2016年12月11日

田中角栄VS金丸信・竹下登

大下英治著『実録 田中角栄』(朝日文庫)では、「オヤジと呼ばれた最後の政治家が田中角栄である」として総括されていたんですが、そこで「政治家・田中角栄」の最期というのは、金丸信、竹下登による猊秧道Δ鍬瓩任△辰浸に改めて気付かされました。

このブログでは【神殺し】という言葉を多用してきたのですが、実は一度だけ例外的に【父親殺し】という言葉を取り上げた記憶があるんですね。それは、フランス元大統領、二コラ・サルコジに触れた際、「サルコジには父親殺しの異名がある」という具合に取り上げたのだったかな。大物に接近しては、その大物を踏み台にして更に出世してゆくという、その処世術。サルコジには離婚歴が複数回あり、一度目の結婚は市長の姪っ子で、その後に28歳で市長になる。しかし、その次にはテレビの大物司会者の妻であり、つまり、こちらは不倫であり、サルコジは略奪した側であったといい、その妻を介してメディア業界に人的ネットワークを広げ、更にセレブ層にも人的ネットワークを広げた――と。

「父親殺し」というよりも「単なるスケコマシ」と言いたくなるかも知れませんが、仮に自らの立身出世の為に、それをやっていたのだとしたら、確かに父親殺しのニュアンスが強くなってくる。サルコジは確かに自分に不利な報道に対しては容赦なく圧力をかけたというから、どうも手段を選ばぬ合理主義者の影も見え隠れしている。ホントは政治家として大成する為に、無意識に色恋沙汰も消化するような、蜘蛛女ならぬ蜘蛛男のような人物ではないのか。最終的には、そうした過去を踏み台にして、どんどん自分を社会的階層の上位へ上位へとステップアップしていく感じという部分が、如何にも猊秧道Δ鍬瓩箸いΩ斥佞帽臙廚垢襦神は殺していないが、父親を殺して自らの養分にしてしまうあたりがね。

で、この話は「創政会の旗揚げ」と、やはり、重なりますかねぇ。当時の日本の政界は、闇将軍・田中角栄を頂点とする田中派が完全に牛耳っていた。その田中角栄に対して裏切りを仕掛けたのが創政会(後の経世会)である。この田中角栄を裏切った竹下登という構図については、「ホメ殺し騒動」として触れてきたし、そのホメ殺し騒動の裏側には、不気味な事に赤報隊事件なんてものも転がっている。竹下登がホメ殺しにされた理由は、まさしく、「親を裏切った子が許せない」という右翼主義者の怒りであったという。(ここに全幅の信憑性を見い出しているワケではないものの、その構図は、サルコジよりも遥かに単純明快な「父親殺し」であるワケですよね。)

1984年12月19日、港区赤坂の日商岩井ビル19階にあるフランス料理店「クレール・ド・赤坂」に、田中派の若手議員らが結集していた。集めたのは金丸信であり、集めた理由は田中派内に勉強会と称して竹下派を旗揚げする目的であった。

この当時は中曽根政権であり、そこで竹下登は蔵相を、そして金丸信は自民党幹事長職にあった。

この12月19日にクレール・ド・赤坂に集まったのは、橋本龍太郎、小沢一郎、梶山静六、羽田孜。話し合われたのは竹下登を中心とする勉強会の立ち上げについてであった。この日、席には小渕恵三が居ないが、この会合をするにあたってメンバーを選出したのは、金丸信、小渕恵三、梶山静六である事を考慮すると、如何にオヤジ殺しに成功した面々が、次から次へと総理総裁のポストに就いたのかが窺える。

ひょっとしたら政治家にとって「父親殺し」というのは決定的に自らの道を拓く為に避けて通れない分岐点なのかも知れませんやね。

このメンツ選びでは、竹下に近い渡部恒三、金丸の子分を自称する中西啓介は外された。何れも田中角栄に近すぎて情報が洩れることを心配し、敢えて、渡部恒三、中西啓介は外されたという。一方で、小沢一郎と羽田孜は、共に田中角栄に可愛がられ、いわば「秘蔵っ子」であったが、この勉強会発足の初期メンバーであったのが分かる。

一回目の会合の6日後となる12月25日、今度は築地の料亭「桂」で、二度目の創政会立ち上げに向けての密議が行われた。この会合に参加していたのは、竹下登、金丸信、小渕恵三、橋本龍太郎、小沢一郎、羽田孜、梶山静六、中村喜四郎、田原隆、中島衛、保利耕輔、額賀福四郎、遠藤要、井上孝。

この後、田中角栄に対しても筋を通しておくべきだとなり、竹下登自らが勉強会を立ち上げるという了承を獲得に行くが、単なる勉強会の立ち上げではないのも明白であり、竹下は、

「竹下登のすべてを燃焼し尽くして、六十五歳までにすべてを終え、政界を引退する覚悟です。この身を、みなさんにお預けしたい」

と挨拶したという。つまり、単なる勉強会の立ち上げではなく、明確に竹下登は総理総裁を獲りに行くという挨拶をしている。それに続けて、金丸が挨拶をした。

「いよいよ、世代交代のときが近づいてきている。われわれは、十年間、駕篭を担いだり、草鞋をつくったりしてやってきた。それは田中のオヤジを守ることであり、こういう状況下で投げ出すことはできないということでやってきた。しかし、いつまでもエンドレスで続くものではない。やはり、われわれは政策集団として決断して、領袖を立てて、その強力なリーダーシップのもとにやっていかなくてはならない。その意味では、時機は刻々と迫っている。おのおの、肚を決めてついてこい」

この頃、金丸信は幹事長に就任していたが、実質的に田中角栄に対して謀反を起こした創政会立ち上げ時の副幹事長8名の中には、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗の名前がある。この副幹事長の3名には意味があったという。竹下登の直系が小渕恵三であり、小渕恵三のラインが竹下派の中枢になる。海部俊樹の所属は河本派であったが竹下寄りであり、森喜朗はといえば福田派(田中派の宿敵)であったが金丸の目が届く範囲の人物であった。そこまで読んだ上で、金丸は、小渕恵三、海部俊樹、森喜朗を副幹事長に任命させていたという。

当時の中曽根内閣は「田中曽根内閣」と揶揄された通りで、総理総裁こそ中曽根康弘であったが人事権は多数派である田中派が決めるような状況。その中曽根康弘を金丸信は最も嫌っていたという。しかし、金丸は中曽根と組むことを画策し、この12月27日、赤坂の料亭「茄子」で金丸は中曽根に話を通したという。

