どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、呪い、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、場合によっては「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみるブログ。

世相ってのが、これほどまでに入り組んでしまっているのって、どうなんだろう。ニュース番組にしても、取り上げるニュースって偏ってませんかね…。いやいや、色々と同時多発的に出来事がワンサカワンサと起きているので報道する側も捌き切れず、流れに沿った報道とネット上のトピックスを紹介するだけになっている気がする…。

こうなってしまうと現実逃避しかないッスね。騒いでもしようがない事で無理矢理に騒いでも、虚しいだけだし…。

ケーブルテレビにて「歌謡ポップスチャンネル」なるチャンネルを発見して、しばし視聴。80年代に面白い動きがあったのだなと感じたのは、太川陽介&榊原郁恵のコンビが司会をしていたレッツゴーヤングの再放送でした。当時から太川陽介さんは短足ネタをやっていたんだなとか、榊原郁恵さんはちっちゃくてグラマーでニコニコと愛らしくて、タイプとしては珍しいアイドルだったんだろうなとか、そんな事を考えながら視聴。

特集のコーナーはロッド・スチュワート特集で、中心になっていたのは沢田研二さんで、これは所謂、沢田研二論に合致しているなと感慨深く視聴しました。当時の沢田研二ことジュリーが意識していたのは、まさしくロッド・スチュワートであったという話を数週間前の週刊誌で読んだ気がする。よくよく考えてみると、そういう事だったんだろうなと合点する。

当時は気付かなかった事って、いっぱいものだなぁ…という感慨に到る。そして、ホントに衝撃的だったのが、歌のコーナーで目撃する事になった「中原理恵」で「越美晴」のステージでした。ああ、こんな洒落た雰囲気の楽曲を唄っていたのかとか、かなり、攻めているステージであったというか。

中原理恵さんは或る時期から欽ドンのイメージのタレントになってしまいましたが、歌手・中原理恵は貴重だったと思う。聴きやすい声質である一方、楽曲が洒落てたんですね。大人の雰囲気を持っている。思えば、こういう路線の歌手というのを他に思い出せない。ポップスなのだけれど、どこか哀愁が漂っており、内山田洋とクールファイブみたいな、あの路線。「東京ららばい」が稀代の名曲であるのは、言わずもがなですが、実は一発屋ではなさそうですね。披露していたのは「ピロートーク」という曲だったと思いますが、色々とプロデュースが凝っていたらしい事が伺えました。

「越美晴」(こしみはる)という名前は知りませんでしたが、この方のレッツゴーヤングのステージは中々に衝撃的でした。アイドル歌手風の衣装ながらピアノを弾きながら歌ってる。しかも斬新なポップスで驚きました。これ、当時はとんでもなく新風だったんだそうなぁ。


そうよ、そうよ 恋なんて

まわる、まわる 回転木馬 

ひと時だけ 楽しければ それでいい⤵


何者だろうと思ったら、「コシミハル」とカタカナ表記でミュージシャン路線に転向していたよう。

こうした斬新さというのは、なんだろうなぁ。山口未央子さんのアルバム「夢飛行」なんかもそうなのだけれど否応なく「うわっ! 新しい才能の人だ!」と感じさせる斬新さってのがある。山口未央子さんは化粧品のCMソング「恋は春感」がスマッシュヒットした後、作曲家になってアイドルに楽曲提供などをしていたらしい。

斬新な何かというものには、その背景に潜んでいるであろう、その者の奥行、それと、やっぱり時代の勢いみたいなものを感じさせられてしまうかな。音楽シーンと大袈裟に括れば、YMOが牽引した何かだったのかも知れないけど。


で、昨日は歌謡ポップスチャンネルで「平成のMV(ミュージックビデオ)特集」を視聴していましたが、川本真琴さんの「1/2」は、やはり、傑作ですねぇ。個性的な楽曲であると同時に、色々と迸(ほとばし)ってるものがあるじゃないか、と。

この楽曲は、あまりにも有名で堂々たる平成の名曲ですが、今回は歌詞に、「迸ってんなぁ…」という、その時の、その人の、若さも関係あるのだと思いますが、色々と勢いが凄い。

この楽曲は全編通して味がありますが、いわゆるサビは「♪神様は何も禁止なんかしてない、愛してるぅ、愛してるぅ、愛してるぅ」の部分でしょう。その「愛してるぅ×3連発」の後に


あたしまだ懲りてない 大人じゃわかんない

苦しくて せつなくて 見せたくてパンクしちゃう


も、いいですね。「パンクしちゃう」の「パ↑」の弾け具合が見事だなぁ。

そして、特に2番の歌詞、これ強引なんですけど、MVで視たら、物凄く味がありました。


あた し たちって どうして生まれたの? 半分だよね

ひと り で 考えてもみるけど やっぱ ヘタッピなのさ

見えなくなるほど遠くに ボールを投げれる強い肩

うらやましくて男の子になりたかった

澄んだ水のよにやわらかく 誰よりも強くなりたぁぁい

ちっちゃな頃みたい へんね涙こぼれてく


色々と歌詞もハマってる曲なんですね。そして、3番では、


ノストラダムスが予言した通り 

この星が爆発する日は ひとつになりたぁぁい


迸っているのは若さだけではなくて、感情が迸ってんだろうね。その表現に成功している。理屈でいうのは間違いなのだけれども、この「1/2」という曲は「あたしたちは一つであるべきなのに、二つだね。境界線が邪魔だよ」と表現し、その「なんで二つなんだろう?」と感じる「もどかしさ」を爆発させる事に成功している。





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よし、オリンピックは開催に決定したようだな…。となると、開会式もやらなきゃダメって事か。今の日本で最も自慢できるものは何だ? いやいや、オモテナシの精神からすれば今の日本で流行している最善のものを、きっちりと世界の皆さんに披露してこそ、オモテナシというものだぞ。

えーと、オープニングセレモニーとしてはフワちゃん? フワちゃんと鬼滅をやっとけば日本国内的にはOK? 世界を意識してペン・パイナップル・アップル・ペン? アレは古いの? そんな事を言うけど世界に通用したんだろう? 一世を風靡したって。トランプ大統領の接待だってやったんだし。これが、今の日本を誇る最高のコンテンツなんですって、全世界に御披露目するのが筋というものじゃないの? 胸を張って、ありのままの今の日本を世界さんに見てもらえばいいじゃん。 

じゃ、鬼滅とフワちゃんでイケる? 鬼滅はイケそうだけど、フワちゃんはヤバい? なんで? 今の日本でウケてるんじゃないの? フワちゃんよりも第7世代の方が流行っているって事なの? もちろん知ってるとも、霜降り明星、ぺこぱ、東京ホテイソンとか、あのあたりだろ? しかし、ホントに大丈夫なんだろうな? 日本語じゃマズいんじゃないないのか? え? 厚切りジェイソン? おいおい、そこまで魂を売り渡してしまっていいものなのか? ウケる? それはない? 日本だからウケているだけ? あー、そういうものなの? 

それと、あー、そう。ポリコレがうるさい可能性があるの? あー、そりゃ面倒くさそうだなぁ。じゃ、どうすんのよ? マツコ・デラックスならシャットアウトが可能? そーゆーもんなの?

で最後には全員でPPAPを踊るの? それは、いくらなんでもダサくない? え? どうしてもやるの? はらぺこ男爵たちがPPAPを見たいって言っているから断れないって事? ああ、そういう事か。

ああ。ほいで、最後に歌舞伎を見せれば安泰って訳か? おい、しかし、歌舞伎ってよォ、まさかカブキロックスの方じゃないだろうな? 幾らなんでもホンモノじゃなきゃダメだろ? でも海老蔵にPPAPをやってくれって言って大丈夫なの? 断ってくんじゃないの? え? もうヤケクソだからどうだっていい? そんな投げ槍になんなよぅ。エンブレムのパクリ問題とか、国立競技場ザハ案の問題とか、はらぺこIOCの問題を乗り越えてきたんだから、あと少しの辛抱じゃないか…。ここまで来たら、最後まで、やり切っちまうしかないだろーよ、なっ?

