落ち込みながら蛍を見に行く

18/12/4の空今日は以前からずっと休みだと思いこんでいたのに、シフトに休みを入れていなかったみたいで朝一番に職場から電話がかかってきた。
休みだということを伝えて、またベッドに横になって、そこら辺にあった漫画を読み返したりした。
「わたモテ」15巻とか、フィールヤングとか、あとはスマホで「僕の心のヤバいやつ」の最新話とか、「アンマイガールフレンド」の先読みを含めた最新話を読んだり、頭の上に猫が来たら触り、気持ちを慰めたりもしながらうたた寝て、昼過ぎにまた起きた。
入れ替えがあってシフトが変わってしまったことや、仕事や労組や誰かと会ったりということも多くて、なにもしないで一日を過ごす、ということが本当に少なくなった。
なので、こういった休みの日はとても貴重なもんになってきた。
午前中に母から電話がかかってきて、お世話になっている教会の世話人をしている母の友人の夫が行っている絵画教室の展示が市役所であるので車で連れて行ってほしい、と言われた。行くときは誘うので、と言いながら、車で迎えに行って市役所に行って、実家にまた送り届けてアンタ夜食べていくんでしょ、みたいなことになったら、一日の多くの時間がなくなってしまうなあとか思った。
3時くらいになってやっと家を出て、どこに行こうかと思ってフラフラと隣町のサイゼリヤに来て、ハンバーグのランチを食べながら、雁須磨子の「かよちゃんの荷物[新装版]」の下巻を読んだりする。本当に面白い。共感、複雑さと奥深さ、楽しくてそれとなく前向きで。これからも読み返すだろうなと思う。
ちょっとランチが物足りなかったので、辛味チキンを注文する。
ついに手の汚れない食べ方を見つけた。
そのあと、読んだばかりの「アンマイガールフレンド」の作者の松本藍のツイートを見ていたら、電子書籍で単行本が出るらしかった。すごく面白いんだけど、とっても地味なので、なかなか知られていかないのがちょっと歯がゆい感じだなあと思いながら、pixivに載っている読み切りを読んでみるとこれまた地味だけど良かった。
最近は、紙じゃ出ないけど電子なら出る、みたいなパターンが多いなあと思う。

最近のことを少し追加しとこう。
仕事では、春に経営層が代わって、新しい人が基幹システムを電子化するという方針を打ち出し、そのことがものすごいスピードで動き始めている。
自分も社内のシステムをなし崩し的に管理してきたので、リサーチとか業者選定とか、そういったことで深く関わることになってきている。
そんな中で名古屋に出張して導入会社を視察したりまでしている。
まあ、楽しいことではあるんだけど、通常業務との両立はかなりギリギリのラインだ。
そのうえ、輩が気持ちの安定しにくい状況が続いていて、ときおり話をしたりするものの、とにかくイライラしているのでなかなか自分の仕事を落ち着いてすることが難しくて、結構な綱渡り状態だ。

あとは、Kさんと色々なところに遊びに行っているんだけど、大日本印刷が京都工場の横に開設している京都dddギャラリーの展示が特に良かった。
「本の縁側 矢萩多聞と本づくり」という、装丁家の矢萩多聞の仕事を紹介する展示だったんだけど、とても面白かったのは、装丁に携わった500冊以上の書籍の全てが台の上に並べられていて、それを自由に見ることができるということだった。
それらを俯瞰し、また一つ一つ手に取ってみていってもわかるのが、それらの装丁に、明らかな共通点を見つけづらいということだった。とにかくそのアイディアの手持ちがすごいんだなと、とにかく驚いて、いつまでも見ていられるような展示だった。とっても自分の刺激になった。
いやあでも、なかなかこんな、人によっては退屈だろう展示に行こうと誘ってくれる人はいないなあって思ったりした。

その他は、定年で辞めた元先輩のTさんに誘われて、スカイビルの地下にあるビオトープに放たれている蛍を見に行った。
そこそこの雨で、傘を差しながら暗闇の中に目を凝らすも、あれ……かな? みたいな感じで、よく分からなかった。でもまあ風情は感じながら、居酒屋に行って飲んで、帰りに地下の阪神百貨店の前でやっているパフォーマンスを2組見てから帰った。
違う日には大阪駅前ビルの食べログで3.6というイタリアンの店に友達と行った。
3000円でチーズを溶かして食材にかけて食べるという料理「ラクレット」とドリンク飲み放題というコースを頼んだのだけど、入った時には夜の7時を回っていたのにガラガラで、本当に大丈夫かな、とか話した。
でも、食べてみるとなかなかどれも気が利いて美味しい料理で、ラクレットにパスタに肉料理にデザートと、結構満足したいい店だった。

なんかこの1ヶ月くらいは気持ちが本当に不安定で、かなり落ち込みも激しくて、一体どうなるんだろうとか思ってたんだけど、やっとこうやって日記を書けるくらいにはなってきた。
おおまかに言うと、読むことと各古都だけで心の安寧を保ってきたというところがあって、それさえ出来なければ本当に厳しいんだなとかも思った。
落ち込みがひどい時には、橋本治が亡くなってしまったことが殊更に思い出されて、悲しくて仕様がなかった。
それは今、元気になってきてからだって変わらないのだけど。

捗らず

18/11/10の空どうしてなのかわからないんだけど、ここ2週間ばかしとても精神状態が良くない。
朝は毎日早く目が覚めて、そこから休みたいと思ってぐだぐだしているうちに遅刻寸前の時間まで家にいたりする。突然悲しい気持ちになる。泣きたくなる。自分の考えたことなんてつまらないと思ってしまう。投げやりになる。疲れる。食欲もないのに食べてしまう。寂しくなる。誰かと交わるのがとても面倒になる。
それが理由が全然わからなくて、これが5月病なのかと邪推しながらももう何十年社会人やってきてるんだと思ったりもして、本当に訳がわからない。
目の前の人が本当は自分のことを見透かしていたりよく思っていないんじゃないかと思ったりする一方で、信頼する人と話をするととても癒やされるような気持ちになり、甘えた気持ちになる。でも面倒くさい。
厄介なのは、1日の多くの時間で「いやだいやだ」と思い続けていることだ。一体どうしたっていうんだろうか。
いやあ多分、文学フリマ東京への準備と参加とで、結構充実した連休を過ごした反動なのかなあ、とか思いながらも、辛い辛いと言いながらもう5月も終わってしまう。
日記の続きも捗らず。

