phantasmagoria

読んだ本のこと、それ以上に買った本のこと、ときどきライブのことを書き散らかしてみたりする。

タグ:山尾悠子

kaze no tanbun 特別ではない一日
我妻俊樹
柏書房
2019-10-28

西崎憲による書き下ろし「短文」アンソロジー第1弾。小説でも、詩でも、エッセイでもあるし、そうでもないような「ただ短い文」が収録されている。以下、特に気に入ったものをいくつか。

◇山尾悠子「短文性について機廖崙鵜供
気肋説風、兇魯┘奪札どの短文。気暴个討る鳥のエピソードは「小鳥たち」を彷彿させると同時に、最後の「びんがびんが」という台詞がなんとも愉快な気持ちになってくる。

◇岸本佐知子「年金生活」
おそらく遠い(もしくはわりと近いかもしれない)未来、人口は減り、国としてもほとんど機能していない日本で、ある老夫婦のもとに届いた「ねんきん」とはいったい何だったのか。でもこれが夢だったとしても、確かにそれでもいいような気がする。少なくとも戸棚に隠されたモノの存在を意識しなくてもよくなったという点では。

◇勝山海百合「リモナイア」
母親と檸檬の木のエピソードが印象深かったのか、勢宇の家に檸檬の鉢植えを持って行った「わたし」。果たして出迎えてくれた勢宇の正体は……という不思議な作品。急に展開ががらっと変わるのがなんとも。

◇皆川博子「昨日の肉は今日の豆」
老化と共に肉体の一部が豆化していく。その豆を狙って雀たちがやってくるので、老嬢は宿六と自分の豆化した部分を今日も雀たちに与えていく。何もない日々のありふれた出来事――タイトル通り、「特別ではない一日」の風景。

◇谷崎由依「北京の夏の離宮の春」
北京を訪れている日本人作家は、友人であるドイツ人作家と英語でしゃべりながら頤和園――「オールド・サマー・パレス」へと向かう。かの西太后ともゆかりのあるこの庭園を巡りながら、作家の頭の中では様々な言語が渦巻いている。中国語、日本語、ドイツ語、英語。中国語の表記を日本語読みすると自分にとってはわかりやすいが、それではドイツ人である相手には伝わらない、そのもどかしさ。

◇藤野可織「誕生」
子供が生まれてすぐの時期は、母親はベッドに繋がれて動けない。しかしそこはかとなく漂うのは違和感――救急車のサイレンが頻繁に聞こえるのはここが病院だからか、それとも別の理由があるのか。個室のブラインドを開けてもらえないのはなぜなのか。スマホの電源は落ちていて、外部との連絡手段はない。夫が仕事を早めに切り上げてやってきたのはいったいなぜか。ひとつひとつの事象には納得できるけれど、最後の最後までどこか疑念が拭えない、まるでボタンを掛け違えているのにそれに気付けないままというような、不穏な空気がたまらない。

◇西崎憲「オリアリー夫人」
パーティーを開いてくれた「王冠くん」の友人が語る、「オリアリー夫人」なる人物の逸話。くちぐちに語られるそれは真実なのか、それとも作り話なのか。煙に巻かれたようなその語りの後に「王冠くん」がいなくなったのは、偶然なのか、それとも。

小鳥たち
山尾悠子
ステュディオ・パラボリカ
2019-07-29

〈水の城館〉には華奢な編み上げ靴を履いた侍女たちがいる。赤髭公やその母親である老大公妃からも「可愛い小鳥たち」と呼ばれる彼女たちは、小鳥のように驚きやすく、すぐに動揺する性質がある。広い庭園のそこここにある噴水にすら驚き、その姿を小鳥に変じさせて逃げ惑ってしまうくらいに……。

山尾悠子による掌編をモチーフに、人形作家・中川多理が人形を創作し、その人形を元に新たな物語が紡がれる――「小鳥たち」という存在が往還し、その世界を広げていく幻想譚。

物語は3編の短編で構成されている。まずは2016年に再刊行された歌集「角砂糖の日」の付録として発表された短編「小鳥たち」。これを元に中川多理が小鳥たちの人形を創作。これを受け、ステュディオ・パラボリカから2018年に刊行された「夜想♯ 中川多理――物語の中の少女」に山尾悠子が「小鳥たち、その春の廃園の」を寄稿。この続編を元に新たな小鳥たちの人形が創作され、そして最終章となる「小鳥の葬送」が書き下ろされたのだという。まるで往復書簡のように、小鳥たちが物語と人形というふたつの表現方法を使って、現実世界に顕現していく。

