2017年11月24日

大変革の可能性

書店の店頭で30分ぐらい迷う。探している本が見つからない。週刊文春のレビューにあったんだから置いてあるだろって思ってたんですが見つからず。書店の陳列は、新聞各紙の書評で扱われた本は分かり易く陳列しているものの、週刊誌の書評には対応していないよう。ああ、この話は何だったかな、橘玲著『言ってはいけない』が当初は、新聞の書評欄で取り上げらなかった経緯と似ているなって思う。いやいや、例の青山透子著『日航123便〜墜落の新事実』にも似た問題を感じたのだったかなぁ…。

これは、どういう事なんだろ。文藝春秋で立花隆さんが「若い人と話をしていたら東アジア反日武装戦線が御召し列車の爆破計画をしていた事を知らないという。当時は新聞の一面でも報じられた話なのに、これはどういう事なんだろう?」という主旨の文章を書いていましたが、なんとなく、それに合点がいくような感慨が沸きました。

大きな歴史的出来事であっても、その記憶が的確に後世に継承されるワケではない――と。

今年、2017年も、一月余りを残してオシマイですが、書店を見回していたら「ロシア革命から100年」という帯を撒いた書籍が複数ある事に気付きました。言われてみれば、1917年がロシア革命の年であり、また、ロシア革命というのは大衆層が大暴れしたという意味では、ピューリタン革命やフランス大革命とは少し意味合いが異なったのではないかという、見立てが近年、目立ち始めているんですね。現在から、丁度、百年前、ロシアで起こった一つの革命は、世界中に伝播せんと大きな赤いうねりを作り出した。一体、百年前に起こったという、その世界的潮流というのは、何であったのか――と。


今、現在進行形で起こっている事を、ホントに我々は把握できているだろうか? 北朝鮮問題が重大である事は多くの人が気付いてはいるのですが、あの出口とか、落としどころというものを明快に語ってくれる人が居ないんですね。或る意味では、非常に不安定な時代なのだ。

或いは、AI(人工知能)が人々から職を奪うという未来図については、「大袈裟なことを言うな!」という懐疑論が新聞やネット上では支配力を持っている。そこには「幾らなんでも、そんなに急激に世界は変わりやしないさ」という温厚な意見も含めて、ですよ。しかし、それらは、自分を肯定したい心理が大きく影響しているんであって、ホントは、音楽CDをオワコン、オワコンとアジってきた事の意趣返しですやね。もう、どうしようもなく、多くのものは職を奪われる事を覚悟した方がいいのではないか? 農家や商店に対しては「時代遅れ!」と一刀両断に評して、派遣社員に対しては「自業自得」と評してきたのが現在の勝ち組なのでしょうけれど、とうとう、正社員という聖域にも、このリストラの波が波及する時が近づいてきたという事かも知れませんやね。

しかし、どうも現在進行形で起こっている事は、おそろしいスピードを伴っているように思えてならない。技術的特異点というものは、ある段階まで到達すると、飛躍的なスピードで技術革新が進んでしまうことを意味していましたが、既に、そこに入りつつあるのではないかなって思う。

当ブログなりに証拠を挙げてみると、先ず、銀行の問題がある。新聞に目を通せば、大手銀行は支店を閉鎖していく方向性にあり、また、更なる統合の必要性が語られ、現行の銀行は保険商品や投資信託を販売して、その販売手数料で収益を上げているという苦しい事情が解説されている。このブログのコメント欄で、さらりと話題になった話と一緒なんですね。AIに仕事を奪われるなんて未来のことでしょって思いたいものの、なんだか、想像よりも速く、それが到来しそうなんですよね。

更にはブロックチェーンの問題がある。通貨や貨幣論も、当ブログの得意技でしたが、現在進行形だと、このブロックチェーンがフィンテックと結び付く可能性がホントに出て来てしまい、そうなると技術的に可能だという事に成り得る。中央銀行による価値の保証を必要とせずに、インターネット空間上の相互監視によって、その通貨の価値を保てるという技術は、確かに一気に世界を変えてしまう可能性がありそうなんですよね…。何しろ、中央銀行が必要なくなるという技術の可能性があるのだから。

一国で政権交代が起こるという変革の話ではなくて、世界秩序そのものが変革を迫られてしまっているような気がするんですね。衆院選後に、オーストラリアのナンタラという教授が読売新聞に大きく取り上げられていましたが、言ってる事は私と共通点があったかな。現在、日本の世論にしても政党の方針にしても教育無償化を物凄く肯定的に語りたがっているんですが、あれ、社会保障費の増大と真正面から向き合えていない証拠だと思う。今、小学1年生の子が20歳を過ぎて、何かしらの会社に就職した場合、その初任給、給与から厚生年金と医療保険とで約3割引かれて、更に、何かモノを買う場合には1割の税金を取られる社会制度設計にしてしまっているんですよね。何の為に働いてるの? いきなり労働奴隷的な生き方しか選択肢が残っていないとも言えてしまう。それを考慮すると、現行のオピニオンや政治家さんたちが物事を理解でてきているとは、とても思えないような、変な事をしている。しかも、年金支給年齢は引き上げられる可能性があるのだから、これ、体のいい、搾取でしょ? こんな体制、持つかな?

ussyassya at 12:03|この記事のURLComments(1)雑記 

2017年11月22日

「北朝鮮への軍事攻撃は在るのか?」からの展開として

素朴な疑問として、トランプ政権は北朝鮮問題の落としどころというのを、どこら辺に置いていると考えていますゥ?

個人的な見解では実際に年末か年始に何某かの軍事行動に出る事をドナルド・トランプは7〜8割方は決定していて、また、市場動向も、それを織り込み済みとして動いているように理解していました。勿論、それまでの期間に金正恩が亡命するなどの条件で解決となるのがベターですが、おそらくは米トランプ政権は早ければ年末、遅くとも来年2月頃までには具体的に核攻撃を含まない軍事作戦を展開すると考えられているのだろう――と。また、私がそう考えたのは市場動向なども踏まえて、実はトランプ政権は巧く事を収めることが出来るのではないかという、幾らか楽観的な観測に基づいているんですね。ひょっとしたら、金正恩サイドにしてもトランプの本気度を確信し、亡命する事などの交換条件を呑んで解決するのではないか。そうなったとしても、金王朝後の北朝鮮の混乱は想像に難しくないのですが、アジア歴訪を終えて一服した先週の中頃から、また、その観測が揺らいできたという風に感じています。

というのは、やはり、ドナルド・トランプという人物にしても、非常に捉えどころがない。再び、北朝鮮をテロ支援国家に再指定をした。これも一連の強硬策、いわば「脅し」の一環であると見る見解が主流なのかも知れませんが、不可解といえば不可解にも思える。この期に及んで、わざわざ再指定をする必要性というものを感じないんですね。脅しとして効果的かというと、そうではなくて、これは「要らぬ挑発行為になっていやしないだろうか?」という風にも思えてしまうんですよね。既に最大限の猛プレッシャーをかけており、今更、テロ支援国家に指定するという決定にメリットはあるのか、むしろ、北朝鮮側に、文句を言う機会を与えてしまっているようなものではないか――と。

また、その再指定に対して、昨日、安倍総理が「支持する」という具合に打ち出しました。これは、小泉内閣以降、ずーっと続いてしまっている「アメリカの決定を支持します!」という衛星国ニッポンの卑屈な態度として、決定的に認識されつつあると思う。日本の総理大臣は絶対にアメリカの決定に対して、如何に早いタイミングで「賛成です!」と声を上げるかという、衛星国根性を露わにしてしまっていると云えやしないか? 仮に実質的には衛星国であったとしてもですよ、余りに露骨な御機嫌取りをしてしまえば、ニッポンの地位は軽んじられてしまうと思う。

つまり、

「ヤマダ課長はいっつも部長のヨイショばっかりだなっ!」

という、感慨ですね。

おそらく、これは万国共通で、自分の意見を有さずに、いつもいつも親分が発言したら、その親分の発言に、如何に早いタイミングで「賛成です!」と声を上げる腰巾着的な人物というのは、その構成員グループの中で、幾らか格下に見られる事と関係している。おそらくは、あなたや私だって、そういう輩を目撃したら、そういう感慨を抱くものでしょう? 「自分の意見らしい意見のない者」が会議といった席で自分と席を並べていたら、その者の意見は軽視するだろうし、その者の価値自体も軽視することになってゆくと思う。仮にも保守を名乗るであれば、全身全霊でポチをやられては困るのであって、少しは自らの意見のある大夫を演じられないものなのだろうかって思う。それが出来なくなっているという事だとしたら、相対的にニッポンという国の国際社会上に占めるポジションがランクダウンしているという事ではないのか?


