2009年08月07日

ヒトと孤独

突如として舞い込んだ大原麗子さんの訃報。しかも、2週間も経過してから発見された、と。

大原麗子さんって、個人的にはCMぐらいしか印象にないけど、その知名度たるや国民的女優、大物女優に相応しい方。

「すこし愛して。長〜く愛して」

舌足らずの口調で語りかけるCMは印象的でした。そういう方も最期は孤独なもんなのですね。

飯島愛さんもそんな感じだったような。華やかな芸能人、経済的にも高い水準にあったのでしょうに、意外とヒトは孤独です。


20年以上、会っていない祖母の近況を聴かされました。健康だけど、認知症が進行している上に、視力がなくなった、と。誰が会いに行っても判別さえつかない、と。

祖母が認知症を発症したのは何時頃だったかなぁ。おっとり型の性格で、伯父などの話からすると、そこそこお嬢さま育ちだったかのよう。婿(私の祖父)を迎え入れたものの、婿はちゃっかりと浮気癖があった上、病気で早世。その頃から祖母は敷地内の「離れ」に移りましたが、それが60代半ばぐらいだったのかな。で、認知症。

改めて考えてみると祖母は60代になってから割と孤独だったんじゃないだろうって思ったりします。『孤独である事が認知症の進行を早めるのではないか?』という話を以前に「痴呆老人は何を見ているか?」という著書を紹介した際に触れましたが、結構、祖母にも当て嵌まっているような…。

施設に入ってからの祖母は折り紙を折ったり、絵を描いたり。実は、それぞれ相応に上手なんです。ですが、施設の方から「友達が出来ない」と説明されたのだとか。既に認知症なのだから、そうした施設内で友達が出来るものなのかどうかも私には判りませんが、私の知る限りでは祖母は基本的に友達を持たないタイプだったように語られているんですよね…。

お嬢さま育ちで、おっとりした性格。私の父親、つまり、祖母からすれば息子にあたりますが、私の父は酒グセが悪くて警察に迎えに行かなければならないような事も度々しでかしていたようなんですが、祖母は迎えにいった事さえなかったといいます。祖父が居たし、長兄がやってしまったから。元々、祖母は行動的ではなかったし、怒鳴ったりする激しさが無く、大正生まれなのに、息子や娘を「ナニナニちゃん」と呼ぶようなやさしいだけの性格だったといいます。

15人の孫がいて、その内の1人が私なんですが、多分、祖母は私の事なんて知らないんじゃないかなぁ…。祖父は訪ねてくる事が多々あったんですが、祖母はというと一緒に行動しないタイプだったんですよね、実は…。

うーむ…。認知症というのは孤独であればあるほど余計に進行していしまうといい、「その話はさっき聞いたよっ!」と常識的な会話で対応しようとする対処法は誤まりで、「ああ、そう」とか「ふーん」と粘り強くコンタクトを続けようとする周囲の努力とも関連性があるという。祖母の場合、これが決定的に当て嵌まっており、認知症発症と同時に「離れ」に住まわせ、その後は施設へ。改めて考えてみると、認知症を進行させてしまう典型の対応を、親類の本家は取りつづけてしまったのかもなぁ。

つくづく人は孤独ですね。不自由のない生活を送っているように見えてもヒトは孤独なのかも。


宇多田ヒカルさんが、かつて「孤独の反対語は何だろう?」というホームページでのやりとりの中で、「孤独の対義語は無知である」と導いた事があったそうな。その話を聴いて私も愕然としました。ものすごい答えを導き出すものだな、と。

たとえば、こうしたブログにしても、ミクシィにしても、プロフと呼ばれるもの、ネットゲーム、或いは若しかしたら出会い系サイトのようなものの隆盛は、どこかヒトの抱えている根源的な【孤独】という精神的渇望と無縁ではないような気がします。いや、突き詰めてしまうと、援助交際をする少女だとか、キャバクラへ足繁く通うオッサンの行動までもがコミュニケーションを渇望している行動、つまり、孤独を回避する為の行動なのかも。