年が明けて1985年1月23日、竹下派旗揚げの為の拡大世話人会が開かれた。ここでは衆議院議員17名、参議院議員8名が集まった。

その拡大世話人会の翌24日、ホテルニューオータニにて、田中派木曜クラブの新年会が行われた。極秘裏に竹下派を画策するメンバーは、田中角栄自身と新年会を楽しんだことになる。羽田孜は田中角栄に得意の「湯島の白梅」を歌うことをすすめ、言われるままに田中角栄は「湯島の白梅」を歌ったという。それに続いて、竹下登は、ズンドコ節の替え歌「十年たったら竹下さん」を歌ったという。

田中角栄の耳に、創政会旗揚げの動きがある事が伝わったのは、1月26日であったという。佐藤栄作の息子の佐藤信二衆議院議員はある人物から創政会への勧誘を受けたが、「角さんの許可を得ているのか?」と尋ねたところ、「許可を得ていない」と返答されたので勧誘を断ったという。その佐藤信二が秘密裏に進められてる話を知ってしまったが黙っていていいものかどうか困惑し、田中角栄を支えた「越山会の女王・佐藤昭子」に電話をした。

「竹下さんが、勉強会をつくるっていう話です。ママ、ご存知ですか?」

「え? どういうことなの?」

という展開となり、その電話を受けた佐藤昭子を介して田中角栄の元にも、創政会旗揚げが知られることになった。しかも、タイミング的には、旗揚げは2日後に迫っているという土壇場のタイミングであったという。

佐藤昭子から田中角栄に電話が入る。

「竹下さんが勉強会を開くってことですよ」

「なにッ、竹下が!」

「竹下さんが今日、明日中にもあなたのところに説明に行くという話ですよ」

「しかし、おれは、明日は大阪じゃないか」

「その葬儀のときにでも、竹下さんは、あいさつしてくるかもしれませんよ」

「そうか。……これで、竹下の総理の目もなくなったよ」

大阪では遭遇せず、1月27日の夜遅く、竹下登は目白の田中邸に向かい、応接間で田中に挨拶をした。

竹下「勉強会をつくりたいんですが」

田中「そりゃあ、いいことじゃないか。大いにやれ。ただ、早稲田のOB会のように、自分につながりの濃い者ばかりを集めるな。ウチの連中と選挙区が重なるのがいるから、田中派として組織的な応援ができなくなる。いろんな連中を入れて、幅広くやれよ」

竹下「わかりました。いまのところ、八十人くらい集まるということなんですが」

田中角栄の顔が一瞬曇った。この頃の田中派は120名であり、80名というのは異常な数字だった。

田中「勉強会としては、多すぎはしないか。勉強会なら、三、四十人が適当じゃないか。ただ、変に動くなよ。マスコミがよろこぶだけだ。泡を食うと、ひょっとしたらなれるかもしれんものにもなれなくなるぞ」

竹下「べつに、焦ったりしていません」

田中「十年ぐらい、待てんのか?」

竹下「……」

田中「いまは、飛び出すんじゃないぞ。チャンスがまわってきたら、教えてやる。鈴木善幸や、中曽根を見ろ。自分の力で政権を取ったのではない。あきらめたころにチャンスがまわってきたんだ。そこを、よく考えろ。慎重にやれよ」

竹下「わかりました」

田中角栄は竹下登を玄関先まで見送った。竹下は緊張のあまり、靴を左右履き間違えそうになった――。

1985年1月28日、毎日新聞が「竹下氏が政策集団を旗揚げ」というスクープ記事を掲載した。創政会メンバーはというと、「田中のオヤジからの許可も取っている」とばかりに猛烈な勧誘をスタートさせ、旗揚げメンバーとして70名を数えるほどに膨れ上がった。

翌29日、田中事務所で江崎真澄、二階堂進、小沢辰男らが田中角栄を囲んで焚きつけた。事情を理解した田中角栄は激怒して言った。

「竹下めっ! 許さんぞ!」

後に小沢辰雄が金丸信に接触し、竹下派(創政会)画策の黒幕は金丸信である事が田中角栄にも伝わった。田中角栄は怒り狂ったという。

「金丸は『昭和信玄』とかなんとか言っているくせに、人の寝首を掻くような真似をしやがって。武田信玄なら、もっと堂々とやるぞ」

と荒れた。一方で、梶山静六、小沢一郎、羽田孜といった昭和44年初当選の田中の子飼いの面々が竹下派の中核メンバーであると知り、飼犬に手を噛まれた気分というものを存分に味わわされたという。

田中角栄の方針は決まった。裏切者は許さない。竹下の元に馳せ参じた連中を切り崩すという反撃を開始する。

渡部恒三は創政会に参加しながら関係が悪化した竹下登と田中角栄の間に入って懐柔をしようとしていた。

渡部「オヤジに対する裏切りでもなんでもありません。わたしのみならず、いま創政会をつくろうと努力してきた人たちも、みんなオヤジを尊敬しています。そして、オヤジの次は竹下さんだと思っています。ですから、私は創政会に参加します。オヤジと竹下さんを結び付ける坂本龍馬の役を、わたしにやらせてください。(田中)直紀君を創政会に入れてください。そうすれば、オヤジの度量が」

田中「なにが坂本龍馬か! 竹下とは、もう話が済んでいる」

渡部「それでは竹下さんを跡目と認めてくれるわけですね?」

田中「うるさいっ! 竹下の前に二階堂、後藤田がいる。これで十年もつ。きさま、この次の選挙では、落としてやるっ!」

1月31日の時点で、田中派120人中84人が創政会への入会申込をしていた。2月7日が創政会の旗揚げであったが、田中角栄の意地の切り崩しが水面下で起こったという。

参院に電話をかけまくっていた小渕恵三は悲痛な声で竹下に言った。

「参院からは、五人しか見込めません」

橋本龍太郎からも悪い連絡が入った。

「綿貫民輔さんも、出席をやめるそうです」

かくして2月7日を迎えてみると、創政会入会届は84名集まっていたが、創政会発足の初会合の出席者は40名に激減していた。

2016年12月08日

哀愁に何をみるか?

