
今回の決算でも主役級の扱いだった、インスタカートのAI搭載スマートカート「ケイパーカート(Caper Cart)」。レジ待ちをなくすだけでなく、画面上で商品を提案して客単価を上げる“走る広告塔”として、リアル店舗のDXを加速させている。
米国の小売業界、特にネットスーパー(eGrocery)の最前線を追う者として、2026年2月12日に発表されたインスタカートの第4四半期決算は、単なる数字の羅列以上の意味を持つものであった。
パンデミック特需の剥落とともに「オワコン」扱いされかねなかった同社が、見事なV字回復を果たし、株価を時間外取引で一時19%も急騰させたからだ。
今回の決算発表で見えてきたのは、単なる配送代行業者から、小売業のDX(デジタルトランスフォーメーション)を支える「リテール・イネーブルメント・プラットフォーム」への完全なる脱皮である。
特に注目すべきは、物理店舗とデジタルを融合させるスマートカートや、生成AIを活用した買い物体験の革新だ。
本稿では、最新の決算内容を紐解きながら、インスタカートが仕掛ける「次世代の買い物体験」について、ネットスーパー、ケイパーカート、そしてAI機能を中心に深掘りしていく。
過去3年で最強の成長率を叩き出した決算の衝撃
まず、数字が語る事実は強烈だ。2025年第4四半期、インスタカートの総取扱高(GTV)は前年同期比14%増の98億5000万ドル(約1兆4775億円)に達した。
これは過去3年間で最も高い成長率であり、市場の予想を明確に上回る結果となった。
売上高も12%増の9億9200万ドル(約1488億円)、調整後EBITDAに至っては20%増の3億300万ドル(約454億円)と、利益率の改善も著しい。
特筆すべきは、同社がこの四半期だけで11億ドル(約1650億円)もの自社株買いを敢行した点だ。通年では14億ドル(約2100億円)に達する。
これは経営陣が現在の株価水準に対して強烈な「割安感」と、将来の成長に対する絶対的な自信を持っていることの表れに他ならない。
クリス・ロジャースCEOが「我々の勢いは本物だ」と語るのも頷ける数字である。
なぜこれほどまでに業績が回復したのか。競合であるアマゾンやウーバーイーツ、ドアダッシュが猛追する中で、インスタカートは明確な差別化に成功している。
それは「75ドル(約1万1250円)以上の大型バスケット(まとめ買い)」における圧倒的なシェアである。
競合他社がコンビニ的な「少額・即時配送」でしのぎを削る中、インスタカートは依然として週次の食料品買い出しという、最も客単価が高く、複雑なオペレーションを要する領域で王者の地位を固めているのだ。
小売業の黒子に徹する「エンタープライズ事業」の拡大
今回の決算で最も注目すべき戦略的転換は、インスタカートが単なる「アプリ上のマーケットプレイス」から、小売企業の自社ECサイトや店舗DXを裏方として支える「エンタープライズ事業」へ軸足を移しつつある点である。
現在、同社の技術「ストアフロント(Storefront)」を採用し、自社ブランドのネットスーパーを運営する小売業者のサイト数は380以上にのぼる。
象徴的なのがコストコとの提携拡大だ。コストコはこれまでもインスタカートの重要なパートナーであったが、ついにフランスとスペインにおけるコストコの即日配送サイトをインスタカートの技術基盤で立ち上げたことが発表された。
これはインスタカートにとって、北米以外への技術輸出の大きな一歩であり、グローバル展開の試金石となる。
小売業者が自前で複雑なネットスーパーのシステムを構築するのではなく、インスタカートの技術を「インフラ」として採用する流れが、世界規模で加速している証左である。
また、小売りパートナーとの連携は価格戦略にも及んでいる。
ハイヴィー(Hy-Vee)やレイリーズ(Raley's)といった地域大手スーパーが、店頭価格とネット価格を同一にする「価格パリティ」を導入した。
これにより、消費者の「ネットスーパーは高い」という心理的ハードルが下がり、結果として顧客の維持率向上につながっているという。
物理店舗をハックする「Caper Cart(ケイパーカート)」の進化
デジタルだけの戦いではない。インスタカートが描く未来の小売業は、物理店舗のデジタル化と密接に結びついている。
その切り札となるのが、AI搭載のスマートカートである「ケイパーカート(Caper Cart)」だ。
このケイパーカートは、単にレジ待ちをなくすだけのデバイスではない。
今回の決算発表で明らかにされたのは、このカートが強力な「リテールメディア(広告媒体)」に変貌しつつあるという事実だ。
カートに搭載されたスクリーンは、顧客の買い物をアシストすると同時に、絶妙なタイミングで商品提案を行う。
例えば、顧客の購買データを分析し、「買い忘れはありませんか?」というプロンプトを表示させるだけで、平均バスケットサイズ(客単価)が約1%上昇したというデータが示された。
たかが1%と思うなかれ、薄利多売の食品小売業において、この1%の積み上げは利益に直結する巨大なインパクトを持つ。
現在、ケイパーカートは米国の15州、約100都市で稼働しており、スプラウツ・ファーマーズ・マーケットやウェグマンズといった有力チェーンでの導入が進んでいる。
さらに、オーストラリアのコールス(Coles)や英国のモリソンズ(Morrisons)といった海外大手ともパイロットプログラムを開始しており、この「走る広告塔」が世界のスーパーマーケットを席巻する日も近いかもしれない。