孤独を否定するのは嘘でしょう。孤独を否定する人が居たら、それは無知かも知れない。考えようによっては、誰もが魂としては孤独で、そこに人間関係という肉付けをして生活をしているような気がします。誰からしても好まれる人、人気のある人というのが稀に居るような気がしますが、それはそれでリアルに豊かな生活を実現しているのかも。



本日付の日刊スポーツの一面トップは勿論、「大原麗子さん孤独死」という大見出しでしたが、記事の後半に大原麗子さんの近況に触れてありました。

ギランバレー症候群という病気を抱えておられた部分は、テーマは孤独なので、ちょっと内容を絞ります。

或る時期から大原さんは自負心などから仕事が決まりにくくなり、マネージャーを廃していたといいます。また、知人に電話をかけまくる電話魔のようになっていて、そういう大原さんの行為が、人々を遠ざけていった…と孤独死の背景を述べていました。


ussyassya at 01:36│Comments(8)TrackBack(4)雑記 

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そう言えば最近見ないなとは思っていましたが、長いこと患っていらっしゃったんですね

この記事へのコメント

1. Posted by 龍の目   2009年08月07日 09:42
高村光太郎の詩に、「孤独がなんで珍しい」というのがあるそうですが、まだ見つけられません。。

隣のアパートに居た人が突然、何の挨拶も無しに越してしまった時、母は「もっと話かければよかった」と無念そうでした。連絡先をその向こう隣の方に聞いても知らないようで、前の晩に引っ越すことを告げられ、郵便物は全て捨ててくださいと言われたそうです。段々に仕事がうまく行かなくなり出て行かざるを得なくなったのかもしれません。そんな状況を変えることは出来ないけれど、挨拶したり、ちょっと飼っている犬の話をするとか、踏み込み過ぎは鬱陶しいと思われてもそうしてみるべきだったかもしれません。
その方のお母様がそうでした。我が家で父母と私が大バトルをして外にもガンガン聞こえた時、普通なら皆聞いて聞かぬ振りか、聞いて面白がるかなのに。喧嘩の真っ最中に「ピンポーン」とベルが鳴り、いつもなら開くのを待っているのに、勝手にドアを開け玄関に入り、ものすごく明るく今日の自分の出来事だったかを話し始めました。そう行き来のある方ではありませんでしたが、オープンな方で少し気取りのある近所ではやや変人扱いする人の方が多かったです。その後すぐには気がつきませんでしたが、その方が本当に心配してきてくれていたことが後で分かりました。
2. Posted by 龍の目   2009年08月07日 09:43
話を聞かないことも、強く叱ることも認知症 ぼけ にはよくないのだなぁ、と祖母を見ていて思いました。酷く叱られた後、まるで羊のような顔になっていました。

ある会に参加した時、老人ホームでお手伝いをしている方がご自分の体験を話しました。食事中は読まないでください。
認知症の方で、本当に酷くなると自分の便をこね回すんです。そうすると爪の中に入ってしまう。私が担当している方もそうで、誰も彼女に近寄らず、誰も彼女に話しかけない。皆が彼女を嫌っていました。世話をしたがらなかった。でも私は、その彼女に この方法を試してみました。「彼女の辛さを引き受けます。彼女の全てを引き受けます。」そうしたら、彼女は私が担当の時だけはその一番困る行動をしなくなりました。段々に笑顔も見せるようになった。話もできるようになってきた。笑うと彼女はきれいなんですよ。今少しづつ他の人にも受け入れられるようになってきた。私はそれがうれしい。と話しておられました。

すごい人だな。と思いました。
ブログの書き込みってわかりません。文章を書くのはー賢くないと難しいです。
3. Posted by メロンぱんち   2009年08月07日 11:03
龍の目さん>
人間関係は、ともすれば「鬱陶しい」と感じるもので、それを回避する為に世界中は個人主義的な方向へハンドルを切ってきましたよね。それも一つの判断であったとは思うんですが、それが孤独を増幅させてしまったし、実際に田舎暮らしよりも都市生活者の方が認知症などの進行が早いという指摘もあり、都市生活の薄情さと関連があるのではないかって考えたくなるんですよね。

