるのだが、その背後には惨たらしい現実が隠されていた。とにかく殺された双子の母親がおぞましい女で、その執着心のせいでふたりの精神状態はまともではないという状況。彼女たちが犯人だとしてもまったく不思議ではないと思わせておいて、その外側にさらなる「真相」があることがわかっていくラストが恐ろしすぎる。




竹岡葉月「石狩七穂のつくりおき 猫と休職当番、それから」
シリーズ4巻、完結編。家事代行サービスの仕事も、彼氏である隆司との関係も順調……と思っていたその矢先、なんと七穂の妊娠が発覚。隆司への告げ方がなかなか面白い感じだったりするのだが(笑)、嬉しい楽しいだけでは済まないのはここから。なんせ彼女の仕事は自営業なので、代わりがきかないというのが第1の問題。そして第2の問題はやはり妊娠ということで、自身の体調の問題もある。業務上のパートナーとなった真田から「KAJINANA」の法人化を勧められた七穂は、その対応を進めながら、即戦力となりそうな社員探し&育成、さらには親たちの希望により内輪で結婚式を挙げることになったのでその準備……と大忙し。もちろん家事代行の現場仕事もあるので、心身とも大丈夫なのか?という状況だが、どうしてもひとりで抱え込みそうになってしまう七穂に、隆司が寄り添い支えようとしてくれる姿にはぐっとくる。そういえば1巻で、打ちひしがれる隆司を救ったのは七穂。それが今度は立場が逆になり、だからこそ七穂も隆司の想いを受け止めることができたのだろう。そういえばこのふたり、結婚するんだったな……と今更ながら思いつつ(笑)、末永くお幸せに!ということで。

【前巻:石狩七穂のつくりおき 猫は仲間を募集中】

刑事の父2 (角川文庫)
小杉 健治
KADOKAWA
2025-11-25


小杉健治「刑事の父2」
上層部からの圧力に屈せず、正義を守ろうとする刑事の葛藤と奮闘を描くシリーズ第2弾。前巻では政治方面の圧力によって犯人である大物議員秘書・藤森を取り逃がす寸前だった西だったが、彼の捨て身の捜査が功を奏したのか、本人が自首。しかしその後、藤森は不起訴で釈放された挙句、何者かに殺されてしまう。左遷を解かれた西はこの殺人事件の捜査にあたることになるも、再び上層部による隠蔽や捜査妨害が明らかに。息子にかけられた冤罪ももちろんその一環で、西は再び、警察としての正義、そして父親として家族を守るため、一心不乱に捜査することになるのだ。今回は女性刑事・椎名を相棒に、多方面に少しずつ味方を増やしつつある西。ただ椎名が彼を慕っていたというくだりは、彼女が純粋にそう思っていたのか、それともハニトラなのかがはっきりしないところが今後の展開にも関わる可能性が高い。さらに「味方」についても、正義を貫くという西の思想に賛同しての味方もいれば、「敵の敵は味方」という、いつ敵対することになるかわからない者もいるわけで、このあたりも不安要素となりそう。ということで今巻では完結しなかった本作、今後の展開が気になるところ。

【前巻:刑事の父】


刺繍する少女 (角川文庫)
小川 洋子
KADOKAWA
2013-12-13


小川洋子「刺繍する少女」
10本の短編をまとめた短編集。現代であるはずなのに、どこか遠くに感じられる、そんな「日常」。その日常をひっくり返す――あるいはすでにひっくり返されている日常が描かれていく。例えば表題作の「刺繍する少女」で、主人公はタイトル通り、刺繍する少女と出会う。ホスピスに入所した母に付き添っている主人公が出会った少女は、12歳のころに別荘で出会い、ひと夏を過ごした少女だった。であれば彼女ももう大人であるはずが――なぜなら出会いから20年もたっているのだから――、少なくとも読んでいるこちらには、まるでそんな風には見えてこないのだ。ホスピスという死と隣り合わせの場所に忽然と現れ、そして母の死と同時に姿を消した彼女は、ちゃんと20年の時を経て、本当にそこにいたのだろうか……そんな奇妙な読後感ばかりが印象に残る作品群は、歪んでいるはずのにどこか美しさを感じられてしまう。




町田そのこ「コンビニ兄弟5 テンダネス門司港こがね村店」
2026年にドラマ化も決定したシリーズ第5弾。今巻ではついにあの志波店長の過去が明らかになるという展開に。いうなれば「愛し愛されて生きるのさ」を地で行く志波の過去と転機、そしてなぜ彼がテンダネスで店長をしているのか……そこには思いもよらない壮絶な体験があった。そしてあまりにも一途な彼の恋(だといってもいいと思う)を応援したくなってくる。ちなみに今巻では、新たな志波兄弟の存在が判明(笑)。これで兄弟の存在は全員明かされたのだが、その四男の「四彦」もいつか登場する日が来るのだろうか……。