今更ながら映画「三丁目の夕日」を日本映画専門チャンネルにて視聴。今までにも二度ぐらいは視聴できそうなタイミングがあったのですが、CGで蘇らせた昭和30代の景色というものに意味があるのかどうか懐疑的だったのでスルーしてきたのでした。同チャンネルでは昭和30年代に製作された作品なんかも放送しているのであって、敢えて平成の時代になってから昭和30年代の世界を再現し、それがヒットしたからと言って、どうのこうのという話には巻き込まれたくない。感動したという者は「昭和30年代は良かった」といい、そうした意見へのアンチとし「実際の昭和30年代は衛生状態が悪く、そんなに素晴らしい時代であったというのは犹庵目の夕日瓩留洞舛世蹐Α廚箸いΧ餽腓謀験されていると思うから。

衛生状態、衛生状態というのだけれど、一方で、非常に興味深い意見だろうとして鶴見俊輔の言葉を、このブログでは取り上げました。

鶴見:40年前はよかったんですよ、よかった。

関川:そうですか、ほんとですか。ずいぶん貧乏だったという気もありますけれど。

鶴見:駆け回る場所があったでしょう。

関川:はい。空は青かった記憶があります。貧乏であっても、どこの家も貧乏でしたから、いわば協和的に貧乏でしたね。

鶴見:それそれ、「協和的に」という以外に人間に何の理想があり得ますか。


鶴見俊輔・関川夏央著『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)の一部分であり、どうやらNHK教育の番組あたりで対談した内容らしいのですが、この感覚というのは、物質的に豊かであるとか、衛生状態がいいとか、それを蹴っ飛ばしてしまうような、意見だよなって思うんです。協和的に貧乏である事、それを真っ向から肯定しようとしている。

その感覚を映画「三丁目の夕日」から見い出せるだろうか?

初めてテレビがやって来た瞬間であるとか、冷蔵庫がやって来た瞬間のリアクションが作品中に挿入されている。また、作品を通して、オート三輪が活躍している。定式化した懐古システムであり、あのオート三輪なんてのも懐かしいアイテムの筆頭格なのだろうなって思う。

視聴し終えて、気付かされたのは牋ソキ瓩任垢ね。ホントは猜悲しさの中で発生する何か瓩箸いΠ嫐9腓い如撻據璽愁后曚箸いΩ斥佞鮖藩僂靴燭ったのですが、そうしてしまうと感情的な何かという意味に囚われてしまうかも知れないので、日本語の【哀愁】として述べることにしましたが、それは「物悲しさの中で生起する感慨」というニュアンスでしょか。

言われているほど大したことないじゃないかと思いながらの視聴だったのですが、完全にクライマックスらしいクライマックスが終盤にありました。以下、ネタバレします。

赤の他人の子を吉岡秀隆演じる貧乏な文学青年が預かって育てており、正直、経済的な負担である。別に、その子に対しての義理もないし、愛情も全くないワケではないが強くもない。そこへ、その子役の実の親であるという小日向文世演じる大金持ちが現れ、その子は私の子だから返して欲しいという。吉岡秀隆は躊躇することもなく、コクリと頷く。元々、赤の他人なのだし、その子にしても裕福な環境で育った方がいいに決まっているのだ。だから、その申し出に反対する理由がない。その子に固執する理由がないと引っ掛かりながらも考えているのだ。

その子は立派な運転手付きのクルマに乗り込み、引き取られてゆく――。

クルマに乗り込む事を躊躇している子の背中を押すように、吉岡秀隆が言う。

「何でも好きなもの買ってもらえるぞ」

しかし、クルマが走り出すと、貧相な文学青年は猛然とクルマを追い掛けだす。追い掛けるが追いつくハズもなく、無様に転倒する――。

そのシーン以降が真のクライマックスであったと思うんですが、このストーリー展開が視聴者の心を揺さぶるのは、先に述べた鶴見俊輔の発言とダブっているかも知れないなって気もする。

好きなものを何でも買ってもらえるという物質的な豊かさ、そうした環境よりも、優先して考えたい情緒的な幸福というものが、実際に存在するという事ではないのか? 所詮は、そんなの映画の筋書きだというのだけれど、その筋書きに心を揺さぶられる者が多いという、現実は否定できないのではないのか? そもそも幸福論というのは何某かの基準で測れるものではなく、その各人が主観として感じる何かであり、お金持ちの知らないオジサンに引き取られる身の上よりも、社会的には駄目な人であっても慕ってきたオジサンと一緒に暮らしたいと考えるものではないのか? それは間違いなく感情由来で、情緒由来の何かであるワケです。

そこに「物悲しさ」というものが付け加えられる。多くの場面で、そのシーンに象徴されるような物悲しさを、日本人は昭和30年代前後に味わってきたワケですよね。

そこに「物悲しさ」を感じ取ることでできなくなった平成の現代人の感覚が重なる。

「好きなものを何でも買ってくれる裕福な家で育った方がいいに決まっているジャン。生まれ育ちっスよ。世の中は。やっぱ、これからの時代はエスタブリッシュメントじゃなきゃ」

的なね。

これは実は不毛な時代であり、人間的な豊かさと引き換えに、物質的な豊かさを選択してきた現代人の後ろめたさがあるから、その部分が特に浮き上がるという事ではないのか。

終盤の展開は良かったです。さっさと終わる。

完成した東京タワー。東京タワーは夕焼けに包まれている。堤真一、薬師丸ひろ子の一家が語り合う。

「きれいな夕日ね」

「夕日はいつだってきれいだろォ。40年後だって、50年後だってな」

なんて言葉を交わしてオシマイになる。

で、今の夕焼けはホントきれいだろか?

2016年12月07日

その後の短信

石原慎太郎元知事に係る「ゼロ回答」の問題を取り上げて、その翌日か翌々日かに、例の海苔弁当の海苔が引っぺがされたというニュースを知る。東京都と東京ガスとの不可解な交渉では、東京ガス側は「売却する意図はない」と拒否していた事が改めて判明したという。となると、石原慎太郎氏の懐刀として働いていたという元副知事の浜渦氏が、詳細を知っているという事になりそうですね。関西では名の知られた元右翼活動家という風に週刊誌では取り上げられていましたが、さて、今後、どんな動きになるのやら。

美濃加茂市の最年少市長に対して、控訴審では逆転の有罪判決。これは、どういう事なのか。郷原信郎さんが冤罪の可能性を指摘し、実際に一審では無罪であったものが、またまた引っ繰り返って有罪か。収賄事件を裁く場合に生じる事実認定の難しさというものなんだろか。しかし、なんだかバランスが悪さも同時に感じてしまいますかねぇ。オリンピック招致に当たって、コンサルタント料という名義でロシア選手のドーピングに関与していた人脈に2億3千万円を支払っていた問題は、2億3千万円は賄賂ではなくコンサルタント料でした、相手の人物については知る由もなかったので賄賂とは認められないとスグにジャッジが出たのに。贈賄の場合、「これはコンサルタント料なのです」で押し通せばお咎めなしであると司法が示してくれたけど、収賄の場合は他の裁判の判決に影響されるらしく、「これは有罪である」という風に認定されてしまう。中身は、口利きには変わりないのに、ヘッチャラだってのがねぇ。