さて、兵器の運用を担当する米戦略軍のジョン・ハイテン司令官は去る18日、

「核攻撃を指示する牋稻,別仁甅瓩鯊臈領から受けた場合は従わずに、代替策を模索することになるだろう」

と語ったという。

ん? これはナンダ? トランプはホンキで核攻撃を視野に入れていると思われるからこそ、こういう問題が起こるという事ですよね? 核攻撃といっても広島・長崎の時代よりも技術は進化しているとの事ですが、仮に限定的な攻撃力としての戦略核兵器が使用されたとして、それに対して、どう考えますゥ?

(中国・習近平政権が米国と北朝鮮との交渉の緩衝材となるべく、会談に臨んだが、会談は行なわれなかった模様だというニュースが昨日でしたっけ。実は、楽観的なシナリオが後退しており、徐々に軍事的作戦に踏み切る可能性が高まってきているのが、近2週間の動向だと思うんですね。)

更に、それに先駆けて、米上院外交委員会は11月14日、「核兵器を使用する大統領権限」について公聴会を開催した。上下院を通じ、外交委員会が大統領権限を議論するのは1976年以来であったという。

これは朝鮮戦争やベトナム戦争といった時代の、「核兵器だって限定的な被害しか出さない実用可能な核兵器なのであれば、使用も許されるべきである」がアメリカで懸念され始めているという事の証左のようにも思えるんですね。

核兵器の問題というのは、人類史規模で考えねばならない倫理の問題であろうと思う。ヒロシマとナガサキの悲劇を経ても、猶、この21世紀にも「核兵器の使用は認められる」という先例をつくり、それが国際世論となり、一定の倫理基準を持ってしまった場合、人類の未来は暗澹たる未来になる事を強烈に印象づけてしまうと思う。

また、そういった際にも、日本国の総理大臣が

「この度、行使された米軍の戦略核兵器の使用についてですが、日本政府はアメリカの決定を支持します」

と発言し、国際社会の中でアメリカ親分の体制護持の為に、ゴマすり課長役を演じるのは、ちょっと耐えがたい未来図であるよなって思う。まぁ、核攻撃抜きの軍事作戦なら、構いませんが、核使用があった場合にも、そう発言することになるのかと思うと、さすがにゾッとしますかねぇ。

因みに、衆院選頃に日経平均は16連騰を達成していたが、その後、調整を繰り返していました。調整というのは株価がやや下がった事を意味しています。が、この間、少し気になる動きも観察できてしまっており、JPモルガンが9営業日連続で猛烈な日本売り(日経先物)を展開していた事が確認できる。また、モルガンに次いで日本売りを展開していたのはゴールドマン・サックスである。正直、結構な額で日本売りをされている。それを拾っていたのはBNPパリバとドイツ証券である。これは、なんていうのかな、つまり、米国系金融機関は日経先物を凄い勢いで売っていて、それに対して、欧州系の金融機関が拾っていたという図なんですね。まぁ、その先は、各自で考えましょう。

2017年11月21日

角界は改善されているか?

日馬富士による貴ノ岩への暴行問題は、様々な憶測が飛び交い、これまた事実関係そのものが分からないという状況になりつつあるように見える。奇妙なもので先週末に古紙回収があって、あと一時間もせずに古紙回収車が来るという段階になって、棄てるつもりで束ねていた古雑誌をパラパラとめくっていたら、ブチ当たってしまったのが、平成23年だから西暦だと2011年になるのかな、週刊文春2月17日号『角界汚染「取材メモ」20年全公開』という記事と、週刊新潮2月24日号『「白鵬」が灰色に染まる疑惑の右四つ六番勝負』という記事を見つけてしまいました。

DSCN1011


当時、どういう状況であったのかというと、ジャーナリストの武田鮴氏が2007年、週刊現代誌上で大相撲界に蔓延る八百長を告発するキャンペーンを展開して、大きな騒動になったのでした。相撲協会はというと週刊現代の出版社である講談社と、ジャーナリストの武田氏に対して、約6億1千600万円の損害賠償訴訟を起こし、裁判には当時、現役横綱であった朝青龍や北の湖理事長までもが証言台に立ち、三年以上の歳月を費やして争った挙げ句、2010年10月、最高裁では講談社と武田氏を敗訴とする判決を下したという経緯があった。

そして、今回、発見したのは2011年の週刊文春と週刊新潮なのですが、つまり、武田氏が敗訴してからおよそ3ヶ月後となる2011年2月6日、十両力士らの電子メール記録から八百長行為が発覚。その為に文春・新潮も一斉に角界にまつわる八百長問題や賭博問題を掲載していたというのが、ここまでの流れという事になる。

この2011年の時点での呼称になりますが、元春日錦、恵那司、千代白鵬らは八百長行為を認めた為に、ハテ、講談社&武田氏が敗訴となった最高裁判決は一体、何だったのかという問題が噴出したのでした。この2011年の騒動は、「八百長疑惑問題」ではなく「八百長問題」になってしまい、日本大相撲協会も事態を重くみて、春場所の開催を中止した。実は、この2011年2月の騒動が非常に大きな出来事であったのが分かる。

で、武田鮴氏と文春取材班が20年間取材してきた取材メモを一気に公開したのが、週刊文春2011年2月17日号であったワケです。


◆武田鮴氏の警句

武田氏は40年以上も相撲の取材をしていたベテラン記者から、次のような言葉を聞いた事があるという。

(現役時代は魁傑として活躍した放駒親方、その放駒親方が当時の理事長であったという前提で、引用です。)

「理事長は現役時代、同じ部屋の先輩が真っ黒だったから、絶対に八百長はしないと決意し、弟子の大乃国にもそう教えた。その大乃国が、優勝記録を伸ばした千代の富士がバンザイをしながら大きな杯を掲げている千秋楽の場面をテレビで観て、目の前で『あんな記録なんて意味ない』と悔し泣きしたんだよ。同じ横綱として悔しかったんだろうね」

この武田氏の話からすると、つまり、千代の富士(当時は九重親方)の相撲には八百長があったと思われるが、一方で、現役時代の魁傑や、その弟子の大乃国は、ガチンコ力士であったという事に言及している。しかし、理事長になった元魁傑の放駒理事長はというと、自分がガチンコ力士であり、子弟の大乃国にもガチンコを叩き込んだ人物であったが、理事長職になると、組織を防衛する必然性が生じるので、「千代の富士の八百長疑惑などは一切調査しない」と断言したという。

ああ、大乃国も現在は芝田山親方となってますね。

八百長の事を隠語で狠躰有瓩噺討鵑世蠅靴討い燭箸いΑまた、狠翹澂瓩箸いΔ里仲介者の呼称であり、いわば互助会の幹事役であるという。

恵那司の電子メールには事細かく、その取り組みのシナリオが指示されていた。

〈相手に叩きはなしで、突っ張るだけ突っ張らして胸で受け止めて最終的には右をさして寄り切りかすくい投げを辺りがベストだと思いますよ〜〉

てな、具合。

さて、電子メールによって明らかになった、星の売り買いシステムは、十両では一番あたり20〜30万円で、幕内になると一番あたり60万円ぐらいが相場であったという。優勝がかかった一番ともなると、最盛期には一千万円、2011年頃では三百万円程度であったと武田氏は指摘している。

「星の売買」は単純に金銭のみで行われているのではなく、貸し借りの世界であるという。故に、それは互助会的な性格を持っているとシビアに指摘しているのだ。つまり、借りた星は後で返せばいい、そういうシステムであるという。その為、AがBに貸した星をCに更に回すという事も行われており、CはAに星を返せばいいという風に行われるという。

