2017年10月08日

満蒙開拓団の女たち

Eテレ特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」を視聴。本年8月5日に放送したものの再放送でしたが、敗戦の混乱の実相に迫る内容でした。

1932年(昭和7年)頃から日本は満州支配の一環として国策による移民事業をしていた訳ですが、その満州開拓団は終戦時に押し寄せるソ連兵、更には暴民と化した中国人の一団から襲撃される等の過酷な状況に置かれていたという話は有名ではありますが、この番組では、満蒙開拓団の一つである黒川開拓団の中で起こっていた事実を、戦後70年を経て、改めて齢90超の老婆たちが告白したという非常に濃密な内容でした。

発端は4年前というから2013年でしょうか、安江善子さんという一人の老婦人が某所の講演の中で、満蒙開拓団、戦争を語る中で、ずーっと胸の内に収めていた事実を語った事に拠るという。当時89歳であった安江善子さんは、敗戦から引き揚げまでの間に自らの身の上に起こった狎楝圻瓩砲弔い童譴辰拭そこで語られた狎楝圻瓩箸蓮∪犬残る為に黒川開拓団の中で決定された選択であり、黒川開拓団では究極の選択として未婚の女子15名をソビエト兵の接待要員に充てる事で、生き延びたという暗黒の真実であった。

安江善子さんの告白以降、黒川開拓団遺族会は大きく揺れることとなった。黒川開拓団は半数ぐらい者が引き揚げに成功し、その後も黒川村に戻るなどして生活をしていた。なので、黒川開拓団の歴史の真実としては牴欺15名瓩魑樟靴砲靴峠乎勅決を免れ、なんとか生きて日本に引き揚げてきたというのが真実であったが、そこで人身御供的に行われた狎楝圻瓩砲弔い討蓮△修僚性たちの名誉を考慮して伏せてきた秘密であったのだ――。

安江さんの告発から4年が経過し、取材を進めてみると、その実相が生々しく浮かび上がる。現存する90歳近い人たちの中には、狎楝圻瓩了実を知りながら隠していた者が複数名、それと2016年に安江善子さんが亡くなっているのですが、接待を経験したという92歳の佐藤ハルエさんが現存しており、テレビカメラの前で、これまで公然と語る事のなかった真実を語ったのだ。

黒川開拓団は、岐阜県の黒川村の農家らが昭和恐慌の煽りを受けて、満蒙開拓団に参加した事に端を発する。黒川村は養蚕農家などがあったが生糸が売れるような状況ではなくなり、それであればと満州行きを決めたという。黒川開拓団が移民したのは新京の近郊でもある陶頼昭(とうらいしょう)という地区であったという。陶頼昭での生活は日本よりもマシで、非常においしいジャガイモが獲れ、休憩時間にはジャガイモを食べながらお茶を飲めるといった生活だったといい、黒川村での困窮と比較すると、確かに贅沢が出来たという。(当時、満州は王道楽土だと伝わっていたのは、そういう実態であったのかも。)

1945年8月9日、これは長崎に広島に続いて原子力爆弾が投下された日ですが、この日、ソビエトの侵攻が始まったのは周知の通り。満蒙開拓団は押し寄せるソビエト軍の脅威、8月15日に日本が無条件降伏をしますが、そうなると暴民化した中国人らの武装集団からの襲撃の脅威も加わるという過酷な状況に置かれたという。

母数は不明ながら判明しているだけでも48の開拓団では集団自決が採択され、満蒙開拓団単位による服毒などによる集団自決が多発したという。黒川開拓団でも集団自決が検討された。実際に黒川開拓団に隣接していた北側と南側の開拓団は集団自決を先に決定・敢行しており、愈々、黒川開拓団の人々も集団自決を真剣に検討せざるを得ないという状況に追い込まれたのだという。

1945年9月23日、暴民が押し寄せる事が刻一刻と迫り、黒川開拓団の取るべき道が集団自決に傾きかける中、佐藤ハルエさんの実父である佐藤長太郎さんが、「待った」をかけたのだという。長太郎さんが「ソ連兵に交渉して守ってもらえないか?」というアイデアを提案したのだ。

