2009年05月21日
ジャパニーズ・マスクマン
予想通り、新型インフルエンザが関東にも。「騒ぐな!」と「騒げ!」との押し問答にも発展しそうですが、個人として自分の身を守るという意識を否定するのもおかしなもの。
マスクをして交渉事に及んだりする事はどうなのか? と、先週、触れました。感染しない為、自分を守る為に予防的用途でマスクをしているのであれば、これは意思疎通を円滑にしようと心がける精神に反します。ですが、自分を守る為のマスクではなくて、相手にうつさない為のマスクというものありますよね。自分自身に熱っぽいなどの風邪の自覚症状があるとき、最も優先すべきは先方に風邪をうつさない事でしょう。潜伏期なんてものがあるのだとしたら自覚症状さえハッキリしない。でも、うつされたくないし、うつすべきではないからマスクをする。これぞ、japanese omotenashi spiritってもんで、この後者の場合は、確固たる理由があるからマスクを外す必要はなさそう。
案の定、「マスクをしている日本人は世界水準からズレている」という日本人のマスク批判が起きています。が、これに動じて、「ハイ、そうですね。私たち日本人は愚かでございました。みなさんを見習ってマスクなんてしません」の理屈はサイテーだと思いますね。あくまで個人としての主体性の問題で、マスク着用は個人の意志で行なっているんで、マスクをしたくない人にも無理にマスクをさせている訳ではない。ましてや多くのマスクマンは余計な感染を避ける為にマスクをしているだけの事で、批判される筋合いなんてない。世界水準とズレているからという理由でマスクを外せというのは、あまりにも空気を読みすぎだし、主体性の無さ丸出しじゃないか、と。
何度も、引用しようと思って探しているのは、ヨーロッパのジョークがあるっす。それは「レストランで蝿の入ったビールが出されたら、どのような行動をするか?」という古典的なジョークなんですが、ドイツ人だったら、フランス人だったら、イギリス人だったら…と、パターンが用意されているんです。
おぼえているのはイギリス人のくだりのみ。イギリス人は蝿に気が付いても気がつかないフリをして、別に一杯注文する、と。
なので、以下の内容は保障しませんが、おおよそは次のようなものでした。
フランス人だったら、きっと食事にうるさいフランス人だったら店の支配人を呼んで、文句を言う。
ドイツ人だったら、ビール好きな国民性ゆえに蝿をジョッキから摘み出してゴクゴクと飲んでしまうだろう。
ハンガリー人だったら、きっと蝿に気がついても蝿ごとビールを飲み干してしまうだろう。
ハンガリーは騎馬民族が祖先に入っているので、蝿がジョッキに入っている事なんて気にしない逞しさ、大らかさがある。で、これが欧州人からするとちょっとした皮肉の混じったユーモアになる。強烈な悪意が込められている訳ではなく、単に、「あの人たちだったら蝿ごと飲んでしまうんじゃねーの?」と想像して笑うワケです。で、こうした地域性や民族性に触れるジョークというのは、当り前のようにあったのでしょう。
現在であれば、「それは差別だと思います!」という批判にさらされてしまうのかも知れませんが、基本的には国民性とか地域性に触れる上手なジョークだと思いますけどね。(勿論、誰かの作ったジョークに過ぎませんが、そうやって異文化の存在を認識していくものでしょう。)
もし、蝿入りビールの対応に日本人のパターンが仮に加えられたら、どうでしょ。以下、勝手に想定してみます。
[パターンA]
日本人だったら、きっと、トーキョーの上司に電話をしてどう対応すべきか相談を仰ぐだろう。
[パターンB]
日本人だったら、きっと、空気を読むあまりに何も云えず、ただただブルーな顔をしてモジモジと時間を過ごすだろう。
おそらく、こんな感じでしょう。いずれにしても日本人には、主体的な行動は出来ないという事をネタにされるでしょう。(※)
実際、私なんてハワイで、陽気な外人さんにアローハと話しかけられ、愛想笑いをしている間に、20ドルの募金をさせられた事がある。日本だったら払わないのに、フレンドリーに抱きついてくるヤッピーなハワイアン男性を相手に、どう断ればいいのか判らなかった(汗
ちっきしょー! カツアゲに遭遇したようなもんだ!
