2012年07月10日

いじめ自殺の底にある想像力とリアリティー

いわゆる、「いじめ自殺」の問題を傍観していて、そりゃ変だよねって思ってしまう事がある。だってさー、不自然な解釈というか、無理矢理な解釈というか…。

埼玉の北本市でも、2005年に起こった中学1年生の女子生徒の自殺を巡って「いじめの事実は無かった」という判決が出たというんだけれど、テレビが報じた映像によると日記には「いじめ」がつずられているのに認定してもらなず、全面敗訴であるという。

うーん…。想像力が足りなくないスかね。

人間を直視していないんだろうね。いじめをしていた子が正直に名乗り出るとは限らないし、或いは自殺といじめとの因果関係が分からないのなら、「分からない」という事なんだろうに。まぁ、この問題は元々、事実を知る為に損害賠償を起こすという手段をとらねばならないなど、最初から制約が多いような気がしますかねぇ。

だってね、殆んどの成人は学生時代を経験しているのであって、おそらく、その経験の中には、程度の差異はあれど、いじめというものを知っているハズなんですよね。加害者かも知れないし、被害者かも知れないし、傍観者かも知れないし、或いは、それらを重複して経験している可能性が高い。だから、経験則として知っているハズなのに、わざと、しらばっくれているような対応になってしまっている。

なんだか本気度がないというか、情熱がないというか。それが何を意味しているかというと官僚的で役人的で、事なかれ主義の自己保身なのでしょう。

ホントは、そういう対応をするという事は、大人として、ヒトとして、恥ずべき事ではないだろか。

人間だから勘違いもするし、ミスも犯すし、調子に乗って他人に迷惑をかけてしまうような種類の失敗をやらかすこともある。ですが、自己保身というのは、そういう不作為によるものではなくて、実は自分で自分を作為的に甘やかしている行為なんですよね。恣意的で、「私が悪いのではないのだ。責任がある? そんなもの知るものか。私にだって家族があるし、人生がある!」って自分に必死に言い聞かせ、甘やかし、自らに利益を呼ぶ込む醜い所業なんですよね…。

ホントは分かってなきゃ、嘘だと思うけどなぁ…。

そら、死ぬとは思わなかったけど、いじめていたというケースもあるだろうし、そんなハズはないという過信から傍観したり、容認したり、黙認したりするってケースもあるんだろうけど、事実関係を争ったときに、良心が痛まないというのは、自己保身でしょう。ホントは、自分に非がないと思っていても、「ひょっとしたら、私の一言が傷つけてしまったのだろうか?」ぐらいに他人の死については大袈裟に自分を疑うのが筋だと思うんですよね…。それはそれで、そこまで、自分に厳しく向き合い、「このような事がありましたし、このような事であったのかも知れない」と謙虚に展開した上で、「どうする事もできませんでした」と主張するのなら分かりますが、最初から、穏便に済ませる為の、やる気のないアンケート調査をしてたりするのは、自分で自分に甘い匙加減をしている事になる気がします。

ごくごく稀に、クレーム対応に追われたとき、いつも、ドタバタになるんですね。で、それって私だけじゃなくて、みんなそうらしい。先方が主張している以上、先ずは徹底的に自分や自分たちを疑わねばならないという状況になってしまうから。嫌ですよ。しんどいし、パニックになるから、故に、ドタバタとなってしまい、慎重に、慎重に、謙虚に謙虚に対応する。そうしないと、問題は解決しないし、そこまでやっているのにクレーム側がおかしいというケースもある。であれば、初めて、逆襲に転じることが出来る。悪質なケースであれば舌鋒するどく反撃するケースもありますが、基本的には、自分たちが負った労苦をおくびにも出さず、「ひょっとしたら、これこれこういう事ではありませんでしょうか?」という具合に対応し、問題を解決する。下らないことに、先方の単なる勘違いであったり、或いはそういう姿勢を見せることで、先方の信用を勝ち取っていく。信用を得るというのは現在のような時代だと報われないのが現実ですが、ホントは、そのあたりからして社会が狂っているような気がする。

私が思うに、既に教育現場というか、職員室の空気というのは混乱している気がしています。もう、組織運営がどうのこうのとか、そういう体裁を気にしている次元ではないのに、体裁や体面も保ち、それでいながら指導を考えているのだから、無理が生じているようにも思える。いっそのこと、外部機関をつくって、学校運営に関与していない調査機関を設けてしまうぐらいシビアな事になっていやしないだろうか。学校内に外部機関が入ることに抵抗を感じるものかも知れませんが、実質的にパンクしてしまっているのでしょうし…。