この時、ソ連軍は南満州鉄道を接収した状態になっており、新京駅を占拠していたのだ。黒川開拓団が居留していた陶頼昭から新京は比較的近かった事もあり、黒川開拓団では副団長ら2名が馬に乗ってソ連軍に救援を求めたのだという。

黒川開拓団は知っていたか知らずか不明ながら、当時、新京駅にはザバイカル軍(ザバイカル36)が占領の任務に就いていたので、おそらく、黒川開拓団が救援を求めたのは、そのザバイカル軍と呼ばれた部隊であったと推測できる。ザバイカル軍は射撃を得意とする部隊で、戦功の多い部隊であったことをNHKが調べている。

ザバイカル軍は黒川開拓団の要請に応じたらしく、陶頼昭まで兵隊を動かした。そして押し寄せて来た暴民らに対して、威嚇射撃をしたところ、暴民たちは即座に逃げ帰ったという。無事に暴民を追い払ってくれたソ連兵に何某かの返礼をせねばならなかったが、その返礼は難しかった。そこでソ連兵らは、女性の性接待を求めて来たので、それに応じる形で、黒川開拓団内では18歳以上で未婚の女性15名をソ連兵が暴民を追い払った見返りに差し出したという。

これが黒川開拓団に関与した人たちが戦後70年間、口を噤み続けた狎楝圻瓩凌深造任△襪箸いΑ

(ソ連兵が暴民を追い払った後に女性の性接待を要求したというクダリは、やや整合性に疑問もありますかね。というのはソ連兵らは自分たちが実際に動く以前の段階で、「よし、では守ってやる見返りとして女を用意してくれ」という具合に応じるのが自然で、追い払った後になって初めて「追い払ってやった見返りに女を用意してくれ」と言い出すであろうか? 複数名の兵隊を動かしている以上、その動かす事自体が一つの価値のある行為になっているから、ソ連兵が性接待を条件としたのは、追い払った後に初めて要求したのではなく、開拓団側が提示された条件を服んだからこそ、その部隊は兵隊を動かしたという風に考えた方が自然なのかも。いえいえ、間違いなく私の邪推ですけどね。)

とにかく、「女性による性接待を」という要求を断わり切れず、黒川開拓団は乙女たちを差し出すことになった。

接待役となった女性の証言によると、狎楝圻瓩砲弔い討両椶靴て睛討寮睫世呂覆ったという。晩酌に付き合って、もてなせばいいという程度の説明であったという。接待をするにあたり、黒川開拓団は接待所という施設を設けた。その場所を定めたのだ。ソ連兵の接待をと、その接待所に女性が入ってみると、その接待所の内部は、ずらりと布団が敷き詰めるように並んでいたという。

ソ連兵たちは娼館で娼婦を買うような態度ではなく、まるで汚いものにでも触るように女性たちを扱ったという。ソ連兵たちは銃を背負ったまま、そして銃先で女性たちに布団の上に寝るように指示するような形で性接待が行なわれたという。女性たちは余計な日本語を喋ると撃ち殺されてしまうのではないかという恐怖心の中、隣接する女同士、手を繋ぎながら、ソ連兵を接待したという。

また、接待所から少し離れた場所に黒川開拓団の面々は居たが、接待所の方から女性たちの泣くような声が聞こえてきたので、居た堪れない気持ちになったという。

「ソ連兵に救援を求めてはどうか?」という提案をした佐藤長太郎さんは実の娘である佐藤ハルエさんを接待役に出していた事にになる。心中複雑であった事は察するに余りあるのですが、佐藤ハルエさんは存命しており、力強く証言されていましたが、「父の長太郎の決断に間違いは無かった」や「父は立派であった」という主旨の証言をしていえる。長太郎さんは最終的には病気で満州で亡くなっているのですが、長太郎さんを除いて佐藤さん一家は母と子3名は実際に生きて日本に引き揚げており、集団自決を回避した父の決断を高く評価している。辛いことはあっても、90歳を越える今日まで生きてみれば実際に生きている中で喜びもありましたから――と。