ウェイクファーン(Wakefern)ではすでに店舗の20%で導入が進み、ショッパブルディスプレイ広告の運用も始まっている。
生成AIが変える買い物体験:「カート・アシスタント(Cart Assistant)」
そして、今回の決算で特に時間を割いて語られたのが、AIによる変革である。
インスタカートは「AIシフトは、独自のデータと実オペレーションを持つ我々のようなプラットフォームに有利に働く」と豪語する。
その具体例として投入されたのが、AI機能「カート・アシスタント」だ。
これは単なるチャットボットではない。16億件以上の生涯注文データという膨大な「食のデータベース」を学習したAIエージェントである。
消費者が「今週の献立」や「特定のダイエット要件」を相談すると、AIが対話形式で商品を提案し、そのままカートへの投入までをシームレスに行う。
現在ベータテスト中のこの機能は、第1四半期末までにインスタカートのマーケットプレイス上で本格展開される予定だ。
さらに、オープンAIとの提携によりチャットGPTのインターフェース上で直接インスタカートの注文・決済が完結する機能も実装された。
これは、検索やSNS、生成AIといった外部プラットフォームから、直接買い物の動線を引く「オフプラットフォーム」戦略の一環である。
消費者がどこにいても、どのような文脈で食に興味を持っても、即座にインスタカートでの購買に繋げられるエコシステムを構築しようとしているのだ。
また、AIは顧客体験だけでなく、社内の生産性向上にも寄与している。
エンジニアの平均アウトプットは過去1年で約40%向上し、AIを活用することで新機能の実装スピードは以前の4倍に達しているという。
この開発スピードの加速こそが、激しい競争環境においてインスタカートが優位性を保つための源泉となっている。
「広告」という名のドル箱
これらの取り組みを財務面で支えているのが、極めて高収益な広告事業である。
第4四半期の広告・その他収益は前年同期比10%増の2億9400万ドル(約441億円)となり、年間では10億ドル(約1500億円)を超える規模に成長した。
インスタカートの広告プラットフォームを利用するブランド数は9000を超え、前年から2000も増加している。
特筆すべきは、この広告システムがインスタカートのアプリ内だけでなく、提携する小売業者の自社サイト(Carrot Ads)や、前述のケイパーカート上のスクリーンにまで拡張されている点だ。
つまり、ブランドメーカーにとっては、オンライン上の検索連動広告から、店舗内でカートを押している最中の顧客へのディスプレイ広告までオムニチャネルで一貫した広告配信が可能になる。
これは、グーグルやメタ(フェイスブック)には真似できない、購買行動に直結した強力な広告在庫である。
競合へのアンサー:アマゾン・ウーバーイーツとの違い
もちろん、市場の懸念材料がないわけではない。
アマゾンは新たな配送サービスの展開を計画しており、ウーバーイーツやドアダッシュもスーパーマーケットとの提携を拡大している。
クローガーがウーバーイーツと提携した際は、インスタカートへの打撃が懸念された。
しかし、ロジャースCEOはこの競争激化の懸念を「過剰反応だ」と一蹴する。
彼らの強みは「週次のまとめ買い(Weekly Shop)」にある。
アマゾンの即日配送やフードデリバリー各社のサービスは、あくまで少数の品物を急いで手に入れる「補充買い」や「緊急需要」に適しており、客単価は50ドル(約7500円)を下回ることが多い。
対してインスタカートは、家族の1週間分の食料をまとめて購入するような複雑で点数の多いオーダー(平均客単価110ドル=約1万6500円規模)において圧倒的な信頼と実績がある。
代替品の提案精度、完品納品率(Perfect Order Fill Rate)の向上(前年比5ポイント改善)、そして熟練したショッパー(ピッカー)の存在。
これらは一朝一夕に構築できるものではない。
「誰でも運べる」フードデリバリーとは異なり、生鮮品の品質を見極め、欠品時に適切な代替品を選び、温度帯を管理して届けるネットスーパーのオペレーションは、極めて参入障壁が高い「泥臭い」領域なのだ。
小売業のOSとなる未来
2025年の決算から見えてきたのは、インスタカートがもはや単なる「買い物代行アプリ」ではないという事実だ。
彼らは、小売業者がアマゾンという巨人に飲み込まれずに生き残るために必要な「武器」を提供する武器商人であり、小売業のOS(オペレーティングシステム)になろうとしている。
ネットスーパーのプラットフォーム(Marketplace)、自社EC構築支援(Enterprise)、店舗のデジタル化(Caper Cart)、そして高収益なリテールメディア(Ads)。
これら複数の成長エンジンが噛み合い始めた今、インスタカートは「激しくウォルマートな」米国小売業界において、ウォルマートに対抗しうる連合軍の中核として、その存在感をますます高めていくだろう。
時間はかかるかもしれないが、日本を含む世界中の小売業者が、この「インスタカート・モデル」から学ぶべき点は多い。
テクノロジーと泥臭いオペレーションの融合、そして店舗とデジタルの境界線を溶かすアプローチこそが、次世代リテールの勝ち筋であることは間違いないからだ。