更に武田氏の告発は続けられている。この部分、引用します。

力士間で行なわれる星のやり取りも問題だが、さらに悪質なケースは相撲賭博が絡んでいる場合だ。その背後には暴力団の存在がある。

もちろん力士と暴力団との交際は昔からあった。たとえば、山口組系一和会の佐々木道雄組長と横綱千代の富士との関係は、佐々木氏の著書のなかで細かく明かされている。

その暴力団の資金源となっているのが賭博である。元琴光喜の解雇につながった野球賭博事件の摘発は、警察庁の山口組弘道会の潰滅作戦の一環だった。角界からの賭博資金が直接的に弘道会に流入した形跡にまで辿りつくことはできなかったが、八百長メールとは無関係だったものの、相撲賭博をうかがわせるものが見つかっている。


これは何の話かというと、当時、野球賭博に関与していた相撲関係者は実に29名もいたという騒動があった。同年1月、阿武松部屋の元力士のYが警視庁に賭博容疑で逮捕されていたが、Yの実は相撲賭博も開帳していたとされ、相撲賭博の胴元は実際に角界に実在する中盆に情報を求めていたと疑うことができてしまうのだという。武田氏は、このYのパートナーであった中盆は恵那司と、もう一人、重要な人物がおり、それは白鵬の元付き人のYであるとしている。(たまたま、イニシャル「Y」で重複しますが…。)


◆ガチンコ力士たちも実在する

また、週刊文春は独自調査と称して、幕内にいるガチンコ力士を18名ほど挙げている。稀勢の里、若の里、高見盛、栃煌山、豊ノ島、安美錦、嘉風、豊真将、豪栄道、豪風、土佐豊、北太樹、雅山、琴春日、若荒雄、木村山、栃乃洋。(当時の記事だと「大関以上の名前がない」と記されていましたが、稀勢の里、或る意味では、価値のある横綱かも。しかし、ガチ相撲だと故障が多い。本日から休場ですな。)


◆白鵬にも灰色疑惑があった?

ここからは週刊新潮の特集記事になりますが、やはり、2011年の段階で、白鵬に「右四つ六番勝負疑惑」なる八百長疑惑騒動があったという。これは、文春記事と比べると相撲ジャーナリストらマニアックなレベルの人たちの間で囁かれた犁刃猫疂麁擦砲覆蠅泙垢、平成の大横綱・白鵬は「右四つからの上手投げ」を得意にしているという前提があるが、当時、6場所連続で優勝を決定させた一番は、全て牘四つ瓩任△辰燭發里任△觧から、八百長疑惑に発生したものだという。

実は、文春とも一部一致するのですが、当時から稀勢の里についてはガチンコ力士であると思われてた。そして、稀勢の里は白鵬から二場所連続で勝利していたが、勿論、稀勢の里は右四つで組んでいない。真剣勝負なのであれば、白鵬に右四つを取らせないようにするのが相撲であるが、この2010年、6場所連続優勝を果たした白鵬の優勝を決める一番は、何故か、右四つからの相撲で勝利していることを追及したもの。

その6番とは、

2010年3月場所15日目の対日馬富士戦

2010年5月場所13日目の対琴光喜戦

2010年7月場所14日目の対日馬富士戦

2010年9月場所14日目の対琴欧洲戦

2010年10月場所15日目の対琴欧洲戦

2011年1月場所14日目の対把瑠都戦

となる。いずれも、白鵬が得意とする右四つの体勢から勝利し、優勝を決めていたと分析されている。

‖估馬富士戦は日馬富士の右を差して有利に相撲を進めていたが途中で白鵬に右から体を起こされて右相四つがっぷりへ。最後は白鵬が腰に乗せるような上手投げ。これは、そんなに怪しくないのかな。

対琴光喜戦では、琴光喜が白鵬に頭をつけ、やや右半身の体勢。琴光喜に有利な体勢に見えるが、何故か勝負に出ようとせず、白鵬に左上手を与えて、そのまま、小手投げ。やや怪しい。

B估馬富士。立ち合いから右四つ。白鵬に左上手を取られた日馬富士は動かず、また、白鵬を崩そうともせず、まるで白鵬の掬い投げを待っていたかのような不自然に見える一番であったという。怪しい。

ぢ亢弉そЮ錙6弉そГ藁ち合いから左脇を開けており、まるで白鵬に右四つに組んで下さいと言わんがばかりのマズい相撲。あっさりと右四つを許し、そのまま白鵬が琴欧洲を押し込む。土俵際で琴欧洲が踏みとどまるシーンがあるが、不自然で白鵬が敢えて力を抜いて見せ場を演出したように見えたという。怪しい。

ヂ亢弉そЮ錙この疑惑の6番の中でも最も酷い相撲と酷評されている一番で、軍配が上がっても琴欧洲の両足は半歩も前に動く事はなく、しかも腰高のまま。白鵬にしがみつくかのように上体から前に出て、あっさりと白鵬に左上手を取らせている。琴欧洲に闘志が微塵も見られなかったという。決まりては上手投げ。非常に怪しい一番と評されている。

(因みに、この2010年11月場所は、ガチンコ力士と文春でも認定されていた豊ノ島と、白鵬とが優勝争いをしており、この琴欧洲戦は次の豊ノ島との優勝決定戦を控えて、体力を温存させる為に特に酷い相撲になったのではないかという見解まで付されている。)

β佛栂榲埓錙1α蟷佑弔覗箸鷙腓辰凸50秒ほどで、白鵬が万全の右四つ左上手の体勢となり、豪快に掬い投げを決める。把瑠都の見せ場があってもよさそうな右相四つであったが思い外、あっさりと勝負がついたという印象。やや怪しいぐらいか。

また、ここで名前の挙がっている琴光喜は、野球賭博で引退に追い込まれている。


さて、テレビ報道では、何となく貴乃花親方の変人ぶりのみが強調されて報道されているようにみえなくもない。しかし、先日も少し触れたのですが貴乃花親方というのは、相撲ジャーナリストらに拠れば、伝説的なガチンコ相撲で大横綱にまで登り詰めた人物であり、真剣勝負に対してのこだわりが強そうな人物、それも偏屈なまでに、そういうタイプであるようにも見えるんですよね。

「貴乃花の乱」であるとか、「相撲界に於けるポスト争い」であるという具合の見解は語られているものの、気のせいか、妙にモンゴル人力士ら側に同情が向かうような報道になっているようにも見えてしまうんですよねぇ。元旭鷲山あたりも先週はテレビ局から引っ張りだこでしたが、確か不動産トラブルを起こしていた記憶があるし、よぉぉぉく、物事を眺めてみると、単純な主導権争いではなく、「ガチンコ相撲か馴れ合い相撲か」という問題と、それを喚起してしまう外国人力士差別問題やら、武田鮴氏が言っていた「年間6場所の興行はムリ。星の売買が角界に蔓延している」という指摘が真実味を帯びてしまっていたようにも思えますかねぇ。

今は改善されたんだろか?

また、何故、ガチンコ力士たちは、ひたすらにガチンコ力士なのかというと、やはり、親方の影響が強いことが分かる。貴乃花の相撲道哲学が貴ノ岩の影響を与えていたとしたら、やはり、同じモンゴル出身力士というコミュニティの中で貴ノ岩はガチ志向なのだから、自ずと猊發い紳減澂瓩砲覆辰討靴泙辰討い燭箸いιに眺めると、自然なんですけどねぇ。

拙ブログ:「日馬富士殴打騒動の考察」

2017年11月20日

松田聖子「涙の別離会見」の裏側

昭和61年1月23日に、当時、人気絶頂であった松田聖子さんが記者会見を開き、

「今度、生まれ変わったら、、、絶対に一緒になろうねって約束しました・・・・」

という、郷ひろみさんとの別離会見ってのがありましたよね。大物アイドル同士の大恋愛物語は、あの涙の会見によって強烈に印象づけられたのでした――。

が、あの「涙の別離会見」について、郷ひろみ、松田聖子、そして山口百恵と、ずっと間近で見ていたという酒井政利さんの見解が、週刊文春ムック〜シリーズ昭和2「今明かスクープの秘密40」の中で語られていて、今更ながらに、「おっ? そういう事だったのか!」という小さな驚きがありました。