【前巻:コンビニ兄弟4】

刑事の父 (角川文庫)
小杉 健治
KADOKAWA
2025-10-24


小杉健治「刑事の父」
書き下ろしとなる本作は、警察の暗部をえぐるかのような長編警察サスペンス。警視庁捜査一課に所属する西警部補は、ある女性の行方不明事件の捜査に携わることに。しかしその犯人と目される男・藤森を特定したのも束の間、上層部から藤森への捜査の打ち切りを命じられてしまう。女性の遺体も発見され、すべての証拠が藤森を指しているにもかかわらず。それでも藤森に対する捜査の継続を主張する西は、迷宮入りしつつある事件の再調査を行う「特命捜査対策室」への異動――つまるところ左遷――をも命じられるのだった。異動後もひそかに藤森への捜査を続ける西だったが、時同じくして、マルチ商法に手を染めつつあった大学生の息子が逮捕されてしまい、その捜査に対しても明らかなでっち上げが行われようとしていた……ということで、警察としての正義――あるいは義務感?――を全うしようとする主人公に対し、政治家方面(藤森は大物議員の関係者である)からの圧力がかけられるという、なんとも腹立たしい展開に。それでもあきらめずに捜査を続ける西の姿が心強い。ただ、ラストではその藤森が自ら出頭し、西が捜査本部に戻されるところで終わっている。つまりまだ事件は終わってはいないのだが、いったいここから何が起きようとしているのだろうか……。


犯人と二人きり (文春e-book)
高野 和明
文藝春秋
2025-11-12


高野和明「犯人と二人きり」
2002〜2017年にかけて雑誌などに掲載された7作品を収録した短編集。ミステリからSF、ホラーまで多彩な作品が集められている。個人的に良かったのは「死人に口なし」と「天城の山荘」の2作品。「死人に口なし」は、恋人を殺した男と、その男を疑っている刑事との心理戦が描かれる。男にはアリバイがあるうえ、遺体が発見された現場との接点が見当たらないため、立証は困難に見えた……が、そこで切り札になったのはまさかの幽霊。なんと遺体が見つかった場所に、被害者と思われる幽霊が現れたというのだ。しかも男の方にも、殺した女の気配らしきものが漂い始めていたのだからさあ大変。殺人事件が幽霊騒動と結びついた結果、訪れたまさかの結末には逆に笑いが止まらなくなってくる。「天城の山荘」もホラーテイストのミステリで、戦後を舞台に、ある山中に立つ屋敷で起きた凄惨な事件の顛末が描かれていく。真相はあまりにも猟奇的すぎるものだったが、ちょっとこの裏側というか、犯人の視点からの顛末も見てみたいと思った。


あーあ。〜織守きょうや自業自得短編集〜
織守 きょうや
光文社
2025-11-19


織守きょうや「あーあ。織守きょうや自業自得短編集」
2017〜2025年にかけて雑誌やアンソロジーなどで発表された6作が収録された短編集。タイトルに「自業自得短編集」とあるとおり、収録作はいずれも主人公たちが引き起こしたトラブルが描かれており、つい「あーあ」とつぶやいてしまう展開ばかり(笑)。個人的に「あーあ」感が強かったのは「幽霊刑」と「廃墟で○○してみた」の2作。「幽霊刑」の世界では、目の前で行われた犯罪を傍観していた――積極的に通報や救助に当たらず見殺しにした者に与えられる「傍観罪」が存在しており、主人公はその傍観罪により6か月の「幽霊刑」と呼ばれる保護観察処分を与えられることに。この刑は特殊な装置により他者には見えず声も届かず触れることもできない、文字通り「幽霊」になってしまうというもの。最初はタカをくくっていた主人公だが、やがて孤独感に苛まれることに。そんな中で出会ったひとりの少年と、書置きだけで心を通わすが……という展開。結局のところ「刑」も現実も何も変わらないというラストがうすら寒い。「廃墟で○○してみた」は、こちらもタイトルから察せられる通り、配信者の大学生の話。なかなか実績の得られない配信者が、友人が行方不明になったという廃墟へ向かうことに。もちろん友人を探すよりも、自身の配信のネタにしたいというのが第一目的。そんな彼を襲った悲劇とは……ということで、そこまでされることでも、と思いつつもやはり自業自得でしかないなと思わされてしまう展開がこれまた恐ろしかった。

刑事ヤギノメ 奇妙な相棒 (文春文庫)
松嶋 智左
文藝春秋
2025-11-05


松嶋智左「刑事ヤギノメ 奇妙な相棒」
文春文庫での新作はタイトル通り「奇妙」なほどに洞察力の鋭い女刑事が主人公の短編連作集。昇進試験の直前に急性膵炎にかかり、長期入院ののちに復職してきたのが、主人公である弓木瞳(ゆぎ・ひとみ)巡査部長。そんな彼女が所属することになったのは、入院前と同じ刑事課一係だった。病み上がりということもあって体力に難のある彼女が凶悪犯を担当する課にそのまま戻されたのは、上司が彼女手放したがらないからだという――なんでも彼女が所属するようになってから、一係が手掛ける事件はすべて解決しているのだという。その鋭い観察眼から「ヤギノメ」と呼ばれる彼女の仕事ぶりは「スゴイ」を通り越して「奇妙」の域に達しているともいえる。彼女の今後の活躍にも期待したい。


