2017年12月06日

ロシア革命という神話〜2

◆ナロードニキ&「人民の中へ」

ロシアに於ける人民主義運動もしくは農奴解放運動は、ブリタニカ国際大百科では1860年代からとされている一方で、1870年代にゲルツェンの思想に基づくという説明が定着している。それがロシアに於ける広義での反帝国主義を掲げた民衆運動に位置付ける事が出来そう。特に農民に主眼が置かれており、農奴解放という意味合いが強く、そこから「人民主義・人民主義者・革命運動・革命家」等の多義な意味として使用される爛淵蹇璽疋縫瓩台頭し、その気運が高まってゆく。

このナロードニキについてなのですが、どうも色々な著書に目を通してみると、ゲルツェンに始まるというくだりは、思想家のアレクサンドル・ゲルツェン(生年1812〜1870年)の1850年代初頭の主張に根差しており、

「ロシアの未来を担うのは農民だ!」

という言葉あたりを起源としているという意味のよう。著書も多数あり、その論旨はナロードニキの思想の骨格になっている。なので、ナロードニキに関しての記述には多少のばらつきが確認できますが、おそらくは、ゲルツェンの思想に肉付けされるかたちでロシアに人民主義思想が生まれたものが、ナロードニキの起源と推定できる。おそらく、起源は1870年代ではなく、1860年代でしょう。

また、ナロードニキには「創設者」とも呼ばれる人物がおり、それは思想家ニコライ・チェルヌイシェフスキー(生年1828〜1889年)であるという。急進的専制批判をした為に1862年に逮捕され、そのまま終身刑を言い渡され、獄中にて『何をするべきか』を執筆。その『何をするべきか』が当時の革命青年たちの必須の愛読書になったという。チェルヌイシェフスキー自身はシベリア流刑となり、約20年後には釈放されるが、間もなく死亡したという伝説的な人物であるという。

ナロードニキは、やがて帝政打倒を掲げる革命思想へと発展してゆく。初期段階では農村共同体(ミール)を基礎にした新しい社会の構築を目指していたとされる。このナロードニキらがロシア革命の原動力になっており、マルクス主義とは、やや距離を置いたものであるのが分かる。マルクス主義、マルクス思想をロシアに持ち込むのは後に登場するプレハーノフやレーニンらである。

ナロードニキ運動に特徴的なものは、マルクスが歴史のプロセスとしてブルジョア革命が起こり、その後にプロレタリア革命となるという経緯にあったが、ナロードニキは農村共同体を軸に於いていたのでマルクス思想との間には差異があり、工場労働者を軽視する形でスタートしたという。

また、ナロードニキ運動の特徴として、狄楊韻涼罎忰瓩箸い政治哲学が在る。

「ブ・ナロード!」(人民の中へ!)

というスローガンによって、ロシアの革命家たちは自ら農民らの中に飛び込んで、そこで革命勢力を形成してゆくという活動を展開した。この「人民の中へ」の理論的指導者はミハエル・バクーニン(生年1814〜1876年)と、パーヴェル・ラブロフ(生年1823〜1900年/名前はピョートル・ラブロフ?)であった。実は、バクーニンはモスクワ時代に前述のゲルツェンと知り合いであったらしく、1850年代からナロードニキの基礎概念はロシアに根差していたようにも推測できる。

しかし、このナロードニキもバクーニンが一揆をも厭わぬ一揆派(ブンターリー)を形成し、一方のラブロフらは啓蒙派(プロパガンジズト)とに分派した。バクーニンの方はロシアを飛び出して、フランスのプルードンが提唱した無政府主義思想の継承者として、マルクス主義の祖であるカール・マルクスと敵対する社会主義論陣を形成してゆく。


アレクサンドル・ゲルツェン(1812〜1870年)

ミハエル・アレクサンドロビチ・バクーニン(1814〜1876年)

ニコライ・チェルヌイシェフスキー(1828〜1889年)

パーヴェル・ラブロフ(1823〜1900年)



◆トレポス警察署長狙撃事件

ナロードニキから派生するかたちで、1876年、結社「土地と自由」がペテルブルクに結成される。その結社「土地と自由」には、プレハーノフらが参加していた。

ナロードニキ運動はマルクス主義思想を取り入れてはいたが「歴史の発展に関する理論」を修正し、工業プロレタリアートの存在を無視していた。この結社「土地と自由」は、更にマルクス思想を軽視して農村共同体を重視したナロードニキの伝統思想を強化し、「資本主義を経過することなく、農村共同体から社会主義に移行できる」という政治思想を持っていた。(後に、プレハーノフはマルクス主義に転身し、古巣であるナロードニキ系統に対して批判に転じる。)

ナロードニキ運動では一揆派と啓蒙派、これは言い換えれば、急進派と穏健派との対立であるが、その対立は常に起こり、その中で、一つの転機が起こる。

1878年、小貴族の家に生まれた若き女性活動家であったヴェラ・ザスーリチの起こした一つの騒動であった。

ペテルブルクの警察署長フョードル・トレポスは、

「礼儀を知らない囚人は鞭で打ち付けるように」

という命令を発し、当時のインテリや活動家から不興を買っていたという。その発言に憤慨した一人であったザスーリチは、ポケットに回転式拳銃を忍ばせて隠し持ち、トレポス警察署長に向けて発砲、重傷を負わせるというテロに及んだのだった。

警察署長暗殺未遂事件を起こしたザスーリチは厳罰が処されてもおかしくなかったが、既に世論が反体制に傾いていたらしく、陪審によってザスーリチは無罪となって釈放され、スイスへ逃亡する。