えっ? それマジか? 小池都知事が、そんな事を企んでんのかよっ! マダム寿司ってアメリカでダダ滑りしたネタじゃん。百合っぺ、まだ、あのネタを諦めてないのか? 五輪セレモニーでリベンジする気になって張り切ってるって? 知らんぞ、マジで。

ええっ? あの摘まみ出された森さんもセレモニーへの乱入を予定してんの? 例のラガーシャツを着て東京上空からスカイダイビングで降り立つリハーサルをしているだと?! うーん、まぁ、それは、ちょっと見てみたい気もするかな。 

 
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◆国家というヤクザ

竹内久美子さんには『賭博と国家と男と女』という著書があって、実は国家というものはマフィアであるという仮説に触れていた。一見すると単なる珍説、奇説の類いと思ってしまうのが常識人である訳ですが、実際に『国家』の定義からすれば、〈国家とは武力行使をもって外敵を斥ける勢力の事〉と解説している通りであり、よくよく当て嵌めてみるとマフィアとかヤクザが、その縄張りを巡って武力によって外敵を排斥する勢力である事を念頭に置くと、本当は優れた考察ある訳ですね。

「税」や「賦役」を人々に課することが許され、場合によっては死刑も行っているのだから人殺しをしても許される。「近代国家の定義とは?」という具合に思索を続けてみても、基本的な性格は変わらない。

とはいえ、一般的な国家とは、領土・人民・統治権という3つの要素を備えたものであるとされている。しかし、そうなると仮に、仮にですが、特に領土を持たないノマド的な騎馬遊牧民の勢力は、領土そのものを有していないから国家ではない事になる。或いは、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」はどうだろうか? 「沈黙の艦隊」は原子力潜水艦を以て「我々は国家として独立を宣言する」と宣言したものでしたやね。そう、一般論としての国家の定義は万能ではない。むしろ、研ぎ澄ましてゆくと、武力を行使して外敵を斥ける権能を有していさえすれば、それは国家に成り得る。

例えばモンゴルを統一する以前のテムジンの一派があり、これを国家と呼ぶのは違和感があるのだけれども、その延長戦上にモンゴル帝国という世界史上、最大の帝国が登場している。それら戦闘的な馬賊は草原を移動してゲルで野営しながら生活しているので、漠然とした領土はあっても、いわゆる領土はない。初期段階では文明国家に戦いを仕掛け、城内に侵入してモノやヒトを掠奪する事が目的であり、その地を統治しようとしない。その意味では、先に挙げた領土・人民・統治権という3要素の内の領土だけではなく、統治権をも欲しておらず、そもそも統治する事を指向していない。掠奪して自分たちが富めば、それだけで用は足りてしまうのだ。

ゲリラ勢力というものも、なるほど国家ではない。しかし、そもそもゲリラ勢力が非常に国家にとって厄介なものである事は確かでしょう。これが都市ゲリラの理屈になってくると、どこに潜んでいるのか分からず、どんな戦法を取って来るのかも分からない。令和の時代にこれを考えると、サイバー空間に存在しているアノニマスであるとか、ウィキリークスであるとか、或いはダークウェブなどはサイバーゲリラとでも呼ぶべき何かであり、既成の国家にとっては脅威かも知れませんね。

現在、トルコでは、マフィアのボスがYouTubeを使用して色々と暴露しているという。トルコでは有名なマフィアのボスだというセダット・ペケル(49歳)は、元々はエルドアン大統領の熱狂的支持者で、エルドアン大統領を要する公正発展党の集会を仕切ったり、同党の政治家の要請で2015年には新聞社襲撃計画を企てた事があると暴露したという。

しかし、何か関係がこじれたらしく、このマフィアのボスが国家の実態をYouTubeで暴き始め、トルコの人々は大混乱しているのだそうな。

暴露している内容も凄い。トルコ元内相が2名のジャーナリストの暗殺に関与している事、更には内相の息子がカザフスタン人の女子大生を強姦後に殺害した事を仄めかした。前首相の息子がベネズエラでコカイン密輸ルートを設立している事、トルコ政府高官がシリアのテロ組織に武器を提供した事を告発。

エルドアン大統領はYouTube動画は「トルコに対する攻撃だ」と非難し、トルコ検察は大統領に対してのクーデターを企てた人物とペケルとに共謀があったとして逮捕状を出したという。しかし、トルコ国民は、どうなっているのかというと、世論調査に拠ればペケルの主張を国民の75%が信じているという。

凄いですなぁ…。しかし、嘘かホントかといえば、そもそも国家とはマフィアのような性質を持った組織であり、幾らでも情報を操作できてしまい、その権力中枢のカラクリには表沙汰にできないダーティーなものを有していると考える方が、正しいのかも知れませんやね。

また、先月、ベラルーシで衝撃的なハイジャック事件が発生した。ギリシャのアテネからリトアニアのピリニュス行きの旅客機にベラルーシ政府から「テロリストによる爆破予告があったので、ベラルーシの首都ミンスクの空港に着陸せよ」という連絡が入り、その旅客機にはベラルーシ軍の戦闘機が接近し、そのままミンスクの空港へと誘導した。実際に何が起こっていたのかというと、飛行機に爆弾が仕掛けられていたという事実はなく、その旅客機に反体制派のジャーナリストであるロマン・プロタセビッチ氏が搭乗しており、その反体制派ジャーナリストを逮捕する為に行われた諜報活動であった。その旅客機にベラルーシKGBの諜報員もアテネから同乗していたという。

この騒動を受けて、EU諸国は「ベラルーシという国家によってハイジャック事件が起こされた」と猛反発が起こったという。

その秘密警察の手段を選ばない手口にも驚かされますが、ひょっとしたら、こうした諜報戦はあちらこちらで起こっている可能性がありますね。まぁ、イスラエルとパレスチナの話などは入り組み過ぎていて何が真実なのか判断にも困りますが、均衡という意味ではイスラエルに対して遠慮した報道が日本では多いのような気がする。人権問題なんてものは、暗殺に拷問、麻薬密輸、武器の横流し等、そういう人倫外の事を裏をやっている連中には通用しないのが世の定めかも知れない。

タイミング的には、中国当局によって刑務所に収監されていた周庭さんが出所したものの、何やら浮かぬ表情ですが、場合によっては国家安全維持法という魔法の法律によって重罪で起訴する事も可能だという状況なので、周庭さんに何かの発信を求めるのは酷かも知れない。

って、これらが現在の世界情勢である事を考慮すると、最早、昨日の「ルネサンスと人文」と題して述べた「人倫に基づいた秩序」は、かなり堂々と破綻し始めている事に気付かされる。この人文主義は欧州発の人文主義、ヒューマニズムと同義になりますが、既にヒューマニズムに基づく秩序は完全に崩壊していそうですかね。

また、読売新聞のナンタラという書籍の書評では、自由主義と共産主義というイデオロギー対決では資本主義が勝利し、フランシス・フクヤマ的な「歴史は終わった」とする歴史観を踏襲、敗れた中国とロシアは自由主義陣営を模倣したがいずれも模倣に終わり、市場経済さえも単なる武器になってしまったという。また、アメリカに於けるトランプ政権が誕生し、プーチン政権と相性が良かった事も問題視されており、世界は出口の見えない混乱期に陥ったという視点が紹介されていたのかな。書評の結文、ニュアンスとしては「鋭い分析であるが完全に出口がないので読後感がよくない」と記されていた。これに付け加えるなら、自由主義陣営にしてもカタカナ語のリベラルとなり、ホントは重厚なヒューマニズム路線からは完全に逸脱していると思う。ポリコレ教条主義であり、正義の押し付け、過剰なまでの正義の押し付けが酷い事になっている。それらが根底にあったからトランプ政権が登場したとも言えるのではないのかな。



翻って、巷間、「昔がよかったって言っている人はバカだ。単なるノスタルジーに過ぎない。今の方が幸福に決まっているじゃん」という類いの言説を、苦々しく思う。

新しいパソコンを買ったなら、その瞬間から、そのパソコンは劣化してゆく。おそらく、そのパソコンを使いこなすにあたって、そのパソコンとその使用者とが織り成す最盛期のようなものは僅か数ヵ月後には過ぎてしまい、その後は減価償却期、衰退期、ポンコツ化へ。どんどん成長してゆく、どんどん拡大してゆくという性質のものってのは、実際には存在しないかも知れませんやね。成長なくして発展なし、成長戦略等とは言っているけど、成長なんて永久に可能な訳がないというのが道理でもある。ホントは発展の余地はなく、黄金期を過ぎた後は衰退期であり、終焉に向かっている。

為政者は為政者の地位を獲得した、その瞬間から劣化してゆく。自在に統治するようになるまで少しばかりの時間がかかるが、総じて行う事は既得権益の確保であり、社会の進化とか社会の発展、人類の進歩とか発展とは無関係の動きをする。すべては、その為政者もしくは為政勢力にとって相対的に有利な地位を確保する為の行動に終始する。クーデターを成し遂げた為政者が、どのように振る舞うのかを考えれば、それにも納得がいくでしょう。別に、何かしらの成長や発展を志向するのではなく、その政権や王朝の地盤固めに情熱を注ぐというのが歴史の真実のような気がする。

「昔よりも今の方が素晴らしいに決まっている」に続けて、「昔は公害が酷かった」、「昔は体罰が酷かった」、「昔は衛生状態が酷かった」という具合に言葉が紡がれていくのだけれども、どこの昔に照準を合わせるべきかで齟齬も生じますが、実際の幸福論というのは唯物的に捉えらえるものではなくて、人間であるが故に人間として幸福を享受する事しかできないというのが真理なんじゃないだろか。つまり、公害は酷かったし、体罰も酷かったし、衛生状態も酷かったが、それでも人々は現在のように殺伐としていなかったし、疑心暗鬼の分断社会ではなかったし、精神を病んでいる者はごくごく少なかったし、貧しくはあったが相互に助け合い、共に発展してゆく夢を持てた時代、それはそれで確かに幸せだったと言えるのだと思う。

映画「三丁目の夕日」もそうだし、水木しげるの短編には最後の一コマで「フハッ、生活に喘いでいた昭和40年代が一番シアワセだったのだなぁ」で終わるものもあった。その時期に実現できていた幸福感というのは、色々と分断されてしまった現在ともなると、もう描けなくなっている。物質的に豊かで便利になったが、人間の心は貧困になったような気がしないでもない。

バカをバカと言い、バカと言われても笑い、バカにしながら笑う、そうした人としての一体感が社会から喪失してしまっている。皆が皆、強い者に媚びて弱い者に強気に出るというだけのクソつまらない世の中になってしまった。

昨日、ナンパに失敗した20代男性が、そのナンパを断った31歳女性に対して復讐すべく、道を先回りして待ち伏せをし、掴みかかって投げ飛ばして転倒させ、その顔に蹴りを入れ、更に財布を奪ったというニュースがありましたが、もう、人道の欠片もない世界で、その者の人としてのクズさ加減というものには際限がなくなってきている。暴行罪とか、そういう法律で裁くべき次元じゃないですな。本来であれば不良仲間たちから道理に反しているとか義に反しているという理由で粛清されてもおかしくないようなクズの所業だと思う。人倫に基づく秩序の欠片もない。誰がどこからみてもクズの所業ですが、おそらく、既に社会に道徳や倫理に通じる精神的規範そのものがないから、今後も、そういう者が増えていくような気がする。

「令和はいい時代だった」と回想する日が、30年後や40年後には来るのかねぇ? ひょっとしたら来ないんじゃないの?