最果てアーケード (講談社文庫)
小川洋子
講談社
2015-06-12


小川洋子「最果てアーケード」
その小さなアーケードは、誰が欲しがるのだろうか、と首をかしげるようなものを取り扱う店ばかりが、まるで身を寄せ合うようにひっそりと存在していた。そんなアーケードの大家の娘であり、「運び屋」として働いている「私」の視点で綴られるのは、様々な店と、その店を見つけてしまった人々の姿だった。依頼もなしに作られた舞台衣装、義眼、使用済の絵葉書、ドアノブ、勲章、遺髪でつくられたレース……それらを売る側と買う側を、彼女は等しく見つめ続ける。「遺髪レース」のエピソードで、そんな彼女自身の正体が垣間見える。最果てにあるアーケード。その「果て」とはいったいどこなのか、それはドアノブの向こうにすっぽりと収まってしまった彼女のみぞ知る。


人質の朗読会 (中公文庫)
小川洋子
中央公論新社
2014-04-04


小川洋子「人質の朗読会」
ある国の観光ツアーに参加している日本人が反政府ゲリラに拉致されるという事件が発生。それから数か月後、現地の軍と警察による突入作戦が敢行されるも失敗し、犯人グループだけでなく人質も全員死亡という結果に陥ってしまったのだった。それから2年後、人質たちが監禁生活の中で行っていた「朗読会」の音声が発見・公開されることになった。それは人質となった8人が、自分たちの思い出を語り合っているものだった――本作はそんな8人が語ったエピソードを集めたものとして書かれている。子供のころに近所で出会った工員のこと、「やまびこビスケット」と偏屈な大家との思い出、とある公民館の「B談話室」でひそやかに開かれている様々な「会」のこと、隻眼の老人が作る奇妙なぬいぐるみ……彼ら彼女らの語ったエピソードは、けして大きな問題が起きるわけでもなく、またためになる話というわけでもない。ただ自分にとって忘れられない、ささやかでつつましくて、けれど唯一無二の思い出である。人質としての極限的な生活の中で、それでも語らずにはいられなかった思い出。そんなものが、わたしにはあるだろうか。ふとそんなことを考えさせられた。

岩城裕明「松原家とその火、その他の短編」
2025年までに雑誌、web、同人誌、作者のnoteなどに発表された8作品をまとめた短編集。作者のBOOTHで販売されているものだが、一部は電子書籍でも読むことができる。表題作となっている「松原家とその火」は、タイトルにある「火」が語り手となっている。炎にまかれた松原家で「火」は何を視ているのか――意味が分かるとぞっとさせられる短編。他の収録作もぞっとしつつも薄気味悪さがつきまとう短編が続く。でもなぜか妙な底明るさも漂っている。例えば「優作の優」では、頼まれたことはなんでも請け負ってしまう(とはいえある程度のルールは存在するらしいが)、優しさのかたまりのような少年・優作が登場する。でも彼の優しさは本当に「優しさ」なのかどうか……真相が明かされるラストには、驚きよりも謎の納得感の方が大きかったりする。どれもありえない、おかしな話なのに、最終的には「なら仕方ないか」と言いたくなるような雰囲気がたまらない。




逃亡くそたわけ (講談社文庫)
絲山秋子
講談社
2012-12-17


まっとうな人生 (河出文庫 い 40-8)
絲山 秋子
河出書房新社
2025-10-07


絲山秋子「逃亡くそたわけ」「まっとうな人生」
シリーズものとなっている2作品。主人公の「あたし」こと花ちゃん(ただしこの「花」は名前ではなく苗字から来ている)は、双極性障害を抱える女性。「逃亡くそたわけ」ではそのせいで(本人的には軽い気持ちだったようだが)自殺未遂を起こし、福岡にある病院の精神科に入院することに。しかし21歳の夏をこんなところで過ごすなんて、と衝動的に病院から飛び出してしまう。その時たまたま声をかけられ、一緒に逃避行することになったのが、名古屋出身のサラリーマンであった入院患者「なごやん」。ふたりはなごやんのおんぼろ車を駆り、ひたすら九州を南下していくのだ。精神的な病を抱えているとはいえ、ほぼ他人同然のふたりの逃避行はうまくいくはずもなく……となりそうだが意外とうまくいくし、一方で妙齢の威勢が二人きりで……という状況だが特に恋に落ちたりもしない。ただひたすら逃げ続け、最終的には病院に――あるいは家に戻らなければならない、ただそれだけのことではあるが、それでも確かにそこに「救い」はあったような気がする。その証左でもあるように、続編である「まっとうな人生」では、ふたりはそれぞれ結婚し、家庭を持って「まっとう」な日々を送っている。まさか花ちゃんの嫁ぎ先の富山になごやんとその家族もいたとは、というサプライズもありつつ、しかしふたりの交流はにわかに始まったコロナ禍によって分断されてしまう。何もかもが手探りの「まっとう」ではない暮らしは、どこかあの逃亡の日々にも似ていないだろうか。つまりその先には「まっとう」な生活への帰還がある。非日常はいつしか日常の一部となり、それも含めて「まっとう」に生きていく花ちゃんは、この世界を続けていくということの尊さを、あるいは普遍性を受け入れられたのかもしれない。




