2018年11月19日

イベントサークル「TL」報道に思う

フジテレビ「とくダネ」では「TL」なるパーティー各種の企画・運営をしていたインカレ・サークルについて報じていたのかな。同サークルには最高幹部が4名あり、その内の2名の日大生が今回、サークルを辞めた人物を殴り、且つ、バッグなどを奪い取ったとの事で強盗容疑になっている――と。同サークルでは月毎に会費として3万円の上納金を集めており、今回、バッグを奪い取られた元会員は会費が未納であり、TLは未納分の会費を回収したという行為であったという。

えーと、これは映画版「闇金ウシジマくん」でも描かれたイベントサークルのアレなんでしょうねぇ。つまりは、スーフリ(スーパーフリー)の和田サン事件にも遡れる、吐き気をおぼえるようなチャラい人たちによるチャラいものに憧れる人たちをダマくらかしてカネを巻き上げるネズミ講システム。「とくダネ」の番組中にも「ねずみ講」や「マルチ商法」という単語が使用されていましたが、まさしく、それ。

「何故、そんなものにダマされるのか?」と展開させてしまうと、まるで被害者を責めているかのように揚げ足取りを受ける可能性もありますが、当然、ダマす者とダマされる者とが存在しないと、実際にはねずみ講のようなシステムは成立しないのは事実でしょう。心の隙間に付け込まれた者が餌食にされているのは確かな事実であろうと思う。

そうなっているのは、或る種のピラミッド型のヒエラルキーを、その者が見せられてしまうからで、その事と、今回の騒動は密接に関係している。つまり、幹部になればカネ回りもよくなってオンナにモテモテになる、それこそが社会的成功者の証であるという風に、実際の社会そのものが思い込んでいるから、次から次へと、このテの学生イベサーが隆盛を極めるワケですやね。餌食になる者の中には、ごくごく素朴なレベルで「異性にモテたい」という程度の者もあれば、或る程度は、その上納システムのカラクリに気付きながらも、

「オレも和田さんみたいになりたいっス。やっぱ、世の中、勝ってナンボの世界じゃないスか。今度、懇意にしている先輩が、大きいイベントを打つ予定なんス。オレ、その先輩を尊敬してるっス。やっぱ、和田さんとか、スゲェ人っスよ」

という頭の持ち主なのだ。

この構図というのは、決して彼等の中の世界だけに存在しているのではなく、現行の日本社会にも深く通底した共通する価値観でもある。現行の社会に於ける牋里た有瓩箸蓮▲ネとヒトを集めることが出来る者で、それが猯廊瓩修里發里任發△襪ら、こういうイベサー人気は衰えることがない。しかも、マルチ商法的というのは、人を集めれば集めただけ、その者は、そのヒエラルキー内では上位に昇進してゆくシステムで、その者が置かれた階級によって、その得られる報酬(果実)も増えてゆく。幹部がヒエラルキーの頂点に近いが、そのヒエラルキーは構成員らによって成立されている。

ああ、過去にはアムウェイ商法について触れた事がありましたが、あれにも似ている。アムウェイの場合、一部で有罪には問われたものの、最終的には裁判に於いてもカネ、カネ、カネ、ネットワーク、ネットワーク、ネットワークで押し切れてしまう何かなのだ。いやいや、ホントは幾つかの新興宗教や新宗教と呼ばれるもののカラクリも似ている。一つの価値体系の中にピラミッド型のヒエラルキー図をつくり、各構成員にはノルマを課して、そのピラミッドを拡大してゆき、上納金を吸い上げる。これは結構、膨大な利益を生む。しかも、構成員は序列を疑わず、「俺、誰々さんを尊敬しているッス」のように率先してダマしダマされる者が実在しているから、そうなる。大きな視点で語れば、宗教そのものも、同じ構図を持っている。価値体系をつくって、そこにヒエラルキーをつくることが、金のなる木のつくり方なのだ。後は、勝手に、信者たちが競い合って上納金を届けてくれる。

用いられる者と、用いる者による共同正犯のようなものが、このテの上納金システムのカラクリですワな。

その構成員の中には、最高幹部もあれば幹部もあり、中堅会員もあるだろうし、末端会員もある。末端会員にしても、「君も人数を集めてくれば、このイベサーの中でのランキングが上がるよ! 世の中の成功者とは、こういう事を言うんだよ」のように考えている。だから、或る意味では、意識高い系なのだ。

「とくダネ」は容赦なく、「この人たちは、実際にはさほどイケメンでもないのに」等にも言及していた。その通りでしょうねぇ。和田さんもさほどイケメンではなかったと思うし、先のミスター東大生候補による強制性交事件の場合でも、「いつもマスクをしている理由は、この人は自身のカワハギみないな口元を気にしているからでしょう」という具合に思い切り、それを指摘してみせていた。おそらく、それらの指摘も当たっているのだ。実際にはイケメンでもない連中がイケメンぶりたいが故に、そういう秩序体系をつくり出し、それに溺れている図とも言える。或る観点からすれば、彼等の言動などは、ダッサダサ、いやいや、違うな、下の下であるが、それが社会全体が転倒しているから理解できないのだ。「だって努力をしているのであれば立派な事じゃないですか」と考えてしまうワケですな。ダマされているという懐疑的な態度、ニヒリズム的な要素も生半可なままに、そのヒエラルキーを肯定してしまっているのが実社会の正体って事でしょうねぇ。

よく、目の前の者を正視してみれば、その者は頭の程度はいいかも知れないが、さほど優れた容姿を持っているワケでもない青年であり、且つ、頭の中では他人をダマすことばかりを考え、そのヒエラルキーを信じ切っている者である。或いは、既にいい年齢なのにずっと学生たちからチヤホヤされ、また、彼等から巻き上げたカネで、その地位を築き、その名声を名声ならしめているものは次ポストを狙う人たちのヒエラルキー肯定感なのでしょう。

一昨日に放送されたEテレ「こころの時代」再放送では、丁度、マーラの話でしたが、このマーラとは平たく言えば、悪魔を指している。それは漢字に転じると魔羅や麻羅であり、男根の意味となる。欲望の源泉でもある。何かを行動しようとするときの源泉となるのは、魔羅、すなわちペニスに係る何かなのだ。丸裸にしてしまえば、それがペニスを肥大化させたサルの正体が、現生人類であり、文明人でもある。

他方、女穴には【ボボ】という呼称がある。語源はサンスクリット語の【菩煩】と書き、読みは「ボボン」であるという。菩薩の「菩」、煩悩の「煩」で「菩煩」なのだ。産出するという行為は、どうやっても肯定的なもの、或る種の聖性で理解されることになるが、一方で、それが煩悩を惹き起こす何かである。魔羅は菩煩に出会う事を本能とし、菩煩の中に魔羅を挿入する事で快楽を覚える。それに行動を支配されているのが、ヒトの正体でもある。これはイザナキ・イザナミ神話にも応用されていますやね。それでいてフロイトの性理論にも通じている。

で、つまり、それらは或る種の猗冉梱瓩任△襪塙佑┐突茲織錺韻任垢諭9堝阿慮酸瑤箸蓮⊆匆馘な成功を納める事であり、その地位を手に入れて快楽の境地に溺れたい、溺れ続けたい。或る意味では前向きな人たち、ポジティブな人たちであるが、実際に行為している事とはネズミ講のような効率的に他人をダマそう、そういう事でもある。そういう事に過ぎないが、立派、尊敬する、社会的成功と捉えているのも、社会でもある。

ホントに性器のようなものが美しいと思っているだろうか? ホントはグロテスクな外観をした生殖器官に過ぎず、妙な臭気を放ち、妙な体液を流す醜い何かでもある。そんなものの為に色々な策謀をはたらき、他者を欺き、自意識過剰となり自己肥大化している自惚れ屋にして欲張りなサルの一生態にも見える。

自己啓発セミナーのブームのようなものがあったし、今のあるのだと思いますが、彼等が目指しているのは、この頂点としたヒエラルキーを固定化して自分の地位・名声を固め、同時に金銭を得たいからであろうと思う。それだけだといえば、それだけであり、ホントに精神論を頼りにして歯を食いしばり、我慢し、耐え、課題を克服し、労苦を厭わない。残業を率先してする。悪いことをしていないが謝罪に応じる。なんだったら他人を貶して出世する。競争原理を称えて勝者になる事を夢みる。すべては、煩悩の為であり、煩悩に支配されているって事なんじゃないだろか。

2018年11月18日

未来は明るいだなんて…

いわゆる時事問題を取り扱いたいという主旨でブログでやってきたのですが、ここのところ全く時事問題に触手が伸びない。食傷気味といえばカッコいいのかも知れませんが、例えば世界経済にしても国際情勢にしても現在ともなるとトランプ大統領のツイッター一つで大きく動いてしまう時代であり、腰を据えて物事を考える事がムダに思えて仕方がない。或る時期に「常識の底が抜けた」という指摘がありましたが、現在ともなると「とっくに常識の底は抜けており、筋立ててマトモに物事を思考する事の方がバカげている」という次元に突入してしまったような気がしている。

日本の国会論戦、一部の論者から指摘されているように与党も酷いが野党も酷い。大臣個人についての何かしらの疑惑の追求、そういう個別の案件については国会内に疑惑追求委員会みたいなものを設けて別個にできないんだろか。別に甘くしないでもいい。延々、疑惑が解決するまで徹底的にインターネットで生中継すればいい。それとは別に、堂々と移民問題を考える機会をつくって、きちんと有権者一人一人が考える機会を与えない事には「そもそも民主主義って何だったっけ?」という部分までいってしまっていますやね。

またまた、データの改竄らしきものがあったという。資料を作成するにあたっての入力ミスであるという事になっている。それをマジメに信じている人たちには何を言ってもしょうがないよなって思う。何故、法案成立にとって有利な方向の数字に間違えているのかって考えないと。裁量労働制の枠の拡大のときに共通して、為政者というか支配階級というか政と官ですが、そちらに有利になるような方向にしか数字を間違えないという厳然たる事実に気付くべきだ。つまり、過失じゃない。故意に行なっている数字の書き換えなのであり、おそらくは故意の改竄ですやね。何の為に、そうなっているのかというと移民解禁路線に舵を切りたいワケだ。

何を言ってもムダ。

土曜日の午後はEテレにチャンネルを合わせたままにしていたのですが、色々とね…。尾木直樹さんとが出演されている「ウサワの保護者会」なる番組では「何故、部活動に熱が入ってしまうのか?」というテーマでした。して、その理由の第二位として「保護者からの要望」と発表されると、スタジオで声が上がったというシーンがありましたが、そのまんまというか、ホントは、それが今は大きいのはホントはメンツは分かっているんでしょうね。案の定、その後、保護者たちの口から精神論や根性論が語られることになっていった。つまり、「何故、部活動に熱が入ってしまうのか?」という問題の場合、そういう空気支配があるからという事なんですが、そうなるとなんだか曖昧な展開になる。