と内心では思いながらも、微笑みの島と呼ばれるハワイで、これを断る方法ってのが見つからなかった。相手がフレンドリーに接してきているのに「ふざけるな!」とカドを立てるのもいかがなものかと思うし、日本でキャッチセールスに遭遇したときのように、さりげなく無視するというのも難しかった…。「へ〜イ! アロハ」って見ず知らずの人とハイタッチするなんてのは日本人には無いからね。
こうして日本人を狙い打ちにする募金攻撃に対し、日本人は、堂々と主体性で応じるべきだと思うんです。郷に入れば郷に従えとはいいますが、それは永年居住している人は兎も角、旅行や短期の滞在でしかないのなら、日本人は日本人を貫徹しさえすれば、それで世界に通用するハズじゃんか、と。
「ノー、ノー。アイキャンノットスピークイングリッシュ。アイムビジーね!」
で充分だったなぁ。20ドル、とられるぐらいなら。
新渡戸稲造の「BUSHIDO」は、日本文化に於ける精神性を「武士道」として外国向けに書いた。西洋文化に於けるキリスト教的な道徳であり、騎士道精神のようなものだという内容で、これで西洋人は「ワーオ。ジャパニーズ、ブシドー イズ グレイト!」となった。
ほんなワケで、日本人は日本人を貫徹しさえすればいいんで、何もグローバルスタンダードを必要以上に意識する必要なんてないんじゃないのかな。その理屈でいうのなら「ここの国の住人は誰もがマリファナを吸っているから、我々もマリファナを吸おう」なんて事になる。求められているのは、確固たる日本人としての主義や主張だし、その人個人の主義・主張でしょう。
マスクをしているのは日本人だけで、ヒースロー空港あたりじゃ、日本人が周囲に嫌な印象を与えている? 日本人だけが浮いている?
なんか卑屈じゃないの?!
マスクをしようがしまいが、最終的には個人の判断に委ねているワケでしょうし、実際に日本人の多くは欧米人よりも深い次元で、マスクの着用について考えているのに、なんで、そうした長いものには巻かれろの理屈で、わざわざ日本人の国民性を貶める必要があるのかって。
堂々と、
「我々はあんた方と違う日本人なので万一、帰国したときにウイルスに感染していたら村八分にされちまうんだ。日本では賞味期限が過ぎた食べ物は、風味が落ちるから喩えまだ食べられても捨ててしまう。衛生に関しては、うるさい国なんだ。とにかく細かい国民性なんだ。だけど、そういうコダワリの精神が優位な事もある。ソニーやパナソニックの電化製品にしても、細心の注意を払う国民性だからこそ、高品質な製品を作り出せているんだよ」
ぐらい主張して、用心深いのが日本人の国民性だと説得してくりゃいいのに。少なくとも外向きに主張せずに、内向きに日本人が日本人批判をする態度ってのは、あんまり有難くないと感じますかね。日本の文化が著しく間違っていたり、不都合だというのは、物凄い内向きですよね。
それこそ、日本人だけ奇異な目で見られたからという理由で、どんどん日本らしさを否定する態度ってのは疑問ですかねぇ…。その理屈だと、世界標準に合わせる為に日本語を捨てて英語を公用語にしようっていう発想にもつながってしまうんでしょうけが、相手に合わせる事に躍起になるだけじゃなく、「私は、こう考えてるの!」と自負心を持つ事も大切なんでしょう。
とはいえ、私がヒースロー空港で、外人さんたちからマスクをしている事が理由で陰口を叩かれたら、マスクを外しますけどね。そういう偏見の文化なんだったら、こちとら、いくらでもウイルスを撒き散らかしてやってもいいし、なんだったら【okuyukasi-sa】とか【kokoro-kubari】いう日本の美徳をニホンゴで教えてやってもいい。
おそらく、ホントに日本人はさまざまな気遣いからマスクをしているのでしょう。ケーハクな批判に応じてマスクを外すぐらいなら、最初からマスクは不要だったのでしょう。ですが、多分、そうではありませんよね。おそらく多くのジャパニーズマスクマンは頭の整理も利かないレベルでは、マスクの必要性を理解しているからマスクを着用しているのでしょう。或る種、言われたから着用しているのではなく、マスクを着用すべきだと思っているから着用しているだけの事で、そうした自負心に気づくべき。結構、ホントに深いレベルで日本人はマスクをしているんだと思いますけどね。みんなが着用していないから、着用しないという《理屈》よりも、マスクを着用している者の《行動》の方が理にかなっている気もしますけどね。