連休と文フリ東京〈上〉

18/11/4の空昨日おとといと、めちゃくちゃ眠たかった。
昨日はなんとか日記でも書こうかといつものミスタードーナツの駐車場まで行ったのに、びっくりするくらい眠たくて、社内で1時間位寝てしまってもうこりゃだめだ、と思って家に帰った。
来客があるから部屋の中を片付けなくちゃいけないんだけど、ちょっとこの感じじゃだめだと思って、ごめんなさい、というLINEを送って、今回は外で会うことにしてもらって、その後気を失うようにして寝た。
それで、夜中には目の前を茶色い蛇が横切る悪夢を見てはあはあ言いながら起きて、明け方にも男性が口でサービスをしてくれるタイプの風俗の店に裸の男性の列ができていて、自分も裸になって店に入るんだけど、こんな体でいいんだろうかと思っていた、という夢を見た。店の中にいたのは茶髪や金髪のチャラい男ばかりだったけど、まあ不細工ではないけどなあとか思っていたのだった。
まあなんていうか、疲れているのだと思う。
連休期間は真ん中の3日間は仕事だったし、別に休みボケだとかそんなことは起こりえないと思っていたんだけど、水曜日から出勤して今日で3日、意外なくらい疲労感があるという。

連休前半はKさんと奈良のならまち付近を歩いたり鹿にせんべいをあげたりした。奈良は京都ほど混んでなくて、車も安く停められて思った以上にいいところなんじゃないか、と思った。
良さげなカフェもそこかしこにあり、20年以上前に住んでいた頃とはえらく変わっていて驚く。おばあちゃんしかいないような商店街だったのになあ、って。
気候も良かったので楽しかった。
あと、元同僚のYさんの家に呼ばれて遊びに行った。
飲みながら、Yさんの妻のアートディレクターSさんとダムの話とかアートの話や他にも色々と話した。中でも大戸川ダムの話とか、パブリックコメントの研究の話とかは面白かった。あっという間に終電の時間になる。そういえば元号が変わる前の日で、「みんな年越しそばとか食べてるみたいだけど」とわざと話題を投げてみても、なんの興味もないみたいで、こういうところが本当に信頼が置けるし好きだなあ、って思った。
後半は、地元で毎年やっているジャズイベントに、違う元同僚の人2人と行った。
徹夜明けだったからめちゃくちゃ体調が悪く、気持ちも安定しなかったけど、楽しい演奏はあった。なにかにつけて酒を飲む流れになってしまい、せっかく街のあちこちでジャズの演奏をして聞くチャンスもあるイベントなのに、居酒屋に2時間も滞在することになったりした。
そんなに酒が強くないこともあるし、自分のペースじゃない飲酒は時には辛くなることもあるなあと、思ったりする。楽しいのは好きなんだけどさ。

次の日には、2日開催のジャズイベントの2日目で、家からほど近い公園でフリーマーケットがあって、そこに気まぐれで申し込んであった。
まあ、昔ながらのバザーの感覚で、家のいらない本を持って行きゃあいいか、と思って参加したんだけど、周りは全員フリマ慣れした人達で、日よけの四角いテントをほとんどの出店者が持ってきていたり、出品物も明らかに「売り物」を持ってきているような感じだった。
そんなこともあって、結構惨めな気持ちにもなったりした。ダンボールに入れてきた本は、いかにもいらないもの、といった感じしかしなかった。
あとは、文学フリマ東京向けに作って完成したばかりの猫の写真集を横に並べたんだけど、手に取る人はいても買ってくれる人はいなかった。
途中で母と妹が冷やかしに来たけれど、500円は高いとか言ってさんざん立ち読みしたあとになにも買わずに行ってしまって、悪い客の見本のようなものだと思った。
まあ横にある公民館からは演奏が聞こえてくるし、不幸中の幸いで桜の木の下だったので日差しもしのげて気持ちのいい空間ではあったんだけど。
売上は120円だった。

しかし、連休期間の前から、ずっと文フリ東京に出す出品物の制作をやってきていて、相当大変ではあった。
ただでさえ毎日のことすらちゃんとできていない人間が、文章を書きレイアウトをし、印刷をして製本をして、ってことまでちゃんと間に合うのだろうかと思っていた。
それでも、計3日間徹夜したり、朝早く起きて作業したりと相当の時間を制作に充てて、珍しくも出発前日には、ここまででいいや、ってところまで作業を終えることができた。
特に猫の写真集は印刷するだけで4時間もかかったりして、相当手間がかかった。
他の冊子も、例えばこの日記のテキストを抜いてInDesignでレイアウトするなどのことも、意外と細かい調整が必要だったりした。
まあでも、他のことと明らかに違うのは、それらは全部楽しい作業だってことだった。
あとは、東京に出発するまでずっと気持ちが折れなかったのは、Twitterやnoteでフォローしていたカマンベール☆はる坊さんが始めた、「毎日線1本でいいから描いてアップする」というやつにとても感化されたからだった。
Twitterで漫画家をはじめ色んな人をフォローしているんだけど、かなり多くの人が、簡単だと思えるようなことのハードルが異常に高い、ということで苦しんでいる気がする。
電話一本かける、郵便物を開封する、そんな一見簡単なことに相当の気合とパワーが必要になる。そういったことは僕はもう、大まかにADHDなんじゃないのかな、とか思ってしまうんだけど(自分がそうなんで)、そうなのかそうじゃないかなんてあんまり関係なくって、要はやりにくいそれを、どうやって実行するのかだけだともいえる。
仕事もやらなくちゃいけないし、冊子作りたい。そんななかで、例えば線1本引いたらもう寝ていい、とか、一行でも文を書いたらもういい、みたいなハードルを低くするっていうアイディアにはとても助けられた。
とりあえず一つ終わらせよう、っていう感じで続けていき、どうにか準備を終えることができたんだった。
本当は、無料配布物を用意して、たくさん配りたいと思っていた。
でも、実際にできたのは、猫の写真集、この日記のまとめ、あとは今まで作っていた日記のまとめの前のものと自分の詩集を増刷したものだった。それでも相当の成果だ。
フリマが終わってから家族で食事に行って、それから戻ってポップなどを作る作業をした。
そうして、落ち込む暇もなく、次の日には東京に行ったのだった。

怖い言葉と怖くない手紙

18/10/28の空眠たいとか花粉症の影響なのか咳が止まらないくらい喉が痛くてってこともあり、なんか全然進捗が出せない毎日だ。
なににかって言うと、来月の連休期間の最後の5月6日にある文学フリマ東京に出店する予定だからだ。
なにを出そうかというのもろくに決めていないまま時が過ぎ、今、そこそこ焦らなくちゃいけないようなところまでやってきた。
既刊の日記まとめ売れ残りと、前回あまりにも売れないから自棄になって作ろうと思い立った猫写真集と、あとなにかまとまった文章を持っていきたいと思っている。
日々の仕事や、職場で発生するいろいろなことに心が影響され、忙しくなり、好きなことをする余裕が削がれているような感じで、なんとか取り戻さなくちゃいけないと思っている。
今も近所のマクドナルドでそれらをどうにかしようと思っているのに、思わずこうやって日記をとりとめなく書いていたりする。

