2017年06月15日

「腹グロ」保守の台頭

中々、ピンと来ないような状況になっていますが、日本は大きな分岐点を悪い方向へ向かって通過したんじゃないのかなって思う。

テロ等準備罪が可決、成立した――と。

うーん、これなんですが、ネット環境に拠るのでしょうけれど、まぁ、一部の人々は歓迎しているかのようにも見える。しかし、つい先日、テレ朝の「羽鳥×橋下」なる番組を視聴していたら、あの橋下徹さんあたりでさえ、反対しているのに、何故、インターネット上の右翼だか保守だかの陣営は喜んでいるのかが物凄く分かり難いんですね。ホントは米国から要求され、その通りのに事が進められて、可決しただけなんて事じゃなかったかのかなぁ…。小林よしのりさんも国会に参考人として出た通りで、反対だったと思うよ。それを何故、ネット上の右翼的言説は、この法案可決を歓迎しているか不思議といえば不思議なんですよね。どこかでトチくるってるというかネット上に自民党の工作員が居て勝手にネット世論を形成しているような気がしているんですけどね。 

野党の攻撃の仕方がマズいというのは兎も角として、金田法務大臣はホントに法務大臣として相応しい人選であっただろうか? 文科大臣の問責は戦術なんでしょうけれど、ホントは法務大臣は不適任だったのは、自明だったんじゃないの? 読売の提燈記事批判に対して「読売新聞の記者がカワイソ」とか言ってたりすんだけど、赤福やらなんやらに対しても謝罪会見を要求して厳しすぎるほどの断罪を迫って来たきたのが連中の経緯なんだから、この際、

「あれは提燈記事で御座いました。申し開きも御座いません。申し訳ありませんでした、ここに謝罪致します。今後、二度と提燈記事を掲載しません」

と、謝罪会見を要求して言質を採るぐらいの対応をしないと、バランスが悪いんじゃないの? そんなに心の底から読売主筆や読売的言論人を信奉しているとか?

思うに、安倍晋三応援団みたいな人たちが登場し、野党を否定することで与党を肯定するというプロパガンダに終始したか率先してダマされたかで、結果としてはデタラメだらけだったのに、応援、応援、ワッショイ、ワッショイとばかりに、エセ保守とかエセ右翼主義者たちを押し通すことに成功してしまったという事なんじゃないの?

本気で、義務教育の英語の授業を増やしたという改革内容に賛成しているとか? もう、その時点で保守イデオロギーじゃないじゃん。

野坂昭如の『この国のなしくもの』から引用します。

日本人が日本人である、これは何しもナショナリズムの立場からいっているのではない。「外国」が存在する以上、「自国」の確かめを持つことが必要、というより、それがなければ、植民地でしかない。確かめは、「言葉」である。きわめて地方性の強い言葉だが、つい百年前までは、二千年近い歴史を背負った「言葉」の文化によって、国境を持たない日本人も、無意識のうちにアイデンティティを確認してきた。たった一度戦争に敗けただけで、日本人は「言葉」を失った。

その象徴として、歌がある。ぼくたちは、今、将来に渡すべき歌・詩を持っているか。言葉を持たない、さほど文化の面で重要じゃないアフリカに発したリズム、肉体の動き、なにも貶めているのではない、それが彼等の伝統なのだが、これをとり入れて、今の歌には、詩どことか「詞」さえない。ぼくの知る限り、歌謡曲の分野で、とにかく日本語らしい言葉にメロディがつけられていたのは、山口百恵までで、以後は、リズムを主とした音に、言葉を当てはめている。当然、意味は通じないし、分裂症気味のひとりごとみたいな「歌詞」。



フランスでは、今でも、日本の小学校教育に当たる課程で、六割くらいを、それこそ、日本でいえば源氏物語、万葉集あたりまでさかのぼり、自国の言葉を教える。現在、かなり緩やかになったものの、それでも原則として外来語についての使用の是非は、フランスアカデミーが決める。日本でも青森弁と鹿児島弁は、別の国の言葉の如く違う。これはしゃべり言葉においてであって、書くとなると、そここそ歌の力というべきか、「正統」を津々浦々の者が認めて、まただからこそ、近代に入り、国家が、「共通語」を強制した時、簡単に受け入れた。ことさら自分たちの住む土地の言葉にこだわり、言葉にアイデンティティを見い出さなくてもすんだ。

