2020年01月14日

佐々くん 追悼文

佐々くんが亡くなった。


とっても親しかったわけではない。
プライベートの話をいっぱいしゃべったわけでない。
同じレベルで切磋琢磨したわけでない。
でも、同じくパレ東初期メンバーで、僕が道場に顔を出すクラスには、
常に佐々くんがいた。

同じく白帯だったの佐々くんが世界のトップに上り詰めるのを、
同門の練習仲間として、ずっと見続けて、応援し続けていられたのは、
僕の誇りだった。



入門当時は、ただの素人。だけど、だんだん身に着けた丁寧な
ガードワークで荒牧くん、ヤナさんと一緒に、ペナ級若手三人衆として
道場内でも目立っていった。

パレストラ松戸との対抗戦では、無名のころからどんなに強くて、
どんなにデカい相手でも互角以上の戦いを見せてくれる秘密兵器って感じで
頼もしかった。

いつのまにか道場を代表する柔術家、日本の代表する柔術家になった。

そして世界に通用する世界トップ級の柔術家になってくれた。


今はラッソーガードっていうんだっけ。佐々くんといえば
片巻きガードからの佐々スイープ。
ノーギのグラップリング大会の決勝戦でもあの門脇選手から佐々スイープで
リバーサルした。ノーギでだ。
横向き、後ろ向きっていろんなパターンを教えてもらった。
僕はあんまりうまく使えなかったけど、ずっと僕の中では大好きな
佐々スイープだ。


見た目の第一印象は、眉毛が細くて、自分で入れた、お世辞にもきれいにと
いえないタトゥーが腕や足に入っている危なそうなやつ。
でも後から入れた、右肩の柔術というタトゥーはとっても似合っていて
かっこよかった。

いわゆる社会性はない感じだし、基本的に無口だし、人の名前は覚えないし。
でも、親しくなると、素顔はとっても笑顔のかわいい優しい佐々くんだった。

その後、どんなに強くなっても、威張ることも荒ぶることもない佐々くんだった。


お姉ちゃんが恐くて、頭が上がらないって話が好きだった。

江古田のミスドで話したくだらない会話が好きだった。

練習後にみんなで道場はす向かいの99円ショップの前でたむろし、
食べるアイスがおいしかった。

いつだったかも忘れちゃったけど、ムンジアル出発直前の土曜日。
思いついたように僕が財布から本当にささやかな餞別を渡したこともあった。
そしたら、わざわざ現地のブラジル製のTシャツを土産に買ってきてくれた。
本当に照れ屋な佐々くんなのに、お土産をくれたことが凄くうれしかった。


そんな佐々くんが僕は大好きだった。


今回悪い噂を聞いたとき。当然驚いた。

だけど、そんなに悲しくなかった。ぷーさんのことがまだ脳裏に
あったのかもしれない。
佐々くんは、特別な人だから、やっぱりという気持ちもあったのかもしれない。

前日からネットにつぶやかれる不確かな情報が確かになったのは1月6日だった。
その時も悲しいという感情は出てこなかった。
でも、その日の夜。一人になり佐々くんとの日々を思い出すと涙があふれた。
思い出せば思い出すほど涙が止まらなかった。
こんなに泣いたのは久しぶりだった。

でも、悲しいからじゃないって感じが今でもする。

なんか ありがとう って気持ち。

とにかく佐々くんと過ごした日々が楽しかった。
大好きな仲間である佐々くんが見せてくれた闘い、景色が素晴らしく、
僕の心を震わせてくれた。
そんな僕は本当に幸せものだと言える。心から言える。

ありがとう。佐々くん。



パレストラ東京 会員番号25番 うしをたおせ


usiwotaose at 01:34│Comments(0)clip!

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