侍女たちは人間の少女であり、時には本当に「小鳥」となり飛び立ってゆく。それはすべて彼女たち自身の意志で行われることであり、誰かに強制されることでもなければ、彼女たちが望まないことでもない。軽やかな――時には慌てふためき騒々しいのかもしれないが――羽音と、ひそやかな囀りが、文章の間から、そして人形の写真から、不意に聞こえてくるような気がしてくる。〈水の城館〉と呼ばれる、噴水と迷路のような庭園に囲まれた屋敷。赤髭公と呼ばれるその主と美しい妻たち。そして公の母親である老大公妃の死と束の間の復活。やがて廃園となるその城館は、それでも往時の美しさをきっと留めたままに違いない。少女が小鳥に変じてしまうような場所なのだから、そのくらいの奇跡が残っていても不思議ではないだろう。短い作品ながらも、あっという間にその異質な世界に取り込まれてしまうような、そんな緻密な美しさが滲み出てくるような物語だった。

飛ぶ孔雀
山尾 悠子
文藝春秋
2018-05-11

シブレ山の石切り場で事故があって、火が燃えにくくなった。たくさんの川に囲まれた町では火種がよく売れる。場所によって火が着きやすいところとそうでないところがあるので、料理にも苦労する。停電も増えた。そんな中、大庭園で催されるのは夏の茶会。夜間の特別開放とライトアップの時期に重なり、人々でごった返す中、少女は火を運び、孔雀がそれを襲う。そうしてますます火が燃えにくくなった世界の、ふたつに分かたれた山のてっぺんに建っているのはとある施設。旅館ともラボとも言われるその場所をさまようのはふたりの男。しばしば雷が落ち、地下には大蛇が眠るというこの山でふたりは何を視るのか……。

「文學界」に発表された同名作品に、書き下ろし「不燃性について」を加えた連作長編。

前半「飛ぶ孔雀」は平地での、後半「不燃性について」は山頂での物語。断片的に語られるこの世界では火が絶え、水に満ちている。KとQというふたりの男性は状況がよくわからぬまま彷徨い、そんな彼らに対して町の娘、女子高生、オールマイティな双子、路面電車の運転士、配管工、売店の売り子など様々な女性たちが訳知り顔で近付き、そして通り過ぎてゆく。

大温室、地下浴場、頭骨ラボ、掃除会。芝の孔雀と地下の大蛇。禁忌を犯した娘は孔雀となり、地上に降り立った娘は靴をなくしていたことに気付く。「星」と「塔」のカードは何を意味していたのか。世界は終わりかけていて、けれどまだ続いている。それが滅びへ向かっているのか、再生の兆しを見せているのかはわからないけれど。この世界を理解するにはまだまだ時間が必要なようだ。

仮面物語―或は鏡の王国の記 (1980年)
山尾 悠子
徳間書店
1980-02

彫刻師の善助は自分の顔を見たことがなかった。それは彼が〈影盗み〉と呼ばれる存在であるがゆえのこと。人は誰しも「たましいの顔」を持っている。それはその人の本質を表すもので、それを目にした者はただちに発狂してしまうのだという。そして〈影盗み〉はその「たましいの顔」を彫り出してしまうのだ。この都市国家の君主である〈帝王〉もまた、かつて〈影盗み〉によって「たましいの顔」を見せられ、発狂こそしなかったものの足を潰し、館に引きこもってしまっていた。その娘である〈館主〉聖夜は、〈帝王〉の制止を振り切って〈影盗み〉を探し始める。しかし時同じくして、秘匿されていた〈影盗み〉の存在を暴く冊子が街に出回り、人々は疑心暗鬼にかられ始めていた……。

作者初の書き下ろし長編として1980年に刊行された本作は、霧と水に沈む都市国家を舞台に、「たましいの顔」を巡って人々が惑い彷徨う幻想的な作品となっている。

死んだはずの〈館主〉聖夜と、〈影盗み〉である彫刻師の善助の存在が、鏡と仮面で覆い隠された都市の真実を暴露していく本作。ふたりはそれぞれ、本当の自分――あるいは自分という存在そのものを探し求めている。事故で死にかけた聖夜は首から下が自動人形に置き換えられているがために、自分が「人間」なのか「人形」なのかを知りたいと考える。そして善助は恐怖と戦いつつも自身の顔を――つまり「たましいの顔」を視ようとする。その中で聖夜はまたしても死に瀕し、そして善助は身体と精神が分かたれ、他者の身体の中に共存してしまう。その一方で、人々は〈影盗み〉の存在を知って暴動を起こし、〈帝王〉は聖夜の葬儀を行うことでこれを鎮めようと画策する。都市は氾濫した水に沈む。彫刻師の不破は善助を、自動人形のアマデウスは聖夜を追い、混乱に巻き込まれてゆく。

