2008年10月01日
世襲制〜遺伝子レベルで考えれば
二世議員だらけの内閣人事、それに続いて小泉元総理の政界引退、次男への地盤を譲るという事に対して、世襲批判は噴出しましたね。タイミングは明らかに遅れましたが、少し考えてみようと思いました。
先ず最初に「世襲=社会悪である」という考え方があるように感じます。「あいつは世襲だろ?」というだけで、なんだかそれだけで罪悪であるかのような考え方ではなく、《政治家の世襲は現実問題として地盤を引き継ぐ事になり、公平性を欠く世襲であろう》という部分が問題なんですよね。
何で前提を説明するかというと、いつぞや、パロマでしたか不祥事の際に「一族経営はダメだ」とか「世襲だからダメなんだ」という論じられていました。ヘンな話ですが、これという論拠もなく「世襲はダメだ」というんですね。そうした外野からの批判はありますが、それは各企業の方針の差でしょう。世襲を辞めるも続けるも、外野が強制する事ではなく、その会社が必要に迫られれば決断するものでしょう。おそらく、決定的に「世襲は絶対悪である」とまでは断言できないのが実情ではないでしょうか。
絶対的な価値観として世襲制度を否定してしまうと、それこそ日本人は多くのものを否定しなくてはならない。象徴とされる天皇、或いは皇室は、それこそもろに世襲制なんですよね。或る意味で、日本的な文化と密接に関っていて、しかも、それが好転しているから日本が生き残ってきた可能性さえある。
日本で初めて利己的遺伝子論を解説する役目を負った竹内久美子さんは大胆な仮説を自由に展開する事で知られていますが、竹内さんの過去の著書で、国家観を論じていたものを記憶しています。
参照とせず、読んだ記憶でこれを私が説明すると、
生物は絶えず競争に晒されていて淘汰を繰り返している。これは生命誕生から連綿と繰り返されている自然界の法則である。この法則を信じれば、生き残った者をして強かった、正しかったと結論する事が出来る。人類の歴史上、最も優れた制度は最も長期間の繁栄をもたらせた制度だと述べる事も可能で、その見地からすると君主制のような制度は永年にわたり破滅する事なく存続しつづけている。
少しだけ『日本の論点』を引用して補則します。現代人、この場合は日本人ですが、我々は自分が在るから一応は民主主義という制度を至上の制度に於いているんですが、実際に幾度となく民主主義は最良のシステムなのかと疑っている。勿論、現行の民主主義システムが最善であるという答えは出ていないんですよね。
社会主義と民主主義の対立が起こり、それで勝利した民主主義が最良のシステムとする著名な学者一派もあり、実際に「人類の歴史は終わった」と豪語した著名な学者さんも居ますが、これに反論する意見は山ほどある。実際に民主主義の行く末を説いた学者までいて、その学者の語る民主主義体制の最後は「利己的な行動が経済破綻を生む」としています。このあたり、正しく現在、今日の世界情勢と合致したりするんです。
つまり、現在、考えられる最良のシステムは民主主義なんですが、歴史的見地からして生きながらえるであろう制度は民主主義とは限らない。逆に、一人の王様を置き、ロイヤルファミリーが国を治めるという牧歌的な君主制のような制度の方が実は優れているんじゃないか? という大胆な意見が竹内久美子さんが提示した国家観。奇抜といえば奇抜ですが、まるっきりデタラメではないのも事実なんですね。
さらに竹内さんは、馬に乗った王様と道で擦れ違う際、平民はひれ伏すような行動をとる事を想像しますが、この感覚は、我々にとって不愉快ではないと展開します。むしろ、「王様の為に頑張る」等、そういう発想をするものでしょう、と。これは何気ない感情面の話なんですが実は非常に大きな意味を持っている気がします。確かに我々はドラマの水戸黄門を観ていて「世襲のクセに威張ってんじゃねぇぞ! このジジイ!」とは思わないんですよね。その反面、民主主義的な選挙で選出された政治家に対しては悪態三昧だったりするでしょう?! もしかしたら、人間は誰かに従っているだけで生活や身分が保たれるのなら満足できてしまうものかも知れません。