まぁ、当時にも色々と囁かれた話題ではありますが。以下、酒井氏の見解に沿って――。

先ず、最初に、郷ひろみさんの方は何も知らなかったという。何が何だか分からない状態。ビックリしながら、松田聖子の「涙の別離会見」をテレビで視聴していたという。勿論、名セリフ「今度、生まれ変わったら、ゼッタイ、一緒になろうね」という約束もしていないし、そもそも別れたという自覚さえ郷ひろみさんにはなかったのではないかという。

やはり、あの会見は、松田聖子さんが強い意志でもって、郷ひろみさんを吹っ切った、ゲリラ会見であったというのが実相だという事になる。

酒井さんに拠れば、やはり、原武家側の反対があった為であると語っている。酒井さん自身、実は、郷ひろみ、松田聖子、そして原武家の両親と、郷ひろみの別荘で一緒に過ごしていた時期があるのだという。郷ひろみと松田聖子との交際も深まり、郷ひろみとしては両親に松田聖子を紹介しておくという意図があり、松田聖子にしても甲斐甲斐しく料理をしていたという。

その別荘での紹介は、二泊を予定していたが、郷ひろみが仕事の都合で一泊しか出来なかった。そうなったときに松田聖子が感情的になって号泣したというんですね。その一連が、原武家の両親からすると「聖子は感情の起伏が激しく、嫁としては向いていないのではないか?」という疑念を招いたという。その感情が後に「原武家の嫁としては彼女は釣り合わないのではないか?」という、まぁ、ありがちな偏見に陥っていった、と。

更に、松田聖子さんは積極的にモーションをかけていて、また、それに対して本心では郷ひろみさんも受け入れていたという、正真正銘の大物アイドル同士の大恋愛であったという。しかし、酒井さんによれば、郷さんはミドルティーンの頃から「女性は自分の方を向いていて当たり前」という環境で育った人なので、積極的なモーションをかける松田聖子さんに対しても、どこかクールに対応していたという。

一例を挙げている。

映画「プルメリアの伝説」では神田正輝さんと共演しており、ロケは海外ロケであった。ロケ先から聖子さんは電話を掛けて来て

「神田さんが猛アタックしてきて困ってるの…」

という具合にモーションをかける。郷さんの中の、嫉妬心を煽りたいんですね。しかし、郷さんは、そこら辺はクールであり、

「そう、良かったね」

という具合に応じてしまった。聖子さんは聖子さんなりに必死に振り向かせようとしていたが、郷さんの方は、クールなので、それが伝わらない。郷さんからすると、「いつもの甘え」に見えてしまっていたのではないか、という。

結果、松田聖子さんは冷たい態度に心を決めて、あの会見に及んだのだ――と。





ussyassya at 12:10|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)雑記 

2017年11月19日

「内閣官房機密費」の闇

元読売巨人軍のゼネラルマネージャーであった清武氏の著書、清武英利著『石つぶて』(講談社)を読了。この作品は既にWOWWOWで佐藤浩市&江口洋介という豪華キャストでテレビドラマ化となり、絶賛放送中の事ですが、これ、題材が凄いなぁ…。内閣官房機密費とか外務機密費という現代日本のブラックボックスに迫った警視庁捜査二課、これは知能犯の取り締まる部署だそうですが、その中でも汚職を専門に扱っているという「涜職」(とくしょく)と呼ばれる刑事たちの話でした。しかも、これ、ノンフィクションなんですね。

涜職刑事らは当初は収賄事件の捜査をしていた。その中で一人の外務省官僚の不自然な銀行預金口座に出会った。官製の収賄事件であろうと調べてみると、動いている金額が億単位であった。一方、国税庁も同じ外務官僚を調べていたが、国税庁の方は何故か、その案件から手を引いているようであると分かる。一人の外務官僚が動かしていた巨額のカネは、何故か大井競馬や川崎競馬などで走る競走馬12頭分に化けていたり、高級マンションに化けていたり、干支にして一回り以上も年下のより取り見取りの愛人たちへのプレゼントへと化けていた。

何故、国税局は手を引いたのか?

刑事たちは疑問に思うが、彼等にはプライドがあった。涜職(とくしょく)――、即ち、政府内の汚職を暴くことこそが彼等の使命であり、敵が大きければ大きい程、武者震いをしてしまう連中なのだ。勿論、刑事らは民間業者から外務官僚にタクシー券などの金券が流れていると当初は考えていたが、スケールが違い過ぎる事に気付く。しかし、捜査は辞める気はない。内偵を続けてゆくと、それまでには語られる事の無かった、機密費(報償費)の問題に突き当たってしまうのだ。

外務省及び内閣官房には、領収書を要らないカネがあるという事実は現在では知られるようになりましたが、それが表沙汰となり、注目を集めたキッカケは、この際に露見した機密費横領事件が発端だったのだ。

リンク先⇒ウィキペディア【報償費】

1989年頃に官邸は内部文書として「報償費について」を作成していたとする。それは大日本帝国憲法時代の犁〔費瓩冒蠹するものが現行の【報償費】である事を明記してあるという。そして、報償費には外務省分と内閣分とがあるが、外務省分は内閣官房に上納され、外務省から請求があった場合には領収書なしで使用できる、いわゆる裏金を指している。

毎日新聞の取材に複数の外務省関係者や財務省関係者が証言した事があるそうで、それによると、1960年代初頭の、日韓条約交渉の為、総理官邸が多額の工作資金を必要とし、そこから複雑な上納制度が定着したという。何故、わざわざ外務省側から内閣官房に上納する仕組みになっているのかというと、内閣官房がカネを使い過ぎてしまった場合に外務省分のカネを使えるようにする為であったという。

この報償費は、国会対策にも使用されるし、外遊議員に対しての餞別としても使用されるし、マスコミ対策、つまり、記者に対しての懐柔策にも使用されるという。

野中広務がテレビ番組中で説明したところに拠ると、

「(機密費の使用先は)国会対策が多かったですね。一つはやっぱり総理の部屋に毎月1000万円ほど渡す。それから衆議院の国対委員長と参議院の幹事長室に500万円ずつ。自民党の歴代総理にも、盆暮れに100万ずつ(年間二百万ずつ)送っていました。まあ、顧問料みたいなもんでね。あとは政治評論家に盆暮れにあいさつ程度のことだけど届けていた。(議員への)外遊での餞別も慣例になっていた。50万か100万ほど。機密費の固定費は月5000万。それとは別に出す分があり、大きいときには月に7000万出したこともある」

清武に拠れば、終戦後、GHQは「機密費は非民主的であり、民主主義を破壊する第一歩」と廃止を求めたが、官邸と外務省が状況に応じて使用できる資金は欠かせないので【報償費】という名目にして、ずっと温存してきたものであるという。また、民主党政権時には公約段階では「オープンにしてゆく」と意気込んでいたが、民主党政権は掌を返し、「オープンにしてゆくことは考えていない」とした。

仮に、政府高官や民間人が他国で人質となって、その人質救出の為に使用するという類いのオモテで計上げきない機密費なのであれば、それは何某かのカタチで存続してもいいのでしょう。しかし、実際には固定費として昇華されており、しかも、その一部はマスコミにカネが流れてたというのではねぇ。

で、このノンフィクションでも、機密費を実際に外務官僚が横領していた事件なのですが、財務省の省益と外務省との省益とがぶつかるので、財務省管轄の国税も手を引いていた。うっかり、それに手をつけるワケにはいかないという事情が関係していたと推測できる。また、著者に拠れば、一外務官僚による横領事件として決着となったものの、ひょっとしたら外務省関係者に広く波及させることも出来た案件であった可能性を滲ませている。

また、汚職の摘発、賄賂について言えば、2002年の検挙件数は36件あったというのですが、

2014年⇒0件

2015年⇒3件

2016年⇒1件

になっているという。著者は週刊新潮誌上で、官僚がらみの摘発件数が激減している――と指摘している。勿論、日本から汚職が減少したので検挙件数も比例して減ったというのであれば問題ないのですが実際には、こういう部分一つにしても、支配体制が地盤を固めてしまっているようにも疑えてしまう。

最早、誰も巨悪と戦おうとしなくなってきてしまっている?!



