俳優というかモデルでイケメンの阿部寛は一時期、パチプロ生活を送っていたという。
3年間、自分の容貌コンプレックスに悩んだが、しぶしぶ、パチプロとかスロプロだったらしい。
しかし、パチンコをきっぱりやめて芸能界に堂々と復帰!
やはり・・・パチンコは悪だとか後ろめたさもあったのではないか?
本当はパチンコやパチスロが嫌いだが生活のために仕方なし・・・で楽しく、楽な生活でプロデビューとは思っていなかった・・・と思う。
中央大学理工学部在学中に、ファッション誌『non-no』主催の第3回ノンノボーイフ レンド大賞をきっかけにモデルデビュー。1986年に創刊された『MEN’S NON-NO』の表紙を43号連続で飾り、トップモデルにのし上がった。阿 部自身、当時は“王子様扱い”だったと振り返るほどの人気ぶりで、1か月に4000通ものファンレターが届いたこともあったという。
大学卒業後、阿部は俳優へと転身する。1987年、映画『はいからさんが通る』で、デビューを果たした阿部を待ち受けていたのは、“モデル上がりという差別”だった。阿部はあるインタビューで、当時をこう振り返っている。
<あの頃は今と違って、モデルから俳優になる例はあまりなかったようです。そこに、雑誌で名前ばかり売れたオレが現れた。芸能界にとってはハヤリものですよね。(中略)でも、役柄といえば、典型的な二枚目ばかりで、役の幅がまったく広がっていかなくて、悩みました>
モデル時代の武器だった189cmという身長もコンプレックスになっていったという。
「相手役の女性との身長差から、役を降ろされることも少なくなかったようです」(芸能関係者)
こうして次第に仕事が少なくなっていった阿部は、今の人気からは想像もできないが3年間ほど、パチンコで生計を立てていたという。
(引用元:NEWSポストセブン)
実際、阿部寛もパチンコやスロットは好きだったのか?といえば疑わしい。
逆に嫌いだったが、しぶしぶ生活のためにパチンコやパチスロでプロになっていたのだろう。
3年間、パチプロになっても負けも多かっただろうし、絶えず後ろめたさもあって依存症にもならないで自己嫌悪もあったのではないか?
パチスロで一日、25万円も負けた・・・こともあってふさぎ込んだともいう。
元・俳優とかモデルでなんちゃってのパチプロになったら安易に道を踏み外していたのではないか?
--俳優として食べていけない時期はパチプロとして生活していたと聞きましたが
「月に15万円。1年半続けました」
--当時の台選びのコツは
「完全に釘ですね。特に道とヘソ。それと止め打ちができたんで…。こういう話をどこかで話しても全部カットされてました。専門的になりすぎて、地上波向きじゃない話が多いですね、僕は」
--もしもそのまま続けていたらと考えたことは
「パチスロは無理だけど、パチンコなら今でも同じくらいイク(稼げる)んじゃないですかね」
--今までで一番負けたのは
「忘れもしませんね。25万円がスロットでその日に無くなった」
--現在プライベートでは朝イチで並んだりは
「それやってしまうと“仕事”になってしまうんで。空いた時間に空いたホールで、ストレスをためずに楽しみたい。打つのはミドルですね。マックスはなかなか当らないし、当っても連チャンしなきゃというプレッシャーがでかいし」
ともかく・・・阿部寛はパチンコで生計を立てるパチプロで楽な道を選ばないで俳優で成功して立ち回ったのだ・・・
この辺は偉いというしかない。楽に元モデル俳優でパチンコ芸能人という誘惑はきっぱり断ったのは偉い。
パチンコが嫌いな人も一時期、阿部寛がパチプロだったことは仕方がないと寛容に思っているが、パチンコと縁を切った阿部寛の株はちょっと千両役者のように上がりそうだ。
とはいうものの昔の好で阿部寛もたまにパチンコで身を持ち崩さない程度で遊ぶことは考えてはいるようでもあるが。