昨日もこのマクドナルドでKさんへの手紙をしたためていた。
一つ思うのは、手紙というのはプロットもなく一発勝負の文章で、さらにはこういう独り言じゃなくて、明らかな相手がいるものだったりする。そんな条件で、数枚の便箋に渡って様々な話題をつなげながら、自分の真意を伝えていくというのは結構な難しさだと思う。
Kさんの手紙は、言葉や文章や手紙が相手を問い詰めたりするためだけにあるわけではないことを証明しているようだ。
正直言って、他人からもらう言葉が怖い。
メール、LINE、手紙、なにかが書かれた紙、「ちょっといいですか」から始まる話。
同じ性質の人間だったらわかると思うんだけど、こういったものが怖いから、読まずに放置する。そしてそのほとんどは大した話ではないんだけど、放置されたことで事態が悪化してしまう。
労働組合をやっていると、厳しい文書の応酬もあれば、匿名の怪文書を送られることもある。
職場に客向けの投書箱があるんだけど、気に入らない同僚がいるたびに無記名で投書箱に客を装った苦情を投稿するという頭のおかしい社員がいたりして、その被害に遭ったこともある。
まあ、そんなことばかりだったので、読む人間を全く不安にさせないような手紙ってものが、この世に存在し得たんだなあって、手紙をもらうたびに思ったりするのだった。

昨日は本屋でフィールヤング5月号を買った。
「違国日記」は槙生と笠町くんの話。笠町くんに突然ムラムラしてしまう槙生、という展開で、笠町くんがいい男だなんて今に始まった話じゃないだろ! と思いながら、よくわかんないんだけど、BLじゃなくて、こういう男女の恋愛の駆け引きみたいな漫画って、何周か回って結構いいかもしれないなあとか思ったりしたのだった。
友人としてと言いながら、お互い以外の人間とはセックスしないことにしようとか、さり気なく言ったりする笠町くんの話術というかそんなところも、とっても繊細な描写だし、毎話違った角度なうえに世界が拡大しているように見えて、この漫画は本当に面白すぎるなあって思う。
あとは、くらっぺの「はぐちさん」に、またもや戦争の記憶にまつわる描写が登場する。
作者は本当に意識的にこういった題材を扱っているような気がして、そのことが期せずしてはぐちさんの存在の不思議さと物語に深みを与えている。
Twitterで流れてくる漫画たちは面白いけど、そのほとんどが単行本で読むとなんだかがっかりする。
でも、その数少ない例外が「はぐちさん」なんだよなあ、って。
そして、須藤佑実の「夢の端々」は、1960年台の日本を舞台にしながら女性同士の秘められた関係をひりひりするような感覚で読ませていく。
今回とても興味深かったのが、作中で主人公の一人が発達障害と思しき性質を抱えていることを告白するシーンだった。こういったことも織り交ぜてくるんだなあ、って。
須藤佑実のすごいところは、「漫画」を描ける、ってところだ。
時にシリアスだったり、ちょっとふざけて崩したり、そんなことをしながらも、漫画は存在するものを写し取るだけでなく、枠を飛び越えて自由な場所に向かっていくものだと思う。
この長編の連載で、どんなクライマックスに向かっていくのか、それをどんな形で描いていくのか、楽しみで仕方がない。

そういえば今日は、ビッグマックとホットコーヒーのMにした。
お昼に売店の店長と、「彦麻呂が低糖質ダイエットで痩せはったんやて」みたいな話をしていた先からこれだよ、とか思いながら頼んだ。
あと、蛇足だけどウルフルズのメンバーが日本国記を読んで「日の丸、君が代、天皇、日本人として日本を愛する気持ちが大事」とか書いているツイートを読んだりして、本当に大阪にはバカしかいなくて申し訳ない、という気持ちになった。

価値観の外側

18/10/5の空今日は泊まり仕事明けで、残業して資料作りをしたあとに遅めに帰る。
家に帰ってもう一度寝直して、起き出しては冷凍チャーハンを食べたり、腹の上で丸くなっている猫を触ったりする。

漫画も読んだ。
2組のセックスレス夫婦の物語「あなたがしてくれなくても」の3巻を読む。有り体に言えば、セックスレスで悩んでいることで共通の悩みを抱える同僚の女性と男性が、お互いの話をしている間に惹かれ合っていく、というのがここまでの話だ。
これまでも、夫との関係、妻との関係で期待や失望を繰り返していく描写が、わかりやすく描かれているのにとても丁寧で、結婚したことがない自分でもこれまでの経験に引き寄せて共感を覚えてしまうような、なかなか痛いけど目が話せない漫画だった。
最新3巻はというと、ついにそんな仲になってしまった2人の、不倫をしているという後ろめたさが全面に描かれていて、物語自体はまあ、バレるんじゃないかという心配で読んでしまうんだけど、共感したり考えさせられる、といった点ではちょっと弱かったような気がする。
なんていうか、単に俗っぽくなってしまったという気がしてしまった。
この漫画が今後、どうなっていくのか気になるけれど、渡辺ペコの「1122」やこだまの「夫のちんぽが入らない」のような提示があるなかで、これまで当たり前のようにされていた価値観の外側に関係性を拡張したり逸脱していくということ以外には解決策ってないんじゃないかなって気はするなあ。

あと今日は、布団の中でずっと、境界性パーソナリティ障害(BPD)について調べていた。
自分の発達障害を発見したときのように、状況を入力して検索を繰り返して調べ続けて、たどり着いたのがこれだった。
どうやってBPDの人と向き合い、つきあっていけばいいのかについて、少なくない人が悩んできたということがわかってきた。
これまで自分が職場でそんな同僚にサポートしてきたことについて、その多くはそう間違っていないみたいで安心した。それでも、日々とても難しい。
少しずつ自信を持って働いてもらうためにどう支援をしたらいいんだろう、なにを肯定して、どこは否定しなくちゃいけないのか、どこまで聞いて、どこからは聞かなくていいのか。
依存する関係にならないように接近し過ぎず、だからといって見捨ててなんていないということを伝えていくのは本当に大変だ。ちょっとした誤解を生むような言葉を一言言っただけで、深く傷つき、攻撃的になり、オセロが裏返るように敵だと思われてしまうから。
調べていても、例えばBPDの恋人を持つ人なども、疲弊して共倒れにならないように、どうやって関係を作っていけばいいかについてとても悩んでいるということがわかる。
しかしなんだろう、こういったことに関しても、毎度のことながら誰の助けも期待できない、いつも孤独な戦いばかりになってしまうなあと思う。
具体的なことをあまり書けないのが心苦しいけれど、まあ糸口だけは見つかった気がした。