その全容を誰も知らぬ「二重館」、隔離された魔術師ギルド、アルビノの魔術師、鉄仮面に覆われたゴオレム、心を持たぬはずの自動人形が紡ぐ物語、そして幻のように現れる虎――それらがちりばめられた都市の描写はあまりにも緻密にして繊細で、それらが砕け壊れていく様すら美しい。物語の筋もさることながら、この世界観だけでも素晴らしいとしか言えない、そんな作品だった。

夢の遠近法 山尾悠子初期作品選夢の遠近法 山尾悠子初期作品選
山尾 悠子

国書刊行会 2010-10-26
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幻想作家として名高い作者が、20代に執筆した短編の中から選んだ11編を収録する初期傑作選。2000年に刊行された「山尾悠子作品集成」と重複してはいるが、作者による各作品の解説や、単行本未収録エッセイなども併録されている。どれも素晴らしいのだが、特に気に入ったのは以下の作品。

◇「夢の棲む街」
浅い漏斗のようなかたちの街で、噂を集めてはそれをばらまき続ける〈夢喰い虫〉のひとり・バクは彷徨い続ける。世にも美しい〈薔薇色の脚〉の逃走と帰還、そしてその「死」に伴い閉鎖された円形劇場。やがて閉ざされた劇場で何者かが――おそらくは〈あのかた〉が――準備を始める。それと呼応するかのように異変は続く。夜空に浮かぶ星座が勝手気ままに動き始めた理由。増え始めた浮遊生物と降り止まない羽根。やがて街中の人々に招待状が届き、皆こぞって円形劇場へ向かう。そこでは一体何が行われようとしているのか……。

いくつのも不可思議な断章で綴られる中編。どのエピソードも終焉を思わせる指向性を持っている。甘く仄暗い匂い。〈薔薇色の脚〉の、名前に反したおぞましい光景も、街の周縁から底へ向かって流れ込む囁き声も、消える間もなく降り積む羽根も、なにもかもが滅びの徴にしか見えてこない。けれどそれに惹かれてしまう。

◇「遠近法」
「遠近法」という題が与えられるはずだった小説の草稿。その舞台は〈腸詰宇宙〉と呼ばれる、果てのない円筒状の世界。円筒の内壁には無数の回廊が設えられ、空洞になった中心部を太陽が、次いで月が移動していく。回廊と回廊の間には縄梯子があるが、別の階層に移動しようとする者はほとんどいない。上から下へ降りていく太陽や月がどこへ消えていくのか、見た者はいない。けれど翌日には、また太陽や月は上から現れ、下へと降りていく、その繰り返し……。

ボルヘス「バベルの図書館」に酷似しているという、〈腸詰世界〉についての記録と言える、これもいくつもの断章で綴られていく世界の物語。未完成でありながら完成された世界観に、文字通り引きずり込まれてしまう。

◇「童話・支那風小夜曲集」
支那を舞台にした短編5編。故郷に帰って来た龍の物語「帰還」、人間の女に恋した吸血鬼の末路を描く「支那の吸血鬼」、若く貧しい料理人とあひるの絆を描く「スープの中の禽」、支那帰りのご令嬢が連れ帰った美しき纏足の貴公子の正体やいかに、という「貴公子」、病の娘と彼女を狙う刺客の間に芽生えた不思議な関係を描く「恋物語」。
特に良かったのは「貴公子」で、まさに麗しきロマンス、といった体。文字通りの帰還を果たした龍の姿を描く「帰還」も良かった。

◇「月齢」
廃墟で出会ったひとりの美しい少年。侏儒の群れのただなかにひとりいる彼はいったい何者なのか、という掌編。月の夜、美しい少年と醜い侏儒たちという奇妙なコントラスト。

◇「眠れる美女」
白百合の花咲く大地、その中心の大理石の石壇にあるのは、眠れる美女が収められたガラスの柩がひとつ――あまりにも美しいその光景がいちどきに反転する、その無残さときたら。