酒鬼薔薇事件について、朝日新聞社会部か何かが記したドキュメントに目を通すと、なかなか生々しい描写が綴られいました。事件が発覚したあの日、報道を知った教頭は「まさか、ウチの生徒が犯人じゃないだろうな」なんて不安が脳裏をよぎったという。で、実際に、その学校の生徒が酒鬼薔薇であった。「最悪の事態になった」という具合に感情の変遷を描写している。これは生々しい描写であると感じました。こういうのは社会部記者であるが故の冷静さと、その筆致の力量もありますが、どうしようもなく生々しいリアリティーだと思うんです。

えらい事になった―――頭を抱える教頭。

これほど生々しいものはなく、故に、そこにリアリティーが生まれて、説得力に繋がるんだと思うんです。人間というのは想像力があるワケで、「世間を騒がすような事件が近所で起こったけど、まさかウチの生徒じゃないよね」と思う浮かべたりするだろうし、その挙げ句に、「信じられないことだが、ホントにウチの生徒が犯人らしい!」のような風に情緒は紡がれていくのがリアリティーですよね。

「証拠として因果関係を立証できず、いじめが自殺の原因であると確証には到りませんでしたから、いじめという事実はありませんでした」

というのは、如何にもいびつなんです。

総じて、いじめ問題というのは、事実の認定に当たってこれこれしかじかであるとか、なんだか迂回して迂回して結局は「これが確実にいじめが原因で自殺したという証拠の立証には到りませんでした」という具合に着地させてしまっている。

昨日の時点では、学校が実施したアンケート用紙を見ていなかったのでのですが、確かに、あんなアンケートでいじめについて調査しましたと言われてもねぇ…。亡くなった女子生徒の無念うんぬんではなく、学校の統治というか指導体制というか、そこに疑問を感じてしまうかなぁ…。

しかし、こういうのって、ホントに教師は把握できていないのだろうか?

酒鬼薔薇事件なんてのは教師らが想像することも不可能なレベルの事件だったとは思いますが、日常的に存在しているであろう、いじめについて、担任教師や、その他の先生方はホントに全く把握できていないのか?

ここが個人的には分からないんですよねぇ…。

大体、当事者であれば空気も読めるし、人間関係も把握できている訳だし、それぞれの個性としての性格も大雑把には把握できているハズですよね。

冬季限定でスキーのインストラクターを趣味でしている友人と、そういう話になりました。中学生なんてのにスキーを教えるときに、積極的な子、快活な子をどうしても優先してしまうものだよね、という話でした。その問題は私と同じように、完全に把握されていました。やはり、シャイな子とか、オトナと話すことに慣れていない子とか、大人しい子とか、実は分かるんですよね。私も、そういう少年時代を送っているから。だから、ホントは、そういう事で分け隔てをしたくないという自負がある。

ですが、現実的には難しいとも感じている。実際に、年に一回ほど10年ばかり小学2年生を相手にして「まちたんけん」なる生活科の学校行事で、チビさんたちの相手をしているのですが、やっぱり、それを感じている。毎年のように、なんだか私の方が反省することになってしまうんですよね。生真面目に考えてしまうと、こちらが固まってしまい、円滑に話せなくなってしまうし、やはり、積極的で開放的な子に対して、丁寧に説明することになってしまう。

学校の先生なら、そうした児童・生徒らの個性も把握しているのがホントの部分ではないのか。勿論、陰湿ないじめがあるというのは寝耳に水だとしても、どの子がどのような感じで威張っていて、どの子がどのような感じでからかわれたりするのかというのは、大雑把に把握できていないハズがないじゃないか、と。

さて、ここで自分自身の中学時代の体験を思い出してみる。或る生徒、仮名A君が何者かによって清掃時間中に暴行され、そのままカラダが硬直してしまったとかで、救急車を呼んだ事がありました。誰かがA君に暴行を加えたという事が判明している。全てのクラスメイトが居残りになり、

「A君を暴行したものは名乗り出ろ!」

という具合の、教師の詰問が続きました。これが長くて長くて。担任教師だけではなく、生活指導の筋金入りの先生までやってきて、延々と「名乗り出なさい!」という重たい空気が支配している。勿論、目をつぶって挙手しなさいとか、紙を配るから無記名で知っている事を書きなさいなんてこともしている。

外は真っ暗になっているのに、執念の教師が居たので下校させてくれない。一部の女子生徒の父兄からは「塾に行かせたいのだけれど、娘が帰宅していない」という問い合わせもあったみたい。

しかし、それでもジリジリとした空気の中、そういう犯人捜しの時間が続きました。

いい加減に、私のような部外者はイライラが募ってくる。「誰がやったんだか知らないけど、名乗り出ろよ」とイライラしたり、或いは「そもそも先生方は、犯人がウチのクラスに居ると決め付けているけど、隣のクラスの奴が犯人なんじゃないんだろうな?」とか、もう、色々な事を考えているし、そういう事も実際に生徒同士では話していました。

で、トイレ休憩を取った後に、B君が職員室へ自首したんです。経緯は後に知ったのですが、B君が単身で職員室へ行き、

「ボクがやりました。間違いありません」

と、生活指導教師に自首をしたんですね。

問題が解決したと思います?