この問題、不思議なんですよねぇ。中学教師の大半は部活動を負担と感じているという。生徒は「休日など要らないから部活動に打ち込みたい」という意見になっているが、それとて無記名アンケートを採ったらどうなるかは微妙な気がする。体操を習っている子に「体操を辞めるか!」とオトナが持ってゆけば「やります! 体操をやりたいんです!」と言うに決まっている。ホントは子供の意見なんて誘導できるのだ。で、実際に学校には保護者からの声として「部活動を一生懸命にやって欲しい」という要望が寄せられれば、学校はそれに応じる。それだけ。

このテーマは、先日、再放送で視聴した「三匹のおっさん」でも取り上げられていたかなぁ。少年野球に保護者が介入してしまっている現場に、三匹のおっさん、つまり、北王路欣也、泉谷しげる、志賀廣太郎らが演じるオジサン三人衆は、保護者が一生懸命になっている姿にも違和感をおぼえているし、監督やコーチにあれこれと意見する姿には呆れたような態度をとっている。少なくとも原作者および製作スタッフは、過熱する保護者の問題に気づいていないと、ああいう描き方は出来ない筈なんですよね。しかし、そうならない。社会の厳しさを教える為に野球をやらせていると言いながら、実際には、その野球の現場にも介入してしまうのが昨今の風潮なのだ。

また、同日、高橋みなみさんが進行をしている「いじめをノックアウト」という番組も再放送か才再放送かをしていました。LINEを中学二年生にさせたところ、LINE上でイザコザが発生する。そのイザコザについて語るというもの。敵と味方とに分かれることになると分析する。つまり、「あなたは敵なの、味方なの!」という二極化が、イザコザを過熱させているとも分析する。しかも、その問題、仲裁が気に入らず、仲裁者に対しての攻撃も見て取れ、仲裁の難しさにも言及されている。しかし、誰も悪くないかのように進行する。

「あれは、この人の、その態度が悪かったんじゃないの?」と実は指摘してもよかったような事例にも思えましたかねぇ。私は二度目の視聴でしたが、ああした二極化、イザコザを起こし、そのまま、謝ることもしない人たち、そういう人たちの台頭するであろう7〜8年後というのは、結構、ヤバいと思う。良識派の意見も紹介されましたが「仲裁が効かない」し「仲裁する事を見合わせる」というのが良識派の正直な見解だったのですが、それによって実際にLINE上の会話がどのように流れるのかというと、結局は、アメリカの分断と同じだと思う。声のデカい極論と声のデカい極論とが二極構図で対峙する。良識派は日和見することになるのだ。

残念ながら本能的、動物的、感情的なコミュニケーションの次元に人間は戻って行ってしまう気がするんですね。そんなのばかりに感じる。便利なコミュニケーション・ツールを与えても、そのツールに伴って、人類のコミュニケーション能力が向上する事はなさそうだ、と、それが見えてきてしまっている時代なんだろうなって思う。

ussyassya at 22:54|この記事のURLComments(2)雑記 

2018年11月17日

「愛のコリーダ」視聴録

大島渚監督作品「愛のコリーダ」DVDにて視聴。1976年公開の日仏映画でしたが、これは今、視聴しても充分すぎるほどに衝撃作でした。100分作品でしたが、ここまで男女の情交を真正面から映像にしているというのは驚きでしかないし、全篇を通してジャパネスク仕様であり、内容は限りなくタブーを無視し、セクシャルな映像については堂々たるハードコア路線でした。「愛のコリーダ」のコリーダとは「闘牛士」の意味だそうで、これほど日本風の映像で押し通したのであれば何故、こんなタイトルにしたんだろって感じ。

先ず驚かされたのが、性的描写の過激さでしょうか。ボカシを最小限度まで小さくした2008年版で視聴したのですが、「これは凄い撮影をしているな」と想像がつくような映像なんですね。言ってしまうと、男性器らしきものを手先であしらっているであろう事は、ありありと想像がつくような映像なんですね。あの、「ポロン」となる感じとか、抑えられていた反動で「ピンっ」と跳ね起つ感じ。大島渚にして、この作品は性的表現を賭けた一作だったらしく、性器を映して何が悪いぐらいの覚悟で臨んでいたっぽい。しかも、シーンによっては堂々と真正面からなんですね。修正を入れる前段階では、ちゃんと映ってしまっているフィルムでスタッフのみの試写会があったという。老乞食として出演していた殿山泰司が「あそこがちゃんと映っちゃって面白いねぇ」なんて言っていたとか。(多分、そのシーンだ、私もビックリした。真正面から性器にカメラを向けちゃってるじゃないか、と。)

で、先にも触れましたが、作風がジャパネスクなんです。三味線が響く中、屏風の前で幇間(ほうかん/たいこもち/男芸者)が踊っていたりして、資料映像的な価値として視てしまいました。しかも、その幇間の足元では、安っぽそうな芸妓たちが乱交っぽい行為が行われている。色使いにしてもBGMにしても、ジャパネスクで押し通している。こういう演出は外国人をビビらせた、いや、日本に対して畏敬の念を与える効果もあったんじゃないだろかなんて思う。

で、この「愛のコリーダ」は阿部定事件の映像化作品であり、阿部定役を松田英子、石田吉蔵役を藤竜也。

松田英子という女優さんは、この映画の影響もあるのかメディアの露出が少なかったのか私は初めて視る女優さんでしたが色々と凄い演技であったなと感じました。どこから触れるべきか迷いますが、先ずは均整のとれたスリムな体型ときれいな肌、きれいな裸体か。男に跨っている後ろ姿の腰のラインであるとか、非常に形の良いバストとか。正統派の美人女優というのではなく、適度に個性的な顔立ちなのですが、これが不思議と、実物の阿部定の写真に似てみえたり、或いは現在、テレビCMで活躍している木村佳乃っぽく見えたり、遂に吉蔵を殺害するというシーンでは、幽霊とか鬼婆に見える。

藤竜也は、つい先日、『化粧』にて不倫に溺れる中年男役を視聴したばかりですが、まだ、この作品の頃は精悍さが勝っている。引き締まった筋肉質の身体の持ち主である。もみあげの長い短髪に整った髭で、どこかしら整い過ぎていて、フレディ・マーキュー的なというか、髪型と髭とが整い過ぎているが故になんだか男色家のような雰囲気を醸している。

ハードコア作品という事で出演者決めの難航が予想された阿部定役は予想に反して応募が多数あり、その中から選出されたが松田英子であったという。他方、石田吉蔵役は難航に難航を重ねる中、既に知名度抜群でもあった藤竜也が要請に応じたものだったという。ハードコアの阿部定事件を描くというと確かに女優さんが二の足を踏みそうですが、そうでもなかったという辺り、色々と考えられそうですかねぇ。日仏合作映画、それも主演女優になれるというのであれば裸も厭わないという考え方もあっただろうし、案外、濡れ場に対して抵抗がないのは女優の方であったとも考えられる。『白日夢』という映画では、俳優の佐藤慶が愛染恭子と本番撮影をするとして話題になったものの、佐藤慶は「男が立たなかった」といったスポーツ新聞の記事を目にした記憶がある。カメラの前で濡れ場をってのは確かに抵抗が強いのは、そっちだったかも。

映画は、石田吉蔵と阿部定の出会いから局部切断までであり、ほぼ全篇に渡って両者の愛欲の日々の描写となっていました。フランスでは「官能の帝国」を意味するフランス語のタイトルで放映されたらしいのですが、映像が官能的なのかと言われると微妙な気もする。ひたすらに性交に溺れる男女の描写であり、気取った演出の性表現はなく、とにかくアケスケに描いてる。揉みしだけば映像が映えるであろうなという乳房であるが、おそらく揉みしだくシーンは殆んど無かったような気がする。それではなく、絶えず、両者、どちらかの手が相手の股間に入っているという、そちらの飾り気のない日常的なエロスである。松田英子の肢体がうねる様は相応に官能的であり、半開きの口元も官能的だといえば官能的なのですが、おそらくは、快楽に溺れる中で自然に溢れてくる、だらしなさの中に見つけてしまうエロスといったニュアンスでしょうか。

性交シーンも割と堂々と映像化しているので、「ん? この角度だと絶対に…」と感じさせるシーンもありましたが、いわゆる本番がなされたのかどうかは監督と松田と藤の三名のみが知っている事であるという。

これほどまでの過激な作品を撮れたのは、京都で撮影し、その未現像のフィルムをフランスへ送ってフランスで現像するという手法によるという。この1976年、フランスはポルノ全面解禁となり、それに合わせた製作だったよう。日本では性規制が厳しく視聴に耐えられない作品になったようですが、海外では概ね好評だったらしく、驚いた事にソビエト、南アフリカ、イスラエルでも放映されたという。一方で、性表現に寛大なスウェーデンでは放映はできなかったらしく、おそらくは局部を切断するラストシーンの生々しさが検閲に引っ掛かったものという。また、ニューヨークでも当初は放映不可で、後に放映可になったという。これら各国の反応にしても性表現のタブーに真正面から突っ込んでいった過激にして前衛的な映画が本作であった事が分かる。


後に「愛のコリーダ」裁判に発展。これは映画ではなく、単行本の方を警視庁保安課が「わいせつ図画販売・同目的所持幇助」という容疑で告発され、単行本は押収され、出版社と大島渚の自宅には家宅捜索が入り、後に検察によって起訴。これにより、愛のコリーダ裁判に発展。

大島渚は「芸術かワイセツかという観点を一切拒否します」と強気に攻めた。過去の似たような裁判では「芸術かワイセツか」が争点になったが、大島渚は敢然と

「私の考えでは、もともとワイセツなるものは存在しません。ワイセツが存在するとすれば、それはワイセツを取り締まろうとする警察官・検察官の心の中にあるのです」

と主張。そこそこの騒ぎとなったが、1979年、東京地裁が無罪判決。これに納得できぬとして控訴されたが1982年、東京高裁も一審判決を支持。検察は上告を断念し、この愛のコリーダ裁判は無罪が確定した。

しかし、その後の日本が性規制にオープンになったのかと問われると、何だか微妙な気もしますかね…。規制は緩んだんでしたっけ?