マスクをして交渉事に及んだりする事はどうなのか? と、先週、触れました。感染しない為、自分を守る為に予防的用途でマスクをしているのであれば、これは意思疎通を円滑にしようと心がける精神に反します。ですが、自分を守る為のマスクではなくて、相手にうつさない為のマスクというものありますよね。自分自身に熱っぽいなどの風邪の自覚症状があるとき、最も優先すべきは先方に風邪をうつさない事でしょう。潜伏期なんてものがあるのだとしたら自覚症状さえハッキリしない。でも、うつされたくないし、うつすべきではないからマスクをする。これぞ、japanese omotenashi spiritってもんで、この後者の場合は、確固たる理由があるからマスクを外す必要はなさそう。
案の定、「マスクをしている日本人は世界水準からズレている」という日本人のマスク批判が起きています。が、これに動じて、「ハイ、そうですね。私たち日本人は愚かでございました。みなさんを見習ってマスクなんてしません」の理屈はサイテーだと思いますね。あくまで個人としての主体性の問題で、マスク着用は個人の意志で行なっているんで、マスクをしたくない人にも無理にマスクをさせている訳ではない。ましてや多くのマスクマンは余計な感染を避ける為にマスクをしているだけの事で、批判される筋合いなんてない。世界水準とズレているからという理由でマスクを外せというのは、あまりにも空気を読みすぎだし、主体性の無さ丸出しじゃないか、と。
何度も、引用しようと思って探しているのは、ヨーロッパのジョークがあるっす。それは「レストランで蝿の入ったビールが出されたら、どのような行動をするか?」という古典的なジョークなんですが、ドイツ人だったら、フランス人だったら、イギリス人だったら…と、パターンが用意されているんです。
おぼえているのはイギリス人のくだりのみ。イギリス人は蝿に気が付いても気がつかないフリをして、別に一杯注文する、と。
なので、以下の内容は保障しませんが、おおよそは次のようなものでした。
フランス人だったら、きっと食事にうるさいフランス人だったら店の支配人を呼んで、文句を言う。
ドイツ人だったら、ビール好きな国民性ゆえに蝿をジョッキから摘み出してゴクゴクと飲んでしまうだろう。
ハンガリー人だったら、きっと蝿に気がついても蝿ごとビールを飲み干してしまうだろう。
ハンガリーは騎馬民族が祖先に入っているので、蝿がジョッキに入っている事なんて気にしない逞しさ、大らかさがある。で、これが欧州人からするとちょっとした皮肉の混じったユーモアになる。強烈な悪意が込められている訳ではなく、単に、「あの人たちだったら蝿ごと飲んでしまうんじゃねーの?」と想像して笑うワケです。で、こうした地域性や民族性に触れるジョークというのは、当り前のようにあったのでしょう。
現在であれば、「それは差別だと思います!」という批判にさらされてしまうのかも知れませんが、基本的には国民性とか地域性に触れる上手なジョークだと思いますけどね。(勿論、誰かの作ったジョークに過ぎませんが、そうやって異文化の存在を認識していくものでしょう。)
もし、蝿入りビールの対応に日本人のパターンが仮に加えられたら、どうでしょ。以下、勝手に想定してみます。
[パターンA]
日本人だったら、きっと、トーキョーの上司に電話をしてどう対応すべきか相談を仰ぐだろう。
[パターンB]
日本人だったら、きっと、空気を読むあまりに何も云えず、ただただブルーな顔をしてモジモジと時間を過ごすだろう。
おそらく、こんな感じでしょう。いずれにしても日本人には、主体的な行動は出来ないという事をネタにされるでしょう。(※)
実際、私なんてハワイで、陽気な外人さんにアローハと話しかけられ、愛想笑いをしている間に、20ドルの募金をさせられた事がある。日本だったら払わないのに、フレンドリーに抱きついてくるヤッピーなハワイアン男性を相手に、どう断ればいいのか判らなかった(汗
ちっきしょー! カツアゲに遭遇したようなもんだ!