都市生活者は都市的な生活を捨て切れないし、かといって孤独や孤立は進行してしまう。なにかゴミ屋敷問題などにも共通しているような話にも感じます。
4. Posted by メロンぱんち   2009年08月07日 11:15
龍の目さん>
認知症の進行する段階には、排泄物を捏ねたり、場合によっては口に運んでしまうなんてのもあると、解説されていました。その方は、偉いですね。

一般人レベルで、どうすべきかと考えたとき、やはり、そこまで進行させないようにする、進行を遅らせようとする「何か」が必要だと考えられますよね。

金銭的な援助などではなく、人と人とのコミュニケーションが成立していなくてもしっかりと相手になってあげる事なのではないか? 初期の段階であれば、そうした対応をする事で認知症の進行を遅らせる効果が見込める。

遊びたがっているネコがいて、その相手をしてやるような、ちょっとした気持ち、思いやる気持ちが大切なのは、どうもホントらしいんですよね。
5. Posted by あまみっく   2009年08月07日 22:13
ブログ〜キャバクラに通うオジサンの意見、これは同意です。実際に経験し、感じていることなのでよくわかります。
「孤独の対義語は無知」は私の頭ではよくわからないです(^^;

龍の目さんのお話を読んで、母の話を思い出しました。
私の母は現在精神病院で働いていますが(介護施設で働いていた経験もあります)、たとえ精神を病んでいる人でもこちらの接し方によって態度を変える、と言います。わかっていないように見えても、接する側の態度には敏感であると。優しく声をかければ名前もすぐに覚えてくれると。

誰かと関係を持つ時、深く理解しあう必要など本当はなくて、挨拶をするとか少し会話をするとか、表面的な繋がりだけでも十分な場合もあるのかな、と思います。
そうした小さな繋がりさえも拒むようになってしまうと、“孤独”を感じることが増えるのかな、と(私のことです、反省です)。

コミュニケーションというのは必ずしも意識や言葉での繋がりではないようにも思います。仰るようなネコもそうですが、言葉が通じない動物ともコミュニケーションがとれる、というのは重要なポイントですよね。
コミュニケーションは本来もっとシンプルなものでいいのかもしれませんね。求めるものが複雑すぎて、孤独がかえって深まってしまうのかも。。
6. Posted by けいた   2009年08月07日 22:16
明石家さんまは「自分は孤独死は嫌だ」と言っていました。
あれだけの一匹狼も孤独はやはり怖い、人の子だったんでしょうか?
7. Posted by メロンぱんち   2009年08月08日 00:09
あまみっくさん>
「孤独の反対って何か?」という問答から皆で考えはじめて、実際に何が正答なのかと色々と試行錯誤をしてみると、これが実に…。

複雑>
犬や猫、赤ん坊らに共通しているのは、高度なコミュニケーションを要求しているのではなく「こうして欲しい」という生理的欲求だったりしますよね。次の次元でも「構ってほしい」、「遊んで欲しい」とか、「敵意がない事を示して欲しい」ぐらいでしかないのかも。そのあたりが満たされていれば、ペットや赤ん坊は安心できるようだ…と。認知症は、この部分に近いものを感じます。

高度なコミュニケーションを必要としているヒトは、相応に自分の事は自分でできるので、より次元の高いコミュニケーションを求めているのだと思うのですが悪態を吐いたり、他罰的な主張をしたりする事で仲間意識を形成するのだとしたら、ちょっと虚しい気もしますかね…。
8. Posted by メロンぱんち   2009年08月08日 00:18
けいたさん>
私は、さんまさんのような方こそ、真の寂しがり屋に見えるんですよね。孤独とかニガテそう…。それ故に、笑いでもって賑やかにして、常にみんなに囲まれていたいタイプの人なのではないか、と。

勿論、モンスター級の器用さがあり、それは天然の明るさだから、寂しそうな表情は出ませんが、本質はニガテそうだなぁ…と。

これが、たけしさんになると明確に寂しい表情が見えているときがありませんかね...。

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