さて、ワイセツとは何かという問題になってしまう。先に触れたように、この映画にしても日常の延長線上にある性の耽溺である。

吉「おい、なんで抜くんだ?」

定「こうしているのが好きなの」

吉「そうか…」

定「おちんちんが出たり入ったりするところを見てるの、好きなのよ」

なんて具合のやりとりがある。正確じゃないけどね。で、これはワイセツといえばワイセツなんですが、それでいて多くの者はホントは似たような事をやっているのではないか。むしろ、そういう描写をしてこなかった事の方が不自然だったのではないかという感慨もある。「なんか、詳しく説明できないけど、そりゃキモチ良さそう、仲の睦まじいことで…」って感慨が伝わる。

吉蔵と定は待合茶屋の一間に入り浸って情交を貪っている。芸者が来ても女中が来ても、その一室では、いつも二人は性交しているか、定が吉蔵の男根を口に含んでいるといった有様である。なので、誰も近寄りたがらない。

外出しようと定が身支度を整え、きれいに着れたと吉蔵を振り返ると吉蔵は定を引き寄せて着物をめくりあげ、尻を剥き出しにし、局部に指を這わせ、また始めようとする。逆に吉蔵が小便に立とうとすると定が許さず、「ねぇ、あたしの中にお出しよォ」と言って便所へ行かせないように束縛したりする。

そこら辺の描写は、そこら辺のカップルがラブホテルから出ようとして身支度を整えるが、洗面台の前で化粧をしている女を見、男が欲情、洗面所の鏡の前で再び情交を始めてしまうその日常的な性の延長戦にも思える。酒席で盛り上がった折、友人らに尋ねてみれば、結構な数の者が「ある、ある」と言い出すそれでもある。離れ難く感じる、あの感覚の延長線上なのだ。

また、室内に籠もりっきりとなり情交に耽るというのは、私もフランス映画か何かで視た記憶がありますかねぇ。「バスルーム」だったかな。「もう、めんどくさいからバスルームから出ない」というライフスタイルを選択する若いカップルの話で、バスルームで食事をとってバスルームでセックスする。まぁ、バスルームに籠もるかどうかは別として、外界と遮断された一室でひたすらに情交に耽ろうとするカップルなんてのも在るには在るんだろうなって思う。

考えようによっては、あっけらかんとしたものでもある。それを卑猥と感じるのかどうか、ワイセツと感じるかどうかは、確かに受け手の裁量の問題でもあるんでしょうし。一律で禁止にするよりは住み分けで良かった気もしますかね。




2018年11月16日

阿部定事件

さて、阿部定(あべ・さだ)事件とは概要を知っているものの、その詳細は知らない。DVDで同事件をモチーフにした『愛のコリーダ』を視聴しようと思ったら、付属の冊子に朝倉喬司による『阿部定一代記』という文章が添えられていたので興味深く目を通してました。「朝倉喬司」なるライター氏の遺した文章は私自身も関心した事があるのですが、意外と事件ルポなどでは有名な人物であるようで、事件モノを漁っていると、しばしば尊敬の念で語られていたりする。

今回は手元にあった『別冊ナックルズ〜昭和三大事件』(ミリオン出版)と、朝倉喬司の『阿部定一代記』とを参考にして、男性器切断事件として語り継がれる阿部定事件について――。

1905年、これは和暦では明治38年、阿部定は当時の東京市神田区新銀町(しんしろがね)の畳職人の家に生まれた。経済的には裕福な家庭であったが、当時のその界隈は極めて下町情緒の強いところで、家の中のゴタゴタを定に見せたくなかった母親が、定に小遣いを渡し、なるべく戸外で遊ばせるようにしむけられて育ったという。

家の中のゴタゴタとは何かというと、男女の営みらしく、『婦人公論』(昭和13年7月号)には定の幼馴染による証言が掲載されていたらしく、小学校へ入る頃までには定は非常にマセており、男と女のこと、子供のくせに「よくもマァ」と感心するほど、色々な事を知っていたという。

小学4年時、定はガキ大将の「健坊」から好かれており、その健坊は定の事を「おれのもの」と公言していたという。しかし、定はというと優等生にして仕立屋の息子「春ちゃん」という男児に思いを寄せていた。そして、定は、その春ちゃんに、鉛筆と雑記帳を差し出して、

「これをあげるから、あたいの好い人になって」

と言いより、まんまと春ちゃんなる男児を、自分のものにしたという。

また、証言者たる仙子、その仙子の人形を定を奪い取って自分のものにせんと人形を抱きしめて離さず、親たちを手こずらせた事があったという。「新しい人形を買って与えるから、その人形を返すように」と促して定は人形を離さず、その際、定は「白目を剥いて抵抗した」と、仙子の母親が証言している。つまり、定は、子供の頃から独占欲、所有欲が非常に強かったらしい事をうかがわせる。

そして定、15歳のとき、この頃までには定は不良の仲間入りをするようになっていたが、友人宅でふざけている際、慶應大学の学生に無理矢理に肉体関係を迫られ、強姦されたという騒動が起こる。その強姦の数日後、定の母親が当該慶大生の家に面会に押し掛けたが、門前払いを食らった。

定が18歳の頃、その頃、浅草にはモダニズムの波が到来し、不良仲間とつるむようになっていた定はそのモダニズムに浸るような生活をするようになる。そんな定を持て余した父親は、定を芸妓(げいぎ)に売る。芸妓に売るというと、酷薄な仕打ちと誤解するが、芸妓と言ってもピンからキリで、酒宴の場に於いて歌や三味線、踊り、それと接待をする水商売といえば水商売であるが、展開によってはカラダを…というそれ。そのシビアな世界に定を売り飛ばせば、娘の素行不良も改まるだろうという算段であったという。当時の東京は、そういう考え方が、まだ、さほど異端ではなかった事を朝倉喬司は補足説明している。

しかし、定は家に帰ることはなかった。定を抱えたのは横浜市内にあった芸者置屋であったが、その世話をした稲葉正武と定とは男女関係を持つようになる。定は稼いだカネを稲葉の家族の生活費に注ぎ込むような状態になったという。今風に言い換えると、つまり、「定は稲葉に貢いだ」という事でしょうねぇ。

関東大震災が発生。関東大震災によって家は焼けてしまった稲葉は、稲葉の家族と定とを引き連れて、富山へ。富山市清水町の平安楼という置屋へ移る。して、この頃から定は芸妓から娼妓へと転身する。娼妓とは公娼の事であり、芸者は置屋に置かれるが娼妓は遊郭が仕事場となる。富山を皮切りにして、定は、信州飯田、大阪の飛田新地「御園楼」、名古屋では中村遊郭の「徳栄楼」、再び大阪の松島遊郭「都楼」、更に丹波篠山の「大正楼」へと各地の遊郭を転々とする。

まんまと定は苦界に落とされたのだ。しかし、当の定は「自分は客をとるのが厭じゃなかったので、面白く過ごした」とも後の予備審問で回想したという。これは、どういう事かというと、定は単純に客から人気を博しただけではなく、楼主からも気に入られるタイプで、楼主の晩酌の際には定が晩酌の相手をするなど、娼妓の中にあっては、世渡りの巧い売れっ子娼妓であったらしい。

丹波篠山の大正楼は、明治の末で、陸軍第70連隊の駐屯地になった事を機に出来たものであったという。丹波篠山は基本的には繁華街ではなく、寒風の吹きすさぶ山間の町であり、定がそれまでに経験した遊郭よりも明らかに格の落ちる遊郭であった。そんなところで客引きまでさせられる事になった定は、脱走する事を画策するようにして日々を過しはじめる。

昭和5年、定、26歳の時、脱走に成功する。稲葉とも切れる。鍵を掛け忘れられていた事を目敏く気付き、脱走したのだ。丹波篠山を脱走した定は、神戸へとたどり着く。

神戸での定は【高等淫売】と呼ばれる方法で生計を立てたという。自室に居ながら仲介者が客をつなぐという売春を、そんな風に当時は呼んだという。後に、定は大阪へと移り、ここではパトロンを見つけて、一定期間、カネで買われて妾になって生計を立てたという。このビジネス的な妾は、一日に50〜100円の手当を貰えるものであったという。パトロンは一月に5〜6回ほど来るというもので、定はパトロンを3回ほど変えたという。しかし、この際、パトロンの来訪が一カ月に5〜6回では少ない、寂しいと感じる感覚を持つようになったという。(今風に捉えると、セックス依存症のような気も。)

定は、そのビジネス・パトロン稼業の中から、パトロンの一人であった名古屋の市会議員・大宮五郎から「もう少し真っ当な生活をする気はないか? 料理店の住み込み女中になってはどうか?」と話を持ち掛けられる。そこで紹介されたのが、東京・中野にあった鰻店であった。

その鰻屋の主人は、石田吉蔵という人物であった。既婚者であり、つまり、吉蔵にはお内儀(かみ)さんも居るという、その鰻屋で住み込みの女中をする事になった。しかし、この吉蔵との出会いが猟奇事件の入口となる。定と吉蔵とは、どうも互いに一目惚れをしたのではないかと朝倉喬司は綴っている。

モーションを掛けたのは吉蔵であった。吉蔵は女中・定の手を握りしめて「冷たい手をしているな」と言うと腰を引き寄せて抱きしめるなどしたという。また、後ろからそっと定に近づき、その耳たぶを噛むかのようなアプローチをしたという。その後、吉蔵と定は妻の目を避ける為に示し合わせて外出し、逢瀬を愉しむようになったという。因みに、定の方も吉蔵でゾッコンであり、

「様子と云い、態度と云い、心持でけなす所一つもなく、あれ程の色男に会ったことはありません。(略)気持は極く単純で一寸した事でもとても嬉しがり、感情家で直ぐ態度に表わし、赤ん坊のように無邪気で、私が何をしても喜んで居り甘えて居りました。(略)又石田は寝間がとても巧者な男で、情事の時は女の気持をよく知って居り、自分は長く辛棒して私が充分気持をよくする様にして呉れて口説百万陀羅で女の気持を良くすることに努力し、一度情交しても又直ぐに大きくなると云う精力振りでした」


という。定の経歴からすれば情交を交わした男は相当数に上る筈であるが、その定が「好きになった」のが、この鰻屋の亭主である石田吉蔵だったらしいのだ。

定と吉蔵、その二人の情交はアブノーマルなものへと高まってゆく。初期の段階では、素手で定が吉蔵の首を絞めながら性交をし、それがエスカレートして紐で首を絞めながらの性交へと発展してゆく。吉蔵は定に殺される役、定は吉蔵を殺す役である。定の中に、愛する吉蔵を殺してしまいかねない性的興奮があり、吉蔵の中には、その愛する定に殺されかねないという、その不思議な情交が興奮を高めていったのでしょうか。後に、牛刀を買ってきて、定は、その牛刀で吉蔵を「殺す真似」をしながら、その濃密な快楽の世界に耽るようになったという。

逢引に利用していたのは東京・荒川区の待合茶屋「満佐喜」であり、この「満佐喜」に連泊し、7日目の深夜、その常軌を逸した情交の末に、とうとう定はやってしまう。このとき、定、31歳。

寝入っている吉蔵、その首に自らの着物の腰紐を二重に巻いて、両端を握り、加減しながら紐を締め上げた。吉蔵はパッと目をさまして、定の名前を呼び、半身を起こして抱き着いたという。すると定は、吉蔵の胸に顔を押し当てるようにして、泣きながら「堪忍して」と言葉を放ち、紐の両端を力一杯に引いた。

吉蔵を絞殺した後の定は、傍らにあった牛刀で吉蔵の局部を切り取る。(この局部を切り取られている石田吉蔵の遺体写真は、当時の新聞や雑誌には掲載されていたよう。すんごい時代だ。)

定はハトロン紙(朝倉は「布」としている)で、切り取った吉蔵の局部を包むと、それを懐に仕舞い、満佐喜には「買い物に行ってくる」と言い残して、そのまま逃走。


事件から三日後、定は偽名で品川の旅館に投宿中、高輪署の刑事によって逮捕される。刑事は

「お定さんだね?」

と尋ねると、

「ハイ」

と返答する。その後、どう詰問しようか刑事が躊躇していると、定、みずから

「あたしが阿部定だよ」

と告げたという。

別冊ナックルズに拠れば、「定はオルガスムスに達すると異常なまでに全身が震えだし、その後は一時間近くも失神していた」という定と肉体関係を持った男たちの証言が取り上げられ、精神鑑定では村松常雄東大教授によって、先天的性欲過剰、淫乱症との診断を得たという。

