極めて私的な体験からの導入になりますが、地元のお祭りを巡っての話し合いに参加。で、仕事の合間に顔を出した程度だったのですが、これが紛糾。話を聞いているうちに、内容が理解できてきました。

地元のテレビ局が取材に来たり、NHKがローカルニュースとして取り上げてくれた比較的評判の良いお祭りが地元にあるんですが、そのスタッフらが事務局への異議を連発しはじめてしまったんです。きっちりとした運営事務局に対して、奉仕で参加しているスタッフらが噛み付いたというワンシーン。

どういう内容であったかというと、お偉いさん方、つまり、来賓となる県会議員などの先生方の挨拶があるんですが、その状況に人が集まらないと来賓に恥をかかせてしまうというので、イベントの演出として議員さん方の挨拶が終わった後に目玉企画の抽選券を配布しているが、そもそも本末転倒であるという指摘なんです。来賓のスピーチを集める為に我々がお祭りを企画しているのではない、こんなバカなことをしているぐらいならお祭りは辞めてしまってはどうか、という強烈な意見が相次いでしまったんです。

実際、その通りなんです。子供にしても、或いは小さな子を連れている若いファミリー層にしても、明らかに下らない来賓の挨拶を炎天下にうんざりするほど聴かされる。しかしながら、ホントは運営事務局のバックボーンそのものが県や市から助成金を受けている関係があるから、議員さん達に恥をかかせないよう、巧妙に段取りを組んでいる訳です。しかし、その実、昨今の埼玉県の夏なんていうのは、屋外であれば40度を越えるような暑さなのであって、もう、ホントにムダ。辞めちまえばいいのに…と実は私も痛感している。

で、この構図というのがイヤラシイ。変な話ですが、助成金を貰っている関係で運営事務局は議員さんに頭が上がらない。これが何か根本的に間違っているんですよね。「議員の挨拶なんて閑散とした時間にやらしておけばいいのだ!」という感情論ではなく、イベントを体制側の自己保身のツールと考えているあたりが生理的に気持ち悪いんですよね。スタッフは炎天下に招集をかけられ、殆んどタダに近いような金銭しか受け取っていない。また、来場者にしたって本当は来賓の話を聴くために炎天下に出掛けてきているのではない。もう、いつの間にか本末転倒になってしまい、当初は地域住民に対してのサービスとして始まったお祭りだったのに、いつの間にか助成金を巡って、そういう関係が構築されてしまっている。

運営事務局はお祭りを実施する為の機関に過ぎなかったのに、現在ともなると運営事務局を存続させる為のお祭りになっている。仕方のない部分もあるんでしょうけど、来賓の挨拶が終わったらアイスクリームを配布しますと事前に告知するなど、明らかな《釣り》のアイデアも盛り込まれていて、それに気づいてしまうとウンザリとなります。小学生の子だとか、小さい子供を連れて来ているファミリーも汗をだらだらと掻いているのに、平気で「後でアイスを配りますから」と釣っているワケですからね。

実際、そのお祭りにかかわらず、日本全国のあらゆる公的行事のイベントに、こうした実情があるように思いますかねぇ。

一方、非常に泥臭い行事である盆踊りなんてのは違いますよ。あれは完全に地域住民が地域住民の為に運営しているから、スマートな運営とはいかず、御長老の方たちがあーだこーだと言いながら運営する「手づくり感」がありすぎますが、少なくとも主人公は地域住民であるという意志統制は取れている。

この感覚というのがね…。

例えば、どの地方にもあるであろう小さな神社がありますよね。昨今は神社に自治会館が併設されていたりしますが、そういう名も知らぬような神社というのが点在している。で、それら神社とは誰の所有であったかというのが興味深いんです。地元の教育委員会などが郷土史研究もしているハズで、解説文を付してくれていますが、「元々は旧なになに村の人々の所有で…」と明確に書いてあるんです。つまり、旧い時代の村があり、その村民が持ち物としての神社というのが多いんですよね。つまり、行政機構の持ち物ではなく、村民の持ち物である。

【自治】とは読んで字のごとく「自ら治(し)らす」であり、その精神は貫徹されていたのでしょう。これを今風に呼ぶなら「パトリオット」となるのでしょうか、おそらくは郷土愛とも無縁ではなさそう。

しかし、昨今ともなると、地域の活力そのものが衰退し、なんだかんだいって助成金なんていうイヤらしいエサに頼って運営されており、もう、行政機構と運営事務局とがパッケージ化され、その行政機構一元化の元の地域のお祭りになってしまっている。

うーん、なんていうんでしょう。地域自治の理念というか、本来であれば地域住民が行政機構から助成金を引き出す関係じゃないといけないのですが、そこで主客逆転が起こっていて、行政機構を抜きにしてのイベントは成立しない。だから行政機構に気を使ってしまっている。当然、そんな態度なのであれば、運営委員会なんてものは何の為に存在しているのか分からず、イベントそのものも終わらせてしまえってなりますよね…。誰が主であるべきなのかが曖昧になりつつあるといいますか…。