「つばめの来る日」を読む

18/9/24の空今月は、なんとなく無為に過ごしたなあと思ったりする。
先月はいろいろなことがあった。ちょっと前向きになれるか、とか思いながらだったんだけど、3月になってからは花粉症がとてもひどかったりして、季節が変わりつつあることだってあまり意識できない。いや、だってまだ寒いし。

日曜日もずっと寝ていたし、今日もそうだった。
仕事はそこそこやる気もあるし、ちょっとずつ片付いてきて入るんだけど、家に帰ると今日もまあ頑張ったんだしいいかとか、寝れるだけ寝たらいいとか思ったりして、こうやって日記を書くことすらままならない。
今日はなんとか夕方から外出することに成功し、ミスタードーナツに行ったり、本屋に行って漫画を買ったり立ち読みしたりした。

kissで始まって、界隈が騒然としているという志村貴子の大人の女性同士の恋愛漫画の1回を立ち読みする。期待しかない始まり方で、それでも過剰に期待しすぎちゃだめだなあと一方で思おうとしている自分もいる。
あとは「惰性67パーセント」の5巻を買ってさっきまで読んでいて、間違いない面白さだった。
「アスペル・カノジョ」の2巻も買って第、こっちも楽しみにしている。ASDで苦しんできた女性と暮らすことになった漫画家の男性が、真正面から彼女に向き合っていくという、見た目以上に真摯な漫画だ。

あとは、電子書籍で読み直していた橋本治の「つばめの来る日」を読み終わった。
ああ、こんな感じだったなあと思いながら、やっぱりひとつひとつの短編が染み入るように良かった。
評論で見せるような口調そのままに、これはこういうものなのである、っていう橋本治のいい切るような言葉が散りばめられていて、それは小説としてはちょっと大きすぎる作者の声なのかなあとも思うんだけど、でも、それを含めて登場人物の心の移ろいがかなりの的確さを持って書かれているので、どうしても読みながら共感してしまう。
Twitterで橋本治のことをつぶやいたときに、ここに収められた「アジフライ」はあなたがモデルなんじゃないか、と言ってくれた人がいた。
でも、やっぱりこれは、全部が橋本治の個人的体験がベースになっているんだなあ、って改めて思った。
僕は、その一部がとっても似ていただけなんだけど、いい小説のひとつの特徴に、読んでたら全部自分のことのように思ってしまう、ってものがあると思う。
孤独なボクサーも、家の前でジュースを飲みながら夜空を見上げる中学生も、36歳になって初めて自分を愛してくれる人間を見つけたコックも、みんな橋本治の体験や手触りから明らかに生まれたもので、でもそのどれもが、これは自分のことに違いない、っていうものを孕んでいるっていうのは、結構すごいことなんじゃないのかなあ、って思う。
読みながら落ち込んだり、心の奥底で共感したり、自分の知っている手触りを思い出したりしながらも、橋本治は自分にとってとても個人的な人で、そんなことと切り離してなんか読めやしないんだなあ、って思うんだった。

季節の変わり目と、男という表層

18/9/23の空先週の火曜日にKさんと咲くやこの花館にたぶん初めて行って、なかなか良かった。
昔の印象ではラフレシアがあるくらいしかなかったんだけど、様々な地域の植物が植えられて、それが長年丁寧に維持されて来たんだということにとっても感心したし、普通にどこも面白かった。
バレンタインの季節に合わせて「カカオとコーヒー展」というのがやっていて、職員の人が育ち方から加工方法までの説明をしたあと、カカオニブを食べさせてくれたりした。
雨でなおかつ平日だったんで、人も少なくゆっくりと見れて、風情もあるような気がした。

次の日は大きな展示会に隣の部署の人達と行った。
1日中歩き通しで、思ったよりも疲れた。それでも導入を検討しているシステムの有力な候補を見つけたりして、うまく行けばそんなに遠くない時期に7千万円くらいするシステムが導入されることになるかもしれない。
そのあとみんなで居酒屋に行って飲んで食べてしたんだけど、次の朝起きたら明らかに不調で、風邪を完全にひいたような状態だった。
ちょっと酷かったので仕事を休み、一日中寝ていた。
それで、それ以来なんとなく不調が続いている。季節の変わり目だからだろうか。
寝込んでいるときも、読みかけの本や漫画を読み散らかしながら、様々なことを考えた。
なにか書きたいとか、考えていることを整理したいとか思うんだけど、疲れの方が強くてダラダラとしてしまうというね。

なんかこの頃は、橋本治が死んでしまったということと、その日以前に広河隆一が起こしたことについてどう考えたらいいんだろうということを考えてきたこととがなんとなく頭でつながって来るような感じがある。
2回前に書いたブログの記事が読まれて、それを受けたTwitterの投稿を見かけた。
橋本治が、男は社会的な生き物としてしか生きてこなかったから、自分の内面を怖がって見ることができない、みたいな(本当に意訳)話をずっとし続けてきたんだけど、女がBLで男の内面をひたすら描いてるのって、男に代わって女がそれをやってるようなもんだよね、っていう感じの話で、ああ、そうだよなあ、って思った。
「蓮と刀」で橋本治は「男はみんなホモになれエッ!」って言ってて、あとは「女の子には未来があるけど、男の子には未来なんてない」とも言ってて、それって、男って、社会という表層にしか自分が存在しないと思い込んでいて、それがいかに虚しくて悲しくて未来がないことなのか、って話なわけだ。
ここらへんは、大人の男がニュースで聞いたことを並べ立て合うような会話しか他人とできないのはなぜなんだろう、ってことにもつながっていく。
男は自分自身の内面と向き合うことができない。向き合うことがどうすることなのかもわかってない。
だから、広河隆一の周りにいる男たちも、その性的搾取が繰り返された原因を、内面に求めることが全くできない。
だから、橋本治が「男は早く男とセックスしなよ!」って言ったことと、「女が男に代わってBLで内面描いてる」話っていうのは同じなんだよなあ、って思う。
もうちょっと、ちゃんと考えてみたいなあと思うけど、さらに最近思ってることは、全共闘世代の子供世代の自分たちにも、親の世代のものを引きずって生きてきた部分があって、それは正しいもので不変なものだと思い続けてきたけれど、もしかしたらそれらを含めて、一旦断絶する必要があるのかもしれないなあ、ってことだったりする。