殺害現場となった「満佐喜」、その一室には定が必死に残したらしき血文字が残されいたという。

「定 吉 二人キリ」

2018年11月15日

ザ・邪馬台国論争〜2018

「邪馬台国は何処にあるのか?」というテーマは、山のように語られてきたものだと思う。私個人の場合でも中学一年時の日本史の授業以降、ずっと関心を寄せてきた事柄のような気がする。で、手前味噌ながら私のケースで述べるなら、畿内説と九州説と、それ以外とであれば、九州説を20年ぐらい前までは自分なりに信じていて「こんなの九州に決まっているでしょ?」という感覚だったのですが、20年前頃から「おや、九州じゃないかも知れないな。どちらかといえば畿内の方が…」と畿内説に傾いたのでした。

「九州に決まっているでしょ」という感覚は、当時は常識的であったと思う。テレビの中でもトーク番組の中で上岡龍太郎さんが「畿内説と九州説といいますけど、あんなの、九州説に決まっている」という具合に断定的に語ったシーンがあって、「そう、そう」と強く頷いた記憶がある。

しかし、それが変わったのは基本的には纏向遺跡の話と関係しているのかな。700〜800円で購入できる新書というスタイルの古代史本を読んでみるようになってから、ああ、そうか決定打はないが、やはり、畿内と考えた方が辻褄が合いそうだなという風に変節したんですね。以降、邪馬台国そのものとは少し離れて、倭族論に感銘を受けて、そちらに傾倒してゆくのが近12〜14年ぐらいであったと思うんですが、それでも邪馬台国は何処かと問われれば、「どちらかといえば畿内では?」という見識であったと思う。

しかし、なんとなく私は邪馬台国とは現在の福岡県であり、その正体は「奴国」であったという風に、より焦点を絞って変節しようと考えはじめている。


仁藤敦史著『卑弥呼と台与〜倭国の女王たち』(2009年刊/山川出版・日本史リブレット001)でも、様々な矛盾に触れながらも、畿内説を有力視しているのが分かる。少し引用します。

大勢として文献解釈からは方位・距離いずれにおいても邪馬台国を畿内と解しても大きな矛盾はなく、前方後円墳の成立年代と分布(畿内中心に三世紀中葉から)、三角縁神獣鏡の分布(畿内中心)、有力な集落遺跡の有無(有名な九州の吉野ヶ里遺跡は卑弥呼の時代には盛期をすぎるのに対して、畿内(大和説)では纏向遺跡などが候補とされる)など考古学的見解も考慮するならば、より有利であることは明らかであろう。

上記の一文は、マトモな指摘に思えるんですね。日本国内の情勢からすると、前方後円墳の分布、三角縁神獣鏡の分布からすれば、やはり、畿内、それも纏向こそが本命であり、更に焦点を絞れば箸墓古墳こそが、卑弥呼と呼ばれた人物の眠る墓ではないのかという見方は、私に限らず、近年、フォーカスされてきていた事柄であったよなって思う。総合的な見地からすると、一大率が北九州に置かれており、なんだかんだいって、女王のいる邪馬台国は畿内と考える事で、なんとなく合致するように思える。ただし、その話は、数十年前から言われていた「水行10日、陸行1月」等の非常に不可解な魏志倭人伝の記述にあった訳ですよね。

直線経路で、帯方郡から狗邪韓国⇒対馬国⇒一支国(壱岐)⇒末蘆国(松浦)⇒伊都国⇒奴国⇒不弥国⇒投馬国⇒邪馬台国といった直線ルートで、素直にそれをやってしまうと邪馬台国は沖縄の方まで行ってしまう。沖縄説もあるにはありますが、さすがにそれは現実的ではないとして、伊都国からは並列方式、放射状に周辺諸国を記したものであろうという解釈が為された。東洋史学者・榎一雄が伊都国以降は「放射式」と指摘したのが最初である。しかし、それでも、ぴったりと辻褄が合ったワケではないままに、邪馬台国畿内説が有力視されてきた、という近年がある。

実際に魏志倭人伝の原文を見比べてもらえば分かりやすいのですが、【至】と【到】が実は魏志倭人伝、使い分けられている。【至】は経由の意味での「至る」であるが、【到】の方は到着地への「到る」のだを意味するのだという。で、邪馬台国への行程の中で【到】の字が使用されているのは、一大率の置かれた伊都国についての記述部分だけなんですよね。一字一句に心血を注ぐ陳寿が簡単に間違えるワケがない。精緻すぎて、近現代人には解読できなかった可能性がある。帯方郡から邪馬台国へ行くには先ずは伊都国の一大率へ行き、そこが水行の到達地だと正確無比に書き記していたというのだ。また、その伊都国から女王国への行程を考えればいいだけだった、と。


で、前掲の山川日本史リブレットにしても、文献としての倭人伝、倭国伝の矛盾には触れているんですね。何故、魏志倭人伝(正確を問えばキリがないのですが、勿論、魏書の三国志の東夷伝の中の倭人の条)というものが、初期段階では倭人伝であり、倭国伝ではなかったのかという問題に触れられている。また、共立して女王を立てて、それが卑弥呼と呼ばれていたのだから、邪馬台国とはヤマタイ連合(これもヤマト連合)を指しているのではないかという視点にも言及されている。

また、2012年刊の渡邉義浩著『魏志倭人伝の謎を解く』(中公新書)は三国志時代の研究を専門にする著者が邪馬台国を検証したものであったが、これも徹底的に当時の国際情勢と、文献の性格を当たったものであった。

この著書などは孫権の呉が、西暦230年に夷州(いしゅう)と澶州(せんしゅう)の探索の為に衛温と諸葛直の二名に兵力、なんと一万人を率いさせて海路へ出た事に触れている。

(この澶州が日本列島もしくは九州を指していたのではないか、或いは当方にある神仙郷を【瀛州】と表記して「えいしゅう」があるものと古代神仙思想下の中国では考えられていた。で、その【瀛】は天武天皇の諱にも使用されているのだ。天武天皇は自らを神仙郷の統治者、【瀛真人】と名乗っていた。「真人」は「八色の姓」の最上位であるが、その「八色の姓」(やくさのかばね)を制定したのは天武天皇である。)

衛温と諸葛直は、夷州にも澶州にも辿り着けなかった。西暦232年になると孫権は遼東に勢力を誇っていた公孫氏(公孫淵)に使者を送り、公孫淵は孫呉の臣下になる事を承諾、翌233年に孫権が公孫淵を、燕王という名の王として冊封する。しかし、公孫淵は、この頃、同時に曹魏、これは司馬懿を大司馬(大将軍)とする曹魏ですが、その曹魏からも圧力を掛けられており、公孫淵は孫呉からの死者を殺害、その首を曹魏に送り届けた。曹魏は明帝は公孫淵に大司馬・楽浪公と認める事で冊封、遼東を後回しにして諸葛亮孔明率いる蜀との五丈原の戦いに兵力を割いた。西暦234年、諸葛亮孔明、五丈原に陣没す。諸葛亮孔明と対峙して持久戦を採っていたのは、司馬懿であり、司馬懿は孔明の死後に洛陽に帰還。その後、司馬懿は遼東問題に手を掛ける。西暦237年、幽州刺史、毌丘検が公孫淵を攻める。翌238年、司馬懿は自ら四万の兵を率いて遼東の公孫氏征伐に出発、同年6月襄平城を陥落させ公孫氏を滅ぼす。倭国女王による朝貢は、この西暦238年(景初二年、或いは+1年)であり、卑弥呼は親魏倭王に封建された。

倭からの朝貢は、後漢の光武帝の時代にも倭の奴国に金印を下賜した事があり、その光武帝は中華思想でも立派な名君であった。倭から使者が来た事は曹魏・司馬懿からしても歓迎すべき事柄であり、曹魏の偉光が遥か彼方の倭にまで知れ渡り、その倭の女王が使いを寄こしたので、司馬懿は大歓迎し、鏡や旗などの物資を喜んで授けた筈なのだ。

整合性が非常に採れている。国際情勢を加味する必要性、その重要性に気付かされる内容であった。

曹魏と邪馬台国、それは人物名に置き換えてしまうと司馬懿と卑弥呼になるのですが、国際情勢としては必然的に、そうなる命運にあったようにも見えてくるのだ。そして、司馬懿の孫にあたる司馬炎がクーデターを起こし、曹魏は滅び、新たに晋王朝が成立する。その晋王朝の時代に、晋に仕えていた陳寿が編纂したのが「三国志」であり「魏志倭人伝」なのだ。

また、光栄のテレビゲーム「三國志」で何度も徹夜した経験がある私としては、公孫度、公孫康、公孫淵、毌丘検、それと陳寿などの武将名も記憶していたので、単純に興奮もしましたかね…。ああ、よくよく考えてみると、魏・呉・蜀の三つ巴状態とは、そういう逼迫したものであったのか、という感慨がありますが、それに倭国女王・卑弥呼が生々しく絡んでいた話でもあるんですね。


――で、『決定版〜邪馬台国の全解決』なのですが、詳しい説明は省きます。実際、手にしてみると著者自身が「推理小説でも読む気持ちで呼んでくれればいい」と記している上に、確かに読み物として面白く仕上がっている。他方、フランス文学者鹿島茂氏の書評は高く評価すべき書評だと考えているのですが、その鹿島氏の週刊文春10月11日号の同書の書評は「ふーむ。これは思いのほか正鵠を射ているのではないか?」で始まり、「たとえ歴史書として疑問を持つ人でも、博識な漢文知識と合理的思考に裏付けられた作者の暗号解読には脱帽せざるを得ないはずだ。歴史推理の傑作である。」で結んでいる。

簡単に説明するには容量が多過ぎるので核心的であろう箇所のみ触れますが、基本的には「帯方郡から女王国に到るまで千二百里」の謎を解いている。それは帯方郡から狗邪韓国⇒対馬国⇒一支国(壱岐)⇒末蘆国(松浦)⇒伊都国⇒奴国⇒不弥国⇒投馬国⇒邪馬台国という直線ルートではない。では、伊都国以降は放射状に記されたとなる。著者の孫栄健氏は、その矛盾を陳寿の筆法を解読したのは、後継書を編纂した『後漢書』と『晋書』であっただろうと推理する中で、それは凄い指摘だという部分に行き着いている。

「後漢書」は范曄(はんよう)によって、「晋書」は房玄齢(ぼうげんれい)によって編纂されている。著者は、陳寿が三国志を編纂した時代は司馬炎が皇帝の時代であり、司馬炎の祖父である司馬懿に関しての記述は慎重にならざるを得なかった事情があり、故に、筆法なり修辞法の技法によって故意に矛盾したような内容を倭人伝としたが、それを継承した范曄と房玄齢は、その修正を試みている筈だと筋立てする。実際、「後漢書」には「魏志倭人伝」にはない記述までもが登場するが、それは別個に華嶠(かきょう)の種本を参考にしたものであるが、その華嶠は陳寿の同僚であったという。先に、遼東地方や澶州を巡る孫呉と曹魏とによる水面下の攻防に触れましたが、それがあり、邪馬台国の正確な位置を記すことは、躊躇う理由があったと考えられるのだ。倭国と思われる澶州、その場所を「会稽の東治の東」と記しておいた方が都合が良かったか、もしくは書く事を躊躇う理由があり、正確に記さなかったところで編集をそのままにしたかの何れかであると、范曄や房玄齢が、そのように記しているという。

