2016年03月29日

aikoの世界

昨日、不覚にも話を広げ過ぎてしまったので、宇野維正著『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)の核心部分について。

まぁ、宇多田ヒカルは勘弁してもらうとして、aikoについてなんですが、確かに最高の天才はaikoなのかも知れないという話について。まぁ、単刀直入に、aikoというミュージシャンは非常に個性が際立っていて、私自身の言葉で説明とするなら「世界が確立されている」と表現することができそう。しかし、それは同時に「どの楽曲も確かにaikoなのだけれども、基本的にどの曲も似ている」という意味も包摂している。いやいや、勿論、私のような音楽についての門外漢にしてaikoの熱心なファンというワケではなくとも、「milk」と「初恋」と「カブトムシ」と「桜の時」と「ボーイフレンド」と「アンドロメダ」については聴き分けることが出来ており、それぞれ高く評価しているつもり。とはいえ、基本的に楽曲に共通した特徴も感じ取れていて、それを私なりの言葉で表現すると、「心地好い調子っぱずれ」ですかね。決して調子っぱずれであるという意味ではないのですが、非常に個性的な旋律であり、聴く側からすると意表を突かれて心地好い脱力感として抜かれるというか、そういうフレーズが多いと思う。

で、松任谷由実さんの指摘が引用されており、私のいう狄潅蝋イつ柑劼辰僂困讚瓩マトモな言葉、音楽用語に置き換える事ができる。

彼女の歌は独特な帰結をするんですよ。トニック(主音)で終わらず、ベンド(半音から二音ほどさげること)して終わって行くことが多い。ああ、aikoだなって感じる個性がありますよね。〜以下略〜

ああ、私や私の周囲の多くの者がいうaikoの世界ってのは、多分、その事っすね。イイ感じで期待を裏切るのですが、それが個性になっていて、しかも心地よい。

で、松任谷由実さんのコメントを引用しましたが、そこではaikoのライブを観に行って、色々と刺激を受けていると、かなり肯定的に語っている。

で、その旦那となる松任谷正隆さんについては新聞でも一度、またテレビでも同じような内容の話を耳にしましたが、松任谷正隆さんがCDショップに走った事は、たった一回だけだそうで、それが「カブトムシ」を耳にした時であったといい、それは過去に、このブログでも触れたかも。確かに、物凄く個性的であり独創的であり、それでいて完成されている。コアなaikoファンからすれば当たり前すぎる話なのかも知れませんが、確かに、見渡してみても比類ないタイプのミュージシャンなんですよね。

で、プロの音楽ジャーナリストである宇野維正さんにして、宇多田ヒカルも椎名林檎も天才であるが、最高の天才はaikoなのかも知れないと呟く一節(一章)があるんですが、「ありゃ、そうなの?」というオドロキが確かにあるんですよね。私は全く知らなかったんですが、aikoは音楽ジャーナリズムと相性が悪いのだそうで、そういう余計なものを通さないで、ファンとの間にダイレクトに距離を構築しているという。つまり、不要なaiko像をつくらせないというか、aiko評のようなものをつくらせないというか、実はかなり頑なな人物であるという。そんな頑ななさを感じていなったんですけど、よくよく知ると、そうっぽい。

で、どう感じたのかというと、凄く意外な話であるな、と感じました。そんな事、考えた事も無かった。テレビの歌番組で見掛けるし、とね。ところが、aikoの活動は実は限定的だそうで、ニューシングル発売のタイミングに合わせてのテレ朝「ミュージックステーション」、それと大晦日というか新年というか「カウントダウンTVスペシャル〜年越しプレミアライブ」など、限定的なのだという。「ミュージックステーション」は宇多田ヒカルも同じようにニューシングル発売に合わせて出演していた記憶があり、まぁ、そんなものなのだろうとも思うものの、それだけでない。自ら番組の構成に携われる音楽番組に出演するし、バラエティ番組のゲストとしてもテレビに登場するが、実は音楽について真面目に語る姿をみせてくれない音楽家なのだ――と。

あ。そうか。何故、aikoを語ろうとして間接的に松任谷正隆さんの逸話に頼らざるを得ないのかと思ってたら、そういう事だったのか。ちっとも気付かなかった。他愛ない顔は寛大に視聴者にみせているが、音楽家としての素顔とか努力とか苦労なんてものを微塵も匂わせないタイプの人物なのだと気付かされる。しかも、その理由にしても、なんだかデビュー時にトラウマを宇野維正さんは疑っている。どうもaikoの場合は映画「新生トイレの花子さん」の主題歌を歌ってCDデビューになってしまったらしいんですが、作曲は自身ではなく作詞とボーカルを引き受けることとなったが、「子供が聴くから」、「難しい言葉は使わないで」と注文をつけられ、当惑した旨、本人が語った事があるのだという。で、レコード会社の思惑に左右されたメジャー・デビュー曲は、宇野維正さんにして「小室サウンドの出来損ないのような」楽曲であったそうで、そういう経験からaikoは自らのスタイルを頑なに貫いている――というんですね。

ああ、なるほど、そうであったか…と合点することになりました。よくよく考えてみると、ホントに生き残っている1998年組デビュー組というのは、商業ベースで誰かの掌の上で歌っている音楽家ではなく、実はきちんとセルフ・プロモーションする能力を有してる人たちなんですよね。しかも、それを周囲に悟らせないよう、犁ど佞れないように甦咾い討い襪辰討里蓮△舛腓辰板戝里譴眠燭を感じてしまうよなぁ。消費財としての音楽家ではなく、こんな時代にもかかわらず、おのずから成立させている音楽家という事なのかも。

宇野維正さんの指摘で気付きましたが、あのaikoがオリコンのヒットチャートでは一位を獲得するのは、なんとデビューから11年目、「milk」であるという。あれ、そうなの。特にファンでもない私にして、何曲も知っているというのに? しかし、実際そうなんですね。「アンドロメダ」や「カブトムシ」や「ボーイフレンド」あたりの楽曲でも爆発的にランキングを席巻したというのではなく、長い長い年月をかけて愛されている曲で、ホントに、ちょっと底知れないタイプなのだ。

先に挙げた松任谷由実さんのaiko評として、歌詞についても触れられていました。いわく

歌詞に関しては、瞬間を観念的にではなくて感覚的に切り取っているところが好きです

だって。確かに歌詞も安定していて、肩肘を張らぬ自然体でありながら、その自然の中の一瞬を切り取っている歌詞なのかもね。

歌詞も曲もよく、ボーカリストとしても魅力的で、なんとなく安定感があるから安定系に見えて、実は進化系の人だし、よくよく考えてみると、こういう人って不世出のタイプなんじゃないだろか。いやいや、それらを大々的にアピールせず、むしろ、気付かせないというスゴさに閉口してしまうというか。

オムニ7のアフィリエイトです。ベスト盤「まとめ機廚函屬泙箸甅供廖△修譴召2667円でした。現在も聴きながらですが、充分過ぎるほど、カネを払って手にする価値があると思うっスよ。

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ussyassya at 00:17│Comments(0)TrackBack(0)書籍・音楽 

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