梓崎優「狼少年ABC」
約12年ぶりの新刊となる作品集には、書き下ろしを含む4作品が収録されている。叔父の家で見つけた古い日記の書き主を探る「美しい雪の物語」。珍しく雪の積もった日に学校の屋上から転落死したクラスメイト、その死の真相を突き止める「重力と飛翔」。フィールドワーク中の大学生が、幼い頃に見た「喋る狼」の正体を考察する「狼少年ABC」。高校時代の同窓会で久々の再会を果たした放送部員たちが、卒業式に起きたある事件の犯人捜しを始める「スプリング・ハズ・カム」。いずれも少し奇妙な出来事の真相を探ろうとするミステリだが、そこには謎が解けたことによる爽快感というよりは、謎と共に失われていた、あるいは今まで気付けていなかったなにかを得ることができた――そんな救いがあったように思う。



雫井脩介「犯人に告ぐ3 紅の影」
文庫合本版で再刊行されている警察小説シリーズ第3弾。前巻で起きた誘拐事件において、主犯格である淡野は逃走。そのまま行方をくらましてしまう。事態を打開するために巻島が選んだ手はまたしても公開捜査――ただし今回はテレビではなく、横浜に本社をおくネット配信会社と協力し、配信番組を利用して淡野――「リップマン」に呼びかけようとするのだ。本作では巻島とリップマンの攻防がメインではあるが、同時進行でいくつも不穏な人物の動きが提示されていく。まず1人目は淡野の「上司」――彼のこれまでのシノギの「金主」である「ワイズマン」が登場。この人物の正体は早々に明かされるのだが、その存在によって巻島の捜査が思いもよらない方向へ向かうこととなる。2人目は淡野と同じ「ワイズマン」の薫陶を受けた人物であり、現在はなんと警察官としてリップマン捜査にも加わっている「ポリスマン」の存在。こちらは今巻では正体不明のままなので、こちらもまた様々な角度から巻島の捜査を妨害する役割を持っている。そしてもうひとりは巻島が所属する神奈川県警の捜査一課長・若宮。彼が抱えるある秘密がワイズマンたちの知るところとなり、ひそかに脅迫されるという状況に陥ってしまうのだ。敵の暗躍、あるいは見方であるはずの若宮たちの保身的な行動によって、巻島が追いつめられるという展開に最後までハラハラさせられる。次巻で完結となるらしいが、どんな手を取れば、すべてが明かされる結末にたどり着けるのだろうか。

【前巻:犯人に告ぐ2】


犯人に告ぐ : 4 暗幕の裂け目
雫井脩介
双葉社
2025-10-22


雫井脩介「犯人に告ぐ4 暗幕の裂け目」
シリーズ完結となる4巻。「リップマン」の行方、そして「ポリスマン」の正体もつかめないまま、ネット配信番組による公開捜査を再開させる巻島。その背後では「ワイズマン」が暗躍を続けていた。そんな「ワイズマン」の次なる標的は、巻島の上司筋にあたる本部長・曾根だった。そんな中、淡野のシノギを手伝っていた仲介役の「越村」や、その越村に斡旋され、バイト感覚で運転手役なども務めていた「兼松」は、淡野が行方不明になったことで「ワイズマン」に不信感を抱き始めて……ということで、完璧だったはずの「ワイズマン」の計画に少しずつほころびが生じるという展開に。とはいえそれは裏側まで読むことができる読者にとってのことであり、渦中にいる巻島にとっては謎が増えるばかり。もちろん最終的には事件は解決するわけだが、それまでの過程で「そんなのアリ?」と言いたくなる展開もちらほら(悪い意味ではなく、意表を突かれるという意味で)。それでもやはり事件が解決できればそれでいい、という巻島のスタンスにはぐっとくるものがある。本作が完結編ではあるが、彼のその後の活躍も見てみたくなるラストだった。