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◆ルネサンスとは?

【ルネサンス】とは、「再生」を意味し、14〜16世紀のヨーロッパの転換期に起こった確信的な文化運動を指しているという。ルネサンスという言葉はフランス語であるが、このルネサンスの起こりはイタリアであり、古代ギリシヤや古代ローマの文化を理想とし、それを復興させつつ、新たな文化を生み出そうとする運動であったという。つまり、14〜16世紀にヨーロッパを劇的な転換をもたらせたのがルネサンスである、と。

このルネサンス、つまり、復興運動は思想、文学、美術、建築など多方面に波及した。この復興運動は都市の支配層である上層市民に支えられ、ヒューマニズム(人文主義)の立場が貫かれた。しかし、君主国家が発達するに従い、ルネサンスの性格も変化し、15世紀後半になると市民的性格を失い、君主の保護下での宮廷文化的性格を帯びるようになった。

16世紀になるとルネサンスはアルプスを越えてフランス、ドイツ、ネーデルランド、イギリスなど欧州各地に広まり、それぞれ独自のルネサンス文化を生んでいった。アルプス以北では、聖書の研究を通じて信仰の内容を問い掛けたことで、後の宗教改革に連なる面を持っていた。また、近代科学の誕生、ヒューマニズム、世俗主義、合理主義、個人主義などの指標を積極的な意味で用い、中世の暗黒時代から決定的な離脱を実現させたと称揚されてきた。

古代ギリシャ、古代ローマといった古典文化を手本とする人間性尊重の文化運動。ダンテ、ボッカチオらは古典を探究してヒューマニズム(人文主義)を見出し、美術ではダ=ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロら、多くの天才を出現させた。


改めて、ルネサンスってものを眺めてみると、「おや?」という気付きがありました。勿論、漠然とルネサンス、ルネッサンスという言葉が「復興」とか「再生」を意味している言葉である事は知っていた訳ですが、改めて思ったのは、結局は、古典に回帰する中で暗黒時代からの転換期にしたという歴史が、ヨーロッパにもあるのだなという事でした。

昨年から今年にかけて、あれやこれやと陳舜臣の著書で中国史を読んできたのですが、その中には陳舜臣が言うところの中国的プラグマティズムのような言葉もあり、結構、目からウロコだったんですね。例えばですけど、やはり、古代中国思想は奥深い。日本の平家物語も仏教的な無常の哲学によって記されている傑作ですが、それは、やはり、古代中国思想にも関係している。中華王朝は幾つも幾つも数える事ができてしまう訳ですが、それには勃興期があり、それが最盛期を迎え、最盛期を経過してしまうと衰退期に入っていくという観点がある。これ、易経があるから、実は必然的に中華思想ではそうなる。陰陽五行説なども関係している。

♪芽が出ーてー、膨らんでー、花が咲いたら、やっぱり、花は枯れてゆく。枯れるが実をつけてそれが再生につながる。この法則性を、易経や陰陽五行説といった現代人からすると、不可思議に思える手法で考えていたのが中華思想であり、北東アジアや東アジアなのだ。易とは占いであり、当たるも八卦当たらぬの八卦であるが、実相に対応しようとしてつくられており、その絶対的な法則性として、山の後には谷がある、最盛期を迎えたらやがて衰退期に入るという、その当たり前の法則性が生かされている。実は、シビアに未来永劫、拡大が継続していくという発想をしていない。そればかりか、むしろ、王朝なら王朝は、その旗揚げの時は完成形であり、二代目の天子、三代目の天子と、その時間が経過すれば劣化してゆくという考え方をしているという。これは、我々も知っている訳ですね。総じて創業者は優秀であるが、二代目や三代目はどうか分からない。俗に言えば、三代目ぐらいで身上(しんしょう)を潰してしまう。


小原庄助さん 

なーんで身上つぶした?

朝寝・朝酒・朝湯が大好きで

そーれで身上つぶしたー

ハァー、もっともだァ、もっともだァー

とは民謡「会津磐梯山」で、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ・ショウスケさんの歌ではありませんにょ。

まぁ、光あれば影がある、陽が在れば陰があるというのが陰陽道の発想であり、五行説というのも、中国古来の哲理であり、世界は循環しているという哲理の中で木・火・土・火・水という5つの元素があるという、非科学的でありながら、恐ろしいまでの哲理によって編まれているのが中華思想であり、これは日本列島の歴史にも大いに関係している。木火土金水についても、これ、一定以上の年齢の知識人層は「キ・ヒ・ツ・カ・ミ」と暗記させられたという。ここでは説明しませんが、この順番も実は関係していて、これを生じさせるには、この元素が有用であり、逆に、この元素のモノを克服するにはこの元素という風に組み立てている。十干十二支(じっかんじゅうにし)の暦については現在でも使用されている。

何が言いたいのかというと、西洋に於けるルネサンス運動にしても、結局のところは専制政治に行き詰まってしまい、そこに大胆な転換期をもたらせたものは古典への回帰からであったという事でしょうか。古代ギリシャや古代ローマというものを、その時代の地平から考えたときに「古代が今よりも良かった筈がない」という風に発想せず、「実は今よりも古代文明の方がマシだったんじゃないのか?」という発想がないと、この再生とか復興といった文化運動は起こりませんやね。



◆人文主義とは?

また、これについての反論も実は予期できている。むしろ、ホントは反論の方を先に考えていたのかな。ヨーロッパの中世というのは通説ほど酷いものではなかったという見解が現在進行形で推されている。つまり、先の述べたルネッサンスの説明の中の、「ヨーロッパの中世は暗黒時代であったというのは虚構である」というのが現在のトレンドかも知れない。これも一定のレベルでは、その通りである可能性が高く、教会の権威の腐敗であるとか魔女狩りだらけで暗黒時代であったというのは誇張があるのでしょう。しかし、だからといってルネサンスを否定的に展開させる事は難しそうだろうな、と思う。

ホントは直観できますやね。何が決定的に違っているのかというと、成功例である古典にエクスキューズをしてみたルネサンス運動の中核にはヒューマニズム(人文主義)がある。それを欠いていたのが、誇張もあるもののヨーロッパの「暗黒の中世」という事ではないのか? 教会的権威というのは神の名をカタる者の権威であり、或いは預言者。それを日本に求めるなら神を憑依させて神託を告げる依代(よりしろ)であり、或いは寺院や僧侶ですね。内容は異なれど、似たような事が起こる。

そうではなくて、ヒューマニズム(人文主義)を核とするべきだというのがルネサンスであり、しかも古典から学んだ何かである。この【人文】とは「じんぶん」ですが「じんもん」でもあり、平たく言えば、人間中心主義を意味しているという。世界を認識するのは人であり、この人というものを尊重しない限り、世界は奇妙なものになってしまう。世界は神が支配していて人なんてどうでもいいのか? 合理主義というのは文化が発達すれば自ずと登場し、それが何よりも力に直結しているので重視されてしまうが「そもそも、世界を認識しているのは人である」という観点から逸脱してしまってはどうにもならない。君主と下僕たちからなる世界、そこで生まれる権力は必ず腐敗する――。人間中心主義から脱線すれば必ず、そちらに落ちる。

この【人文】について広辞苑を引くと、

/佑寮い帽圓錣譴覿敍察人倫の秩序。
⊃洋爐諒顕宗じんもん。
人文科学の略。


と記されている。また、広辞苑第六版では実際に例文として「易経」から「人文を観て、以て天下を化成す」を挙げている。そう、この人文主義は古代ギリシャや古代ローマだけではなく、古代の東洋にも顔を見せている事に気付かされる。しかも、この「人文を観て以て天下を化成す」は、先に挙げた「/佑寮い帽圓錣譴覿敍察⊃洋僂涼畚」を意味しているのは歴然であり、それを吟味し、以て、天下を化成するものだと説いているのだ。

神に従え、科学に従え、法(人定法)に従え、AIに従え等という昨今の議論は、人類史の中で「よかった」と洋の東西を問わずに考えられてきた伝統的な価値観を逸脱させるものかも知れない。人類史で把握できる二千年もしくは一千年ぐらいの歴史観で述べれば、いい時代だったと回想される時代とは、人間中心主義であった。

この人間中心主義とは、人間性を尊重し、人間の解放を目指してきた。非人間的な科学の進歩から人間を守ることが現在にあっては、ヒューマニズム(人文主義・人間中心主義・人道主義)であるという。

