『三億円事件』で彗星のように登場したノンフィクションライターの一橋文哉氏は、世田谷一家殺人事件についても衝撃的な著書を記している。三億円事件が盗難事件であり、特に殺人などの生臭さもない事件であったのに比べて、世田谷一家殺人事件は事件そのものが凄惨な中身になってしまっているので、ノンフィクションとして向き合うと、生々しい描写、血なまぐさい描写があり、どうしても胸の痛むような凄惨な犯行の中身にも向き合わされてしまう。ですが、21世紀の始まりをどんよりと曇らせた許されざる犯行であろうともある。

以下、一橋文哉著『人間の闇』(角川oneテーマ21)に沿って、世田谷一家殺人事件を回想しますが、気の進まない方は読まない方がいいかも知れません。

◆現場の再現

先ず、犯行現場がどのようなものであったのか?

――1階の床は全て血の海になっており、玄関の近くまで真っ赤に染まり、独特な血液の臭いで充満していた。2階に上がる奥の階段下に、普段着姿の父親がうつ伏せに倒れていた。愛用の縁なしメガネは鼻にかけたままだったが、後頭部には、折れた柳葉包丁の刃先が突き刺さっていた。父親は全身メッタ刺しの状態で、直接の死因は包丁で胸部を深々と刺され、心臓横の大動脈を損傷したことによる失血死だった。

〜略〜

中2階に上がって奥の子供部屋では、2段ベッドの下段で長男が仰向けに倒れていた。〜略〜鼻血を出し、首筋に数か所の鬱血(うっけつ)が認められた。この長男だけが窒息死で、ベッドで寝ているところを左手で口を塞がれ、同時に右腕で首を絞められて死んでいた。

さて、問題の母娘だが、階段を上がって2階へと上がる中2階の階段踊り場で、2人は全身血だらけで死んでいた。トレーナーとジャージ姿の長女は、まるで命乞いをするかのように胸の前で手を合わせ、正座したままで前に倒れ込みこと切れていた。

上下のスウェット姿だった母親の方はその娘を庇うように横向きになり、娘の方に両手を伸ばして覆い被さるような恰好で、並んで倒れていた。

〜略〜

捜査報告書によると、母親の死因は《心タンポナーデ及び出血性ショック死》とある。犯人は包丁を心臓に達するほど深々と刺し、心臓から噴き出した血液が心膜腔(しんまくくう)内に充満し、心停止させてしまったのだ。

一方、娘の直接の死因は《後頭部刺創による顎髄損傷》。犯人は娘の後頭部から首を切り取るようにして包丁を刺し、顎髄や気管を貫いたのである。――


今になって惨状を想像するだけでも既にメゲそうになる凄惨な犯行現場であったのが伝わってくる。当時の被害者一家の年齢は父親が44歳、母親が41歳、長男が6歳、長女が8歳という家族構成。普通の感覚を持っていれば、その惨状に対して第三者であっても、行き場のない怒り、犯人への憤りの感情が湧いてしまう特異な事件でもある。

と、ここまででも充分なのですが、『人間の闇』では更に細かく解剖所見についての解説が続いている。特に母親については「顔は原形をとどめないほど切り刻まれ」ていたという。しかし、それは当時の解剖所見であり、2008年から実験的に導入された最新の法医学鑑定システムによって、3D画像で遺体の切創や刺創、殴打痕などを多角的に解析するハイテク化が可能になった。それによって、現在では更に、犯行状況を生々しく再現することが出来るようになっているという。その最新法医学鑑定システムによって立体化された画像から犯行状況を読み解くと、更に戦慄の犯行状況が浮上してくるという。

――犯人は何度も何度も執拗に母親の顔を包丁で切りつけた。しかも刃を寝かせて、顔面の起伏に合わせて強く押しつけ、力を入れながらゆっくりと〜中略〜既に傷が付いている箇所では、さらに傷口に深く刃先を押し入れ、力を加えながら刃をひねる。即ち、じっくりと時間をかけて、しかも何度も繰り返して、顔面を抉っているのである。――

同著でも「再現するのも憚れるシーンの連続で」と記されている箇所であり、これでも長女の描写に関しては自粛しているのですが、母娘の惨殺状況が明らかになってくる。その状況が明確になるにつれて、尋常ならざる事件であることの認識が再浮上してくる。先に触れた状況は、母娘ともに早い段階で喉を刃物で斬りつけられており、つまり、悲鳴も出せない状況になった母娘、その顔面に執拗に包丁で斬りつけていたという、尋常ならざる凄惨な犯行現場が解析できてしまうようになったのだという。