利己的遺伝子論や自然淘汰の法則なんかと併せて考えたとき、何も全員が等しく隅々まで平等である必要さえなくて、王様に従ってさえいれば安泰であるという事なら、それはそれで、実に良く出来たシステムなのではないか、と。良く出来たシステムであるからこそ、現実に君主制は人類史上、最も永く継続してきたのではないか、と。
王位が世襲制であるのは万国共通。逆に世襲制にして後継者を決めてしまう事で、不要な争いを回避する社会でもある。細かく言うと「××君主制」のようなさまざまな形式があるんですが、竹内さんが云わんとしている事って理解できますよね。誰かを王様とし、その王位を世襲制にしてしまえば、案外、それに従って生きる事は難しくなく、非常に都合が良いという意味。これは寄生を意味するパラサイトの話と同じで、実は都合良く王様の世襲制を利用しているのは王様だけではなく、下々の民たちも理屈に適った生き方をしてきたのではないかという理屈に繋がります。ぶらさがっているだけというのは楽な上に安全だし、遺伝子レベルの戦略、つまり自分の子孫を残そうとする戦略としても存亡の危機をかけた戦いを続けるよりも、ずっと効率的であるという側面があるのも事実なんですね。
人間が無理矢理に犬を捕まえて無理矢理に飼っているのではなく、犬は自分が生きる為の最善の方法といて人間に近づき、ペットとなったのではないかというのが判り易い説明でしょうか。人間のペットとなった事で実際に犬は不自由なく暮らせる。勿論、遺伝子を残すという遺伝子レベルの生存戦略として考えれば成功しているものと考えられる。絶滅していてもおかしくない種もヒトに飼われる事で現実に存続可能になる。遺伝子レベルの戦略からすると、実は、こうして何かに寄生するパラサイト戦略は非常に有効な戦略なのだそうな。
こんな風に考えてみるとリーダーの世襲制でさえ、絶対的に「世襲制=悪システム」として語るほどのものではないのではないか、と。
話を戻します。政治の場合、これは地盤を譲る事になる。地盤を新たに開拓しなければならない新規候補との関係上、不公平じゃないかって疑問があって、この部分が問題視されているんですよね。テレビのコメンテーターが「他の選挙区から出馬すべきだ」というと、そんな風にも思えるんですが、じゃあ、支援者や地盤をスッパリと捨てるのが正しいとも断言するのは難しいんですよね。
第1点。先ず、その候補者が最も自分自身とユカリのある選挙区から立候補するのって必然的な事なんすよね。だって地元民なんだもん。沖縄生まれの沖縄人が北海道で立候補したって地域の諸問題を理解できていないのは当然でしょう? 地元で立候補が出来ないのなら、それこそ最終学歴や派手な肩書き、それと知名度のある候補の草刈場になるのが目に見えてる気がします。第2点、「世襲でも応援する」という支援者、支持者が実際に居るのに、わざわざこの人たちの意見を無視して他所の選挙区から立候補するという不自然。第1点と共通するんですが、現行の選挙制度では地域の代表として国会議員を選出しているのですが、この大前提を無視して「二世や三世は他所から出りゃいいんだ」というのは、地域の代表を選出している現実をあまりにも軽視しすぎではないでしょか。(良識の府、国会を審査する参議院の性格を徹底させるのなら選挙区を持たない国会議員はありでしょうけど、現行では誰もが選挙区の代表として政界に行ってますからね。)
英国は世襲禁止らしいんですが、米仏独その他の国は? ホントに世襲禁止という制度が優れているのなら世界的な広がりを見せてもいい筈なんじゃないでしょか。
地盤をごっそりと世襲できてしまうことに直近の問題はあるんですが、世襲議員らが自然淘汰にさらされているのもまた現実で、著しく問題のある議員や、有権者が好ましくないというジャッジをするのであれば、当然、落選するだろうし、先代が信用を欠けば世襲は途絶えるんですね。世襲が存続し続けているということは、選挙民により世襲が認可されているという事とも考えられる。どうしても気に入らないのなら、各自が個別に世襲議員に投票しないという行動を起こし、それが結実すれば済む話でもあるんですよね。