「女王国より以北は、その戸数・道里を略載することができる」

「女王国より以北は、特に一大率を置き諸国を検察せしむ。諸国之を畏憚す」

という構文が『魏志』にある。となると、女王国の位置は計算できることになる。陳寿は暗号のようにして狃媾の筆法瓩箸いΠ店罎魑していた事になる。そして『後漢書』の范曄が、それを読み解いていたというのだ。

「健武中元二年、倭の奴国、奉朝貢す、使人自らを大夫と称す、倭国の極南界なり、光武賜うるに印綬を以ってす」

「女王国より以北」という記述から「奴国が倭国の極南界」だと読み解いていないと、その記述は不可能なのだ。つまり、女王の居る所、女王国とは奴国であり、現在の糸島市付近の高祖山を卑弥呼の拠点であったと具体的に比定している。(狗邪韓国以降の里程、戸数が各々記されているが、その数字を矛盾のないように組み合わせると奴国以外に女王国は有り得ない事が確認できるように記されているが、それが「春秋の筆法」であるという。)

これが「春秋の筆法」であるという。これは范曄にして「奴国が倭国の極南界である」と記した事を意味している。一方で陳寿は「女王国より以北は」と記していた事になる。まだ、混乱があるかもしれませんが、倭国とは地域であり、女王国が女王の居る国であるのは明らかであろうから、倭国の最も南にあるのが奴国であるという記述は実は決定的なのだ。また、裏返して「女王国以北は戸数、道里を略載することができる」という言い回しからすれば、女王国は奴国としか思えないとなる。

中々、ピンと来ないと思いますが、書籍の中には春秋の筆法として記されたと思われる別の例も幾つか紹介されている。故意に矛盾するような事を記し、そこに真理を匂わせておき、後発の者にそれを読ませるというのが、高度な「春秋な筆法」であるらしく、また、それが分かっているから、范曄や房玄齢は、陳寿の倭人伝を受け、その矛盾に気付き、春秋の筆法が施されていると理解し、『後漢書』や『晋書』の倭人伝・倭国伝で、解読してくれているというのが、この著書のポイントになっている。

陳寿(生没年:233〜297年)
范曄(生没年:不明〜445年)
房玄齢(生没年:578〜648年)
華嶠(生没年:不明〜293年)




2018年11月13日

音楽と思想、音楽と政治

何やら、原爆Tシャツ騒動なるものがあるとテレビで小耳に挟む。あんまり情報は入ってこないし、今どき若年層向けの音楽事情なんて詳しくなりたいという気もないし、インターネット上に記事が立っているが、その活字を目に追うことも労力のムダだろうなと思うから、上辺の事情しか理解できない。

1.ある韓流アーティストのテレビ出演が見合わされた。

2.その原因は一年前、そのアーティストが着用していたTシャツが原因である。

3.そのTシャツには原爆投下と思われるキノコ雲と万歳している人たちがプリントされている。

ぐらいの情報しかないんですが、以下へ。

別に出演させたければ出演させればいいのでしょうけど、彼等を出演させた事で発生するクレームの処理は、そのテレビ局が負うべし。これが基本的な態度かな。

で、キノコ雲&万歳している人たちの図案というのは、これは堂々たる反日アピールであり、そういう輩を拒否する権利はあると思う。反日アピールっつったって、これ、単純な反日本政府アピールではなくて、原爆投下を喜んじゃってる図ですよね。大量殺戮称賛野郎って事じゃないの? ファッションであれば許されると思っていたって事でしょ? そうとしか考えようがない。

「武士道」と漢字でプリントされているTシャツを着た外国人観光客は、まぁ、観光でさ、仮に、そこに「武論尊命」と書いてあろうが「剛力彩芽」と書いてあろうが、別に、そこに思想は読み取れないけど、問題になっているのはキノコ雲の写真と万歳する人たちの写真なのだから、これは挑発、挑戦しているんだから、素直に、その挑発に乗って「そんな挑戦的な反日思想の持ち主をテレビを出すワケにはいかんな」と応じてやればいいだけの話でしょ。

これによって、心が狭いなんて言われるイワレはないと思いますよ。原爆投下によって、どのような惨劇が起こったのか、その実情を生々しいレベルでは知らずとも相応のレベルでは知っていなければならない日本人が、「韓流スターなのよ、世界的アーチストなのよ」といって、そのアーチストを例外視しようとしている事ほどバカバカしいものはないと思う。

反日がファッション化してしまっている可能性が高いんじゃないんスかね。反日を掲げて原爆ざまぁと主張しちゃうTシャツ着てるオレ、カックいいっていうアピールなんじゃないの? 違うの?


それと、もう一つ、音楽と思想、主義にも触れておくべきか。

或る人気お笑い芸人氏が「音楽と思想とは別物である」という考え方を提示して賛否を呼んでいるという。その通りといえば、その通りなんですが、もう、その時点から、その人の音楽の趣味は商業コンテンツに取り込まれているという事になるのだと思う。今夏か昨夏にも野外音楽フェスティバルに政治的イデオロギーを持ち込もうとしたアーチストがあって、その擁護派と「音楽に政治を持ち込むな!」との対立があったような記憶がある。

現代人にとって音楽とは既に思想とは切り離して楽しめるものだし、政治イデオロギーと音楽とを結びつける必要性そのものはない。その意味では「別物として音楽を愉しみましょう」は間違いではないし、そのような愉しみ方も可能なんですね。しかし、もっと大きな枠で音楽のバックボーンを語ろうとする場合、そこから思想を切り離すのは難しくなってくる。

【うた】と敢えて平仮名で表記されている場合が、それで【うた】とは大衆が口ずさんでいたところから始まっている。田植えをしながら田植え唄を歌い、茶摘みをする人たちが茶摘み歌を唄うといった労働歌であったりする。近代になって抑圧の中からブルースやらエレジー、怨み節的なものが生まれたが勿論、これも歌っていたのは大衆層である。そして一回だけアメリカの話に空間的には飛びますが、リズム&ブルースを早回ししたらロックンロールになったという具合に語りつがれている。

軍歌や文部省唱歌、或いは宮廷などで披露されていた格式ばった音楽は「演じなさい」とか「歌いなさい」という御上からの命令で歌ったり演ずるものであるのに対して、大衆が大衆文化として継承してきているのが音楽の一側面なんですね。人々が憂鬱な気分、悲しい気分を唄っていたのは世界各地共通なのだそうな。で、それがロックンロールあたりになってからは先鋭化を遂げて、不満をブチまけるように進化してきた。確かに音楽とは、大衆に帰属していた文化という顔を持っているんですね。

故に、ホントに日本人が唄ってきた歌とはという風に考えたときに、「一つでたホイのよさホイのホイ」といったヨサホイ節などにこそ、伝統的な日本文化が埋もれているという『日本春歌考』のようなものにこそ、良くも悪くも人々の心性が反映されていたりする。

盆踊りで御馴染みの炭坑節は、


月が出た出た、月が出た〜 ヨイヨイ

三池炭鉱の上に出た〜

あんまり煙突が高いので

さぞやお月さん煙たかろ サノヨイヨイ


であるが、この炭坑節のルーツは添田唖蟬坊であり、実は東京発の歌であったそうな。


月が出た出た、月が出た

セメント会社の上の出た

東京にゃ煙突が多いから

さぞやお月さん煙たかろ


実際に炭坑節がレコード化されたのは昭和10年で、三池炭鉱からはじまった歌という風に紹介されているが、添田唖蟬坊の長男である添田知道氏に拠れば、大正2年の「奈良丸くずし」の一連の中に上記の歌詞を発見できるという。添田唖蟬坊の時代、演歌師は香具師(やし)に混じって道端で歌を唄っていてカネを得ており、演歌の祖・添田唖蟬坊の時代から庶民の聴いていた音楽とは、そんなものだったのだ。この時代、まだラッパ式の蓄音機しかなく、ラジオもない時代だったので、おそらくは演歌師と呼ばれる連中があちこちで興行をし、それが定着し、歌詞なども洗練されていったのでしょう。

また、炭坑節の踊りの振り付けは「♪掘って掘って、担いで担いで」であり、どうしようもなく働く民衆の歌、働かない事には食っていけない民衆の歌なんですね。「あんまり煙突が高いので、さぞや、お月さん、煙たかろう」と、お月さんを人格化し、配慮する心性が反映されている――。

しばらく時間が経過して、岡林信康がフォークの神様として日本の音楽シーンに登場し、そこで歌っていたのは「山谷ブルース」と「くそくらえ節」であった。

「山谷ブルース」は


今日の 仕事は つらかった…

後は 焼酎を 煽るだけ


が出だしである。更に、

人は 山谷を悪くいう…

だけど 俺たち 居なくなりゃ

ビルも ビルも道路も 出来ゃしねぇ〜

誰も 分っちゃ くれねえか〜


「みんな、俺たち山谷の衆を悪く言ってくれるがホントは俺たちが居なければビルも道路もできないのにな。まぁ、こんな事を言っても、誰も分かっちゃくれないか…」というブルーな心性を唄っているのであり、これほど分かり易いブルースの歌詞もありませんやね。

「くそくらえ節」が以下。


或る日、ガッコの先生が 生徒の前で説教した

テストで百点取らないと立派な人にはなれまへん

くそくらえったら 死んじまえ

死んじまえ 死んじまえ

この世でいちばん偉いのんは、電子計算機〜


この歌詞などは「実際に働いている者が最も偉いのです」という考え方から一番働いているのは電子計算機だと皮肉っているワケですね。別に、お金を出した人が偉いのでもなく、企画した者が偉いのでもなく、命令者が偉いのとも違いまっせという意気込みが反映されている。

それと頭脳警察ですかね。なんとバックボーンにあるのは具体的な政治イデオロギーであり、言ってしまえば赤軍的な政治思想なのだ。しかもヤラセではなく、ガチで音楽で政治思想をやっている。「銃をとれ」や「ふざけるんじゃねぇよ」あたりは既に取り上げましたが、その尖がった感じは日本音楽史上、屈指の尖り具合。あのロックな人・内田裕也は頭脳警察を気に入っていて「コミック雑誌なんていらない」という映画をつくり海外で話題になるという快挙を挙げましたが、その「コミック雑誌なんていらない」は頭脳警察の同名曲からインスピレーションを得たものであるという。忌野清志郎が人格的な叛逆児の音楽であったとするなら、頭脳警察の場合はガチで革命を掲げる政治イデオロギーに浸っている音楽っぽい。

内田裕也さんと頭脳警察とに接点があったというのは私も驚きましたが、政治イデオロギーレベルではなく、叛逆精神とか批判精神で相通じるものがあったのでしょう。ロックという分野の場合は、自ずから叛逆という名の反権力主義の要素を秘めているのだ。

