2012年01月10日

仏教上の階級

畏れ多くもグダグダになってしまっている仏教用語を仕分けする必要があるのではないか。いや、ホントに混乱の元なんです。【仏】や【如来】という言葉が使用されている場合の説明が曖昧だし、定義そのものが曖昧。実際に広辞苑や明鏡国語辞典で引いてみても、実はピンと来ないような説明になってしまっている。こりゃ、理解をする為にも分かり易くしてもらわないと困るんですよね…。

混乱の元であろう一例を示すと、例えばゴータマ・シッダッタ個人が悟りの境地に到る以前の、つまり、解脱する前のゴータマ・シッダッタを指して【菩薩】と呼ぶ場合がある。で、解脱した後のゴータマ・シッダッタは一般的に【仏陀】と呼ばれる。

固有名詞として使用したい場合、【ゴータマ・シッダッタ】としないと混乱してしまうんですね。何故なら、それ以外の勝手な呼び方が氾濫してしまっているから。先に挙げたように【仏陀】と表記してゴータマ・シッダッタを指し、【釈尊】と表記してもそれだし、【仏】と一文字でそれを指す場合もあるし、【釈迦如来】や【釈迦牟尼】と表記するし、更には漢字表記で【悉達】、【悉陀】と表記するし、【ゴータマ・シッダールタ】のようなカタカナもある。どうせなら固有名詞として個人名として使用するなら統一化しないと、混乱して仕方がない。(専門家の解説書では「ゴータマ」という姓の部分を漢字訳した【瞿曇】(くどん)なんて表記さえある。)また、学者さんも【ゴータマ・ブッダ】と表記していたりして、実に紛らわしい。

更に、【シャカ】という音は「シャカ族」そのものを指しているから、「オシャカサマ」と呼ぶのも意味合い的には違和感があるんですよねぇ。

そもそも「ホトケ」と口語で言われた場合、それは同時に死者全般を指してしまうのが現在の日本語であって…。

で、何が分かり難いのかって、なんだかんだいって階級が分かり難い。解説が出て来ないんだもんなぁ…。なので、ザックリと。

先ず、最上位が【如来】でしょう。元々はゴータマ・シッダッタを指して使用されていたもののようですが、後に広い意味で悟りを開き、衆生救済の為に、この世にやって来た者であるの意になったとされている。

で、その次の位が【菩薩】のよう。少し厄介になりますが、修行者の意味で、これはゴータマ・シッダッタが解脱する以前の状態を菩薩と読んでいたのに関連しているよう。ところが、只の修行者ではない。既に、純然たる信仰対象でもあり、【如来】に次ぐランクの信仰対象でもある。また、神仏習合の時代に日本の神々に、この菩薩という称号を宛がっていた。

で、その次の位が【高僧および羅漢】ぐらい。どちらも高僧でいいか。大乗仏教では菩薩の下に置かれるが、小乗仏教(上座部)では弟子の最高位の意。

で、その次が【インドの神々及び明王】となる。この「インドの神々」というのは、梵天、帝釈天、弁財天、吉祥天、毘沙門天を含む四天王など。また、「明王」とは密教の中に登場した守護神で大日如来の化身という事になっている。

しっかし、これは、どうなんだろう…。「梵天」の意味が分かっているんだろうか。いや、だって、梵天よりも高僧の方が上のランクって、幾らなんでも傲慢が過ぎる…。いや、待てよ、不動明王よりも仏教の高僧の方が上だというのも傲慢な気が…。怖そうな不動明王が怒るって事は無いんだろか。

いや、だってお地蔵さんは地蔵菩薩だから不動明王よりも2ランク上ですよ。そこら辺にある赤いヨダレかけをかけた地蔵さんが、コワモテの不動明王クンを部室に呼び出して、

「おい、ちょっと、オマエ。釣銭やるから、これでガリガリ君、3本買って来て。ダッシュな」
♪〜( ̄ε ̄)

と言ってタダで済まされるのかどうか…。

いや、実はおかしな事が結構、あるんですよね。ゴータマ・シッダッタは「私を尊ぶな。私の教えを尊んでくれ」とか「私の遺骨を崇拝するな」と言い残しているのに、なんだかグダグダになってしまっている。いや、厳格に言えば日本史の中でも知識人とされた僧侶らが権力を持ち、それが腐敗してしまったというシーンが多いのもホントなんですよね。「逆説の日本史」の井沢元彦さんあたりになると、織田信長が比叡山を焼き討ちにした事を著名な作家が苦々しく語った事に対して、「当時の比叡山は明らかに腐敗していたのが史実で、それを焼き討ちにした織田信長を仏敵と呼ぶのはどうか?」と激しく主張されていました。

なんだかねぇ…。

井上円了は面白い試みをしている気がします。哲学館の構造なんですが、最も奥に宇宙館及び皇国殿で配置している。叙勲を辞退しているのに皇国殿というのも味がありますが、やはり、宇宙を最大の尊敬対象としているのがいいですね。そして世界の四聖として孔子、釈尊、ソクラテス、カントを配置。また、東洋を舞台にした六賢として聖徳太子、菅原道真、荘氏、朱子、龍樹、カピラ仙人を置いている。そして憎いことには、その番人として天狗松なる松の木を配していたりしますが、天狗論は自身の功績であると同時に日本固有の妖怪であると導いたものでもある。

まぁ、好きなようにやっていいんじゃないのって事は思い知らされますかねぇ。そもそも神様とか聖者とか賢者は、「オレを低いランクにすんなっ!」とか云ってケンカしないと思いますし。

ussyassya at 02:15│Comments(2)TrackBack(1)世迷い言 

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この記事へのコメント

1. Posted by たぬ   2012年11月25日 19:19
 偶々気になってなんですが・・
 鎌倉以後の通常の日本仏教においては『如来、菩薩、羅漢、天・王』のランクは全く問題なくそのままの序列です。天・王に関して違和感があるといわれますが、彼らは天部の神々で、また護法善神などで、階級的にはテクニシャンに近い位置を占めると考えられます。

 ブッダに関しては、呼び方を統一したいとの考え方は一部理解できますが、実際上呼んでいる人の位置づけが異なっていますから無理でしょう。ヒンズーでは化身とみなす場合もあります。と言って統一された位置づけがあるわけではありません。仏教でも同様で、仏の教えだから仏教であるとの考え方もありますが、如来の一人にすぎないとのとらえ方もあり、さまざまなとらえ方がなされています。時期的な変遷も当然ですが、呼ぶ側の歴史的変遷も無視できません。
 まあ言葉ってすべてそうなんですがね。
2. Posted by メロンぱんち   2012年11月25日 23:22
たぬさん>
序列を真剣に考える必要もないのですが現代人の感覚からすると固有名詞は一つにしてくれないと理解にしにくいという事情から、畏れ多くも「ほとけ」については一度は整理したいと(笑

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