2017年11月18日

オトナの聴く音楽

オワコンと呼ばれて久しい音楽CDをコツコツと買っているんですが、やはり、意外と見落とされているのは、オトナ向けだよなって思う。総じて流行というものは若者のものなのでしょうけど、中高年になると流行の良さなんてものを、ちっとも感じなくなる。と言いながら、今年購入した一枚のCDアルバムがありまして、正体は若手女優さんであるという上白石萌音の「chouchou」は高評価としました。アニメ映画の曲「なんでもないや」は見事でしたが、ミニアルバムだと「Woman〜Wの悲劇より」も収録されていて、中高年にも衝撃を走らせるだけのインパクトがありました。



なので、全曲オリジナルとなるCDアルバム「and...」も入手して聴いてみたのですが、何かバリエーションに物足りなさを感じてしまった。この女優さんの演じるように歌うというのは、オリジナルにこだわることなく、アルバムの半分ぐらいは名曲カヴァーで聴かせるというのでいいじゃないのというのが率直な感想でした。


もう一枚、甲斐バンドの2枚組CDアルバム「かりそめのスウィング」を購入。甲斐バンドが「かりそめのスウィング」、「ちんぴら」が新録音の扱いとの事でしたが、こちらは、余り弄りませんでしたかね…。弄って欲しくなかったのでヨカッタといえばヨカッタのですが…。また、野際陽子さんが歌っていたテレビドラマ「キイハンター」の主題歌である「非情のライセンス」をカヴァーしていました。それと「グッドナイト・ドール」か。しかし、基本的には過去にも発売されていたベスト盤とあんまり差異を感じない…。弄って欲しくない曲を弄らないあたりが、甲斐バンドの良心的なところかも知れませんけど、何か物足りないという気もしてしまったのが率直な感想でしょか。




で、オトナの聴く音楽という風に発想していって、「俺たちのブルース」を購入。これは確かにオトナの音楽、オトコの音楽ですかね。「ジャパニーズ・ブルースロックの歴史をこの一枚に」と銘打った企画ものCDアルバム。しかし、驚いてしまったのは、Charの「闘牛士」についてでした。ゴールベンベストというシリーズの方で「闘牛士」を聴いていたのですが、一度、耳にしただけで音の印象の違いに気づいてしまいました。明らかに「俺たちのブルース」に収録されている方の音源の方が味がある。制作サイドの人たちってのは、こういう部分に拘っているんだと痛感させられました。



2017年11月17日

日馬富士殴打騒動の考察

週刊文春11月23日号が報じた『日馬富士「殴打事件」白鵬、鶴竜も現場にいた!』という記事に目を通していて、この事件も大筋としては二通りの見立てが可能になっているポスト・トゥルースの問題だよなぁ…なんて事に気付く。実際のところ、当事者が騒動そのものを語っていないので、事実関係が何ら明らかにならないまま、報道が先行しているという真実を推し測るにはハードルの高い問題になっているな、と。

大別すると、2つの流れがあって、1つ目は、貴ノ岩が生意気な発言&スマホを弄るなどの態度を採った為に日馬富士が激昂し、殴打に及んだというもの。大方はこちらで、喧嘩両成敗的な見解も含まれていると思う。

先ず、貴ノ岩が居並ぶ横綱たちを目の前にして、「これからはオレ達の時代です」という主旨の発言をし、それが日馬富士を含めて、白鵬、鶴竜といった三横綱に対しての不敬発言であると認識する。それに加えて日馬富士の表の顔は非常に人格者であるが、酒癖が悪い事は一部では知られていた話であり、追い打ちをかけるように説教をしている間にもスマホを弄り出した貴ノ岩の態度に対して激昂、ビール瓶を手にして殴打、更に馬乗りになって20〜30発素手で殴りつけたという。日馬富士の乱暴は行き過ぎであったが、このシナリオであるのなら、日馬富士による暴力行使については、その場に於ける正義感の発露(その空間では生意気な貴ノ岩に対して誰かが制裁を科す必要性があった)として事実を承認する筋書きですね。で、この場合は「罪は罪であるが情状酌量の余地があり、つまりは、行き過ぎた行為であった」という風に語られる事になるのだと思う。

で、2つ目。こちらのシナリオが週刊文春から読み取れたニュアンスとなりますが――、先ず、貴乃花親方と貴ノ岩との関係性、バックボーンからの考察となります。

貴乃花部屋にはモンゴル人力士は実は貴ノ岩ただ一人だけである。元々、日本人力士の育成に注力していたのが貴乃花部屋の方針であった。にもかかわらず、貴ノ岩は貴乃花部屋所属になった事には、ちょっとした裏があるようで、貴乃花親方自身が貴ノ岩の素材を高く評価したからこそなのだという。貴乃花親方はガチンコ(真剣勝負)相撲で強い力士を育てたいという自負があり、その御眼鏡に適ったのが、貴ノ岩という逸材であった。また、この貴ノ岩は郷里であるモンゴルの両親を既に亡くしており、文字通り、貴乃花親方が親代わりとなって大切に育てている力士である。

貴乃花親方は貴ノ岩に対して、同じモンゴル出身だからといってモンゴル人力士らとつるむ事を禁じていたという。この「禁じていた」というのは厳格に禁じていたのか、遠回しにそう喚起していた程度なのかは分かりませんが、或る種、貴乃花親方&貴ノ岩という子弟に於いては、ガチンコ相撲で強くなる事を至上命題に掲げているので、それが半ばイデオロギー化していたというニュアンスです。何故、そうなるのかというと、貴乃花親方から見れば、モンゴル人力士たちの相撲には狷襪豺腓き瓩魎兇犬討い襪ら。弟子である貴ノ岩には狷襪豺腓き瓩料衙个鮗茲襪茲Δ蔑六里砲楼蕕辰突澆靴ないという思いがあった。また、これは貴ノ岩にしても尊敬する貴乃花はガチンコ相撲で強かった大横綱であり、その貴乃花イズムを踏襲していたと考えられる。

ここまでのバックボーンを踏まえて、騒動を眺めてみると、何かと辻褄が合うようになる事に気づかされる。

モンゴル人力士たちは仲が良いので、モンゴル人力士同志で交流を持っている。しかし、普段、貴ノ岩はというと貴乃花部屋所属で貴乃花イズムの注入されているので、そうした交流はないという。今回、騒動が発生した10月26日の鳥取で行なわれていた会合は、相撲界に多くの逸材を輩出した鳥取城北高校相撲部の関係者らが開催に関与していた会合であり、その関係で、日頃はモンゴル人力士との交流を持たない貴ノ岩も参加していたという事情が浮かんでくる。貴ノ岩は鳥取城北高校相撲部出身であり、流石に不参加するワケにはいかない会合、飲み会だったのだ。

貴ノ岩の言葉の端々には、師匠である貴乃花親方譲りの貴乃花イズムが出てしまったという可能性がある。それは「ガチンコ相撲として精進する」という相撲道哲学が貴乃花イズムであるのに対して、モンゴル人力士たちの相撲は「馴れ合いじゃないか」という考え方があり、それが、白鵬、日馬富士、鶴竜といった三横綱を前にしての不敬な言動として表出したという風に解釈すると、整合性が取れる。つまり、「これからはオレ達の時代です」という挑発的とも傲慢とも取れる発言にしても、その後にスマホを弄ったという態度にしても、貴ノ岩の中には居並ぶ横綱たちに対しての、屈折した優越感が酒の席で表出し、また、日馬富士にして、そうした貴ノ岩の態度に対して「許せない!」と激昂した――と。

また、この騒動では、貴乃花親方の動向が一つの鍵を握っているワケですが、確かに貴乃花親方一人が相撲協会全体を相手にドン・キホーテ的な構造改革を訴えて、戦ってみせている構図を当て嵌められない事も無いんですよねぇ。

で、これ、数年前に八百長報道騒動というのが週刊現代を舞台にして繰り広げられた事がありましたよね。色々な人が色々な事を、その際にも発言していた。しかし、一つ、見えてしまった事実というのもあって、当時の告発したジャーナリストは、カド番などの正念場ではない本場所に於いて、勝ち星を融通している力士が居る事を指摘していたんですよね。ジャーナリストは消えましたが【中盆】(なかぼん)などという伝統的な仲介者を意味する用語も使用しての告発であり、事実関係を厳正に語ってしまうと確かに当時は「無気力相撲」と呼ばれる、馴れ合いに端を発したものが問題視されていたのだ。定義としての八百長に値するかどうかという風にハードルを上げてゆけば、ハードルには引っ掛からず、それは事実関係を説明する場合には、