「音楽と政治とを一緒にするな!」という意見にしても、その人の主義に過ぎず、総体を語れないってのはホントでしょうねぇ。つまり、「音楽と政治を一緒にするべきではないと思う」と意見化することは出来ても、思想としての反日や原爆投下礼賛野郎を受け入れるか受け入れないかまでもは強制はできない。なので「キノコ雲で万歳する人々のプリントTシャツを着ている連中の音楽なんて、わざわざ流してやる義理もないもないんだぞ」という意見で跳ね返せてしまうんじゃないのかな。

ビルボードで何位にも入るアーチストだから寛大にって? どうでもいい話だ。ここは日本だからね。アメリカ人は韓流とやらが好きなんじゃないんスかね。世界的アーチストであれば、例え原爆投下礼賛であっても許されるべきだなんて事は思わない。そうホンキで思っているのであれば、単なる権威主義であり、商業的成功者に跪拝するような態度でもある。被爆国でもある日本人に、そんな義理はない。韓流音楽に溺れている連中の顔を、じっと見てみるがいいよ。

ussyassya at 11:31|この記事のURLComments(2)雑記 

2018年11月12日

「エロ事師たち」について

野坂昭如の小説デビュー作を今村昌平監督が映像化した「エロ事師より〜人類学入門」を視聴。主演は小沢昭一と坂本スミ子で、1966年製作のモノクロ作品でした。原作の初稿版『エロ事師たち』は既読なので、野坂昭如の小説と、今村昌平の映画とを素材として、その爛┘躬師たち瓩寮こΔ砲弔い董宗宗

野坂昭如の原作『エロ事師たち』は、時代背景を考慮すると怖ろしく先駆的なエロに係る事柄をしていた連中の物語である。小説が発表された当時「(井原)西鶴風」と評される特殊な文体と唯一無二の作風で衝撃を与える。なんといっても野坂の代表作は『火垂るの墓』である一方で、この『エロ事師たち』は英訳版がアメリカで刊行されており、多作の野坂昭如にして代表作として常に挙げられる作品である。

小説、映画とも昭和41年である事を考慮すると、いきなり、度肝を抜かれます。先ず、男女の秘め事を盗聴録音し、その音声テープを販売している。現在でいうところのアイコラらしき写真をつくって販売する。更にはポルノビデオの製作と販売ですが、これは現在のAV産業そのものでもある。更には売春の斡旋を手掛け、更には乱交パーティー等を企画するのですが、この辺りにしても現在の最先端である出会い系イベント企画業であり、パパ活やら後妻業的な話なのだ。

主人公・スブやんは小沢昭一が演じており、そのスブやんと内縁関係になる理髪店を営む子持ち未亡人役が坂本スミ子である。因みに、この「スブやん」、原作ではスブタを食べているから、スブやんというニックネームになったという設定である。しかも、この「スブやん」という役柄名は野坂昭如評では、かなりの頻度で前置きもなしに使用される名称になっている。

しかし、この原作は猥雑にしてワイセツであり、それでいて今村昌平によって「人類学入門」という映画タイトルにされているように、ワイセツにして猥雑であるのが人類学そのものであるという考え方で、野坂昭如の世界を描き切ってみせている。

先述したように、それら性産業の裾野の広さ、商業的発展を予測していたような内容である事にも驚かされますが、内容的にも濃密である。スブやんたちはポルノ映像の製造・販売をする中で、そこに男優と女優とが必要になるのですが、その女優は「頭の弱い女」である。当時の言葉で言ってしまえば「知恵遅れ」とか「精神薄弱」と呼ばれたようなの少女である。痛々しいのは老人よる女子高生への夜這い映像を製作してくれとの依頼を受けて、その撮影に臨んだが、やってくるのは老人とフツウの少女である。映画では殿山泰司が老人を演じていましたが、いざ、撮影するにあたって演出をつけようとする段になって、知的な部分に問題がある少女だと判明する。見た目はフツウだし、男性の性欲の対象になるが、明らかに理解力の低い少女なのだ。

で、原作では老人が少女と性交をし、その映像を撮影する事で、或る種の妥協がなる。野坂の筆致は凄まじく、老人と少女はまるで手慣れたパートナーであるかのように性交し、それを撮影させるが、後に、その老人と少女とは実の親子であると気付く。「どよーん!」という気持ちになるクダリなんですね。さて、映像作品、それもスケベを公言していた巨匠・今村昌平監督がどんな映像にしたのかは興味があったのですが、さすがに性交シーンは数秒で省略されていました。

但し、そのクダリの「どよーん」を描く為に、撮影後にスブやん、バンテキ(伴的)、カポーらの会話として、実は近親相姦であった老人の少女との事を語り合うシーンがありました。「いくら少し頭が弱いって言ったって、実の娘だぞ。実の娘を抱けるものなのか?」、「あの爺さん、どうかしているよ」、「あの爺さんにしてみれば別に変な気はないって言ってたぞ。娘を可愛がっているようなものだってよ」、「フツウに娘を可愛がる、その延長だって? そんなバカな」、「誰でも父親になって娘を持ってみればそんなものかも知れんぞ。娘のおしめを変えながら、いつか何処かの男が娘を抱くのだろうって気持ちを抱えることになる」、「いや、だからって」という感じの会話で、その一連は処理されている。

その老人と少女の近親相姦の一件について結論らしいものは出さないが、後にスブやんは、内縁の妻の娘である中学生の恵子に悩まされる事になる。恵子は非行に走り、後にバンテキが企画した乱交パーティーに恵子が参加し、且つ、坂本スミ子演じる年上の内縁の妻・ハルからは「あたしの事はどうでもいいから、あんた、恵子と結婚してやってくれないか」と頼まれてしまう。スブやんのエロ事師稼業は、恵子に非行に走られてしまった事で順調にいっていたものが順調に行かなくなる。

この殿山泰司演じる老境の父親と実娘との近親相姦のクダリが重要なのは間違いなく、鶴見俊輔も文藝別冊『野坂昭如〜野坂昭如焼跡闇市ノーリターン』(河出書房新社)に野坂に関しての論考『文学と人』の中で、その近親相姦譚に触れている。鶴見は「性交を人に見せることを商売にする父娘のことがでてくる。娘は白痴であってひとりでおくわけにゆかず、ほっておくと他人のなぶりものにされるのがあわれで、ついに父親は娘と寝るところを他人に見せてくらしをたてることをはじめた。こうしてはじめて父娘は一時も離れることなく、広い社会で二人肩をよせあって生きてゆくことができるようになった。二人の性交には、欲望の満足を包むおたがいへのいとおしみがあらわれている」とあり、この広い社会で信じあえる二人だけで生きているという生活感覚に根差した思想は「火垂るの墓」の清太と節子のそれともダブっていると分析している。

さて、映画版では最後にスブやんがダッチワイフの開発に、エロ事師としての生命を傾注する。機械にセックスの何が分かるんや、そんなの人形やないかとと言っていたスブやんであったが、心境が変わるのだ。スブやん曰く、「このダッチワイフは人形やないで。これは人間や! 生きてるんやで!」と言い出す。丹精込めて、陰毛を一本一本、植えるようにして本格的なダッチワイフをつくる中で、そうなる。

挙げ句、南極観測隊から開発中のダッチワイフを譲ってほしいというオファーが来るが、スブやんは札束を受け取らず、そのままダッチワイフと一緒に船に乗って川に漕ぎ出してゆく――。

色々と網羅しちゃってる。モノクロ映画だというのに、エロ産業の未来ってのを。ダッチワイフから現在はラブドールへ。ブルーフィルムからアダルトビデオを経て現在ともなるとエロ動画時代へ。夕暮れ族から援助交際システム、出会い系の産業各種。グッズとしては盗聴テープに、アイコラ。すべて1966年の時点で予言されていた未来が現在なのかもね。さすがにエロゲー産業の隆盛までは予言できていないけど。

また、実はアダルトビデオ産業やらエロ雑誌業界の女優やモデルについては、宝島SUGOI文庫などにも記事があったと思いますが、実際、或る時期までは知的障害のある者がモデルになっていたり、或いは精神を病んでいる者が実は演じているという指摘があったかな。現在のようにAV産業が猛威を振るい、どこのメーカーの作品にもハイレベルなセクシー女優さんも珍しくなったので、そういう問題は少なくなっているんでしょうけどね。

理容師である坂本スミ子演じるハルが、小沢昭一演じるスブやんの髭を剃る。髭を剃るシーンを丹念に描いており、真上にカメラを設置するという工夫をしている。また、坂本スミ子演じるスミは終盤で発狂して死ぬが、病室のベランダから寝間着をはだけただらしない恰好で、

♪男と女の針仕事〜

という奇妙な歌を唄う。勿論、針仕事とは針の穴に糸を通すこと、即ち、針の穴を女穴に見立てて、糸を男根に見立てての性行為を表している。小野小町穴なし説に触れる際、マチ針とは穴のない針であるという解釈に触れましたが、昔から、この針仕事を性交に見立てるなどしていたのだ。


因みに、この「エロ事師たち」の英訳タイトルは【The pornographers】であり、カタカナでは「ザ・ポーノグラファーズ」と表記されている。意味は「エロ本作家たち」や「ポルノ作家たち」であり、野坂昭如の考えた「エロ事師たち」に該当する英訳が無かった事が伺える。日本は確かにエロ大国の素養があったっぽい。

日本に於ける【ポルノ】という言葉が定着したのは、1971年以降の事になるという。契機になった作品があり、それは1971年公開の池玲子主演『温泉みすず芸者』(鈴木則文監督)であったそうな。東映が「お色気路線」、「ピンク路線」を展開する中で「東映ポルノ路線」が確立され、以降、日本では「ポルノ映画」や「ポルノ女優」といった言葉が量産されていったのだそうな。それを考慮しても、1966年というのは、時期的にも早過ぎるんですね。

『温泉みすず芸者』は視聴経験はないのですが、その呼び水になった『温泉こんにゃく芸者』は視聴経験がある。いや、しょうもない映画で、やはり、こんにゃくで浴槽をつくって温泉宿を盛り上げるべというストーリー。ここでも殿山泰司が精力を失った老人として登場、コンニャク風呂をつくるのが夢なんじゃと言って、こんにゃく芋からこんにゃく玉をつくって、浴室全体にこんにゃくを敷き詰めるというもの。お色気はオマケ程度だったように思われますが、以降、東映は温泉芸者シリーズとして東映ポルノ路線を確立してゆく。しょうもない映画なんですが、何故か関西朝日新聞は、その「温泉こんにゃく芸者」を反戦映画第一位に選出してしまったという。エロに注力する事こそが平和主義だ、反戦だと理解されたんでしょうねぇ。

これが日本の大衆文化がエロである事の証拠にもなりそうですかね。元々、エロ大国なんでしょうねぇ。但し、まだ、この頃のお色気路線は、現在のようにロリコン趣味とかロリコン社会にはなっていなかったように思えますかね。性的な目線で見る先鋭化が起こると、年少者を性的な目で見るべきは無いという、これまた先鋭化した葛藤が起こり、いつしか「年少者を性的な目で見る事は好ましくない」という社会的合意形成ができる。しかし、そうやって年少者を性的に見る事を禁止にすると、それが余計にエロ目線の対象になってゆくという部分があるようで。