火星の女王
小川 哲
早川書房
2025-10-22


小川哲「火星の女王」
NHKの放送100周年特集ドラマのために書き下ろされたというSF群像劇。資源発掘のために人類は火星に進出し、しかし採算が取れなくなったため撤退を考え始めたというそういう時期に、火星在住の研究者リキ・カワナベはあるものを発見する。それは火星ではありふれた物質「スピラミン」が、意図的にその形状を変化させているという事実だった。すると火星のコロニー13を率いているルーク・マディソンはこれを「宇宙人である」と世界に公表。やがてこの「スピラミン」を巡り、地球と火星の対立が表面化し、激化の一途をたどるのだった。そんな中、地球にいる母親を訪ねるために火星を出ようとしていた盲目の少女・リリが何者かに誘拐される。この誘拐事件は地球と火星との対立にどのような影響をもたらすのか……物語はリキとリリ、そしてかつて地球上でリキと共同研究をしていた人物の孫・アオト、さらにリリの事件を捜査することになったマルなど、様々な人物の視点から地球と火星の関係が描かれていく。あわや戦争かと思われた事態を動かしたものはいったいなんだったのか――ただひとつ言えることは、人と人との「関係」がすべてであり、そして「世界」を形作っているのだということ。おそらくはそれに尽きる。

天上の火焔 (集英社文芸単行本)
遠田潤子
集英社
2025-09-26


遠田潤子「天上の火焰」
2024〜2025年に「小説すばる」で連載されていた本作の舞台は岡山県。3代にわたる備前焼作家の親子の確執が描かれていく。主人公はその3代目である深田城。祖父の路傍は人間国宝という偉大な備前焼作家だが、城にとってはよきおじいちゃん。そんなふたりを冷ややかに見つめるのは、城の父親である天河。轆轤の名手として知られる天河だが、息子に興味を示さず、父親である路傍ともほぼ没交渉という状態。祖父と父、そして父と自分、それぞれの間に横たわる確執とはなんなのか――城の成長とともに、それぞれの関係が明かされていくのだ。三者三様、それぞれの身を焼き尽くす焰のごとき情熱がこれでもかと迫ってくるような気がした。


盤上の向日葵(上) (中公文庫)
柚月裕子
中央公論新社
2020-10-30


盤上の向日葵(下) (中公文庫)
柚月裕子
中央公論新社
2020-10-30


柚月裕子「盤上の向日葵(上)(下)」
2025年10月に公開された同名映画の原作。物語はある殺人事件から始まる――山中から発見された白骨遺体。その傍らには、国内に7組しかないという有名な将棋の駒があった。刑事の石破と佐野はその駒の持ち主を探して日本国内を奔走することに。おりしも将棋界では世紀の一戦ともいわれる対決が始まろうとしていた。若き天才棋士に挑むのは、実業界から転身した異端の天才棋士・上条桂介――幼い頃、父親に虐待されていた彼に手を差し伸べてくれたのは、元教師の唐沢。もともと将棋に興味があった桂介は、唐沢の指導で実力を伸ばしていく。しかし一時はプロ棋士を夢見るも、父親の反対により断念せざるをえなくなってしまうのだった……。物語は石破たちが事件を追う現代パートと、桂介の生い立ちから現在までを描くパートとで構成されている。桂介がいかにして「異端の棋士」となったのか? そして白骨遺体の正体は? というふたつの謎に迫っていくという展開に。ひとまず物語自体は、容疑者が桂介であることを冒頭から指し示しているのだが、そこに至るまでの展開は悲惨のひとことで、最後の最後まで「どうして……」という呻きが止まらない作品だった。



原 浩「火喰鳥を、喰う」
第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した、まさにミステリとホラーが融合した奇妙な長編作。主人公である久喜雄司の周辺で同時に起きたある異変――それは若くして戦死したという大伯父・貞市にまつわるものだった。かつての戦地で貞市の日記が見つかり、それがもうすぐ届くというタイミングで、その貞市の名前が久喜家の墓から削り取られていたのだ。奇妙な雰囲気の中、届いた手帳を読んでいた久喜家の面々。しかしそこに居合わせた雄司の妻・夕里子の弟が、突然手帳の続きに妙な文章を書き足してしまう。「ヒクイドリヲ クウ ビミ ナリ」――書いた本人も意味が分からないというこの文章を目にしてから、さらに雄司の周辺で怪異が起こり始めるのだ――まるで本当は貞市が生きて帰ってきたかのように塗り替えられていく「現実」。それは貞市の生への執着が引き起こしたものか、それとも……ということで、この怪異が広がり、そして収束していくさまが描かれていくのだが、その真の黒幕は一体誰(または「何」)なのか……という結末になんともぞっとさせられる。すべては「彼」の思い通り、ということだったのだろうか……。


