問題発言なんですけど、どういう事なんだか、今朝、朝日新聞に目を通したとき、「ごめんなさいよ」なんて好々爺然とした言葉が随所に織り込まれた上での比喩としての発言で、実際に聴衆は意を汲み、一切の反発は無かった…と読んだ。

その割には、すごいバッシングに発展してるんすね...

失言は失言で、マズい喩えだとは思うんですが、朝日新聞の記事からすると、かなり念入りに前置きをした上での比喩だった事が判るんですが、辞任要求まで?!

「安倍おろし」を画策する心理がどこかにあって、こうした一連の報道が続いているように勘繰れる訳ですが、更に困った事には、塩崎官房長官、安倍総理までもが、「不適切であった」と認めてしまう事により、メディアは更に嵩にかかった報道をするんじゃないの?!

似た内容の発言として思い当たるのは石原都知事の「ババア発言」の際に似たようなニュアンスの発言をしている訳ですけど、開き直って裁判までやりましたよね。もっと過激な言い回しだった訳ですが「そういう意味で言ったんじゃねぇ!」という態度で押し切る形で対応したのに比べ、安倍内閣は結構、脆いかも。

非常に過激だった「ババア発言」の際に、不適切なものだが個人を特定するものではなく…云々という一定の見解があったのにまたまた再燃してる。こうした女性差別問題のたびに福島瑞穂センセらが立ち上がる訳ですが、今までに何遍、このテの紛糾を味わい、何を獲得できたのか冷静に考えてもいいんじゃないのかな。

「辻本がゴーカンされてる現場に居ても助けてやらん」といった性格のものは、個人が特定でき、明らかに嫌がらせ的な個人への攻撃である上に、表現そのものも限りなく下品。掘り下げれば恫喝のニュアンスさえ読み取れる。これも比喩的表現だけど、その引用にあたっての真剣さが足りないし、思いやりもゼロ。

「ゴーカン助けてやらん発言」と比べて、今回の柳沢発言に真剣味がうかがえるか否かは判断が判れると思う。でも引用の手法として考えた場合、【情】を除外して、【身体機能】のみを無機的に抽出したかったが故の【産む機械】という比喩だった事は明白。私にゃ、そうとしか読めないし、おそらく、本人も、聴衆もそうだったんじゃないの。なんで場外乱闘をしているんだか...


私なりに具体的に説明してみたけど、やはり、発言者の意を汲めない訳はないと思う。フツウに国語力があれば、こんなの意図的に揚げ足をとっていると見抜けるし、敢えて便乗したくて、敢えて字面のみを抽出して腹を立てているって感じ。
毎度毎度、女性差別問題で立ち上がってくれる社民・福島瑞穂党首らがホントに正義だと信じて支持するの?! いつも女性差別問題を政争に持ち込んで、一時期は存在意義のあった社民党を、狭義からなる一介の女性専用政党に成り下げてしまってるんじゃないの?!(有望な男性議員は離党しちゃったし、現状は市民運動が支えている政党になってしまったの意。これこそホントに残念な事。将来を考えても方向を転換させた方がいいと思う。)

そもそも「不適切だった」と謝罪させた上に、更に糾弾を拡大させようとしている現状そのものがサディスティックな群集心理そのものにも思えるし、女性差別の問題を政争に利用しているあたりを踏まえ、そろそろ本当に罪深いのは誰なのか、冷静に考えましょうや。

あ、いずれにしても、失言は褒められたもんじゃないのかも知れませんが、プロセスを考えるとどうなんでしょ!? 奥にあるのは慢心したマスコミらの「優等生的な安倍の態度は気にいらねぇよなぁ。靴を隠して困らせてやろうぜ!いいんだよ。オレたちこそ真の優等生なんだからよぅ」という慢心に満ちたイビツな煽動と、その煽動に乗って退屈しのぎに「いじめ劇場」を囃し立てている人たちだって気もしないでもない...。

大阪府知事の「土俵が女人禁制であるというのは女性差別! 女だけど土俵に上げさせろ!」ってのもあったけど、ホントは熟考するまでもなく、それが小学生レベルのワガママって気付く。「ボクちんが宝塚歌劇団に入団できないのは男性差別だと思いますー。権利のしんがいですー」に酷似した話だからねぇ。こういう小学生みたいなワガママを女性差別の問題だと言って自らの喧伝の為に利用してしまえば、マジメに女性差別問題に取り組んでいる人に失礼だし、迷惑だったんだと思うよ。
もう勘弁して欲しい。



安倍内閣ってまだ、何もしてない。
何かをする以前に不祥事がリークされたり、揚げ足とりのようなものに足を引っ張られているから...という具合に安倍擁護をしてきた訳ですが、ここにきて、どうも冴えない。

今回にしても総理の対応は微妙というか。あのね、群集心理ってのは謝罪すれば謝罪するほど、「やっちまえ!」、「もっと吊るし上げようぜ」っていうサディスティックな心理を増幅させる場合もあるのがホント。あの対応で良かったのか、かなり疑問。

たとえ閣僚でも容赦なく斬るという態度を示す案か、或いは石原都知事流に「そういう趣旨じゃない!」と突っ撥ねる案かのどちらかだったんじゃないのかなぁ...。前者であれば、おそらく実行力があると評された筈。後者であれば一部の女性票との確執は決定的なものになるものの、正論として戦い続けられたと思うんだけど。

今の日本社会は上辺でしか見てもらえないのは仕方のない事。スッパリと諦めた上での決断が必要だったと思う。