その結果、踊りながらスカートを翻して、そこから覗けるアンダースコートという名のパンチラを紅白歌合戦でも流している現在に到る。その昔、コント55号が紅白の裏番組でやっていた野球拳は、視聴者も演者もハレンチな企画であるという自覚があったが、現在は自覚はない。自覚のないままに、青い性の商品化を国を挙げてやっていて、社会全体もホントは青い性を当たり前に愉しむまでになっている。口では「少年や少女を性的な目で見るなんて、けしからん」とヒステリックに叫ぶが、その実、そのように禁忌にすれば禁忌にする程、その規制対象となる性の価値はお宝度が増し、その性商品の値段が上がってゆく。元々は女子体操服のブルマーに欲情する者なんて滅多に居なかった時代があるが、或る時期からブルマーはハレンチなものという合意形成が起こり、そうなると、いつの間にかブルマーが発情アイテムになっていったという経緯を考えると分かり易いかもね。嗚呼、確かに人類学入門かもね。

2018年11月11日

徴用工問題2018

元徴用工とされる韓国人4名が新日鉄住金に対して損害賠償金を求めた訴訟の差し戻し上告審で、韓国最高裁(大法院)は、10月30日、新日鉄住金の上告を退ける判決を下し、それによって先立ってソウル高裁の判決、4名全員に請求額全額となる4億ウォン(約4千万円)の支払いが決定。この訴訟は2005年に提訴しており、13年余を費やして韓国で得た決着であるという。

凡そ、日本国内のメディアは朝日新聞系列までもが論調を揃えて韓国・文在寅政権を批判しているものの、インターネット上には異論も噴出しているよう。で、もしかしたらと思って、しんぶん赤旗日曜版に目を通してみたら、志位和夫委員長の見解が掲載されていました。

どのような主張なのかというと、「個人の請求権は消滅していない」という見解は日本政府、日本の最高裁の過去の判例、更に韓国政府、韓国の大法院、その4者は4者とも「個人の請求権は消滅していない」で一致している、という風に展開している。

韓国政府及び韓国大法院が「個人の請求権は消滅していない」という見解を出している事には何の問題もないんですが、日本政府や日本の最高裁判決の見解も、それと同じであるというのはどういう事か? それは2007年4月、西松建設と強制連行被害者との裁判、その判決に於いて、1972年の日中共同声明では「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」と判決しながらも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」という文脈に沿っているので、日中共同声明に係る「個人の請求権は消滅していない」という見解は、今回の日韓請求権協定に係る「個人の請求権は消滅していない」という見解と揃っているという主張のよう。

記者と志位委員長とのQ&Aの中で、記者から「共産党は、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場か?」と問われ、志位氏は「この論理は検討されるべき論理だ」と答えたという。

いやいや、きっと、韓国政府は、そういう論法をとってくるのかという想定問答に成り得る。西松建設の場合、相手は韓国ではなく中国でしたが、つまり、最終的に西松建設は謝罪と和解金を支払って和解とした。その西松建設の前例を今回の韓国側擁護の論陣が展開させる事が有り得るという事が予想できる。しかし、よくよく赤旗の記事を読むと、志位氏の主張は、シャレではなくて恣意的な解釈があって、西松建設に係る日本の最高裁判決の主旨を整理すると、そこで大原則として打ち出されたのは「個人が裁判上請求する権利を失った」という見解であり、その大原則を示した後に、爐世らといって瓩箸いγ△圭颪的な見解としての「個人の請求権を実体的に消滅させることまでもを意味するものではなく、任意の自発的な対応をすることは妨げられない」というものだから、それは謂わば個人請求権に関しては、そのような牴鮗瓩陵消呂△覘瓩箸いδ度の話でしかない。これは、単に、その企業が自発的に謝罪したり、和解したり、自発的に慰謝料を払う事までもを妨げないという意味じゃないんスかね…。

日本共産党さんは志位委員長に引き摺られてしまうと、大変な誤りを犯しかねないんじゃないんスかねぇ…。西松建設のケースと同列に扱い、その前例主義で「個人に対しての請求権は消滅していないから謝罪と慰謝料を…」という方向へ傾き、その例外を認めてしまえば、おそらく、その前例に味を占めて同じような慰謝料請求が続発するリスクがある。しかも、そうなった場合、続発するリスクは低くない。一度、カンパという名目で回ってきたカツアゲに屈したら、二回目以降の方がカンパを断わるハードルは上がってしまう。一つの大きな原則を例外扱いして壁を決壊させると、済し崩し現象が起こってしまうのが、このテの「請求と和解」問題に係る実際の力学でしょうしねぇ。駄目なものはダメ、そう突っ撥ねる以外の選択肢はない。

週刊新潮11月15日号では、志位委員長とは逆で、実は韓国国内でも、今回の韓国大法院の判決を不安視している報道が散見していると報じている。最も、分かり易そうなものは、10月31日付の文化日報紙が掲載した内容で、「植民地支配の違法性問題は、韓国であれ日本であれ、一方の国の憲法ではなく、その当時の国際法に基づいて判断しなければならない」という大原則に触れていたという。更には、「日本が国際司法裁判所への提訴を言及し、国際世論戦を繰り広げる場合、(韓国は)決して有利ではない」(30日付の京里新聞)、「私たちが何を言っても、離婚届に判子は押さないだろうという安易な考え方は国際政治では通じない」(11月2日付の毎日経済新聞)などを紹介している。

また、この事は「個人の請求権は消滅していないと解釈する余地を残している」という話なのでしょうけど、有利不利で考えたくもない問題である。世の中、デタラメが罷り通ってしまう事が最近、増えている気がする。或る意味で、法治主義的な文脈というのは霞ヶ関文学と似ているところがあって、とんでもない抜け道を見つけ出して、好きなように正義をつくり上げてしまうケースが増えていると感じている。実は、物凄い御都合主義なのだ。大原則があるなら、その原則から逸脱しないように展開されるべきなんでしょうに「個人の請求権は消滅していないんです!」と感情的になって声高に訴えた方が勝利してしまう場合が、正直、有るよなって感じている。ここで、「もう、そういう御都合主義には付き合えません」と、きっぱりと拒絶する態度が重要になってくると思う。まぁ、放置しておいてもブレることはないかと思いますが、今一度、確認しておきたい事柄ですかねぇ。

冷静に考えれば、韓国の司法が韓国の国内に於いて、両国間の間で締結された協定の内容、その解釈を一方的に勝手に解釈して司法判断としてしまっているだけの話でしかないって事だと思うよ。約束事というのは双方で決める事柄であり、その約束事を一方が独善的に解釈を変えて理解しているという事は、離婚して下さいって事なんじゃないんスかね。韓国によるゴールポストを動かしてしまう問題というのは、ホントにキリがない。

「日曜討論」などでも見掛ける事が多い外交評論家・岡本行夫氏は極端な強硬論者ではありませんが「国際司法裁判所に提訴すべきです」と断言している。その上に「通貨スワップ再開の協議などには応じるべきでない」としている。岡本氏よりも強硬な意見になるのでしょうか外交評論家の加藤英明氏の「まず日本政府が始めにすべきは、在韓国の日本大使を引き上げることです。それから、アメリカのトランプ大統領がやっているように、日本も韓国製品に対しての関税を高くしてはどうか。で、最終的には日本企業は韓国から全て引き上げてしまえばいいと思います」とコメントしている。

因みに、国際司法裁判所に提訴したとして、その提訴に応じないという事が考えられるが、その場合にはどうなるのかを、釜山大学法学専門大学院の朱普烈教授が説明しているクダリがある。

「韓国政府が国際司法裁判に応じない場合、韓国側が一方的に日韓請求権協定を破棄したことになります。同協定は日韓基本条約の付属書で、このふたつはセット。つまり協定の破棄は韓国政府が条約そのものを破棄すると宣言するに等しいと言えます」

だって。


追記:フジテレビの報道番組にて、新日鉄住金本社に原告側支援団体が来訪、警備員に面会を断られた後、共産党の志位委員長、支援団との面会に応じていたという報道があり、映像も視ました。これ、やっちまったんじゃないの? 志位氏にしても支援を明言こそしていないが、国会内に支援団を招き入れて面会に応じたという事実は残る。そうやって既成事実をつくっていくのがゴネる人たちの手法なんだけどねぇ。これは日本の左翼をミスリードしちゃったように見えるけどねぇ。左翼は志位批判か日本共産党批判をすべきなんじゃないんスかね。

2018年11月10日

小野小町穴なし説について

添田知道著『日本春歌考』(祥伝社カッパブックス)を目を通した際、昔の記憶を呼び起こされた一節がありました。それは小野小町無腔説(小野小町穴なし説)に触れられた一節でした。さほど、語る機会はないものの、「小野小町はあそこに穴がなかったんだってさ」という話は活字本で二度、三度、目にしたことがあるり、一度だけ、ラジオの深夜放送で耳にしたことがある。

初めて、それを知ったのは、故・川島なお美さんが現役女子大生としてディスクジョッキーを務めていた「ミスDJリクエストパレード」でした。確か、川島なお美さんは火曜深夜担当だったかな…。女子大生ブームの先駆け的なポジションに「川島なお美」さんが居てね。

脳内再生するなら、リスナーから寄せられたハガキに目を通した川島さんが、

「みんな知ってる? 小野小町ってアソコに穴が無かったんだって! だから、裁縫のときに使うマチ針には糸を通す穴がないんだって! えー、この話、ホントなの?」

てな感じかな。確かに国語の教科書に出て来る小野小町は歌人であり、何時の頃よりか小野小町は美女の代名詞として広く、その名前を使用される、或る種、美女を指す符牒だという理解はあったのですが、その小野小町穴なし説(無腔説)は初耳であり、且つ、「アソコに穴が無かったんだって!」という話は荒唐無稽であるが故に非常にインパクトのある話であったと思う。

実際、マチ針は、漢字では【待針】と書く。しかし、広辞苑にも明鏡国語辞典にも共通して、「まちばり」の項目には【小町針】という別の漢字表記がある事を記している。つまり、諸説あってマチ針の語源ははっきりしないものの、裁縫針、そのマチ針については、ごくごく単純な「待針」と、小野小町穴なし説に影響されたものと思われる「小町針」という言葉が実在していたようなんですね。

この、小野小町穴なし説って、実は、物凄い民俗学的なテーマだよなと気付かされますかね。ホントかどうかは分からない。少し踏み込んで言えば、おそらくは俗説でしょう。しかし、「美女として有名な小野小町にゃ、アソコの穴が無かったんだってよ」という言説は、広く時空を超えて、そのように半信半疑のまま、信じられ、そして民間に伝承してきた牴燭瓩任△襪里枠歡蠅靴茲Δないんですね。

『日本春歌考』は、それに触れている。大衆が誰に支持されるでもなく自由に歌ってきた歌には、労働歌の他にも、替え歌があるワケですが、実は美女の代名詞たる狆野小町瓩鷲冏砲鵬里すまれているという。