やはり気になるのは大量に情報を発信するメディアが、風を起こす立場にある事でしょうか。恣意的なタイミングで世襲批判を行えば、「そうだ、世襲候補はけしからん」と思う人も居て、さらに「じゃ、××を支持しよう」と簡単に考えてしまう事も考えられる。昨今、選挙を左右する浮遊票の動向というのは、こうした些細なイメージに左右されるのが正体でもあるだけに、ホントは扱いは難しいんじゃないかと思います。
例えば総裁選のタイミングで世襲批判をすると、さほど脈略もないまま突如として小池百合子候補が浮上したりする。他の方が世襲議員であったからなんですが、世襲議員ではない事が総裁選びのポイントになっては本末転倒なんですよね。明らかに副次的な要素なのに。世襲批判をメディアが展開すると、間接的に誰かを擁護してしまう可能性が強い。もし、選挙の投票行動で考えるなら、各候補の主張を吟味して自分の判断で投票するのが最善でしょう。選挙の争点や論点は、世襲の是非からはかなり遠いんじゃないかって思います。
先ず最初に「世襲=社会悪である」という考え方があるように感じます。「あいつは世襲だろ?」というだけで、なんだかそれだけで罪悪であるかのような考え方ではなく、《政治家の世襲は現実問題として地盤を引き継ぐ事になり、公平性を欠く世襲であろう》という部分が問題なんですよね。
何で前提を説明するかというと、いつぞや、パロマでしたか不祥事の際に「一族経営はダメだ」とか「世襲だからダメなんだ」という論じられていました。ヘンな話ですが、これという論拠もなく「世襲はダメだ」というんですね。そうした外野からの批判はありますが、それは各企業の方針の差でしょう。世襲を辞めるも続けるも、外野が強制する事ではなく、その会社が必要に迫られれば決断するものでしょう。おそらく、決定的に「世襲は絶対悪である」とまでは断言できないのが実情ではないでしょうか。
絶対的な価値観として世襲制度を否定してしまうと、それこそ日本人は多くのものを否定しなくてはならない。象徴とされる天皇、或いは皇室は、それこそもろに世襲制なんですよね。或る意味で、日本的な文化と密接に関っていて、しかも、それが好転しているから日本が生き残ってきた可能性さえある。
日本で初めて利己的遺伝子論を解説する役目を負った竹内久美子さんは大胆な仮説を自由に展開する事で知られていますが、竹内さんの過去の著書で、国家観を論じていたものを記憶しています。
参照とせず、読んだ記憶でこれを私が説明すると、
生物は絶えず競争に晒されていて淘汰を繰り返している。これは生命誕生から連綿と繰り返されている自然界の法則である。この法則を信じれば、生き残った者をして強かった、正しかったと結論する事が出来る。人類の歴史上、最も優れた制度は最も長期間の繁栄をもたらせた制度だと述べる事も可能で、その見地からすると君主制のような制度は永年にわたり破滅する事なく存続しつづけている。
少しだけ『日本の論点』を引用して補則します。現代人、この場合は日本人ですが、我々は自分が在るから一応は民主主義という制度を至上の制度に於いているんですが、実際に幾度となく民主主義は最良のシステムなのかと疑っている。勿論、現行の民主主義システムが最善であるという答えは出ていないんですよね。
社会主義と民主主義の対立が起こり、それで勝利した民主主義が最良のシステムとする著名な学者一派もあり、実際に「人類の歴史は終わった」と豪語した著名な学者さんも居ますが、これに反論する意見は山ほどある。実際に民主主義の行く末を説いた学者までいて、その学者の語る民主主義体制の最後は「利己的な行動が経済破綻を生む」としています。このあたり、正しく現在、今日の世界情勢と合致したりするんです。
つまり、現在、考えられる最良のシステムは民主主義なんですが、歴史的見地からして生きながらえるであろう制度は民主主義とは限らない。逆に、一人の王様を置き、ロイヤルファミリーが国を治めるという牧歌的な君主制のような制度の方が実は優れているんじゃないか? という大胆な意見が竹内久美子さんが提示した国家観。奇抜といえば奇抜ですが、まるっきりデタラメではないのも事実なんですね。