「絶対に犯人を許してはいけない」、「絶対に未解決事件にすべき事件ではない」という強烈な思いが自然と噴き上がってきてしまうような、そういう事件なんですよね。



◆一橋文哉が導いた犯人

一橋氏の説を掻い摘んで触れると、被害者宅は隣接していた都立祖師谷公園の拡張整備計画に伴い、住居の移転を余儀なくされていた。被害者宅は、不動産会社及び宅地開発業者らから土地の売却を持ち掛けられていたという事実があったという。東京都と被害者宅との仲介に入って、利ザヤを得ようとしていた業者が多く、その中でも熱心に動いていた暴力団系の地上げ業者であったという。

更に、その地上げ業者は仲介役を持っていた。その仲介役をしていたのが、宗教団体のボランティア活動や、6歳の長男の教育問題で被害者夫妻と交流のあった《元宗教団体幹部》の或る人物であったという。

そして、その元宗教団体幹部を敬愛する若者グループの中の一人に、一橋氏が実行犯とする元韓国陸軍軍人の「李仁恩」(仮名)という人物が存在する。その李仁恩こそが、実行犯であると導いている。

その李仁恩と元宗教団体幹部については、以下のように綴られている。

――李は生まれつき知能程度が低く、気が小さなところがあって、周囲からいじめられて育った。短気で粗暴な面を直すために韓国陸軍に入隊したが、戦闘訓練の辛さと上官のいじめに耐えかねて、一時は薬物中毒になっていた疑いがある。愛用する興奮剤の一種、「ベンゼドリン」の微粉末が事件現場で検出されており、そこには彼を冷徹な「殺人兵士」に変身させる、狂気の《原動力》が潜んでいた。その李を《洗脳》し、そこまで追い込んだのが韓国の怪しげな宗教団体に属する元幹部だった。――

一橋氏に限らず、軍隊経験者が実行犯であるとする説はあるのですが、特に、ここでは黒いハンカチの使用方法に触れられている。黒いハンカチが2枚持ち込まれており、一枚は三角に折って自らの鼻と口を塞ぐ覆面とし、残りの一枚のハンカチは中央に切れ込みを入れあり、そこに刃先を通して袋状にし、血塗れになるであろう現場を想定してハンカチを滑り止めとして使用していたとされる。実は、細かく眺めていくと、軍隊経験者か、それに見合う特殊な訓練を受けていた者の犯行を印象づけるものが多い。

犯行後の犯人が異常とも言える長時間を被害者宅に滞在していたという特異な状態があったが、薬物を使用していた極度な興奮状態にあった犯人がカラカラに渇いた喉を潤すために、冷蔵庫をあさったと導くことができる。冷蔵庫内を物色し、ペットボトルをガブ飲みし、果物を食べ、カップのアイスクリームを手で握りつぶすようにして押し出して食べていたという、犯行後の異常な行動の説明もつくことになる。

で、この李仁恩は軍隊経験者にして興奮剤「ベンゼドリン」を愛用しており、しかも微粉末が犯行現場にあったとしている。また、犯行状況からして、「犯人は、とても正気の沙汰とは思えない」と言われてきた事件だから精神異常者説などがあった訳ですが、一橋説を採れば、その犯人は興奮剤を服用して、尋常ではない精神状態になった軍隊経験者が実行犯であったことになる。(薬物を使用して興奮状態の軍隊経験者が実行犯だったことにになるので、従来の軍人説と精神異常者説を複合できる。)


クリミナル・グループ説では、つまり、アジア系留学生らの犯行であったとする中での韓国人犯人説であったのに対し、こちらの一橋氏の説は韓国元軍人犯行説とでも言うべきものになるのでしょうか。偶々、韓国人で一致していますが、内容そのものは異なっている。では、全く異なるののかというと、そうでもなくて、一橋氏にしても基本的に一家を殲滅してしまう残虐を残虐とも感じない事件の構図が似ている福岡一家四人殺人事件に触れ、且つ又、インターネット闇サイトで犯罪者を募ったりする新型犯罪にも触れている。

齊藤寅氏、一橋文哉氏ともに日本側から韓国警察に対して、指紋照合などを依頼した経緯について触れられおり、そこで該当する指紋は無かったという何か釈然としない日本側の警察発表、その公式見解によって、外国人犯行説のようなものが暗に否定されたり、さほどの見識もないまま下らない陰謀論として見下されてしまっているような…。

で、これら凡その輪郭については、別冊宝島編集部編『9大未解決事件の真犯人!』(宝島SUGOI文庫)や、『別冊ナックルズvol.7 ニッポンタブー事件簿』(ミリオン出版)とも矛盾していないんですよね。その『ニッポンタブー事件簿』の中の中村透氏が取材と文を担当した記事『解決不可能な「世田谷一家4人殺害事件」の闇』でも、終盤にその箇所が登場している。元公安幹部への取材で、未解決事件になるのは三つの要素が絡んでいるという話を聞き出しており、それは外交、政治家、宗教だという。ナックルズらしい陰謀論にもなってしまいますが、解決が不可能になっている要因は、そういう事情の部分にあるのではないかとしている。