黒川開拓団の中に出来上がった狎楝圻瓩蓮▲熟∧爾暴民を追い払った際の一度だけではなく、その後も継続されたという。つまり、用心棒代としてソ連兵がやって来て、接待を求めた場合には応じるというものであったという。契約関係になっていたという事よう。

また、独身女性に限定された理由についての説明もありました。既婚女性の夫は即ち、兵隊であり、その妻に性接待をさせるワケにはいかないという理由で免除になったという。また、開拓団の中にも夫婦が沢山ありましたが、やはり、妻を接待に出すワケにはいかないので、未婚の女性を、接待役として選出したという経緯についても語られました。

後にソビエト軍は満州に駐留している事を国際社会から批判され、撤収することとなった。しかし、同時に中国国内では国民党軍と共産党軍との内戦状態であり、しかも、黒川開拓団が居留している陶頼昭は両軍が対峙する前線であったので、直ぐに村から離れ、引き揚げ列車に乗る必要性に迫られたという。斯くして黒川開拓団一行は陶頼昭を経ったが、国共内戦の為に松花川に架かっていた鉄橋が爆破され、松花川を渡れないという状況に陥ったという。

現地人たちは渡し舟を運行していた。渡し舟を利用して対岸へ行けば、どうやら列車は運行されており、引き揚げ船まで辿り着けるという。黒川開拓団一行は渡し舟に乗るにあたり、交渉したが、そこでも現地人から、性接待を要求されたという。なので、再び、接待役としてソ連兵の時と同じ独身女性数名が接待役となったという。当初、接待役として15名の女があったが、このときは何名か不明であり、生存者のおぼろな記憶に拠れば、自分を含めて5名程度だったという。

ここでまたしても、それら性接待に服するという一部の女性の犠牲によって、黒川開拓団は無事に帰国する事ができたというのが、これまでずっと語られる事の無かった黒川開拓団の真実である――と。

因みに、接待役の女性15名は梅毒、淋病に罹患し、15名中の4名は死亡したという。

また、引き揚げ船の殆んどは福岡県に到着するものであったが、その福岡県内では、この当時、引き揚げてきた女性らが婦人科にかかり、人工中絶手術を受けるケースが多かったという。(これが示さんとしているのは、このテの話は黒川開拓団に限らず、大混乱の引き揚げの中、多くの女性が性被害に遭っていたであろう事実を浮かび上がらせる。)

また、生存者の中には、接待役の女性の体を洗浄する役目をしていたという女性も在りました。証言に拠れば、うがい薬などをリンゲル菅(注射器?)を通して、接待を終えた女性の子宮の奥まで洗浄していたという。それが避妊や性病対策であったという。

無事に引き揚げた。多くの満蒙開拓団の引き揚げも似たようなものとなったことが推測されますが、黒川開拓団の場合もまた郷里の岐阜県の黒川村に戻った。しかし、やはり、人間社会というのは厄介なもの、無責任な噂が支配するものであり、「満州帰りの女は男たちから敬遠された」という。結婚のハードルが上がってしまうらしく、番組内で紹介された佐藤ハルエさんと安江善子さんのケースでは共に結婚相手は満州から引き揚げた男性で、そうした満州の惨状を知る者同士で結び付いたが、実際には心無い敬遠があったという。つまり、「満州から帰ってきた女なんて、どうやって生き伸びたか分かったもんじゃない」という類いの、偏見がついて回ったという事を示唆している。で、実際に黒川開拓団の告白の端緒を切った安江善子さんの場合、妊娠しない体になっていたという。


感想です。何とも重たい話ですが、安江善子さん、佐藤ハルエさんの主張というのが明確で救われました。安江さんの方は昨年亡くなられたとの事でしたが、御二方とも基本的には、「真実というのは隠すものではない」という態度を取られているように見受けました。故に、実名での告白をしている。年齢が年齢でもあるので、秘密は秘密のまま墓場までという風にも考えるものなのかと我々は考えてしまうワケですが、御二方が御二方とも、かなり、確信的に「大変だったけれど、生き延びて良かった」という語り口だったのが救いでした。つまり、集団自決に傾きかけ、その後は自分たちが人身御供的な犠牲者となり、更に、帰国後も社会から白眼視されたという一面もあったのですが、それら白眼視するような社会を尻目にして、非常に強い自己を有しているように御見受けする事ができた。誰を呪うでもなく、しっかりと生きてこられたという、その生き様を体現されていたように見えた。