さらに竹内さんは、馬に乗った王様と道で擦れ違う際、平民はひれ伏すような行動をとる事を想像しますが、この感覚は、我々にとって不愉快ではないと展開します。むしろ、「王様の為に頑張る」等、そういう発想をするものでしょう、と。これは何気ない感情面の話なんですが実は非常に大きな意味を持っている気がします。確かに我々はドラマの水戸黄門を観ていて「世襲のクセに威張ってんじゃねぇぞ! このジジイ!」とは思わないんですよね。その反面、民主主義的な選挙で選出された政治家に対しては悪態三昧だったりするでしょう?! もしかしたら、人間は誰かに従っているだけで生活や身分が保たれるのなら満足できてしまうものかも知れません。
利己的遺伝子論や自然淘汰の法則なんかと併せて考えたとき、何も全員が等しく隅々まで平等である必要さえなくて、王様に従ってさえいれば安泰であるという事なら、それはそれで、実に良く出来たシステムなのではないか、と。良く出来たシステムであるからこそ、現実に君主制は人類史上、最も永く継続してきたのではないか、と。
王位が世襲制であるのは万国共通。逆に世襲制にして後継者を決めてしまう事で、不要な争いを回避する社会でもある。細かく言うと「××君主制」のようなさまざまな形式があるんですが、竹内さんが云わんとしている事って理解できますよね。誰かを王様とし、その王位を世襲制にしてしまえば、案外、それに従って生きる事は難しくなく、非常に都合が良いという意味。これは寄生を意味するパラサイトの話と同じで、実は都合良く王様の世襲制を利用しているのは王様だけではなく、下々の民たちも理屈に適った生き方をしてきたのではないかという理屈に繋がります。ぶらさがっているだけというのは楽な上に安全だし、遺伝子レベルの戦略、つまり自分の子孫を残そうとする戦略としても存亡の危機をかけた戦いを続けるよりも、ずっと効率的であるという側面があるのも事実なんですね。
人間が無理矢理に犬を捕まえて無理矢理に飼っているのではなく、犬は自分が生きる為の最善の方法といて人間に近づき、ペットとなったのではないかというのが判り易い説明でしょうか。人間のペットとなった事で実際に犬は不自由なく暮らせる。勿論、遺伝子を残すという遺伝子レベルの生存戦略として考えれば成功しているものと考えられる。絶滅していてもおかしくない種もヒトに飼われる事で現実に存続可能になる。遺伝子レベルの戦略からすると、実は、こうして何かに寄生するパラサイト戦略は非常に有効な戦略なのだそうな。
こんな風に考えてみるとリーダーの世襲制でさえ、絶対的に「世襲制=悪システム」として語るほどのものではないのではないか、と。
話を戻します。政治の場合、これは地盤を譲る事になる。地盤を新たに開拓しなければならない新規候補との関係上、不公平じゃないかって疑問があって、この部分が問題視されているんですよね。テレビのコメンテーターが「他の選挙区から出馬すべきだ」というと、そんな風にも思えるんですが、じゃあ、支援者や地盤をスッパリと捨てるのが正しいとも断言するのは難しいんですよね。
第1点。先ず、その候補者が最も自分自身とユカリのある選挙区から立候補するのって必然的な事なんすよね。だって地元民なんだもん。沖縄生まれの沖縄人が北海道で立候補したって地域の諸問題を理解できていないのは当然でしょう? 地元で立候補が出来ないのなら、それこそ最終学歴や派手な肩書き、それと知名度のある候補の草刈場になるのが目に見えてる気がします。第2点、「世襲でも応援する」という支援者、支持者が実際に居るのに、わざわざこの人たちの意見を無視して他所の選挙区から立候補するという不自然。第1点と共通するんですが、現行の選挙制度では地域の代表として国会議員を選出しているのですが、この大前提を無視して「二世や三世は他所から出りゃいいんだ」というのは、地域の代表を選出している現実をあまりにも軽視しすぎではないでしょか。(良識の府、国会を審査する参議院の性格を徹底させるのなら選挙区を持たない国会議員はありでしょうけど、現行では誰もが選挙区の代表として政界に行ってますからね。)