仮に、これがAKBだったとする。急展開で恐縮ですが、やはり、関係があると思う。

AKBの運営をAKBメンバーがしているのなら、それは自治に近いニュアンスになりますが、実際にはプロデューサーが運営しているワケですよね。何の為に恋愛禁止なんて掟が設定されているのかも能く理由も分かりませんが、掟を犯した者には自由にペナルティを課す。いや、本気でペナルティを課しているワケではないでしょうし、本気で恋愛禁止を課しているワケでもなさそう。つまりは、全てがプロデューサーによる商業的プロモーションの一貫であって、そこに貫徹されているのは、単なる商業的プロモーションなんですよね。

アメリカン・プロレスに似ている。月曜日に遺恨が発生し、木曜日に両者が罵り合いを初めてて週末の試合を盛り上げるという極めて分かりやすいタイムスケジュールで演出がされている。分かり易すぎて日本のプロレスファンはイマイチ、乗れなかったノリがありますが、AKB商法も似ていて飽きられない為に様々な仕掛けを施してくるわけです。

誰ちゃんが電撃移籍であるとか、誰ちゃんが卒業であるとか、誰ちゃんがどうしたとか、常に変化をつけて話題をさらおうという、経営学のトレンドに則っていますが、それだけ。どこに誰の意志があるワケでもない。ただただあるのは盛り上げる為のノウハウと、おカネを集める為のノウハウ。

言ったららイトーヨーカドーの鈴木社長と秋元康さんが株主通信で対談していたのを目にした経験がありますが、完全に認めている。今の経営は変化をつけて飽きさせない事がトレンドで、同じ事は全般で言えてしまう。日本マクドナルドの原田社長も同じで、メガマックを企画したりして話題になりましたが、そうしたサプライズを演出してワイドショウが取り上げてくれるパブリシティ効果という広告効果を狙うノウハウを持っていますし、多くのカリスマ経営者は似たような発言をしていて、「なになには生き物なのです。耐えず変化をつけなければいけないのです」と語っている。そこに、ステルスマーケティングと少し類似していますが、サプライズをドンと打って、ワイドショウやスポーツ新聞に取り上げてもらい、そこから発生するパブリシティ効果(口コミ等を含む)に、日本人全体が飲み込まれているだけに見えるんですよね…。

冷静に眺めれば、実需の争いではなく、イメージ的情報の争い。

これはアップルの戦略にも似ていますが、何故、新商品の発売日に行列をつくらせて、従業員がお揃いのTシャツを着て、ハイタッチをするなどする映像がニュース映像として配信される事と同じです。そうしたイメージをつくるのが情報化時代の経営ノウハウになっているだけなんですよね。その意味で秋元康さんを「新しい情報時代の天才」と絶賛できる一方、わざわざ、それに騙されていることの空虚感があるワケです。

どこに誰の意志もなく、生来的な理念そのものも判然としない。ただただ情報戦略に飲み込まれてしまっている状態…。

確かに、これが現代という時代なんですよね…。自由の精神やら自由の理念がまるで無い。自由だというけど、見えないものに縛られていて、その中で足掻いている。思うに、政治工学とか金融工学というのが想像以上に社会を混乱させてきた気がしますが、現在はさながら情報工学のようなものが隆盛。かなり巧妙な超情報化時代の広告戦略がそこら中に張り巡らされている。

「新しいか新しくないか」とか、「最先端か最先端ではないか」という価値観が蔓延し過ぎていますよね。そういう理屈は「流行に遅れると社会についていけないよ」という具合に解説され、ケースによっては脅迫的に流行にのることを強いていたりもする。ですが、そうした情報の中には営利企業のマーケティング戦略も潜んでいるし、それこそインターネット上でもステマなんてものが紛れ込んでいますよね…。韓流のゴリ押しも容認しているうちにホントにブームが定着してしまったし、「新時代のカリスマ経営者だ。利益を上げる企業こそがエクセレントカンパニーである」と持て囃していたら、それらの企業がコンプガチャのような手法を考え編み出して、非常に巧妙に消費者をゲームづけにしてカネを巻き上げてしまうという油断のできない社会になっている…。

冷静に考えて、ケータイの料金が月々6〜8千円という場合、一年間で換算すると7万2千円から9万6千円もケータイ使用料として支払わされているワケですよね。7万とか9万の世界ですよ。何故、普段は激安スーパーのチラシに踊らされて数十円安いだけの激安店を大絶賛している。おそらくは同じ人が、一方ではケータイ料金として年間に7万だの9万だの、更には、それ以上も支払っているのが現在のニッポンですよね…。なんじゃ、そりゃって気がします。9万もあれば…。

前半のお祭りのくだりと、関係するかって? 関係しますよ。経営学の最初に教えているのは基本理念であるハズで、それは経営学に限らない。理念そのものに忠実であるかどうかは、実は非常に重要なカギのハズなんです。ところが不況下で、お祭りを存続させたいが為の運営事務局となっている。つまり、理念が蔑ろにされる主客転倒が起こっているという意味では実は同じであろう、と思うんです。若い方も、或いは中高年から老齢者までもが、極めて基本的な何かを情報化時代に見失い、「主」ではなく「客」である事に満足しはじめている。主体的態度が自治だし、能動的な価値観というよりも、極めて情報の上で踊らされる社会になっているのではないか。