違うんです。B君は身代わりに自首したのでした。B君が自首したことによって、一件落着。我々は帰宅することが許されたのですが、その帰り道に、学級委員君に呼びとめられました。

「どうしても聞いて欲しい話があるんだけど…」

って、20時近い用水路沿いの自転車専用道路で呼び止められ、少しだけ学級委員君の告白を聞きました。

「オマエだから言うけどさ、Aを蹴ったの、ホントはBじゃないんだよ。ホントはCたちのグループらしいんだよね…。オレ、Bから身代わり自首することを打ち明けられちゃったんだけど、オレだけが、この事実を知っているのって、重くて重くて…」

っていう。

C君というのは、体育祭で学校中のヒーローになるような子でしたが、もう、どうしようもない。まぁ、ホントのワルというのは、たとえ無邪気そうに見える中学生でも、身代わり自首を立てるぐらい、悪知恵が回るってことっすね。で、実際、私も学級委員君も、Bが身代わり自首であるらしいことは口外しないことにしました。学級委員君にしても私にしても、C君らがB君を身代わに出頭させたと告発するのは、さすがにリスクが高すぎると中学生なりに判断したって事です。

理不尽な判断ですが、そのリスクは取れませんやね…。

ですが、翌朝のホームルームで意外な展開が待っていました。担任教師が、Bの身代わり自首を見破ったんです。「そんな訳ゃ、ねーだろ」、と担任教師。

担任いわく、「オマエらの内の誰かが、Bに身代わり自首を押しつけたんだろ?」って、なにもかも御見通しでした。

クラスメイトの一員であった私でさえ、学級委員君に告白されるまで事実を知らなかったというのに、担任教師は推理だけで、そう展開していました。「Bは、そんな事をする子ではない」と直感したみたいんです。B君はバスケ部に所属していて活発は活発なんですが、少し気の弱いところがあって、使いっぱしりをさせられている事もある。そんなB君が何者かに命令されて自首させられたと推論し、その筋書きまでホームルームで披露していました。

意味、通じるかなぁ。つまり、担任教師は何もかも御見通しだったんです。証拠らしい証拠はないし、「ボクがやりました」という自白もあったというのに、担任教師は

「Bが犯人のわけがない」

の一点張り。しかも、ホントに事実関係としても担任教師の推理は鋭く事実に迫ってしまっている。少なくとも、BがAに暴行を振るったというのはウソくさい。

すると、図体ばかりデカくて、鈍重なB君が、ぼろぼろぼろぼろってな具合に涙をこぼして泣き出しました。到底、演技なんてレベルは不可能な、鼻水まじり、嗚咽まじりの声で、

「ホ、ホ、ホ、ホントはオレ、やってません」

と、自らの無実を宣言。

そのB君が洪水のように流した涙によって、B君の無罪が学級裁判にて確定する―――。

で、こういうのがホントだと思うし、本来の教師像なんだと思いますよ。クソ中学生の悪知恵ぐらい見破れないで、どうすんのって。

学校内の事は学校で処分しようとして警察を介入させず、少年法の壁なんてのもあるのだから、学内で起こった事は学内でキッチリと解決させるのが本来的な筋ですよね…。これをやらないのであれば警察に介入してもらって本格的な捜査をすればいいのだし。捜査をさせないのなら、徹底的に学校の責任で事件の真相究明をすべきではないのだろうか。いや、昔は、そこそこ、それが出来たから警察を介入させなかったのだし…。

そんな感じが高校でも続いたかなぁ…。

曹洞宗系の学校でしたが厳しくて。喫煙していようがいまいが、喫煙している連中と一緒に居たら同罪であり、しかも自宅謹慎じゃなくて、学内謹慎にされて、座禅をやらされたり、写経をやらされたり…。実は生活指導そのものが巧妙に矯正プログラムになっていて、生徒側からしても鋭いんです。だって、自宅謹慎なら、どこかで出掛けて遊んでしまいますよね。反省なんてするワケがない。だったら、寺で座禅や写経しろっていう課題を具体的に課してしまった方がいいんですよね…。不良学生を相手にしている教師陣だから、そうしたノウハウも持っているんですよね。

学年に一人、もしくは学内に一人ぐらい、教師の中には不良の考える悪知恵を見破ってしまうような、熱血な生活指導教師ってのが居たもんですからね。独善的に振る舞うし、体罰も振るうから、評判も悪いけど、侮れないのはホントでしたよ。この一件なんて、あの担任じゃなかったら、B君は無実の罪を着せられ、B君の親御さんも謝罪だなんだとなって、学級委員君や私のような裏側を知っていた人間だって、ずーっとトラウマを抱えねばならなかったかも知れない。