英国は世襲禁止らしいんですが、米仏独その他の国は? ホントに世襲禁止という制度が優れているのなら世界的な広がりを見せてもいい筈なんじゃないでしょか。
地盤をごっそりと世襲できてしまうことに直近の問題はあるんですが、世襲議員らが自然淘汰にさらされているのもまた現実で、著しく問題のある議員や、有権者が好ましくないというジャッジをするのであれば、当然、落選するだろうし、先代が信用を欠けば世襲は途絶えるんですね。世襲が存続し続けているということは、選挙民により世襲が認可されているという事とも考えられる。どうしても気に入らないのなら、各自が個別に世襲議員に投票しないという行動を起こし、それが結実すれば済む話でもあるんですよね。
やはり気になるのは大量に情報を発信するメディアが、風を起こす立場にある事でしょうか。恣意的なタイミングで世襲批判を行えば、「そうだ、世襲候補はけしからん」と思う人も居て、さらに「じゃ、××を支持しよう」と簡単に考えてしまう事も考えられる。昨今、選挙を左右する浮遊票の動向というのは、こうした些細なイメージに左右されるのが正体でもあるだけに、ホントは扱いは難しいんじゃないかと思います。
例えば総裁選のタイミングで世襲批判をすると、さほど脈略もないまま突如として小池百合子候補が浮上したりする。他の方が世襲議員であったからなんですが、世襲議員ではない事が総裁選びのポイントになっては本末転倒なんですよね。明らかに副次的な要素なのに。世襲批判をメディアが展開すると、間接的に誰かを擁護してしまう可能性が強い。もし、選挙の投票行動で考えるなら、各候補の主張を吟味して自分の判断で投票するのが最善でしょう。選挙の争点や論点は、世襲の是非からはかなり遠いんじゃないかって思います。
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この記事へのコメント
1. Posted by かせっち 2008年10月01日 21:38
話を単純化して一君万民・世襲制の政治体制としましょう。つまり一人の英才な王がいて、国民は王の統治に付き従い、その王は代々世襲されるという国ですが、私は2つの限界があると思います。
まず第一に、一君万民の国の安定性は王の統治能力に直結するわけですが、人間の統治能力は無限ではなく有限なため、国の規模が王の統治能力を超えることは国の不安定を招きます。故に、一君万民の国では国の規模には自ずと限界があります。
第二に、王が世襲であるため、次代の王は自動的に王の子孫から選ばれることになりますが、王の子孫が先代の王と同等の統治能力を持つかどうかは確定されたものではありません。よって暗愚な王子が王として玉座に座ったとき、その国の安定性は毀損されます。
かくして一君万民・世襲制の国は、国の規模の拡大に限界があり、かつ時間的にみてリスクポイントが生まれやすいことになります。このような国が長い歴史で大国として伍していくのは難しいと言えるでしょう。
まず第一に、一君万民の国の安定性は王の統治能力に直結するわけですが、人間の統治能力は無限ではなく有限なため、国の規模が王の統治能力を超えることは国の不安定を招きます。故に、一君万民の国では国の規模には自ずと限界があります。
第二に、王が世襲であるため、次代の王は自動的に王の子孫から選ばれることになりますが、王の子孫が先代の王と同等の統治能力を持つかどうかは確定されたものではありません。よって暗愚な王子が王として玉座に座ったとき、その国の安定性は毀損されます。
かくして一君万民・世襲制の国は、国の規模の拡大に限界があり、かつ時間的にみてリスクポイントが生まれやすいことになります。このような国が長い歴史で大国として伍していくのは難しいと言えるでしょう。
2. Posted by メロンぱんち 2008年10月01日 23:27
かせっちさん>