しかし、世界情勢ってのは、今、変な方向へ向かっていますね…。技術革新にデジタル信仰、それどころか、税を投じているデジタル技術の中には人を依存症にする、いや、人間を中毒にしてしまうような技術さえ、平然と持ち込まれている。人権を高らかに訴える論陣もあるにはあるのですが、目立っているのは悪目立ちしている状態で、その権利の強固な主張によって社会に分断を呼び込むような論陣ばかり。本来的な、これまで啓蒙されてきたヒューマニズムではありませんやね。


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立川ラブホテル惨殺事件の犯人像というのは、診断名こそ記されていないものの、何かしらコミュニケーションに重大な難点を抱えていたように思える。このテの問題が厄介なのは、近20年ぐらいは診断名の有無、裏返せば診断名があれば病気と認識され、急にマスメディアの取り扱いも仰々しくなってくる一方で、そもそもサイコパス的な要素、空気が読めない、相手の気持ちが読めないという場合にコミュニケーション不全になるのは、これは当然にそうなるという事のような気がするんですね。だって、ごくごく当たり前の問題として、同僚でもクラスメイトでもいいのだけれども、全く意思疎通ができない人と円滑な人間関係を構築できるかと言われたら、誰だって戸惑うのが実際でしょう? 或る程度の距離を置かれてしまうのは、起こるべくして起こる結果のようにも思える。

12日放送のTBS「報道特集」では、8050問題として「ひきこもり」の人たちの取材映像が放送されていましたが、取材を承諾してくれるケースは稀なのだと語っていたかな。そもそも、10年とか20年とか、そうした長期に亘ってひきこもり状態である人は、正直、テレビの取材に応じてくれませんな。とはいえ、映像からは伝わって来るものがありますかねぇ。ああ、なるほど、と思うものもあった。

「報道特集」で紹介された一人の方は、漫画だらけの部屋の中年男性であり、父親は80歳代。しかも、薬剤師の資格を持っている。傍から思うに、「え? 薬剤師の資格を持っているのに、ひきこもりなの?」と思いながらの視聴となりましたが、やはり、基本的には人間関係がダメらしい。コミュニケーションが難しい。そして、そうなってしまった経緯についても触れられていましたが、悪口を言われたとか、強い物言いで何かを言われたとか、そちらっぽい。しかし、なんというのかな、そんな風に他人に傷つけられて、この人は、その一生を台無しにしてしまってるのかぁ…という感慨に到る。先に述べたように薬剤師の資格があるのであれば、本来は就職環境は悪くない筈なのになっていう前提があるからねぇ。しかし、もう、そういう精神状態になっている場合、そりゃ、確かに難しいだろうな、と。

「なんで働かないんだ」とか「なんで、ひきこもっているんだ」と急かしたくなってしまうのが常識的な反応だとは思いますが、おそらく、それを言ってしまうと、そういう言葉でも精神に不調を与えてしまいかねない。なので、どうしても基本的には、その問題は当事者本人や家族が社会から孤立したまま、抱え込む事になるんでしょうねぇ。番組内には、ひきこもり問題に取り組んでいる専門家の人たちも登場していましたが、精神的なケアをしてみたところ、それで直ぐにどうなるというものでもない。おそらく、かなり時間と根気を要求されそう。

隣の区画に住んでいた女性の話を思い出しました。現在、おそらく30代半ば、30代半ばでも、おそらく印象は50代のおばさんに見えてしまう感じの女性があって、その方は20歳前後の頃、よく見掛けていたんですね。出勤するにあたって、家の前を徒歩で歩いていたから。そういえば、近10年以上、見掛けなくなったなぁ…と記憶の片隅に、その印象が残っていた。小太りで天然パーマで何もしゃべらない二十歳前後の女性が、家の前を毎朝、歩いていたよな、と。

その女性の親戚によると、軽度の知的障害がありながらも一時期は隣接市の菓子工場に勤めていたのだという。その菓子工場に勤めていた頃、毎朝のように我が家の前を歩いていたらしいと合点する。しかし、その勤め先で、何か癪に障る事を言われたのを切欠にして、工場も辞めてしまい、以降、ずーっと仕事はしていないのだそうな。ああ、なんだか生々しい話だなって感じました。おそらく、どういう職場でも、そういうトラブルは起こるよな、と。そして、そうなると、その人の社会参加はどんどんハードルが高くなっていくという訳か。

で、当たり前ながら、そういう人にも自尊心はあるし、承認要求もある訳だ。無意識に傷つけてしまう事、不可抗力で傷つけてしまう事は実際問題として避けられないまでも、中には意図的に他人を傷つけにいくような言動を取る人も実際に居るのが実社会ですね。こいつの自尊心をズタズタに切り裂いてやろうと計算して、発する嫌味や冷やかしがある。結構、多いのが実情かも知れない。

人間社会の構造というのは結構、醜いところこがあって、強者は常に弱者をいじめ、また、いじめられた奴も自分よりも弱い者を見つけては、実は、同じようにいじめを演じる。階層になっている訳ですね。なので、弱者、言い返さないであろう相手であるとか、多勢による無勢に対しての態度の時は恫喝的になる訳ですな。

うーむ。精神的にタフになるしかないんだろうね。その人の性格がというものがあるから難しいけど。



どこぞのデジタル担当大臣も、そのクチでしょうねぇ。NECさんにはNECさんの事情があって、「干すぞ」と言われたから値切りに応じた訳だ。しかし、ここは考えものですよ、NECさん。もう、ホントは日本全国津々浦々、どこもかしこも似たような状況になっていて、結局、予算を握っている者が好き放題に威張り散らしている。この腐敗著しい日本の体質を変える必要性があるのかも知れない。そもそも四国新聞コンツェルン、ボンボン育ちのデジタル担当大臣に恫喝されて悔しくないの? どう見たってクズみたいな人間じゃん。政治ヤクザというか半グレとか、そういう手合い。見せしめにしようとしていたのは歴然だし。ああいうタイプの者に這いつくばって謝罪したって、一切、見返りなんてないと思うよ。「ケッ、NECの野郎、干すぞって脅したら、ささっと三十数億円も値引きしやがった。へっへっへ、俺って優秀だろゥ?」って思っていると思う。それがボンボン育ちの権力者の実相というもんだ。一生、ああいう人間性は変わらない。やるんなら、彼の政治家としてのキャリアを終わらせにかかるような、半沢直樹的な行動が必要なんじゃないの?

関係性というのは均衡だ。舐められたら舐められ続けますな。とはいえ、このテの証拠があるいじめのケースって、周囲に訴えれば、周囲がジャッジしてくれる事は有り得るんだと思いますよ。弱い者いじめはクズがするものだって考える者も少なくない筈だから。つまり、多勢で無勢という構図については変えられる余地があるよ、と。「政府のやっているデジタル化推進政策なんてゴミみたいなものばっかり、税金をばら撒いて業界が潤っているからチヤホヤされてるだけで、オマエらの能力そのものなんてホントは誰も評価してないんだよ」というシビアな現実を、きちんと突き付けてあげるのが親切というものだと思うよ。

因みに、平井大臣は電通出身者であり、近年、政治は何をやるにの電通とかパソナなどの特定の業界に税金からカネを出してやらせていますな。カネとコネだけがモノを言う社会ってのは末期的なんだと思いますよ。実際に現場を仕切ったり、現場でプログラムをつくっているのは、その下請けとか孫請けとか、派遣とか、そういう人たちだし、色々と構造的な矛盾が出てきている。日本企業なんてコンサル業が堅調って、そういう業種って謂わばアドバイス業であり、ホントの意味での生産性とか創造性とは関係ない分野のような気がしますよ。日本経済が生産性が低くなったのって、現場が悪いんじゃなくて、アレコレと混乱を生み出す彼等が跋扈するようになったからなんじゃないの? 竹中平蔵大臣後、何か日本経済にいい事なんてあったっけ? 

政策プロモーターや広告会社を政府が平気で利用するようになってからの日本の低迷は著しい気もするけどね。

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6月1日に東京・立川市のラブホテルで男女を刃物を殺傷して逃亡していた男は、東京あきる野市に住所を有する19歳の少年であったというニュースがありましたが、このニュースも慌ただしい時局に呑み込まれ、普段であればニュースショウなどでも深掘りをしてもおかしくないような事件であったよなという感慨が残る。

近年、「拳銃を奪いたかった」として交番勤務の巡査を刺殺する事件であるとか、ひきこもり生活をしていた男がスクールバス停留所で幼稚園児らを斬りつけて自殺していた事件であるとか、京都アニメーション事件なども、そうなんですが、共通して「え? この犯人たちの精神構造って、ちゃんと現実世界を現実世界として認識できていたんだろうか?」と思ってしまうところがある。平たくいえば、物凄くフワフワしたところ、現実世界と虚構世間の中間に生きているかのような感じ。

多くの生活者は、その自分の生活の中に生々しいほどのリアルを抱えている訳ですね。あれがムカつくな、あれは気疲れがするな、この食べものは美味しいな、あの飲み物はスッキリするな、あの歌がいいな、あの人は魅力的だなとか、今月はクレジットカードを使い過ぎてしまったかもな、また、あの苦手な人相手に抗弁をしなきゃならないなとか、最近の世の中はデタラメが過ぎるなとか、もう、そういうものが無限に積み重ねられている中で、我々は外部環境を認識し、その中で生活をしている。それに比べると、京アニ事件の犯人などは「盗作された」だのなんだの、凡そ、現実感が乏しいというか、そういう認識した世界の中に自分を置いて物事を認識していたのだろうなって思う。