「決して八百長相撲をしていたとは認められない」

という風に編み込まれてゆくので、それは物事を安全に着地させる為の方便でしょう。実は、あの八百長相撲騒動の際にも、「モンゴル人力士らは勝ち星を融通している」という指摘があったのだ。更に、当時の相撲ジャーナリスト氏の言葉を記憶に頼って思い起こすと、当時、栃東という期待の星が居たんですよね。(「栃東」という四股名は歴史的には何度も使用されていますが、ここで述べている栃東は1996〜2007年まで活躍していた栃東大裕のこと。)相撲界の期待は大きかったが、栃東はガチ相撲をやってしまうが為に故障に泣かされ、脳梗塞もあって大関止まりで引退した。相撲の立ち合いでは変化が多く、ケチがついたが、実は、それこそがガチ相撲の証であったようにも考える事ができる。少なくとも当時の週刊現代では、次に述べる、その話が取り上げられていたのを記憶していますかねぇ。

ホントの事を言うと、大相撲興行の本場所は年間4場所であったものが6場所に変更されてしまい、多くの力士はガチ相撲をするとケガによって相撲人生を全うできなくなってしまうようになった。だから、力士らの一部の間では、正念場ではない取り組みの場合は、馴れ合い相撲をするようにして自己防衛するようになったのです、と。その相場はさまざまだが、基本的には一つの勝ち星を10万円や20万円で金銭的な売買をしている場合がある――と。(そのやりとりには中盆が間に入っている。)

それら内情を知っているが故に、貴乃花親方のようなガチンコ相撲を至上とする貴乃花イズムがあり、弟子の貴ノ岩に対しても、「モンゴル人力士たちと交流することは好ましくない。馴れ合い相撲になってしまうから」という風に伝播していたのではないか? 翻って相撲協会の反応であるとか、貴乃花親方の反応として、事実関係の説明が為されないのは、この「ガチンコ相撲なのか? 馴れ合いなのか?」や「そもそも年間6場所はムリなのだ!」という興行問題を突っつかれる事を避けているから、こうなっているような気もしますかねぇ。




「死灰の中から」の感想

大杉栄の書いた『死灰の中から』という文章に目を通していたんですが、先ず、この文章の分類というのが厄介で私小説的な内容なんですね。飽くまで個人的思索を綴ったという文章なのですが「小説だな」と冷やかされたような文章。まぁ、思うに私小説的な。

で、大杉栄、ホントに面白い。『羞恥と貞操』であるとか『羞恥と貞操と童貞』であるとか、大正時代に、もう語られてたんスね。大杉栄が言うところのフリイラブ、つまり、自由恋愛論になっているのだ。

で、私自身は瀬戸内寂聴さんの小説はスルーしているんです。別に色恋を描いた大長編小説を読める自信がないので。しかし、大杉の書いた『死灰の中から』なんてところから読み取れるものは、確かに人間中心主義の観点からの【戀】(漢字がみんな古い漢字なんだけど、これは【恋】)の話なんすね。

何故、『死灰の中から』なのかというと、これが大杉栄と伊藤野江とを結び付けてしまった一件なのだと分かる。足尾鉱毒事件に端を発していて、鉱毒に苦慮して政府はというと鉱毒被害が出て、且つ、反対住民らの多かった栃木県下都賀郡にあった谷中村を調整池として水没させてしまおうとした。谷中村事件(1907年)とも言うらしいのですが、谷中村には反対派の住民たちが徹底抗戦の構えを見せたが、時の政府は強制執行した。原敬内閣の時だったらしいのですが、一時的に社会主義活動家らも政府に対しての講義で盛り上がったが、谷中村が実際に調整池になってしまうと、水没させられた谷中村の事を周囲の社会主義活動家らの関心から外れて行った。

と、そこへ伊藤野江なんですね。20歳前後の小娘と思われる伊藤野江から大杉栄に一通の手紙が届いた。その手紙は流麗であり、且つ、谷中村事件に対しての怒りで満ちていた。その手紙がところどころ引用されているのですが、伊藤野江という小娘のまっすぐな怒りと、大杉に対しての配慮が伝わるような長文の手紙だったらしいんですね。

しかし、大杉は野江に返事を書けなくなる。何故なら、その手紙の主である野江に恋をしてしまうのではないかと恐れるのだ。

年齢的には大杉と野江との間には10歳程度の差があり、なによりも大杉も既婚者だし、野江も既婚者なのだ。しかも、野江の亭主は、同志とも言えるような関係のダダイスト辻潤(つじ・じゅん)なのだ。

このあいだは失礼致しました。それから絵はがきを有りがたう御座いました。

〜略〜

一昨夜悲惨な谷中村の現状や何かについて話を聞きまして、私は興奮しないではゐられませんでした。今も続いてそのことを思ひ耽ってゐます。辻は私のさうした態度をひそかに笑ってゐるらしく思われます。一昨夜はそのことで二人で可なり長く論じました。私は矢張り本当に冷静に自分ひとりのことだけをぢっとして守ってもゐられないのを感じます。

〜略〜


と、谷中村事件に対しての怒りと、また行動しないワケにはいかないのに夫の辻潤は笑って済ませようとする旨の手紙なのだ。その他にも、書評の御願いなどが綴られているのですが、どことなく手紙の端々からは伊藤野江という人物の爐劼箸箸覆雖瓩手紙に溢れているように読めるような、そういう手紙なのだ。

確かに文学的な何かのテイストが漂いはじめる。

大杉は確かに懊悩している。自分はさんざん恋愛をしてきた筈であり、もう恋をする年齢でもないだろうと自覚していたが、なんとなく、その手紙の主である野江に恋をしてしまいそうだという予感を嗅覚として嗅ぎ取り、それなりに懊悩している。互いに既婚者であり、また、辻潤にも面識があり、その辻君の奥方である野江と手紙をやり取りしたり、会うという事には消極的であるべきだと一応は考えているのが分かる。

大杉は、野江の手紙から、辻と野江とが夜遅くまで谷中村事件に対して語り合ったという事を想像している。何かを語り合ったのかというと、おそらくは谷中村の反対住民の中にHという青年のことであろうと思案している。Hは、谷中村と心中する気になっていて強制退去の官憲の脅しに屈さぬと言い張り、とうとうHが「切るなら切れ! 自分等は水の中で溺れ死んでも立ち退かない!」とやったらしく、きっと、野江と辻は、そんな話をしたのだろうと、想いを巡らせている。辻は、笑って野江をあしらっているらしいが、自分であったならば…と思案するが、返事を書かないというか、書けない。

これは何でしょうねぇ。やはり、大昔の他人事ながら、ちょっと分かる気がしました。香山リカさんがSTAP細胞騒動の際に、男性の心理として若い才気を目にしたときに全力でバックアップしてやろうという、そうした心理があるのではないかと指摘していましたが、それにも似ているし、その事も大杉は『死灰の中から』で触れている。

伊藤野江の才気を見い出していて、20歳そこそこの人だが大器の片鱗があり、将来性があるように見える。それを、また知人の堺利彦と語って、他人事のように会話を交わしている。「(この野江という女性は思想界のリーダーになるかもしれないので)辻君は、きっと、この野江という小娘に弊履のように捨てられる事になるのだろうね」と。

使い古した草履のように、きっと辻潤は捨てられることになるのだろうの意ですが、そんな会話をしながら、大杉は野江の才気、魅力を再確認させられてしまっている。

また、この人たちというのは高尚すぎる事は言わない。おそらくは、自分の欲求に対して真っすぐである事を肯定しようとするんですね。つまり、昨今の不倫騒動に託ければ、しがらみに縛られるべきではなく、自己の感情に素直である事こそが美しいという考え方の自由恋愛主義らしいのだ。当然、世間体に縛られたり、婚姻制度に縛られる事の方が彼等の中では冒涜なのだ。純粋に【恋】というものを肯定するのであれば、それは相互間の是非のみ、つまり、当事者同士が好き合っているのであれば、それが至高であり、そうあるべきだという価値観なのだ。相手に自分を支えてくれる何かを求めているのではなく、ニンゲンの本能に真っすぐなんですね。