愚か者の身分 (徳間文庫)
西尾潤
徳間書店
2021-05-13


西尾潤「愚か者の身分」
第2回大藪春彦新人賞受賞のクライムサスペンス。短編連作形式で、戸籍売買ビジネスに手を染めた、あるいは関わった若者たちの行く末が描かれる。上司のタクヤに命じられてそのビジネスに従事するマモル。突然見知らぬ女の襲撃を受ける、タクヤの協力者・希沙良。タクヤにそそのかされて戸籍を売ってしまった春翔。その春翔の行方を探す探偵・仲道。そしてタクヤをこの道に引きずり込んだものの、「仕事」に嫌気がさし、今は「運び屋」として後方支援に回っている梶谷。事件は突然起き、そして突然終わりを告げる。生き延びた彼らがこれからまっとうに生きていけるかどうかはわからないけれど、それでも「終わり」ではない。そう感じさせるラストが印象的。




早見和真「ザ・ロイヤルファミリー」
第33回山本周五郎賞を受賞した、馬主一家の20年にわたる数奇な運命を描く長編作。
主人公である税理士の栗須英治は、ひょんなことから人材派遣会社の社長・山王耕造と出会い、彼のもとで働くこととなる。社長は絵に描いたような「昭和のワンマン社長」的存在ではあるが、人情に厚く、父を亡くして空虚な日々を送っていた英治の心をがっちりと掴むのだ。そんな社長がプライベートで力を入れていたのが馬主としての活動。大金を費やし、競走馬を買い育てている社長だが、なかなかレースで勝てる強い馬を育てることができずにいた。そんな折、英治は元彼女である加奈子から連絡を受ける。彼女は現在シングルマザーとなっており、故郷の北海道で家業――サラブレッドの生産牧場を手伝っているというのだ。その伝手で、加奈子の父が育てた馬を手に入れることになった社長。「ロイヤルホープ」と名付けられたその馬は、数々の困難を乗り越えながらも、有馬記念を目指すことに――ということで、山王耕造に仕え、公私ともに彼に付き従い続けた栗須の視点で物語は――山王一家と、「ロイヤル」の名を冠する馬たちの20年が描かれる本作。20年という歳月は長いようで、けれど過ぎ去ってしまうととても短く感じられる――本作を読んでいると、本当にそう感じられてしまう。「競馬」という競技とは何なのか、そして人と馬、彼らが生涯を賭けているものはいったい何なのか。そのすべてがここにあった。


百年文通
伴名 練
早川書房
2025-09-18


伴名錬「百年文通」
本作は2021年に雑誌「コミック百合姫」の表紙で1年にわたって連載されたというちょっと変わった発表形式の「ガール・ミーツ・ガール」な中編作。女子中学生の小櫛一琉は、引き出しに入れたものが100年前へと送られる不思議な机を見つけてしまう。100年前のその机の前には、大正時代を生きる女学生・日向静がいた。ふたりは時空を超えて「文通」をはじめ、距離を縮めていく。しかしそんな折、一琉はまもなく静が流行り病で亡くなってしまうという「歴史」に気付いてしまう。静を失いたくない一琉はその「歴史」を静に伝え、マスクを送ったり手洗いうがいの啓蒙ポスターを作るなどして、病の流行を防ごうとするのだ。それはいわゆる「タイムパラドックス」を誘発してしまうのでは?と危惧しながらも、それでも手を止めることができない一琉。変わっていく「過去」と、その影響をわずかずつではあるが受ける「現在」。その行方もさることながら、それ以上にふたりの関係がどうなっていくのか、そして一琉は静の死を止めることができるのかの方が気になってしまう。あと大正時代の女学生でありながら、意外と臨機応変な静の行動力がなんとも楽しい。


コーチ (創元推理文庫)
堂場 瞬一
東京創元社
2023-10-19


堂場瞬一「コーチ」
伸び悩む若手刑事の前に現れる謎のコーチ役・向井――彼の存在を軸とする2部構成の警察小説。前半は短編形式で、3人の若手刑事が登場。女性管理職として嘱望される益山、取り調べ担当を希望するもうまくいかない所、尾行が苦手な西条――この3人の前に現れるのは、人事課から派遣されてきたという元刑事の向井。彼のアドバイスで3人はそれぞれ苦手な部分を克服する。転じて後半ではこの3人がそろって警視庁捜査一課に異動し、ある殺人事件に挑むことになる。しかしその捜査の過程で現場付近に現れたのが向井。そもそも彼はいったい何者なのか、そして人事課に戻ったはずの彼が殺人事件に興味を示す理由とは……ということで、3人は向井の過去を探り、その目的を知ることになるのだ。警察小説にして事件、そして向井という存在をめぐるミステリとしても面白かった。

赤い刻印 (双葉文庫)
長岡弘樹
双葉社
2019-04-18


長岡弘樹「赤い刻印」
様々な人間関係と、その陰に潜む謎を描くミステリ短編集。
表題作の「赤い刻印」は、短編集「傍聞き」に登場した女刑事・羽角啓子と、その
娘・菜月が主人公。母・啓子がシングルマザーであり、亡き夫は刑事だったということは前作で明かされていたが、本作ではその実母の存在が軸となる。自分にとっては祖母となるその人物に会いにいく菜月だが、啓子と実母の微妙な関係が先に提示されているがゆえに、それはただの「祖母と孫のご対面」で済まないのだ。その展開に妙には「まさか……」としか言えなくなってしまう。他の作品も一筋縄ではいかない人間関係が描かれていくのだが、個人的には突然の病によって記憶が保てなくなってしまった医大生と、彼女を医師として「観察」する医学課長との奇妙な関係とその顛末を描く「秘薬」が特によかった。