そのオリンピック関連施設の報道にしても、ホントにどういう事なのかって思うのが、マスメディアの中には反小池というスタンスが見え隠れしているところでしょうか。小池百合子はテレビを意識して大衆を煽動しようとしているポピュリストであるという。しかし、そんなの、今に始まった事ではなく、小泉フィーバー然り、政権交代選挙なんてもそうだったし、「日本死ね」にしたって、みんな、同根のような気がしないでもない。大衆迎合をやって来たから、実際に強いんですよね、スポーツ利権ってのが。それが利権であるという風に捉えてさえいないと思う。現在の電通は、スポーツ関連に注力しているというけど、まぁ、そういう事ですかね。

ブラック企業というキーワードが近年、浮上しており、週刊文春にユニクロに潜伏して働き続けたジャーナリストの体験記が掲載されていました。一年間の売上の3分の1を売り上げるというセールに触れられている。そのセール期間中、店員は営業中の12時間は戦争のような状態で、ひたすらにレジを打ち、声を出して客の行列をさばくのだという。立ちっぱなしの12時間であるという。しかし、それは飽くまで営業中の話であり、営業時間が終わったら段ボールに山積みにされた商品を売り場に畳んで陳列する等の作業が残っているという。ユニクロの柳井氏の哲学とは、「明日の仕事こそが今日の仕事であり、今日の準備は昨日の仕事である」という具合に前倒するらしく、故に、実は、その準備こそが大変なのだという。ビックロという大型店舗に潜入していたジャーナリストに拠れば、運ばなければならない段ボールの数は100を超えるという。また、閉店後の商品陳列が終わらないワケですが、そうなると、アルバイトに対して「延長してもらうよ」という具合の職場的なバイアスがかかるという。まぁ、大変な仕事であるのは伝わってきますが、ブラック企業と呼ばれるまでのブラック企業ぶりなのかどうかの判断は微妙な気もしましたが…。ワタミフードや王将フード等と比較すると、まぁ、好ましいとは言えないまでも、奴隷的労働に値するのかどうかというと、少し趣きが異なるのかも。

あ。それと、30階級以上にもわたって細かな階級制度を設定しているらしいこと等は、組織論として注目には値しそうですかね。個人的には、完全にトップダウン方式であり、ツリー型の組織運営なのだな、と痛感させられる。そういう組織が結果を出してしまうと、他の企業もマネをしようとするかも知れない。ですが、そもそもからして、そういう組織論が優位になってしまう事は、社会一般にとっては好ましい事なのかどうか。

いわゆる足利事件、冤罪が証明された菅家さんは、

「世の中に報奨制度のようなものがあることがいけないんですよ」

と語ったのだったかな。その発言は、自分を捕まえた刑事たちが手柄だとして特別に昇給した事に対応して発言されていました。つまり、犯人を検挙したら手柄となり、手柄を立てた者は報奨を受けるが、自分を逮捕した刑事たちは、そうした報奨に目が眩んでいる連中だと考えている事が分かる。手柄を上げようと前のめりになり、結果、冤罪を生み出し、冤罪だったのに実際に昇給していた――と。

なんだか菅家さんらしい発言でもあり、印象に残っていますかね。「報奨制度みたいなものがあるから、悪いことをする刑事が居るんですよ」という考え方であり、その制度が無かったならば、刑事たちも、あんなデタラメな捜査や聴取はしなかったと、一個人に恨みをぶつけることを避けるかのような、やさしさに由来する社会観なのではないかな、とね。

私は「報奨制度なんてものは不必要である」という意見に賛成するものでもない。過度な報奨が人間を狂わせるとは思うんですが、足利事件のケースでは「何が何でも犯人を検挙しなければ」という使命感そのものが大きく空転していたのだろうなって読んだのでした。昇給は勿論、報奨は二の次で、捜査をしている中で、不審人物として菅家さんが浮上し、そこからなのですが、或る種の偏見に沿って捜査を行ってしまった事、もう、その体質そのものに冤罪の原因があったと思う。真実への固執が甘く、且つ、科学捜査なるものへの盲信こそが、どう考えても大きい。

とはいえ、菅家さんの言葉は鋭いと思う。ホントは、人間は目先に褒美のニンジンなんてものをぶら下げられずとも、勝手に働いたり、学習したり、研究・解明してしまおうとする習性が備わっていると思うから。大金持ちの人たちは「これ以上、税金を上げるというのなら、私は仕事を辞める」という風に語る。しかし、それはフェイクであると思う。確かに既に充分な財産を有している経営者の中には仕事なんてバカバカしいとばかりに放り出すかも知れない。しかし、6〜7割の経営者は税金を上げられたとしても、仕事を辞めやしないだろう、辞められるワケがないだろうと考える。何故なら、社会的地位の為に仕事をしている経営者だっているし、歴史に名を残したいという大きな野望を抱えている経営者なんても実際には多いのが現実であろうと思うから。分かり易い報奨なんて無くても、勝手に競い合うだろうしね。

2016年12月05日

田中角栄VS周恩来

日中国交正常化交渉に向けて首脳会談をしていた田中角栄と周恩来との丁々発止を、大下英治著『実録 田中角栄』(朝日文庫)がスリリングに描写していたので、その部分を切り抜いて――。

1972年9月25日、田中角栄首相は大平正芳外相、二階堂進官房長官らと共に中国へ旅立った。自民党は台湾派(反対派)に分かれ、中川一郎、渡辺美智雄らは台湾派であった。出発当日、モノレール羽田空港駅では特殊警棒を34本も持っていた日本愛国党員(赤尾敏を党首とする右翼政党)が検挙されるなど、国内の反対派は物騒な動きを見せていた。

現地時間の午前11時30、一行は北京空港へ到着。そして午後1時45分から迎賓館の応接間で、田中角栄は周恩来と初対面を果たす。その後、人民大会堂の「接見庁の間」で酒談義などを交わす。適度に雑談を交わし、その後、午後2時55分から人民大会堂の「安徽省の間」に場所を移して、第一回目の日中首脳会談が始まった――と。