ノンキ節(替え歌)に、

♪日本の美人は 小野小町で
小野小町にゃ 穴がない
エゲレスやドイツは知らないけれど
フランスの美人にゃボボアール ハハ のんきだね


というものがあったという。ここで歌われている「フランスのボボアール」とは、勿論、あの「ボーボワール」の事である。念の為、触れておくと【ボボ】とは女性の局部を指すワケで、つまりは、日本美人の小野小町には女穴がないが、フランス美人は「ボボ有る」と、語呂合わせの洒落になっているのだ。(こう解説すると無粋ですが、こういう話が平成生まれの人にたちに言葉として通じるかどうかは非常に疑わしいので地雷という地雷は全て踏み潰してゆくしかない。)


さて、その小野小町穴なし説ですが、ここでも著者の語り口は冴えている。客観的な意見を打ち立てるが断定はしない。おそらく、面白いと感じた話だから、ただ、このようにして、その猩鱈瓩広く広まっているのだという捉え方をする。民間伝承の捉え方、フォークロアあるいは都市伝説の捉え方というのは、ホントは、事実が分からないものなのだから、それを、そのままに語ればいいのだ。誰かの判断によってシロクロと決着をつける事柄ではない。その真髄を知っている語り口なんですね。以下、それを私なりに。

無腔説は、おそらくはデマであろうと推測できる。小野小町伝説とは絶世の美女であるが故に多くの人たちから言い寄られた事が想像できる。きっと、袖にした男(振った男)も沢山いただろうから、そのフラれた男たちがフラれた腹いせに、「小野小町にはアソコに穴がなかった」というデマゴギーを流布した。そのデマゴギーが面白かったから広がったのだろうと容易に推測できる。

また、デマ説の補強として小野小町淫蕩説というのもあるそうで、つまり、絶世の美女であった小野小町の元には沢山の男たちが言い寄って集まったと想像できるが、それは小野小町が淫蕩だったからに違いないという「やっかみ」の心情も介入するから、美女だっていうけどホントは淫蕩なんだぜという具合に展開するデマは広がり易い。

しかも、大問題なのが狆野小町瓩修里發里覆里澄4に触れましたが、実像そのものが不詳の人物なんですね。何しろ平安時代前期の歌人であり、詳細は不明であるが、絶世の美女という風に語られてきた人物なのだ。実は、実像からは懸け離れて、実質的なコミュニケーション上では「破格の美女」を言う場合の代名詞、符牒こそが小野小町の正体なのだ。これは平成の世に生きている我々が現在もなお「なになに小町」という類いに美人を呼んでいることと同じなんですね。「実像たる小野小町」を語っているのではなく、伝承するところの「虚像たる小野小町」に由来する事柄を語っているのが真理なのだ。

それを踏まえた上で述べれば小野小町無腔説を語るしかない。リアリスティックに語れば、穴なし説には医学的根拠のようなものは全くないものと考えられるが、それは100%通用するのかというとそうではない。稀なケースを考えれば、或る種の身体的欠陥とか生理的欠陥などによって、或る者が生涯、その陰門が開かなかったというケースも想定しておく必要性がある。勿論、その可能性は限りなく低い訳ですけどね。

因みに、絶世の美女たる小野小町の出生地は出羽であるという。出羽とは現在の秋田県であり、つまり、平成の世に生きる我々が「秋田美人だね」などと使用している事の遠因にもなっている可能性があるのだ。

秋田音頭では

♪秋田のオナゴ なんしてきれいよ きくだけおそけだす

小野小町の生まれ在所を おみゃはん 知らなあのぎゃあ


方言が強烈なので訳せない箇所もありますが、おそらく後段は「小野小町の生まれたところを、おみゃさん、知らないのか?」のような歌詞なのでしょう。

小野小町は、出羽郡司・小野良実(おののよしざね)の娘とされている。しかし、その小野良実は出羽に赴任する前は肥後(現在の熊本県)の山本郡小野里(やまもとこほり・おののさと)で三歳まで育ったという伝承があり、そうなると、小野小町は熊本出身であった事になる。しかも、小野小町の作とされる歌に詠まれた道、これは深草の中を少将が夜毎に一本づつ百種類の芍薬を届けに百夜通ったという道が登場するのですが、面白い事に、その深草少将百夜道に比定される道は、出羽にもあり、肥後にもあるのだという。

つまり、小野小町という像そのものが、実質的には虚像なのだ。その小野小町像のモデルになった人物は存在していたと考えても問題はないが、広く巷間で語られている小野小町像には実体はない。実は小野小町は小野良実の娘であるという話そのものにも異説があるという。小野良実の娘とする説の他にも、小野宰相常詞の娘とする説、小野常澄の娘とする説などもあるが、信憑性は低く、更には、それ以外にも仁明(にんみょう)天皇の女官で小野朝臣吉子とする説もあるという。実は、小野小町の実像、その詳細はさっぱりわからないのが真実なのだ。

しかし、小野小町伝説は絶大であり、美人で驕慢だった小野小町は醜い老婆になったと語り継ぐ晩年零落説や、骸骨になったという髑髏説など、ここが小野小町が生まれた地で産湯をつかったのはこの井戸であるとか、これが小野小町の墓であるという小野塚であるとか、そうしたものは限りなく現存しているが、どれもこれもが信憑性は今一つであり、巷間、語られる場合の小野小町の正体とは、小野小町の実像ではく、そもそも小野小町の虚像について我々は語り継いでいるのが、真相という事になる。つまり、虚像として数ある小野小町伝説の中の一つが小野小町穴なし説だと強く推測できる。

或る意味では、日本人の豊かな想像力が小野小町の像を再生し続けているんでしょう。それを考慮すると、小野小町穴なし説も、そうした虚像伝説の一つであると考えるのが妥当ですかね。断言はしませんけど。



2018年11月09日

「ゆきゆきて神軍」の重たさ

1987年製作のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」(原一男監督)は、視聴後に軽く鬱な気分になるレベルの作品でした。これはドキュメント映画の力なんでしょう、刺激的な内容である上、進行形で撮られた生身の人間の姿だから精神的にしんどい。凄い内容なんですけど、やはり色々と重た過ぎる中身なので、詳しく内容に触れる事は不可能。

これはフィクションで描いて、我々が気付かなきゃいけない内容なんでしょうねぇ。というのは、先の大戦にて戦争が終結後に発生したニューギニアで発生していたという旧日本軍の部隊内で発生した処刑事件が取り扱われている。しかも非常に複雑であり、終戦は御存知の通り、8月15日であった。その部隊に終戦の報が届いたのは8月18日であったが、9月4日に2名の兵士が何かしらの理由で銃殺刑に遭ったらしいという、40年以上も昔の戦後のドサクサ、その軍隊の中で発生した殺人を徹底的に追求する人物に密着取材した映像なのだ。しかも、「取材対象」氏は自らの手で真相を暴き、法的には時効であるが彼の考えるところの神の法によって、自らの手で誅そうともする至極過激な映像ドキュメンタリーなのだ。

それだけでも充分過ぎるほどに重たい内容なのですが、それとは別に重たいのが人肉食いに関しての証言が収録されてしまっている事でした。先の大戦に於ける餓死、飢餓状態の話というのはガダルカナル島はじめ、敵兵を食べたという人肉食の証言などもあるワケすが、まぁ、それも或る程度までは冷静に捉えることが出来る。映画「野火」なんてのもそうだったし、或いは白土三平の漫画でも寿司を食って人肉食の記憶を思い出して嘔吐する漫画があった気がしますが、このドキュメント映画の場合は余りにも生々しく、精神的にしんどい。

作品中、複数の証言者の口から【白豚】と【黒豚】という隠語が語られている。それが何を意味しているのかというと、これまた、そのままの言葉で証言されていましたが、【白んぼ】、【黒んぼ】、【土人】という単語で明確に証言されている。しかし、これが非常に生々しく響くんですね。撮影当時にしても40年前の記憶を回想しながら話している証言であるだけに物凄く生々しく響く。また、この事は同時に、単なるグロテスクな趣味で収まる範囲にはなく、実際に人肉を食べてでも生き残らねばならないという過酷な状態であった事を前提にしないと理解できない話なのだ。或る意味では言葉狩りや禁句狩りのようなものには何の意味もない事を嫌という程、見せつけてくれる。ありのままを語る事を回避してしまうと、生々しい情感なんてものが伝わる筈もない。

人肉食なんてのは「誰も好き好んで、そんなことをしていたのではない」というフレーズも二度ぐらい語られている。裏返すと、それがあった事を物語っている。確定的。しかも、それを戦後の飽食の時代に生きている我々が裁く事は難しいなと痛感させられる。但し、このドキュメント映画の中の登場人物は、その部隊に所属していた元軍人であり、かつての上官を平気で殴り倒せる強烈すぎる精神力の持ち主である。

多くの者は口を噤みたがる。これも非常に気持ちは分かるんですね。仮に当事者であったとしても自らの罪と向き合う事には抵抗があるだろうし、或いは知っているという場合でも、語るには余りにも重たい事実である。何も今更、蒸し返したくはないという心理が働くのも分かるといえば分かる。

かなり荒っぽい手法で証言を引き出すが、確かに法律的には時効成立の話であるが、戦争が終結した後に行なわれた銃殺刑は、或る意味では殺人である。その辺りは人権派弁護士として有名であった故・遠藤誠弁護士の見解を踏まえた上で行動した一連なのだ。多くの者が、語るに語れない罪、その罪悪感を胸の中に抱えて帰還し、その後の人生を送っていたであろう事も生々しく伝わってくる。

色々と考えさせれましたが、人肉食のようなものは極限的な飢餓状態でなければ行なえなかったであろう業(ごう)なのですが、ひょっとしたら、例の処刑は下っ端の兵士を銃殺し、その人肉を食べたという事ではないのかという嫌疑さえ、突き付ける展開まである。私の感想からすると、それは無かったと思いたいし、そう感じましたが、それは確信的かというと勿論、そうではない。(証言者も全員がさすがに否定している。)

おそらく、戦争末期や終戦直後の混乱というのは想像を絶せるレベルの惨状であった事が予想できるんですね。また、その極限状態で、何故、戦争が終わっているのに銃殺刑が行なわれたのかという部分、そこに確かに業としての罪を感じなくもない。厳しい状況であったのだろうから平時の感覚では裁けませんが、越えては欲しくない一線を越えた罪というものは感じざるを得ない。

兎に角、この映画には狄祐峇僂箸靴得鐐茲離筌个記瓩詰まっている。取材対象氏の取り憑かれたような行動には戸惑わされますが、戦争というもののヤバさを伝えるという意味では、この作品の存在感は極めて大きいような気もしますかねぇ。

まぁ、あの生々しい証言からすると間違いなく、人肉食は相応の頻度で発生していたと認識せざるを得なくなりますが…。おススメ度は高い反面、刺激が強いのは間違いないので多少、気分の変調などに耐えられる場合の視聴をおススメという感じです。



そうそう。この映画の取材対象氏の街宣車には、黒字に赤の日章旗があったり、白地に黒の日章旗が掲げられていて驚きました。大島渚監督の『日本春歌考』では、作品中に黒い日の丸が登場することが話題になったらしいのですが、実際に黒い日の丸、この取材対象氏は掲げていたんですね。単純に反体制の象徴でもあるのですが、見慣れている筈の配色が違うとギョッとする感覚があるのですが、まさかドキュメンタリー映画で見る事になるとは…。