橋本治が「じゃァね」と言って、いなくなった

18/9/12の空もともと僕たちに対してそんなことをする人で、突き放すかのようなところが本当に、この人の優しさだったんだなと思う。
あまりにも凄惨なこの時代に、僕たちになんの声もかけないで突然この世から消えてしまって、それは、「あとは君たちでやんなよ。じゃあね」と、そんなことを言っているんだろうなあって思う。
それはたぶんいつもながらにとても温かくて、そして呆気にとられるような寂しさでもあり、正直言って、未だにどうしたらいいのかわからない気持ちでいる。

1月29日に橋本治が亡くなった。

橋本治が亡くなったのを知ったのは、その日の夜、家に帰ってきてTwitterのタイムラインを眺めていた時だった。
ついに来てしまった。もうおしまいだ。そんな思いが頭を過った。
どうしたらいいのかわからなくなった。
そのまま「橋本治」で検索して出てきたツイートを読み続けた。
あまり体調が良くないらしいということは「ちくま」の連載などからうかがえていて、でもまあ、思っていた。橋本治だし、死なないだろうな、って。
その一方で、昔からずっと、橋本治だっていつかは死んでしまう、それまでにどうにかしなくちゃいけない、と思い続けてきた。
そんな日が、ついに来てしまった。
それから何時間もずっと落ち着かずに、部屋の中をうろうろしていて、なんか書こう、なんか言おうと思ってなにも書けず真夜中まで起きていた。そしてやっと、とりあえずあのことを書こうと思った。
自分がただ一回だけ橋本治に会って、言葉を交わすことができた時のことだった。
そのことを書き、分割してTwitterに投稿した(リンク)。
1.#橋本治 がこの世にいない生まれて初めての夜に、自分が橋本治に会った時の話をしようと思う。
当時あった小学館のヤングサンデー主催で「橋本治と耐久!!72時間サマーセミナー」というのが1992-94年の3年間行われていて、93年に参加した。
2.僕は中学校の時に一緒にいるだけでとにかく楽しいとても仲のいい友人ができたんだけど、ある時距離を置かれてショックで登校拒否にまでなってしまった時期があった。そのことを、それからも訳がわからないまま悩み続けていた。
3.その後高校生になってから、偶然人の家の本棚で橋本治の「恋愛論」を勝手に読んだ時、泣きたくなるような衝撃を感じた。橋本治の同級生の男の子に対する恋愛話は、まるで自分自身の話のように思えた。初めて、自分は彼の事が好きだったんだって、全部分かった。
4. そしてとにかく激しいくらいに「愛されたい」って思うようになった。そのあと今度は、なんでこんなことばかり考えてるんだろう、って苦しくて仕方がなくなった。
5.その2年後、読んでいたヤンサンのセミナーに、それ以来自分にとって特別な存在になった橋本治が来ることを知って、絶対行かなくちゃいけないと思って思いの丈を書きつけた文を添えて編集部に応募したら、40人の中に選ばれた。
6.長野県の2階建ての旅館みたいなところでセミナーはあって、橋本治の他に三代目魚武濱田成夫とか、やまだないとも参加していた。
橋本治は原稿でとにかく忙しく、司会の編集の人が「先生を72時間も拘束しようなんてことは、ありえないくらい難しいことだから大事にしてほしい」と言った。
7.その通りに度々自分の部屋に引っ込んでしまってずっと話をしてくれるわけじゃなかった。
でも僕は橋本治に会った時、絶対に聞きたいことがあった。なんで彼に距離を置かれたんだろう、なんでその後、誰かに愛されたいと思ったんだろう、って。
8.唯一セミナー中に気にかけてくれた年上の、結婚直前に恋人を事故で亡くしたという大変な経歴の女性にそのことを話したら「勇気を出して行って来なよ!」と言ってくれた。
9.その時は最終日の朝で、ずっと籠もっていた橋本治が、偶然庭に出て、池の鯉をぼんやり見ていた。たぶん最後のチャンスで、僕は心臓が止まりそうになりながら下駄を履いて走っていって、すいません、と声をかけた。
10.自分のことをしどろもどろに話すと「うん、読んだよ」と言われた。編集部に送った手紙も読んでくれていた。そして「あの、僕はどうして誰かに愛されたいなんて思うようになったんでしょうか」と聞いた。
11.そうしたら橋本治はほとんど考えもしないで、池を見ながら、「それはねー、君がさ、『未来がほしい』って思ったからなんだよ」と教えてくれたのだった。
12.僕はその時、今に続く未来を橋本治にもらったんだと思う。止まっていた時間が、初めてあの時に動き始めたんだって、今でもずっと思ってる。
13.それが、橋本治とのたった一度きりの出会いだった。
これまでそのことを忘れたことはなかったし、これからも、絶対に忘れないと思う。
誰にもわかってくれなくても、橋本治は、僕にとって全ての大人の中で最も大事な人だったんです。


すごく甘ったるいこと書いてんな、とも思ったけど、いいや、こんなのだって橋本治の影響なんだし、と思って、そのあとは疲れてそのまま寝た。
次の朝が来ても、こんな日になんで仕事しなくちゃいけないんだと散々思いながら、なんとか家から出た。
そのあとくらいから、この投稿に反応が来るようになり、その後、想像を遥かに越えた人に共有されるようになった。

僕は、それこそサマーセミナー以来、これまでに橋本治が好きだという人に会ったことがなかった。「橋本治も面白いよね」って人はいたとしても。
だから今までもずっと、橋本治「が」好きな人なんてこの世にいるんだろうか、くらいのことを思って生きてきた。
だから、なによりも嬉しかったのは、自分のように橋本治がずっと好きだったっていう人達から反応をもらったことだった。こんなにいたんだ、って思った。
普通、誰か作家を好きだってことは、当然ながらそのそれぞれの作品が面白かったり感動したってことだ。でも、橋本治を好きだってことは、ちょっと違うんだよなあ、って思う。
そのことを他人に正確に説明することは本当に難しい。さらにそれが「自分のこと」だったらなおさらだと思う。
投稿にコメントしてくれた人達も何人もいて、そのなかには、僕と同じように、「どうしよう……」って思ってとりあえずいろんな人の投稿をずっと見ていた人が多いってことがわかった。
ニュースなんかでも、色々な言い方で生前の功績を通り一遍に伝えていた。
けれど、橋本治がどんな作家だったのかといえば、みんながどこかで橋本治の言葉に出会って、読まなくなってからもそのことに支えられ続けてきた、っていうことをもうみんな、自分の言葉でそれぞれに語り始めてしまう、ってことに尽きるんじゃないかなって思う。
僕自身も、出ている本の一部しか読んでいない。それでも根拠なく、誰よりも橋本治のことを特別にわかっていて、特別に好きなんだって思っている。それは、みんなそうなんだろうと思う。