ザスーリチの警察署長狙撃事件を経て、ナロードニキ全体及び、その結社「土地と自由」でも急進派と穏健派の対立が高まり、1879年、プレハーノフはテロに反対して分派する。

ザスーリチは、後に前述のプレハーノフらと共に、スイスのジュネーブでロシア初のマルクス主義団体「労働解放団」を発足させ、ナロードニキの「農村共同体から資本主義を経ずに社会主義を実現できる」を批判する論陣を形成する。プレハーノフは「ロシア・マルクス主義の父」と呼ばれる事になる。

ゲオルグ・ヴァレンチノヴィッチ・プレハーノフ(1856〜1918)

ヴェラ・ザスーリチ(1849〜1919年)


ussyassya at 13:22│Comments(6)TrackBack(0)ロシア革命史 

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この記事へのコメント

1. Posted by 山童   2017年12月07日 18:18
ナロードニキが農奴解放運動と同じとした場合、1860年代の産物てあると。アメリカの南北戦争と重なりますね。あっちは 旗印が奴隷解放でしたが。
そいつは偶然でありましょか?
もちろん根底は黒人奴隷の解放を理由としてアメリカ建国以来最大の戦死者数の内戦をした訳ではないでしょう。でも、大義名分として使われたのは事実。アメリカとロシアでは、アラスカ売却いがいでは関わりない国同士でしたが。これまでのバクーニン含む革命・世直し闘争を記事で読んでくる限り、
1860年代に西欧文明の国々で、抑圧に反する潮流があったと見るべきでは?
すると同時多発的に別個に産まれて育ったと考えるより、どこかでシンクロしていると考える方が妥当すね?
活字も印刷技術も電信も存在していたから。
2. Posted by 山童   2017年12月07日 18:24
それでその、資本主義てかブルジョア革命を経ずに農村から直接に社会主義に移行する…という発想なんですが。
私見では文革やクメルルージュに似た危険な香ばしさを感じるのですが、メロンぱんち様的には如何なもんでしょう?
まぁポチョムキンがそうですが、ロシア革命てのは、やはり都市部のプロレトリアと兵士から起きてると想うです。この二つの共通点は文字が読めて、機械を動かせること。
大砲や汽船も、工場の機械も操作は必要で、
それには最低限のマニュアル理解が必要。
でも、ロシアの農村はそうでない。だからロシア革命は都市から思うのです。続く
3. Posted by 山童   2017年12月07日 18:33
ところが農村からの革命したのが毛沢東すね。でも、あれは解放区を広げてゆくという、国盗り物語的なやり方です。ようするに劉邦や朱元璋などの「盗賊」皇帝がやって来た事の繰り返しすよね?
ありゃレボリューションでなく易姓革命のやり方と想うす。つまり前近代のノウハウ。
中国は地図みると解るすが、北京から南京あたりまで「ほぼ真っ平ら」ですので、北京を制圧すると江南まで戦車や騎馬で制圧できちゃえるんですね(日本軍の破竹の進撃がそれ)
だから、最大の勢力を持つ奴が「真ん中」を取る以外に天下を治める法がない。
仕方ないんすよ。てもロシアは曲がりなりに、近代化しつつあったヨーロッパしょ。
なんで毛沢東やポル・ポトみといな事を言い出したんすかね? 不思議です。
4. Posted by 山童   2017年12月07日 18:37
真ん中とは、政治の話ではなくて、広義の意味での中原です。
5. Posted by 山童   2017年12月07日 19:11
で、そのような前近代的な革命に進んだのは、一つに中国は隋に始まる科挙の為に、
身分制は無くなっていた事もあると想うす。
階級はありますよ。士太夫は裕福な教育を受けられる富裕層ですから。でも皇帝の下は身分制はない。
抑圧に対する反発力はあっても、破壊するべき血統による身分制はない。皇帝も1912で廃位されちゃいますし。
そこが違う気がする。
そうなると誰が政権を取って外国勢力を追い払うかという問題だけで、力による解決が優先されません?
ロシアは違いますよね?
固定した身分制を廃止してゆくとすると、国民の意識そのものから変えねばならない!
すると文字を読める兵士や都市労働者を軸に
やるしかないと思うのです。教育が必要ですから。そこで、農村から…てのは矛盾しませんか?

6. Posted by メロンぱんち   2017年12月08日 01:14
山童さん>
ナロードニキは実際に行き詰まって、マルクス主義がロシアにも到達しますが、ロシアでマルクス主義が忠実に履行されたのかどうか少し微妙な気もしているんですよねえ。途中から駆け引き勝負のような展開になっていますし。常識的にはブルジョア革命が先に起こると考えるべきですが、レーニンやトロツキーは少し違う反応であったようなんですよね。

また、ロシア革命にしても基本的にはペテルブルク、つまり首都で展開されていますね。軍隊が連隊規模でじわじわと政権を見限るという現象が起こります。また、民衆も暴徒化するエネルギーが凄くて警察署を襲撃して武器を奪うなど、収拾不能状態に陥っているようですね。今の時代に、そういう事が起こるのかと想定すると微妙ですが、当時のロシアでは起こせた、というあたりが、なんだか幻想的なんですよねぇ。

教育と革命の関係は、どうなんでしょ…。実際のところ、ロシア革命でも無茶苦茶というか無秩序状態に近いカタチまで持ち込んで革命まで持ち込んでいるようにも見えますかねぇ。実は、妥協すると、その後に反動として治安警察による粛正が起こっているのも確かですし、難しいところかも知れませんね。

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