スクールバス停留所通り魔事件の場合は、ぼんやりと絶望的な現実が直視できていたからこそ、つまり、絶望に気付いてしまったからこそ、凶行に及んでしまったものと推測できますが、そこに到るまでの歩みというのは、現実世界と虚構世界の間を歩むようにして生活していたという事なのでしょう。

また、茨城境町一家惨殺事件の犯人であった岡庭由征のケースも念頭に置く必要性があると思う。基本的には猫の惨殺などを繰り返し、その挙げ句、人を殺してみたくなり、その入念な下調べをして、見ず知らずの、殺人行為をするに都合の良さそうな被害者宅をインターネットで検索し、自転車で40分以上もかかる中、下見をして、あの凶行ですよ。金銭が目的ではないし、恨みがあった訳でもない。ただただ快楽としての殺人をする為に、その犯行をしていた、また、そういう人間が実際に社会に棲息していたというのが衝撃的であった訳ですよね。

さて、週刊文春6月17日号では、立川ラブホテル惨殺事件に於ける犯人であった19歳少年の、黒い目隠しで修正された顔写真も掲載されている。別に、どうという事は感じませんね。むしろ、氏名が匿名で報じられている事の違和感の方が大きいかな。

事件はどのようなものであったのかと回想すると、派遣型風俗店へ連絡をし、立川駅前にあるラブホテルの一室で、被害者となった派遣風俗店に勤務していた31歳のホステスを待っていた。ホステスが部屋に入室すると、この19歳少年は「動画を撮影した」と申し出た。しかし、そのテの撮影が御法度なのは周知の通りであり、ホステスは店舗スタッフに「盗撮です。すぐ来てください」と助けを求めた。すると、19歳少年は激高して、予め用意していた包丁でホステスに襲い掛かった。後に報道されている事からすると、この被害者は全身に約70ヵ所も刺されており、即死であった。

「盗撮です。すぐに来ててください」というSOSを受けた風俗店店員の男性(25歳)が、異常を察知して、その部屋に到着。ドアをノックした。このノックした際には、19歳少年はホステスを刺しているタイミングであったと週刊文春に記されているから、おそらく「すぐに来てください」というSOSの連絡から5〜15分程度であったのでしょうか。ノックされている事を自覚した19歳少年は、ドアを開けると同時に、そこに駆け付けていた25歳男性店員の腹部を包丁で刺し、その後、ホテルの廊下の壁に包丁を突き刺し、凶器の包丁を壁に突き立てたまま、逃亡。

さて、この19歳少年は、どのような人物であったのか?

東京・あきる野市にある二階建て一軒家で、タクシー運転手の父と専業主婦の母、それと姉が一人。小学生の頃は3DSでドラゴンクエストを遊び、中学生になるとサッカー部でサイドバックのポジションを、生き生きとこなしていたというから、基本的には将来的に殺人鬼になるとは思わないような少年であったという。

少し異変が生じるのは高校生の頃であったと週刊文春は総力取材と銘打った証言から組み立てている。地元の都立福生高校へ進学するが、この高校入学の時期で様子が変わったらしい。高校では陸上部に入部したが、何故か創価学会にハマっていたらしく、陸上部の部員が何度も誘われていたという。これは創価学会が何か関係しているというのではなく、もう、この少年がおかしな事を言い出した時期という意味のよう。高校1年生の夏休み頃には「エス教が凄いんだよ」など嬉々として話すようになった。また、秋口には自らのLINEのプロフィール欄に、《X(同級生の名前)は癌で死ぬ運命。お前はこのままだと死ぬぞ》といった意味不明な書き込みを増やしていったという。

結局、福生高校を高校2年時の9月に中退し、通信制の「N高」に編入。このN高への編入の時期から映画館やコンビニでのアルバイトを始めるが、どれも長続きせず。バイトで雇っていたコンビニ店長の回想では

「仕事の覚えがすこぶる悪く、商品配列やレジ打ちなど、何をやらせても上手くできなかった。結局二〜三ヵ月して、こちらから辞めてもらったんです」

と述べている。

また、7ヶ月ほど働いていた商業施設でも指導したところ、声を荒げるなどし、アルバイトたちの中からも「急に怒り出したりするから、同じシフトは嫌だ」等の声があったという。また、休憩時間を30分以上もオーバーする事が度々あった事を、商業施設のスタッフは証言しているが、これについては、どうもトイレでゲームをやっていたものと推測できる。ハローワーク経由で就職した製造業の工場で働き始めるが、いつもイヤホンをしていたという。或る時などは作業開始のサイレンがなっても現場に戻って来ず、放送で呼び掛けたがトイレでゲームでもやっていたらしいという。また、先輩に対して「挑むような視線」を向けてくることがあったという。この製造業の工場でも「勤務態度は及第点に達しなかった」と語られている。

このアルバイトもしくは就業していた頃の証言からすると、何某障害とか何某症候群などの名称を、率直に想起させるものがありそうですかねぇ。これ以外にも、この少年は介護士になるべく、高齢者介護の仕事にも就いていたが「高齢者のシモの世話に耐えらない」と話し、三ヵ月もすると辞めてしまったという。

仕事以外では、自室にこもってゲームやネット動画に耽溺するようになったという。海外のサイトにアクセスしては、女性が殺害される動画を好んで視聴し、そうしたネット動画に感化され、事件へと傾斜していったものと考えられるという。

また、この頃、この少年(ホントは青年ですな)は周囲に

「ゲームのレビューを紹介するブログをやっている。これを収益化したい」

と語っており、入社面接時には

「ユーチューバーをやっている。六〜七万稼いだころがあります」

と語り、更に会社を辞める際には

「ゲームの攻略本をつくりたいので」

と説明して会社を辞めたりしているという。

うーん、この辺りが、物凄く現実世界と虚構世界の中間を感じさせてくれるかなぁ。


逮捕後に19歳少年は

「ネットで人を殺す動画やグロテスクな動画を見て、刺激を受け、女性と無理心中する様子を撮影しようと思った。殺した後に自分も死ぬつもりだった」

「自分は誰からも愛されていない」「生まれてこなければ良かった」


と洩らしているという。


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今月7日の月曜日に不可解なテレビ速報がありましたよね? JOC幹部が駅のホームから飛び降りて自殺を図った、と。

先駆けて5日の土曜日、TBS「報道特集」には組織委員会の現役職員とされる人物が内部告発をしていた。摘まみ食い程度の視聴でしたが、確か五輪の会場を取り仕切る者の中には日当が25万円とか60万円とか、そういう高額の者も在るという告発であり、その一方ではボランティアの人たちも存在しているおかしな環境を告発したものであった。なので、JOC幹部が自殺との報道を受けて「ひょっとしたら、つい二日前に放送されたTBS「報道特集」で内部告発をしていた人だろうかと疑った人は多かったし、私自身もその一人。言われてみると、告発者は割腹がいい感じだったから40〜50代の男性だったし…。しかし、週刊文春6月17日号に拠れば、自殺した人物はJOCで経理部長をしていた人物と特定されており、JOCの職員であるが組織委員会には出向していないので別の人物であろうというのが、関係者らの一致した見解であるという。

しかし、この自殺についての報道は少しバイアスがかかっているのはホントかも知れない。この数日間は隅から隅まで新聞に目を通していたのですが、読売新聞の場合は8日付でごくごく小さな記事の一つとして括られたベタ記事として報じられただけでした。9日、10日と続報なしだったので不可解な気がしていたんですね。ワイドショウなどはオリパラについてアレコレと話しているのに、何故かJOC幹部(経理部長)の自殺には触れないというのは、何だか綱渡りでもしているかのような不自然さを感じなくもなかったですかねぇ…。

週刊文春に拠れば、少なくともJOC関係者については緘口令らしいものが出ていたと報じている。

6月7日、文部科学省からJOCに出向中の籾井圭子常務理事が職員らを集めて、

「この件については外部に漏らさないように」

と指示したという。JOC幹部が電車に飛び込み自殺をしたが、この件については外部に漏らさないように、と常務理事が職員に指示したの意です。そして、この籾井常務理事は、色々と安倍政権時に問題発言で話題になった籾井勝人元NHK会長の愛娘さんだという。

この自殺の取り扱いについては、私がチラとコンビニの週刊誌売場で確認しただけでも週刊ポストも週刊文春は取り扱っている。本来、ニュースヴァリューそのものは低くない筈でもある。しかし、何故か新聞やテレビといったマスメディアは、この自殺についての報道が少ないので、余計に不自然だなって感じてしまう。

週刊文春6月17日号の記事の構成では、自殺に到ったのだから何かしら理由があったものと考えられる訳ですが、それを関係者らの証言から組み立てて、補助金不正の問題と、五輪裏金問題と、大きくは、この2点があったと報じている。

補助金不正とは、日本テコンドー協会や、日本レスリング協会などで露見した補助金不正の問題であるという。(この補助金不正については、これだけ。)

もう一つが、五輪裏金問題だという事になり、また、ここには金権体質の問題が見え隠れしているらしい事が伺える。

そもそもJOCという団体は公益社団法人だそうで、その財源の半分以上は国から補助金なのだという。そしてJOCと東京都庁からの人員を中心にして立ち上げられたのが、五輪招致委員会(招致委)という構図になるのだという。

