2017年10月12日

久々に「世の中は不思議である」

不思議だなと感じる事柄の一つに、私の場合は心理作用なんてものを本気で考えているんですね。分かり易い例で言うなら、いわゆる「虫の知らせ」のような、ああいう不思議な感覚というか、シンクロニシティ的な偶然というか。

で、これは説明する事、そのものが難しいんです。非常に私的な事柄だから。

三連休の中日に、友人の運転するクルマの助手席に座っていて、18時20分頃だったと思うですが、某所の道路上、ふらふらと進行方向の左手から薄茶系の小動物が飛び出してきたんですね。私はネコを飼っているもので、咄嗟に、このままだとネコを轢いてしまうと思いヒヤリとした。友人も小動物を発見して強めにブレーキを踏んでくれたので、小動物を轢かないで済んだのでした。

ほんの一瞬だったのですが、ヘッドライトが、飛び出してきた小動物を照らしていました。明らかにネコではない。ネコではなくて、タヌキらしき姿でした。なんていうんですかね、シルエット的にはタヌキなのかな。頭部が低くして身構えていて、腰の付近が隆起して尻尾がゴージャスなシルエット。大きさ的には、4キロぐらいのネコと同等の大きさ。

しかし、幾ら何でもタヌキが飛び出してくるほどの場所でもなかったので、友人に

「タヌキか? いや、タヌキはさすがに居ないだろうから、ハクビシンかアライグマ?」

と告げると、友人は、

「あれは明らかにタヌキでしょ? ふふっ」

という反応でした。

今にして思えば、選択肢としてはタヌキ、ハクビシン、アライグマ、それに加えてイタチを加えておくべきったかもなぁ…なんて思うのですが、まぁ、率直に言えば、タヌキだったのかな。動作に俊敏さは感じなかったのでネコとは違った。またネコがマイペースであるときのような、てんてんてんてんてんという足取りでもなかったから。

で、そのタヌキらしき動物は、左手の住宅地から出てきて道路の真ん中で止まって、クルマに気付いて、また、左側へとUターンして姿を消した。

その日の晩なんですけど、自宅で深夜に大慌てする小さな出来事がありました。ゴミを出す用意を深夜に済ませて、階下の扉の前にゴミ袋を置きたかったんです。目を覚ましたら、直ぐにゴミ袋を所定の場所に出す必要があったから。しかし、深夜になってしまったので、横着をして、階段の電灯を点けぬまま、階段を降りたんです。すると、数段も下ったところで、足裏にふわさっという肌触り。

咄嗟に愛猫が階段の数段下で寝ていたところを、うかつにも踏んづけてしまったようだ!

と感じたのでした。階段の昇り降りの際に愛猫が足にまとわりついてきて、うっかりと蹴落としてしまうことなんては、これまでにも何度か経験しているのですが、そういう場合、愛猫は、

「ぎゃ!」

と悲鳴を上げるんですね。踏まれそうになると、咄嗟に警句を発する。しかし、その時は愛猫の悲鳴はなし。こちらは足裏の手ごたえに驚いて、階段で転倒しそうになったのですが、肝心の足裏で感じた筈の愛猫の姿がない。

ずーっと見つからない。ケガでもさせてしまったかなと思ったら、心配になってしまい、あちらこちらを捜してみたんですが、愛猫の姿はない。寝ようにも、寝れない。おかしいな。ホントにケガをしているのかも知れない。こまった、こまったと考えている内に朝方になって、その頃になって、ようやく愛猫が姿を見せました。

ケガなんてしてねーじゃん。ピンピンしてる。あー、心配して損した。寝るぞ、寝るぞ、となる。

で、翌朝8時頃に目が覚めて、予定通りにゴミ袋を所定の場所へ出しに行ったんですが、その際、パトカーのような柄のノラ猫を目撃しました。隣家の庭へ入って行ってった。仔猫でした。珍しいというか、しばらくノラ猫なんて目撃していなかったのにな、と。

して、この日の20時頃にも、今度は白と茶色のツートン柄のノラ猫と住宅街のど真ん中で遭遇。あれ、このノラ猫も初めて目撃した。おかしいなぁ…。この半年ぐらいノラ猫なんて目撃しなかったのに、一日に二回も目撃するなんてって思ったんです。


で、急にアタマの中で、昨夕、友人の運転するクルマの助手席から目撃したタヌキの正体に思いが到ることとなりました。(ここら辺の思考回路が異常なんですけどね。)

「ああ、あのタヌキの正体が分かったぞ! あれは道路の右手にあった林に住んでいた、最後のタヌキだ!」

と。

急に思い出すんですね。そう。タヌキが飛び出してきた道路、その道路の右手には古いアパートがあるのですが、そのアパートの裏手は、ごく最近まで林だったのでした。しかも、その林は戦前からある林だという事も私は知っていて、そういう古い林が伐採され、現在、何かが建造中であり、その道路を私は通過する度に、心の中で、

「こんなところに何を建てるってんだろう」

と、二度、三度と、考えていたのでした。その地点から百メートルも離れていない場所にある神社の戦前の写真を見せてもらった事があり、途轍もない田舎であった事も知っていた。丸坊主の少年たちが伸びたランニングシャツを着ていて、はにかみながらセピア色の写真に収まっている写真であり、この付近は戦前は、こうだったとか、ああだったという話に付き合っていたのだ。だから、その林が造成されている様子を見て、何度も何度も「こんなところに何を建てるんだろう」と心の奥底で不愉快に感じていたのだ。

あのタヌキは、おそらくは、この付近の宅地化の波を70〜80年もの間、生き延びてきた、その林を根城にしてきた地ダヌキ一族、その最終世代の一匹だったんだろうなぁ、と。造成工事が始まってしまったので、道路を横断して左側の住宅街に移動してみたが住処にできるような場所はなく、その住宅街のある左側から再び道路を横断して右手にある造成地に向かおうとしていた所だったのだろう――と、突然、そういう情報が凄い勢いで組み立てられてゆく。

バカな話なんです。ですが奥底では、一連の回路は繋がっているな気がしないでもない。「タヌキ」にしても「ネコ」にしても、そして私のような者にしても、日に日に居場所を奪われつつある境遇の何かであって、飛び出してきたタヌキに遭遇したのは一連のプレリュードとして私に起こった必然だったよな、と。

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