もらったコメントの中で、まず驚いたのは、サマーセミナーの時にゲストとして参加していた漫画家のやまだないとさんが、あの時、僕が橋本治に話しかけるところを遠くから見ていたということを話してくれたことだった。
あれ。
この人のこと覚えてるよ。いや、この光景覚えてる。朝起きたて外を見たら、橋本治さんと男の子がふたりで話してた。窓の向こうだからすごく静かで、綺麗な光景でした。
(やまだないと @naito_stylo さんのツイートより)
僕はこの時のことの記憶をずっと思い出してきたけれど、そんなことをしていると、次第にそれが本当のことなのかわからなくなってくる。もう本当でもそうじゃなくってもいいと思いながら。
だから、こんなに鮮明に(ちょっと美化されたような感じもするけど)誰かが見ていて、そのことを覚えてくれていたことってすごいなあって思った。あれからもう26年も経つっていうのに。そしてそれが、やまだないとだったなんてなあ。
あとは、女子プロレスラーファンのアカウントから「そう、橋本治はあなたが書いた通りの人でした。柳澤健より」というコメントがあった。
柳澤健さんといえば、わかる人にはそれだけでわかる、橋本治に弟子入りしたこということでも知られている、ノンフィクション作家だ。
僕は、特に20代にかけてはとてもこじらせていた時期があって、橋本治と一緒に暮らしたいとまで妄想していた。今考えればほぼストーカーのそれなんだけど、あると思うよね、そんなことって。
だから、橋本治のプライベートの近くにいた柳澤氏に届いたことに驚いたし、そして「書いた通りの人でした」なんて、この人にしか言えないようなことを言ってもらえたのは、嬉しかった。
他にも、「無花果少年と瓜売小僧」を読んで何度も泣いたという男性から自分も共感するようなコメントをもらったり、橋本治が10代の後半から20代のわたしをかろうじて生かしてくれていた、という女性からコメントをもらったり。
あとは、僕の別のツイートに関連してコミックビームの編集長から、編集者としての自分に橋本治は「極めて直接的、本質的な影響を与えています」という返信をもらったことも嬉しかった。
Twitterの投稿としてはとても長い分量の連続投稿がこんなに読まれて、共有されたこと、そしてそのことでいろいろな反応があったことはとても嬉しかったし、自分の一部を喪失したかのような時間が訪れた直後に、本当に慰められた。

部屋の中の本棚を漁っていたら、二十数冊橋本治の本が出てきた。
・無花果少年と瓜売小僧 ほか桃尻娘シリーズ
・貧乏は正しい!
・シンデレラボーイ シンデレラガール
・ふたりの平成(中野翠との共著)
・窯変源氏物語
・蓮と刀
・巡礼
・暗野
・花咲く乙女たちのキンピラゴボウ
・ぼくらのSEX
・ぼくたちの近代史
とかいろいろ。
橋本治を読んだことのない人からも「読んでみたいと思います」というコメントがあって、ぜひ! って言いたい一方でちょっと頭を抱えたのは、なにがその人にとって一番いい一冊なのか、まるで見当がつかないってことだった。
なんていうか、僕はもう、橋本治の内側にいるので、どこから入ってこれるのかがよくわからない。
本当に漫画が好きな人ならば「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」、本当に映画が好きな人ならば「虹のヲルゴオル」を読んだらいいよ、っていうことくらいは言えるかもしれないけど。
まあ、手に入る限り昔の、それも評論系を読むのが一番、橋本治の熱が伝わりやすいとは思うけど、これも全く正解じゃない(そのうえ現在時点で手に入れられる本に限りがあるってところも辛い)。

で、このことをきっかけにずっと考えたりしてた。
なんで橋本治が好きなのかについて話す時、それが最初に書いたツイートのような出来事が自分の奥底にあってのことなので、なかなか他人に伝えるのが難しかった。
別に隠してなんかない、とか言いながらも、そのあと起こることも含めて面倒だときっと思ってたなあって思ったりした。
そんなことを思っていた矢先の先週、女性の後輩と食事に行ったのだけど、「うさ山さんって、男の人に興味あるんですか?」って普通に聞かれて、思わず「そんなことないよ」と言ってしまった。
こんなに性的指向についてはっきり聞かれることって、考えてみれば、それこそ打ち明け合っている親友をのぞいて、40年以上生きてきてもほとんどなかったから、なんの準備もしてなかった。
その子がなんでそんなことを聞いてきたのかわからないけど、最近は例えば居酒屋の男の店員を見て、「あの人とかどうですか?」とか聞いてきたりしてたから、なんか思ってるんだろうなとは感じていた。でも全然重たい雰囲気ではないし、どちらかといえば自分に好意的な感じなのかな、とも思えるくらいだった。
だったら、僕は男でも女でも、どっちも好きになったことがあるし、これからもそうなんだろうなと思うってことを普通に伝えればよかった。でも、それができなかったなあ。
自分のセクシュアリティをどう認識するのかってことは、誰かのためにあることじゃない。ただ自分が自由に生きていくために、だけにあるんだと思う。
そう思って、大事な人にも言ったりすることは、してこなかった。すごく、矛盾してる。
いやあしかし、全然自由になんかなれちゃいなかったなあ。

そんなことがあったりしながら、なにかを書かなくちゃいけないと思って読んでいたのが、「シンデレラボーイ シンデレラガール」だった。
たった1日で書かれたという10代向けのこの本は、最初から最後まで、僕たちが「男」でいること、「女」でいること、「子供」でいること、「大人」でいることを、グラグラに揺さぶり、そして煽り立てる。
そうだよなあ。
目を、つむってばかりもいられないなあって、思う。
あなたのいなくなった人生を、これからは一人で生きていかなくちゃいけないし、でもそれは、あなたがいなくなった今でも、未来へと向かっているのだからさ。

サア、目を閉じてごらん。
ホラ、いろんなものが見えて来るから。
見えて来たら、今度はチャンと探すんだよ。
探して、見つかったら、もう絶対に手を離しちゃいけないよ。
だってそいつは、きみが一番出会いたかったものなんだからね。
キチンと見つけるんだよ。まだ時間は、たっぷりあるからね。
でも、いつまでも目を閉じっ放しにしちゃァだめだよ。
だって人生はいくらでもやり直すことは出来るけど、でも人生は、きみが目をつむっていたら、いつだって簡単に通り抜けるんだからね。
もういやだよね?
きみだって、現実の中にいるんだものね。だから、きみだって、もうそろそろ、自分の人生を生きはじめたってたっていいんだよ。
じゃァね。
早くしないと、きみの人生が通り過ぎてっちゃうよ。
―橋本治「シンデレラボーイ シンデレラガール」最後の部分の抜粋