東京五輪招致委は、2016年開催を巡っての招致ではリオに敗れた。そして2020年開催を東京が勝ち取った訳ですが、週刊文春に掲載されているコメントには以下がある。

「リオに敗れた一六年五輪の招致の際、JOCの当初予算に招致活動費は含まれていなかった。ところが、竹田氏が理事会に諮らずに支出を決めてしまい、次の招致でも予算枠が確保された。こうしたトップダウンによる不透明な会計処理を背負わされたのが森谷さんら現場の財務担当者でした」(前出・JOC関係者)

さぁ、この証言はどう受け取るべきか。証言中の竹田氏とは竹田恒和氏を意味しており、勿論、これはディアク氏の息子が支配していた実態のないペーパーカンパニーに2億3千万円をコンサルタント料として支払っていた事が賄賂なのではないかと疑われ、現在もフランス司法当局から訴追される可能性が指摘されている、あの竹田恒和氏に係る発言であるだけに、色々と思惑が絡んでいる可能性もある。素直に、証言を取れば、そもそも招致委員会は竹田氏が理事長になってからワンマン体制となり、勝手に公益財団法人でもあるJOCから招致活動費の支出を決めてしまっていた人物という事になる訳ですね。

そして次の証言がある。

「それまでのJOC会長は無報酬でしたが、竹田氏の代から年間約一千五百万円の報酬を受け取っていた。同氏が、経営する旅行会社の業績悪化などで多額の負債を抱えていたことから、名誉会長の堤氏らが働きかけて報酬が出ることになったのです。ところが竹田氏が『自分だけがもらうのは目立つから嫌だ』と言い出し、副会長や専務理事も有給に。こうした支払い業務にも長年経理畑にいた森谷氏が関わっていたとみられます」(別のJOC関係者)

ほほぅ。

そして、次のように続いている。

JOC役員の一人は、亡くなる三日前に森谷氏からメールをもらっていたと明かす。

「六月十日開催の定時理事会に諮る二〇二〇年度の決算資料が、彼から送られてきたばかりでした」

森谷氏が担当するはずだった決算報告とはいかなるものか。昨年の同議事録を参照すると、経常収益は約百六十億円。強化事業への補助金・助成金などとして六十七億円を受け取っていたことや、組織委との東京五輪マーケティング活動によって七十四億円を得ていたことが分かる。こうした巨額費用に対し、担当する経理部員はわずか三〜四人だったという。


という事は、自殺されたJOC経理部長の森谷氏は決算資料をJOC役員にメールで送信した3日後に自殺したという事になるって事ですな。

ほほぅ。

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10日付の読売新聞国際面に目を通すと、気になっていた国際情勢がまとめられている感じでした。香港問題では、2020年6月に国家安全維持法が成立、同年8月に周庭(アグネス・チョウ)さんらが逮捕され、同12月には実刑判決が下っていた。その後の香港では国家安全維持法に沿って中国化教育が推し進められており、民主派が萎縮してデモも衰退という。この一連の流れというのは、自由が退潮を意味しているというか、自由主義を是とする民主化運動というものを、国家が抑えつける事が出来てしまう事を示してしまっているように思える。強権によって人々を抑えつけようとしても無駄であると思いたいところですが、現実問題として、このように国家は抑えつける事が出来てしまう事を証明しているよなって思う。

ロシアのナワリヌイ氏を巡る動きについても触れられていました。2021年1月、ロシア全国120都市以上で反政府デモが行われている中、反政権運動の指導者であったアレクセイ・ナワリヌイ氏が拘束された。確か、拘束の前段階でも毒を盛られたのではないかうんぬんという報道もあったんでしたっけ。その後、2021年4月にナワリヌイ氏は刑務所に収監された。これでも長期化するプーチン政権への批判を訴えるデモは全国100都市で起こっていたという。ナワリヌイ氏については裁判所で審理入りしたが、この審理によって、ロシア国内に於けるナワリヌイ氏が関与している活動という活動は全て、非合法活動と認定される見通しだという。

あまり、このロシア情勢はテレビニュースなどでも取り上げられませんが、読売新聞の記事は次のように記されている。

プーチン大統領の長期支配に、若い世代を中心に不満は根強い。独立系世論調査機関レバダ・センターが9日発表した国外移住に関する世論調査では、「外国に移住したい」との回答が2011年以降最多の22%に上った。18〜24歳に限れば、移住希望者は48%に上った。

海外移住希望者が22%というのは、その数字の掴みどころがイマイチ、分かりませんでしたが、若年世代の48%が移住を希望しているというのは、尋常な数字ではありませんね。。。。

ロシアに於いて与党の支持率は約30%台であり、ナワリヌイ氏はSNSによって相応に支持があるので与党圧勝のシナリオを狂わせかねず、プーチン政権では今月4日、ナワリヌイ氏派を過激派組織と認定し、ナワリヌイ氏派からの選挙への立候補を禁止したという。

あー、そういえば何日前であったか、ベラルーシで政府を批判していたジャーナリストを拘束する為に、虚偽のハイジャック事件がありましたね。反政府運動家が搭乗した旅客機にハイジャックがあったから、ベラルーシの空港に着陸せよと諜報を仕掛けて、着陸したところでジャーナリストを逮捕。つまり、「ハイジャックが発生した」というのはベラルーシによる諜報であったというもの。何故、これが可能になってしまっているのかというと、デジタル監視が可能になってしまっているからでしょう。政府に批判的なジャーナリストがあったとして、空港には顔認証システムがあったり、盗聴システムも進化してしまっているから、こういう事も出来てしまう時代になってしまったって事。


また、バイデン政権が打ち出した成長戦略に、現在、日本の政治かもマスメディアをごっそりと乗っかっているところですね。巨大なインフラ投資によって経済成長を…という路線は、なんとなく株価などでは好調である。しかし、共和党からは「増税の為のトロイの木馬だ」という批判が上がっているという。バイデン政権は「インフラ投資には共和党も民主党もない」という主旨で呼び掛けているが対立は大きく、仮に民主党が単独採決した場合には民主党から一人でも造反者が出れば法案が可決できない状況、仮に単独採決を断行したとしても民主党内での路線対立を引き起こしかねないジレンマに陥っているという。

あー、そんな感じなのか…。確かに、誰も彼もが冷静さを失って、かなり強引な経済政策を採っているようにも見える。成長戦略っつったって苦し紛れといえば苦し紛れなのも自明ですしねぇ。

日本は何故か殆んど異論らしい異論も登場しないままに、政治的な差配、それも成長戦略という名目でデジタル化推進が更に断行されていく事が既定路線になってしまいましたが、実際、日経平均株価とか眺めていてどう思いますゥ? 米国株は危惧されながらも相変わらず強いんですが、日経平均の方は、年末だか年初にはバブル期以来の3万円台とニュースになったものの、現在は2万8千円台だというのが現実ですやね。しかも、米中対立が緊張する間で、日本の対中輸入は55%アップしているそうで、地味に苦しい立場に追い込まれつつある。


ごくごく基本的な事柄だと思うので、不評を承知で展開させますが、ホントに日本にこれ以上のデジタル化推進に意味があるのか――という話にも触れます。8日付の読売新聞15面(くらし面)では「依存社会」と題した連載が行なわれていました。依存症とは、自らの依存状態に自覚がない厄介な傾向があるという。

引用します。

PR会社「PR TIMES」(東京)が2月、10〜60代の男女1300人に行った調査によると、スマホの使用時間について、8割以上が過小評価していた。

本人が意識している使用時間の平均は4時間9分だったが、実際の使用時間の平均は6時間58分と、約3時間の差があった。


これは具体的な数字が記されていますが、つまり、実際に1300人のスマホの使用時間の平均は約7時間にも及ぶという事実に触れている。ホントは、7時間近くもスマホを使用しているのに、本人が自覚している使用時間は4時間という具合に自己申告しているって事ですな。

しかし、これって10〜60代の男女が対象な訳でしょう? 比較的、自由に使用できる時間の多い大学生ぐらい、彼等の一日の使用時間が4〜5時間というのであれば、まぁ、有り得るのかなと思いましたが、老若男女に関係なく平均7時間もスマホを使用しているという実情は、さすがに異常なんじゃないだろか? 1日4時間でも依存症だと思うけど、1300人の平均で1日7時間って、デジタル・ネイティブとかってスマホを巧みに操る人たちを持て囃している場合じゃなくて、スマホ廃人化の方に向かってなぁい? 一日にスマホを3時間なら3時間でいいのだけれども、そんなに利用時間を割いていてデジタル民の人たちはホントに仕事とか勉強って疎かになってないんだろか? 

