2014年02月14日

【ひのもと】について

ああ、そうか。これは、あんまり考えて来なかったなぁ…。

断片的に坂上田村麻呂が東北地方に遠征して、青森県に「日本中央」と刻んだ石碑を残し、それが発見されたらしい話を知っていたのですが、ウィキペディアで確認してみたら、その後もなんだか明確になっていないという。

【ひのもと】や【日高見】というのを考えていくと、結構、面白い話だったのかも。

「なんで日本の中央が青森県なんだよ?」という素朴な疑問があり、且つ又、「青森県にはキリストの墓もあるっていうし、まぁ、察しなさいよ」という暗に軽視してしまいそうな、そういう感覚もある。ですが、確かに、どこか引っ掛かる話でもあるよう。

「蝦夷」について、ざっくりと、関東以北に住んでいたヤマト勢力とは異なる勢力であっただろうという考え方がある。それが「蝦夷=アイヌ民族」と考えたり、そう限定できるものではなく、基本的には同じ倭種の人たちであるが勢力として異なる人たちであるとか、様々。問題は後者ですかねぇ。

これが【日本】という国号の成立に絡んできてしまう。「旧唐書」と「新唐書」とがあって、旧唐書では元々は小国だった日本がヤマトを併合したという具合の表記があり、その約百年後に記された新唐書になると、ヤマトが日本を併合して国号も日本に改めたという具合の表記がある。

国号にかかるミステリーは、まさに、ここですよね。何があったのだか、よく分からない。それについては谷川健一著『白鳥伝説』が鍵を握っているらしいので、『白鳥伝説』を目にしているのですが、よくよく整理してみると、新唐書の「ヤマトが日本を併合して国号を日本にした」という内容は、日本からの使者自らが説明したくだりであり、旧唐書の誤りを修正したクダリと考えるべきではないのか、と推察されている。自ら語った話だというのだから、確かに、それは、有力と考えるべきなのではない?

となると、これまたミステリーに直面することになる。やはり、ヤマトが日本を吸収したって意味になる。そうなのであれば、国号、これは国の名前だから常識的には引き続き、「ヤマト」(倭)が踏襲されると考えたくなりますが、それなのに何故か倭国は日本国という国号に変わったという事になる。これまた、ミステリーだよなぁ。

これは、やはり、同じ倭種と呼ばれる人たちであるが、ヤマトと、それとは異なる倭種と呼ばれる人たちの勢力だったのではないかってなりますよね。それが、ヒノモトであり、現在の「ニッポン」、「二ホン」という場合の源じゃないか、と。

必ずしも、そのヒノモトは、蝦夷とも縄文人とも限らない。同じ倭種というのは、その通りに解釈すべきで、やはり、同じような文化様式を持つ倭人でありながら、ヤマト勢力とヒノモト勢力、プラス其の他という構図が、当時の日本列島の勢力図だったのではないか。(谷川健一さんは蝦夷を蝦夷として捉えているようですが…。)



で、こういうミステリーというのは、あっと驚くところに鍵があるものなんですね。なかなか驚きました。

【長谷】と書いてなんと読む?

【日下】と書いてなんと読む?

【春日】と書いてなんと読む?

【飛鳥】と書いてなんと読む?

【長谷】は「ハセ」と読み、【日下】は「クサカ」と読む。どう考えても、そう表記して、そう発音するのって特殊だよねって思った経験があると思うんですが、それらは西宮一民なる学者さんが『地名学研究』に寄せた非常に興味深い話があるのだという。

ざっくりとやってまうと、それらの読みは地名に由来しているが、枕詞的な修辞法が関係しているのだという。

「長谷の泊瀬」(ながたにのはつせ)

「春日の滓鹿」(はるひのかすが)

という枕詞的な修辞法があり、いつの間にか【長谷】と表記して「はつせ」と読み、【春日】と表記して「かすが」と読むようになっていった、と。

これに当て嵌めていくと、

「飛鳥の明日香」(とぶとりのあすか)

だから【飛鳥】と表記して、全く異なる語感の「あすか」となる。

おお! これは非常に説得力があるよなぁ。

では、残された【日下】ですが、これに同様の修辞法によって、

「日下の草香」(ひのもとのくさか)

があり、後に【日下】と表記して、「クサカ」と読むようになったのではないかとなる。

オドロキもありましたが、この枕詞的修辞法という、なんちゅう雅な思考展開なんだって。しかし、これ、説得力がありそう。


となると、自ずと、「草香」という地名が、ヒノモトの発祥地だったとなる。こうなると、神武即位前の河内地方や、雄略天皇の逸話などが遠く投影されてくることになる。

延々と、ヒノモト勢力は東へと逃れていった? いや、既にヒノモト勢力が日本列島の東日本に弱いながらも勢力圏を形成しており、ヤマト勢力は西から東へと東征したのであり、「ヒノモト」とはアバウトに「東方の日の下にある」の意味だった? 

うーん、呼称にかかる面倒くささが付き纏ってしまいますが、つまり、「ヒノモト」が明確に国号としてヒノモトを名乗っていたのでもないし、ヒノモトという勢力が存在していたワケでもない。もっとシンプルにヤマト勢力から見た場合に、東側にある勢力は、「太陽の下にある=日の下=ヤマトから見ての東」だから、延々と、ヒノモトを開拓した?

なるほど。

ussyassya at 11:59│Comments(2)TrackBack(0)歴史関連 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 黒田   2015年05月06日 22:07
すでに一年以上前の記事にコメントするのも憚られるのですが、今でも更新をされているブログのようですので書かせて頂きます。

「長谷」「日下」「春日」「飛鳥」をなんと読むか、の辺りで学者名を西宮一臣と書かれておりますが、正確には「西宮一民」です。
ツイッター(@Copy__writing)でこちらの記事が勝手に使用されています。
無許可であればそちらに連絡、または学者名の訂正をされた方が良いと思われます。
いきなりのコメント、失礼致しました。
2. Posted by メロンぱんち   2015年05月07日 01:32
黒田さん>
御指摘有難うございました。あわてて確認と修正をさせていただきました。このテの御指摘は、このブログそのものにとっても有難く、また、誤情報の修正はネット社会全体にとっても有意義だと思います。感謝です。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