男が作る「リベラル」について

18/9/10の空仕事でも、個人的なことでもなんとなく浮き足立ったような1月がもう終わろうとしている。
伏見稲荷で引いたおみくじは「末大吉」で、一体どっちなんだと思いながらも後で調べたら上から5番目だった。
でも、複雑なことで有名な伏見稲荷のおみくじを初めて引けただけでも良かったような気はする。けれど、17段階中5番目がどれだけいいのかはわからないなあ。
自分の身の回りに悪いことが起こっていたわけじゃない。
冷静に考えたらむしろ逆に、いいことばかりが起こっているんじゃないかとも思う。
こんな時にどうしたらいいんだろうか。
いいことが起こった時、そのことが本当に起こっているのかどうか信じることができない。とても警戒して、状況証拠を頭の中で吟味して、初めて、もしかしたらこれはいいことなのかもしれない、と思ったりする。
そんなことばかりしていて遅かったことも数多くあったような気もするし、そこはちゃんと自分のことを肯定しながら、向き合っていかなくちゃなあと思う。

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相変わらず嫌なニュースばかりが続くけれど、最近一番気になったのは、ジャーナリストの広河隆一が性暴力で告発されたという話だった。
セックスの強要を始めとした女性に対する性的搾取の数々が報道され、本人もその事実を否定しなかった。
僕はそれらの事実には驚いたけれど、同時に、あったんだろうな、とも思った。
その後、江川紹子がTwitterで、広河隆一とかつて関わっていたジャーナリストの土井敏邦のコラムをリツイートしつつ、「リベラル界でいかに人権侵害が放置・隠蔽されてきたか」とコメントしているのを見た。
そしてそのコラムを実際に読んでみた。
そこでは、土井氏がこれまで広河隆一とどう関わってきたのか、そしてその広河の業績を紹介することに多くの言葉を費やしていた。
そしてそれと同時に自身が幼少時に父親の女性問題で苦しい思いをしたことや、そのこともあり「『第三者の自分には内情はわからないし、口を挟むことではない』と突き放した心理の奥に、『男と女の問題なのだから、男性側だけではなく、女性側にも問題があったのではないか』という意識が私の中にあったと思う」という独白が書かれていた。
あとは、この事件をもって広河隆一の業績を全否定することなどあってはならない、ということと、この件が権力に利用されるのではないかという懸念が表明されていた。
それらを全部読んだあと、ああ、これはよく知ってるやつだな、と改めて思ったりしたのだった。

僕がもう20年近くも労組活動を通じて間近で関係してきたある新左翼グループの人たちは、ジェンダーやセクシュアリティの違いによる人の苦しさを重要視せず、家父長制を利用し身近な誰かに強制することを生活の土台にしながら、その上でリベラルな思考や、さらに言えば「革命」を標榜しているように見え続けた。
そう、女性を身近な場所で搾取しながら、全てのマイノリティはプロレタリア革命=労働者の解放によってのみ救われるんだという論理に全てを還元しようとする。
そんな、もう一生治らないんだろうなと思われるような宗教じみたマッチョイズムを、辺見庸とか広河隆一だけではなく、左翼を標榜する団塊おやじは抱え込み続けてきたんだと思う。それは、「革命」が「社会運動」という言葉に変わったとしても同じだ。
その一つの大きな特徴は、そのマッチョな思想を変えがたいものとして(「引きずる」みたいな言い方をして)自分の中で温存し、その外側で「弱者への想像力が必要だ」と平然と言うことができる点だ。
橋本治が何度も言っていたように、男が一番怖いのは自分自身の内部と向き合うことで、そして、それを徹底的に避けようとするのも男なのだと思う。どれだけ自己を客体化することができたとしても、自分自身を切り開いてその中を見ようとすることなどしない。
僕が働いている職場においてもかつて(かなりの昔だけれど)、重職にある男が女性に対して信じられないような性的搾取事件を起こし、そのことが組織の論理によって揉み消されたことがあった。
このコラムもそういったことと同じだと思った。
大きな正義が強調され、個人の痛みは遠く突き放された場所にしか置かれない。そして他人を搾取し傷つけた事実はドメスティックな関係性で起こったことだと強調されて徹底的に矮小化される。そして極めつけは、こんなことで内輪揉めしていると権力に弾圧される、とかいう常套句だ。
僕は、こういった性差別に関することを始めとしたなんらかの権力側にいる人間の感覚として、「無自覚でいた」と言うことがなにかのエクスキューズになるのかなってことについて、疑問をいつも抱き続けてきた。
自己批判なんて結局は、自分の外側で問題を処理することでしかない。
だから、広河隆一のやってきたことは、その奥底に横たわっていたものを含めてまるごと批判されるべきものだと思う。
両親、特に父は安保世代の活動家だったから、それこそ子供の頃から今に至るまで父を含めたそんな人達を間近にずっと見てきた。だから、ああ、ああいう感じのやつだなと、このことを知った時に思ったのはそういうことだった。

だって、左翼がずっとやってきた闘いっていうのは、人間が自由になるための闘いだったんじゃないの? って思う。
でも、僕が見てきた限り、そういった人たちは、人間がひとりの固有な、自由な存在として生きていくということをほとんど公に肯定しようとしなかった。
それらの思想が、誰かの苦しみを利用したり、温存された差別意識のもとにあったからだとしたら、もうそれこそ絶望的だ。この世の中の誰が一体、自分の苦しみと闘ってくれるっていうんだろう。もう誰も助けてくれない、って思うだろうと思う。

でも、去年からそういった手付かずの部分がやっと少しずつ露わになってきたのは、それこそ小さな光だと思う。
団塊の世代の、男だけじゃなくてその共犯関係にあったともいえる女たちの限界を受けて、やっと旧いものから新しいものに変わろうとしているのかもしれないって思ったりもする。
そう考えると、僕たちの世代で一度、途切れてしまわなくてはいけないんだろうか。
こんなことを書きながらも、マッチョの中で闘い続けてきた親の世代の人たちが多くいることだって知っている。
でも、自分はいったいどうしたらいいのかって考えると、本当に心が苦しいなあって思う。

文フリ京都でカレー

18/9/8の空今日は、京都岡崎で開催された文学フリマ京都に行ってきた。
同人の例会で出してきた自分の詩をまとめたものを、新刊として持っていった。
新刊や無料配布ペーパーなどををいくつか作ろうかと思っていたけれど、金曜日の夜に遅くまでびっくりドンキーで友達と話をしていたりした余波で時間がなかった。