例として、高校2年生の男子は中学一年生の時にスマホを買ってもらい、無料でダウンロードしたゲームに病みつきになり、寝食を忘れてゲームに没頭。1日の使用時間は12時間以上、昼夜は逆転し、学校へ行くのが面倒になり、不登校が続いているという。その男子生徒いわく「学校へ行っても友達はいない。スマホゲームの方が面白い」と言っているという。

うーむ。もはや、言葉もないかな。



追記:6月11日、周庭さんが出所との報道ありました。
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伝法院通りの立ち退き問題で、インターネット上で商店会側を悪者扱いしているコメントを目にして、やっぱり、そうかという感慨に到りました。万人による万人の戦いというよりも、敵は隣人に有り。伝法院通りの立ち退き問題は、テレビの報道を頭の中で並べている限り、台東区の側に資料がないという事が不自然で、これが2014年から不法占拠状態であるというキャンペーンを始めているというから2014年頃から不法占拠状態であるという方針に切り替えたが、それ以前は何某かの暗黙の了解があったという事のように思う。ホントは、大阪で露店が、福岡で屋台が撤去されたのと同じで、戦後直後から昭和50年前後までは、行政と民間業者、官民と言った方がベターかな、つまり、官民が協調体制で物事に当たって来たが、官が掌返しをした事は容易に察する事ができる。これは、言ってしまえば労働争議を鎮圧する為に実際にヤクザを投入にしておきながら、現在ともなると反社、反社というレッテル貼りによって巧妙に世論を味方につけた流れと似ている。

(軒店側は「昔の台東区長との間で昭和52年にシャッターをつければ営業していいという約束を得て営業している」と主張している一方で、台東区側は一切の文書が残っていないとし、不法占拠状態がずっと継続しているという態度を採っている訳ですな。一切、残っていないというのは自己申告ですが、そんな事が有り得るとは考えにくい。本当に文書が存在していないという事が有り得るのか? 当然、意図的に破棄したり隠蔽したり破棄したとか、もしくは不手際によって紛失してしまったかという事だって疑える訳ですよね。そうでもしないと、あのようなカタチで40年以上も営業が許容されてきた経緯そのものが成立しない。)

或る意味では狡猾でもあり、高倉健の主演映画などでは、このテの題材は多いかな。元々、このシマを守ってきたのは組合であったが、都市開発や都市計画などが持ち上がると裏切りが起こる。こういう問題というのは根深くて、元々は協調関係にあったものが、諸条件が整ってきたので切り離しにかかっているという性質ですね。大阪・食肉の帝王問題は、とうとうメスが入りましたが、太田房江知事時代までは歴代の大阪府知事は帝王・浅田氏の邸宅へ挨拶をしにいっていたと報じられていたから、実は、そんなに古い問題でもない。また、原子力発電を巡っては原子力村の存在がクローズアップされた時期がありましたが、あれとは別個に、福井県高浜町の元助役が部落差別問題を建前としてアンタッチャブルな黒幕として君臨していたという原発マネー還流問題があった事を考慮すれば、水面下では、こうした事が現存しているのかも知れませんやね。

食肉の帝王問題にしても、高浜町の天皇問題にしても、いずれも弱者権力が権力化していた問題で手をつけざるを得ない問題であったと思いますが、一方で、屋台の問題や、露店の問題、伝法院通りのような参道の脇に整備されている軒店の問題というのは、その歴史的経緯からすれば、実質的には文化そのものでもある。テレビでも解説されていた通り、本当はインバウンド消費などによって活況となり、妬んだ何者かが厳格な法適用の問題をけしかけているような気もしますかねぇ。この問題は、どちからといえば東京の新宿駅周辺を綺麗に整備する為にホームレスを追い出した例に似ていて、都市化が進み、その都市型シチズンたちの世論を味方につけて行政が行政として、強くなってしまった事を意味している。これを喜ばしい事、歓迎すべき事と捉えてしまう人が多いのだけれども、行政というのは実体が判然としない権力機構であり、そこにそこで実際に生活してきた住民の意向が軽視されたり、無視されたものである事に気を留めるべきではないのか。

自治の精神とは書いて字の通り、自ら治らす事を意味しており、現在でも行政区と住民とが協働によって行政が行なわれるべきであるとする理念は生き残っているが、実質的には強烈な中央集権一極体制が正しい事であるかのように宣伝され続け、実際に平成の大合併があり、その平成の大合併の裏には中央政府に頼らねば何事もできないという地方自治体の弱体化が隠されていた可能性がある。これは、どう説明すべきかな、その地方にはその地方の独自の文化があったりして、また、それは多様性に基づいて発展したものであった訳ですが、そうした個性を奪う役割を果たした。おそらく狙い通りに地方は弱体化し、ありとあらゆるものを東京一極に集中させる事に成功した。東京人とは全く生活水準が異なるような人たち、全く異なる状況の人たちまでもが、東京人と同じような情報に振り回されるようになった訳ですが、かなり無理がある気もしますかねぇ。過疎化がけしからんのだというけれども、そもそも過疎化させるような政策を採ってきたとも言えてしまう訳で。

「古い既得権を破壊すべし!」と号令をかけて些細な既得権を敵視するような都市型の政治宣伝をしているものの、これまでの経緯からすればバブル期には地上げが大流行し、挙げ句、大蔵官僚が接待を受けていたノーパンしゃぶしゃぶ問題なんてものまであり、そしてバブルを破裂させたのも誰であったのかを考えれば、常に責任問題はウヤムヤにされている事が分かる。損失補填をしていた山一証券が倒産まで追い込まれてましたが、その処理に当たる為に社長になった人物なんてのも居ましたね。ホントに狡猾な人というのは、その責任にしても自らは責任が取らないってのが世の常かも知れない。

何が言いたいのかというと、戦後昭和から平成初期ぐらいまでは、嘘でも日本人の中に「みなさん、共に、一緒に発展していきましょう」という一体感があったと思う。これは「戦後日本人」という具合に括った場合の、一つのアイデンティティーであったような気もする。まぁ、過保護が過ぎたのかも知れませんが金八先生あたりの「落ちこぼれを出さない教育」とか、あの時代というのは不完全なのだけれども、少なくとも「共に発展していきましょう」という暗黙の合意があった。かの田中角栄にしても、その資金調達ネットワークが問題視された政治家ですが、「裏日本という言葉が使用されていますが同じ日本で裏も表もないではないですか」的な演説をしていましたやね。おそらく、田中角栄の時代までは、同じ日本人でありながら、一定の地方を切り離して扱う事に嫌悪感があったのだと思う。しかし、80年代中葉以降ともなると寒村や田舎を扱き下ろすトレンドが隆盛となり、斯くいうダサイタマなんてのもそうだし、口を開けば「ダサいかダサくないか」で若者の価値基準が形成されるようになり、そう言っている傍から、その人たちはダサいのだけれども、自分だけは都会人である、その時代の先端を生きているのであるという同時代的都会人というアイデンティティーだけで、そのまま、現在ともなれば後期高齢者や中高年となり、もしかしたら老害化しているのが実相ですね。

誰がこのような隣人と連帯したいと思うものだろうか? 既に富裕層は同胞を売り払って、自分だけが海外セレブの仲間入りしたいって思っているから、あの人がマレーシアに移住したり、シンガポールに移住したりしている訳でしょう? 同じ言語を用い、同じ時代を歩んではみたが裏切りに次ぐ裏切りで、平成と令和がある。ディズニーランドとコストコとAmazonがあれば、いいじゃないの。外資バンザイと叫んでいるのが、もう、消費者だし、政治家や官僚たちも、ですね。

これで、どう「日本人」というものをやっていけるだろう。


昨日、16時から党首討論のテレビ中継がありましたが、国民民主党さんあたりでも、需要を創出しての経済成長を目指すべきではないですかという提言が為されていましたな。まぁ、SDGsもそうなんですが、その「需要を創出する」という発想が色々とマネタリズムなどとも繋がっていると思う。そのように凌ぐしかないのかも知れませんが、一体、何の為に需要を創出するのだろう? 元をただせば、今をときめくファイザー製薬が禁煙薬を開発した際に、このスキームを編み出したという。つまり、タバコは害悪であるという宣伝を非営利団体を通して宣伝し始め、それにみんなが乗るというスキームが出来上がった。メガファーマが躍進したのは、これと関係していて、その後もメガファーマは、うつ症状やうつ病といったものにかかるものを病気と認定させる事で稼ぐビジネスを発達させてきたと言われている。タバコは兎も角として、精神病の分野になると、それは気分にも左右される分野だから、そこに病名が与えられると、それに医療保険が適用されることになるので、飛躍的に稼げる訳ですな。日本の国民皆保険なんてカモ中のカモでしょう。子供でも実費負担は2割、高齢者ともなれば1割、現役世代でも3割、その差し引き分は健康保険とか国民健康保険から支払われているという制度だから。

ああ、話が長いね。まぁ、そのように個人の生き方の自由はどんどん制約される一方で、政治判断によって全体主義的なものへと誘導されてしまうという話をしたかったのだけれども。ああ、少し急ごう。

価値観は多様化しているのではなく、政治的プロパガンダによって実は既定路線に集中させられていると思う。これこれこうすることが正しいのですと打ち出されて、政治判断で公費によって、そちらの道が開発される。企業への資金援助にしても、デジタル化の推進を条件に助成金を出すとか、クラウドへの移行に対して助成金を出すとか、そういう法案の決め方をしていますね。明らかに、それで潤う事業者がありますな。Microsoft社なのか、Apple社なのかAdobe社なのか分かりませんが、まぁ、きっとそのあたりの外資系企業が最終的には勝利しそうな話、恩恵を被りそうな政治決定ですが、もう、政治によって、そう誘導され、そう収斂されていくのでしょう。日本語変換ソフトにしたって、20年前なら一太郎でしたが、現在の公官庁って、意図的にWordへとシフトしていますね。また、Adobeのソフトウェアは、公官庁と学生に対しては7割引きとか8割引きで販売されているような気がする。もう、戦略によってそうなってしまっていて、日本企業が日本の公官庁を相手に食い込むのも難しくなってきている気もしますかねぇ。これが大人の世界だろうね。日本人として一緒に発展していこうという一体感はなく、むしろ、隣人たる日本人を売り飛ばしての生存競争。その狂奔。