とにかくどの作品もうつくしいと、そうとしか言えない引力に満ち満ちている。
それはまさに、こちらを差し招く白い手。それが何者の手なのかは分からず、ただ手だけがそこに見える。それを取ればもう元の世界には戻れない。それを知っていてもなお、その手を取らずにはいられない。――そんなイメージ。

歪み真珠歪み真珠

国書刊行会 2010-02-25
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約7年ぶりとなる作品集は、15編を収録した幻想掌編小説集。神々の物語、現代の物語、どこかわからない世界の物語。あまりにも静謐で、どこか歪んでいて、どこまでもうつくしい世界が綴られていく。
特に気に入ったのは以下の5編。

◇「美神の通過」
エティンと呼ばれる荒野に美神が現れると言う噂が流れ、乙女たちはこぞって荒野を訪れる。なかなか訪れぬ女神、そもそもそれは本当に「美神」なのか……。
女神が通り過ぎていく、その一瞬が永遠になる物語。

◇「美しい背中のアタランテ」
俊足のアタランテは、女であるがゆえに戦に出られない自分の境遇に静かに憤怒する。そしてすべてを捨てて走り続ける。美しいその容貌は忘れ去られ、走り去るその背中だけが人々の記憶に残っていく。「美神の通過」と同様に、一瞬焼き付けられたその光景は、永遠となる。

◇「向日性について」
その地では、日のあたる場所では人々は活発に動くが、ひとたび影の中に入ってしまうと、静かに横たわり眠ってしまう。そんな話を聞く我々の記憶の中にも、その地を目にした覚えがあることに気付かされることがある。ひそやかに、あわあわとたゆたう光景、そのさまが「向日性」という性質を通して描かれる。

◇「ドロテアの首と銀の皿」
「ラピスラズリ」にも登場した「冬眠者」のエピソード。亡くなった夫との婚姻証明書を探す秋の日――冬眠の日が刻々と迫ってくる中、奇妙なところのある姪と共に「私」が見たのは、銀の皿に乗った「ドロテアの首」だった。
秋が終わると冬眠状態に陥る人々――「冬眠者」の女性を主人公に、彼女がその冬、眠りに落ちるまでに起こった出来事が語られていく。その奇妙で、でもどこか落ち着く気持ちになる日々の光景。たびたび起こる不穏な出来事すら、夢の中に織り込まれ消えていくよう。

◇「アンヌンツィアツィオーネ」
視界の片隅でしか捉えることのできない天使の姿。なんのために「それ」は彼女の側にいるのかわからぬまま日々は過ぎる。そして彼女が16歳になった頃、ついにその天使は彼女の目の前に姿を現し、彼女に訪れたあることについて告げる。この時のためだけに天使は側にいつもいたのだと、彼女はここで初めて確信する。恐ろしくもどこか甘美な滅びの預言。


どの物語も短いながら、簡単に読み進めることのできない複雑さを持つ。だがそれは、例えるなら絡まりもつれ合った細い金の鎖のようなもので――絡まる金鎖はそれ自体が精緻な紋様を描いていて、そのすべてを容易に理解することはできない。溢れるイメージを追いかけて、何度も立ち止まり、味わいながら読み進める。その繰り返しの行為にすら幸福を感じられる、そんな1冊。

ラピスラズリラピスラズリ
山尾 悠子

国書刊行会 2003-10
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時間潰しに寄った深夜営業の画廊。そこにあった銅版画は物語を紡ぐ――それは人形と、冬眠者と、聖フランチェスコの物語。冬を眠って過ごす人々の奇妙なエピソード。

「冬眠者」をめぐる書き下ろし連作長編は、読んでいるこちらを別世界に招き入れる――という言い方はぬるすぎる。まさに「引きずり込む」、そんな強い引力を持った幻想小説。

冬になると塔の中で眠りにつき、春まで目覚めない「冬眠者」の一族。そんな一族のある娘は、冬の間に目を覚ましてしまう。閉ざされた塔をさまよう彼女の前に現れたのは神か悪魔か――という「閑日」を始めとして、中世ヨーロッパを思わせる場所から日本とおぼしき場所まで、様々な場所を舞台に、第1エピソード「銅版」に出てきた謎の銅版画に秘められた物語が幕を開ける。

その内容と、はるかな高みからきまぐれに見つめているかのような、ある意味散漫かつ俯瞰的なその視線、そして硬質な文体は、タイトルの「ラピスラズリ(青金石)」そのもの。布張り・函入りの装丁とあいまって、重厚な印象を受ける。外観も中身もすべてが一体となった、これそのものが宝物のような、そんな作品。

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