昨日はその現代詩の同人の例会で、久し振りに主要メンバーが全員揃い、いつものように合評をした。
とにかく気持ちの余裕がなかったので詩を書いて持っていくことができなかったんだけど、出した年賀状の詩を持ってきてくれている人がいて、それをコピーしてみんなで合評となった。
自分の詩は
・人間は進歩なんてしていないのにまた万博とはめでたいですね
という詩だった。
あと、この日に合評をした同人の詩は2つで
・新年だと言っても特に改まるわけじゃないけどセックスを描写した短歌には惹かれる
・夕方に街路樹と月がいい感じになる角度を探しながら上を見て歩いていたら車道に出そうになった
という感じのものだった。
そのあとはあべのの串焼き屋で飲んだ。覚えてないけどいろいろと話す。
同人の人たちは、なんていうか文化的な感性が高かったり、自分より二回りは歳上だからということもあるんだろうけど知識の積み上げがとってもあるので話していていつもながらに面白い。別にそんな小難しい話をしているわけじゃないんだけども。
文フリにも誘ったけれど、ちょっと遠いこともあり、京都に住んでいる同人のKさんが来られないということで、1人でやることになりそうだった。

梅酒2杯でほろ酔い加減で家に帰り、文フリ用の冊子などの準備をしようかと思っていたんだけど、すごく眠たくなってくる。それでもスマホを使ってWordファイルをプレーンテキストにする作業をちまちまやってたら力尽きて、結局ベッドで寝てしまう。
それから寝て起きてを繰り返しながら結局6時半くらいに起きた。
11時開場の文フリに間に合うためには、10時前には地元を出なくちゃいけない。逆算すると作業時間は3時間半程度だ。
割り付けデザイン1時間、印刷1時間、製本1時間……でなんとかならないだろうか、と思いながら、車で作業場に行って7時半位から作業を開始した。
一番助かったのは、元になる原稿が使える状態でまとめられていたことだった。昨日の自分えらい。
そこからInDesignで一気に作業を進め、本文と表紙の用紙を印刷し、昨年ついに買った中綴じ用ものさしを使ってホッチキス止めをして、最後に小口を化粧断ちし終わったときにはもう9時半だった。
設営用のミニイーゼルなどと一緒にその新刊もリュックに押し込んで慌てて出発し、電車バスを乗り継いで、なんとか開場直後にブースに座ることができた。

持っていったのは、詩の同人で作っている同人誌のバックナンバー3号分、この日記をまとめた本2冊、それからさっきできたばかりの自分の詩集だった。
詩の同人にいて作品を作ったりしているくせに、特にそれらをまとめたり、全然知らない人に見せようなんて思いもしてこなかった。
そうなった大きな要因は、去年外部の同人誌の合評会に行ったことをきっかけに、主宰のSさんに自分の詩が好きだとと言われたことで、意外とそんなこと言ってくれる人っていないよなあとか思って、そこからやる気になってきたことがあった。
でもまあそれでも、自分の詩を他人に見せるとか普通は考えられないことで、なんか内臓を晒すようなものくらいの感覚だ。
それでも一番他人に見せたくない、「至らない自分」みたいなものも、そろそろ出してってもいいんじゃないかなあと思ってきた。
こんな至らない、下手だしつまらない、ひとりよがりなものを、そのまま他人に提出するのは誰だって堪え難いことだと思う。でもそれは、多分全ての表現する人が直面し、乗り越えてきたものなんだとは思う。
去年の終わり頃からやっと余裕ができてきて、いろんな人との関係をつないでいけるようになってきて、そういった中で、こんな自分でも受け入れてくれる人がいるんだなあと思えるようなことがあったことも大きく、なんというか心のガードを下げるというか、ついにそんな心持ちになってきたんだなあと思う。

とはいえ、文フリに持っていった同人誌たちは全くといったくらい売れなかった。
両隣のブースの人が買ってくれて、あとは件の同人主宰のSさんとその同人のIさんと、本当の一般の人に売れたのは多分1人だけだったんじゃないだろうか。
30代くらいの赤いジャンパーを着た格好のいい男性が、中もほとんど見ないで、買うのを決めていたような感じでぱっと買ってくれた。あれは一体何だったんだろうか。
あるブースの詩を出していた女性は、個性の強そうな粘っこい喋り方をする男性に度々話しかけられていて、売れてたからいいんだろうけど大変だなあとか思った。まあでも変わってない男が詩なんて読まないだろうしなあとか、詩集を並べながらも思ったりした。
しかし本当に売れなくて、そのことがなんか今日は特に身に沁みた。慣れてるのになあ。
そんな気持ちで見本誌ブースに行ってもほとんど引っかかるところがなくて、まあそれでもいくつかノンフィクション系の冊子を買ったりもらったりした。
なんだか久し振りに人見知り全開といった感じになってしまって、ここ1週間くらいメンタルが弱ってるからなのかなあ、とか思う。
何故か文フリといえばカレーを売っていて、今月のコミックビームに載ってたオカヤイヅミの「ものするひと」にも、主人公の純文学作家に憧れる周辺の人間として描かれるマルヒラという登場人物がカレーを買って食べるシーンが出てきていた。
普段からすごくマルヒラに感情移入していたので、初めてカレーを買って食べてみる。いい香りで、ちゃんとスパイシーで、ほぐしたチキンの身が入っている。ただ、コクが足りないような気はした。
左隣のブースの女性は特にとてもいい人で、ラグビー好きが昂じて、詩をペーパーに描きつけたものを売っていたんだけど、時折話しかけてくれたのでとても孤独が紛らわされて本当に助かった。
なんでその人の出品してたものを買うのを忘れてしまったんだろうと思って今でも後悔している。
でも、せっかくこっちのブースに来てくれたのに、Sさんたちのブースに行くことができなかったり、今から思えばけっこう気持ちが消耗していたような気がする。
無料配布のペーパーとかだけでもあれば、ちょっとは違ったのかなあとか思う。
やっぱり、好きだから信念を持って(売れるとかそんなこと考えずに)作って出す、ということと、元気が出る程度に売れる、ってことはある程度バランスが取れていたほうがいいよなあ、って思った。
本当は時間があれば、うちの猫の写真集を作って、猫だったら売れんだろ! みたいなこともやってみたいと思っていたんだけど、それは間に合わなかった。
というか、2時間半で20pの同人誌20冊を作って持っていっただけでよくやった方じゃないのかと思う。
これまで文学フリマに参加して以来一番疲れたんじゃないかという時間も終わって、帰りの電車では眠り込んでしまった。
もう懲り懲りかといえばそういったこともなく、今は不思議と前向きな気持ちでいる。
猫の写真集も次は持っていこうとか思った。
仮想書店はじめました


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