どうも有難うございます。到って説得力のあるご説明で、世襲制の限界について的を射たお話ですね。
民主主義が最善のシステムとは限らない、世襲を絶対悪とする価値観があるものの、世襲制を受け容れてきたのは厳然たる歴史の事実であり、淘汰の結果であるという論旨の観念論ですので、かせっちさんのご指摘とは何ら矛盾いたしません。
文中で、「××君主制」のような…としたのは端折らざるを得なかったのですが、一君万民は続かないのは確かで、途中から王様は統治者でありながら直接的な政治には手を出さなくなるような変化も起こるようなんです。そうした「××君主制」の形式となり、実質的な統治権と王様の距離は離れても王様の世襲そのものは引き継がれている、と。これでも結局は王位の世襲制という制度を我々は否定して来なかった事になる…に帰結できると思うんですよね。
どうも有難うございます。到って説得力のあるご説明で、世襲制の限界について的を射たお話ですね。
民主主義が最善のシステムとは限らない、世襲を絶対悪とする価値観があるものの、世襲制を受け容れてきたのは厳然たる歴史の事実であり、淘汰の結果であるという論旨の観念論ですので、かせっちさんのご指摘とは何ら矛盾いたしません。
文中で、「××君主制」のような…としたのは端折らざるを得なかったのですが、一君万民は続かないのは確かで、途中から王様は統治者でありながら直接的な政治には手を出さなくなるような変化も起こるようなんです。そうした「××君主制」の形式となり、実質的な統治権と王様の距離は離れても王様の世襲そのものは引き継がれている、と。これでも結局は王位の世襲制という制度を我々は否定して来なかった事になる…に帰結できると思うんですよね。
3. Posted by たま 2008年10月03日 20:33
メディアの「世襲はダメだ」という論調は、無条件に「民主主義を最良のもの」という前提のもとで展開されていると感じちゃいます。
誰にでも無限の可能性があるという、例の無責任な「自由平等万歳」思想といいますか・・・。
だから、世襲ではない、無名な人にも議員になる可能性を大いに広げた方が良いなどと・・・。
国民全員が、必死に、それこそ生きるか死ぬかのギリギリの状態で長年生活してきた国であれば、必死に政治の勉強をしたホンモノの無名優秀人材が発掘できるかも知れませんが、なんだかんだ言っても裕福だった日本のことを考えると、逆に危険かもって思っちゃいます。
こう言ってはアレですけど、嫉妬している面があるんじゃないかなって。
「あいつは何もせず、親父の会社のあとを継いだ。気楽なもんだ」という。。。
気楽かどうかは本人じゃないと判りませんよね・・・。
少なくとも中学生ぐらいからは、いろんな政治家と接しているであろう世襲議員の方がマシかもって考えちゃいます。
誰にでも無限の可能性があるという、例の無責任な「自由平等万歳」思想といいますか・・・。
だから、世襲ではない、無名な人にも議員になる可能性を大いに広げた方が良いなどと・・・。
国民全員が、必死に、それこそ生きるか死ぬかのギリギリの状態で長年生活してきた国であれば、必死に政治の勉強をしたホンモノの無名優秀人材が発掘できるかも知れませんが、なんだかんだ言っても裕福だった日本のことを考えると、逆に危険かもって思っちゃいます。
こう言ってはアレですけど、嫉妬している面があるんじゃないかなって。
「あいつは何もせず、親父の会社のあとを継いだ。気楽なもんだ」という。。。
気楽かどうかは本人じゃないと判りませんよね・・・。
少なくとも中学生ぐらいからは、いろんな政治家と接しているであろう世襲議員の方がマシかもって考えちゃいます。
4. Posted by メロンぱんち 2008年10月03日 23:58
たまさん>
テレビタレントにしても七光タレントと呼ばれる人たちが多いのが現実ですが、そうした二世、三世の方の中には疑いようもなく実力派も居て、そうでない人は淘汰されている気もするんですよね。デビューぐらいには漕ぎつけても彼等の多くは大成はしませんよね。残った者はホントに実力があり、そうではないものは淘汰されている気もします。つまり、淘汰が或る程度は必ず作用しているのも確かな事実なんですよね。