大杉は野江に手紙を書くことになる。返事を書かぬまま、時間が経過したが、その間に野江に世話になってしまい、その上、野江から『貞操論』に対して寄稿を依頼されてしまうのだ。

「僕はまだあなたとお互いに友人とよび得る程に少なくとも外的には親しくなってゐませんぬ。尤もどれ程内的に親しいのかと云ふ事もはっきりと云へません。けれども僕の今つきあってゐる女の人の中で、最も親しく感ぜられるのは、やはりあなたなのです。そして此の事は、僕が今貞操論を論ずるに当って、殊にあなたに話しかける事が、最も僕の心を引き立たせる理由であらうと思はれます。」

等と、対応した。

大杉栄には吃音があったといい、伊藤野江については襟が垢で汚れていても平気な女であった等の評がある事からすると、美しい恋の話でもないのですが、この『死灰の中から』に拠れば、元々は、谷中村事件についてはこれこれこうでありました云々と綴られたドロドロとした、死灰のような部分について意を交わしているうちに、野江は才気は発揮し、また、大杉は野江の才気を感じ取る中で、怯えながら恋に落ちて行ったって事っぽい。


ussyassya at 00:08|この記事のURLComments(4)TrackBack(0)雑記 

2017年11月16日

イジメは世に蔓延している。

イジメというのは、根絶は不可能だし、撲滅も不可能でしょう。ですが、そのように掲げてしまった場合、諦念に到ってしまうのは、これまた「違うだろう」と思う。根絶や撲滅はムリであるという一定の諦念は必要なのですが、だからといってイジメを推奨したり、肯定したり、寛大な立場を採るという風になってしまうと、おそらくは道徳的な意味合いで社会の劣化を招いてしまうと思う。

先週号の週刊文春に掲載されていた「町山智浩の言霊USA」では、アメリカに於けるイジメ事情に触れられていて、思いの外、アメリカの闇を考えさせられてしまいました。以下、その内容に沿って少しだけ事例に触れます。

巨匠アイザック・アシモフが第二次大戦中に発表した短編小説『新入生歓迎』の原題は【The Hazing】(ザ・ヘイジング)であり、意味は学校や軍隊による新人イジメ、シゴキを意味しているという。この新人イジメを意味する【Hazing】は古代ギリシャまで遡れると言われており、確かに人類が、これを根絶したり、撲滅したりするのは相当に困難な事である事が推測できる。

さて、アメリカだと入学シーズンは9月であり、10月頃からは新歓コンパのシーズンとなり、やはり、これは日本と一緒で問題視されているのは牋豕ぐみ瓩任△襪箸いΑしかも、そうした通過儀礼としての手洗い歓迎と称する新人イジメは、最早、伝統化しているという。

近10年間でアメリカの大学でヘイジングによって死亡した学生の数は35人に及び、1961年から2017年の本年に到るまでヘイジングによって死亡した学生がなかった年は一度もないという。つまり、恒常化し、定着化しているのだ。日本人のプロ野球選手がメジャーリーグに移籍した場合などでも、ヘイジングの原型らしいものは垣間見れましたよね。新人には何か恥をかかせるなどの通過儀礼を課して、仲間として引き入れるのだ。しかし、大学生の新入生歓迎コンパのようなものは、悪ノリが過ぎて死者を出している、と。これは日本の事情とも一緒かも知れませんやね。

(ああ、そういえば、かつての南海ホークス球団には新人はグラウンドのポールの上まで登らされるという、まさしくヘイジングらしきものがあったそうで、往年のプロ野球選手が「南海にすき好んで入団する者は少ない」と言っていた文章を目にした事があるかな。この新人イジメの習俗というのは、或る意味では万国共通なのかもね。)

で、この先の話が、「うわぁ! 深刻じゃん!」という内容になります。

今年2月、ペンシルバニア州立大学のフラタニティ(キャンパス外にある友愛会の寮)で行われたヘイジングで、19歳の男子大学生が死亡したという。

どういうヘイジングであったのかというと、これまた伝統的なヘイジングとして「ガントレット」と呼ばれるヘイジングであったという。ガントレットというのは、二列に向き合って並んだ兵士が鞭を振り下ろし、その鞭の間を捕虜などに走り抜けさせていた拷問が起源であるという。その、拷問を新入生歓迎イベントにしてしまっているのだ。この寮では、アルコールをコップに4杯ほどを2分間の間に飲み干させてからガントレットを行なうつもりだったらしいが、泥酔した19歳の男子学生は階段から転落して動かなくなった。寮生たちはビンタなどをしたが反応はなく、翌々日に新入生は死亡した。死因は内臓破裂であったという。

また、2012年には、一人の学生がヘイジングにより、吐瀉物と尿を混ぜた酒を飲まされた挙げ句、タバコの火を押し付けられたとして大学にヘイジングの危険性を訴え出たことがあるという。

更に、2015年には、寮生らの前で同性愛行為を強いられ、その様子をビデオに撮影された学生一人が自殺をしたという後味の悪いものもあるという。

そして本年9月にもルイジアナ州立大学のフラタニティで18歳の男子学生がギリシャ語のアルファベットを書くように命じられ、間違う都度、ウォッカの一気飲みを課されたというヘイジングによって急性アルコール中毒で死亡するという事件が起こったという。

しかし、アメリカで、このテのヘイジングによって死亡事故が起こっても事故として処理されるのが慣例化しているのだそうな。これもまた、アメリカの文化であり、実は、この爛侫薀織縫謄瓩箸いΔ發里非常に権威のあるものとしてアメリカ社会に居座っているのだという。名門大学であればあるほど、そのフラタニティの権力は絶大であり、彼等は金持ちや有力者、エリートの息子たちであり、アメリカ社会に於ける特権階級の浸食は日本以上であると町山さんは指摘している。この部分、引用します。

アメリカの支配階級にはフラタニティ出身者のネットワークが存在する。それは日本の学閥どころの騒ぎではない。ここ100年ほどの歴代最高裁判事の85%、上院議員の76%、経済誌フォーチュンのトップ500企業の経営者の85%が、そして歴代大統領の6割がフラタニティ出身者なのだ。だから学生は名門フラタニティに入るために命を賭ける。

え? そうなの? これはさすがに文化の違うを感じますかねぇ。日本の場合は、学閥と呼ばれるそれがあって、何の映画だったか忘れてしまったけど、アメリカ映画の中の日本人ビジネスマン描写として、その牾愴境瓩皮肉っぽく描かれていたので、そういうものは日本独特の文化なのかなって考えていたんですが、アメリカの場合は、猯性瓩関係しているって事っぽい。うーん。B級コメディ映画などで、アメリカのおバカな大学生の寮が舞台設定になっているのは、何本か視聴した記憶があるけど、そういえば、あの寮、寮生の伝統文化みたいなのは日本では余り馴染みのないものですやね。それでも、実際に寮に入っていた学生らは寮の伝統行事などを持っていたけど、そんなに結束力が強いものだとは認識していなかった…。

おそらくは、そのフラタニティ出身者である事が、単純に同期同志の人的ネットワークとして機能するだけではなく、伝統的なものとして広くOBにも人的ネットワークが繋がるような社会になっているのでしょう。

どうしようもなく、世の中の仕組みというものを抉り出してしまう話ですかねぇ。「自由の国・アメリカ」と言われてきたけど、その実、階層化が進行しているのかもね。

先進国、先進国というのだけれども、随分と理想とは懸け離れた社会秩序になってしまっているよなって思う。スタンフォード監獄実験なんてのものにも過去に触れましたが、看守役と囚人役に分けると看守役は実験にもかかわらず、当たり前のように囚人役に対して拷問めいた行動を取り始めた為に実験は途中で中止されたという。ヒトの本性なんてのは、実際にはそんなものであるワケです。私やあなたが直接的にイジメに関与しなくても、この社会は、いや、俗世間というものは、こうしたイジメの構図によって成立しているところがある。


ussyassya at 11:41|この記事のURLComments(13)TrackBack(0)雑記 

2017年11月15日

どっちだっていいや的な「性と差別」

週刊新潮11月16日号に掲載されているヤン・デンマン氏の連載「東京情報」のテーマは「LGBTに優しすぎないか?」というものでした。この「東京情報」については少し注意が必要であり、何人かが集まって話し合いを持ったという体裁で書かれているのですが、ヤン・デンマン自身が覆面ライターであり、会議調で記されているものの、その実、一人の覆面ライターが書いたものであると推測されている名物コラムである事。但し、その体裁であるが故に、大胆な内容を書けるというワケですね。アメリカ人記者やフランス人記者らが話し合っているように書かれているが、実際のところは分からない――、そういう連載です。