周恩来は日本側の随行員49名、全員と握手をして迎えた。そして、その周恩来が挨拶を始めた。

「1894年から半世紀にわたる日本軍国主義者の中国侵略によって、中国人民は極めて酷い災難を被り、日本人民も、大きな損害を受けました」

次いで、田中角栄が挨拶をした。

「このたびの訪問にあたって、私は空路東京から当地まで直行して参りましたが、日中間が一衣帯水のあいだにある事を改めて痛感致しました。このように両国は地理的に近いのみならず、実に二千年にわたる多彩な交流の歴史を持っております。然るに、過去数十年に亘って日中関係は遺憾ながら不幸な経過を辿ってまいりました。この間、わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」

田中角栄の挨拶を日本側通訳が翻訳すると、会場にざわめきが起こった。狢紳腓里缶堆任鬚かけしたことについて瓩箸いΣ媾蠅、中国側の意に沿わなった為であったという。中国側は、爐缶堆任鬚けた瓩箸いι集修歪勅佞良集修箸靴討老擇ど集修任△襪箸靴董△いなり不満の声が洩れた為であったという。

田中角栄の側近の秘書官らは、ざわめきに気が付いてはいたが――。

翌26日、午前10時15分から、「接見庁の間」に於いて、大平正芳と姫鵬飛(きほうひ)による外相会談が開催された。この席には外務省の高島益郎条約局長も参席し、中国側の復交三原則を取り上げて主張した。

「『台湾は中国の一省である』という主張を認めることは出来ません。また、中国との戦争は日華条約第一条で終結しており、賠償問題も処理済みです」

その発言が中国側を刺激したらしく、外相会談で大平正芳は台湾問題で強硬に捩じ込まれる羽目に会ったという。

会談後、大平は盟友である田中に、その悪い手応えを正直に伝えた。

「おい、どうする? これじゃ、帰れんなぁ」

すると田中はダミ声で応じた。

「ここまできて、それほど譲歩する必要はない。よくよく駄目なら、帰ればいい。観光に来たと思えばいいさ。後の事は、オレが責任を持つ。もう一遍、粘ってやってくれ」

そして午後2時5分から迎賓館にて、前日に続けて田中角栄と周恩来との首脳会談が執り行われた。周恩来は冒頭に切り出した。

「外相会談に於ける高島局長の発言は、問題だ。日中国交正常化は、政治問題だ。法律論で処理しようとする人物を中国では法匪という。高島局長は法匪だ。あの人のいる限り、まとまる話もまとまらない」

この周恩来の攻撃に対して、田中角栄は、どのように応じたのか? 中々、興味のある部分だと思うんですよね。そういう状況で、どのように対応する事が出来るだろうかって思う。歴代の総理を想定して、どのように応じたであろうかシミュレーションしてみるのも一興かも。

さて、田中角栄は、どう応じたか。田中角栄は色をなして怒ったという。

「彼は、私の忠実な部下だ。私の意をていして言っているのに、法匪とは何事だ! 彼は、条約上の条文解釈はこうだ、という発言をしただけだけだ」

と応じたのだそうな。

しかし、周恩来も負けていない。

「昨日の夕食会で、あなたは『多大なご迷惑をおかけしました』と言った。が、それは、中国では、家の前の道路に水を打っているとき、たまたま通りかかった御婦人のスカートに、その水をかけてしまった場合に詫びる程度の言葉だ」

田中角栄は苦虫を噛みつぶすような面持ちになった。周恩来は続けた。

「日本は、わが国を長い間侵略した。国民は、日本の軍隊によって蹂躙された」


ここで田中角栄が起死回生を図って、言い返した。

「隣同士で息子と娘を結婚させようというとき、相手の家の悪口ばかり言ってもしようがない。結婚する二人の将来のために、これからどうやっていくかという事を前向きに話し合わないといけないのではないか」

思うに、この田中角栄の切り返しは巧いと感じましたが、実際には周恩来の日本批判は簡単には止まらなかったので、田中角栄は眉間にシワを寄せて反論に出た。

「そんな過去の話ばかりしに来たのではない。明日から、どういう歴史を切り拓いていくかということを話し合いに来たのだ。過去の話をしたらキリがない。あんた方だって、日本を侵略しようとしたじゃないか」


ここまで田中角栄が言い出してしまったので、場は静かになったという。咄嗟に田中角栄は空気を読んで、冗談めかしながら続けた。

「1200年代、二度にわたって元寇があった。風が吹いて上陸はしなかったけど、明らかに侵略の意図があった」

周恩来も何かを感じ取ったのか、笑みを浮かべて返した。

「あれは、漢民族じゃない。モンゴル人ですよ」

「ああ、それは失礼」

決裂寸前の緊張感が張り詰めていたが、田中と周の会話はユーモアに切り換えられ、場を和ませた――。

この26日の晩、田中角栄は同行していた秘書官の前でポツリと洩らした。

「中々、難しいな。簡単にはいかん。二週間後に双十節があるだろう。たとえ、その日を越えてでも居座り、まとまるまでやるか。それともケツをまくって帰ろうか」

その言葉から、秘書官は田中角栄の中で、強気の虫と弱気の虫とが交錯していると感じたという。

明くる27日、午後4時20分から、三日連続、三回目の首脳会談が行われた。

田中角栄は一歩も退かなかった。

「中国の言い分も、分かる。これまで数十年にわたって不幸な関係になり、隣同士で敵対してきた。しかし、今日から隣同士で仲良くしようと考え、私は、中国に飛んできたんだ。私の背後には、反対派というのも随分おる。日本に帰ったら、或いは私は殺されるかも知れん。それほどの決意で来ているんだ。

〜次第に興奮してゆき〜

あなた方とこれから仲良くしようと言っているときに、言葉尻をとらえてスカートの水うんぬんを問題にするとは何事だっ! その事によって、全体の判断を間違った方向に進ませることは絶対に避けるべきだ! 私が飛んできたという事は、仲良くしようという表われじゃないか。

〜次第にトーンダウンさせ〜

太平洋戦争のとき、私も二等兵で満州にいた。私の鉄砲が、どっちに向いていたかは、分るでしょう?」


「――――」

「私の鉄砲は、中国じゃなく、ソ連に向いておったんですよ」

一同は、ここで大爆笑したという。田中角栄の面目躍如といった感じでしょか。

しかし、その爆笑を取って気が緩んだのか、田中角栄は事前に今回の会談では持ち出さないと決めていた尖閣問題にまで言及してしまう。

「ところで、尖閣諸島問題についてですが――」

内心、大平正芳は後悔した。尖閣の問題は取り上げない事は暗黙の了解のつもりになっていたのだ。慎重を期して、ハッキリと田中角栄に確認をしておくべきであったと後悔した。