緋色の残響 (双葉文庫)
長岡弘樹
双葉社
2023-06-14


球形の囁き
長岡弘樹
双葉社
2023-08-18


長岡弘樹「緋色の残響」
長岡弘樹「球体の囁き」

羽角母娘が主人公の短編シリーズ1〜2巻。「緋色の残響」では中学生だった菜月だが、続く「球体の囁き」では高校生から大学生、さらには将来の夢として掲げていた新聞記者になり、さらには結婚して子供までできている(そしてその頃、啓子はいったん定年退職し、その後再雇用で再び警察官として働いている)という展開で、先日読んだ逸木裕「五つの季節に探偵は」「彼女が探偵でなければ」と同様、時間の流れとその成長ぶりにほほえましい気持ちになってくる。しかし事件に対する洞察力は母娘共に変わらず鋭敏で、思いがけない方向から事件を解決していく展開がとてもいい。とはいえ、ふたりが遭遇する事件は大小さまざまだが、なんともいえない後味の悪い事件が多いのも確か。それでもふたりの明るさに救われる気がした。



竹岡葉月「旦那の同僚がエルフかもしれません2」
最愛の旦那様は異世界を救った元勇者でした!?というちょっとフシギなおもてなし系小説第2弾。ひばりの夫・伊吹が救ったという異世界は、なんというか困ったことがあったらすぐ異世界人を召喚してしまうという厄介なところ(笑)で、元勇者は伊吹だけではないし、なんなら元聖女もいるんです……ということで、今回はからずもひばりが関わることになったのは、現地のエルフと結婚し、もうすぐ定年を迎えるという4代目勇者や、幼いころに召喚され、シングルマザーとなった今も伊吹の上司として働く聖女など。異世界に関わった人々を組織化するとそういう感じになるのか……とまあ職場では当たり前なこともファンタジー要素が絡むとなんとなく面白くなってしまうこの妙。そんな中で異世界に行く素質を持たない一般人のひばりと、元勇者として異世界に関わり続ける伊吹との夫婦関係は良好ではあるものの、やはり妙な問題が起こりがち。しかも今回はわりと決定的な問題も起こり、異世界と関わり続けることの難しさを思い知らされるという展開に。それでもふたりの絆があればきっと大丈夫、とそう思えるラストがとてもよかった。

【前巻:旦那の同僚がエルフかもしれません】




青木祐子「これは経費で落ちません!13〜落としてみせます森若さん〜」
13巻はスピンオフ短編集。前巻で沙名子が太陽と結婚し、現在は結婚休暇中。そんな沙名子不在の天天コーポレーションで起きたささやかなトラブルを、沙名子の後輩の経理部員・真夕の視点から描くエピソードからスタート。次いで販売課の鎌本、同じく販売課の亜希、企画課の馬垣、そして沙名子の上司である新発田がそれぞれ主役のエピソードが収録されている。本編を読んでいるときから好きになれない(きっと同じような人は多いはず・笑)鎌本と馬垣それぞれの視点のエピソードはやはり「うわあ……」となってしまうと同時に、こういう考え方だからああいう行動をとるんだ、とある意味納得させられる内容(笑)。一方、同じ経理部員としていろいろ身につまされつつも共感が止まらないのが真夕のエピソード。ミスを指摘しているだけで、怒っているわけでもないし、ましてや嫌がらせでもないわけで……そのへんが伝わらないのは共通の悩みなのかもな、と思ったりもして(笑)。亜希のエピソードでは、彼女だけでなく山崎の謎の一端が見えてくるという展開が面白い。そして新発田のエピソードでは、過去の彼らの奮闘が見えてくるのがいい。まさに人に歴史あり。

【前巻:これは経費で落ちません!12】

傍聞き (双葉文庫)
長岡 弘樹
双葉社
2011-09-15


長岡弘樹「傍聞き」
2008年の日本推理作家協会賞・短編部門を受賞した表題作を含むミステリ短編集。その「傍聞き」はシングルマザーの女性刑事が遭遇した事件と、同じころに娘が起こした不可解な行動の謎に迫るというもの。タイトルの「傍聞き(かたえぎき)」というのは、どうしても相手に信じさせたい情報を、第三者に話しているのを漏れ聞かせるというもの。直接聞かされるよりも漏れ聞かされた方が信憑性が高まるという心理を突くのだという。これをタイトルに持ってくる時点でネタバレのようにも見えるのだが、読んでいる最中はまったくそれを感じさせないストーリーテリングの鮮やかさに驚かされる。他にも患者の搬送をたらいまわしにされた救急車が不可解な行動をとる「迷走」、消防士が突然の辞意を訴える同僚の真意を探る「899」、出所後の元受刑者を受け入れる施設の女性と、とある殺人事件の元受刑者とのすれ違いを描く「迷い箱」の3編が収録されているが、いずれも最後まで読んで「……なるほど!」とうならされる作品ばかり。ちなみに表題作の主人公母娘が活躍する短編集があるそうなので、そちらも気になるところ。