さて、いきなりなのですが、先に朝日新聞で狎別変更 元に戻せない 思い込みで決断 後悔する人も瓩箸いΦ事が掲載されたという。日付が記入されていなかったのですが、インターネットで検索すると、どうやら10月30日前後のものでしょうか。

どういう記事であったのか「東京情報」に沿って述べると、神奈川県在住の40歳男性が自分を性同一性障害であると考え、戸籍上の性別を変更したが、適合できずに元の性別に戻したくなったが、法律上では再変更は想定されておらず、同男性は再変更を家裁に申し立てているがハードルは高い――という記事であったという。

朝日新聞がどのように記事をまとめたのかは検証せず、飽くまで「東京情報」に沿って展開させます。

実は、資料に拠れば他にも性別変更の取り消しを家裁に申し立てている人が居るといい、ホルモン投与や性別適合手術を受けたが、「生活の混乱の中で思い込み、突き進んでしまった」と悔やんでいるという。弁護士は「自己責任と切って捨てるのは酷だ。法の不備なのだから司法が救済すべきだ」という論を張っているという。そもそも特例法として戸籍上の性別変更を認めてきたものであり、2016年までに6906人が性別変更を認められたが、その中で再変更が認められたのは僅か一例だけであり、その一例は医師の誤診が関係しているものだという。

ハードルは明らかに高いワケですが、ヤン・デンマンは弁護士の論陣に対して、「再変更しづらい事が安易な性別変更に対するブレーキの役割を果たしている事を忘れてはならない」と釘を刺すような、そういう保守的な立場で論じている。

その上で、顎髭を蓄えたフランス人記者に次のように語らせている。

「生きづらさを感じている人が、自分は性同一性障害だと勘違いするケースもある。医者はそこまで見抜くことはできないから、当事者の主張通り診断してしまうことはあり得る。ただオレは今の社会はLGBTに優しすぎると思う。先日、バラエティ番組に『保毛尾田保毛男』というキャラクターが登場し、フジテレビが非難を浴び謝罪に追い込まれたが、これは過剰反応だろう」

先ず、「保毛尾田保毛男」についてですが、これは、とんねるずの番組の特番で視聴していました。レギュラーで視聴しているのではなく、その日の特番は、ビートたけし、タモリといった大御所も出演した特別番組だったんですよね。で、ビートたけしが鬼瓦権三に扮しているのに合わせて、石橋貴明が保毛尾田保毛男に扮して、夜の町、といっても、富士そば等でしたが散歩したというもの。決して、保毛尾田保毛男が面白かったワケではなく、また、笑いを取りに行っての扮装であったワケでもなかったのでしょう。ただただ、非難を浴びたのは「今のようなLBGT問題が深刻化している時代に、あの扮装は時代錯誤である!」というものであったと思う。

しかし、アレ、正直、後味が非常に悪かったよなという感慨がありました。フジテレビ側に瑕疵があるにしても、声を挙げて謝罪にまで追い込んだLGBT側の立場の人たちの行動というのは、多分に言論マフィア的に、見えてしまったという感慨が私の眺めていた率直な感想でありました。ハゲはハゲ、ブスはブス、デブはデブ、チビはチビ、低能は低能、貧乏は貧乏と嘲り笑うのが俗世間の行なっている真実な反応であるのに対して、LGBTに対しての反応だけが過剰に作用しており、且つ、その中心にあるのが、そういう主張を展開している団体だったり、個人なのはホントなのだ。

また、感情的軋轢を生みかねない箇所として犹廚すみ瓩箸いΩ豢腓あると思う。ただ、この問題の厄介な部分は、自己認識に基づいての自己申告だから、どのように説明しても納得できる筈がないという問題を内包している。思い込みではないと自覚している者が感情的になるのは必然でもある。その先が、ヤン・デンマン的な言説であり、だからといって、それに応じていたら社会は大混乱してしまうのではないかという厳しめの苦言になっている。それ故の、「LGBTに優しすぎないか?」なのでしょう。

次にヤンデン・マンは、意外な方向へ展開させている。

森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』、夏目漱石の『こころ』、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』、川端康成の『少年』、そして三島由紀夫の『仮面の告白』という日本の小説を列挙する。更には海外作品としてもトーマス・マンの『ヴェニスに死す』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』と列挙を続けている。同性愛的な要素を含んだ文学作品は、昔から沢山あったと掘り返しにゆくのだ。

更には、戦国大名は小姓、すなわち少年との交合する事は或る種のステイタスであった事、また、それが江戸時代まで続き、実際には「衆道」として広く男色が社会によって寛容されたものであることにも言及している。(ヤン・デンマン氏は男色に限らず、「日本は宗教的タブーが少ないので同性愛には寛容だった」と、同性愛全般を指して展開させている。)

で、ここで、浮かび上がってくるのは、俗世間の評であろうと思うんですね。仮に、性的マイノリティーに対しての侮蔑的差別が存在するというのであれば、それは、どこに存在しているのかというと、それは自ずと俗世間の中に存在している事になる。前半で述べた戸籍上の性別変更を認めるか否かというのは法律の不備の話ですが、それではなく、社会=俗世間の価値観に根差したものなのだ。

仮に、性別を男女の二種類に分類し、それが性交する事によって子孫を設けるという、その秩序サイクルを頑健に肯定する俗世間的な評価が、同性愛タブーのようなものを固着させている価値観なのだ。つまり、文明国であればあるほど、ヘテロ(異性愛)を肯定し、同性愛その他の性的マイノリティーを本来のサイクルから逸脱したものとして認識していると考えられる。

大杉栄に目を通していた関係で、大正時代に書かれた『羞恥と貞操』なんてのも読みましたが、まぁ、現代人よりも遥かに卓見していると感じましたかね。ちゃんと論考しているのだ。未開人たちは羞恥心を持たないのに対して、文明人は羞恥心を持っている、と。NHKが放送した「イゾラド」でも、取材に入ったカメラマンがベタベタと障られたシーンがありました。「イゾラド」というのは文明との接触をせぬまま、千年程度は生活しているのではないかアマゾンの未開の部族であり、目の前の者が自分と同じ種類の人間なのか確かめようとする行為に見えました。大杉栄も、それに触れていて、未開人の文化とは、そういうものであり、或る神父は原住民の女たちに取り囲まれ、衣服を剥がされそうになったという逸話や、「せめて腰に布を巻くようにすべきだ」と諭しても、未開人の女たちからは猛烈な反発を受けたという逸話を紹介していました。

という事からすれば、人類というのは文明によって羞恥心を獲得したのではないかと考える事が出来る。貞操観念のようなものも文明社会でこそ、重要になってくるものであるが、元々の、これは原初的なという意味で述べれば、かなり寛容なものだった事がうかがえる。

これは階層になっていて、最古層は偏見らしい偏見も持っていないが、例えば宗教観などの道理、社会秩序システムの正と悪とが分離され、「秩序とは斯くあるべきである」という俗世間の社会認識が差別意識を生み出しているという事の証拠になり得るよなって思う。その層が第二層。その第二層の上に、更に性の解放論として第三層があるのだと思いますが、これが過剰に作用している可能性が実際にあると思う。で、現行のLGBTの論陣というのは権利主義的な色合いの強いフェミニズムから生じているので、ともすると非寛容になり易い。俗世間はワイドショウに顕著ですが、不倫を不倫として糾弾している。現状としての俗世間はホントは不寛容なのだ。そして不寛容を通り越して、最早、他罰的でさえある。その俗世間がLGBTだけにのみ「寛容であるべき」と主張しても混乱の元でしょう。そうなのであれば、ありとあらゆるものに対して「寛容であるべき」と展開させないと矛盾してしまう。少なくとも現行の俗世間は他罰的で不寛容で、また、その一因には…辞めておくけど。

いやいや、ホントに竹内久美子が性の問題を生物学見地から解説しようと試みた同性愛問題の書籍などに目を通して見る事をおススメしますかねぇ。