中国側も、まさか難航が予想される尖閣問題を切り出されるとは考えていなかったらしく、ここで周恩来が、固まりかけた空気を溶かした。

「まあまあ、今、その問題を話し合っても、相互に利益にならない。その話は、後世の知恵に任せましょう」

この27日、午後8時半から田中角栄陣営は毛沢東邸で毛沢東と会談する。毛沢東は葉巻を吸っていたといい、その毛沢東は、次のようにして、田中角栄、周恩来らを迎えたという。

「もう喧嘩は済みましたか。喧嘩しなくちゃ駄目ですよ。喧嘩して、初めて仲良くなるのです」

田中角栄は言った。

「周首相と円満に話し合っております」

28日、田中総理主催の答礼の夕食会が行われ、明くる29日、人民大会堂「西大庁の間」で、日中共同声明調印式が行われた。

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2016年12月02日

在日ヒーローの真相

朴一(パク・イル)著『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(講談社+α文庫)は、引っ掛かっていたモヤモヤを一気に解消してくれるような本でした。

この【在日】という言葉が絡む問題は非常にナーバスなのはご察しの通りで、神経質にならざるを得ない。数日前にも百田尚樹さんの「在日外国人」という用語が俄かに注目を浴びた通りだし、正直、ウンザリしている。ああ、その前に機動隊員による土人発言もありましたね。

差別なのか差別ではないのかという問題があって、この問題は非常にウンザリとさせられる。

先に自論を示しておくと、土人発言についてですが、実はTBSのニュースだったと記憶していますが、例の「触んな、土人がっ!」という映像のニュースも早い段階で目にしていました。その後、幸福実現党関連のYouTube動画も視聴していた。更に、その双方を踏まえて週刊新潮が取り上げた「土人発言」に関する小記事も目にしました。売り言葉に買い言葉で、「土人がっ!」という発せられたものと解釈している。その上での話としてですが、大臣の反応にはやや否定的な立場ですかね。機動隊員は公務員であり、綱紀に係る意味合いとして、売り言葉に対して買い言葉で返すことは慎むべきであるという、その部分の原則を曲げる事には反対です。なので、例の大臣が匂わせている「土人発言は差別発言ではない」という態度には、鼻白む思いで眺めている。

理性的である方が我慢しなければならないことにもウンザリしていますが、特に公的機関の人間による態度の場合は、民間人同士で発生する「売り言葉に買い言葉」のケースとは異なり、より厳しい態度で考えざるを得ないんですよね。その部分が曖昧に処理され、感情的になって、売り言葉に買い言葉で応じることが認められるようになる事は問題であろうと考える。実際に「土人がっ!」ではない、もう一種の動画では、暴言で応じてしまった機動隊員の脇で別の機動隊員が「挑発に乗るな」とばかりに必死に肩を揺すって、冷静である事を促している様子も確認できましたが、その態度を、是としないと、秩序の底が抜けてしまう。

百田尚樹さんの暴言は今に始まった事ではありませんが、今回のケースは「在日外国人」という言葉と「在日朝鮮人・韓国人」との差異があるので、突っかかっていった津田大介さんの真っすぐな怒りは肩透かしをくらいつつありますが、津田大介さんが指摘している通り、実際には百田さんの言葉や態度は極めて過激であり、挑戦的であり、挑発的である事は、周知の通りであろうと思う。

或る時期から犒韓瓩箸いξれが先鋭化した。それを喚起するだけの原因があった事も確かであったと思う。しかし、この問題は重複になりますが、思いの外、根深く、取扱いが厄介で、且つ、狡い事に「差別主義者だ!」と言いながら日本人の感情を逆撫でするような言動を好き放題に振る舞ってきたものがあったのも確かなんですよね。つまり、いきなり、何もないところから犒韓瓩覆襪發里発生したのではない。とはいえ、過去記事にも書きましたが、実際に秋葉原駅付近で、嫌韓デモと思われるデモ行進、もしくは朝日新聞や毎日新聞が言うところの「ヘイトスピーチ」なるものに遭遇したことがありますが、率直に言えば眉を顰めたくなるような罵詈雑言であり、不愉快な気分になった。先鋭化、過激さ、その手法に対しては賛成できない。一方で、これも過去に触れましたが、ヘイトスピーチ側だけを糾弾して、挑発を繰り返している「しばき隊」に対しては報道を沈黙する朝日新聞や毎日新聞にはゲンナリとさせられるし、差別は許せんとしてヘイトスピーチ主催者側に過剰な罰金を出した判決は、不公正な判決であったと強く感じました。

その判決には歪んだ正義感が作用している。歪んだ正義感というのは、定めるところの弱者に対しての指弾は重大な差別であり、一方で定められたところの弱者が弱者権力を存分に振るっているという問題を無視している。許栄中事件の許栄中氏は、いわゆる在日であり、日韓コネクションと山口組系暴力団との間に取り入って、更に経済界に食い込み、数千億円の不可解なカネを動かした中心人物でしたが、その許栄中は「在日問題は日本の宿阿である」と後に述べたという。

掘り下げてゆくと、複雑に近代史が絡み合っており、元々は差別問題を解消する為に設けられた事業があったが、途中から弱者権力が登場している。これは差別されている人達に優先的に公共工事を落札させようとする行政の対応が逆手に取られてたの意であり、実際にバブル期の頃から既に暴力団が(似非)同和と密接な関係を取るようになり、奇妙なカネの流れ、弱者である事を逆手にとって恫喝して効率的に金銭的利益を上げるという弱者権力による利権スキームが出来上がってしまったのも一面では事実でしょう。朝日新聞や毎日新聞的な「差別をされていた人たちには償わねならないのです」的な優等生的なアプローチは、おそらくは30年ぐらい前から通用しなくなっていたと思う。

関東人の私からすると特に「大阪ってのは何であんなに過激なの? 物騒そうだな」と感じている訳ですが、それにも理由があるようで、土地柄として近代までヤクザの事務所が多かったことに加えて、朝鮮人部落も多く、同和部落も多かったという。経済ヤクザが登場したバブル期の時代、地下社会では、それらがホントに繋がってしまった。更には政治、マスコミにも、そういった地下社会に於ける何かが作用してしまっていた可能性がある。