週刊文春6月10日号、福岡伸一さんの連載「福岡ハカセのパンタレイパングロス」から引用。

エプスタインは、このコラムでも以前触れたが、詐欺すれすれの投機で莫大な資産を築いた人物で、カリブ海にはプライベート・アイランド、NYとマイアミには豪邸を持ち、イギリス王族から、ビル・クリントン元大統領、ハーバードやMITの著名教授などを招待したパーティを夜な夜な開催。そこに各所からリクルートした若い女性たちを呼んで、性的接待をさせることで(しかも女性たちの大半はカネをエサにされた未成年者だった)政・財・学界に隠然たる勢力を拡大していた札付きのワルだった。カネにものを言わせて、最高の弁護団を雇い、警察や司法なども抱き込んで、法の網をくぐり抜けていたが、とうとう逮捕されて週刊された。

ところが最高警備度を誇るNYの拘置所で、2019年夏、謎の死を遂げてしまったのだ。自殺とされたが、エプスタインに証言されると困る有力な人々が多いため、口封じに暗殺されたのではないかという説がいまだに絶えない。


このエプスタイン氏が暗殺されたのかどうかという箇所は陰謀論ではあるものの、エプスタイン氏がかような交遊関係を有し、そのような不可解な死を遂げた事実関係そのものは、福岡ハカセあたりでも否定はしていませんね。となると、各界の大物とコネクションを有し、未成年者らに性接待をさせていた政治家や財界人、学者らが実在していたであろうことも、薄々は認めざるを得ないのかも知れませんね。いやいや、忘れてはいけない、パラダイス文書あたりになると最後の方は、暴いたジャーナリストが爆殺されて、そのまま、世の富裕層に係る疑惑追及の報道は知り切れトンボになったんでしたよね。

推測するに、どれだけ、この格差の大きな世界ってものが狂っている事か…。(福岡ハカセは、このエプスタインと、ビル・ゲイツとの間に交遊があったというウサワに言及している。)



イタリアの民話に、「満ち足りた男のシャツ」という話があるのだそうな。とある王様には一粒種の王子があった。しかし、その王子は毎日のように遠くを眺めては溜息をつくばかりで、無力感に取りかれていた。このままでは王子が心配だと考えた王様が側近に諮問したところ、側近は「心の満ち足りた者を見つけ出して、その者のシャツを王子に着させてみてはどうでしょう?」と提案し、そのアイデアが採用された。

心の満ち足りた男の捜索が始まった。最初、王様の前に連れてこられたのは、一人の神父であった。神父は心が満ち足りているに違いないと考えられたのだ。しかし、その神父は王様から「オマエを大司教にしてやろう」と言われると喜んだ。すると、現在の神父の立場よりも出世する事を喜ぶだけの余地があるという事であり、、つまり、王様の前に現れた、その神父は「心が満ち足りている者ではない」と判定された。

近隣国の王様は何もかもが満ち足りていた。なにもかもを満ち足りた生活をしている、その王様であれば、きっと「心も満ち足りているのだろう」と考え、その国に使節を送ってみた。すると、その道足りている筈の王様は意外な事を口にした。「確かに私は満ち足りているが、この満ち足りた環境を残して自分が死んでしまう事は残念でならず、実は夜も眠れないほど悩んでいるのだ」と打ち明けた。

最後に野原で、のどかそうに歌を唄っている若者を引き立てた。歌声からすれば、その若い男は、きっと心が満たされているに違いないと考えたのだ。王様の前に引き立てられた、その若者は、「私は現状のままで充分なのです。何も望むものはありません」と言った。これは王様が探していた人物であった。この若者の心は満ち足りているという証拠ではないか。

王様が、その若者に手を伸ばして、どんなシャツを着ているのか触ろうと腕を伸ばした。しかし、王様は両腕を垂れた。その満ち足りている若者はシャツを着ていなかったのだ。

はぁ、イタリアあたりにも、こういう民話があるんですねぇ。つまり、心が満ち足りている者とは、大して財産らしい財産なんて持っていないヤツの方かも知れませんよ、とね。

ひるがえって現行文明は強欲にも強欲を重ね、SDGsとか多様性とは名ばかり、相変わらずの成長拡大路線を選択し、財界人も政治家も学者も不特定多数の都市型市民たちも、汝の隣人を売り飛ばし始めてましたよ――、と。

陰謀論ではなく、案外、どこぞのリゾート地で、よろしく美少女たちに性接待をさせる饗宴に明け暮れてんじゃないの? カネがあって官憲をも動かせれば出来ちゃうだろうから。それなのに人々の攻撃対象は歴史の過程で残ったケチな商店会とか、憐れむべき敗残者としてのホームレスの方へと敵意として指し向けられてしまっている。世の末ですな。都市型市民なんて、一皮、剥けば大したもんじゃないのに自分は生き残れるシチズン階級である、自分は勝ち組であると錯覚してるから行政の側のつもりになってるんだと思うけどね。一世代後、30年も経過しない内に手痛いしっぺ返しが彼等を襲うと思うけどなぁ。真の敵は、そちらじゃないのに、そういう分別さえつかなくなってきたって事だと思う。


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気候のせいもあってか心身共に消耗気味で、そうなってくると調べもの等をするのが億劫になる。億劫であるが進めない事には始まらないと自らに鞭を打つも、そもそも集中力が維持できない(笑 こんな風に日々を消化していってしまうのだなぁ…。

この3週間ぐらい、人と会う機会が多かったのですが、凡そ、波長を楽に合わせられている。「あれ? もうこんなに時間が経ったの?」と仕事半分、雑談半分で応じられるものもあれば、集中力を要求されるような話もあって、ここ一番の集中力を要する話になると5分とか10分でも結構、疲れるもんですね。

中には認知症ではないのに同じ話を繰り返す御仁があって、途中で気付きましたが

《あれ? この人は少し精神的に偏重をきたされているのかも…。これほど何度も私が話を終わらせようと合図を出しているのに分からないのは変だぞ…》

というケースも一件あったかな。

うーん、ひょっとしたら、誰も彼もが物凄く疲弊・消耗しているのではないだろか? 

思うに、こんなに忙しかったっけかなぁ…。誰も彼もが精神的なゆとりを持っていない。変な世の中だよなぁ。

「一日の労働時間は6時間まで。それ以上の労働は違法」という具合に決めてしまえば、気が楽になる気がするけどなぁ。みんなが真面目に試験勉強するから、こっちまで相応に試験勉強をしなきゃならねぇじゃんの法則。ちっきしょう、もっと、お前らシンナー吸ったり、博打とか女で失敗したり、オレより悪い境遇のヤツが居てくれねぇと、こっちも休めんねーだろ、と。洗脳されたのか、その素養が高かったのか分からないけど、実際にはヒエラルキー競争に執心する人が大杉勝男。

実際に仕事を始めてしまえば、時間が足りなくなってしまうという事も有り得るのだけれども、ゆとりのある時間割じゃないと、人は幸福論を構築できないんじゃないのかなって思う。現代人の生活というのは実際問題、仕事中心の生活だから、時間の費やし方、日々の費やし方というものにも影響してくる訳ですよね。あれやらなきゃ、これやらなきゃと生活に喘いでいる老いてきて、老いてみたがカネが足りないじゃんとなって、75歳、80歳まで働かにゃならんぞっていう老後だとして、こんなの、長生きしたって意味がないじゃんって気がする。現代人の人生というのは犯罪者でもないのに、なんだか苦役を科されているかのような気がしないでもない。

社会に分断が進行しているのは、日本も同じでしょうねぇ。デジタル化によって経済力に係る信用スコアがつくられて、信用スコアを元にして人間の価値が決定されるようになる。一たび、この信用スコアが低位になると、ありとあらゆる境遇で不利がふりかかってくる。これは自然状態に於ける淘汰圧とは比較になりませんな。ありとあらゆる事柄で不利になる。タテマエとしては「差別していませんよ」となり、その実、諸々の制限がかかってくる。しかも、結構、こうした信用スコアがいい加減な可能性もあるかな。その人、その人によって人生プランが違うんだから金銭感覚も違ったりするのに、そのあたり、どうも平均値で物事をスコア化している節があるからなぁ。

思うに、人間の営み、そこで見出す営みの本質みたいなものは、そんなに変わっていないのに、やたらと唯物的な制度設計にされてしまったような気がする。年齢や性別が異なる人でも、敵意なく接していれば、まぁ、そこそこ、雑談とて楽しめるものですが、ここに一たび、猜疑心みたいなものを持ち込まれてしまうと、そういう人間同士の交わりってのは消えちゃうんですよね。ヒトとヒト、このコミュニケーションは、まるで蝶々のダンスのようなものであるという誰だかの言葉があったような気がする。これが意味しているのは相手によって反応が異なる事の面白さを意味しているんですね。別にお互い、殺し合いするものでもなし、そんなにムキになってマウントを取りに行くものでもなかったのに、昨今、それが通じない世の中になってきていて、きっと、今後も、それが進行していくんでしょうねぇ。

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