告白するにしても、内容が内容なので一定の白眼視される事を覚悟しないと語れないものかも知れない。しかし、それに輪をかけて、事情を知る者だけが「あいつらは汚れ役をやった連中だから」という白眼視の厭らしさにも気付かされますかね。まぁ、軽薄なものなんだな、社会ってのはさ。で、更に、行ってしまえば、そういう軽薄なのが現実なのだ。そういう中で、一つの判断を下し、耐え、戦い、そいて生き抜くというのは華のある成功譚ではないのだけれども、その過酷さを生き抜いたが故の人間的な強さというのがね。勿論、告白したという決断も、間違いじゃないのだと思う。堂々とした生き様であり、何を恥じることがあろうかという話だ。

犠牲。偏見。理不尽。或いは戦後処理のマズさ。個としての人間の逞しさ。色々と考える要素が詰め込まれていますかね。

92歳の農婦は、次のような回想もしていましたかね。記憶に辿っての再生ですが

「集団自決した人たちは辛さと苦しみだけを抱いて死んでしまった。それに対して私は生き残って、こうして生きている。生き残ってみても辛い事ばかりだったけど、それでも生きている中で喜びを感じることはあった。生き残ったから辛さと喜びを知っている。平和、平和というけれど平和なんて簡単なものじゃない。それを私は知っているんです」

と。

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この記事へのコメント

1. Posted by ねこあたま   2017年10月08日 08:21
ワシも見ました。
ワシの爺さんの弟という方が、満鉄に勤めていたけど、戦前に若くして亡くなったので、他人事ではないんですね。
戦前は中国、戦後は中南米に国策として移民という名の棄民政策を行ってきたというのがあるんでしょう。
また過去の話ではなく(どの程度かいて、どのような事をしているかは別として)奨学金を返済するために、風俗勤めとなってしまうこの社会の在り方はどうだかという感じはしましたね。
2. Posted by メロンぱんち   2017年10月08日 10:24
ねこあたまさん>
これはホントに多面的に考える材料を多く含んだ内容で、色々と考えさせられますね。人間社会の脆さ、一方で人間の強さなんてのも感じさせられました。
3. Posted by 雨亭   2017年10月13日 00:10
文庫で「たった一人の引き揚げ隊」だっかたな、そんな本があります。
日本で唯一、ソ連の国技サンボレスリングのチャンピオンたなったビクトル古賀さんの大圏をライターが書いたもの。
これ凄いですよ。
ほとんどゴルゴ13ルーツ・ネタ!
古賀さんは満洲に住んでいた白系ロシア人でコサックとのハーフ。引き揚げで、親と離れていた彼は、顔立ちがロシア人てだけで、自分たちの場所を確保したい引き揚げ者の大人から、列車から下ろされて放り出される。
そこから一人で10歳の少年が荒野を1000キロ歩いて脱出に成功する。
でも彼はお爺さんの元コサック騎兵から、パチンコや罠の使い方、荒野で生きるサバイバル技術を習っていました。
死体から靴を奪ったり、金歯をナイフで抜いたりした汚れも証跡に書いてます。
10歳ですぜ!
紅軍と暮らしたり、ロシアの囚人兵と道連れになったり、緊迫した道中です。
でも、彼は道々に殺された日本人の死体を見ながら、
「日本人て弱いなぁ!」と思う。
10歳の自分が自力で狼も出る広野を旅しているのに、落胆して大人が気力を失い死んでいる。満州で支配者していたのに、戦争に負けたら、とたんにこれか?
まぁソ連・ロシアで英雄として扱われるサンボマスターで、やはりゴルゴ13みたく少年のときから怪物君だったのでしょうが……
引き揚げを別な側面から眺める事ができますよ!

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