長々と前置きをしたのは、ネトウヨ的なノリで「あいつは在日や!」という具合に、いわゆる在日認定なるものをやらかす類いの話ではないから。人間中心主義に観点を置いて人間関係を捉え、ブルースとかエレジーの世界にもつながる話だから。

これまでにも既に力道山、大山倍達、松田優作といった昭和のスターの場合、生前は極力、出生の秘密を隠そうという態度が実際に取られていた。特に松田優作さんのケースというのは特殊で、元妻で作家の松田美智子さんの著書によって、スターの実情が明かされるという経緯を辿った。

松田優作さんの場合は、力道山や大山倍達の時代よりも、ずっと時代的には新しく、それこそ、多くの日本人は「太陽にほえろ!」のジーパン刑事役のアクションも出来る俳優として「松田優作」を強烈に記憶に刻むことになり、その後も角川映画でハードボイルド系の映画で主演し、更に後には映画「家族ゲーム」、「それから」ではアクションを抑えた演技でも人々を驚かせてみせた。ある意味、ヒーローであったと言えると思うのですが、その出生を秘すには秘す側の苦悩があった事を物語っている。

ジーパン刑事役が当たって、ファンレターが届き始めた頃、松田優作は、「どうしても帰化したい」と訴え、妻松田美智子の父親が持っていた縁故ルートを使って、法務大臣宛に「帰化申請動機書」を提出して帰化。その後も自らの出生問題に触れる事はなかった。つまり、2008年に元妻の松田美智子さんがノンフクションとして発表する迄、出生の秘密は貫徹された。(一方で、近年の傾向は違い、プロレスラーの前田日明さん、俳優の伊原剛さん、玉山鉄二さんらは自らカミングアウトするという選択をしている。)

松田優作さん自身が動機書を書いていたという。

「僕は今年の七月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています。視聴者は子供から大人までと幅広く、家族で楽しめる番組です。僕を応援してくれる人たちも沢山できました。現在は松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう」

と――。

死後に、こうした秘密を明かすことに問題を見い出す人もいる反面、それに触れた松田美智子著『越境者 松田優作』という著書は概ね好評を得た。ドキュメント、ノンフィクションという書籍は、その性格上、実は出生に触れるのが当たり前である上に、既に本人が故人となっている事、更に重要な部分ですが興味本位での秘密の暴露になっておらず、斟酌されている事であろうという。

確かに、「ねぇねぇ、知ってる? 松田優作って在日だったんだってよ。騙されたよね〜」というだけの軽薄な語り口というのは、なんだか気分がしっくりしませんが、松田優作が抱えていた苦悩を掘り下げた上での、その出生の秘密を語るというのは趣向が異なるんですよね。

で、おそらく、ホントに状況は変わりつつあるのかも知れない。先に挙げましたが、プロボクサーでもプロレスラーでも、サッカー選手でもプロ野球選手でも、最近は芸能人であってもカミングアウトするケースが増えていると考えられる。そうそう。和田アキ子さんも週刊文春でカミングアウトを果たしている。昭和期の意識からは少しづつ変化が起こっているような気もしますかね。

では、どういったケースで、出生の秘密が語られるべきと考えるか? 風聞の類いで「誰々は在日である」という在日認証は、実は混乱の元凶にも関係していているという。実際に大前研一さんに対しての在日認証などは誤まりであるが、大前さんに拠れば誤まりであることを証明する方法がなく困惑したという。在日ではない事を証明するのは容易ではないといい、風聞が大混乱を生み出してしまう例の代表として取り上げられている。(生前の愛川欽也さんも何故か創価学会員という風聞が広まってしまい、最後には自ら声を大にして否定してしましたが、風聞というのはまことしやかに広まってしまい、しかも、問い質されることなく、そのように認識されてしまうというコワさがある。)

大前研一さんの例で明白なように確かに事実関係も怪しいままに在日認証が行われてしまっているケースがあると考えられるワケです。では、どう扱うべきか? 

朴一さんに倣えば以下の点が考えられるかも知れない。1つ目には本人がカミングアウトしたケース。これは自発的なカミングアウトなので問題はないでしょう。2つ目としては、その親族や遺族が明かし、周知の事実となってしまたケース。実は既に何例か存在している。本人の意向がどうであったのが微妙ながら、メディアに親族が語り、それが雑誌に掲載されるなどした場合は、事実関係そのものは周知のものとなってしまうワケです。そして3つ目として、本人の死後に暴かれることになるのですが、これは暴露そのものに主眼が置かれるべきではなく、その人物の背景をドキュメント、ノンフィクションとして語るケースではないのかという。

この3番目が結構、問題になる。確かにゴシップ報道の場合は厳格な検閲がないのでロクにウラも取らずに情報だけを垂れ流すことになりますよね。硬質なドキュメントやノンフィクションである場合、その出自についても取り扱わざるを得ない。松田優作さんの例など概ね許容され、好評を得ているが、一方で橋下徹さんに係る出生の秘密を掲載した週刊朝日の報道は問題視されることになったのは記憶に新しいところでもある。この橋下徹さんの出自問題については、朴一さんは攻撃性の明確であった為に問題視されたと分析している。別の宝島社のソースでは、タダの事実関係そのものについては週刊朝日に限らず、そもそも宝島系のメディアや、週刊文春、週刊新潮も橋下徹さんの出自については報道していたが、それが問題視されなかったことを指摘している。

とはいえ、このブログで当時も触れた通りで、文春、新潮の記事は、その当時、橋下徹さんの選挙動向を考えるに敏感な時期であったのに敢えて前科者が親戚にあることや、その出自について掲載していたんですよね。このブログではタイミングがタイミングであるだけで何者かがリークして報道に踏み切らせたもの、タイミングの良すぎる暴露報道であった事に対して、否定的な態度でに取り上げた記憶がある。

(今夏の高畑淳子さんを巡る報道なんてのはデタラメもデタラメ、BPOで審議なんてレベルではなく一人の青年の将来を奪ってしまった人権蹂躙に抵触する報道内容であった事からすれば即刻、放送権剥奪を検討すべき事案ではなかったのかという気もする。疑問に思うのであれば『創』(つくる)の編集者のブログに目を通すことをオススメします。冷静に検証すれば辻褄の合わぬ事件経緯だった事が分かる。マスメディアは正義漢面(ヅラ)して、強姦だのセカンドレイプだの、女性の権利だのと声高に大騒ぎして反論できない立場にある高畑親子の吊るし上げに躍起になり、実質的に一人の青年の将来を完全に摘み取ってしまった事に気付かされると思う。)