と内心では思いながらも、微笑みの島と呼ばれるハワイで、これを断る方法ってのが見つからなかった。相手がフレンドリーに接してきているのに「ふざけるな!」とカドを立てるのもいかがなものかと思うし、日本でキャッチセールスに遭遇したときのように、さりげなく無視するというのも難しかった…。「へ〜イ! アロハ」って見ず知らずの人とハイタッチするなんてのは日本人には無いからね。
こうして日本人を狙い打ちにする募金攻撃に対し、日本人は、堂々と主体性で応じるべきだと思うんです。郷に入れば郷に従えとはいいますが、それは永年居住している人は兎も角、旅行や短期の滞在でしかないのなら、日本人は日本人を貫徹しさえすれば、それで世界に通用するハズじゃんか、と。
「ノー、ノー。アイキャンノットスピークイングリッシュ。アイムビジーね!」
で充分だったなぁ。20ドル、とられるぐらいなら。
新渡戸稲造の「BUSHIDO」は、日本文化に於ける精神性を「武士道」として外国向けに書いた。西洋文化に於けるキリスト教的な道徳であり、騎士道精神のようなものだという内容で、これで西洋人は「ワーオ。ジャパニーズ、ブシドー イズ グレイト!」となった。
ほんなワケで、日本人は日本人を貫徹しさえすればいいんで、何もグローバルスタンダードを必要以上に意識する必要なんてないんじゃないのかな。その理屈でいうのなら「ここの国の住人は誰もがマリファナを吸っているから、我々もマリファナを吸おう」なんて事になる。求められているのは、確固たる日本人としての主義や主張だし、その人個人の主義・主張でしょう。
マスクをしているのは日本人だけで、ヒースロー空港あたりじゃ、日本人が周囲に嫌な印象を与えている? 日本人だけが浮いている?
なんか卑屈じゃないの?!
マスクをしようがしまいが、最終的には個人の判断に委ねているワケでしょうし、実際に日本人の多くは欧米人よりも深い次元で、マスクの着用について考えているのに、なんで、そうした長いものには巻かれろの理屈で、わざわざ日本人の国民性を貶める必要があるのかって。
堂々と、
「我々はあんた方と違う日本人なので万一、帰国したときにウイルスに感染していたら村八分にされちまうんだ。日本では賞味期限が過ぎた食べ物は、風味が落ちるから喩えまだ食べられても捨ててしまう。衛生に関しては、うるさい国なんだ。とにかく細かい国民性なんだ。だけど、そういうコダワリの精神が優位な事もある。ソニーやパナソニックの電化製品にしても、細心の注意を払う国民性だからこそ、高品質な製品を作り出せているんだよ」
ぐらい主張して、用心深いのが日本人の国民性だと説得してくりゃいいのに。少なくとも外向きに主張せずに、内向きに日本人が日本人批判をする態度ってのは、あんまり有難くないと感じますかね。日本の文化が著しく間違っていたり、不都合だというのは、物凄い内向きですよね。
それこそ、日本人だけ奇異な目で見られたからという理由で、どんどん日本らしさを否定する態度ってのは疑問ですかねぇ…。その理屈だと、世界標準に合わせる為に日本語を捨てて英語を公用語にしようっていう発想にもつながってしまうんでしょうけが、相手に合わせる事に躍起になるだけじゃなく、「私は、こう考えてるの!」と自負心を持つ事も大切なんでしょう。
とはいえ、私がヒースロー空港で、外人さんたちからマスクをしている事が理由で陰口を叩かれたら、マスクを外しますけどね。そういう偏見の文化なんだったら、こちとら、いくらでもウイルスを撒き散らかしてやってもいいし、なんだったら【okuyukasi-sa】とか【kokoro-kubari】いう日本の美徳をニホンゴで教えてやってもいい。
おそらく、ホントに日本人はさまざまな気遣いからマスクをしているのでしょう。ケーハクな批判に応じてマスクを外すぐらいなら、最初からマスクは不要だったのでしょう。ですが、多分、そうではありませんよね。おそらく多くのジャパニーズマスクマンは頭の整理も利かないレベルでは、マスクの必要性を理解しているからマスクを着用しているのでしょう。或る種、言われたから着用しているのではなく、マスクを着用すべきだと思っているから着用しているだけの事で、そうした自負心に気づくべき。結構、ホントに深いレベルで日本人はマスクをしているんだと思いますけどね。みんなが着用していないから、着用しないという《理屈》よりも、マスクを着用している者の《行動》の方が理にかなっている気もしますけどね。
日本人だったら、きっと、蝿を持ち帰って十年後に蝿から作るバイオビールを開発してしまうだろう。
あたりも、惜しい気がします。
「日本では高級ステーキよりもおいしいステーキを、エキスを培養して紙から作っているらしい」
なんてジョークが英国のコメディ番組で使用されてましたし。日本人のイメージとしてイギリス人の中には、「勤勉」や「技術力」が定着していたのでしょう。
あたりも、惜しい気がします。
「日本では高級ステーキよりもおいしいステーキを、エキスを培養して紙から作っているらしい」
なんてジョークが英国のコメディ番組で使用されてましたし。日本人のイメージとしてイギリス人の中には、「勤勉」や「技術力」が定着していたのでしょう。