こういう経験則があるので、現在、報じられているアンケート調査の事なかれ主義っぷりとかって、ホントに情けなく感じちゃう。甘い、甘いって。ホントは、薄々、把握していてのだけれども裁判などになって責任を負うのがイヤだから自分にメリットのあるような事実認識に書き換えているだけだと思うけどなぁ…。いいんですかねぇ、ホントに。こういう事の積み重ねが社会に「いじめ」を蔓延させ、当たり前に人々が持っている正義感を削いでしまっているような気がしてしまうんですけど…。

冷静に考えれば、どの生徒がどういう性格で、どういうグループに属していて、どのような力関係にあるかなんて把握するのは、そんなに難しくないですよね…。「まちたんけん」で接する私のようなど素人や、やはり、一回こっきりで接しているスキーのインストラクターの友人も、それぞれ生徒や児童と接するときには個性があるねって見抜けているのがホントなんだし、担任が把握できていないというのは、おかしいよなぁ…。薄々は児童・生徒間の力関係や序列は把握してなきゃ嘘でしょう。把握した上で推理も可能なのに、それをせず、自分に有利になるように知らないふりをしているんだと思うけどなぁ。

昨今の教師は、しらばっくれてるだけでは? 確証がないことをいいことに、楽な役人的対応に終始しているだけのように感じますけどねぇ。

悪い奴を炙り出すには、それを上回る知恵と執念で、真実を暴いてくれてなきゃ。



書き終えた後に、中学時代のエピソードで思い出してしまった事が…。

A君は農家の子で、天然パーマで顔にハタケのあった子。ハタケってのは、なんだか細菌らしいので、今どきの子は作りませんやね。当時にしても同じで、同じ市内でも明らかに田舎の地域の農家の子。数年前に電車の中で偶然に会いましたが、確か、今、話題の渦中にある、あの電力会社に勤めているっていってたかな。高校を出て、かれこれ二十年以上も、勤めているとか、そんな話をしていて、羨ましく感じた記憶がある。高卒っつってもね、安定度として格段の差があるから。

で、A君が救急車で運ばれていくシーンというのを思い出そうとしていたんです。確か、救急隊員が教室の中にやって来たのではなかったかな。清掃の時間があって、それが終わって教室に戻って来たら、教室が大騒ぎになっていた。そこで私は、先生や生徒らによって連れ出されて行くのを見ていた。

A君は浅黒い顔でビーバーみたいな顔をしているんですが、睫毛が涙で濡れていて、束になってしまっていて、なによりも体が硬直してしまって動けないらしいとかで、騒然としていたんです。それを象徴していたのがA君の指先で、それぞれの指先がピーンと突っ張ってしまっている。

そら、大事でした。ごくごく稀に子供同士のケンカで内臓破裂に到った例なんてのもありましたが、インパクトはそれ以上でした。実際には暴行を振るわれた事が原因となる心理的要因でカラダが硬直したとかで、身体機能の何処を傷んだとか、そういう話ではなかったのですが、その日の、その瞬間というのは、A君が暴行が原因で不具者(不適切ですが、実際にももっと不適切な言葉で表現されていた。)になってしまったかも知れないという、そういう認識の下に起こった騒動でした。

で、思い出しているうちに謎が解けてきたんですが、直接的な被害者であったA君、身代わりで犯人にされそうになったB君は、共に、いわゆる「田舎の子」というキャラクターだったかなぁ。町外れの事を【在】というらしいのですが、そういう意味で、田舎の子。方言ではなく、実際に国語辞典にも【在】って掲載されています。

同じ埼玉東部で何を言ってやがるんだって思うかも知れませんが、当時の意識だと、どこどこ地区にはどこどこ幼稚園に通っていた新住民の子が多く、一方でそれとは異なる田舎の子の枠があった。東京から埼玉に居を構えた世帯、そのエリアで育った子たちの方が生意気で口も立つし、利発な感じになっていたものだから、田舎のぼさーっとした子をバカにしていたのかも知れないな、と。見下していたのは確かかなぁ…。基本的に、おっとりしてる子が多かったからねぇ、農家の子って。(私自信も親は東京下町に居住していたのがホントで、私自身は地元人間ですが持ち込んだ文化は親のそれでしょうから、やっぱり、文化や血筋という意味では地元のそれではなかったのかも知れない。)

ussyassya at 11:49│Comments(1)TrackBack(5)世相・社会 

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この記事へのコメント

1. Posted by 北本イジメ裁判と同じ   2012年09月10日 23:44
北本イジメ裁判と同じ裁判官の口頭弁論があります。
http://beauty.geocities.jp/souzoku_nakano/
日時:2012年10月22日14時〜
場所:東京地方裁判所610号法廷

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