雫井脩介「犯人に告ぐ2 闇の蜃気楼」
文庫合本版となって再刊行中の警察小説シリーズ第2弾。今回は前作から半年が経過。バッドマン事件の実績を買われ、刑事特別捜査隊として特殊詐欺集団の摘発に携わっていた巻島。今巻ではその巻島が新たな、しかし奇妙な誘拐事件の捜査に乗り出すという展開に。とある企業の社長とその息子が同時に誘拐され、しかし数日後に父親だけが解放される。そして犯人グループはその父親に、人質解放の交渉をしてくるのだ。ただし警察が知っているその交渉はダミーであり、実際は誘拐中にひそかに形態を渡され、以降の身代金の受け渡しについては父親の方があらかじめ言い含められているのだ。犯人グループのことを誘拐中にある程度知ってしまっている父親は、その命令に逆らえず、犯人グループの言いなりになってしまう。この巧妙なシナリオを描いたのは、巻島が捕らえた特殊詐欺集団の指示役に当たる「淡野」という男。彼はこれを誘拐ビジネスと称し、間一髪で逮捕を免れた特殊詐欺集団の一員・砂山知樹とその弟・建春と共にこの誘拐劇を仕組んでいたのだ。何も知らない巻島はしかし、ごくわずかな違和感からその真相に迫ってゆく。そのギリギリの攻防がなんとも面白く、今回も一気読みしてしまった。しかし最終的には淡野を取り逃してしまった巻島。仲間を見捨てるときに「レスティンピース(rest in peace)」とつぶやくことから、警察内では「リップマン」と呼称される淡野。彼はいったい何者なのだろうか……。

【前巻:犯人に告ぐ】



雫井脩介「犯人に告ぐ」
第7回大藪春彦賞を受賞した警察小説が、作者デビュー25周年記念として文庫合本版で登場。シリーズ第1弾となる本作では、まず6年前のある誘拐事件について語られる。主人公の巻島史彦は神奈川県警捜査一課の特殊班担当課長代理として、某スーパーの社長の孫の誘拐事件に挑むことに。手柄に目がくらんだ県警は、警視庁からの横やりをかわしながら捜査に当たるも、犯人は見つけられず、被害男児は遺体となって発見されてしまう。巻島は責任を負わされる形で左遷され、それから6年――川崎市内で起きている連続児童殺害事件の捜査が行き詰まる中、神奈川県警は巻島を呼び戻して新たな捜査を始めさせる。それは報道番組を利用した劇場型捜査――巻島は人気の報道番組「ニュースナイトアイズ」に出演し、視聴者へ広く情報を求めるとともに、犯人とされる「バッドマン」へ呼びかけを行い、犯人からの手紙を入手することだった。警察と犯人、さらには視聴率を追い求めるテレビ関係者との駆け引きの連続が物語の縦軸なら、6年前の事件への後悔を抱えていた巻島がどう変わっていったか、そしていま何を思ってこの捜査に当たっているのかという点が横軸であるといえる。そのいずれも読みごたえがあり、なおかつその先がどうなるのかが気になって仕方なかった。


五つの季節に探偵は (角川文庫)
逸木 裕
KADOKAWA
2024-08-23




逸木裕「五つの季節に探偵は」
逸木裕「彼女が探偵でなければ」

女性探偵・榊原みどり(結婚後は森田みどり)が主人公の短編連作集。第1弾の「五つの季節に探偵は」は学生時代からスタートし、彼女が探偵となったきっかけ、そして以後、探偵として活躍していく様子が描かれる。その第1弾の最終話で「森田みどり」となり、いつの間にか結婚していたことが判明した彼女のその後の事件が描かれるのが第2弾の「彼女が探偵でなければ」。私立探偵だった父親の影響もあって探偵になったみどりは、その父親が設立した探偵会社にそのまま就職し、さらには事業拡大によって開設された「女性探偵課」の課長となっていた。けれど「謎」に対する好奇心は留まるところを知らず、引き続き依頼があろうとなかろうと、気になった「謎」はとことん追い続け、その奥にある真実――厳密にはそれを引き起こした「人間」そのものを引きずり出し、白日の下にさらしてしまう。そんな結末を誰も望んでいないとし ても――そしてそのせいで誰かが傷ついたとしても。みどりはそんな自分の性を理解していて、それでも止めることはできないし、止める気もきっとないのだろう。そんな彼女の姿はどこか痛々しいが、それでも目を反らすことができないのだった。

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