そして実際に百田尚樹さん的な過激さをウリにしている論客、あるいはネトウヨと称される人々によるテキトーな在日認定の問題があるから、どうやっても、一定以上の良識に留意しながら取り上げざるを得ないんですよね。ナーバスな問題であるという事を重々に承知する必要性があると思う。


で、埼玉在住の私は「やしきたかじん」なる人物に非常に疎い。顔も名前も知っているし、「やっぱ好きやねん」という楽曲ぐらいは知っているけれど、その影響力を知らないんですね。より詳しく説明すれば、日刊スポーツだったかスポーツニッポンであったか、どちらかの競馬欄で、40〜50倍の馬券を的中させてみせた大阪のローカルスター・やしきたかじんの記事をおもしろおかしく読んでいた記憶がある程度。記事も印象は、マイルドであり、「またまた、大阪のローカルスター、じんちゃんが馬券予想に登場やで〜」という感じの文章だったので、過激な言動を売りにして人気を博している人物だとは、90年代頃まではホントに知らなかったと思う。ん? テレビ埼玉(現在はテレ玉)で、やしきたかんじんの名前が冠になっていた関西ローカル番組を週遅れだか月遅れだか、或いはとんでもなく古い再放送だかを放送していたみたいけど、殆んど視聴している人は身の回りにも居なかったし。

で、先にやしきたかじんさんは亡くなれており、その際には安倍総理からも弔辞が寄せられるほどの騒動になったワケですが、実は在日コリアンであったという、その出自を知る事になりました。いや、こういうとイヤらしいかも知れませんが驚きはない。なのですが、そうなのであれば、どうしようもなく疑問が膨らむ。

「何故、あれだけ嫌韓問題に触れてきた当事者でありながら、自分の出自を伏せてきたのだろう?」

という疑問は、正直、強いんですね。

先ず、事実関係についてですが、角岡伸彦著『ゆめいらんかね やきしたかじん伝』(小学館2014年刊)には、次のような記述があるという。(着色部分は引用です。)

関係者によると、(やしきたかじんの)父親は一九二六年に朝鮮半島で生まれ、一四歳で弟とともに大阪に渡ってきた

みんなでキャンプに行こうと言うていったけど、雨が降ってきたので仕方がないから、やしきの家で飲んでいた。そのときあいつが「実は親父は韓国やねん」て泣きながら言うてたことがあるんですよ。親父が在日韓国人というのはコンプレックスになってたんでしょうね。当時のことやから、就職のことなんかを考えると、しんどいなというのはあったと思うんです


と。つまり、事実として、やしきたかじんさんは、いわゆる在日二世であった――と。

そもそも、私の手元にある『僕たちのヒーローはみんな在日だった』の著者の朴一さんは、やしきたかじんさんの番組に度々出演した人物でもあり、共演していながら胸の内では、やしきさんも在日コリアンだと思うけど胸襟を開いてくれないかなと思いながら番組に出演していたと明かしている。朴一さんの場合は大学教授である関係で、或る時の集中講義にやしきたかじんさんの親戚に当たる学生と知り合い、家鋪家の出自について詳しく機会があって、ずっと以前から気付いていたのだという。

やしきたかじんさんの番組では、嫌韓をテーマに取り上げ、持ち前の過激さも発揮していたという。朴一さんにして、嫌韓パネリストがずらりと並んでいる中、司会をしているたかじんさんに「在日でした」とカミングアウトすることなど出来ただろうか、仮に、それが自分であったならどうであっただろう――と。

それは確実にアイデンティティーを巡る葛藤の問題であるというのが伝わってくる。オモテの顔と、裏の顔。自分を自分として承認する際に発生してしまう、アイデンティティーの混乱。

本来、差別問題の扱いというのは二項対決とか二元論的な対立構図では解消できない問題なんですよね。殺伐としてしまい、斬り合ったり、撃ち合ってしまう事になるから。暴くか暴かないか、口撃に対しては口撃で応じるという、そういうものではなかったよな、と思い知られますかねぇ。

ホントは事実と向き合ってしまえば、絶望的に壁のこちらとあちらとがある訳ではないんですよね。

(百田尚樹さんは、やしきたかじんさんを題材としたノンフィクションなのかフィクションなのか興味がないので全く知りませんが、たかじんさんをテーマとした書籍を出して、その後に何だか遺族らとトラブルを起こしている。知らないし興味もないので触れませんが、察するに犧瀑瓩箸いΩ斥佞領側に必要以上に執着してしまっている嫌韓、その「嫌韓の先鋭化とは何か?」と考えることは出来ると思う。心底からたかじんさんを苦しめていたものって、何だと思いますゥ? 友人と自分との間で一致しないアイデンティティーの不一致だったのではないだろか?)

私の死んだ父親と言うのは見た目が、ほんの少しだけやしきたかじんさんに似ていた。酒を飲むと羽目を外す人として近所にも親戚にも有名で、若い頃には何度も泥酔者として警察の厄介になっていたとも父親の死後に伯父たちから聞かされました。どういう性格であったのかというと、普段は小心者であるが酒が入ると気持ちが大きくなり、結構、トラブルを起こすタイプの人間であった。また、若い頃、国士館大学の学生に追いかけられて荒川を泳いで逃げ切ったという武勇伝を持っていた。しかも、その後、悔しかったのでボクシングを習って迎え撃ってやろうとしたなど、そういう気性の人でした。実は小心者であるが故に、荒くれ者になるパターンの典型でした。伯父叔父6人兄弟の中で私の父親だけが60代で比較的早く死んでしまい、親戚いわく、「酒の飲み過ぎで早死にした」という事になっている。否定できないんだな、これが。そーゆー人だったから。

で、これは私自身の家系が在日であるという話ではありませんで、実は私自身も一度だけ電車内で、北関東の栃木訛りの高校生から「こいつ、朝鮮高校じゃねぇ?」という具合に適当なインネンを吹っ掛けられたことがある。しかし、私は指紋押印なんてした経験はないから、多分、日本人でしょう。少なくとも関東なんてのはデタラメも多く、ただ自分が見たことがない制服の学生を見つけただけで、そういう反応をする無知な者が多いのも現実ですからね。中学時代の社会科教師も国士館の学生に絡まれた事があると言っていたかな。で、こういう逸話がゴロゴロしているという事は、それは巷間ではロクに正確な在日認証も出来ぬまま、これらアイデンティティーを巡る葛藤への理解なんてのは、蔑ろにされてきたのだろうな、と。


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ussyassya at 00:49|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)雑記