世襲制を禁止して二世、三世は地盤を引き継げないようにした英国は、成功したのか言えば、微妙なんですよね。
世襲が禁止となり、その地域の名門が途絶えてしまうと、実は中央政府に対する地域の発言力は弱まってしまうんですよね。
小渕優子さんが初当選したとき、後援会の方が「今は何も出来なくて当り前だ。政治家は地域が育てるものだ!」という名言を残してますが、確かに群馬は総理をやたらと輩出している土地柄なんですよね。泥臭いようでいて、中央政界に地域の代表を送り込む事の意味が隠されているのかも…。
テレビタレントにしても七光タレントと呼ばれる人たちが多いのが現実ですが、そうした二世、三世の方の中には疑いようもなく実力派も居て、そうでない人は淘汰されている気もするんですよね。デビューぐらいには漕ぎつけても彼等の多くは大成はしませんよね。残った者はホントに実力があり、そうではないものは淘汰されている気もします。つまり、淘汰が或る程度は必ず作用しているのも確かな事実なんですよね。
世襲制を禁止して二世、三世は地盤を引き継げないようにした英国は、成功したのか言えば、微妙なんですよね。
世襲が禁止となり、その地域の名門が途絶えてしまうと、実は中央政府に対する地域の発言力は弱まってしまうんですよね。
小渕優子さんが初当選したとき、後援会の方が「今は何も出来なくて当り前だ。政治家は地域が育てるものだ!」という名言を残してますが、確かに群馬は総理をやたらと輩出している土地柄なんですよね。泥臭いようでいて、中央政界に地域の代表を送り込む事の意味が隠されているのかも…。
5. Posted by コルホーズの玉ネギ畑 2008年10月07日 18:47
前略 コルホーズの玉ネギ畑です。<a href="http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/">
<p>幸か不幸か専業主婦</p></a>経由で知りました。異議を私のほうで書きましたのでご一読ください。<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/birst_head/55314540.html">
<p>[1274]世襲は遺伝子で説明するべきでない - コルホーズの玉ネギ畑の断片談義 - Yahoo!ブログ
</p></a>
草々
<p>幸か不幸か専業主婦</p></a>経由で知りました。異議を私のほうで書きましたのでご一読ください。<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/birst_head/55314540.html">
<p>[1274]世襲は遺伝子で説明するべきでない - コルホーズの玉ネギ畑の断片談義 - Yahoo!ブログ
</p></a>
草々
6. Posted by メロンぱんち 2008年10月07日 22:30
コルホーズの玉ネギ畑さん>
初めまして。異論などを提示していただき、有難うございました。興味深く拝読させていただきました。
世襲を遺伝子で語るというと語弊もあるのかも知れませんが、組織のリーダーと、組織の一構成員との意識はやはり相当な開きがあるのも事実ではないでしょうか。どうしても世襲制を語るときには、世襲制の悪い面を取り上げられてしまうものなのでで、敢えて「世襲制はそれほど悪いものではないんじゃないの?」という視点で展開させていただきました。
初めまして。異論などを提示していただき、有難うございました。興味深く拝読させていただきました。
世襲を遺伝子で語るというと語弊もあるのかも知れませんが、組織のリーダーと、組織の一構成員との意識はやはり相当な開きがあるのも事実ではないでしょうか。どうしても世襲制を語るときには、世襲制の悪い面を取り上げられてしまうものなのでで、敢えて「世襲制はそれほど悪いものではないんじゃないの?」という視点で展開させていただきました。