ヨーロッパの場合、ドイツにしろフランス、さては大英帝国にしろ、いちおう共通語は存在するが、それぞれの土地の、土着語についてのこだわりは強く、ドイツの南と北、大英帝国に至っては、特にアイルランドなど、ぼくら考えるイングリッシュとはまったく別物である。彼等は、言葉を洗練させる方向に進むよりも、自分たちの帰属する風土の確かめ、この意味でいうと、彼等は、言葉について、常に緊張感を抱いている。こだわる、それこそアイデンティティそのもの。



フランス人に教わったところでは、彼の国において、小学校の教課の、六割以上が、母国語の習得に当てられ、正しいフランス語を身につけてこそのフランス人。〜略〜イギリスにおいて、キングズイングリッシュが重んじられ、オッスクフォード、ケンブリッジ大学特有の訛りが、敬意、茶化しないまぜで小説の中に登場する。

アイルランド訛りの警官といえば、なにしろ大男で粗暴、オックスフォード訛りの、イタリア系移民の子孫といえば、なんとなくうさんくさいことになっている。

という具合に、言語とは、アイデンティティそのものであるという立場を取っている。また、そうしているだけではなくて、実は、ちゃっかりとイギリスやフランスは自国言語の重要性を理解できているから譲歩しないワケですよね。

ところが日本の自称「保守イデオロギー」や自称「右翼イデオロギー」の人たちというのは、安倍晋三のファンであるとか、自民党のファン、ただの応援団に成り下がってしまっているから、もう、そういう批評めいた話はどうでもよくなってしまっているのだと思う。自民党のする事はなんでもかんでも正しく、保守イデオロギーにのっとっているものであると、レッテル貼りで捉えてしまっていると思う。教養なんて駄目だ、これからの事を考えて英語の授業を増さねばならないのだって言っているのにね。


森友学園・加計学園問題も時間切れ逃げ切りにするとが免除されてしまうとなると、もう、為政者は何やっても罪に問われず、有権者なんてダマすのはチョロイよねって段階に突入してしまったんじゃないんスかね。なんでもかんでも強引に突破を図ろうとして、その強行突破を見逃し続けてしまっている。自民党内で止める者がいないし、公明党も止めない。野党の出番だぞってワケで、きっと頑張ってくれているんだろうけど、やはり止められない。

また、文科省の再調査も時間が掛かり過ぎで、この期に及んでも情報操作が濃厚ですやね、本日発売、週刊文春によれば、告発者である高等教育局の女性課長補佐は正義の告発をしてしみせたが、昨日のヤンキー先生の答弁からすると、どこかに左遷させられて、この騒動というのも腹黒い人々の大勝利で終結って事になるのかもよ。籠池学園と同じ処理方法で、つまりは、

「官邸からの指示は無かったのに、その30代の女性課長補佐が勝手に狒輙のご意向文書瓩鬚弔っていたとの事です。ハイ、これで、この問題はオシマイ!」

(ツカツカツカ)

としてしまうシナリオ。トカゲの尻尾切りといえばトカゲの尻尾切りなのですが、かつての政治家の秘書らが自分の意志で勝手にセンセを庇って死んでいったのとは少し事情が異なる。事実を捏造して、その瑕疵の全てを一個人に抱え込ませることとし、そのまま打ち切ってしまうアタリは実は中々に悪辣と感じますかねぇ。籠池さんが態度を豹変させて自民党に牙を剥いたのも、このトカゲの尻尾切りに対してでしたが、ホントはスターリンみたいな粛正の手法ですな。

池上彰さんはジャーナリズムの危機だと言ったけど、よくよく考えてみれば国民主権が蔑ろにされてしまっているという事でもあって。

ussyassya at 11:47│Comments(2)TrackBack(0)辛口評論 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by ねこあたま   2017年06月15日 22:25
もう真っ当な感覚であれば、この国にとどまっても仕方がない気がしますね。
2. Posted by メロンぱんち   2017年06月15日 22:37
ねこあたまさん>
そういえばニューアカデミズムのブームというのは、最後は「もう脱出しよう」だったんですよね。村上龍に「希望の国のエクソダス」なんてのがあって、宇多田ヒカルも「エクソダス04」というアルバムを発表したり。案外、最後は「脱出しかない!」なんてなるのかも知れませんね。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